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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[ Baby x Baby x Locker ]


------<オープニング>--------------------------------------

 古びたコインロッカーが見える。
 村上ゆう子は、朽ちたコンクリートの上に立っていた。熱っぽい風が吹き付けている。立っているだけで汗ばむほど暑い。夏だ。
 風の香りが、夏であることを教えてくれる。
 古びたコインロッカーは、ほぼ全部にキィがついているように見える。だが、本当は一つだけ、使用中のものがある。
 ゆう子はそれを見つけなければならない。
 何故なら、その中に置き去りにしたものがあるからだ。
 
 それを、返さなければいけない。
 
 それを、見つけ出して。助け出さなければならない。
 
 熱い風が吹き、キィについたプレートが一斉に揺れさざめいた。

 × × ×
 
 もうじき、母親になるんです。
 そういう言葉で依頼を切り出されたのは初めてだった。
 草間武彦は、応接セットの依頼者側に座った女性を見つめる。細く煙草の煙を吐き出し、
「それは、おめでとうございます」
 と答えた。
 初夏である。中間テストを終えた学生達が、昼過ぎの歌舞伎町に繰り出してくる時刻だ。外廻りのサラリーマンはスーツの背中を汗で濡らし、テストから開放された学生を不満そうに見つめる、六月の下旬。
 困ったような顔で、村上ゆう子という女性は微笑んだ。
 嬉しいけれども、笑顔になれない。そういう顔をしている。
 やや丸顔で、栗色に染めた髪を短く切っている。唇の脇に大きめのほくろがあり、水商売のようなイメージを作っている。
 村上ゆう子は、もうじきに母になるのだという。計画を立てていたこともあり、妊娠はすぐに知れた。それから、夢を見るのだという。
 コインロッカーの中に、何かを取りに行かなくてはならない夢。
 妊娠発覚後に始まった夢は、徐々に進んでいるのだという。近頃はゆう子は夢のことばかり考えており、そのコインロッカーがJRの駅であること、自分が中学時代を過ごした家の最寄駅だったことまでを思い出していた。
「K駅は、路線工事ですでにそのコインロッカーがないんです。駅の真中に、古いホームがあって、今は入れません。コインロッカーはそこに置いてあったんです」
「ああ。あの『開かずの踏み切り』で問題になったあたりの駅ですね」
 草間は頷く。東京都下の路線工事で、一時間近くも遮断機があがらない踏み切りが出来たとか、そのために駅構内を自転車が通過したとか、踏み切りの途中でお年寄りが立ち往生したとかで一時期大騒ぎしていたあたりの駅だ。
「入ることが出来るのは、電車が終わってからだと思います。違法になるんじゃないかっていうのは、判っています。でも、どうしても、そこに行かなくてはいけない気がして」
 ゆう子は真剣な眼差しで草間を見る。
「でないと、私、この子を産んだらいけないような気がして」
 それはまた、随分大きな話になってしまっている。
 母親というのは、神経質になるものだろうか。まあ、人生の一大イベントではあるわけだから、仕方ないとも言える。
 草間のような男性には一生わからない気持ちだろう。
「少し調べてみたんですが、あの駅の周りは心霊スポットになっているようなんです。コインロッカーの心霊写真も見つけました。噂や怖い話の有名なサイトなんですが、そこで草間さんのことを教えて頂いて」
 ゆう子は封筒から数枚の写真を取り出す。WEBサイトからダウンロードした画像を光沢紙に印刷したものだ。
 崩れ落ちた駅のホームが写っている。明かりは懐中電灯なのか、とにかく薄暗くて判りにくい。所々ひび割れて土が見えたホームは、雑草に覆われている。
 その写真の片隅に、四角いものが移っている。青白く輝く、四角いもの。
 よくよく目を凝らして見なければ、コインロッカーだとは思えないだろう。草間には、巨大な豆腐に見える。
「ここなら、霊媒師さんとか、そういうスジの方を紹介してくれると聞きました。私と一緒に、このコインロッカーへ行ってくれる人を紹介して頂けませんでしょうか」
 ゆう子はそう言って、急にソファから立ち上がる。
 丁寧に頭を下げた。
「妊婦さんが、そんな急に立ち上がったりしていいんですか? 落ち着いて下さいよ」
 草間は慌ててゆう子を座らせる。
 この程度の依頼なら、「見える」人間でも見繕えば問題ないだろう。相手が妊婦だということもあるから、あまり刺激的でない方法で、コインロッカーを見せてやれば。
 草間は写真を拾い集め、元通り封筒に入れてゆう子に返した。
 ところで、一体何だろうか。取りに行かねばいけないもの、とは……。

