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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


言の葉紡ぎ

【壱】

 漆黒のバスローブにシースルーのパーカーを合わせ、手土産に鰹を持参した海原みそのを月刊アトラス編集部を取り仕切る編集長の碇麗香は何の抵抗もなくすんなりと受け入れた。鰹さえも、編集部の暑気払いのつまみにさせてもらうわ、とありがたく頂戴する始末だ。当然のように編集部内に居座っている面子は、不思議なものを見るようにしてみそのを眺めていたが、みそのが一つ微笑むだけでそれらの視線は霧散した。柔和で穏やかな微笑が整った顔に浮かべられるそれだけで、それまで抱いていた感情の一切が無意味になる。
 それをどうでもいいことのようにあしらって、みそのはローテーブルを挟んで応接セットのソファーに腰を下ろした。向かいには編集長の碇と三下忠雄の姿。また何か三下がらみになるようなネタがあったのだろうかと、ふと思いながらみそのは碇が口を開くのを待つ。
「これからさんしたくんに付き合うくらいの時間はあるのかしら?」
 問う碇の声音がひどくやさしげで、きっとこれは三下の同行者を捜しているのだと直感でわかった。
「大丈夫です。取材のお手伝いですか?」
「そうよ」
 さらりと云って碇は笑う。
「無能なさんしたくんのお供をお願いしたいの」
 その言葉に碇の隣に肩をすくめるような格好で腰を落ち着けていた三下はますますその身を小さくした。
「どういった内容のものです?」
 敢えてそんな三下を無視してみそのが問うと碇は的確な言葉を選んで簡潔に説明した。的確な言葉を選び、簡潔に説明される内容はきちんと確立された数式のようにきちんとまとまり、無駄な問いを挟む必要性もないほどに完璧だった。さすがに編集長だけあると、わけもなく感心しながらみそのは碇の言葉に事の詳細を知る。
 雑踏に紛れるように聳え立つ廃ビルのなかで、呪いの歴史、呪い殺された人々の生涯を綴っている少女がいるのだという。その少女にどうしてそのようなことをし続けているのかを取材してきてほしいというのが碇の云う取材内容だった
「それで、その廃ビルはどちらに?」
 みそのが問うと用意していたとばかりに、碇は簡素な、それでいて的確なポイントを外さずに記されたメモ用紙を一枚ローテーブルの上に滑らせる。
「とりあえずわかっているのはこれだけよ」
 みそのはそれを手に取り、碇の隣に腰を落ち着けている三下に視線を向け微笑んだ三下が動揺するように俯く。
「この場所までは三下様にお任せしてもよろしいでしょうか?」
 差し出されたメモを手に取りみそのが云うと、碇は三下のほうへと視線を移して、
「あてになるかどうかは保障できないけれどね」
とぽつりと云う。
「陸の生活に不慣れななわたくしよりは心強いと思います」
 云うみそのに、どうだかといったような表情をして鋭い口調で碇は隣の三下に云う。
「もたもたしないで早く取材に行ってらっしゃい」
「はい……。あの、一つだけ……」
 聞き取れないようなか細い声で身を竦めたまま三下が云う。
「怖くないですか……?」
「知らないわよ、そんなこと。でも、呪いっていうくらいだから怖いのかもね。ものすごく」
 満面の笑みで答える碇を前に、云い返すことは無意味だと覚ったのか三下は、はぁ、と小さく呟いたきり俯いた。その姿はなんとも憐れで、みそのは元気付けようとするかのようにして微笑みと共に云う。
「とりあえず行ってみましょう。何も妖怪やなんかの類なわけではありませんし、呪いの歴史を書き綴っているって云っても相手は女の子ですもの」
「そ、そうですね……」
 みそのの穏やかな言葉に弱々しい笑みを浮かべて、三下がゆっくりと顔を上げる。それを見ていた碇はとどめをさすようにさらりと云った。
「でもさ、人の感情ほど怖いものってないかもしれないわよね。それも呪い殺されるなんて、きっと恨み辛みの塊を書いているのよ、その女の子は」

