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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


言の葉紡ぎ


【壱】


 武彦の陣中見舞いついでに、月刊アトラスの編集部に足を運んだ青島萩はいつもと変わらぬ騒がしさに無意識のうちに笑みが漏れた。いつもと変わらない光景が目の前にある。編集長である碇麗香のデスクの前に、肩をすくめている三下忠雄の姿を見つけて、萩はまた何か厄介なことを押し付けられようとしているのだろうと思った。どうして編集部一の駄目社員である三下がいつもいつも厄介な仕事を押し付けられているのか、萩は常々不思議に思っていた。三下よりも有能な人材はいる筈である。三下の体質が碇の求める何かと合致するのだろうかと思ってみたりもしたが、それにしても三下はあまりに無能すぎるような気がする。いつも助手のようにして傍についている社員でもない人間のほうがはるかに有能なのである。書き上げた原稿をつまらないという理由で、いとも簡単にシュレッダーにかける碇のもとで働き始めてから三下は一体いくつの原稿をシュレッダーに細切れにされたことだろう。
 思いながら何をするでもなく編集部内をぐるりと見渡すと不意に碇の声が自分に向かって発せられるのがわかった。
「あっ、ちょうどいいところに来た」
 声と共に碇の双眸が真っ直ぐに萩の姿を捉える。その視線の軌跡を辿るようにして、三下が縋るような視線を向けてきた。二人の双眸を前に、またいつものことかと萩は人知れず小さく溜息を漏らす。
「どうも」
 気軽に云うとデスクのほうから碇が大袈裟に手招きをする。それに誘われるように萩が歩を進めて、デスクの前に立つと、「今、時間は?」
 問う碇の声音がひどくやさしげで、きっとこれは三下の同行者を捜しているのだと直感でわかった。
「大丈夫です。取材のお手伝いで?」
「そうよ」
 さらりと云って碇は笑う。
「無能なさんしたくんのお供をお願いしたいの」
 その言葉に萩の隣に立つ三下はますますその身を小さくした。
「どういった内容のもので?」
 敢えてそんな三下を無視して萩が問うと碇は的確な言葉を選んで簡潔に説明した。的確な言葉を選び、簡潔に説明される内容はきちんと確立された数式のようにきちんとまとまり、無駄な問いを挟む必要性もないほどに完璧だった。さすがに編集長だけあると、わけもなく感心しながら萩は碇の言葉に事の詳細を知る。
 雑踏に紛れるように聳え立つ廃ビルのなかで、呪いの歴史、呪い殺された人々の生涯を綴っている少女がいるのだという。その少女にどうしてそのようなことをし続けているのかを取材してきてほしいというのが碇の云う取材内容だった
「それで、その廃ビルの場所というのは?」
 萩が問うと用意していたとばかりに、碇は簡単明瞭な、言葉を変えればなんともわかりにくい地図が描かれたメモ用紙を一枚、萩の前に差し出した。
「とりあえずわかっているのはこれだけよ」
 碇の笑顔を前に、萩は溜息混じりに微笑み返す。
「探偵は探偵らしく地道に事前調査からはじめますよ」
 差し出されたメモを手に取り萩が云うと、碇は三下のほうへと視線を移して、
「もたもたしないで早く取材に行ってらっしゃい」
と強い口調で云った。
「はい……。あの、一つだけ……」
 聞き取れないようなか細い声で身を竦めたまま三下が云う。
「怖くないですか……?」
「知らないわよ、そんなこと。でも、呪いっていうくらいだから怖いのかもね。ものすごく」
 満面の笑みで答える碇を前に、云い返すことは無意味だと覚ったのか三下は、はぁ、と小さく呟いたきり俯いた。その姿はなんとも憐れで、萩は元気付けようとするかのようにして軽く肩を叩いて云う。
「とりあえず行ってみましょう。何も妖怪やなんかの類なわけじゃないし、呪いの歴史を書き綴っているって云っても相手は女の子ですからね」
「そ、そうですね……」
 萩の言葉に弱々しい笑みを浮かべて、三下がゆっくりと顔を上げる。それを見ていた碇はとどめをさすようにさらりと云った。
「でもさ、人の感情ほど怖いものってないかもしれないわよね。それも呪い殺されるなんて、きっと恨み辛みの塊を書いているのよ、その女の子は」

