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騒霊現象
職業は退魔師。
そういって社会に公認してもらうことは難しい。
インチキ霊能力者あつかいで済めば、まだマシな方だろう。
霊能力など医学的にも科学的にも認められていないのだ。まして、それを狩るなどといって信用してもらえるはずがなかろう。
当然の話だ。
水上操も、自分が退魔師であるなどと公言したことは一度もない。
黒髪黒瞳の少女は公的な立場は、都内にある小さな神社で働いている住み込みの巫女で、神主の厚意によって高校に通わせてもらっている、ごく普通の高校三年生だ。
世間一般にいう青春真っ盛りである。
が、
「戦いだけに明け暮れる青春もあるのよ‥‥」
げっそりと、溜息をつく操。
ホウキが規則的に動いている。
燦々と輝く夏の太陽。
「寂しい青春わねぇ〜〜」
「嘆きなさんな。そのうち良いことあるで」
主のぼやきに、ブレスレット状態の前鬼が応じる。
もちろん声は操にしか聞こえないので、端からみるとちょっぴりアブナイ人だ。
「そのうちっていつよ?」
「さあ。一日後か、一〇年後か」
笑いを含んだ思考は、左手の後鬼のものだ。
「むぅ」
操がむくれる。
こうしていると、本当に普通の娘と変わらない。
清楚な巫女服。
ふと、階段の方を見遣る。
中年男が、汗を拭き拭きこちらへ近づいてきていた。
「いらっしゃいませっ」
なんだかファーストフードの店員のような笑顔を浮かべる操。
平成不況は、神社にもけっこう深刻な影を落としているのである。
ポルターガイスト現象、騒霊現象などと呼ばれるもののほとんどは誤認や錯覚だ。
「不気味な音ってのの正体は、たいてい家鳴りだしね」
赤い袴のまま道を歩く操。
ちょっと勇気がいる恰好だが、べつに彼女はコスプレイヤーではなく、仕事なのだから仕方がないのだ。
つまり、退魔師として依頼を受けたわけではない、ということである。
仕事の内容は、新興住宅街で起こっているといわれる騒霊現象を何とかすること。
いわゆるひとつの、お祓い、だ。
じつは神社にとってバカにならない収入源である。
玉串料というのだが、これと初詣や夏祭りの賽銭をなくして神社の経営は語れない。さもしいというなかれ、生きていくということは、けっこう金がかかるのだ。
「いずれにしても、たぶん勘違いだとおもうんだけどね」
「勘違いならそっいてやればええやんか。わざわざ御祓いせんでも」
「なにいってんのよ前鬼。そんなことしたら玉串料がもらえないじゃない」
「いもせん霊をいるゆうて祓う振りをする‥‥詐欺やでそれ」
「べつに押し売りしてるわけじゃないわ。お祓いを要求したのは先方よ。そこんとこ間違えないでね」
「ここは操が正しいで、前の。気は心っちゅうやつや」
しゃあしゃあと、思考間での会話を繰り広げる。
とはいえ、人間心理というものは、だいたいはそういうものである。
この状況で「たぶんそれは錯覚か家鳴りでしょう」などと操が言っても、依頼主は信じない。安心させるためには、ある程度の縁起や演出も必要なのだ。
「人間は見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞かないからね。もちろん、私だって例外じゃない」
ごく単純な例を挙げれば、自分の恋人が心変わりをしたのではないか、と疑っている男がいるとする。その男に、友人が「そんなわけないだろ」といったところで信じない。たとえ事実だとしてもだ。
ところが、二人を別れさせたがっている人間が「お前の彼女はとっくにお前に飽きて、浮気してるさ」と吹き込めば、男は叫ぶだろう。
「やっぱり俺の思っていた通りだっ!」
と。
ようするに勘違いと思いこみを、いいように利用されているわけだ。
今回のことに敷衍して考えると依頼主は霊の存在を疑っていない。彼自身が、というより住宅街の住む人たちが、という方が近いかもしれない。
