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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


聖家族



オープニング


小さな掌が、大事にくるんでいたたくさんの小銭達を机の上にそっと置いて、不安げに揺れる目で見上げられながら「足りませんか?」と聞かれた瞬間、零は耐えきれず目頭をハンカチで抑えた。
「おこづかいと、お年玉の残りと、あと、お手伝いした時にもらったお駄賃も一緒に持って来たんです」
武彦は小さな依頼人に、いつもの少し憮然とした顔つきで「足りないね」とにべもなく答える。
「大体、ウチは興信所であって、医者ではない。 無理だね」
冷たい言葉。
その言葉に、武彦の前に座る、坊主頭の子供の目からポタポタと涙が零れ落ちた。
「お…お、お願いします。 ば……ばぁちゃん…ずっと、俺の事、一人で育ててくれたから……、俺…どうしたら……いいか…」
そのまま、グシグシと泣き崩れる姿に、零は手を伸ばし、その小さな頭を胸に抱え込む。
「そうよね。 お婆ちゃんいなくなったら、独りぼっちになっちゃうものね……」
依頼に来たこの子の名前は、健司。
まだ、小学生だという。
両親が早くに死に別れ、祖母の手によって育てられたそうだ。
だが、その祖母も、かなりの高齢でこの夏、とうとう倒れてしまったらしい。
その間、健司は一人で家の中の事を切り盛りし、祖母の世話をし、学校にも通った。
だが、そんな健司の懸命な看病にも関わらず、医者の話では、祖母はこの夏一杯の命と考えた方が良いらしい。
「お、お婆ちゃんの事助けて下さい…。 何でもします。 お、俺、何でも…何でもします…」
彼は、この興信所が、不思議な事件ばかりを解決してきているという噂を聞き、藁をも掴む思いで尋ねてきた。
「お婆ちゃんの命…助けて下さい」
しかし、武彦は首を振り、諭すような調子で言う。
「決められた命の長さを、人の手では左右できない。 例え出来てもしてはならない。 お前の婆ちゃんは、立派に生きて、やっとお役ご免の時がきたんだ。 お前は、今、婆ちゃんが生きてる内に、もう一人で立派に生きてけるって見せて、安心してあの世へ行かせてやらなきゃ駄目だ。 有りもしない、命を永らえる方法を探すより、そっちの方がずっと大事なんだ」
武彦の言葉に、健司は首をブンブンと振る。
「ひ……一人で、なんて、無理です。 だって、だって、俺、ずっと婆ちゃんと一緒に……一緒に……」
そんな健司を見て、零は、沈痛な面もちで口を開く。
「一人でなんて、無理よね。 一人は、寂しいものね。 でもね、兄さんの言う通り、無理なの。 お婆ちゃんを助ける事はね、どうしても無理なの」
その言葉に、零と武彦、交互に視線を送った健司は、「う……うぅ…」と嗚咽を漏らしながら立ち上がり「分かったよ! もう、頼まないよ!」と叫ぶと興信所から走り出ていった。
零は、その背中に「あ!」と声を掛けて手を伸ばす。
そして項垂れると、「…どうしよう」と呟いた。
そんな零に、見透かすような視線を送りながら武彦は口を開く。
「あーあー、困ったなぁ」
「え?」
驚いたように顔を上げる零。
「あいつ、金置いてっちゃったな」
そう言いながら、ヒラヒラと一枚の紙を見せる。
「これ、健司が書いてくれた連絡先と住所。 んで、忘れ物の金」
「……え?」
「届けてくれるか?」
そう首を傾げられて、零は勢い良く頷く。
すると武彦は、少し笑って、「ホイ」と紙を渡してきた。
健司の家は、下町にある、古く、今にも倒れそうな姿をしていた。
零が、そっと中を覗き込めば、開け放した畳の部屋は、荒れ放題の様相を呈している。
どれ程頑張ろうとも、小学生一人では手入れが怠ってしまうに違いない。
祖母の世話だって、大変な筈だ。
ご飯はどうしているのだろう?
そう考え出すと、もう、駄目だった。
零は、トントンとドアをノックしながら決意する。
「お節介だって言われようと、私、この一夏、この家の家事を手伝ってあげよう」と。





本編



病床のお年寄りというのは…何というか、もっとか弱いイメージがあった。
それも、命の刻限が近いと聞いていれば、尚更だ。
例え、それがエマの勝手な想像にせよ、世間一般の人々が「病床の老人」というキーワードから受ける印象は、一緒の筈で、何ら特別な事でもないと思う。

「そこの隅。 まだ、埃が残ってる。 あとね、もうじき健司帰ってくるから、あの日和って子が持ってきてくれた冷蔵庫に入ってるアイス出してやって。 あんたも、暑いだろ? 食べた方がいいね。 それからね…」

布団から、今にも起きあがりそうな素振りを見せつつ、健司の祖母・志之が止め処ない注文を発してくる。
ていうか、既に、起きあがろうとして、青くなった零に止められていた。
「志之さん元気ねぇ」
エマは呆れた声で言いつつ、言われたとおりに、埃を箒で掃く。
庭では、「諏訪海月だ」とたった一言だけで自己紹介してくれた、銀の長髪を後ろで括りタオルを頭に巻いた青年が黙々と、生い茂った雑草をむしっており、物腰は柔らか、いつも高価で、小綺麗な格好をしておれど、どっこい家なし、現在ある廃屋で生活中シオン・レ・ハイが、相変わらず人の良さそうな様子で、雨漏りが酷いと聞かされた屋根の修繕を行っている。
トントントンと、小気味良いリズムで響くトンカチを打つ音に耳を傾けながら、確かにそろそろ休憩し時かもしれないと、エマは考えた。
海月も、シオンも、この暑さの中、炎天下で仕事していたんじゃへばるだろう。
かくいうエマも、額に浮き出ている汗を、タオルで拭いつつ「暑いねぇ? 志之さん。 志之さんもアイス食べよっか?」と笑いかける。
志之は、「やだよ。 歯が浮いちまうよ。 ま、入れ歯なんだけどさ」とうそぶき、カカカと笑うと、「あ! そういやね、お風呂も掃除して欲しいんだけど…」と新たな注文をつけてきた。


興信所にて武彦から零不在の訳を聞いた時、エマは唯、様子を覗きに行くだけのつもりだった。
その際、少し手伝える事は、手伝うが、だからといってどっぷり、この家に入り込む気はなかったのだ。
悲しい場面を、目の当たりにする可能性が高い事も、エマが関わりたくないと思った原因ではあるが、他にも翻訳や、公には出来ないゴーストライターの仕事の締め切りだって、迫ってきている。
他人事にかかずらってる暇はない。
そう思ってはいたのだが……。


「あの様子を見ちゃぁねぇ…」
溜息混じりに呟きながら、台所へと向かう。
ギシギシと軋む木の廊下を、素足でペタペタと歩くと冷たさが心地よくてエマは目を細める。
ここも、最初訪れた時は、素足で歩けば足の裏が真っ黒になってしまいそうな状態だった。
古すぎて、ボコボコと穴の空いた廊下も、気を付けなければ大けがを負ってしまいそうな状態だったし、何よりゴミ箱に積み上げられていた、カップラーメンや、レトルト食品の山がエマに、志之と健司の面倒を見ようと決心させた。
志之には、健司が毎日お粥を食べさせていたというが、それだけでは栄養分が余りにも不足している。
それに、伸び盛り、食べ盛りの子供が、あんなインスタント食ばかり食べて過ごすだなんて、考えたくもなかった。
幸い、エマや零だけでなく、先程のシオンや、海月の他に7名程この家に、手伝いの為に顔出ししてくれている。
力仕事や、雑事、家の掃除など精力的にこなし、エマ達がこの家に来てから、見違える程、この家は奇麗になった。
「たっだいまぁ!」
明るい声が、玄関から響いてきた。
鬼丸鵺の声だ。
パタパタと、走り玄関へと出迎える。
「お帰り。 おつかい。 ご苦労様。 暑かったでしょ?」
笑いながらそう言えば、相変わらずの整った顔に満面の笑みを浮かべ、「ほーんと、溶けちゃうかと思った!」と言いつつ、「ね? 健司!」と隣りに立つ、健司に笑いかけた。
銀色のシャギーの入った髪がサラリと揺れるのを、ぼんやりと見上げていた健司が、慌ててコクンと頷く。
「でもさ、鵺ってば、寄り道ばっかしだし、いらないモン買おうとするし、何頼まれてるか忘れるし、お前、ほんと年上かよー?」
健司がニカッと、歯を剥き出しにして笑いながら言えば、「ナーマーイーキー」と言い、グリグリと健司の坊主頭を鵺が抑え付ける。
それから「エマさん。 ホイ! 頼まれてたの!」と言いつつビニール袋を差し出してきた。
中には、泊まり込みで健司達の世話に来てくれている ほわわんとした優しい空気を持つ女性、暁水命が腕を奮ってくれるという料理の材料が詰まっていた。
エマも、一品ちょっと添えようかと考えている煮物や和え物の材料を頼んであり、鵺の細腕にはなかなか辛そうで、慌ててビニール袋を受け取る。
「あの、色々スイマセン」
健司が、頭を下げてくるのを、エマは目を見開いて見つめ、それから「子供が、大人に遠慮なんてしなていいの」と優しい声で告げると「さ! アイス冷えてるから、みんなで休憩しよ?」と笑いかけた。


