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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[ Baby x Baby x Locker ]


------<オープニング>--------------------------------------

 古びたコインロッカーが見える。
 村上ゆう子は、朽ちたコンクリートの上に立っていた。熱っぽい風が吹き付けている。立っているだけで汗ばむほど暑い。夏だ。
 風の香りが、夏であることを教えてくれる。
 古びたコインロッカーは、ほぼ全部にキィがついているように見える。だが、本当は一つだけ、使用中のものがある。
 ゆう子はそれを見つけなければならない。
 何故なら、その中に置き去りにしたものがあるからだ。
 
 それを、返さなければいけない。
 
 それを、見つけ出して。助け出さなければならない。
 
 熱い風が吹き、キィについたプレートが一斉に揺れさざめいた。

 × × ×
 
 もうじき、母親になるんです。
 そういう言葉で依頼を切り出されたのは初めてだった。
 草間武彦は、応接セットの依頼者側に座った女性を見つめる。細く煙草の煙を吐き出し、
「それは、おめでとうございます」
 と答えた。
 初夏である。中間テストを終えた学生達が、昼過ぎの歌舞伎町に繰り出してくる時刻だ。外廻りのサラリーマンはスーツの背中を汗で濡らし、テストから開放された学生を不満そうに見つめる、六月の下旬。
 困ったような顔で、村上ゆう子という女性は微笑んだ。
 嬉しいけれども、笑顔になれない。そういう顔をしている。
 やや丸顔で、栗色に染めた髪を短く切っている。唇の脇に大きめのほくろがあり、水商売のようなイメージを作っている。
 村上ゆう子は、もうじきに母になるのだという。計画を立てていたこともあり、妊娠はすぐに知れた。それから、夢を見るのだという。
 コインロッカーの中に、何かを取りに行かなくてはならない夢。
 妊娠発覚後に始まった夢は、徐々に進んでいるのだという。近頃はゆう子は夢のことばかり考えており、そのコインロッカーがJRの駅であること、自分が中学時代を過ごした家の最寄駅だったことまでを思い出していた。
「K駅は、路線工事ですでにそのコインロッカーがないんです。駅の真中に、古いホームがあって、今は入れません。コインロッカーはそこに置いてあったんです」
「ああ。あの『開かずの踏み切り』で問題になったあたりの駅ですね」
 草間は頷く。東京都下の路線工事で、一時間近くも遮断機があがらない踏み切りが出来たとか、そのために駅構内を自転車が通過したとか、踏み切りの途中でお年寄りが立ち往生したとかで一時期大騒ぎしていたあたりの駅だ。
「入ることが出来るのは、電車が終わってからだと思います。違法になるんじゃないかっていうのは、判っています。でも、どうしても、そこに行かなくてはいけない気がして」
 ゆう子は真剣な眼差しで草間を見る。
「でないと、私、この子を産んだらいけないような気がして」
 それはまた、随分大きな話になってしまっている。
 母親というのは、神経質になるものだろうか。まあ、人生の一大イベントではあるわけだから、仕方ないとも言える。
 草間のような男性には一生わからない気持ちだろう。
「少し調べてみたんですが、あの駅の周りは心霊スポットになっているようなんです。コインロッカーの心霊写真も見つけました。噂や怖い話の有名なサイトなんですが、そこで草間さんのことを教えて頂いて」
 ゆう子は封筒から数枚の写真を取り出す。WEBサイトからダウンロードした画像を光沢紙に印刷したものだ。
 崩れ落ちた駅のホームが写っている。明かりは懐中電灯なのか、とにかく薄暗くて判りにくい。所々ひび割れて土が見えたホームは、雑草に覆われている。
 その写真の片隅に、四角いものが移っている。青白く輝く、四角いもの。
 よくよく目を凝らして見なければ、コインロッカーだとは思えないだろう。草間には、巨大な豆腐に見える。
「ここなら、霊媒師さんとか、そういうスジの方を紹介してくれると聞きました。私と一緒に、このコインロッカーへ行ってくれる人を紹介して頂けませんでしょうか」
 ゆう子はそう言って、急にソファから立ち上がる。
 丁寧に頭を下げた。
「妊婦さんが、そんな急に立ち上がったりしていいんですか? 落ち着いて下さいよ」
 草間は慌ててゆう子を座らせる。
 この程度の依頼なら、「見える」人間でも見繕えば問題ないだろう。相手が妊婦だということもあるから、あまり刺激的でない方法で、コインロッカーを見せてやれば。
 草間は写真を拾い集め、元通り封筒に入れてゆう子に返した。
 ところで、一体何だろうか。取りに行かねばいけないもの、とは……。