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 強烈な日差しも、樹齢百年を超える木々に覆われたこの神社の中では丸みを帯びる。茂みに細かく砕かれ、光の粒となって降って来る。
 氷の浮いた麦茶をすすり、シオン・レ・ハイは穏やかな時間を楽しんだ。
 東京都下、K市に位置する神社の社務所である。都内の反射熱や冷房の廃熱を逃れつつ、丁度良くバイトもこちらの方に恵まれたため、シオンは暫くの間このK市に滞在していた。
 数日前までは、庭木の手入れ兼話し相手を探していた地主の老婆の家にいた。三食昼寝に雑談つき、庭木の手入れをしながら老婆と語らい、彼女の家に住まわせてもらっていたのだ。
 彼女の家に孫たちが来るというので去り際を感じたところ、老婆はシオンを気に入ってくれたらしい。近所の神社で子ども夏祭りがあり、毎年枯れた神主がえっちらおっちら準備をしているから、手伝ってやってほしいと言って来た。
 選別に驚くほどの礼を頂き、シオンはこの神社にやってきたのである。
 ゆっくりゆっくりとやぐらを組み、提灯をぶら下げつつ、神主と三度の飯を食べて一緒に寝起きする。江戸時代に戻ってしまったかのようなアルバイトだった。
 昼過ぎからは子どもたちが遊びに来るため、シオンと神主はこうして休憩を取っているのである。小学校低学年の子どもたちの遊び場となっているここに居ついたシオンは、彼らに非常に人気があった。
「あいつらは元気でしょう」
 見事に禿げ上がった神主が、羊羹を頬張って言う。この羊羹は老婆の差し入れである。
「子どもたちですか? とても可愛いですよ。元気一杯で」
「この暑いのにバテもせんで」
 神主はにまにまと笑う。そういう彼も、非常に子どもが好きなのだ。おん年八十というが、ピンピンしゃきしゃきしている。
 シオンが自分の分の羊羹を食べきった頃、子どもたちがやってきた。
 夏祭りまであと五日。提灯の飾りつけを、そろそろ手伝ってもらおう。
 長い石段を駆け上がって、子どもたちが境内に入ってくる。歓声を上げ、シオンたちに手を振った。
「ほれ」
 神主がペンチを手渡す。シオンはそれを受け取り、社務所を出た。
 小高い丘の上に、神社はある。アスファルトの照り返しも遠いし、緑もある。地面は踏み固められた土で、砂利も神殿の正面に少しあるだけ。
 良識ある子ども好きの神主という保護者も居る。都内では考えられないほど伸び伸びとした遊び場だ。
 シオンは子どもたちに提灯を手渡し、やぐらから四方へ伸ばしたワイヤーにつけるのを手伝ってもらう。高いワイヤーに向かってシオンが子どもを抱き上げ、子どもたちが柔らかいワイヤーで提灯を吊るしていく。抱っこ遊びのようで、低学年の子どもたちは大喜びだった。

