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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>





 ちゃぷん……
 ちゃぷ……
 真夜中の露天風呂―――静寂の中に湯の揺れ動く音が響く。
 十里楠真癒圭(とりな・まゆこ)は、その白く濁った湯を両手で掬う。
 ぴちゃぴちゃと、少しずつ真癒圭の手の隙間から湯が零れ落ちていく。
 少し逆上せ気味になった真癒圭は下半身だけを湯に浸かった状態にするために風呂の縁際の岩に座り直す。
 大きく息を吐いて仰ぎ見ると空には一面の星と、レモン色をした細い下弦の月が浮かんでいた。
「明日も晴れるのかな」
 雲ひとつ見当たらない空に真癒圭はそう呟く。
 文章ライターといえば聞こえはいいが仕事の数はそれほど多くはない。多くはないというかむしろ少ない。なので、実質半分以上は家事手伝いが普段の生活の中心なのである。
 天気だったら、明日は布団を干してシーツも洗濯しようかな―――などと考えていた真癒圭の背後から人影が忍び寄った。
「―――っ!」
 真癒圭は自分の体を守るように両腕で抱きしめて湯の中に飛び込んだ。
「何慌ててんの?誰が連れて来てやったか忘れちゃったわけ?」
 そう声をかけたのは真癒圭の弟の十里楠・真雄(とりな・まゆ)であった。
 真雄が友人から優待券を貰ったからと半ば強引に連れて来られた真癒圭だったが、個室で更に露天風呂の付いた部屋にすっかりリラックスし過ぎて弟の存在を半ば忘れていた。
 そのことに気付いた真雄は微妙に面白くなくてわざと背後から真癒圭に近づいたのだが指先が白くなるほど強く自身を抱きしめている真癒圭の姿にすぐに後悔した。
 長い間湯に浸かり仄かに薄い桜色に色づいた真癒圭の腕には似つかわしくない丸く小さな火傷の跡。
 それは真雄がまだ生まれる前、まだ10歳だった真癒圭が同級生の男子生徒につけられた煙草の痕だ。
「真雄……あんたいつまでヒトの風呂覗いてるつもりよっ」
 真癒圭がそう言っても真雄は顔色一つ変えないし、その場を動かない。
 だが、その実、真雄の心の中は煮え繰り返っていた。
 見たこともない真癒圭の同級生に対して。そして真癒圭の男性恐怖症の根源になった―――時を同じくした頃から10年来に渡って真癒圭にいわゆる性的な虐めを繰り返した親戚筋の男に対して。
 黙り込んだ真雄をいぶかしんで真癒圭はとっさに胸にタオルを当てたまま振り返ろうとした。
 しかし、それは背中から回された真雄の腕のせいでかなわなかった。
 こうして真癒圭が触れられても平気で居られる相手は自分しか居ないのだと、それを目の当たりにするたびに真雄は、
―――ボクが護るから……
と強く心の内で呟くのだ。
 そんな真雄の気持ちが伝わったのか、徐々に真癒圭が自身を抱きしめる腕から力が抜けていき、真雄の腕にそっと自分の手を添える。
「真雄?」
「……真癒圭」
 真癒圭の肩に額を凭れ掛けさせなが、
「真癒圭……相変わらず茶碗位しか胸ないな」
と言った。
「なっ……真雄!別にそれで迷惑かけたわけじゃないでしょ」
 さっきまでのしおらしい様はどこかへやってしまったかのように軽快に笑う真雄に真癒圭はそう言うと、両手ですくったお湯を思い切り真雄に浴びせた。


■■■■■


「しかし、アレだな―――あれじゃ日常生活にも支障があるだろう」
 真雄に手当てを受けながら草間武彦(くさま・たけひこ)が呟いた。
 草間の頬には見事に引っかき傷が走っている。
 温泉に行った後日、顔を出した草間興信所に出向くと草間が少し呆然とした顔をしつつも頬の傷を押さえていた。
 話しを聞くと、姉の真癒圭の肩についていた糸屑を取ってやろうとした草間をそれだけでパニックになった真癒圭がつけた傷らしい。
 身内が加害者なだけに一応手当てはしているものの、その実、心の奥では半分くらいは何も言わずにいきなり手を伸ばした草間自身の失態だと真雄は思っていたが。
「っつ、痛っ……もっと丁寧にやってくれよ」
 消毒の痛さに一定の悪意を感じて草間は真雄に抗議の声をあげる。
「いいんです―――真癒圭はボクが護るから」
 真癒圭を傷つける全てのものから。
「……」
 軽い口調の裏に隠されている強い決意を感じ取り草間は真雄を見つめる。
 一言で『護る』といっても人ひとりをただただ掌の中で大切に抱えていられるものなのか―――それが真癒圭にとって、そして真雄にとっても良いことなのか……はっきりと善悪を決めることは出来ない。
 ただ、その決意だけが今の真雄という人間を形成しているのだろう。
「まぁ、頑張れよ青少年」
 ぽんと、草間は真雄の頭に手を置いた。
 真雄の視線の先には、応接間のソファで倒れて眠っている彼の掌の宝物の姿があった。