------------------------------------

 モーリス・ラジアルは大型のモニターに向かっていた。
 描いた図面に立体加工を施しているのである。木々の高さを入力し、池の水位を入れていく。木の葉のテクスチャを貼り、芝生のテクスチャを貼って現実の形に近づけていく。
 モーリスが管理をしている庭園の設計図だった。季節に応じて、来訪者や主をもてなすために大幅な変更を行っている。作業の殆どはモーリスが一人で完璧に行うが、名目上設計図は必要だ。図面なしで家屋や寺社を作っていたという江戸時代の大工でもあるまいし、この庭園を一人が完全に手入れできるとは誰も信じない。
 結果、調査などが入った場合のために設計図などを捏造している。モーリスが管理を請け負っているリンスター財団の内部調査員たちも安心させてやらねばならない。
 庭園は、まさに今仕上がっていく設計図を同じ形をしていた。穏やかで避暑に適した涼しげな庭園に仕上げてある。
 管理している庭園の一角に作られた事務所の中である。大型のワークステーションとモニタ、デスク。庭園に向かって開かれたバルコニーには休憩用のテーブルセット。
 すっきりとした事務所だった。
 最近ではこれだけの規模の庭園も3D加工・設計ができる技術が開発されている。このワークステーションとソフトは設計図を作るためだけに買い入れたものだ。画面に映し出される庭園は、操作の煩雑さこそあるものの、現実には無い合成物の妙がある。暇つぶしにはもってこいの作業だった。
 ワークステーションの脇に置いてある携帯電話が鳴り出す。
 ちらりと表示に目を走らせる。草間興信所の電話番号――。
 電話に出ると、草間武彦の陽気な声が聞こえてきた。
『ちょいとお守りみたいな仕事があるんだが、頼まれてくれないか?』
「いきなり本題ですか」
『本日はお日柄もよろしくなく、とか言ってほしいか?』
「外は随分暑いみたいですね」
 モーリスは余裕を持ってそう言う。庭園の整備だけである程度の気温の調整はできる。避暑地としての涼しさを充分引き出せているここでは、空調は意味を持たない。
『一週間後に決行の急ぎの仕事なんだ。受けて貰えるんなら、当日までに一回来てほしい。拘束日数は一日、一週間後にちょっと不法侵入するだけだ』
 受けてもらえないか、と草間が言う。モーリスは卓上カレンダーに目をやり、了承の意を伝えた。