 × × ×
 
 五時を知らせる鐘が鳴り響く。町のあちこちに備え付けられた古めかしいスピーカーから、オルゴールめいた「夕焼け小焼け」が流れ出す。
 丘の上にあるこの神社はそのメロディの中心になる。切なく懐かしいような気持ちをかきたてるメロディが、シオンを包み込んだ。
 この鐘が鳴ったら、子どもたちは家に帰る時間だ。
 シオンは抱き上げていた子どもを下ろし、ペンチや残った提灯をやぐらの上に置いて、彼らを見送る。
 生命力の塊のような子どもたちが石段を駆け下りていくのを見送り、ぐるりとK市を見回した。
 緑の多い街だ。ここから車で十分ばかり行ったところに、世界的に有名なアニメーションスタジオもあるという。そのスタジオの作るアニメーションが暖かく、美しい自然をたくみに描き出すのは、土地の力もあるのだろうか。
 シオンはやぐらへと戻り、残った提灯とペンチを掴む。短く切った柔らかい針金を集め、社務所へ向かった。
 石段を上がってくる気配を感じたのはその時である。
 シオンが振り向くより早く、その相手が声をかけてきた。
「シオンさん!」
 驚いたような女性の声。
 シオンは振り返り、そこに見覚えのある女性を発見する。草間興信所の事務員、シュライン・エマ女史だ。草間から仕事を請け負うときは、彼女と話をすることが多い。
「どうもこんにちは、シュラインさん。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「本当に奇遇ですね。こちらにも、アルバイトで?」
「ええ、この神社のお手伝いをしながら、ご厄介になってます」
 シオンがそういきさつを説明すると、社務所から神主が顔を出した。
 若くて垢抜けた女性を見て興奮したのか、ぴゅーんとシオンのところに飛んできた。
「お知り合いかね。暑い中だ、社務所で一服してもらいなさい。いやいや、絶対した法がいい! 熱中症で倒れる前にな」
「小西のおばあちゃんに言いつけますよ」
 シオンはにこにこしながら言う。小西というのは地主の老婆の苗字だ。
「わしと小西のばァさんは何も関係ありゃせんわい! ばァさんがわしに惚れとるってことはあってもな。
 さあさお嬢さん、暑かったでしょう。上がって行ってはいかがですかな。冷たい麦茶と虎屋の羊羹がありますぞ」
 神主は元気にそういうと、シュラインの手を掴んで強引に社務所へ引っ張っていった。
「まさかシオンさんがいるなんて。私、今日は仕事で来てるんです。ちょっと調べたいことがって」
「興信所のお仕事ですか。暑いのに大変ですね」
 シオンは心底そう思ってシュラインを労う。シュラインは神主の持ってきた麦茶をうまそうに飲み、羊羹をちまちまと食べた。
「神主様、十五年以上前になるんですけれど、このあたりに住んでいた村上というお宅をご存知ですか?」
 シュラインがそう切り出す。神主が大きく頷いた。
「知っておりますよ。何年か前に引っ越してしまったが、娘さんが一人いたお宅でしょう」
 シュラインが頷く。その娘について何か知っていることはないかと問うた。
「背が高くて発育のいい子でしたよ。気持ちも優しくて子ども好きでね、今用意しているあの夏祭り、あれも手伝ってくれました」
 事件か何かがあったというようなことはないだろうか、とシュラインは問う。神主は大きく頷き、村上ゆう子という少女が今で言うストーカーにつきまとわれたり、よく痴漢にあっていたという話をした。何かされることはなかったが、待ち伏せされたり追いかけられたこともあったという。神主は彼女を心配して、夕暮れなどに出会うと家まで送ってやったりしていたという。
 暫くゆう子の人となりなどを聞いた後、シュラインは礼を言って立ち上がった。
 そして、ふと思い出したように言う。
「今、K駅のあたりが心霊スポットになっているという噂があるんです。このあたりでコインロッカーに赤ちゃんが捨てられるという事件があったかと思うのですが、それってK駅でしたか?」
 神主が苦い顔をする。そして、「そうだよ」と答えた。
「ありがとうございました。それじゃあシオンさん、またね。困ったら草間興信所に来てちょうだい、いつでも人手不足だから。助かるわ」
 シュラインは丁寧に礼をいい、歩いていった。
 神主が黙り込んでしまったので、シオンは縁側に腰掛けたまま黙っていた。
「村上ゆう子さん、ですか」
 ぼそりと言う。神主がびくりと顔を上げた。
 それから、いいにくそうにした後、シオンの肩を叩いた。
「今思い出したんだがね。ゆう子ちゃん、中学校三年になってからな、ふっつりと。ここへ来なくなったんだよ。受験が忙しいのかと思っていたら」
 神主は丁度このぐらいの季節に、ゆう子を見たのだという。ゆう子は神社の裏手で、何かお参りをしているようだったという。
「何をですか」
「あそこの裏手にな、お地蔵様があるだろう。子ども抱いた。あれは水子地蔵でな」
 通常神社ではなく寺院にあるものだが、昔からあるという。神社と地蔵、どちらが先かわからないぐらい古いものだという。
 神主が声をかけると、ゆう子は泣きながら逃げていったという。泣き顔を誰にも見られたくなくて、裏手に回っただけだろうと、神主はずっと思っていた。
 だが、シュラインの言葉に嫌な想像をしてしまったのだという。
 シオンは神社の裏手にある地蔵を思い浮かべた。
「ゆう子ちゃんに何かあったんだろうか」
 神主がぽつりと呟く。その姿が妙に年老いて見えて、シオンは立ち上がった。
「シュラインさんのお手伝いをしてきても、いいでしょうか」
 神主に微笑みかけて言った。
「大丈夫だと思いますけど、見てきます。ゆう子さんに、神主さんが会いたがっていたって伝えてきますね」
 そう言って、社務所を離れる。
 急いで走ればシュラインに追いつけるだろう。
 
