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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


光にかわるまでの道程

 ふたつのめだまのかいじゅうがあたしにちかづいてきました。
 がーっておととききーっておととどんっておとがしました。
 それから。
 ――それから?



「おかしな話ですね……」
 ほっそりとした指を顎に当てた女はそう言って小首を傾げる。その拍子に銀の髪がさらりと肩を滑った。ふっくらとした肉感的な身体に絡みつくその髪は手入れが行き届いているようなのに何処か乱れているようにも見える。身体の線を這うが故だろうか。
 その肉感的な女に対した男は、その身体のことなど意識もしていないというような平然さでさらりと答えた。
「……厄介な話ではありますね」
 女よりやや現実的な言葉を返したその男もまた、肉感的という言葉の似合う男だった。但し女のそれが男の本能に訴えかけるのとは裏腹に、男のそれは寧ろ威圧感や恐怖に結びつく。見るからに暴力的な強さを表す、頑健で筋肉質な肉体を持った男である。
 二人はマンションの一室で向き合っていた。ガラステーブルとソファーの存在からするに居間だろう。そこで向き合っている。それがこの二人の関係を説明している。
 男は神田・猛明 (かんだ・たけあき)。その肉体が示すとおりのプロ格闘家。女は響・梨花 (ひびき・りか)。やはりその肉体を活かしてのグラビアモデルの職についている。いや、ついていた。現在はタウン誌などに活躍の場を移している。
 その二人が如何にして出会い、如何なる道程を辿って現在こうして同じ部屋で向き合っているのかはわからない。
 だが、つまるところ二人はそういう関係であり、猛明が梨花のその肉感的な佇まいに動揺の一つも見せないのは『何を今更』というところであろう。
 そしてリビングで向き合った二人の状況もまた『それどころではなかった』のである。
「……この場所でこの家賃は何かある証明のようなものでしたね」
 猛明は小さく息を吐き出し、まだ新しいソファーの背もたれに身を預ける。梨花もまた困ったように笑んだ。
 都心まで電車で15分、駅まで徒歩7分。2LDKで築三年の小奇麗なマンションという物件の家賃が10万を切っていればそれは破格もいいところだ。同居を――この場合は同棲が正解だが――決めて、このマンションへ入居したが、やはり世の中『うまい話には裏』があったらしい。
 それが起きた当初は物の位置が変わっている程度のものだった。しかしそれはそれだけに留まらず、日を追うごとにエスカレートした。勢い良く飛んできたグラスが割れ、梨花の足に小さな傷を作ったところで猛明は漸く重い腰を上げた。
 ポルターガイスト現象。
 家の中で、物を動かしたり大きな音を立てたりする霊をさして言うドイツ語だ。
 実際にそれだけならほったらかしておくことも可能だが、二次的被害が起きるようでは放っておくことも出来ない。
 ――増して梨花の身体に傷がついたとあっては。
 破格の幽霊マンション。
 破格であるがゆえに何かあるだろうということは梨花はまだしも猛明は気付いていた。それでも頓着せずに借り入れたのはマンションが破格になる程度の怪異現象ならどうとでもできる自負があったからだ。過信ではない、マンションの怪異程度で済んでいる霊現象は、実際に異能を持つものにとっては大したことではないのである。大したことになる怪異であれば、単なる場所の怪談で済んでいる筈もないのだから。
 ならば何故ここへきて困っているのか。その理由が、
「――甘く見ていましたね」
 自嘲気味に猛明は笑った。
 結局過信である。
 どうとでもなるからどうとでもしようと重い腰を上げたはいいが、いっかなその原因であるところの霊の姿が見えてこない。
 見えてこないうちに、猛明が仕事の関係で部屋を空けることになってしまったのである。
 格闘家という職業上、その仕事場は国内とは限らない。寧ろ国内であることの方が稀だ。試合と移動を合せて三日という期間は寧ろ短い方に入る。普段であれば頓着なく梨花に留守を任せて出かけてしまえるのだが、現在の状況は少々、普段どおりではない。
 過信が呼んだ結果とも言える。
 いっそ粗野な印象を醸す見た目よりも、紳士で(狡猾でもあるのだが)真面目な猛明吐いた溜息を聞きつけて、梨花は気丈に笑んだ。
「そうかもしれませんけど……でも大丈夫ですよ。私もこういう事態には慣れていますし。三日くらい一人でも何とかなります」
 自分で解決できるとは言わない。
 それは猛明を立ててのことでもあり、実際に一人で解決する自信がないからでもある。
 猛明は一瞬その恋人の自然な笑みに釘付けになった。そして次の瞬間苦笑した。
「そうですね。じゃあ、留守をお願いします。くれぐれも、気をつけて」
 無骨な指が梨花の滑らかな頬を撫でる。その手の上に己の柔らかい指を重ねる余裕は今のところまだ梨花にはない。かあっと頬を赤らめて俯くように頷く。
 猛明は苦笑を深くすると視界に飛び込んできた銀の髪に唇を落とした。そうして、三日間の別れを惜しむべく、その身体を引き寄せた。



 ――それから?
 それからあたしはどうなったの?
 ねえ、あのおばけはどうなったの?
 おかあさんはどこへいったの?
 おとうさんもどこへいったの?
 ねえ?
 ――ねえ。