【弐】

  編集部を出る刹那、不意に碇がこぼした一言が耳について離れない。
 ―――呪の歴史を書き綴っているだけなんて生易しいものじゃないけどね。
 さらりと何気なく云った一言なのかもしれなかったが、ひどく重要な言葉としてみそのの耳に残る言葉だった。呪の歴史。それは同時に呪い殺された人の歴史でもある。今は亡き個人の歴史を一人淡々と綴るのは一体どんな心地がするのだろうか。思いながら三下と連れ立って、雑踏のなかを行く。地図を手に少し前を行く三下が役に立っているのかどうかはわからなかったが、目ぼしい建物の名前が記されていたこともあっておおよその場所はわかったようだ。聳え立つ高層ビルが姿を消し、どこか寂れた風情を漂わせる静かな裏通りに入る。人通りは少なく、淀んだ空気が停滞しているような気さえしてくるような場所だ。その空気の温度や気配が、呪い殺された人々の感情と直結しているような気分になる。
 ここに至るまで多くの人々の言葉を聞いた。三下が地図を理解できなかったからなのか、道行く人にメモを手に訊ねたからだ。どれもこれも役に立ちそうのない言葉であったが、皆が揃って興味本位の心を隠そうとしなかったことが不思議だった。呪い殺された人々の生涯を綴る少女がいるというそれは、日常に飽き飽きしている人々にとってひどく甘美なものとして響いたのだろう。
 他人事だから興味本位になれる。
 自分に害が及ばないという確信が好奇心をかきたてる。
 思いながら歩いていると、傍らを歩いていた三下がはたと足を止めた。
「どうしました?」
「あれ、じゃないですか……」
 震えるような途切れ途切れの声と共に三下が指差した先には、今にも崩れてしまいそうな灰色のビルが佇んでいる。壁面には無数の蔦がはりつき、どこか昭和の風情が漂う趣のある小さなビルだった。雑居ビルだったのか、階数ごとに何が入っているのかを示す看板が掲げられているが、今はどれも空白だその看板さえもやっと看板だとわかるくらいの形しか残していない。
「とりあえず行ってみますか」
 みそのがさりげなく云うと三下は足を止めて、縋るような目を向ける。
「本当に、行くんですか……?」
「行かなければ取材にならないのではありませんか?」
「えぇ、まぁ……そうなんですけど……」
「それならば行くしかないのではありませんか?」
 はっきりとした口調で断言して、みそのは歩を進める。一定のストライドで進むみそのの後ろをのろのろと三下がついてくる。仕事だと割り切れば怖いものなどどこにもないだろうに、と思いながらみそのが廃ビルの入り口をおぼしきドアのノブに手をかける。しかしそれは内側から鍵をかけられているようで開けることはできなかった。
「開かないんですか?」
 やけに弾んだ声で三下が云うので、裏口を探しましょう、と云ってみそのは廃ビルを壁伝いに行く。三下はもうどうにでもなれと開き直ったのか、仕事だと割り切ったのかもう何も云わなかった。しかしその足取りは重たい。
 窓という窓は閉ざされ、所々ガラスが割られていたりする。果たして本当にここに人がいるのかといった体の廃ビルも一周してしまうという寸前になって、二人の目の前に錆びて今にも崩れてきそうな階段が現れる。
「これを昇るんですか?」
 躊躇うことなく手摺の突端に手をかけたみそのを見て三下が云う。
「行ってみましょう。折角こうして階段もあるんですし」
 みそのが答えると三下は俯いて、恐る恐る後ろをついてくる。
 鉄製の階段は錆に覆われ、少しの衝撃でも崩れてしまいそうで一歩一歩を慎重に進まなければならなかった。錆び付いた手摺は掴まれば手が汚れ、だからといって掴まないでいられるのかといったらそうでもない階段がある。
「これ開くと思いますか?」
 云いながらみそのは三下の答えも待たずに真鍮製と思われる丸いドアノブに手をかけた。そして廻すと、それはいとも簡単に廻り、ドアは開いた。
 過去の匂いがした気がした。
 灰色の過去の匂い。
 それは黴臭さとは違った不思議な懐かしさを感じさせる。
 ドアの向こうに広がるのは深い闇。
 そのなかに一つ、浮かび上がるようにして古めかしいランプが灯っているのがわかる
 仕切りが一切取り払われたそこには一人の少女が簡素な文机に向かっているだけである。
 不意に背後で大きな音をたてて鉄製の非常ドアが閉まる。三下は身を竦め、みそのは目の前の少女に視線を向けた。
 ゆっくりと少女がみそののほうへと視線を向ける。白い容貌が闇に浮かぶ。
「誰?」
 疑う気配もなく少女が問うた。