古い家らしく、台所と畳の居間が襖と段差だけで区切られており、開け放って風を通しがてら皆で集まれるようにする。
家自体は広く、部屋数も二人で住むには充分すぎる程ある家なので、泊まり込みで来てくれている人達も銘々の部屋があてがわれていた。
と、いっても、水命などは心配だからって事で志之の隣で布団を敷いて寝ているし、小学生ながらも驚くべき程大人びている飛鷹いずみや鵺等は泊まりにきた時は健司と一緒に並んで寝ているようで、それぞれの部屋などあってなきが如しのようだった。
レッスンの合間を縫って来てくれている、プロのチェリストの卵、初瀬日和が、ここに来がてら差し入れとして買ってきてくれたアイスを振る舞う。
「どれにします?」
そう言いながらアイス達が入ったビニール袋を広げて見せる初瀬に「ありがと」と御礼を言いつつ「じゃ、私はこの、苺アイス貰うね。 それから、こっちのバニラアイスいいかな?」とエマは首を傾げた。
「いいですけど、二個も食べるとお腹壊しますよ?」
心配げに言われ、エマは苦笑を浮かべる。
「や。 志之さんにもね、暑いから、こういうの美味しいんじゃないかなと思って。 バニラだったら、食べやすいだろうし」
そう言うと、エマの近くで、ソーダアイスを舐め始めていた水命が立ち上がり「志之さんにアイスお給仕するんでしたら、私もお手伝いします」と言う。
初瀬もニコリと笑って「そうですね。 冷たいもの少しでも召し上がりになれば、少しは涼しくなれますから」と言うと、ゴソゴソとバニラのカップアイスを差し出した。
エマと水命は台所からスプーンを借りると、志之のいる部屋へと向かう。


ひんやりとした空気漂う廊下を並んで歩いた。


「水命ちゃんは、泊まり込んでくれてるのよね? 学校とか、ご家族の方とか大丈夫なの?」
エマが問えば、水命は見てるこっちが幸せな気分になるような笑みを浮かべて頷く。
「全然平気です。 親元を離れて下宿してる身ですし、その下宿先の方々にも伝えてあるので…」
「どうして、そこまで健司君達の為に頑張るの?」
エマは、水命の献身さに純粋に興味を抱いて聞けば、水命は笑顔のまま問い返した。
「じゃあ、エマさんは、何で、健司君達の為に毎日のように、ここに来ているんですか?」
エマは、答えられず、それから、フッと微笑む。
「ま、いいやね。 そんな事は」
そう言えば、水命も頷いて「そうですよ。 いいんです。 そんな事は」と答えた。


 
「歯が浮くから良いつったのに…」
そう文句を言う志之を「ハイハイ」と言いながら肩を支え、志之が身を起こすのを手伝う。
「でもね、冷たくて美味しいんですよ?」
そう言って、スプーンでアイスを掬い、志之の口元に水命が近づければ、渋々と言った感じで口を開いた。
どれだけ憎まれ口を叩き、どれだけしっかりしてるように見えても、志之は老いた人間だった。
痩せ衰えた、軽いからだ。
細い骨の感触。
エマが、ギュッと抱き締めれば折れてしまいそうな、そんな体つきに、不安を覚えて、尚一層柔らかい手付きで志之を支える。
銀色のスプーンから、真っ白なバニラアイスを一口ツルリと呑み込むと、志之は目を細めて「ああ。 スゥっとする。 美味しいねぇ、確かに」と呟いた。
エマは、主に志之の身の回りの世話を重点的に行っており、水命も志之の話し相手になっていたのだが、病床にいる筈の志之は二人が驚く程にかくしゃくとしていた。
動かないのは身体だけと言って、口と手を大いに動かし、家の中の事や世間の事、健司の事を話し続ける。
エマは、まるで口うるさい姑にこき使われているような気分になりつつも、何処か楽しかったし、水命も自分の祖母に対するように志之に懐き、世話をしていた。

だが、死に逝く人だ。

エマは、自分に言い聞かせる。
この人は、死に逝く人だ。
余りに親しくなりすぎては駄目だ。
老いた、軽い体を抱えて自分に言い聞かせる。
余りに、親しくなりすぎては、その死は屹度悲しすぎる。
だって、今でさえ胸が痛い。


この人の軽さが、こんなに心に重い。


結局、志之は、アイスを三口ばかり食べただけで、あとは全て残した。
水命が、アイスを片付けながら俯く。
「…何か…」
「ん?」
「切ないですね」
「そうね」
エマは、静かに答えた。
「老いるって事は、そういう事よ」


屋根はあらかた直ったらしい。
シオンが嬉しげに、「廊下の修繕も、殆ど終わりましたし、今度は雨どいでも直そうかと考えてるんです」と言いながら、演劇用語で言う所のガチ袋(トンカチや、釘など、大道具やセット作成の為の道具が入っている袋のこと)を下げ、庭を歩き回る。
その後ろを、またゾロゾロと健司と鵺、それにいずみがついて回っていた。
「何か、カルガモの親子みたい」
そう思えど、口にせぬまま、見送る。
「じゃ、いずみと健司で、渡しが打つとこ抑えて、鵺は私に道具を渡して下さい」
子供にも敬語のシオンの言葉に、真剣な表情で頷く三人
(かーわーいーいー)
その姿に思わず口元を緩めて、エマは台所へ向かう。
何だか、大家族みたいで楽しい。
健司の表情も、来た当初より、ずっと余裕のある、子供らしい柔らかさを取り戻していて、その事にとても安堵する。
水命と初瀬が並んで野菜の皮を剥いていたので、エマも隣りに立って、夕食に出す予定の煮っ転がしに使う里芋の皮を剥き始めた。
「健司君、嫌いな物ないですよね」
そう言いながら、水命が奇麗な手付きで皮を剥いているのを感嘆したような気持ちで眺め、エマも負けず劣らずの手付きで、里芋の面を取る。
「嫌いでも、食べさせなきゃ。 大きくなってから、たくさん偏食のある人ってみっともないわよ? それに、栄養のあるものは、今の時期なんでも食べた方がいいの」
エマの言葉に、水命も頷いた。
「そうですね。 とにかく、お野菜だけは、ちゃんと食べなきゃ。 健司君に聞いたけど、志之さんが倒れてから酷い食生活を送ってたみたいだし、うんと、栄養があるものを食べて貰いたいんです」
初瀬も、二人の言葉に同意する。
「過剰な同情というのは、軽蔑にしかならないとは悟っているんだけど、初めてここに来た日、外で鵺さんやいずみちゃん達と水着で水浴びして遊んでいる時にね、健司君が凄く痩せてる事に気付いたら、なんだか、こう…凄く悲しい気分になっちゃって。 その後、家に帰ってチェロのレッスンをしていても、気になって気になって仕方ないんです。 で、結局、こうやって暇を見付けては通っちゃってるんですけど……」
ペロリと舌を出して、そう言う初瀬に、水命は「でも、初瀬さんが来て下さって本当に助かってます。 零さんも、私も……」と言えば、エマも「私もね」と言って、笑った。
そんな三人の背後に、ハタキを持った零がパタパタと現れ、期待に満ちた声で尋ねてくる。
「わ! 今日の夕食はなんですか?」
零に、水命が「今日は、エマさんの絶品煮っ転がしに、私と初瀬さん合作の蛸飯と、茶碗蒸し。 それからキュウリの酢の物です。 お婆さんには、蛸飯の代わりに茶粥を持っていこうかと考えてるんですけど…」答えれば、「きゃぁv」と嬉しげな歓声があがる。
振り向けば、エマと読書の話なんかも合う、日本美人の雨柳凪砂が、「今日和!」と言いながら、紙袋を掲げてみせた。
「あら? 凪砂ちゃん?」
突然の訪問者に驚いたエマは、里芋を一旦流しの中へと置き、凪砂の側に寄る。
「どうしたの? 武彦さんから、ここの事聞いたの?」
エマの問いに、凪砂は頷いた。
「私にとっても他人事じゃないって感じのお話だし、少しでもお手伝い出来ればと思って……、あ、それで、玄関で、零ちゃんに会って…」
その言葉を次いで、零が口を開く。
「で、お土産をお持ちだという事で、とりあえず此方へご案内したんです」
「この時期だし、冷蔵庫入れた方が良いかな?って、思いますしね」
そう言いながら、差し出した紙袋の中には、東京銘菓の「ひよこ」と「鳩サブレー」が入っていた。
「沖縄土産ですv」
凪砂の言葉に、「うあ」と呻くエマ。
「わぁ! 私、コレ、東京駅でも見掛けた事ありますよー? 凄い! 『ひよこ』や『鳩サブレー』って、沖縄のお菓子だったんですね!」
そう驚く水命に、初瀬が何度も頷いて、「私、東京タワーで見ました。 へー、沖縄の銘菓だったなんて知らなかった」と納得している。
零がとどめとばかりに頬を染めながら「恥ずかしい…。 私も、東京のお菓子だと思ってました。 ずっと、こちらでの暮らし、長いのに…」と呟いた。

(駄目だ。 この人達)

内心がくりと項垂れ、とりあえず「や、まごう事なき東京銘菓だし…」突っ込んだ後、「何故に、沖縄で、ひよこ? そして、鳩サブレー?」と問い掛けた。
「えー? 美味しいですよ? ひよこ」
「あー、うん、美味しいわ。 それは知ってる。 結構美味しい、ひよこは」
エマが、頷けばポンと手を合わせて「だったらいいじゃないですかー」と、凪砂は明るく結論を付けた。
「や、でも、ね? 沖縄土産って言って…」
そう言葉を続けようとするエマに気付かず「良かったぁ。 やっぱり、東京のお菓子でしたね。 ひよこと、鳩サブレー」と水命が喜び、初瀬が「うん。 何か、記憶違いだったのかな? って、不安になってたけど合ってたねぇ」と、嬉しげに言う。
零も、ホッと胸を撫で下ろしており、その時点で何か言う事を諦めたエマは、冷蔵庫を指差し、「悪くならないように、ソコ入れといて。 あと、健司君は、庭、健司君のお婆ちゃんの志之さんは、寝室にいるから…」とそこまで言って、手を台所で洗い、「えーと、志之さんとこから最初、挨拶行こう。 この家、広いし、案内するから私も、一緒に行っていい?」と言う。
凪砂は、頷いて「私もエマさんも加えて、お婆さんにお聞きしたい事あったので、どうぞお願いします」と答える。
「あ、じゃあ、里芋、こっちで剥いておきますね?」
そう初瀬に言われて「頼むわ」と手を合わせると、エマは凪砂と連れだって、家の奥、志之の寝室へと向かった。


