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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


聖家族



オープニング




小さな掌が、大事にくるんでいたたくさんの小銭達を机の上にそっと置いて、不安げに揺れる目で見上げられながら「足りませんか?」と聞かれた瞬間、零は耐えきれず目頭をハンカチで抑えた。
「おこづかいと、お年玉の残りと、あと、お手伝いした時にもらったお駄賃も一緒に持って来たんです」
武彦は小さな依頼人に、いつもの少し憮然とした顔つきで「足りないね」とにべもなく答える。
「大体、ウチは興信所であって、医者ではない。 無理だね」
冷たい言葉。
その言葉に、武彦の前に座る、坊主頭の子供の目からポタポタと涙が零れ落ちた。
「お…お、お願いします。 ば……ばぁちゃん…ずっと、俺の事、一人で育ててくれたから……、俺…どうしたら……いいか…」
そのまま、グシグシと泣き崩れる姿に、零は手を伸ばし、その小さな頭を胸に抱え込む。
「そうよね。 お婆ちゃんいなくなったら、独りぼっちになっちゃうものね……」
依頼に来たこの子の名前は、健司。
まだ、小学生だという。
両親が早くに死に別れ、祖母の手によって育てられたそうだ。
だが、その祖母も、かなりの高齢でこの夏、とうとう倒れてしまったらしい。
その間、健司は一人で家の中の事を切り盛りし、祖母の世話をし、学校にも通った。
だが、そんな健司の懸命な看病にも関わらず、医者の話では、祖母はこの夏一杯の命と考えた方が良いらしい。
「お、お婆ちゃんの事助けて下さい…。 何でもします。 お、俺、何でも…何でもします…」
彼は、この興信所が、不思議な事件ばかりを解決してきているという噂を聞き、藁をも掴む思いで尋ねてきた。
「お婆ちゃんの命…助けて下さい」
しかし、武彦は首を振り、諭すような調子で言う。
「決められた命の長さを、人の手では左右できない。 例え出来てもしてはならない。 お前の婆ちゃんは、立派に生きて、やっとお役ご免の時がきたんだ。 お前は、今、婆ちゃんが生きてる内に、もう一人で立派に生きてけるって見せて、安心してあの世へ行かせてやらなきゃ駄目だ。 有りもしない、命を永らえる方法を探すより、そっちの方がずっと大事なんだ」
武彦の言葉に、健司は首をブンブンと振る。
「ひ……一人で、なんて、無理です。 だって、だって、俺、ずっと婆ちゃんと一緒に……一緒に……」
そんな健司を見て、零は、沈痛な面もちで口を開く。
「一人でなんて、無理よね。 一人は、寂しいものね。 でもね、兄さんの言う通り、無理なの。 お婆ちゃんを助ける事はね、どうしても無理なの」
その言葉に、零と武彦、交互に視線を送った健司は、「う……うぅ…」と嗚咽を漏らしながら立ち上がり「分かったよ! もう、頼まないよ!」と叫ぶと興信所から走り出ていった。
零は、その背中に「あ!」と声を掛けて手を伸ばす。
そして項垂れると、「…どうしよう」と呟いた。
そんな零に、見透かすような視線を送りながら武彦は口を開く。
「あーあー、困ったなぁ」
「え?」
驚いたように顔を上げる零。
「あいつ、金置いてっちゃったな」
そう言いながら、ヒラヒラと一枚の紙を見せる。
「これ、健司が書いてくれた連絡先と住所。 んで、忘れ物の金」
「……え?」
「届けてくれるか?」
そう首を傾げられて、零は勢い良く頷く。
すると武彦は、少し笑って、「ホイ」と紙を渡してきた。
健司の家は、下町にある、古く、今にも倒れそうな姿をしていた。
零が、そっと中を覗き込めば、開け放した畳の部屋は、荒れ放題の様相を呈している。
どれ程頑張ろうとも、小学生一人では手入れが怠ってしまうに違いない。
祖母の世話だって、大変な筈だ。
ご飯はどうしているのだろう?
そう考え出すと、もう、駄目だった。
零は、トントンとドアをノックしながら決意する。
「お節介だって言われようと、私、この一夏、この家の家事を手伝ってあげよう」と。