 × × ×

 仕事の内容は、村上ゆう子という女性の護衛と車の運転だった。
 妊娠後、気になり始めた過去。それが出産や子どもにまつわるものでない確率はゼロに近いだろう。
 エアコンの効いた草間興信所で説明を受け、モーリスはそう考えた。
 日が暮れているというのに、事務所の窓にはレースのカーテンが引かれている。応接ソファに座り、モーリスは草間から受け取ったファイルを開いた。
 「依頼者・村上ゆう子」と書かれたファイルには、本人が提供した個人情報とテープ起こしされた依頼内容が挟み込まれている。草間興信所の事務員、シュライン・エマが調べたという過去のK駅のコインロッカーがらみの事件と、巨大噂サイト・ゴーストネットOFFに掲載されていたK駅での心霊目撃情報も、一緒にファイリングされていた。
 作成者のシュラインは今回の依頼に参加をするが、情報収集のために夕方からK駅に向かっているという。
「あなたの話を聞くよりも余程内容がわかりますね」
 モーリスは資料を読み込みながら、からかうように言う。
 時刻は夜九時。もう一人の協力者・海原みなもとクライアントが到着するまで一時間ある。
「オレの説明が完璧だろうが滅茶苦茶だろうが、仕事が完璧に済めばノープロブレム、だ」
 草間は渋い顔で言う。飄々としてとらえどころが無く、数々の特殊能力を持つエージェントを束ねているわりに自分は完全に一般の人間と変わらない――。適当でいい加減で守銭奴だが、草間武彦はそのアンバランス具合がそれなりに魅力的な男だった。
「それで失敗したらこっちのせい? 随分いい加減な所長ですね」
 モーリスはやんわりと言う。草間はそ知らぬ顔で煙草に火をつけた。
 仕事の切れ目が無かったため、K駅へ行く当日まで草間を訪ねることが出来なかった。概要だけを聞いた状態でここまできてしまったのだ。
簡単だとは言われたが、若干の不安ぐらいは感じていたのだが――
 話に内容的にも、今貰った資料で乗り切れそうだ。
「足は何にした?」
「乗用車をレンタルしてきました。車種は判りません。あいにく、安い車には興味がなくて」
「へえ」
 草間が不服そうに唇を尖らせる。
「大衆車の方が身元がバレにくいって利点があるか」
 それきり会話が途絶える。モーリスは資料を読み込み、持参した地図を元にK駅までの道順を考える。
 入り口につけられた風鈴がちりんと鳴る。口元にほくろのある妊婦が事務所に入ってくる。彼女がクライアントの村上ゆう子か。
 モーリスは彼女にソファを進め、気になっていたことを二三確認する。
 緊張を解すために雑談を交わしていると、中学生ぐらいの少女がやって来た。
 少女が海原みなもだった。よく躾けられた少女という印象だ。言葉遣いも丁寧で、素直さと同時に知性と、ほんの少しの頑固さを感じさせる。
「もう少ししたらここをでましょう。この時間なら道もそれほど混んでいないし、先行しているシュラインと合流して、軽く食事をとって丁度というところでしょう。K駅の最終電車は一時十五分。これで乗り入れている電車が全て行き来しなくなる」
 モーリスはみなもとゆう子にそう説明する。
「駅構内が完全に無人になるのにもう少しかかるだろうから。決行は二時が妥当かな」
 モーリスはぱたんとファイルを閉じた。持っていくほど重要な情報は入っていない。
 ソファに座って煙草を吹かしていた草間が、ひらひらと手を振った。
「それじゃ、頼む。女性ばっかりだが、あんたならうまくやれるだろう」
 草間が嫌味ったらしく言う。モーリスは努めて華やかな笑みを
「女性のことなら」
 モーリスはうっとりするほど華やかな笑みを浮かべる。
「車は下に停めてあります。どうぞ」
 みなもとゆう子の手をとり、ドアへと誘う。
 「無茶するなよ」という草間の声を背中に聞きながら、事務所を後にした。