【参】

「雑誌の取材?」
 ここへ来た経緯を説明すると、まだあどけなさの残る少女はどうしてそんなことをといった様子で小頸を傾げる。
「呪い殺された人々の生涯を書き綴っていると聞いたものですから」
 すっかり怯えきった三下を他所にみそのが云う。
「記事になんてならないと思うわ。だって私は自分がするべきことをしているだけだもの。人が人を憎み、恨む感情がどれだけ強いものなのかあなたはきっと知らないわ。私はずっとそれと共にここにいるの」
 云って少女はゆっくりと立ち上がると、書きかけのものをそのままにランプを手に壁を照らした。そこには膨大な数の抽斗があり、丁寧にラベリングされて整理されているのがわかった。
「これは私がいままで書き綴ったものよ。みんな死にたくなかったと云ったわ。そしてそれ以上に自分を殺した人間を恨んで、憎んでいるとも」
「本当のことを申しますと、三下様には申し訳ありませんが、わたくしは雑誌の取材なんてどうでもいいのです。わたくしはただあなた様が綴られておられる呪の歴史というものをお聞きしたいだけなのです」
 その言葉に少女は笑った。
「不思議な方ね。―――呪の歴史なんて聞いたところでどうなさるおつもり?」
「呪の歴史、人の暗部というものは御方へのお土産話としては十分に面白いかと思いました、それだけです」
 微笑と共にみそのが答えると、少女は笑った。
「本当に不思議な方。人の暗部なんて面白くもなければ、美しいものでもないわ。ただ醜く、哀しいだけ……。人の煩悩が108つなんていうのは夢物語だわ。人はそんなに美しくもなければ、善良でもないんですもの」
 ひどく大人びた調子の声で少女が云う。
「わたくしが知りたいのは、そうした人の想いによって穢され、殺された人々の想いです。知っても知らずも他に害されるという気持ちを知りたいと思って参りました。わたくしは欲望や呪、死を否定しません。総ては流れるものです」
「そうよ。総ては流れるものだわ。けれど私はその流れのなかから一つ一つ丁寧に掬い上げて、紙に記すことでそこにあることを許すの。他に害されて、望まぬ流れに身を投じることになった人々がそのまま望まぬままに流れに呑まれることがないよう、掬い上げ、とどまるための手助けをするの」
 少女は笑う。
「誰かを呪いながら、憎みながら、そのまま無き者になるなんて哀しいことだわ。歴史を綴るということは、流れから掬い上げること。永遠に想いの連鎖を繋げていくために、私はそれを職務とするの。―――興味本位で知るにはあまりに過酷なものよ」
 まだあどけなさの残る幼い顔立ちをしているにも拘らず、発せられる声はひどく落ち着いて自分の人生を達観しているようでさえあった。
「たとえばこれ……」
 云って少女は手近な場所にあった抽斗を開ける。三下が息を呑むのがわかった。
 抽斗から溢れる幻。それはもがき苦しみながら、必死に何かを掴もうとしているようだった。双眸は暗く淀み、奪われていく生に必死になってしがみ付こうとしているようでさえある。裏切られたと、捨てられたと叫ぶ声が聞こえた気がした。目を背けたくなるほど壮絶なそれを真っ直ぐに見て、少女は云う。
「両親に殺された子供の想いよ。こんなにも鮮やかな想いを残して死んでいったの。それが掬い上げられずに、流れに押し流されていく悲劇を私は許せなかった。―――人の想いの暗部を知りたいというのなら、ここに在る抽斗を総て開けてみればいいわ」
 みそのは少女の言葉に、ありがとうございました、と微笑んだ。これは太刀打ちできる問題ではない。直感が訴えていた。膨大な想い。それを統べる少女を前に自分がひどく無力な存在であるような気がした。そしてふと言葉が漏れた。
「死を想ったことはありますか?」
 みそのの問いに少女が笑う。
「いつも想っているわ。いつも死が傍らにあるといっても過言ではないもの」
「そうではなく、自身の死を」
 続けるみそのに少女はさらりと答えた。
「それに関しては望んでいると云ってもいいわ。生きていること、生活すること、何かに縛られていないと生きていかれないことがつまらなかった。でもここでずっと彼らの話を聞いていると、そんなことは忘れられる自ら望んだわけでもないのに殺され、行き場もなく彷徨っている彼らの魂の声に耳を傾けることはとても安らぐことよ。―――私は彼らが生を望むのとは反対に死を望んでここにいるの」