本編



「でね、コーラ味と、サイダー味の他に、マスカット味が出てるんだって!」
そう言いながらドライカレーをつつきつつ、鵺は力説する。
「うあ、いいなぁ…。 食べてみたいなぁ…」
と呟く健司に、鵺がシュピッと指を立てて提案した。
「だからさ、お使いの途中で行こうよ。 川商(川村商店の略。 駄菓子屋の名前で、近隣の子供達の社交場)にさ。 鵺が、奢ってあげるから!」
鵺の言葉に「でも、おつかいに来てる訳だし…」
と、渋る健司。
鵺は立てた指をチッチッと横に振ると「そんな四角四面じゃ、いい男になれないよ〜〜?」と唆した。


現在、鵺と健司が向かい合って座っているのは、ドライカレーが美味しい事で有名な「麒麟亭」という食堂。
鬼丸鵺は、そこに暁水命という、毎日泊まり込んで健司と健司の祖母の世話をしているという今時珍しい位、心の清い美少女に頼まれて、夕食のお使いに出て来ていた。
そのついでに、前から来てみたかった、この「麒麟亭」にて健司と一緒に昼食を取る。
このことは、健司の家に手伝いに行っている人皆に伝えてあったし、それも踏まえて帰りは少々遅くなるだろうと考えていてくれるだろうから、ちょっと位寄り道しても構わないんじゃないか?と鵺は考えていた。
健司と鵺は、前から川商でよく会う、駄菓子屋友(メル友風)で、武彦から話を聞いた時には心底驚いたものだった。
別に人助けなんて柄ではないが、友達の事は別だ。
幇禍に相談すれば、どうもこの頃、通販で大量買いした古い人情映画のリバイバルDVDBOXにどっぷりはまっているらしく、「是非、是非是非、俺達でお手伝いすべきです!」と言われ(と、いっても夏休みの宿題のノルマ日程はきちんと決められてしまっているのだが)、鵺も「じゃ、一肌脱ぐかな」と決心して、泊まり込みで手伝いに行くことにした。
といっても、手伝いは今日のようにお使いを頼まれたり、ちょっとした掃除の手伝いを頼まれたりと、完全に健司と同じ扱いで、「鵺ってそんなに頼りない〜?」と少し不満に思いつつも、健司を振り回しながら楽しい毎日を送っている。
今も、悩む健司に強引に「じゃ! 決まりね? あとね、あとね、鵺、あわ玉ときな粉棒と、チョコバーも欲しいかも! 健ちゃんも鵺の奢りだから、好きなのかってね?」と言い、鵺は皿に残っているドライカレーをかきこんだ。


麒麟亭のドライカレーは評判になるだけあって、とても美味しかった。
真ん中にのっている卵黄と合わせて食べると、濃厚な味わいが口に広がって幸せな気分になる。
辛さも調節できるので、健司は一番辛くない奴を頼み、鵺は中辛を注文していた。
麒麟亭から、川商へと向かいつつ、鵺はぼんやりと呟く。
「幇禍君も連れてきてあげたら良かったかな?」
そう、今回は、いつも一緒に行動している幇禍には「幇禍君、来るとなんか騒動起きてめんどくさいから今回は別行動ね!」とあっさり酷い事を告げていて、彼は側にいないのだった。
ただ、鵺と同じく健司の家に手伝いに来ている人からは、ぞくぞくと幇禍の目撃証言が出て来ており、庭や物陰などに潜んで、見守って貰っている事には気付いている。
だが、正直嬉しいよりも恥ずかしい気持ちが強くって、今の所、鵺は幇禍に一度も声を掛けてはいなかった。


川商にたどり着くと、まず二人でガチャガチャを一回ずつ回す。
今回鵺は、養父にお泊まりの許可を貰うため、全ての事情を話した所、幇禍に内緒でたっぷりとした資金援助を得ており、さりとてそのお金を自分の事に遣う気にはなれなくて、こうやって健司と遊んだりする事に使っちゃおうと決めていた。
カプセルをあけて、お互いの戦利品を見せ合うと、今度は駄菓子を二人で選んだ。
「あのね、こういう時の為にパパから、ちゃーんとお金預かってるから、マジで好きなの、好きなだけ選んでいいよ?」と、鵺は言う。
倒れてしまった祖母・志之の事があって、とても苦労しただろう健司を、何とか慰めてあげたかった。
それでも健司は遠慮深く、二、三個安いお菓子を籠に入れ、「んーと、後はいいや」と笑う。
鵺は、「子供が遠慮してはいけません!」と、叱るような口調で巫山戯て言うと、「えーい!」と声をあげて、健司が確か好きだったお菓子達を、健司の籠に放り込んだ。
「いずみの分も買ってこ?」
鵺はそう言って、かごにみんなで分けて食べられそうなお菓子や、女の子が好みそうなお菓子をいれる。
飛鷹いずみは、健司とそう変わらない年でありながら、凄くしっかりとした言動をする女の子で、日帰り、または時々泊まり込んで、健司の家のお手伝いをしてくれていた。
いずみが泊まり込みの時は、健司の部屋に一緒に眠りに行っており、色んな話をするのだが、本当に考え方が大人びていて、鵺は年上でありながら、何度か叱られたりもしている。
けれども、どうも憎めなくて、鵺といずみと健司は家では殆ど一緒に行動していた。
「あ、あと、コレ、コレ新発売の!」
そう指を差しながら、プラスチック製の小さな袋に入った組を取る。
「みんなで一個ずつね?」
そう言って、籠に入れると、健司から籠を預かり、レジに座るおばちゃんへと渡した。