 × × ×
 
 レンタルした乗用車の内装は安っぽかった。
 人気があってそこらを走っている車がいいと思い、駐車場に並んでいる見覚えのある一台を選んだのだ。実際、事務所に来るまでに同じタイプの車を三台ほど見かけた。
 みなもとゆう子が後部座席に乗り込む。車内は蒸していて、モーリスはすぐに冷房を入れた。
「少し我慢して下さいね。クーラーが効くまで少しかかります。安い車ですから」
 モーリスはそう言い、車を発進させる。
「自分の車なのに、安いとか言っちゃっていいんですか」
 丁寧な口調を心がけながら、みなもが言う。モーリスは混雑する道に車を進めながら答えた。
「これはレンタカーです。目撃された時のために、ナンバーに少し加工をしてあります。理由はともかく不法侵入ですから、少しばかり小細工をね」
「わざわざすみません」
 ゆう子がすまなそうに言う。モーリスは、仕事の一環だからと快活に笑った。
「村上さん、コインロッカーの中にある、取りに行かなくてはいけないものとは何ですか。草間にはお話されなかったようですが」
 ゆう子の顔がハッと強張る。先程の場で聞こうと思ったが、ゆう子が意図的に避けているようで聞けていない。移動中なら少しは口が軽くなるかもしれない。
 この女性は、核心について話していない。
「それが、覚えていないんです」
 ゆう子は口元に手を当てて言う。
「何か−−大切なものを、置いてきてしまって。見つけなくてはいけなくて。そうは思うんですが、それが何かは覚えていないんです」
「どんな感じのものとか、判りますか? コインロッカーの大きいところに入れたのか、それとも小さい所に入れたのか」
 みなもはゆう子から極力情報を引き出そうと、細かく聞く。
 少女が話したほうが話が早そうだ。
「小さい所、ですね。小さいコインロッカーが、駅のホームに背中合わせに二つ、置いてあったんです。薄い黄色の丸いプレートがついている鍵がささっていて、値段は覚えていません。ロッカー自体が小さいものしかありませんでした。フェンスがあったんですが、やんちゃだったので乗り越えられたんですね。当時、そのコインロッカーに赤ちゃんが捨てられるという事件があって、私たちの通っていた中学校でも呪われたロッカーということになっていました。小中学生は、使わなかったんです。怖くて。夢の中で私は、その呪われたロッカーに向かっていくんです。右手に、何か……柔らかいものを持っていて、それを押し込んで」
 ゆう子はぼんやりした口調でそう言うと、頭を抱えた。
「なんだろう。何を入れたんだろう。思い出せない」
 車が静かに道を進む。みなももモーリスも、少しの間黙っていた。
「それで、取りに行くんです。でも、何処に入れたのか判らなくなって、探しても探しても見つからなくて。ようやく使用中のロッカーを見つけたら、今度は鍵がない。そういう夢です。確かに覚えがあるんです。私、あのコインロッカーに何かを入れました」
「それは、夢じゃなくてですよね?」
「現実です。中学生の頃、何かを入れました。それを思い出して、夢に見るんですね」
「どうして、妊娠と同時にその夢を見るようになったんだと思いますか」
 モーリスは静かに聞いた。
「家族が出来るんだ、と思ったんです。そうしたら、……私は母親になんてなってはいけないんだ、って思ったんです」
「母親になってはいけない、とは?」
「よくわかりません。そんな権利は無い、と。子どもがあまり好きではなかったのもあって」
「自分の子どもも、可愛いって思えないかもしれないって思ったんですか?」
 みなもが驚いて言う。ゆう子は何か引っかかるような顔をした。
「それだけじゃないかもしれません。でも、夢を見るたびに強く思います。私は今のままでは子どもを愛せない。でも……見つけ出したら、この子を愛せるんじゃないか。そんな気がして」
 なんとも漠然とした話だった。核心の何かがすっぽりと抜け落ちているため、ひどく曖昧な話になってしまっている。
 その核心を調べに行く、そう考えたほうが判断を間違えないかもしれない。
「赤ちゃんは男の子なんですか? 女の子?」
 みなもが問う。ゆう子は調べていないと言った。
「可愛いって、思ってるんですよね?」
「思ってます! 凄く、大事だと思っています。自分のお腹に命があるって、凄いことだって思います。でも、生まれてきたら」
「生まれてきても、きっと凄く凄く大事ですよ!」
 みなもが力をこめて言う。
「それがお母さんっていうものですよ、きっと」
 少女の真っ直ぐな声が聞こえてくる。
 モーリスはそれ以上眺めるのが無粋な気がして、バックミラーの角度を変えた。
 自分は彼女の気持ちを労わるよりも、仕事を遂行するほうが性に合っている。
 
