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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


言の葉紡ぎ

【壱】

 編集部内の片隅に置かれた簡素な応接セット。ロウテーブルを挟んで編集長である碇麗香と向かい合って、セレスティ・カーニンガムは静かに口を開く。
「呪によって殺されたのは何もその少女の責任ではないのではありませんか?」
 一言口を開くにしてもそこはかとなく漂う優雅さがある。それが編集部のどこか雑然とした空気と馴染んでいないようで、それぞれに仕事をしているしていないに拘らずその場の空気を共有している者は総てセレスティを観察するようにして横目で見ている。けれど碇もそしてセレスティもそんなことに気をとられてはいなかった。
「責任が誰にあるのかなんて知らないわ。ただこの話がネタになると思ったから、取材に行ってもらおうと思った。それだけよ」
 碇は感情を挟まない、それでいて無機質になりきれない声で云う。
「さんしたくんの監視役とも云うけれどね」
「それは十分に承知しております。けれど、私にはその少女の状況が納得できませんが」
「皆がそうじゃないかしら。聞いただけの情報でも、少女のおかれる状況が常識の範疇に収まるとは思っていないわ」
 ゆったりと脚を組み替えて碇が云う。
 何故そんなに冷静でいられるのかとセレスティは思う。つい先ほど碇の口から聞いた言葉は、あまりに個人の尊厳を損なうもののようにしてセレスティの思考に届いた。事の詳細を的確な言葉を選んで簡潔に説明した。的確な言葉を選び、簡潔に説明される内容はきちんと確立された数式のようにきちんとまとまり、無駄な問いを挟む必要性もないほどに完璧だった。 雑踏に紛れるように聳え立つ廃ビルのなかで、呪いの歴史、呪い殺された人々の生涯を綴っている少女がいるのだという。その少女にどうしてそのようなことをし続けているのかを取材してきてほしいというのが碇の云う取材内容だった勿論いつものように三下の同行者というポジションであることは自明だった。
「自分の目で、耳で確かめてこればいいんじゃないかしら?折角同行するんだもの、自らその少女に問うて、少女の声で答えを聞けばいいと思うわ。その方が無駄もなく、確実だと思うけど」
 そう云う碇に、セレスティは小さく頷く。そして諦めたように云った。
「そうですね。確かにそのほうが無駄がない」
「じゃあ」
 云って碇は自分のデスクに向かっている三下の名前を呼んだ。恐る恐る顔を上げる三下は、どうやら今回もこの仕事をできるなら避けたいと思っている様子だ。のろのろと自分のデスクを離れ、碇の傍に立って指示を待つように俯く。
「もたもたしないで早く取材に行ってらっしゃい」
 碇は三下の胸の内を慮るでもなく云い放つ。三下は慣れているのか、それとも刹那の間に諦めたのか頷いた。
「はい……。あの、一つだけ……」
 聞き取れないようなか細い声で身を竦めたまま三下が云う。
「怖くないですか……?」
「知らないわよ、そんなこと。でも、呪いっていうくらいだから怖いのかもね。ものすごく」
 満面の笑みで答える碇を前に、云い返すことは無意味だと覚ったのか三下は、はぁ、と小さく呟いたきり俯いた。その姿はなんとも憐れで、セレスティはつい口を挟んでいた。
「とりあえず行ってみましょう。何も妖怪やなんかの類なわけではありませんし、呪いの歴史を書き綴っているって云っても相手は女の子ですから」
「そ、そうですね……」
 セレスティの言葉に弱々しい笑みを浮かべて、三下がゆっくりと顔を上げる。それを見ていた碇はとどめをさすようにさらりと云った。
「でもさ、人の感情ほど怖いものってないかもしれないわよね。それも呪い殺されるなんて、きっと恨み辛みの塊を書いているのよ、その女の子は」