志之の寝室には、鬼丸鵺の護衛兼家庭教師(後ほど、知るが、鵺の婚約者でもあるらしい)魏幇禍がいた。
団扇で、眠る志之の事を仰ぎながら、真夏にも関わらず、相変わらずの眼帯・スーツ姿で、銀メッシュの黒髪が掛かる整った横顔を此方に見せている。
「幇禍さん?」
エマが、志之を起こさぬよう、静かにそう声を掛ければ、別段驚いた様子もなく、此方を見上げ、そして凪砂の姿を見留めて軽く頭を下げた。
「初めまして」
幇禍の言葉に、凪砂も、慌てて頭を下げながら「初めまして」と答える。
「あ、あの、私…」
「雨柳凪砂さん…ですよね? 武彦から聞いてます。 健司君のご家族に関しての調査依頼をなされたそうで。 俺は、魏幇禍という者です。 また、後で会うと思うんですけど、銀髪の、ちょっとここ最近では見た事もない位っていうか、ぶっちゃけ世界一? うん、世界一でいいよ!って位可愛いお嬢さんの家庭教師兼(フフと、微笑む)婚約者なんですけど…、まぁ、鵺お嬢さんといったらとっても、お茶目な一面も…」
滔々と何故か鵺の可愛さについて語り続ける幇禍の目の前にヒラヒラと手をかざし、その台詞を途中で遮るエマ。
「幇禍さん? 幇禍さーん? あのね、今、聞きたいのは、惚気っていうか、鵺ちゃんのお話じゃなくて、そしてお茶目って言い回しはとっても古いな…って事でもなくて、どうして貴方がここに来ているかっって事なんだけど?」
冷静な声音で言えば、ハタと気付いたように、顔をエマに向けた。
「あ! あー、あ、そうでした。 えーと、俺はですね、前から友人だったらしい健司君の話を鵺お嬢さんから聞いてまして、で、お嬢さんが此方の家にお手伝いに来ると言っていましたから、是非! 俺は、是非、そのお供をして、この家のお手伝いをしたいっつうか、ぶっちゃけ、鵺お嬢さんと一緒にいたかったんですけど……」
本音をさらけ出し過ぎながら喋る幇禍に頭痛を感じつつ、辛抱強く話を聞くエマ。
「けど……ふふふ…何ででしょうね…。 なんか、『幇禍君、来るとなんか騒動起きてめんどくさいから、今回は別行動ね!』って言われちゃってというか、この台詞の中で、最も注目しどころ、及び俺の心の傷付けどころは『めんどくさい』ってとこなんですけど…、どうですかねぇ? 俺って、面倒臭い男ですかねぇ…」
幇禍の言葉に、「いや、そんな事相談されても。 っていうか、正直どうでもいいし」と言いかけて、凪砂に先越される。
「面倒臭いっていうか…うーん、うっとうしいというのは、あるかもしれませんね!」
朗らかな声でそう言われて、一層落ち込む幇禍に「で、鵺ちゃんと別行動の貴方は、武彦さんに何聞いてきたの?」と、気を取りなすように聞けば、幇禍は暗い表情のまま顔をあげて「…とにかく、鵺お嬢さんとは別行動ながらも、色々気になった事があって、武彦に話を聞きに行ったんです。 志之さんが亡くなってからの、親権の事とかね」
そこまで言うと、凪砂も頷く。
「私も、それが気になって…。 志之さんが亡くなられた後、どなたが健司君の面倒を見るのかとか、考え出すと、不安になって、草間さんに調査依頼をしたんです。 本当に、ご親族の方がいらっしゃらないのかという事をですけどね」
「調査依頼……?」
「だって、ご費用とか、掛かりますし、草間さんにただ働きをさせる訳にもいきませんから…」
そう答える凪砂に、エマは思わず「それは、どうも有り難う御座います」と興信所職員の立場からの御礼を述べた。
「でも、まぁ、確かに、健司君の将来の事も、考えていかないと…」と呟くと、「あんた達に、そんな心配して貰わなくとも、大丈夫だよ」と、突如志之がはっきりとした声で告げた。
「っ! 志之さん?」
目を見開き、志之に目を向ければ、ぱちりと目を見開き、寝たまま此方に視線を向けている。
「健司にはね、あたしが死んだら降りる筈の保険金と、この家、それに少々の貯金があるんだ。 まぁ、遺産税し払っちまったら、保険金やらなんざ、殆ど残らないだろうが、そん時は、この家を売ればいいさ」
志之は気にしていないようだが、エマは、病人の枕元で、その病人の「死」を前提に語り合っていたという、自分の不謹慎さと、不用意さに顔を伏せる。
同じ様な気持ちなのだろう。
幇禍と、凪砂もきまずげな顔を見せていた。
「…うるさくして、起こしちゃったね」
エマがそう言えば、「ふん」と鼻を鳴らし「あたしの事は気にせず、喋っておくれ。 何にしたって、いつかは決めにゃならん問題達だ。 しかも、あたしには、そう時間がない」と、何でもないことのように言う。
すると幇禍が、志之の言葉通り、それ程気負いのない様子で尋ねた。
「家売るって、アテはあるんですか?」



幇禍の様子を眺め、エマは、自分の惰弱な気持ちを叱咤する。
そうだ、覚悟を決めなきゃ。
志之の言う通り、ちゃんと話をしなきゃ。
関わった以上、私はこの人を最後まで面倒を見なければならない。
その為にも、話は必要なんだ。
エマは、出来るだけ、志之の先に待ち受ける、死という事柄を、余り心情的に捉えないように努力し、耳を澄ました。


「ああ。 まぁ、こんな家でも、一応は都内だからね。 広さだけはあるし、欲しいっつう人もいるんだ」
志之の言葉に、エマは少し、目を細める。
(この家、なくなっちゃったら、屹度健司君淋しいわね。 お婆ちゃんとの思い出のお家だもの)
そう考えていると、凪砂が志之にようやく挨拶する声が聞こえてきた。
「あの、初めまして。 雨柳凪砂といいます」
「はいな。 私は、立花志之。 あんたも、興信所さんに聞いて、手伝いに来てくれたのかい?」
志之が、そう問えば、凪砂はコクリと頷き、それからはっきりとした声で言葉を続けた。
「はい。 あと、お節介かとは思いましたが、志之さんが受けられる保険や福祉に関して、ちょっと調べたいと思い、お話を伺いたいと考えております。」
「調べる? そりゃ、また、大層な……あたしゃ、難しい話、苦手だよ」
「いえ。 ちょっと、幾つかのご質問に答えて頂くだけです。 あとは、雨柳家の顧問弁護士に調べて貰いますから…」
流石、お嬢様…と、思わず拍手したくなるような台詞をかましつつも、凪砂にとっては、とりたてて強調するような事ではないのだろう。
「それに、入院費用に関しても、ケースワーカーさんに相談して控除出来るものは、控除して貰わなきゃだし……」
と、あっさり次の話題へと移行する。
凪砂の言葉に、エマは「沖縄土産に、東京銘菓を買ってくるような子だけど、しっかりはしてるのよね」と、感心しつつ、「そうね。 志之さんが、現在自宅療養をしていたとしても、その前に支払っている入院費用については、きちんと手続きをすれば、ある程度返還を求める事が出来る筈よ。 それに、お婆ちゃんが、健司君に遺産を残す為の法的な手続きだったら、私の知人に頼れない事もないし……」と、そこまで提案して、「ハイ」と幇禍が手をあげた。
「そういう遺産相続等の、面倒な手続きは、俺に任せて貰えませんか?」
旦那様のお手伝いで、色々理解してますし……と言われ、「じゃあ…」と頷くエマ。
「志之さん? 良いかな。 他人の私達が、あれこれ手や口出して」
そう聞けば「構わないよ。 健司の為になる事ならね。 それに、難しい話を他の人が面倒見てくれるっていうなら、願ったりかなったりさ」と志之が答え、微かに幇禍に頭を下げた。
「…どうぞ、宜しくお願いします」
志之の言葉に、幇禍は神妙な表情で答える。
「任せて下さい。 俺に出来る限りの事は、させて貰います」
そして、ツイと立ち上がると、幇禍はエマを手招きする。
凪砂は、志之と保険や福祉に関する質問をし始めているらしい。
ここは、凪砂に任せようと、呼ばれるままに幇禍の後に着いていった。


「何?」
広い屋敷の、玄関近く。
騒がしい蝉の声を聞きながら腕を組み、エマは幇禍に尋ねる。
「相談ごと?」
そう首を傾げれば、幇禍は少し困ったように眉を下げて答えた。
「ちょっと、相談っていうか…聞いて欲しいんですけど、良いですか?」
幇禍に問われて頷くエマ。
壁に背中を凭れさせ、聞く体制を整える。
幇禍が、迷いながらも漸く口を開いた。
「今回、健司君にはお嬢さんの友達って事で、俺、出来る限りの事はしようって、マジで考えてて…」
「うん」
「で……、こんな状況に陥っているのに、何の手助けもしなかった親戚連中なんか信用出来ないって考えて…」
「うん」
「勝手ながら、里親探しを、旦那様の有り得ないっていうか、気色悪い位広がっちゃってる交友関係からあたって、健司君の里親に相応しい人を捜そうと考えていて…」
「うん」
エマは、そこまで頷いて「で?」と見上げれば、困った表情のまま幇禍は、どう思います?
と問うてきた。
「ん? 何が?」
エマが不思議そうに問い返せば、「さっき、エマさんが『他人の私達が、あれこれ手や口出して』て言った時に、そういやそうだなって…。 俺、色々勝手に盛り上がってないかなって…」と、幇禍は答える。
エマは、少し頭を掻き、それからまた腕を組むと、背の高い幇禍の小さな顔を見上げた。
「つまり、自分のやってる事は、独りよがりの行動じゃないかって、不安になった訳ね?」
幇禍が、コクリと頷く。
エマは、どうしたものかなぁ…と、頭を掻きつつ、それでも自分なりに感じていることを口にした。
「…それ、言ったらさ……私達がさ、今この家でやってる事って、ぜぇぇんぶ、勝手に盛り上がってやってる事だよね?」
エマの言葉に、幇禍は、言葉無く立つ。
「ご飯のお世話も、掃除も、修繕も、何もかも、皆が、自分で考えて、自分で行動している。 これってさ、ぜーんぶ、独りよがりの行動って事になっちゃうよね?」
幇禍は、静かにエマを見下ろし続けた。
「でも……さ、私は信じてるのよね。 今、私達がやってる事は、志之さんの為にも健司君の為にもなってるって。 凪砂ちゃんが、自腹切ってまで武彦さんに依頼したり、鵺ちゃんが健司君元気付ける為にお手伝い兼遊びに来てくれたり、他にも色んな人達が泊まり込みで志之さんの介護したり、家事やったり、色々…ね? そういうのってさ、優しい事だと思うの。 凄く優しい事。 所詮、人は自己満足のためにしか、動けない生き物なのだから、誰かの為にと思って動く自己満足の行動は、本当に誰かの為になっていると自分が信じれれば良いの。 間違っていたら、こんだけ人がいるんだもの。 誰かが正してくれるわよ。 幇禍さんがさ、心から健司君の為に動いていると思えるのならそれで良いじゃない、ね?」
そう笑うと、「さ! 煮っ転がしの続き作らなきゃ!」と、踵を返す。
何だか、年上に対し、格好良いことを言い過ぎたような気がして、恥ずかしい気分になった。
そんなエマの後ろ姿に、幇禍が声を掛けた。
「エマさん」
「んー?」
「草間の野郎は、幸せモンですね」
エマは、クルンと振り返り胸を張って「まぁね!」と答える。
その視線の先の幇禍の笑顔が、何かを吹っ切ったように見えて、エマも嬉しくなり、笑顔を浮かべると、パタパタと、蛸飯のいい匂いが漂い始めた台所へと急いだ。