 × × ×
 
 最後の電車が通り過ぎる。JR中央線の終点、高尾まで下っていく電車には人がかなり乗っていたが、今度は車両の殆どに人が乗っていなかった。
 エンジンを切った車の中から、シオンたちはK駅を観察していた。
 フェンス越しに見えるK駅は暗く、ホームに点在する灯りが頼りない。三十分も前に最終電車を送り出したホームの電灯が落ちているのと、向こう側のホームまでの間に古いホームが横たわっているためだ。
 あちこち崩れて朽ちたホームは、伸びた草に覆われている。暗いため定かではないが、ススキだろうか。伸び放題の草はホームの高さ以上に茂り、夜の風に揺れている。
 使われなくなった建物は急速に朽ちる。存在意義を失ったとたん、時の神に見捨てられたかのように荒れていく。
 駅舎から完全に照明が落ちた。
 村上ゆう子が真剣な眼差しで駅を見つめている。
 シュラインの了承を得て、シオンは今回のミッションに加わった。
 ゆう子を悩ませているコインロッカーの「忘れ物」を確認する、という。
 夜になり、草間興信所からクライアントの村上ゆう子がやって来た。ふっくらとした健康そうな女性である。シオンは簡単に経緯を説明した。
「ホームがあったのは、どのあたりですか」
 運転席のモーリス・ラジアルがゆう子に問いかける。今回のミッションの運転手兼、男手だそうだ。
 淡い金髪と繊細で美しいつくりの顔立ちが、薄暗い灯りに照らされて月のように冴えている。
 フェンス脇にある街灯の光は頼りない。駅舎の明かりがなくなると、ホームはシルエットしか見えない。
「下り側の先頭の方でしたから、もう少し後ろですね」
「思い出しながら指示して下さい。バックします」
 モーリスは後ろを見たまま車を動かす。そろそろと車を後退させた
 助手席に座ったシュラインは身体を乗り出し気味にして駅を見つめた。
 後部座席には、真ん中にゆう子、両側にシオンと海原みなも。みなもは中学生ぐらいの少女だが、草間興信所の仕事に参加するのだ。それなりに「ワケアリ」なのだろう。
 四人の予定だったため、やや手狭だ。みなもとゆう子が華奢なため、窮屈だが何とか納まっている。
 シオンは少し申し訳なさを感じた。
「磁場が歪んできていますね」
 申し訳なさをごまかすように言う。車が後退するにつれ、駅の気配が変わっていくのが判る。
 みなもも頷いた。
「何かが集まってるみたいな。心霊スポットだとしたら、強力な方に入りますね。私、あんまり鋭くないので、説明しにくいんですけど」
 近づくにつれ、異質な空気が濃くなっていく。
 霊を集めやすい磁場には二種類ある。引き寄せるタイプと、吸い込むタイプ。前者は霊が集まりやすく、方向性が一致している者が集まる。だが、今回は後者のようだ。
 霊も人も、それ以外のものも、吸い込むように集めている。
 危険かもしれない。吸い込むタイプの磁場は、強力な場合が多い。
「ここです」
 ゆう子が小さい声で言う。両手でこめかみを押さえている。
 シオンたちは車から降りた。
「蚊が一杯居そう! 虫除けスプレー使います?」
 みなもが言う。バッグの中から小さなスプレーを出した。
「妊娠してると体温が高くなるそうですから、ゆう子さんは絶対」
 ゆう子の二の腕や足元に、シュッとスプレーしてやった。
「用意がいいのね。私も借りていいかしら」
 シュラインも手を出す。みなもがニコニコして手渡した。
 スプレーを吹き付け、それでも寄って来る蚊を手で追い散らす。フェンスに近づいても、ホームは暗くて見づらい。
「撤去された跡らしいものがありますね。ボルトを抜いた孔があります。近づいてみないと判りませんが、あれに触ればロッカー復元も可能でしょう」
 片目に黒い眼鏡のようなものを装着したモーリスが言う。時計職人などが装着しているものに近いが、まさかそうではあるまい。暗視ゴーグルか何かだろう。簡易版の。
「ロッカーを復元できるんですか」
 ゆう子が驚いたように言う。モーリスは頷いた。
「少し空気が澱んでいます。丁度ロッカーのあった場所を中心に、何かが渦巻いている。近づいてみないと判りませんが、草も茂っているし少し危ないかもしれません」
「行きます」
 ゆう子がしっかりした声で言う。
「そのために来ました。多少の擦り傷は覚悟しています。お願いします」
 モーリスが探るようにゆう子を見る。ゴーグルを外した。
「ではフェンス越えから」
 軽く助走をつけて飛び上がり、フェンスの上を掴む。逆立ちして向こう側に反り返り、手を放す。
 物音一つ立てず、向こう側に着地した。
 シュラインとみなもも、音を立てないようにそろりそろりとフェンスをよじ登る。シオンはフェンスを掴み、反対側に足を引っ掛ける。ゆう子に手を伸ばした。
 ゆう子がシオンの手をしっかりと掴む、
「揺れますから、気をつけて。離しませんから、ゆっくり足をかけて登って下さい」
 ゆう子がフェンスをよじ登る。身体を乗り越えさせたところで、シオンがゆう子の脇の辺りを抱きかかえ、支えた。
 シュラインとモーリスが手を伸ばし、ゆう子のバランスを保ちつつ下まで降りさせる。
「ありがとうございます」
 真剣な顔つきになって、そう言った。
 みなもは目眩を感じて額を押さえた。ゆう子がこちら側に足をついた瞬間から、空気が変わり始めている。