 気丈に猛明を送り出した梨花だったが、いくら気丈に送り出したとはいえそれが事態に対してプラスであるとは口が裂けてもいえなかった。
「……はあ」
 一人の部屋は何処か寒々しい。
 その部屋の中で梨花は溜息を吐いた。吐くしかなかった。
 それまでは小さなものの移動が繰り返され、時折大物が――コップやリモコン程度だ――宙を飛んでいたのだが。
「……ちょっと予想できませんでしたね」
 梨花が整えたマンションの一室は確かに予想できない状況へと変化していた。
 観葉植物の鉢が飛び、ガラステーブルはひっくり返っている。棚にしまわれている小物の類は無事だが、棚そのものはがたがたと嫌な音を立てている。ある程度の重量のあるものは浮かせたりまでは出来ないものらしい。だからといってそれが救いになるわけではないが。
 既に部屋は居住空間としては意味を成さなくなっていた。
 しかし梨花はその場を離れることはしなかった。
 電話があるからだ。時差があるというのに毎晩、夜になると必ず猛明が電話をかけてくる。こんな状況でなくとも、遠征に出かけた猛明は必ずそうしていた。そうしてくれることを梨花が望んだからだ。望まれなければ流石にそんな真似はしなかっただろう。
 その電話に出なければならない。
 転送するなり何なりと方法はあるだろうがたった三日。たった三日留守を守れず逃げ出すのは嫌だった。そして猛明に負担をかけるのも。
 なにより。
「――ねえ」
『ねえ』
 呼びかけに鸚鵡返しのように返される言葉。否、思念。
 それを知ってしまった今、この場を離れることがどうしても梨花には出来なくなっていた。



 ――ねえ。
 どうしてだれもいないの。
 どうしてあたしのこえはきいてもらえないの。
 どうしてあたしのうでがいっぽんないの。
 どうしてあたしのあしもいっぽんないの。
 いたいよ。
 くるしいよ。
 それに、それにね。
 ――それに。



「どうしてって」
 梨花はその呼びかけに口ごもった。
 その目にははっきりと見える。まだ小さな少女の霊が泣き叫んでいる姿が。
 死んだ時の姿なのだろう、胸はつぶれて片足がなく、片腕もない。哀れで残酷な姿だった。
 少女の方へと伸ばした手はすり抜けてしまう。それほど希薄な存在であるというのに、その嘆きはなんと強いのだろう。嘆きで、これだけのものを動かしてしまうほどに。
『どうして!』
 悲しみの思念が強くなる瞬間に必ず何かが動く。その動きは梨花へと向かう。
 それは初めて出会ったのだろう『通じる』相手へのコンタクトなのかもしれない。だが、そのコンタクトは必ず梨花を傷つける。
 いくつめかのコップを腕で受け、梨花は小さく呻いた。腕はもう痣だらけになっている。
「――やっぱりですか」
 溜息のような声が梨花の耳に届いたのは、そのコップがごろりと床に転がった、その時だった。
 口調は穏やかだが、その実鋭い声が、梨花の鼓膜を打った。
 命じる。
 断ずるような冷ややかな響き。そしてその声の後に部屋の中に動くものは何一つない。
 梨花は飛び込んできた少年を呆然と見上げる。気が抜けたためだろう、立ち上がることも笑顔を向けることも出来なかった。
 猛明とは明らかに違う、まろやかな発展途上の線を描く身体。その上に乗っているそれに相応しい顔が梨花を見下ろす。
「そんなに怪我して。大丈夫ですか?」
「七枷、くん」
 梨花は呆然と、少年、七枷・誠 (ななかせ・まこと)の名を呼んだ。

「兎に角片付けますよ?」
 神田さんに頼まれているんだからと、宙を漂う存在にこともなげに能力を向けようとした誠に、梨花は慌てて縋り付いた。
 その柔らかな肢体のどこをどう押し戻せばいいのかわからずにただ固まった誠は、ややあってから心底困ったように梨花を見た。
「――まあそれも予想のうちでしたけど」
 取り返しがつかないほどの事態になりそうだったというのに助けも求めなかった梨花が、何かに引っかかりを感じているのだろうということは誠にもわからないではなかった。
「だって」
『だって』
「……あのこは……」
『だって、どうして、それから』



 ――さみしい。



 光に包まれていく少女を見送る梨花の目は満足げだった。
 結局梨花は誠の力による強制的な撤去を頑なに拒んだ。騙し騙しなんとか三日を乗り切り、帰宅した猛明の提案で、誠の能力で実体化させた少女の霊を猛明が沈め、後は梨花の思うようにということとなったのだ。
 少女の霊を抱いた梨花は何事かをささやき、そして少女もささやき返し。
 そして少女は光の粒子となって消えた。

「それで?」
「それでって?」
「最後に、あの子は何を言っていたんです?」
 恋人の問いかけに、梨花は少し頬を染めた。
「内緒です」
 そうですかと帰した猛明はそれ以上恋人を問い詰めることはせずに、ただ黙ってその髪を撫でた。



『今度生まれてくるときは、お兄ちゃんとお姉ちゃんの子供になりたいね』



 梨花に囁いた言葉ではなく、少女はそう意識した。
 心の中の嬉しい声を、けれど心の中の声だったからこそ、梨花は恋人にも告げず自分の中の最も柔らかい部分にそっと、しまいこんだ。