さて、健司の家からの帰り道。
エマが、立花家に通い出してからの毎日の恒例となっている、興信所への報告へと向かう。いつもは、エマ一人で報告に行っているのだが、今日は、里親捜しについての相談があるらしく、幇禍と凪砂もついてきていた。
「毎日ね、報告に行っているのよ? なんだかんだ言って健司君の事、気になってるみたいだから」と言えば、凪砂も、幇禍も声を揃えて「「素直じゃないですね」」と言い、笑う。
「草間は、自分で見にいきゃあ、いいのに」
「でも、そういう所が、らしいのかも」
「ていうかね、面倒臭いのよ。 色々ね」
三人そう語り合っている最中に、武彦が興信所で、小さなくしゃみをした事は、このお喋りと関係あるかどうかは、分からない。


「今日はね、蛸飯と茶碗蒸し、それにキュウリの酢の物をご馳走になったの」
「ふーん…」
机前の椅子にふんぞり返って座り、気のない返事を返す武彦。
「物凄く美味しくってね、茶碗蒸しがとろけるみたいで、私、特別のレシピ教わったからまた作ってあげるね。 それでね、健司君ったら、ご飯三杯もお代わりしてね、志之さんには、茶粥と私のお手製の煮っ転がしを持っていってお世話したんだけど、それも、残さず平らげて下さったのよ」
「へぇ…」
「健司君ってば最初の頃は、態度固かったのに、鵺ちゃんやシオンさん達のおかげね。 すっかり、子供らしい表情を取り戻して…」 
「ほぉ……」
爪の辺りを弄りながら、グルグルと座っている椅子を左右に回す武彦。
バレバレな程に、気になっている自分を必死になって隠しているのが分かって楽しい。
他の二人も、「くくく」と笑いを堪えている。
「志之さんもね、最初、遠慮してたっぽいんだけど、今じゃぁ、すっかり、コキ使ってくるのよ? 私ってば最早、立花家内部に関しては、知らぬ事はないわね。 隅から、隅まで掃除させて貰いましたから 」
「それは、それは……」
「…武彦さんは、来ないの? 零ちゃんも、頑張ってるわよ?」
「俺はね、ただ働きはしないの。 それに、凪砂から頼まれた仕事もあるしな」
武彦の言葉に、凪砂が座っていたソファーから身を乗り出した。
「で? どんな感じです。 健司君の、御親類など、本当にいらっしゃらないのでしょうか?」
武彦が、呆れたように首を振る。
「お前ね、今日依頼貰ってすぐには分かんねぇよ。 もうちょっと、時間をくれ」
その答えに不満げに口を尖らせる凪砂。
次いで幇禍が、「あ、それに関しては、ちょっと俺も話がある」と、ひらひらと気のない様子で手をあげた。
「その、親類捜しっていうか、まぁ、健司君が志之さん死後、どなたに面倒みて貰うかっていう調査に一枚噛ませてくれ。 金は別にいい。 個人的に、鵺お嬢さんが仲良くしてる子の話だから、手助けしたい」
幇禍の言葉に、目を剥く武彦。
「お前が、人助けとは、恐れ入るぜ。 真夏に雪でも降んじゃねぇか?」
「ははは、武彦君。 俺が、いつまでもそのような極悪非道キャラに甘んじる人間だと思うなよっていうか、それ位の血と涙と慈悲はある!」
力強く、答える幇禍の気を削ぐように、凪砂が「そういえば…」と問い掛けた。
「あの、『下町人情トラック野郎外伝〜ガキ連れ旅情旅〜』は面白かったですか?」
凪砂の問いに、ブンブンと首を振る幇禍。
「やぁ、もう、泣けるんですよ! マジで。 見た方が良い。 日本人なら見た方が良い! 山田和次監督最高! 『下町人情トラック野郎〜第三章〜 小町娘恋慕』も絶対見ます!」
そう感極まったように言う幇禍の様子を見て、全てを悟る興信所内の人間達。
(わぁ、なんて、影響を受けやすい人なんだ)
そう思いつつ遠い目をすれば、凪砂も遠い目のまま「鵺さんに聞いたんですよ。 何か、幇禍さんが、今、下町人情映画にはまってて、実は健司君の家にお手伝いに行こうって最初提案したのも、幇禍さんだそうですよ」と、小さく呟く。
「でね、主人公の寅介がね、その子供の母親を探す為にね…!」
何だか力説している幇禍を見ながら深々と溜息をつくと、エマは「じゃ、明日も来るわね?」と手を振って、一足先に興信所を後にした。 


それから数日後。


基本的に、毎日、顔を出しているエマ。
その日は、仕事の関係で遅くなり、夕方頃に志之と健司の家を訪ねる。
その代わり、今日はかなり夜遅くまで付き合える筈だった。
手には、昨日シオンに強請られたスイカと大量の花火。
「健司君達とスイカを食べて、花火をしてみたいんです」
42歳にして必殺技ともいうべき、子犬のような目で見つめられ、思わず重いスイカとたくさんの花火を買って向かう自分は、どうなのだろう…。
そう、深く考えてみるも、追い詰めると悲しい気分になりそうなので止めておく。
「くぅ! 武彦さんといい、シオンさんといい、どうして男ってある程度の年齢を経ると、愛嬌まで身につけてしまうのかしら! 女へのおねだりの仕方が巧すぎよ! ていうか、ていうか、シオンさんは、ホームレスしてる位なら、ヒモになればいい! 才能、あるから!」
そう愚痴りつつ、スイカを抱え直すエマ。
汗がダラダラと首筋を伝う。
金云々でなく、この労力が辛い。
ようやく家に辿り着き、玄関にへたり込みながら「シオンさーん?!」呼べば、F1レーサーとして超多忙な日々の中にいるだろうに、駆けつけている蒼王翼が、「シオンさんなら先程、出掛けましたよ」とあっさり告げた。
思わずがくりと、項垂れるエマ。
「うふふふ。 男って、…男って……」
そう呟くエマを、少し不安げに見つめ「エマさん?」と翼が、優しく声を掛ける。
そして、そっとその肩に手を置くと「どうなさったんですか? 美しい顔を曇らせて…。 憂い顔の貴方も素敵ですが、やはりエマさんには僕…笑っていて欲しいな」と、どんな美少年でも敵うまいと感じさせるような、完璧な笑みを浮かべた。
相手は、男装の麗人である事を痛い程悟りつつも、思わず真顔で「結婚して下さい」と求婚するエマ。
「へ?」
気圧されるようにキョトンとした声を漏らす翼の手を握り締め、「もう、今、一瞬、翼ちゃんに何もかも捧げようかと思いました。 と、いう事で、結婚してください」と言い募る。
しかし、「エマさんのような人、僕には勿体ないです。 世の中に男に恨まれちゃう。 それに、ほら。 武彦に、殺されたくないですからね」なんて、やんわりと何処で覚えてきたんだよそのテクというような台詞をかまし、エマの荷物を全て抱えると「冷たい麦茶、おいれします」と微笑んだ。


台所では、鵺が不器用な手付きで、ジャガイモの皮を剥いていた。
包丁を持つ手が、ハラハラする程に危なっかしい。
ボールの中にはほうれん草のお浸しが出来ており、醤油と胡麻の良い香りにクンと思わず匂いを鼻から吸い込む。
「君ね、もうちょっと、ちゃんとじゃがいもを支えなよ。 それから、皮を剥いているのに、どうしてそんなに身を抉るんだい?」
初顔合わせの時も、なんだか仲が余り宜しくなかった二人。
女性に対する口調としては珍しく、翼がうんざりしたような声で言えば「うーるーさーいぃぃ」と唇を横にひん曲げてそう言い、また、鵺は、じゃがいもの皮むきに没頭し始める。
不器用な手付きを、冷たい視線を装いつつも、心配げに見守っている翼。
何だか、この二人が同じ台所に立っているのが楽しくて、エマはニコニコと見守ってしまった。
金髪、青い目に、銀髪の赤い目。
対照的だが、比類無き美少女二人。
黙って並んでいれば、これ以上ない程、美麗な一枚の絵になりそうだ。
翼が、コトリと冷たい麦茶をいれたグラスを差し出しつつ「ご機嫌麗しくなられたようで、良かったです」と囁いてきたので、「んふふ。 まぁね…」と言いつつ、麦茶を喉に流し込んだ。
それから大きなスイカを横目で眺め「コレってさ、みんなで食べようと思って買ってきたんだけど…、入らないよね? 冷蔵庫」と、呟く。
「うーん、これはねぇ…」
困ったように眉を顰める翼の肩をポンと叩き、「ま、こーいう時は、先人の知恵よね」と言って、「じゃ! 夕食楽しみにしてるわ」なんてちゃっかり告げると、エマはスイカを再び抱えて台所から立ち去り、志之の寝所に向かった。