 
【弐】


 編集部を出る刹那、不意に碇がこぼした一言が耳について離れない。
 ―――呪の歴史を書き綴っているだけなんて生易しいものじゃないけどね。
 さらりと何気なく云った一言なのかもしれなかったが、ひどく重要な言葉として萩の耳に残る言葉だった。呪の歴史。それは同時に呪い殺された人の歴史でもある。今は亡き個人の歴史を一人淡々と綴るのは一体どんな心地がするのだろうか。思いながら三下と連れ立って、雑踏のなかを行く。大まかな地図は殆ど役にたってはいなかったが、目ぼしい建物の名前が記されていたこともあっておおよその場所はわかった。聳え立つ高層ビルが姿を消し、どこか寂れた風情を漂わせる静かな裏通りに入る。人通りは少なく、淀んだ空気が停滞しているような気さえしてくるような場所だ。その空気の温度や気配が、呪い殺された人々の感情と直結しているような気分になる。
 ここに至るまで多くの人々の言葉を聞いた。どれもこれも役に立ちそうのない言葉であったが、皆が揃って興味本位の心を隠そうとしなかったことが不思議だった。呪い殺された人々の生涯を綴る少女がいるというそれは、日常に飽き飽きしている人々にとってひどく甘美なものとして響いたのだろう。
 他人事だから興味本位になれる。
 自分に害が及ばないという確信が好奇心をかきたてる。
 思いながら歩いていると、傍らを歩いていた三下がはたと足を止めた。
「どうしました?」
「あれ、じゃないですか……」
 震えるような途切れ途切れの声と共に三下が指差した先には、今にも崩れてしまいそうな灰色のビルが佇んでいる。壁面には無数の蔦がはりつき、どこか昭和の風情が漂う趣のある小さなビルだった。雑居ビルだったのか、階数ごとに何が入っているのかを示す看板が掲げられているが、今はどれも空白だその看板さえもやっと看板だとわかるくらいの形しか残していない。
「とりあえず行ってみますか」
 萩がさりげなく云うと三下は足を止めて、縋るような目を向ける。
「本当に、行くんですか……?」
「だって行かなければ取材にならないでしょう?」
「えぇ、まぁ……そうなんですけど……」
「なら行くしかないじゃないですか」
 はっきりとした口調で断言して、萩は歩を進める。一定のストライドでさくさくと進む萩の後ろをのろのろと三下がついてくる。仕事だと割り切れば怖いものなどどこにもないだろうに、と思いながら萩が廃ビルの入り口をおぼしきドアのノブに手をかける。しかしそれは内側から鍵をかけられているようで開けることはできなかった。
「開かないんですか?」
 やけに弾んだ声で三下が云うので、裏口を探しましょう、と云って萩は廃ビルを壁伝いに行く。三下はもうどうにでもなれと開き直ったのか、仕事だと割り切ったのかもう何も云わなかった。しかしその足取りは重たい。
 窓という窓は閉ざされ、所々ガラスが割られていたりする。果たして本当にここに人がいるのかといった体の廃ビルも一周してしまうという寸前になって、萩の目の前に錆びて今にも崩れてきそうな階段が現れる。
「これを昇るんですか?」
 躊躇うことなく手摺の突端に手をかけた萩を見て三下が云う。
「行くしかないじゃないですか、仕事なんですから」
 萩が答えると三下は俯いて、恐る恐る萩の後ろをついてくる。
 鉄製の階段は錆に覆われ、少しの衝撃でも崩れてしまいそうで一歩一歩を慎重に進まなければならなかった。錆び付いた手摺は掴まれば手が汚れ、だからといって掴まないでいられるのかといったらそうでもない階段がある。
「あっ、これ開きますかね?」
 云いながら萩は三下の答えも待たずに真鍮製と思われる丸いドアノブに手をかけた。そして廻すと、それはいとも簡単に廻り、ドアは開いた。
 過去の匂いがした気がした。
 灰色の過去の匂い。
 それは黴臭さとは違った不思議な懐かしさを感じさせる。
 ドアの向こうに広がるのは深い闇。
 そのなかに一つ、浮かび上がるようにして古めかしいランプが灯っているのがわかる
 仕切りが一切取り払われたそこには一人の少女が簡素な文机に向かっているだけである。
 不意に背後で大きな音をたてて鉄製の非常ドアが閉まる。三下は身を竦め、萩は目の前の少女に視線を向けた。
 ゆっくりと少女が萩のほうへと視線を向ける。白い容貌が闇に浮かぶ。
「誰?」
 疑う気配もなく少女が問うた。