 × × ×
 
 最後の電車が通り過ぎる。JR中央線の終点、高尾まで下っていく電車には人がかなり乗っていたが、今度は車両の殆どに人が乗っていなかった。
 エンジンを切った車の中から、一同はK駅を観察していた。
 フェンス越しに見えるK駅は暗く、ホームに点在する灯りが頼りない。三十分も前に最終電車を送り出したホームの電灯が落ちているのと、向こう側のホームまでの間に古いホームが横たわっているためだ。
 あちこち崩れて朽ちたホームは、伸びた草に覆われている。暗いため定かではないが、ススキだろうか。伸び放題の草はホームの高さ以上に茂り、夜の風に揺れている。
 使われなくなった建物は急速に朽ちる。存在意義を失ったとたん、時の神に見捨てられたかのように荒れていく。
 駅舎から完全に照明が落ちた。
 ゆう子が真剣な眼差しで駅を見つめている。
「ホームがあったのは、どのあたりですか」
 モーリスはゆう子に問いかける。フェンス脇にある街灯の光も頼りなく、駅舎の明かりがなくなるとシルエットしか見えない。
「下り側の先頭の方でしたから、もう少し後ろですね」
「思い出しながら指示して下さい。バックします」
 モーリスはキィを捻る。そろそろと車を後退させた。万一何かあって、車に走るまでを目撃されたら厄介だ。
 助手席に座ったシュラインが身体を乗り出し気味にする。
 後部座席には、真ん中にゆう子、両側にシオン・レ・ハイとみなも。
 四人のつもりで来たが、一人増えてしまったためやや手狭だ。昼間の調査中に手を貸してくれる者がいたからと、シュラインがつれてきたのである。中年に差し掛かったところの男性で、なんとも言えず温和な空気を漂わせている。こざっぱりとした服を着て、内側からは知性が感じられえた。
「磁場が歪んできていますね」
 シオンが呟く。みなもも頷いた。
「何かが集まってるみたいな。心霊スポットだとしたら、強力な方に入りますね。私、あんまり鋭くないので、説明しにくいんですけど」
 近づくにつれ、異質な空気が濃くなっていく。
 霊を集めやすい磁場には二種類ある。引き寄せるタイプと、吸い込むタイプ。前者は霊が集まりやすく、方向性が一致している者が集まる。だが、今回は後者のようだ。
 霊も人も、それ以外のものも、吸い込むように集めている。
 思ったよりも危険かもしれなかった。
「ここです」
 ゆう子が小さい声で言う。両手でこめかみを押さえている。
 一同は車から降りた。
「蚊が一杯居そう! 虫除けスプレー使います?」
 みなもが言う。バッグの中から小さなスプレーを出した。
「妊娠してると体温が高くなるそうですから、ゆう子さんは絶対」
 ゆう子の二の腕や足元に、シュッとスプレーしてやった。
「用意がいいのね。私も借りていいかしら」
 シュラインも手を出す。みなもがニコニコして手渡した。
 モーリスは車の後ろに回り、トランクから持参した物を引っ張り出す。暗視ゴーグルと大型の懐中電灯。電灯の明かりは遠くからも動いているのが判るため、あまり使いたくは無い。
 装着してホームを見る。フェンス脇に一同が集まり、ホームを眺めていた。
「撤去された跡らしいものがありますね。ボルトを抜いた孔があります。近づいてみないと判りませんが、あれに触れば復元も可能でしょう」
「ロッカーを復元できるんですか」
 ゆう子が驚いたように言う。モーリスは頷いた。
「少し空気が澱んでいます。丁度ロッカーのあった場所を中心に、何かが渦巻いている。近づいてみないと判りませんが、草も茂っているし少し危ないかもしれません」
「行きます」
 ゆう子がしっかりした声で言う。
「そのために来ました。多少の擦り傷は覚悟しています。お願いします」
 モーリスは少しばかりあきれる。擦り傷は危険のうちに入らないのではないだろうか。
「ではフェンス越えから」
 モーリスは暗視ゴーグルを外す。大型懐中電灯を向こう側に放り投げた。
 軽く助走をつけて飛び上がり、フェンスの上を掴む。逆立ちして向こう側に反り返り、手を放す。
 物音一つ立てず、向こう側に着地した。
 シュラインとみなもも、音を立てないようにそろりそろりとフェンスをよじ登る。シオンがフェンスを掴み、反対側に足を引っ掛ける。ゆう子に手を伸ばした。
 ゆう子がシオンの手をしっかりと掴む、
「揺れますから、気をつけて。離しませんから、ゆっくり足をかけて下さい」
 ゆう子がフェンスをよじ登る。身体を乗り越えさせたところで、シオンがゆう子の脇の辺りを抱きかかえ、支えた。
 シュラインとモーリスが手を伸ばし、ゆう子のバランスを保ちつつ下まで降りさせる。
「ありがとうございます」
 真剣な顔つきになって、そう言った。
 みなもは目眩を感じて額を押さえた。ゆう子がこちら側に足をついた瞬間から、空気が変わり始めている。
 上りホームを乗り越える。
 一同は息を呑んだ。
 中央のホームが、淡く光っている。ホームを視界に入れていると、くらくらする。ホームのあたりだけが明るくなっていた。