水命が、団扇を仰いでやりつつ、枕元に座ってるのを見掛け、志之は眠っているのかと一瞬躊躇するも、何事か水命と語り合っているのを見掛け、そっと足を踏み入れる。
水命が、エマに気付いて会釈し、続いて志之もエマを振り返ると、彼女の抱えているスイカに目を丸くした。
「なんだい? それは…」
スイカを落とさないように気を付けながら、畳に正座で座り、エマは苦笑を浮かべる。
「あのね、シオンさんにねだられたのよ。 スイカがみんなで食べたいって。 でね、今日来る途中の八百屋さんで、これ目に入っちゃって、この大きさならみんなで食べられるかなと考えたんだけど、冷蔵庫に収まりきらない事に、今気付いたのよね。 ね、志之さん。 夜までに冷やす良い方法ないかな?」
エマの問いに、志之は呆れたような顔をして「この暑い中、それ抱えてきたのかい?」と言うと、「ふう」と溜息をついて、それから家の裏手を指差した。
「裏庭の、隅に古い井戸があんだよ。 かなり深いトコから掘ってる水でね、厚生省やらなんやらに言われて、もう飲料水としては使えないけど、スイカ冷やすには丁度良いと思うよ。 水汲んだ桶に突っ込んで、井戸ん中つけときゃあ、夜になったら冷えきっているだろう」
井戸なんていう、滅多にお目に掛からないようなものが、この家にあると聞いて、目を見張るエマ。
水命も、初耳なのだろう。
「井戸があるなんて、凄い」
と、手を叩く。
「健司がね、友達と水遊びに使ってるみたいだけど、かなり冷たい水なのに、子供は元気だネェ」
何でもない事のような口調で言う志之に「いずみちゃんと、鵺ちゃんかな?」と首を傾げれば「それに、あの、シオンって子と悠宇って子もだね」と、あっさり言葉を次ぐ。
16歳の悠宇はともかく、シオンはとうとう、健司の友達扱いまでされていて、いいように思えば「そこまで無邪気なのか」と思えないでもないが、正直「駄目な大人だなぁ」と感じ、ちょっとばかし切なくなってしまう。
「シオンさんは、もう40過ぎてんだけど…」
エマの言葉に、志之はカカカと笑って「あたしから、見りゃあ、子供さぁ」と言い、「午前中も、シオンと水命とでね、散歩連れてってくれたんだよ。 途中で、アイスクリームなんか買ってね…」と、そこまで言った志之の言葉を次いで、水命が口を開く。
「ソーダ味の、アイスなんです。 自転車の、後ろに冷却装置付けた、凄く懐かしい感じの…」
「へぇ。 そんな、アイスクリーム売り、まだいるんだ」
「ええ。 志之さんもね? 私と、アイス半分こしたんですよねー」
志之に、微笑みながらそう言う水命を、目を細めて見つめ、コクリと頷く志之。
「あんた達が来て、色々やってくれてるからか、この頃調子が良いんだ。 作ってくれるご飯も、文句なく美味しいしね」
言葉通り、確かに血色が良くなっている。
志之の嬉しい言葉にエマは、心の奥から、暖かい波がうち寄せてくるのを感じた。


一瞬。
そう一瞬、エマは夢想する。
奇跡でも、なんでも良い。
このまま、志之の調子が良くならないかと。
そうしたら、どんなに嬉しい事だろうかと。
この家も、志之も、こういう毎日も、悪くない。
いや、むしろ気に入っている。
だからこそ、このまま…。


「婆ちゃん! ただいま!」
パタパタと足音をさせて、健司が部屋に飛び込んできた。
健司に続いて、いずみが「うるさくしちゃ駄目よ」と、大人びた声で言いながら室内に足を踏み入れ「失礼します」と頭を下げる。
「あのね、魚! たくさん魚釣ったんだ!」
はしゃいだ声で言う健司の隣で、いずみがクールに「マスと、あまごでしょ? 諏訪さんに教えて貰ったのに、もう忘れたの?」と言い、健司に「いずみなんか、一匹も釣れてねぇじゃん!」と言い返されていた。
「へぇ。 じゃぁ、健司は何匹釣ったんだい?」
ニコニコ笑う志之に問い掛けられて、健司は胸を張ると指を三本立てて突き出し「三匹! その内の一匹は、ニジマスだぜ?」と答える。
エマは、パチパチと手を叩き「凄いわ。 健司君」とにっこり笑えば、健司が照れたように、頭を掻いた。
しかし、釣りたての川魚の相伴に預かれるだなんて、なんてラッキーだろう。
料理人も、信用できる腕前の持ち主だし、とても楽しみだ。
なんて、考えていたときだった。
「おっかえり! 健ちゃん。 君、三匹釣ったんだって?」
明るい声をさせながら鵺が部屋に入り、健司に飛びついた。
「いいなー! 鵺も、行けば良かったぁ」
健司を後ろから羽交い締めするように、抱きつきながら口を尖らせる鵺。
何だか、庭の方から「んなっ!」と、怒り混じりの幇禍の声が聞こえてきた気がするが、志之やはしゃいでいる健司には聞こえなかったらしいし、何故だろう、その瞬間前述の二人以外の部屋全てが、スッと静かな目をした後、何も聞かなかった事にしている。

(ていうか、潜んで鵺ちゃんの事見てんのかよ!)
 