水命に頼まれたおつかいを済ませると、荷物はかなりの重さになった。
健司が持つと言い張るのを「子供は無理よーん?」と言いながら、うんしょと抱え直す。
頭上から照りつける太陽の日差しにも辟易して、少し「面を被って楽しちゃおうかしら?」と思わないでもなかったが、健司が怖がるだろうし、面をつけ、たくさんの袋を下げて町中を歩く自分を想像すると、正直ゾッとしたのでやめておいた。


買い物の途中途中でも、色んなものに気を引かれる鵺を子供ながらに放っておけないと思ったのだろう。
「鵺? もう、帰るぞ? いいよね。 もう帰るからね?」と、何度も、何度も健司が確認を取ってくる。
鵺は苦笑して頷くと、「はーい。 健ちゃんの言うとおりにしまーす」と答え、その舌の根が乾かない内に、雑貨屋の表に出ているマネキンが下げている鞄に気を取られて、フラフラと近寄っていった。


「かーわーいーいー…」


そう呟く鵺。
ビーズやスパンコールを縫いつけてある、ジーンズ地の小さめの鞄で、ちょっと出掛ける時などに重宝しそうだった。
形もコンパクトで可愛らしく、一瞬悩むものの「ぬーえーー?」と健司に呼ばれながら腕を引かれ、「ごめん、ごめーん」と言いながら名残惜しげに、店の前を離れる。
(うー、次のお小遣い日まで、あの鞄、残ってますように…)
そう鵺は祈りつつ、健司と一緒に帰路についた。


「たっだいまぁ!」
明るい声をあげながら、玄関の扉を開ける。
シュライン・エマがパタパタと、走り玄関へと迎えに出て来てくれた。
「お帰り。 おつかい。 ご苦労様。 暑かったでしょ?」
知的な美貌に笑みを浮かべながらそう言われ、、「ほーんと、溶けちゃうかと思った!」と言いつつ、「ね? 健司!」と隣りに立つ、健司に同意を求める。
何故か、ぼんやり此方を見上げていた健司が、慌ててコクンと頷いた。
「でもさ、鵺ってば、寄り道ばっかしだし、いらないモン買おうとするし、何頼まれてるか忘れるし、お前、ほんと年上かよー?」
健司にニカッと、歯を剥き出しにして笑いながら、そう言われれば、「ナーマーイーキー」と言いつつ、グリグリと健司の坊主頭を鵺が抑え付けてやる。
それから「エマさん。 ホイ! 頼まれてたの!」と言いつつビニール袋を差し出した。よっぽど、鵺の手には重そうに見えたのだろう(実際重いが)。
慌ててビニール袋を受け取ってくれる。
「あの、色々スイマセン」
色々やってくれてる事に対してだろう。
健司が、頭を下げるのを、エマは目を見開いて見つめ、それから「子供が、大人に遠慮なんてしなていいの」と優しい声で告げると「さ! アイス冷えてるから、みんなで休憩しよ?」と笑いかけてくれた。