 上りホームを乗り越える。
 シオンたちは息を呑んだ。
 中央のホームが、淡く光っている。ホームを視界に入れていると、くらくらする。ホームのあたりだけが明るくなっていた。
 古いホームの周辺だけが、昼間になっていた。眩しい日差し、かすかに漂ってくるのはうだるような夏の日の昼時だ。
 映画を見ているようだった。古いホームが、昔の姿に戻っている。
「これは、幻?」
 ゆう子が呆然と呟く。しかしシオンは経験から、これが力のある幻であることを察していた。これは、危ない。
 妊婦を近づけるのは危険すぎる。何かあってからでは、遅い。
 シオンが撤退を求めようとした瞬間、ゆう子が口を開いた。
「あのホームだわ……あの時の! あの日の……!」
 ゆう子が線路に飛び降りる。つんのめりながら線路を越える。
「待って、ゆう子さん!」
 みなもがそれを追いかけ、ホームから飛び降りる。
 ゆう子がホームに取り付く。
 磁場の歪みが膨れ上がり、あたりに夏の気配が満ちる。何かが、具現化しながら接近してくるのが感じられる。
 線路を、電車が走ってくる!
「危ない!」
 シオンはホームから飛び降り、みなもの腕を掴んで引き寄せた。
 シュライン鼻先を、オレンジ色の車両の電車が通り過ぎる。
 電車の巻き起こすオイル臭い熱風を感じる。暑い日差し、澱んだ空気は息苦しいほどの湿気と熱を含んでいる。
 電車が熱気を振り撒きながら停車する。見上げると、車両の中に夏服を着た人々が乗っているのが判った。
 発車のアナウンスとメロディが響く。車輪が動き、電車がホームを抜けてゆく。
「ゆう子さん!」
 みなもが叫ぶ。
 駅には、ゆう子の姿は無かった。
 電車が行ったばかりのホームには、出口へと向かう乗客がいるばかりである。どこを探しても、ゆう子の姿は無い。
 ホームのすぐ前に、古いタイプのコインロッカーがあった。
 昼過ぎの暑い中、不快なだけの風が吹いている。コインロッカーにつけられた鍵、それを識別する丸いプレートが揺れている。
 人々が出口へ向かう階段を上りきってしまった後、そこにセーラー服を着た少女が現れた。階段のすぐ下に立っている。髪が長くて俯いているため、顔は見えない。
 それでも、彼女が泣いているのは判った。俯けた顔から、滴が落ちている。
 少女は、タオルにくるんだ何かを持っていた。小さい小さい何か。タオルにくるまれたそれを、だらりとたらした手に握っている。
 瞬きすると、少女は消えてしまった。
 ロッカー前に出現する。ロッカーの前にかがんで、鍵を弄っている。
 タオルにくるまれたものを、ロッカーの中に押し込む。鍵を締める。
 再び消える。目の前に、少女が立っていた
「子供なんか死ねばいい。皆、死ねばいい」
 真っ黒く空ろな口が、そう呟く。腐臭がした。
 みなもは悲鳴を上げる。シオンは少女――ゆう子を捕まえようと手を伸ばす。
 水子地蔵。セーラー服の少女。背が高くて発育のいい身体。
 真っ赤な涙を流した少女の顔は、幼い幼いゆう子だった。傷ついて、どうしようもなく追い詰められた、絶望した少女の顔。
 大人びた体つきとは裏腹に、ゆう子の顔立ちはまだ子どもの面影を充分に残していた。
 夏の気配が消滅した。
 遠くから、カカカと鳴く蛙の声が聞こえてくる。あたりは再び闇。
 朽ちたホームに、ゆう子が倒れていた。
 みなもはシオンの手から離れ、ホームに飛びつく。シオンもすぐに後を追う。
 伸びたススキが頬を引っかいた。
 真っ先に到着したシュラインが、ゆう子を抱き上げた。
 ゆう子の首が、瘧のようにガクガクと揺れた。
「誰も助けてくれなかった どうして私が? 怖い 痛い 苦しい 助けて 誰か お母さん 触らないで お願い 気持ち悪い 痛いよ いや いや いや!」
 ゆう子が絶叫する。
 再び、昼間の気配が忍び寄ってくる。見慣れた、神社へと続く道が見える。突如目の前に、大柄な男たちが現れる。三人いる。手が伸びてきて、突然殴られた。
 夜の朽ちたホームと、草むら。目に、違う風景が二重写しになる。
 桜の花びらが、潤んで歪んだ視界に移る。舞い落ちる、花びら。
 ゆう子が捨てたのは子供だ。
 中学三年の春。神社へ遊びに来なくなった理由。夏の日に、祈りを捧げた水子地蔵。
「ひどい!」
 みなもが叫ぶと、草むらの風景は消えた。ゆう子は小さな頃から遊んだ場所のすぐそばで、暴力を振るわれたのだ。
 シオンの中に、怒りが湧き上がる。中学生の少女が、どれだけ恐ろしかったろう。どれだけ悩んだだろう。誰にも話せなかったのではないか? 一人で抱えた呪わしい事件。
 卑劣極まりない、男たちの許しがたい所業。ゆう子も経験上気をつけていたのだろう。だから、たった一人の少女に三人がかりで。
 ゆう子が目を開いた。
 みなもが泣きじゃくっていた。シオンはその肩を抱いてやる。みなもに今の幻が見えていたとしたら、随分衝撃的だったろう。
「子どもが悪いんじゃ、なかったんです……」
 ゆう子が消え入りそうな声で言う。
「親に言おうか迷って。太ったと誤魔化して。どうしたらいいのか判らなくて、死ねばいいとか殺してやると、思いました。隣の駅のプールに通っていて、帰り道に……流れてしまったんです」
 暑い暑い土曜日。呪縛から開放された昼下がり。
 シュラインがゆう子の手を強く握った。
 