エマは、内心突っ込み、ちょっと怖くなりつつも、正直深く追い求めたくなかったので、あっさりスルーしながら「そういえば、鵺ちゃんは、どうして行かなかったの?」と、聞いた。
鵺も、13歳にしては、途方もなく大人な視線を畳に向けていたが、パッと顔をあげて、ニコリと笑うと「だってさぁ、翼が、なんか、『ふふん。 君みたいな人は、多分お料理なんて繊細の事ぁ、出来やしないだろうね。 ボンジュール。 ま、お今晩は、ミーが腕によりをかけてデリシャスディナァを振る舞うので、子供達に川遊びに出掛けるが良いさ、モナムール』って言ってきたもんだから、悔しくて…」と、そこまで言った瞬間、「それは、誰の話なのかなぁ?」と絶対零度の声が、背後から聞こえてきた。。
後方には、憤怒の表情で仁王立ちになっている翼と、その後ろから怖々部屋の中を覗くシオンに、何が起こってるのか全く理解して無さそうな、無表情の海月がいる。
「だぁーれぇーがぁー、そんなアホっぽいっていうか、アホそのもの?な、事を言ったって?」
翼が地を這うような声で言えば、鵺は背後を振り返り、ニコリと笑って「翼ってば、こんな風にいっっっっつも、気障っぽい、喋り方してるじゃない?」と、答える。
「してない! ていうか、そんな喋り方の人間はいない!」
翼は、そう一刀両断すると、既に骨抜きにされているらしい水命が大きく頷いた。
「そうですよ! 翼さんは、そんな変な喋り方しません! もっと、こう、気品溢れる感じで、御伽の国の王子様みたいで、浮世離れしてて…」
水命の微妙にフォローになってない、フォローに、翼が極上の笑みを浮かべ「ありがとう。 水命さん。 君のような人に、そんな風に言って貰えると、凄く嬉しいよ」と囁き、二人の間に少女漫画で言う所の点描のようなものが飛ぶって、何劇場だ、コレは。
鵺が小声で「してんじゃん。 気障喋り…」と呟き、エマは思わず同意しそうになったものの、その呟きを耳にした翼が再び、鵺を睨み据え険悪な雰囲気が漂い始めるのを感じ、庭に潜む、幇禍の存在を思い出し慌てて二人の間に入る。
幇禍は、うっかり物凄い、腕の立つ人間だったりして、しかも、その腕を鵺の為に奮う事に何の躊躇もない性格なので、このまま放っておくと、ナチュラルに銃撃戦へと移行しかねない。
エマが、深く溜息をつきながら、さてどうしようかと考えかけたのだが、海月はそれまでの状況が目に入っていないのか、鵺とエマの間を通り抜けて、ヒョイと置きっぱなしになっていたスイカを持ち上げた。
「コレ…、冷やさねぇと、美味くねぇぞ?」
ボソリと、海月が呟けば、パァッと目を輝かせたシオンが「うわ! スイカだ! スイカだ!」と嬉しげに言い、ペシペシと海月の抱えるスイカに手を伸ばして叩く。
身の詰まった事を知らせる鈍い音を響かせながら、シオンは「だから、ヒモになれば、エライ裕福な暮らしできそうなのになぁ」と感じさせる笑みを浮かべ、エマに「ありがとうございます」と言った。
再び、発作的に「結婚して下さい」と求婚してしまいそうな自分を抑えつつ、「いえいえ。 どういたしまして」と返事して、自分の苦労が報われた事を嬉しく思い、次いで「海月さんは、知ってる? このお家ね、裏手の庭に井戸があるんですって。 で、そこで、スイカ冷やそうかなって考えてたんだけど…」と、話の転換を計る。
すると、鵺がヒョイと立ち上がり、「案内してあげる! 凄いんだよ。 井戸!」と言いながらスイカを抱えたままの海月の腕を引き、それからエマに「冷やしてくるね」と言った。
そのまま、トトトと、部屋を出る二人を見送り、「ふう…」と小さく息をつく。
(翼ちゃんと鵺ちゃんって、実の所、本当に仲が悪い訳じゃないんだろけど、二人ともバックが危険すぎるのよね〜)
そう、金髪の美丈夫と、幇禍の、整ってはいるが何かがあるとすぐに、懐から銃を取り出す二人の顔を思い浮かべてブルリと身を震わせた。
そんなエマの心配を知らぬげに、水命の隣りにいつの間にか移動していた翼が、柔らかく微笑みながら健司に喋りかける。
「たくさん釣ってきてくれて、ありがとうね。 今晩は、塩焼きと甘露煮にして、夕飯に出すよ」
そう翼が言えば、健司は、途端にモジモジとした調子で、まず志之の顔を見上げ、次にいずみの顔を見、そして、漸く翼の顔を見上げると、小声で呟いた。
「あの…」
「ん?」
「あの…、えと…」
「うん」
何かを言いかけては止まる健司の様子に、苛立ったように志之が口を開く。
「何なんだい? 早く言いなよ」
いずみも、クールな眼差しのまま「ほら、ちゃんと頼まないと」と、脇腹をつついて促し、健司は漸く決心をつけたように、「あの、お、俺の釣った三匹の魚のうち、一匹は婆ちゃんに、で、もう一匹は、ぬ、鵺に食べさせてやって下さい」と、言った。
思わず手を口に当てて「アラアラアラ」と言うエマ。
微笑ましくて、唇の両端が上がるのを抑えられない。
「ち、ち、違うんです! あの、鵺と、約束してて、俺が釣った魚食わせてやるって…」
顔を真っ赤にして言い訳しているが、健司の鵺への感情は一目瞭然である。
(そっか、そっかぁ。 鵺ちゃんをねぇ〜)
海月も、「ああ、だから、自分の釣った魚と、私達の釣った魚を別にして持って来たのか…」と言うと、シオンが手が楽しげに「喜びますよ。 鵺ちゃん。 それに、志之さんも…ね?」と志之に視線を向けた。
志之は、ニッと笑って、健司の頭に手を伸ばす。
「ま、あたしは、鵺のおまけだろうけどね、有り難くご相伴に預かろうかねぇ」
そういってグリグリと撫でてくるのを「おまけじゃないよ。 婆ちゃんに、食って欲しいんだ」と答えつつも、照れたように目を伏せた健司を見て翼が明るく笑うと「了解。 じゃ、台所に一緒に来てくれるかな? どれが、君の釣った魚か教えて欲しいからね?」と言い、いずみも「私、お手伝いさせて下さい」と言いながら立ち上がった。
三人が連れ立って出ていくのを眺め、「かーーーわいい」と呟けば、水命も「青春!って感じですね。 鵺ちゃん、奇麗だし、健司君とは前からお友達だったみたいだから……、そっか、そうかぁ…」と、どこかうっとりした口調で言う。
シオンは「じゃ、応援してあげないと…」と笑顔で提案した瞬間だった、「その応援は命懸けで…と、いう事にりますよ?」と、全く気配無く、微塵も空気を揺らさないまま背後に現れていた幇禍が、シオンの耳元で囁いた。
その底冷えのするような声音に、思わず硬直する一同。
志之だけが動じた様子無く「あれ。 来てたのかい? いらっしゃい」と声を掛け、その言葉に「お邪魔します」と幇禍が頭を下げるのを呆然と眺める。
(わ…忘れてた)
エマは震えながら、そう思い、「幇禍さん。 幇禍さーん?」と、慌てて幇禍の名を呼ぶ。
しかし、彼は何処かイちゃった目で「そうか、あの懐き方は、恋心だったのか。 まぁ、お嬢さんは素敵だからしょうがないけど……あははは、 ライバル出現だなぁ。 どうしてくれようか…」と、ブツブツと呟き続けた。
その背後の気配に怯え「で、でで、でも、ほら、健司君くらいの年の子って、年上の奇麗なお姉さんに憧れるもんですし…」と、シオンがとりなせば、志之があっさり「いやいや、あたしも、健司位の時が初恋だったよ。 それが、後のあたしのじいさん。 ま、大概マセガキだとは思うけど、そうかい。 健司もかい…。 血だねぇ。 健司の、父親も、随分早くに、幼なじみだった子と結婚したしねぇ…」と、告げる。
尚一層暗くなる幇禍の空気に、(志之さーん! 志之サンったら、自分の孫、命の瀬戸際に追い込んじゃってるよ!)と、皆が一斉に内心で叫びつつ、エマは、「まま、ままぁ、ね! ね? 幇禍君、子供相手なんだから、そんな気にしないで…」と取りなそうとして、暗い雰囲気のまま佇む幇禍の後ろに、もう一人、少し小太りの柔和な印象を受ける男が立っていることに気付いた。
「あら? えーと、どなた様…」
と、そこまで言いかけて、男がすっと室内に足を踏み入れ、志之にぺこりと頭を下げる。
「ご無沙汰してます」
志之は、男を見つめたまま、わなわなと震え、それから「………新庄さん」と呟いたっきり、俯いた。
年の頃は40台後半といった所だろうか?
何故か、髪の毛に絡むように葉っぱがついている。
この人の良さそうフェイスから、察するに、庭に幇禍が潜んでいる間、付き合わされていたに違いない。
少し禿始めた風貌は、愛嬌があって、硬い表情で志之の前に座ろうとも、どこか心を温かくさせる空気に満ちていた。
「…どうして、ご連絡下さらなかったのです」
押し殺したような声で言われ、志之は弱ったように目を伏せる。
「俺、言いましたよね。 何かあったら、絶対連絡下さいって。 俺…、俺……、幇禍さんに志之さんが倒れたって聞かされて、どれだけ……っ!」
新庄という名らしい男は、堪えるようにクッと唇を噛み、それからそっと志之に手を伸ばして、その手を握り締める。
肉厚の、暖かそうな手の中に、志之のしなびた小さな手が優しく収まった。
「……話、全部聞きました。 お願いです。 俺に、健司君の事、任せて下さい。 絶対、不幸にはさせません。 立派に育ててみせます。 だから、お願いしますっ…。 お願いします」
志之は、呆然としたような表情を見せ、微かに首を振る。
「…どうして? どうして…そんな風に…。 もう、あたしは……」
「違います。 そういう意味で言ってるんじゃない。 俺が、健司君の事を育てたいと思ってるんです。 俺の意志なんです。 親友の子供だって事だけじゃない。 志之さんの孫だからでもない。 そういうのだけじゃなくて……」
そこで言葉に詰まるように、声を途切らせる新庄。
「………家族になりたいんです。 健司君の……そして、貴方の…」
新庄の言葉に、志之は泣き崩れた。 



エマ達は、一旦新庄と志之を二人きりにすべく部屋を辞し、それから誰も使っていない一室に集まって、彼を連れてきた幇禍から話を聞く。
幇禍は、「この話はね、結局はロマンスなんですよ。 それも、泣ける位純粋なね…」という言葉で口火を切った。
「まず、始まりは、凪砂さんが草間に対し、健司君の親族関係や、里親になってくれそうな人の調査・捜索依頼を行った事からでした。 健司君が、志之さんの死後誰に引き取られるかというのは、重大な問題に思われましたし、放ってはおけなかったので、俺もその調査に協力しようと考え、草間の手伝いで、志之さんの死後、健司君の里親となってくれる人を探す事にしました。 幸い、有力なネットワークの持ち主と知り合いにおりましたので、そういうツテも行使しつつ、探したのですが、やはり、健司君には親戚と呼べる人はおらず、志之さん自体、複雑な事情があって、完全に身寄りのない身の上の方でした。 さて、どうしようかと悩み始めた時に、俺の知り合いからある情報を入手したんです。 どうも、健司君や、志之さんの事を、知ってる人がいるらしいと。 その情報先は、ある出版社で、その出版社にお勤めになっていらっしゃる方が、自分の担当先の作家が、もしかすると、その志之さんや、健司君達を知っているのではないかと、俺の知り合いに教えてくれたんです。 俺は、慌てて、その作家さんのお家、つまり新庄さんのお家を訪ねました。 そこで、全ての事情を説明し、里親になる人を捜している事をお伝えしたところ、それならば、是非自分がという事で、本日お越し願えたという訳なのです」
その言葉に水命が、おずおずと幇禍に尋ねる。
「あの…それで、一体、新庄さんと、志之さんはどういうお知り合いなんですか?」
幇禍は、一旦唇を舌で湿らせ、再び口を開く。
「あの新庄さんって方は、健司君の学生時代のお父さんの親友だったそうです。 健司君のお父さんは、随分と親切な好漢だったそうで、新庄さんは昔、大学に通う為に下宿していた家が火事に合ってしまい、殆ど身の回りの物も持ち出せずに焼け出された時に、同じゼミだった健司君のお父さんに助けられ、このお家で卒業までの間、お世話になったと言っていました。 その時、既に志之さんのご主人は他界されていたらしいのですが、志之さんは、男手が増えると新庄さんの事を歓迎し、殆ど家族同然として、三人でこの家で、二年ほどの年月を過ごしたそうです。 新庄さんは、余り家庭的に恵まれてない環境で育ったそうで、余計に、その二年は、大事な思い出となったのでしょう。 だけど、新庄さんは、その二年間で、思い出以上の大事なものを見付けました」
水命が、両手を握り合わせ、大事な言葉を口にするように、そっと囁く。
「それが、志之さんなのですね…」
幇禍は、コクンと頷く。
エマは、胸の奥が熱くなるのを感じ、水命と同じように、ギュッと両手を握り合わせた。
「30歳近く年が離れていますから、始め新庄さんが、志之さんに想いの丈を告げても、取り合っては貰えなかったそうです。 在学中に、公募の文学賞で受賞し、卒業時には、何とか食べていける位まで新庄さんが、作家として独り立ちしても、志之さんは、新庄さんの結婚して欲しいという申し出に、首を縦に振りませんでした。 でも……、どうなんでしょうね…。 本当に嫌な相手ならば、想いを告げられた時点で、この家を出ていかせるでしょう。 志之さんが、新庄さんの事をどう想っていたかなんて、今となっては分かりませんが、それでも、新城君の事を悪しくは考えていなかったんじゃないでしょうか?」
幇禍は、一旦そこで言葉を止め、懐から一枚の写真を取り出す。
そこには、この家の前で並んで立つ、若い頃の志之と、それから健司は父親似なのだなと感じさせる、快活そうな男性、そして今よりも、随分痩せている新城の姿が写っていた。
エマは、如何にもしっかりしてそうな、ひまわりのように力強い笑顔を見せる志之の顔を指先でそっと撫でた。
「これ、新庄さんの大事な写真を焼き増しして貰ったんです。 皆さん、御覧になりたいかと思って…」
幇禍が、そう言って笑う。
「いい写真ですよね……。 新庄さんが、大学を卒業して一旦地元に帰る前に、撮った写真だそうです。 新庄さんが、地元に戻る前の日、再度、志之さんに自分の気持ちを新庄さんは伝えましたが、結局その想いを受け入れず、自分の事は、一時の気の迷いだから、忘れなさい。 もう、私に連絡を寄越してもいけない、と言って聞かせました。 新庄さんは、志之さんのその強い言葉を受け入れながら、それでも、何か困った事があったら、助けが欲しい事があれば、必ず自分を呼ぶようにと伝えて、地元に戻ったそうです」
写真の中の、新城の表情は、笑っていてもどこか憮然としていて、なのに悲しそうで、色々複雑な感情の入り混じっているように見える。