だからこそ、ちゃんとお祓いをしました、というポーズが必要なのだ。
ある意味で、非常に現実的である。
霊の仕業で片づけられるなら、その方が建設業者としては助かる。
欠陥住宅だということになれば、訴訟になる可能性だって高いし、もしそれで負けたりしたら何十億という賠償金を支払わなくてはならない。
だったら悪いのはすべて心霊ということにした方が良い。
「で、お祓いをしたからもう大丈夫ですよ、ってことで安心させるわけよ」
「でも欠陥住宅だったら、その後も怪現象は続くんやないか?」
「それは前鬼のいう通り」
「けどな、それでも心霊現象で押し通せば、仮に出ていくヤツがおったかて、建築会社はいっこも損をせぇへんやろ」
さすがは参謀役の後鬼。
世の中の仕組みというものをよく理解している。
本当に怖ろしいのは心霊などではない。
生きている、人間なのだ。
「‥‥しまったかも」
操が呟いた。
現場をとりあえず見せてもらい、いろいろと調べてゆくうち、彼女は自分の間違いに気づいた。
騒霊現象は、たしかにあったのだ。
だが、それは住人たちが考えているのとは、少し違う。
この住宅街は、かつて墓地だった場所に立っている、わけではない。
処刑場も屠殺所も、この場所にはなかった。
もちろん古戦場でもない。
地縛霊が出るようなポジションではないのだ。
にもかかわらず、
「妖気やな。住宅街全体から流れてるようや」
「さっきから探ってはおるけど、特定できへんな」
前鬼と後鬼の思念にも緊張の微粒子が含まれている。
「失敗したわね‥‥」
無念の臍をかむ操。
どうやら認識が甘かったようだ。
ここまで得体のしれない妖気が相手なら、もっとちゃんと準備をしてくるべきだった。
御神酒も祓い串も符も、必要最小限しか持ってきていない。
はたしてこれらだけで何とかなるだろうか?
「操は術式が苦手やしなぁ」
「うっさいわねぇ」
戦闘技能は高いのだが、封印や浄化などの術式は苦手な少女なのである。
「俺らも手ぇ貸すわ」
「お願いね」
こうして、住民たちが見守るなか、祭事が執り行われる。
しゃん、と、鈴が鳴る。
「ふるえ玉串、ふるふるとふるえ」
朗々と響く操の声。
両手には、前鬼し後鬼。
神道の儀式とは厳密には異なるが、じつはなりふり構っていられない。霊感のあるものには、操が押されているさまが、はっきりと見えるだろう。
「仰角三〇。二時半の方向」
「判った」
後鬼のアドバイスに応じ、操が前鬼を振るう。
両断される瘴気の塊。
この住宅街がすっぽりと霊的結界に包まれているようなものだ。むろんそんなものが自然に発生するはずもない。
「人間が作ったんだろうけどっ」
次々の結界の構成要素を斬ってゆく操。
「やっぱり、生きてる人間が一番怖いやんなぁ」
「愚痴らない愚痴らない」
玉の汗が、操の額から飛ぶ。
軽口を叩いているが、呪詛と呪詛返しの応酬が延々と繰り返されている。
むろん住民たちには見えない、見せてもいけない。
もう慣れた、孤独な戦いだ。
やがて、
「よっしゃっ」
前鬼が、結界の最後の柱を打ち砕いた。
霧が晴れるように瘴気が消えてゆく。
ざわめく住民。霊感がなくても逼塞感が消えたのは判るだろう。
午後の太陽。
日差しが、やたらと爽やかだった。
エピローグ
ぼーっとしながら、広い庭を掃く少女。
「考え事やん?」
右のブレスレットから思考が届く。
「ん、ちょっとね」
「こないだのことか?」
「ん。だれが、あの結界を張ったのかと思ってね」
それを考えれば、単純に解決を喜べない操だった。
きちんと報酬をもらっていても。
「ちょっと陰陽かじっただけのアホが、遊びでかけたんちゃうかな」
けっこう気楽な前鬼の思念。
「そうね‥‥そうだと良いんだけど‥‥」
軽く頷く操。
だが、黒い瞳に浮かんでいるのは、納得の光ではなかった。
さわさわと、風がそよいでいる。
おわり
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