――おかあさーん――

 舌足らずな声が響いた。
 振り返ると、淡く光るコインロッカーが出現している。すべてのロッカーから、小さな小さな手が伸びていた。

――おかあさーん――

 朽ちたホームから、無数の手が伸びて来る。小さな手が、シオンの手足を掴む。掌は小さいのに、手は紐のように長い。
 手が、ゆう子の首を、シオンの、シュラインの首を絞める。
 
――おかあさーん――

 声がどんどん大きくなる。ロッカーの中の小さな手が、招いている。呼んでいる。
 シオンは小さな手を掴んで引き剥がした。
 絡まったつる草を引き剥がすように、白くてぷよりとした手を掴み、引きちぎっていく。
 ゆう子が立ち上がった。
「ゆう子さん、これは!」
 次々と伸びてくる手を振り払い、シュラインがゆう子の肩を掴んだ。
「あなたの後悔が、ロッカーと子どもを呼んでいるんです! 落ち着いて!」
「私に――子どもを生んで愛する権利なんて、ないんです――シュラインさん」
 抑揚の無い声でゆう子が言う。シュラインは首を振った。
「あります! ゆう子さん、あなたの後悔は何のため? 今の赤ちゃんを生む前に、清算したいと思ったから、ロッカーは現れたのよ!」
 シュラインの口を、手が覆った。手の数がどんどん増えている。シュラインがホームの床に転がされた。
 シオンは自分とみなもを守るので手一杯になってしまう。シュラインとモーリスも格闘しているが、数が多すぎる。
「ゆう子さん! ここで負けたら、お腹の赤ちゃんが――!」
 手を引きちぎり、シュラインは叫ぶ。
 ゆう子が立ち上がった。危なっかしい足取りをしている。
 赤ん坊はゆう子を呼んでいる。忘れていたと言いつつ、ゆう子はその後水子地蔵を参っている。そしてシュラインの憶測。これはゆう子の後悔が呼んでいる――
 シオンの脳裏に、一つの解答が閃いた。
「見つければいいんじゃないでしょうか!」
 シオンは叫ぶ。手を振り払い、ゆう子を抱き上げる。
 子どもを見つけるのだ。水子地蔵に参っても、忘れても、想いが残るなら。
 決着をつけるしか、ない。
 それも、ゆう子自身が。
「そうですよ!」
 手から逃れたみなもが、バッグの中からペットボトルを引っ張り出す。
「あそこまで行きましょう、ゆう子さん!」
 キャップを外し、あたりに水をぶちまける。
 飛び散った水滴が、薄い膜となって床を覆う。
 水の膜が硬化し、手を封じ込めた。
 ぱりぱりとした感覚が足の裏に感じられる。
 シオンはゆう子をホームへ下ろす。きっとゆう子が行かねばならないのだ。
 そして、自分たちはそれをサポートする。
「暑いからすぐ蒸発しちゃうかも」
 心配そうにみなもが言う。ゆう子が立ち上がり、よろよろとロッカーに向かった。
 気温が高いから――蒸発する――。
 では、低ければ何とかなる!
 シオンはホームにしゃがみ込む。上着を脱ぎ捨て、手を床につける。
 氷の力をうまく使えれば、蒸発を止めることができるだろう。しかしシオンの能力は多分に神頼みで、うまくいくコツもなければ自信もない。
 それでも。
「お願いします、お願いします。うまくいきますように!」
 お母さん、あなたの力を少しだけ貸して下さい。一人の女性が、母親になるために!
 祈るように言う。シオンの身体から、冷気が立ち上った。
 シオンを中心に、水が凍ってゆく。薄い薄い氷が、ホームを覆う。
「これなら少し時間が稼げそうです!」