どんな気持ちだったのだろう。
親友の、母親に恋をして、恥も外聞もなく、学生の身で求婚し、その全てを気の迷いと言われて、実家に帰る身というのは、どんな気持ちになるのだろう。
淋しいのだろうか、悲しいのだろうか、憎いのだろうか……。
それでもまだ、愛おしいのだろうか。


「結果を言えば、新庄さんの想いは、一時の気の迷いなどではありませんでした。 志之さんの事が忘れられず、他に女性と付き合っても、どうしようもなかったそうです。 それから、20年近く、結婚する事無く、ずっと、ずっと、ずっと……。 志之さんの事を、想い続けていたのです。 …純愛ですね」
幇禍の言葉に、シオンが、静かに答えた。
「羨ましい位の、純愛ですね」
水命が、ポロポロと泣く。
エマは手を伸ばし、その頭をそっと撫でた。
「どうしたの?」
そう問えば、嗚咽混じりの声で、水命が答える。
「だって……、そんなに、愛した人が、死んでしまうだなんて……。 新庄さん、可哀想……です」
エマは、ぎゅっと水命の肩を抱いて答えた。
「違うわ。 可哀想じゃないわよ。 もう一度会えたんですもの。 会えないまま、お別れするより、ずっと、ずっと、幸せよ」
志之を見た時の、新庄の表情を思い出す。
そして、新庄を見た時の、志之の表情も。
片や、年老い、片や体形が変わっていようとも、確かに、あの時二人の間に流れたものは何物にも代え難いほど美しくて、切なくて、エマも目尻から一筋、涙を落とした。



夕食のテーブルに、皆でちゃぶ台を囲む。
幇禍は「お嬢さんに会うと、叱られるんで!」と短く答えて、シュタッと消え去ってはいたが、今食卓には、10人近い人間がついている。
いつのまにか、凪砂や、先程は見掛けなかった釣りに一緒に行ってきていた悠宇も席に座っていて賑やかな食卓風景になっていた。
凪砂は依頼者である事だし、、既に幇禍か、武彦から報告は聞いているのだろう。
新庄と、健司の間を巧く取り持つような会話をしている。
健司には新庄の事を、亡くなった父の友人とだけしか伝えてないらしい。
幇禍曰わく、「一応、一緒に、暮らしてみては?って思うんです。 生活を共にした方が、健司君も新庄さんの事受け入れやすいだろうし、色々、見極めもできますからね」という事で、健司は、新庄さんも水命や、シオンのような、この家を手伝いに来てくれている人と、捉えているのだろう。
健司は、新庄の穏やかな人柄にすっかり、打ち解け、今は、お父さんの思いで話をしているみたいだった。
時折、いずみが、何事か口を挟み、二人で可愛らしい言い合いをしている。
大家族みたいだ。
微笑ましくそう思いながら、茶碗に飯をよそう。
ふっくらと炊きあがったご飯を見ていると、穏やかな気持ちになれて、エマは唇が自然と綻ぶ。
凪砂が、水命に何事か声を掛けていた。
水命は、コクンと頷くと、健司と新庄、そして鵺の肩を叩く。
四人は、何らかの会話を交わした後、用意されていたお盆に、銘々の夕餉を乗せると、部屋の奥、志之のいる部屋へと向かった。
新庄が、自分のだけでなく、卵粥の乗ったお盆も抱えていた所から、きっと夕食のお世話にいったのだろうと思い、その場に健司と新庄の二人を誘わせた凪砂の配慮に、感心する。
鵺は、きっと健司に、自分の釣った魚を目の前で初恋の人に食べている所を見せてあげたくて、誘ったのだろう。
エマは、全員分のごはんをよそったあと、自分の席につく。
目の前には、美味しそうな料理の数々。
料理を作った翼が照れ臭そうに手を合わせ「いただきます」と言うのを聞くや、まずは美味しそうなあまごの塩焼きに箸を伸ばした。
そっと身をほぐし、口の中へ運ぶ。
あまごの柔らかで、でも、弾力のある身がプリプリと舌の上で弾け、ほのかな塩味と共に淡泊で深い味わいが口の中に広がるのを、目を細めて楽しみ、次いで、肉じゃがを、つまんだ。
翼の腕前なのだろう。
あまごは、全く形崩れしておらず、肉じゃがも、中まで味が染みていて、幸せな気分になる。
隣りに座っていたいずみが「おいしい…」と、思わずといった調子で呟くのを、翼はニコリと微笑んで「可愛いリトルレィディに誉められて、光栄だよ」と告げた。
ああ、今、鵺がいたならば、思う存分突っ込んでいただろうななんて思いつつ、色んな意味で、鵺を連れていった水命に、平和な食卓を守ってくれてありがとうと、感謝の念を捧げる。
もう片方の隣りに座っていた海月も、いつも通りの無愛想ながらも、どこか柔らかな空気で箸を口に運んでおり、零にシオンや凪砂は言うに及ばず、皆が美味しい料理のおかげで幸福そうで、エマは、また胸が一杯になる。


いいなぁ。 こういうの…。


一抹の郷愁と共に、そう胸で呟く。
そんな思いにつられるように、エマは明るい声で「ね? 食べ終わったらさ、花火しよ? 花火」と提案し、いずみが、珍しく、パァッと表情を輝かせて此方を見上げた。



ヒュルヒュルッと音を立てて、空で咲く、小さめの打ち上げ花火に零や、鵺が歓声をあげている。
家の奥にあったのを外に引っぱり出した、古い木の机に、切り分けられた西瓜が並んでいる。
と、言っても、物凄い勢いで売れたので、残りはあと僅かだ。
先程帰った筈の幇禍が、何故か鵺と一緒に、花火を振り回してはしゃいでいた。
また、何処かに潜んでいた所を見つかったのだろう。
自分よりも年上の筈なのに、まるで子供のように見える。
悠宇が呼んだのらしい日和が涼しげな浴衣姿を披露しながら、二人並んで、花火をしていた。
いずみと、健司は何事か言い合いながら、海月が打ち上げる花火を、目を煌めかせて見上げている。
キラキラキラと、頭上に咲く火の花に、シオンが運んで縁側に寝かせた志之の足下に腰掛け、エマは目を細め、感嘆の溜息を吐く。
シャクリと口にした、西瓜は井戸のおかげで歯に染みるほど冷たく、そして滴り落ちる程の甘い果汁を秘めた一品で、エマは「私の目に狂いはなかったわ」と、勝利の笑みを漏らした。
翼が、その言葉にクスリと笑って「確かに、これは見事な西瓜です」と言い、自分も、小さくかぶりつく。
志之も新庄が、スプーンで果肉を掬って差し出せば、一瞬照れた様子で躊躇しながらも一口、口にして頷く。
「これは、美味しい西瓜だねぇ」
そう言うのを聞くと、エマは、重い西瓜を暑い中運んできた苦労なんて、一遍に吹き飛んで、買ってきて良かったと、思うのだった。
健司が、大きく手を振って、新庄の事を呼んでいる。
新庄は、頷くと、スプーンを翼の左隣に座っていた凪砂に託し、健司の元へと走り寄っていった。
蚊取り線香は匂いがキツイだろうとシオンが、用意した蚊連草(蚊を寄せ付けなくするらしい)を置き、横たわって花火を眺めている志之をそっと団扇で仰ぐ。
「…キレイですね」
シオンが、うっとりとした表情で呟いた。
「エマさん、感謝します。 西瓜も、花火も…」
シオンの感謝の言葉にエマは、「いえ。 こっちこそ、ありがとう。 シオンさんに言われなきゃ、こんな事思い付かなかった。 良かった。 健司君も、みんなも喜んでるんだもの。 本当に良かった」と心から言った。
至る所で、咲いている小さな火の花達。
その火の花が照らし出す表情は、皆笑顔で、心が満たされていくのを感じる。
凪砂が、縁側から降り、線香花火に火をつけて、パチパチと弾けさせながら、何気ない調子で志之に問い掛けた。
「…志之さんは…、新庄さんの事、どう思ってたんですか?」
いきなりの質問に、息を止める一同。
なんて直球勝負!と、思いつつ、自分も正直とても気になっていた事なので、好奇心を抑えきれずに耳を澄ませる。
「どうって…どういう意味だい?」
飄々と問い返す志之。
凪砂も、淡々とした調子で問いを重ねる。
「新庄さんの事、好きじゃなかったんですか?」
すると志之は、「好きだったよ。 ウチの息子の、大事な友達だったからね」と答えた。
凪砂は、じっと線香花火を見下ろしたまま、首を振る。
「そういうのじゃなくて…」
「そういうのだよ。 そういうのだけさ。 何、聞いたかしんないけどね、あの子とあたしには、20以上も年の開きがあって、あの子は、ここに住んでる時は、ほんの子供で、そういう子供に対してどうこうってぇのは、ないんだよ。 それにあたしは、死んだ旦那一筋なのさ」
「……ほんと、ですか?」
「本当だよ」
凪砂はチリチリと散る花火を見ながら、優しい声で囁く。
「………新庄さん、ずっと、志之さんの事、想ってたそうです。 ずっと、ずっと、志之さんの事好きだったそうです。 いえ、今も想ってます」
凪砂は、ポトリと落ちた線香花火の芯を淋しげに見下ろして言った。
「…純愛ですね」
志之は、微かに笑った。
淋しい、憐憫に満ちた笑みだった。
「嗚呼。 あの子に、あたしは引導を渡してあげたかったのにねぇ…」
翼が、怪訝な声で「引導?」と問う。
志之は、頷いた。
「若いあんたらには、ピンと来んだろうけどね、あたしは、旦那に先に死なれてから、ずっと、死っつうのを、見据えて生きてきた。 あたしは、あの子より先に死ぬ。 どう生きようとも、あたしに先にお迎えが来るのは確かだ。 あの子に、結婚しようと言われた時から、ずっと分かりきっていた。 好きになった人にね、先に死なれるっつうのは、淋しいよ。 堪らないもんだよ。 そんな思いはね、出来るだけ誰にもさせたくなかったんだ」
志之は、そっと目を閉じる。
「20年間、あの子に辛い思いをさせてたんだね。 嗚呼、あの時、もっとちゃんと引導を渡してあげれば良かった」
花火の火が、また一瞬、志之の横顔を照らした。