【参】


「雑誌の取材?」
 ここへ来た経緯を説明すると、まだあどけなさの残る少女はどうしてそんなことをといった様子で小頸を傾げる。
「あなたが呪の歴史を、呪い殺された人々の生涯を書き綴っていると聞いたものですから」
 すっかり怯えきった三下を他所に萩が云う。
「記事になんてならないと思うわ。だって私は自分がするべきことをしているだけだもの。人が人を憎み、恨む感情がどれだけ強いものなのかあなたはきっと知らないわ。私はずっとそれと共にここにいるの」
 云って少女はゆっくりと立ち上がると、書きかけのものをそのままにランプを手に壁を照らした。そこには膨大な数の抽斗があり、丁寧にラベリングされて整理されているのがわかった。
「これは私がいままで書き綴ったものよ。みんな死にたくなかったと云ったわ。そしてそれ以上に自分を殺した人間を恨んで、憎んでいるとも」
「いつからこんなことをしているんです?」
「十四」
「失礼ですけど、今は……」
 問いかけた萩の言葉を遮るように少女が答える。
「十八です。誰かに命じられたとか、きっかけがあったのかとかは訊かないで下さいね。私はただ自分がやるべきことだと思ったからしているだけであって、きっかけもなければ誰かに頼まれた覚えもないの」
 ひどく大人びた調子の声で少女が云う。
「今していることが自分の命にかかわることだということは」
「そんなこと、どうでもいいことよ」
 少女は笑う。
「殺された人はもうあなたと同じ時間を生きることはできない。あなたが今していることは決してあなたのためにはならないことなんですよ」
 云う萩に少女はさらりと答える。
「私は私のためにならないことを自ら望んでしているだけのこと。たとえ私が彼らに殺されても、それは本望よ」
 十八にしてはまだあどけなさの残る幼い顔立ちをしているにも拘らず、発せられる声はひどく落ち着いて自分の人生を達観しているようでさえあった。
「どうしてこんなことを?」
「つまらないことばかりだったから」
「何がつまらなかったのですか?」
「生きていること、生活すること、何かに縛られていないと生きていかれないことがつまらなかった。でもここでずっと彼らの話を聞いてると、そんなことは忘れられる。自ら望んだわけでもないのに殺され、行き場もなく彷徨っている彼らの魂の声に耳を傾けることはとても安らぐことよ。―――私は彼らが生を望むのとは反対に死を望んでここにいるの」
「それはあなたが耳を傾けている相手に対して失礼なことではないんですか?」
 萩が問うと少女はいっそう深く笑った。
「それでいいのよ。彼らは呪い殺された自分を嘆いている。その嘆きを言葉にして私に聞かせる。そしてそれはある意味で呪いとして私をいつか殺してくれるわ。それが本当になるかどうかはわからないけれど」
「死にますよ」
 萩が云う。三下はどうすればいいのかわからないといった様子で、萩の少し後ろに立ったまま黙っている。
「別にかまわないわ。今ここで私が生きていることなんてオプションにすぎないんですもの。私に生きていていいと云ってくれた人なんていなかった。だからいつか死ぬの。今すぐにでも死んでもいいわ。でも、彼らは私を必要としてくれている。だから私はここで彼らのために死ぬの」
「彼らはあなたと同じ時間を生きているわけではないでしょう」
「だって私はあなたと同じ世界では生きられなかったんだもの。だから、死ぬわ」
 少女が云ったと同時に萩は無意識のうちに手をあげていた。萩が少女の頬を打つ音が冷たく響く。三下が慌てた様子で萩の手を掴んだが、遅かった。平手を受けた少女は泣くこともなく、どうしてといった様子で萩を見ている。
「たかが十八年生きただけで、そんなことを云うものじゃない」
「……他人なのに、不思議な人ね。私を見てくれる人に会ったのは初めてよ。親だって私を見なかった。だから手をあげられたこともなければ、叱られたこともなかった。きっと今も心配なんてしていない筈よ」
「なら俺があなたをちゃんと見てる。それなら生きていけるんですか?」
 少女はゆっくりと頸を振る。
「わからないわ。だってここには私を待っている人がたくさんいるもの」
「少しずつ、距離を置くこともできるんじゃないでしょうか……」
 不意に黙っていた三下がおずおずと口を開いた。
「何もそう簡単に答えを出す必要はないと思います。だって、ほら、生きていくことってそんなに単純じゃないでしょ?」
 少しはいいことも云うものだとおもいながら、萩は言葉を続ける。
「とりあえずここに引き篭もることをやめればいいんじゃないですか?少しずつ外に触れるようにすればいい」
「そうね……。じゃあ、手始めに取材のお話しをしませんか?」
 少女は笑った。その笑顔にはきっと何より太陽の光が似合うと思った。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1570/青島萩/男性/29/刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申しす。
今すぐには少女も外には出られないとは思いますが、別の人生の可能性、外へ出るきっかけを与えて下さってありがとうございます。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。