 みなもが頷く。意識を集中させているのか、髪の先が静電気を帯びたように張り詰めていた。
 ゆう子がロッカーにたどり着く。しかし、その手はロッカーを掴むことができない。
 空気を掴むように、指が空を掻く。
 モーリスが駆け寄った。
 無数の手がうごめく床に手をつける。探るように撫でた。
「一瞬だけなら、復元できます」
「見つけます」
 ゆう子が言う。モーリスが頷いた。
 氷を突き破り、コインロッカーが出現する。細かな破片が夜風に舞う。
 ゆう子は、迷わず一つのドアを掴んだ。
「私は、この子と幸せになるの! 許して!」
 ロッカーの中に手を突っ込む。
 血に染まったタオルを掴みだした。
 ロッカーが霧散する。それと同時に、ホームを覆っていた氷も蒸発してしまう。
 一瞬だけざわめいて波打った手が、消えた。
 ぼろぼろの赤いタオルを抱いて、ゆう子は泣いていた。
「あなたは何一つ悪くなかったの」
 タオルが空気に溶けていく。
「次に生まれてくるときは、この子の兄弟になって。必ず、生むから。生まれてきて」
 ゆう子の手からタオルが消える。
 K駅に、静寂が戻った。
「ゆう子さん」
 シュラインがよろめきながらゆう子に近づく。
 ゆう子が立ち上がり、一同を振り返る。
「ありがとうございました」
 丁寧に頭を下げ――
 一声呻いて、しゃがみ込んだ。
「どうしました!」
 モーリスがゆう子の肩を掴む。ゆう子はお腹を抱え「陣痛が」と言った。
 
 × × ×
 
 車どおりがまばらな道を、制限速度オーバーで走り抜ける。
「モーリスさん、次の角、右!」
 救急病院の地図を握り締めたみなもが、後部座席から身を乗り出して言う。
 赤信号を無視し、モーリスは車を曲がり角に押し込んだ。
 後部座席に移動したシュラインは、陣痛に耐えるゆう子の手をしっかりと握ってやっていた。額や首筋に浮いた汗を、みなもが用意してきた濡れタオルで拭いてやる。
「シオンさん、病院に電話して下さい!」
 みなもがシオンに携帯電話を渡す。地図の下に書いてある電話番号を切り取り、渡した。
 シオンは薄暗い中必死に番号を読み取り、揺れを堪えながら番号を押す。
 呼び出し音が聞こえた。
「舌を噛まないように」
 モーリスは一言注意して、さらにアクセルを踏み込む。
 しばらく走ると、大きな病院が見えた。
 駐車場に突っ込むようにして車を止める。モーリスがドアをあけて飛び降り、ゆう子を受け取った。
 助手席側から回ってシオンが手を貸す。二人がかりでゆう子を抱きかかえ、救急受付に飛び込んだ。
 電話を受けて待っていた看護士たちが、すぐにゆう子をストレッチャーに乗せる。
 慌しくもてきぱきと、ゆう子を運んで行った。
 残った看護士の一人が、一同を分娩室の外のソファに案内してくれる。
 ソファに座り、みなもは両手を握り合わせて祈りを捧げた。
「予定日にはまだ間があるって話だったけど、大丈夫かしら」
 シュラインがそわそわと言う。しばらく廊下を歩き回った。
「あの、お父さんにご連絡とかしなくて、いいんでしょうか?」
 シオンが声をかける。シュラインはパンと手を叩いた。
「そうね、事務所に電話かけてきます」
 武彦さんが事務所に居るとたまには役に立つわ、とぎこちない軽口を叩く。看護士に電話の場所を聞き、走っていった。
 シオンは服の上から右腕をそっと掴む。
――ありがとうございます。お母さん。
 ひっそりと祈りを捧げた。
 