深い皺。
浮いた染み。
目立つ頬骨。


だけど、美しいとエマは感じた。
嫉妬するほどに、その瞬間の志之の横顔は美しかった。


その後、こんなに大人数だしという事で、皆で銭湯に向かう事になった。
エマは、毎日、帰る前に必ずやっている志之の体を清める世話のために、翼と二人家に残る。
夏の間は、どうしても汗をかいて不衛生になりがちだからと、エマはいつも一度石鹸をつけた手拭いで志之の体を拭き、その後に、湯で濡らしたタオルで志之の体を拭っていたし、髪の毛だって、大きなタライに湯を張り、畳には防水シートを張って、優しく頭皮まで洗ってあげていた。
「志之さん、失礼するね?」
そう一声掛けて、翼が優しく着物をはだけ、エマは痛みがないように、何度も、何度も確認をとりながら背中と、首の部分に、折り畳んだ座布団を滑り込ませ、高さを作ると、その下に大きなタライから湯を汲んだ小さめの洗面器を置いた。
この髪を洗う作業は、手伝いに来ている人間の中でも、エマしか出来ず、だからこそ、毎日エマは少々無理をしてでもこの家を訪ねてくる事にしている。
志之の短めの髪を、水命に良いと薦められた、石鹸シャンプーで丁寧に洗い、その後、湯で濡らしたタオルで、何度も、何度も、丁寧に、ぬるみが落ちるまで、髪を拭う。
その後、椿油で、志之のぱさついた髪に艶を与え、翼が優しい手付きで、何かの儀式のように清めている骨の浮き立ち、乳房の垂れた裸体を眺めながら、エマは、どうしようもなく、淋しくなった。


ああ、畜生。
だから、本当は、私、嫌だったのに。
こんな風に、どっぷり浸かり込む事が、怖かったのに…。




思わず、ポロリと呟いた。


「……志之さん。 死なないで」


翼が、驚いたように此方に視線を送ってくるのが分かる。
エマも、自分で何を言っているのか理解出来ないまま、再度呟いていた。




「死なないでよ……」
椿油を塗った、髪を梳りながら、エマは言い募る。
「お願いだから」


志之は、優しく笑ってエマに言った。






「分かった。 死なないよ」







その瞬間、エマは涙がボロボロボロと零れ落ちるのを感じる。
みっともない。
分かっていた。
でも、止められなかった。



「う…うぅう…うっ…うぅーー…」



唇を噛み、子供のように唸りながら泣く。



間違いなく、死に逝く人の体。
毎日、毎日、眺めていたからこそ分かる。



志之は、死ぬ。



どれだけ、願おうと死ぬ。




エマは、志之が好きだった。
本当に、大好きになっていた。





「ごめんねぇ。 あたしが死ぬ時、誰も泣かせたくなかったのにねぇ…」
志之が詫びてくるので、エマは首をぶんぶんと降り、ボトボトと涙を落とす。




酷い事を言ってしまった。
悲しい嘘を吐かせてしまった。


それでも、言わずにおれなかった。



死なないで欲しかった。




やけに、蝉の声が耳につき、エマは泣きながら耳を塞いだ。






それからも、エマは、毎日志之の元に通った。
色んな、話を志之とし、健司の話や、交通事故で一緒に死んでしまった、息子夫婦の話も聞いた。
新庄の話は…、志之は、しなかった。

志之は、一度もしなかった。



そして、夏も終わりかけた、されど残暑厳しい日に、志之は死んだ。



興信所での事務作業をしている際、武彦から危篤だと聞かされて、エマは机から崩れ落ちた。
よろめく足取りで、健司の家に向かおうとするのを止められ、武彦に車で送って貰う。

志之の寝所に、手伝いに来ていた者達と、健司と新庄の皆が揃っていた。
誰かが呼んだらしい、医者が志之の枕元に座っている。



静かだった。
圧倒的な迄に静かだった。



死の音とは、無音なのだとエマは悟った。
よろめき、武彦に支えられながら、ようやっとエマはへたり込むように腰を下ろす。
健司が、志之の右手を握り、新庄が志之の左手を握っている。




聖家族。



聖母子と聖ヨハネを指す言葉が、何故か、頭に浮かんだ。
それ位神々しく、近寄りがたい風景だった。
志之の唇が微かに動く。
新庄が、志之の唇近くまで耳を寄せ、そしてコクリと頷くと、エマを手招きした。
エマは、這うようにして、志之の側へ行く。
新庄が、囁くように行った。
「…志之さん。 何か貴女に、仰りたい事があるそうです。 どうぞ、聞いてやって下さい」
そう言われ、震えながら、耳を志之の唇の側まで近づける。



「…ご…めん…ねぇ…。 約束…ま、もれなくて…」



志之の言葉に、エマは目を見開き、そして、両手に顔を埋めた。
涙が、指の隙間から零れ落ちる。



怖い。
死なないで。
死なないでよ、志之さん。



志之が、新庄に「…健司の事、頼みます」と告げ、健司には「…幸せに…なりな」と言うのが聞こえてきた。
エマは、動揺を隠せないまま、それでも、見つめなければ。
最期まで、ちゃんとみつめなければと、両手を下ろし、志之の顔を見つめる。
志之の瞼がゆっくりとおり、それから、呼吸が、深く、緩やかになり始めた。
健司は、何も言わず、涙も見せず、ぐっと耐えるように志之の手を握り締め続けている。
新庄が、目を真っ赤にしながら、最期の瞬間、志之に囁いた。




「愛してます」




志之が、微かに笑って、頷いたように見えた。







エマは、粥の供に丁度良いと喜んで貰えた、重い梅干しの壺を抱えて、武彦の車の助手席乗り込む。
後部座席には、泣き疲れた零が、眠っていた。
「…通夜や葬式、手伝いに行くんだろ?」
エマは、そう問われて「…うん」と短く返答する。
「健司は、新庄さんのトコに行くのか?」
「…ううん。 新庄さんがね、この家に移り住むみたい。 別段、妻子のある身じゃないし、今も、マンションに一人暮らしだし、あの家を、失うのは、自分にとっても、健司君にとっても余りにも惨いからって、言ってた…」
「…そうか。 それが、健司にとっては、一番良いかもな」
武彦の言葉に、力なく頷いて、同意を示す。
そんなエマを、武彦は急に抱き締めると、ポンポンとエマの背中をあやすように叩いて、囁いた。
「…志之さん。どんな人だった?」
「……格好良い人だった」
「ん。 そうか…。 な? 聞かせろよな? 零と二人で。 志之さんの健司の話。 全部聞くから、泣いて、話して、そして、志之さんに、格好良い人生でしたね、って言ってやろう。 な?」
武彦の言葉に、エマは抱き締められたまま頷く。



格好良い人生だった。
そうだ。
格好良い人の死だもの、私はいつまでも、みっともなく泣いていちゃあ、失礼じゃないか。


今日は、思いっきり泣いて、武彦さんに、思いっきり話を聞いて貰ったら、私は、格好良かった志之さんに負けないよう、立ち直ろう。



エマは、武彦の胸の中で誓う。



それこそが、志之の一番の自分なりの供養になると信じて。






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■         登場人物            ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 ※受注順に掲載させて頂きました。

【0086/ シュライン・エマ  / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1847/ 雨柳・凪砂 / 女性 / 24歳 / 好事家】
【1572/ 暁・水命  / 女性 / 16歳 / 高校生兼家事手伝い】
【3604/ 諏訪・海月 / 男性 / 20歳 / ハッカーと万屋】
【3524/ 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】
【3525/ 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん 今日も元気?】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー兼闇の狩人】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】

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■         ライター通信          ■
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遅くなりまして、遅くなりまして、遅くなりまして、真に申し訳御座いません!
へたれ人間失格人間ライターmomiziで御座います。(切腹)
初めましての方も、そうでない方も、この遅れっぷりには、最早怒りを越えて、呆れられているのではと、怯えるばかりなのですが、全て私が悪いので、どうぞ、三発位殴ってやって下さい。
さて、えーと、毎回、毎回、ウェブゲームのお話に、是非、個別通信をやりたいと考えているのですが、毎回毎回、時間の都合により掲載できません。
ほんま、スイマセン。
なので、ご参加下さった全ての方々に「本当に有り難う御座いました。 再びお目に掛かれましたら、僥倖に思います」というお言葉を贈らさせて下さい。
あと、非人道的な位、長くなってしまった事もお詫び申し上げます。

momiziは、ウェブゲームの小説は、全て、個別視点の作品となっております。
なので、また、別PC様のお話を御覧頂ければ、違った真実が見えるように書きました。
また、お暇な時にでも、お目通し頂ければ、ライター冥利に尽きます。

ではでは、これにて。

momiziでした。