「それはあなたが耳を傾けている相手に対して失礼なことではないんですか?」
 滑らかな口調で少女が話し終えると、不意にみそのの後ろに隠れるようにしていた三下が問う。すると少女はよりいっそう深く笑みを刻んだ。
「それでいいのよ。彼らは呪い殺された自分を嘆いている。その嘆きを言葉にして私に聞かせる。そしてそれはある意味で呪いとして私をいつか殺してくれるわ。それが本当になるかどうかはわからないけれど」
「死にますよ」
 みそのは断言するように云う。何故かそれがはっきりとわかった。少女が見せた想いのせいなのか、いつまでもここにこうしていることは少女の生に対して何がしかの害を与えるような気がした。つい数秒前にはさらりと問うた三下はもう既にどうすればいいのかわからないといった様子で、みそのの少し後ろに立ったまま黙っている。
「別にかまわないわ。今ここで私が生きていることなんてオプションにすぎないんですもの。私に生きていていいと云ってくれた人なんていなかった。だからいつか死ぬの。今すぐにでも死んでもいいわ。でも、彼らは私を必要としてくれている。だから私はここで彼らのために死ぬの」
「彼らはあなたと同じ時間を生きているわけではないでしょう」
「だって私はあなた方と同じ世界では生きられなかったんだもの。だから、死ぬわ」
 少女が云ったと同時に、みそのの後ろから洟を啜る音が無様に響く。振り返ると三下がこれ以上の泣き顔はないだろうといったような体で、手放しに泣いていた。少女はそんな三下をどうしてといった様子で見ている。
「どうなさいました……?怖かったんですか?」
 みそのもまた呆気に取られながら問う。
「いえ、ちょっと、自分よりも年下の女の子がそんなことをさらりと云ってしまうこととか、さきほど見たもののことを考えていたら、どうしようもなくなるほど哀しくなってしまって……すみません」
 云って涙を拭う三下に、不意に少女が云った。
「……他人なのに、不思議ね。私を見てる人に会ったのは初めてよ。親だって私を見なかった。私のことを考えて泣いてくれる人なんてあなたが初めてだわ。叱られたこともなかった。きっと今も心配なんてしていない筈よ」
「どうしてそんな哀しいことを?」
 三下が涙声で問う。
 少女はゆっくりと頸を振る。
「わからないわ。そう思っただけ。でもそんなことはどうでもいいの。ここには私を待っている人がたくさんいるもの」
 そっと開かれたままだった抽斗を慈しむように閉めて、少女は云う。
「たとえ私が死んでも、誰も哀しむことはないわ」
「……それは違うと思いますけど……」
 三下がおずおずと云う。
「どうして?」
「あなたがいなくなったら、誰が彼らの想いを受け止めてあげるのですか?」 
 三下の言葉にみそのは納得した。少女がいなくなれば流れに呑まれる。無くなってしまうのだ。
「何もそう簡単に答えを出す必要はないと思います。だって、ほら、生きていくことってそんなに単純じゃないでしょ?」
 少しはいいことも云うものだとおもいながら、みそのは言葉を続ける。
「少し距離を置きながら、上手く付き合っていく方法を考えてみても良いのではありませんか?あなたが死んでしまったら、ここに在る想いは途方に暮れてしまうでしょうから」
 少女は無数の抽斗を撫ぜるようにしながら、ぽつりと云った。
「そうね……。じゃあ、手始めに取材のお話しをしませんか?―――ちゃんと記事になるような話しを」
 少女は笑った。その笑顔にみそのはきっと何より太陽の光が似合うと思った。

 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388/海原みその/女性/13/深淵の巫女】


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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
小生意気な少女のお相手をして下さいましてありがとうございました。
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
それでは、この度のご参加本当にありがとうございました。
今後また機会がございましたらどうぞよろしくお願い致します。