 古いホームの周辺だけが、昼間になっていた。眩しい日差し、かすかに漂ってくるのはうだるような夏の日の昼時だ。
 映画を見ているようだった。古いホームが、昔の姿に戻っている。
「これは、幻?」
 ゆう子が呆然と呟く。そうではない、とモーリスは考える。磁場が歪みきって、引き込んだ力を吐き出している。鍵が近寄ったため、集まったものが一点へ向かって動き出している。
「あのホームだわ……あの時の! あの日の……!」
 ゆう子が線路に飛び降りる。つんのめりながら線路を越える。
「待って、ゆう子さん!」
 シュラインがそれを追いかけ、ホームから飛び降りる。
 ゆう子がホームに取り付く。
 磁場の歪みが膨れ上がり、あたりに夏の気配が満ちる。何かが、具現化しながら接近してくるのが感じられる。
 線路を、電車が走ってくる!
「待て!」
 モーリスはホームから飛び降り、シュラインの腕を掴んで引き寄せた。
 シュライン鼻先を、オレンジ色の車両の電車が通り過ぎる。
 電車の巻き起こすオイル臭い熱風を感じる。暑い日差し、澱んだ空気は息苦しいほどの湿気と熱を含んでいる。
 シュラインが、呆然と車両を見上げた。
 電車が熱気を振り撒きながら停車する。見上げると、車両の中に夏服を着た人々が乗っているのが判った。
 発車のアナウンスとメロディが響く。車輪が動き、電車がホームを抜けてゆく。
「ゆう子さん!」
 みなもが叫ぶ。
 駅には、ゆう子の姿は無かった。
 電車が行ったばかりのホームには、出口へと向かう乗客がいるばかりである。どこを探しても、ゆう子の姿は無い。
 ホームのすぐ前に、古いタイプのコインロッカーがあった。
 昼過ぎの暑い中、不快なだけの風が吹いている。コインロッカーにつけられた鍵、それを識別する丸いプレートが揺れている。
 人々が出口へ向かう階段を上りきってしまった後、そこにセーラー服を着た少女が現れた。階段のすぐ下に立っている。髪が長くて俯いているため、顔は見えない。
 それでも、彼女が泣いているのは判った。俯けた顔から、滴が落ちている。
 少女は、タオルにくるんだ何かを持っていた。小さい小さい何か。タオルにくるまれたそれを、だらりとたらした手に握っている。
 瞬きすると、少女は消えてしまった。
 ロッカー前に出現する。ロッカーの前にかがんで、鍵を弄っている。
 タオルにくるまれたものを、ロッカーの中に押し込む。鍵を締める。
 再び消える。目の前に、少女が立っていた
「子供なんか死ねばいい。皆、死ねばいい」
 真っ黒く空ろな口が、そう呟く。腐臭がした。
 シュラインが悲鳴を上げる。モーリスは少女を捕まえようと手を伸ばす。
 少女が顔を上げた。
 真っ赤な涙を流した少女の顔は、幼い幼いゆう子だった。傷ついて、どうしようもなく追い詰められた、絶望した少女の顔。
 手が触れる寸前、夏の気配が消滅した。
 遠くから、カカカと鳴く蛙の声が聞こえてくる。あたりは再び闇。
 朽ちたホームに、ゆう子が倒れていた。
 シュラインはモーリスの手を振り払ってホームに飛びつく。伸びたススキが頬を引っかいた。
 ゆう子を抱き起こす。後からみなもたちが駆け寄ってくる。
 ゆう子の首が、瘧のようにガクガクと揺れた。
「誰も助けてくれなかった どうして私が? 怖い 痛い 苦しい 助けて 誰か お母さん 触らないで お願い 気持ち悪い 痛いよ いや いや いや!」
 ゆう子が絶叫する。
 再び、昼間の気配が忍び寄ってくる。風に柔らかい花の匂いが混じっている。暖かい季節だ。夏ではない。草が茂った道を、歩いている。桜の花びらが一枚、落ちてきた。
 突如目の前に、大柄な男たちが現れる。三人いる。手が伸びてきて、突然殴られた。
 夜の朽ちたホームと、草むら。目に、違う風景が二重写しになる。
 桜の花びらが、潤んで歪んだ視界に移る。舞い落ちる、花びら。
 ゆう子が捨てたのは子供だ。父親は――
 見知らぬ男たち。
「ひどい!」
 シュラインが叫ぶと、草むらの風景は消えた。ゆう子は小さな頃から遊んだ場所のすぐそばで、暴力を振るわれたのだ。
 そして、捨てた。一つの命を。
 モーリスの中に、怒りが湧き上がる。中学生の少女が、どれだけ恐ろしかったろう。どれだけ悩んだだろう。誰にも話せなかったのではないか? 一人で抱えた呪わしい事件。
 弱いものに牙を剥く。踏みにじる。許しがたいほど下劣な行為だ。
 ゆう子が目を開いた。
 みなもが泣きじゃくっていた。その肩を抱き、シオンが暗い顔をしている。
「子どもが悪いんじゃ、なかったんです……」
 ゆう子が消え入りそうな声で言う。
「親に言おうか迷って。太ったと誤魔化して。どうしたらいいのか判らなくて、死ねばいいとか殺してやると、思いました。隣の駅のプールに通っていて、帰り道に……流れてしまったんです」
 暑い暑い土曜日。呪縛から開放された昼下がり。
 シュラインがゆう子の手を強く握った。
 