古い家らしく、台所と畳の居間が襖と段差だけで区切られており、開け放って風を通しがてら皆で集まれるようにする。
家自体は広く、部屋数も二人で住むには充分すぎる程ある家なので、泊まり込みで来てくれている人達も銘々の部屋があてがわれていた。
と、いっても、水命などは心配だからって事で志之の隣で布団を敷いて寝ているし、鵺といずみも、健司の部屋で寝ているしで、部屋割りなどあって無きが如し扱いになっている。。
レッスンの合間を縫って来てくれている、プロのチェリストの卵、初瀬日和が、ここに来がてら差し入れとして買ってきてくれたアイスを振る舞ってくれた。
チョコミントのアイスを舐めつつ、「幇禍君。 暑いトコで倒れてないかな?」と考える鵺。
あのスーツ姿で、ずっと外にいたら、いい加減茹であがってしまうだろう。
アイスを差し入れにいってやりたいが、幇禍が何でそうやって外に潜んで鵺を見ているかというと、鵺が別行動をしようと言ったからであって、その張本人が差し入れにいくというのもおかしな話だ。
ふと見れば、初瀬が何だか知らないがずーんと落ち込んでいた。
「おりょりょ? どうしたの、初瀬さん。 空気がどよーんってなっちゃってるケド?」
鵺は気になって、初瀬の顔を覗き込んで問う。
すると突然、「うえーん」と鵺に泣きついてくる初瀬。
「もう、今日は、色々失敗ばっかりしてるのよねぇ。 ほんっと、私、駄目だなぁ」と愚痴るってくるので、思わず「キャハハッ!」と笑い声をあげてしまった。
そして、「アイスは美味しいし、天気は良いし、みんなで一緒にいられるし、失敗なんて、大した事ないっていうか、むしろ、失敗してない!って感じじゃない? ほら、初瀬さんもアイス食べる、食べるー!」と、初瀬の唇に自分のアイスを押し付ける。
仕方なさそうに、小さく口を開いて、初瀬がパクリとチョコミントアイスを頬張り、「…ま、そうかな」と、初瀬が呟いた。
鵺は、あっけらかんとした笑みを浮かべ「そうだよ」と頷く。
大体、失敗して思い悩むという経験が余りにも少ない鵺からすれば、初瀬の落ち込みは意味不明で、(なにしちゃったんだろー?)なんて首を傾げた。


休憩後、シオン・レ・ハイという名の、彫りの深く端正な顔立ちをした男性が、雨どいを修繕すると言っていたので、健司やいずみと一緒に手伝う事にした。
シオンの後ろを、三人並んでついて歩く。
「カルガモの親子みたい」と、随所で思われている事にも気付かず、演劇用語で言う所のガチ袋(トンカチや、釘など、大道具やセット作成の為の道具が入っている袋のこと)を下げたシオンに「じゃ、いずみと健司で、私が打つとこ抑えて、鵺は私に道具を渡して下さい」と言ってくる。
三人揃って、真剣な表情で頷くと、修繕箇所に脚立を立て、いずみと健司が、ぐっと力を込めてその足を押さえた。
「ちゃんとしろよー?」
そう言う健司に「あなたこそね?」といずみが言い返す。
この二人、気が合うんだか、合わないんだか。
ちょっとした喧嘩は絶えないものの、ずっと一緒に行動していて、やはり年が近いと親しみやすいのかな?と鵺は考えていた。
「鵺、釘を下さい」
シオンに言われて、ヒョイと渡す。
コンコンコンと、軽快なリズムでトンカチを振るうシオンを見上げ、「かっくいー」と鵺は見惚れた。
それから暫くの間、シオンは、トンカチを振るい、鵺に幾つかの道具を渡すよう言ってきたが、その箇所の修繕が済んだのだろう、脚立から降りると、三人に向かって「ご苦労様でした」と笑顔で告げてくる。
皆で顔を見合わせ「えー? もう、終わり?」と言えば「他の箇所は、足場は安定してますし、今の部分よりも高いところの修繕ですので、万が一トンカチや、釘を落とすと大変危険ですから、もう良いですよ」とシオンは言った。
「いいよ。 大丈夫だよ。 手伝うよー」とごねる健司の腕を引っ張って「もう、良いって言ってるのに、そんな風にゴネルのは我が儘よ?」といずみが言う。
そのまま、二人今度は銀髪の長髪を一括りにし頭にタオルを巻いた無愛想な青年、諏訪海月の元へと走り寄っていった。