【弐】

 編集部を出る刹那、不意に碇がこぼした一言が耳について離れない。
 ―――呪の歴史を書き綴っているだけなんて生易しいものじゃないけどね。
 さらりと何気なく云った一言なのかもしれなかったが、ひどく重要な言葉としてセレスティの耳に残る言葉だった。呪の歴史。それは同時に呪い殺された人の歴史でもある。今は亡き個人の歴史を一人淡々と綴るのは一体どんな心地がするのだろうか。思いながら三下と連れ立って、雑踏のなかを行く。編集部を出る間際に碇から手渡された大まかな地図は殆ど役にたってはいなかったが、目ぼしい建物の名前が記されていたこともあっておおよその場所はわかった。聳え立つ高層ビルが姿を消し、どこか寂れた風情を漂わせる静かな裏通りに入る。人通りは少なく、淀んだ空気が停滞しているような気さえしてくるような場所だ。その空気の温度や気配が、呪い殺された人々の感情と直結しているような気分になる。
 ここに至るまで多くの人々の言葉を聞いた。地図があまりに役に立たなかったからだ。どれもこれも役に立ちそうのない言葉であったが、皆が揃って興味本位の心を隠そうとしなかったことが不思議だった。呪い殺された人々の生涯を綴る少女がいるというそれは、日常に飽き飽きしている人々にとってひどく甘美なものとして響いたのだろう。
 他人事だから興味本位になれる。
 自分に害が及ばないという確信が好奇心をかきたてる。
 思いながら歩き続けると、傍らを歩いていた三下がはたと足を止めた。
「どうしました?」
「あれ、じゃないですか……」
 震えるような途切れ途切れの声と共に三下が指差した先には、今にも崩れてしまいそうな灰色のビルが佇んでいる。壁面には無数の蔦がはりつき、どこか昭和の風情が漂う趣のある小さなビルだった。雑居ビルだったのか、階数ごとに何が入っているのかを示す看板が掲げられているが、今はどれも空白だその看板さえもやっと看板だとわかるくらいの形しか残していない。
「とりあえず行ってみましょうか」
 セレスティがさりげなく云うと三下は足を止めて、縋るような目を向ける。
「本当に、行くんですか……?」
「行ってみなければ取材にならないのではありませんか?」
「えぇ、まぁ……そうなんですけど……」
「ならば行かなければならないでしょう」
 はっきりとした口調で断言して、セレスティは歩を進める。一定のストライドでさくさくと進むセレスティの後ろをのろのろと三下がついてくる。仕事だと割り切れば怖いものなどどこにもないだろうに、と思いながらセレスティが廃ビルの入り口をおぼしきドアのノブに手をかける。しかしそれは内側から鍵をかけられているようで開けることはできなかった。
「開かないんですか?」
 やけに弾んだ声で三下が云うので、裏口を探しましょう、と云ってセレスティは廃ビルを壁伝いに行く。三下はもうどうにでもなれと開き直ったのか、仕事だと割り切ったのかもう何も云わなかった。しかしその足取りは重たい。
 窓という窓は閉ざされ、所々ガラスが割られていたりする。果たして本当にここに人がいるのかといった体の廃ビルも一周してしまうという寸前になって、セレスティの目の前に錆びて今にも崩れてきそうな階段が現れる。
「これを昇るんですか?」
 躊躇うことなく手摺の突端に手をかけたセレスティを見て三下が云う。
「折角ですから行ってみましょう」
 セレスティが答えると三下は俯いて、恐る恐るセレスティの後ろをついてくる。
 鉄製の階段は錆に覆われ、少しの衝撃でも崩れてしまいそうで一歩一歩を慎重に進まなければならなかった。錆び付いた手摺は掴まれば手が汚れ、だからといって掴まないでいられるのかといったらそうでもない階段がある。
「これは開くのでしょうか?」
 云いながらセレスティは三下の答えも待たずに真鍮製と思われる丸いドアノブに手をかけた。そして手首を捻ると、それはいとも簡単に廻り、ドアは開いた。
 過去の匂いがした気がした。
 灰色の過去の匂い。
 それは黴臭さとは違った不思議な懐かしさを感じさせる。
 ドアの向こうに広がるのは深い闇。
 そのなかに一つ、浮かび上がるようにして古めかしいランプが灯っているのがわかる
 仕切りが一切取り払われたそこには一人の少女が簡素な文机に向かっているだけである。
 不意に背後で大きな音をたてて鉄製の非常ドアが閉まる。三下は身を竦め、セレスティは目の前の少女に視線を向けた。
 ゆっくりと少女がセレスティのほうへと視線を向ける。白い容貌が闇に浮かぶ。
「誰?」
 疑う気配もなく少女が問うた。