――おかあさーん――

 舌足らずな声が響いた。
 振り返ると、淡く光るコインロッカーが出現している。すべてのロッカーから、小さな小さな手が伸びていた。

――おかあさーん――

 朽ちたホームから、無数の手が伸びて来る。小さな手が、モーリスの手足を掴む。掌は小さいのに、手は紐のように長い。
 手が、ゆう子の首を、モーリスの首を絞める。
 
――おかあさーん――

 声がどんどん大きくなる。ロッカーの中の小さな手が、招いている。呼んでいる。
 モーリスは、小さな手を掴んで引き剥がした。
 絡まったつる草を引き剥がすように、白くてぷよりとした手を掴み、引きちぎっていく。
 ゆう子が立ち上がった。
「ゆう子さん、これは!」
 次々と伸びてくる手を振り払い、シュラインがゆう子の肩を掴んだ。
「あなたの後悔が、ロッカーと子どもを呼んでいるんです! 落ち着いて!」
「私に――子どもを生んで愛する権利なんて、ないんです――シュラインさん」
 抑揚の無い声でゆう子が言う。シュラインは首を振った。
「あります! ゆう子さん、あなたの後悔は何のため? 今の赤ちゃんを生む前に、清算したいと思ったから、ロッカーは現れたのよ!」
 シュラインの口を、手が覆った。手の数がどんどん増えている。シュラインはホームの床に転がされた。
「ゆう子さん! ここで負けたら、お腹の赤ちゃんが――!」
 手を引きちぎり、シュラインは叫ぶ。
 ゆう子が立ち上がった。
「見つければいいんじゃないでしょうか!」
 シオンが叫んだ。手を振り払い、ゆう子を抱き上げる。
「そうですよ!」
 手から逃れたみなもが、バッグの中からペットボトルを引っ張り出す。
「あそこまで行きましょう、ゆう子さん!」
 キャップを外し、あたりに水をぶちまける。
 飛び散った水滴が、薄い膜となって床を覆う。シュラインは手を引きちぎって払いのけた。
 水の膜が硬化し、手を封じ込める。
「暑いからすぐ蒸発しちゃうかも」
 心配そうにみなもが言う。ゆう子が立ち上がり、よろよろとロッカーに向かった。
 シオンがしゃがみ込む。上着を脱ぎ捨て、手を床につける。
「お願いします、お願いします。うまくいきますように!」
 祈るように言う。シオンの身体から、冷気が立ち上った。
 シオンを中心に、水が凍ってゆく。薄い薄い氷が、ホームを覆う。
「これなら少し時間が稼げそうです!」
 みなもが頷く。意識を集中させているのか、髪の先が静電気を帯びたように張り詰めていた。
 ゆう子がロッカーにたどり着く。しかし、その手はロッカーを掴むことができない。
 空気を掴むように、指が空を掻く。
 霊感の無い彼女は、触れられることを拒むロッカーに触れられない。
 無数の手がうごめく床に手をつける。探るように撫でた。
 モーリスは薄い氷の上を走る。ゴーグルで正確な位置は確認してある。
 氷の上に目を凝らす。
 孔があった。
 モーリスは指先で薄い氷を突き破る。みなもが硬化させているため、爪先に痛みが走る。そんなことを気にしてはいられなかった。
「一瞬だけなら、復元できます」
「見つけます」
 ゆう子が言う。モーリスは頷いた。
 指先が孔に触れる。
 十五年の時間を越えて、元に戻れ――!
 氷を突き破り、コインロッカーが出現する。細かな破片が夜風に舞う。
 ゆう子は、迷わず一つのドアを掴んだ。
「私は、この子と幸せになるの! 許して!」
 ロッカーの中に手を突っ込む。
 血に染まったタオルを掴みだした。
 ロッカーが霧散する。それと同時に、ホームを覆っていた氷も蒸発してしまう。
 一瞬だけざわめいて波打った手が、消えた。
 ぼろぼろの赤いタオルを抱いて、ゆう子は泣いていた。
「あなたは何一つ悪くなかったの」
 タオルが空気に溶けていく。
「次に生まれてくるときは、この子の兄弟になって。必ず、生むから。生まれてきて」
 ゆう子の手からタオルが消える。
 K駅に、静寂が戻った。
「ゆう子さん」
 シュラインがよろめきながらゆう子に近づく。あちこち掴まれたところが痛かった。
 ゆう子が立ち上がり、一同を振り返る。
「ありがとうございました」
 丁寧に頭を下げ――
 一声呻いて、しゃがみ込んだ。
「どうしました!」
 モーリスがゆう子の肩を掴む。ゆう子はお腹を抱え「陣痛が」と言った。
 