だが鵺は立ち去らず、「んじゃ、んじゃ、次のステージへレッツゴー!」とシオンに声を掛ける。
「いえ、鵺さんも、もう大丈夫ですよ?」とシオンが言ってきたが「幾ら、足場が安定して脚立の足押さえ係りがいらなくなっても、道具渡し係りは欲しいでしょ?」と言い返した。
頭上から降り注ぐ、トンカチのリズムに軽い酩酊感を感じていると、シオンが低い穏やかな声で言った。
「…幇禍さんに、会いましたよ?」
その言葉に、思わずバッと、頭上を見上げてしまう鵺。
だが、シオンは修繕箇所にトンカチを振るい続けながら「愛されてますね。 鵺」なんて言ってくる。
「まーね!」
そう言いながらも、頬が熱くなるのを押さえきれない鵺。
(どーして、バンバン見つかっちゃうかなぁ? ていうか、鵺が恥ずかしいんですけど!)
そう心の中で幇禍に文句を言いつつ、鵺はシオンの手伝いをし続けた。



夜。
泊まり込みに来ていたいずみに「そんな添加物一杯のお菓子を夜中に食べるなんて信じられない!」と言われつつ、たくさんの駄菓子の袋を開ける。
文句を言いつつも、駄菓子達に興味はあるようで、いずみは「コレは、何?」「これは、どうやって食べるの?」と聞きつつ、健司と一緒にお菓子に手を伸ばしていた。


夏休みに、子供達で一つの部屋で眠るんだから、これ位の事はしておきたい。
屹度、今手伝いに来ている大人達は、健司に正しい楽しみしか教えられないだろうけど、鵺は健司に大人達に歓迎されないような、ちょっと悪い楽しみも教えておきたかった。
(大体、こういうお菓子を美味しいと思えるのは、子供の時だけだしね)
そう、考える鵺。
こんなトコ見られたら、確実に叱られると思うと、何だかワクワクしてきて、鵺は着色料の色に染められたグミを口の中に放り込む。
冷蔵庫でこっそり冷やして置いた炭酸ジュースの缶も程良く冷えていて、三人は如何にも体に悪そうな美味しさに舌鼓を打ち、文句を言っていたいずみもいつしか「ねぇ、鵺。 そのチョコは、美味しいの?」なんて言いつつ、手を伸ばすようになっていた。
そんな中で、健司がぽつんと呟く。
「婆ちゃん倒れたっていうのに、こんなに楽しくって良いのかな…」
すると鵺、「エイ」の一声と共に健司の頭を軽くぽかりと殴り「好きな人が、楽しい気分でいる事は、自分にとっても楽しいことでしょうが。 いいの、いいの。 夏休みだもん」と言い、いずみも「馬鹿ね。 貴方が楽しくなくても、楽しくても、現状は変わらないわ。 だったら楽しい日々を過ごして、そのお話を志之さんにしてあげられた方がよっぽどステキじゃない」と言った。
健司は二人の言葉に頷くと、目の前にあるお菓子を一気に口に詰め込む。
そして、喉に詰まったのだろう。
「うっ! ゴフッ! ゲフゲフッ!」
とむせ、それをなんとかする為に、炭酸ジュースを喉に流し込み、当然余計に酷い状態に陥ったのをいずみは「馬鹿ね?! 大丈夫?」と驚き、心配そうに、鵺は「アハハハ!」と手を叩いて笑いながら眺めた。