【参】

「雑誌の取材?」
 ここへ来た経緯を説明すると、まだあどけなさの残る少女はどうしてそんなことをといった様子で小頸を傾げる。
「あなたが呪の歴史を、呪い殺された人々の生涯を書き綴っていると聞いたものですから」
 すっかり怯えきった三下を他所にセレスティが云う。
「記事になんてならないと思うわ。だって私は自分がするべきことをしているだけだもの。人が人を憎み、恨む感情がどれだけ強いものなのかあなたはきっと知らないわ。私はずっとそれと共にここにいるの」
 云って少女はゆっくりと立ち上がると、書きかけのものをそのままにランプを手に壁を照らした。そこには膨大な数の抽斗があり、丁寧にラベリングされて整理されているのがわかった。
「これは私がいままで書き綴ったものよ。みんな死にたくなかったと云ったわ。そしてそれ以上に自分を殺した人間を恨んで、憎んでいるとも」
「いつからこんなことをしているんですか?」
「十四」
「失礼ですけど、今は……」
 問いかけたセレスティの言葉を遮るように少女が答える。
「十八です。誰かに命じられたとか、きっかけがあったのかとかは訊かないで下さいね。私はただ自分がやるべきことだと思ったからしているだけであって、きっかけもなければ誰かに頼まれた覚えもないの」
 ひどく大人びた調子の声で少女が云う。
「では、家系的なお仕事などではないということですか?」
 少女はその言葉に刹那、眉を顰めた。そして吐き捨てるように云う。
「当然よ。私は自らここでこうすることを選んだの。誰の指示でもないわ」
「しかし学校に通ったり、友達と遊んだりする普通の十代として過ごすこともできたのではありませんか?」
 セレスティの問いに少女は笑った。
「普通って何?普通普通って云うけれど、その枠組みの定義は何?普通を定義したら、それはただの平均にしかすぎないんじゃないかしら?差を無くすことがそんなに重要かしら。普通の家族、普通の十代、普通の女の子、そんな風に一般化して、どうなるの?」
 少女の問いにセレスティは言葉につまる。思っていたよりもずっと頭の回転が早いと思った。
「殺された人はもうあなたと同じ時間を生きることはできません」
 云うセレスティに少女はさらりと答える。予想範囲内だった。
「わかっているわ。同じ時間を生きられない。何も私のためにはならない。それでいいの。私は私のためにならないことを自ら望んでしているだけのこと。たとえ私が彼らに殺されても、それは本望よ」
 十八にしてはまだあどけなさの残る幼い顔立ちをしているにも拘らず、発せられる声はひどく落ち着いて自分の人生を達観しているようでさえあった。
「何故そのような選択を?」
「つまらないことばかりだったから」
「何がつまらなかったのですか?」
「生きていること、生活すること、何かに縛られていないと生きていかれないことがつまらなかった。でもここでずっと彼らの話を聞いていると、そんなことは忘れられる自ら望んだわけでもないのに殺され、行き場もなく彷徨っている彼らの魂の声に耳を傾けることはとても安らぐことよ。―――私は彼らが生を望むのとは反対に死を望んでここにいるの」
「それはあなたが耳を傾けている相手に対して失礼なことではないんですか?」
 セレスティが問うと少女はいっそう深く笑った。
「それでいいのよ。彼らは呪い殺された自分を嘆いている。その嘆きを言葉にして私に聞かせる。そしてそれはある意味で呪いとして私をいつか殺してくれるわ。それが本当になるかどうかはわからないけれど」
「死にますよ」
 セレスティが云う。三下はどうすればいいのかわからないといった様子で、セレスティの少し後ろに立ったまま黙っている。