 × × ×
 
 車どおりがまばらな道を、速度オーバーで走り抜ける。
「モーリスさん、次の角、右!」
 救急病院の地図を握り締めたみなもが、後部座席から身を乗り出して言う。
 赤信号を無視し、モーリスは車を曲がり角に押し込んだ。
 陣痛が始まったゆう子が、後部座席で呻いている。シュラインがゆう子を励ましながら、汗を拭いてやっていた。
「シオンさん、病院に電話して下さい!」
 みなもがシオンに携帯電話を渡す。地図の下に書いてある電話番号を切り取り、渡した。
「舌を噛まないように」
 モーリスは一言注意して、さらにアクセルを踏み込む。
 しばらく走ると、大きな病院が見えた。
 駐車場に突っ込むようにして車を止める。車に揺れが残っているうちにドアを開き、後部座席からゆう子を引っ張り出した。
 助手席側から回ったシオンが手を貸してくれる。二人がかりでゆう子を抱きかかえ、救急受付に飛び込んだ。
 電話を受けて待っていた看護士たちが、すぐにゆう子をストレッチャーに乗せる。
 慌しくもてきぱきと、ゆう子を運んで行った。
 残った看護士の一人が、一同を分娩室の外のソファに案内してくれる。
 ソファに座り、みなもは両手を握り合わせて祈りを捧げた。
「予定日にはまだ間があるって話だったけど、大丈夫かしら」
 シュラインがそわそわと言う。しばらく廊下を歩き回った。
「あの、お父さんにご連絡とかしなくて、いいんでしょうか?」
 シオンが声をかける。シュラインはパンと手を叩いた。
「そうね、事務所に電話かけてきます」
 武彦さんが事務所に居るとたまには役に立つわ、とぎこちない軽口を叩く。看護士に電話の場所を聞き、走っていった。
 モーリスはソファに座り、分娩室の奥に意識を飛ばす。師の気配は忍び寄っていない。だが、子どもの未来が極めて不安定なように、出産というのも混沌としたものだ。無から有が生まれる。ゼロから未来が生まれる瞬間に、調和者はくちばしを挟まないのがルールだ。
 無事に生まれてきて欲しい。
 そう、思う。
 そして、自分がこんなことを思うなんて珍しい。と、苦笑した。
 
 × × ×

 草間経由で、村上ゆう子から連絡が入ったのは、事件が起きてから二週間ほどが経過した夜だった。
 設計図の最終仕上げをしているところにかかってきた電話が、彼女が子どもと夫と一緒に挨拶に行きたいと言っていると伝えた。
「子どもは元気そうですか」
 モーリスは柔らかくそう問う。
『知らん』
 草間はきっぱりと答えた。
『そんなの自分で確認しろよ。で、開いてる日は? 住所は教えておく』
「個人情報の流出でしょう、それでは。では来週の水曜日でどうでしょう。不動産業は水曜日が定休ですから」
『いつから不動産業に切り替えたんだ?』
「転職は考えておりません。何となく言ってみただけで」
 モーリスは卓上カレンダーに丸をつける。時にはここに、客を招き入れるのも悪くない。
 電話を切り、ベランダへと出る。長く伸びてきた葉を撫でた。
「子どもは生命力の塊だから、きっとここに活気を与えてくれるだろう。若い男性女性ばかりと遊んでいたら、バランスが取れないからね」
 木々の間から、光が差し込む。
 人の善意と悪意、ネガティブさとポジティブさが混ざり合う。だから世の中は、それなりに調和が取れているのだ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男性 / 42歳 / びんぼーにん】
【2318 / モーリス・ラジアル / 男性 / 527歳 / 調和者】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
※順不同
※複数職業のある方は今回のノベルゲームで活躍した職業を表記しました

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■         ライター通信          ■
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ゲームへの御参加、ありがとうございました。
担当ライターの和泉更紗です。

日本全国が猛暑に覆われている中、アツイアツイ夏のゲームに御参加ありがとうございました。
調和者ということで、つかず離れず一歩超越した位置から展開を見守り、サポートするという役割の中に、一抹の冷たさも込めてみました。
モーリス・ラジアル様の一夏の思い出として、気に入って頂ければこれ以上の幸いはございません。

改めて、
日本列島猛暑の夏、K駅での擦り傷肝試しに御参加ありがとうございました!