 × × ×

 ご当地音頭の音楽に合わせ、子どもたちがやぐらのまわりで踊っていた。
 玩具のような太鼓を、はっぴを着た少女が叩いている。やぐらから四方へと並ぶ提灯に灯りが入り、子どもたちの影を長く伸ばした。
 小さな金魚すくいのトレイと、同じく小ぶりのヨーヨーすくい。
 長机の上に年代物のカキ氷機を置いて、神主が大量のカキ氷を作っていた。
 その横で、シオンは指定されたシロップをかけていく。
 得意げな顔をした丸刈りの男の子が、にいっとシオンに笑いかけた。
「神主さんのカキ氷、うまいんだぜ! 大きなお祭りのフラッペとかと違うんだぜ!」
 シオンも笑いかけてやる。古めかしいカキ氷機で、少し溶けかけた氷を掻いて作るかき氷は最高に美味しい。
 子どもたちにカキ氷をどんどん手渡していく。
 少しばかり疲れた頃、音楽がシオンも知っている「ドラえもん音頭」に切り替わる。
 白いロングスカートの女性が、シオンの前に立った。
 シオンは顔を上げる。薄手の白いサマードレスを着た村上ゆう子が立っていた。
 真っ白なおくるみに、赤ん坊をくるんで抱いている。
「お久しぶりです。村上ゆう子です」
 ゆう子は神主とシオンに丁寧に頭を下げた。
「今日退院だったので、ご挨拶だけでもって思って。お祭りの日だったんですね」
「懐かしいかね」
 神主が目を細めて言う。ゆう子はにっこりと笑った。
「シオンさんも、お元気そうで。あの時はありがとうございました」
「ゆう子さんが無事で何よりです。赤ちゃん、見せてくれますか」
「どうぞ」
 ゆう子がおくるみを解き、安らかに眠っている赤ん坊を見せてくれる。この世の幸せを握り締めているのか、赤い顔をして手をにぎにぎしていた。
 シオンはそっと手を伸ばし、その指に触る。赤ん坊が動き、シオンの指をしっかりと掴んだ。
 氷で冷えた指先に、赤ん坊の手が熱い。
 生きようとする力は、こんなにも熱い。
「また、ご挨拶に伺います。今日は下に夫を待たせていますから」
 ゆう子が穏やかに言う。あの夜、駅に忍び込んだ時の薄暗さはすっかり消えている。
「あ、待って下さい」
 シオンが長机から出る。シオンの考えを読んだように、神主がカキ氷機をがりがりと回した。
 シオンは子どもたちの盆踊りの輪をうまくすり抜け、ヨーヨー救いからヨーヨーを一つ貰ってくる。桜色のヨーヨーを選んだ。
 金魚は衛生的に怖いものがあるため、今回は遠慮する。
「ゆう子さん、これ!」
 シオンはゆう子にヨーヨーを渡す。神主がイチゴのカキ氷を二つ用意していた。
「もってってやってくれ」
 ずい、とシオンに渡してくる。
「車までお供しますよ。旦那さんも暑いでしょうし」
 シオンは両手にカキ氷を持ち、ゆう子を促す。
 三人で、ゆっくりと石段を降りた。
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男性 / 42歳 / びんぼーにん】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / 調和者】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
※順不同
※複数職業のある方は今回のノベルゲームで活躍した職業を表記しました

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■         ライター通信          ■
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ゲームへの御参加、ありがとうございました。
担当ライターの和泉更紗です。

日本全国が猛暑に覆われている中、アツイアツイ夏のゲームに御参加ありがとうございました。
子供好きで成分の殆どが優しさで出来ているシオン・レ・ハイさまには、子供たちとの小さな夏祭りを書かせて頂きました。
一夏の思い出として気に入って頂ければこれ以上の幸いはございません。

改めて、
日本列島猛暑の夏、K駅での擦り傷肝試しに御参加ありがとうございました!