数日後。



鵺は、その日、朝から釣りに行く約束を、健司といずみに海月、それに初瀬の恋人である悠宇と交わしていた。
まだ、外が薄暗い時間に無理矢理目を覚まし、這うようにして布団から出る。
既に、いずみと健司は起きているらしく、眠い目を擦りながら階段を降りれば、どうも皆、台所に集っているみたいだった。
恐竜パジャマの尻尾の部分を引きずりつつ、のたのたと歩く。
台所へ足を踏み入れると、まず目に入ったのは、きちんと出掛ける用意を済ませてある健司といずみの姿だった。
「ん…んー? あっれ? 健ちゃんも、いずみももう、準備済ませちゃってんの? ヤッバーイ。 起こしてよ、一緒の部屋に寝てるんだからぁ」
そう、小声で喚く鵺の耳に、「君ね、小学生の二人に、起こして貰うだなんて情けないと思わないのかい?」といういやぁぁっみたらしい声が聞こえてきた。
「むぅ。 そのいやぁみ且つ気障ったらしい声…」
そう言いながら声の方向に視線を送れば、案の定、鵺の天敵、蒼王・翼が立っている。
朝から、その美貌はキラキラとした目に眩しい程に光りを放っており(うっとーしー)と鵺は心の中で呻いた。
そして顔をしかめて「やっぱり、翼かぁ…」と鵺は呻く。
この二人が犬猿の仲である事は、翼と鵺がこの家で鉢合わせする度に繰り広げる小競り合いのような者で、皆とっくに察しがついているらしい。
「またか…」というような、生ぬるい視線を送られる。
「大体、この家に泊まり込んでおきながら、中学生にもなって、海月さんのように、自分達の昼食であるお弁当作りの手伝いに来ないってどういう事だい?」
そう言われ、(海月さんってば、その為に、お泊まりしたんだ。 義理堅いなぁ)と感心しつつ、頬を膨らませて「うっさいなぁ。 鵺、あんまりお料理が得意じゃないもん」と言う。
水命が慌てて「いえ、鵺さんも色々お手伝い頑張ってくれてますもの。 気にしないでいいのよ?」とフォローに入ってくれて、鵺は「水命さんって、やっさしー」と言おうとした時だった。
鵺の言葉を遮るようにして、翼は愛おしげに見つめ「水命さん。 貴方は、なんて心優しい人なんだ」と、水命の手を握って囁く。
「初めて見た時から感じていたけれども、貴方は天使です。 天使そのものです」
美少年めいたその美貌に間近で囁かれ、水命が頬を赤らめた。
鵺は呆れてまーた、やってるよ…」と言うものの水命の耳には入らないようで、二人の間に点描が飛ぶような、思わず何劇場だよと、突っ込みたくなるような光景が繰り広げられた。
それから、暫く後、コンコンと控えめに玄関をノックする音で、水命の意識は現実に戻ったようだった。
パタパタと足音を立てて、玄関へと走る水命。
悠宇が迎えに来たのだろう。
水命のその後ろ姿を見ながら「かれんだー…」と呟く翼に、(何言ってるの、この子?)と不思議に思い、「は? カレンダー?」と素で鵺が問い返す。
途端、ムッとしたような表情になる翼。
「バカじゃないか? 何でカレンダー? いつ、僕が暦を知りたいなんて言った?」
「や。 でも、翼が言ったんじゃん。 カレンダーって…」
「か・れ・ん・だ! 君に、世界一似合わない言葉だよ」
そうわれ流石にムッと機嫌を損なう鵺。
「いーっ」と唇を歪めると「鵺、いっつも幇禍君に可愛い、奇麗、最高って言って貰ってるもん。 翼に何言われたって平気だね!」と言い、「もうっ! 翼の作ったお弁当なんか食べなきゃいけないのが、ヤになってきちゃった。 翼ってば、本当に料理巧いの〜?」とむくれる。
そんな鵺に「お言葉だけど、君よりよっぽど上手だよ。 腕前は知らないけど、確信できる」と翼が告げ、売り言葉に買い言葉の典型的な例なんだろう。
鵺は、眉を吊り上げると「じゃあ、今日のご飯作り、鵺もする!」と宣言してしまった
「一緒に作って、腕前確かめてあげる」
そう言う鵺の言葉に、余裕ありげな笑みを浮かべて「良いけど、君、釣り行くんじゃなったっけ?」と言う翼。
鵺は、クルンと健司、いずみ、そして海月の順に視線を送ると「御免! そういう事だから!」と言い、次いで玄関へと走る。
そして、玄関に立つ、悠宇の姿を認めると立ち止まり、「ごめん! 鵺、行けない!」と言った。
目を丸くする、水命と悠宇。
「は? 行かねぇの? 鵺」
悠宇の言葉に頷き、鵺は「今日のご飯作りの手伝いがあるから行けない!」と言い放つ。
「え? でも、料理苦手って…」
そう言いかける水命に「苦手だけど、頑張るもん。 っていうか、翼に言われっぱなしって、メッチャ嫌なんだよね!」と答える鵺。

鵺の言葉に、「ま、本人が、そういうやる気を出したのなら、良いのでは?」といずみが言ったのを切欠に、名残惜しげに鵺を振り返る健司を含む、四人は釣りへと出掛けた。
健司が出ていき際に、鵺に約束した。
「鵺に、俺の釣った魚食べさせてやるよ」
その言葉を、心から嬉しく思い、「うん。 待ってる」と鵺は笑顔で答える。


四人を見送った鵺は、「と、いう訳で、水命さんは、今日は台所仕事お休みっ! さ、寝て寝て」と、言いながら、働きづめの水命の背中を押した。
水命が「でも、朝ご飯だけは作っちゃわないと…」と答えつつ台所に向かえば、既に翼が、朝食の準備を始めている。
流石である。
「あれ? 水命さん、約束したよね? お弁当作りが終わったら、休むって。 頼りないけど、助手も出来た事だし、朝食が出来れば呼びますので、どうぞお休み下さい」
そう翼にとろけるような笑みで言われ、抵抗できないまま水命が頷き立ち去ると、「さて…」と翼が、鵺に視線を据え。
「何が出来るの?」
と、問い掛けてきた。