「別にかまわないわ。今ここで私が生きていることなんてオプションにすぎないんですもの。私に生きていていいと云ってくれた人なんていなかった。だからいつか死ぬの。今すぐにでも死んでもいいわ。でも、彼らは私を必要としてくれている。だから私はここで彼らのために死ぬの」
「それは同情ですか?」
「違うわ」
「ではやさしさですか?」
「それも違う。これは私のエゴよ」
 ランプで無数に並ぶ抽斗を照らしながら少女は云う。
「では彼らを、呪い殺された人々を利用していると云うのですね?」
 少女は笑う。それは肯定の意味を十分に含んだ笑顔だった。
「たとえ君が……」
 云いかけたセレスティの言葉尻を少女が攫う。
「私が彼らのことを記さなくとも、彼らは誰かの記憶のなかに存在する。いずれは記憶から抜け落ちてしまうとしても、それは総ての人々にあり得ることで、私が特別職務とすることではない。そう云いたいのね」
 少女の言葉にセレスティは頷く。
「それが世の中の摂理だと云いたいのでしょう。でも、私はその摂理のなかでは生きられなかった。私はあなたと同じ世界では生きられなかったのよ。だから、死ぬわ」
 少女が云ったと同時にセレスティは、違うでしょう、と無意識のうちに呟いていた。
「何が違うというの?」
「君はただ死ぬ理由に呪い殺された人々の不幸を理由にしているだけではありませんか?」
 少女は目を見開く。大きな黒い瞳が憎しみのような、それでいて嬉しさを滲ませたような不思議な色をたたえてセレスティを見つめる。そして刹那、それが崩れたかと思うと笑った。
「不思議な人ね。私を見て、きちんと私の間違いを指摘してくれた人に会ったのは初めてよ。誰も、両親でさえも私を見なかった。だから手をあげられたこともなければ、叱られたこともなかった。きっと今も心配なんてしていない筈よ」
「きっかけを探していたんですか?」
 少女はゆっくりと頸を振る。
「わからないわ。だってここには私を待っている人がたくさんいるもの」
「しかし、いつまでもこうしているわけにはいかないということを君はご存知の筈だと思うのですが」
 セレスティの言葉に少女は沈黙して再度無数の抽斗を見つめる。
 その沈黙を破るように不意に黙っていた三下がおずおずと口を開いた。
「何もそう簡単に答えを出す必要はないと思います。だって、ほら、生きていくことってそんなに単純じゃないでしょ?」
 少しはいいことも云うものだと思いながら、セレスティは少女の言葉を待った。
「そうね……」
 云って少女は笑った。
「ずっと思っていたわ。彼らの言葉を聞き続けて、人が生き続けていることは不思議なものだって。単純なようでいてそうじゃないと思っていたの。―――私、あなたが云うようにきっかけが欲しかったのね」
 その笑顔にはきっと何より太陽の光が似合うと思った。
「少し、お話しをしませんか?記事になるようなものでもいいわ。生きている人と話しがしてみたい」
「えぇ、君の時間が許す限り」
 笑う少女のあどけない笑顔はこの薄闇ではなく太陽の下にあるべきだと、無責任にも思う自分をそっと押し殺す。それは自分の言葉で教えるものではない。少女がこれから自ら望んで知るべきことだと思い、セレスティは少女が発する問いを待った。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
本当に小生意気で我儘な少女にお付き合い頂きありがとうございました。
少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。