「違う。 その持ち方だと指切る。 あと、大きすぎる。 ちゃんと短冊切りにして」
翼に文句を言われつつ、鵺は、今までにないほど必死になって包丁を動かす。
集中しすぎて、血管が切れそうだ。
翼が朝ご飯に考えているのは、アジの開きに、お味噌汁、ごはんに卵焼きと至ってシンプル且つ、日本の朝ご飯とも言うべきメニューで、既にアジは焼き始めており、お味噌汁の具もあらかた用意し終えて、卵焼きの卵に出汁を入れて割りほぐしながら、鵺が自分のノルマを終えるのを待っている状態だった。
「早くしないと志之さんを待たせる事になるよ?」
翼の言葉に躍起になって、包丁を動かす。
何とか、味噌汁の具である大根を切り終えたときには、ガクリと全身の力が抜けるほどの疲労を感じた。
だが翼は、そんな鵺に、早速次の仕事として「じゃ、今度は、卵焼き焼いてみる?」と、言ってくる。
志之用の雑炊を作りながら、平行して味噌汁に大根を入れた翼は、「…作り方分かるかい?」と聞いてきた。
小さくフルフルと首を振る鵺に、「はぁっ…」と溜息を吐く翼。
「むむむぅ…。 何よ! しょうがないじゃん。 作った事ないんだし」
反論する鵺に「ま、そうだよね…」と答えた翼は「じゃ、見本見せるから見てて?」と声を掛け、卵焼き器を火に掛けると油を丁寧に敷いて、よく熱した後、まず割りほぐした卵を1/4ほど流し込んだ。
表面が盛り上がってきた場所を掻き回し、まんべんなく半熟状にすると、卵焼き器の向こう側から手前に向かって卵焼きを折り返していく。
卵焼きを巻いたら、その巻いた卵焼きを手前から向こう側にスライドさせ、 手前の空いたスペースに残った卵を流し込む。 それを何度か繰り返し、翼は見事な卵焼きを作り上げた。
「ね? 簡単だろ? やってみなよ」
翼にそう言われ、恐る恐る卵焼き器を手にする。
翼の見よう見まねで、卵焼き器に油を敷くが、どれくらいの分量が正しいのか分からず、必殺!目分量にて、適当に入れた。
その後、熱しすぎたのか煙をあげる卵焼き器を見つめ「ねぇ、ねぇ、モクモクってなってるケド、良いの?」と翼に問い掛ければ、黙って溜息を吐かれ、濡れた布を卵焼き器に被せられる。
「少し待って、温度を下げてから、卵を流し込んで? いい? 煙がたってくるのは、熱しすぎ」
そう言われて、鵺はコクンと頷くと、暫く後に卵を流し込んだ。
しかし、今度は冷ましすぎたのか。
翼が作った時みたいに、ジュッという気持ちの良い音を卵焼き器がたててくれない。
「火が弱いのかな?」
と思い、強火にすれば、今度はあっという間に卵が固まってしまった。
慌てて、翼がしたように、卵を折り返そうとしても、巧くいかず、その内焦げ付いてくる。
何とかぐしゃぐしゃなれど、折り畳み、残りの卵を急いで流し込んで、作り上げた卵焼きは、スクランブルエッグのなれの果てのような姿になっていた。
しかも、油が少なかったのか、卵焼き器の底に焦げた卵がこびり付いている。
落ち込み、出来当たった卵焼きを見下ろす鵺。
翼が、そんな鵺を横目で眺め、それからヒョイとその卵焼きをつまんだ。
「…まぁ、見た目はアレだけど、でも美味しいよ?」
そう言われ、慰められている事に気付き、「どうしたの? 鵺のこと、慰めるなんて?」と問い掛ける。
すると翼は首を振り、少し唇の端を持ち上げると「僕はね、女の子が作った料理は、どんな事があっても、絶対に誉めることにしてるんだ」と答えた。



志之に、雑炊とほぐしたアジの開き。
それに、翼が作った方の卵焼きを持っていく。
「あれ? 今日は、翼と鵺がたべさせてくれるのかい?」
そう志之に笑顔で言われ「あのね、頼りないだろうけど、我慢してね?」と鵺は言った。
翼が、そっと優しい手付きで志之の体を抱え起こす。
「痛い所はないですか? 大丈夫ですか?」
そう翼が聞くと、志之は笑顔で頷いて「ああ、良い案配だよ」と答えた。
鵺も、「志之さん、この位の量で良い?」と聞きながら、雑炊を掬った木杓子を志之の口元に運ぶ。
翼の料理は、絶品らしく、志之はかなりの量を平らげると「ありがとう。 もうお腹一杯。 美味しかったよ。 ありがとうね。 翼も、鵺も」と礼を言ってくれた。
鵺は頬を掻きつつ「エヘへ。 でも鵺、殆ど作ってないし…」と言えば、志之は首を振り「あんたの切った大根、丁度良い大きさで食べやすかった」と笑顔で言ってくれる。
鵺は、ほんわり心が温かくなって、「そう? やったぁ」と小さく手を叩いた。


その後、零を交えて朝食を取る。
洗濯物を干してくれていた零は、「美味しそうーv」と言いながら、パクパクと料理を平らげていった。
鵺も、お腹が空いていたので、美味しく料理は頂いたが、卵焼きだけは見ていると憂鬱な気分になって箸を出せなかった。
零と、志之は翼の作った卵焼きを、鵺と翼は鵺の作った卵焼きを食べる。
翼はパクパクと卵焼きを食べながら、「落ち込むんなら、精進すれば良いだろ? それにね、美味しいって、本当に」と鵺に言った。
渋々卵焼きに箸をつけ、口に運ぶ。
美味しい。
確かに、ちょっと焦げているが、それでも美味しい。
だが、この味は翼の付けた味で、自分の味ではない。
「ふぅ…」
小さく溜息を吐いた鵺に、翼が横目で視線を送って、それから何も言わずに味噌汁を啜った。



その後、洗い物、洗濯畳み、掃除、庭の草木への水やりと、襲い来る家事に何とか立ち向かう鵺だが、どうも巧くいかず、失敗ばかりを繰り返してしまう。
洗濯物も、巧く畳めず、掃除だって、物を壊してしまい、翼はそれでも、鵺が真剣だって事が分かっているのだろう。
何も言わずに、フォローしてくれた。
昼食を作らねばならない時間になって、俯いたまま台所へ足を踏み入れる。
「何を作ろうかな?」
と言いつつ、鵺を元気付けようとしてだろう、「とびきりのものを作るよ。 だから、俯かない!」と翼に背中を叩かれ、余計情けない気持ちになった。
しかし、プンと鼻先に漂った、芳しい匂いに鼻をひくつかせる鵺。
視線を上げれば、台所の机には見事な中華料理が並んでいた。
八宝菜に、餃子、天津飯に中華スープ。
志之の為にだろう。
柔らかな、中華そばまで用意してある。

(幇禍君……)

鵺にはすぐ分かった。
幇禍が、作っていってくれたのだ。
今し方出来上がったばかりのような湯気を立てる料理を前に、鵺は(ありがとう)と心の奥で呟くと、翼が「良いなぁ。 君には素敵な、フィアンセがいて」とウィンクしてきた。


志之の昼食のお世話をした後、零とそれから、先程「志之さん、散歩に連れてってあげようと思って」と言いながら、何処かから車椅子を持ってきたシオン、それに起きてきた水命を交えて昼食を取る。
幇禍の中華料理は完璧といって良いほど美味しくて、皆、庭か、何処かから中を窺って居るであろう幇禍に聞こえるように大きな声で「美味しい! 凄い美味しい!」とか「絶品! この、八宝菜最高!」と料理を誉めた。



正直、皆の優しさが痛い。



「うう。 むしろ、一緒にいてくれた方が、恥ずかしくないのかなぁ…」と考える鵺。
だが、シオンも、水命も真剣な様子で料理を大声で誉めていて、翼に「…ま、君も大変だね」と同情されてしまった。


午後、水命とシオンが志之を連れて散歩に出るのを見送り、また、家事に励む。
美味しい中華料理を食べたおかげであろうか。
午前中ほどの酷い落ち込みはない。


自分が落ち込んでいる初瀬に言った言葉を思い出し、「天気は良いし、ご飯は美味しかったし、みんなと一緒だし、落ち込む事なんて微塵もないね」と自分を励ます。
タタタタタと志之の部屋の前の縁側の雑巾掛けをしていると、志之が「頑張ってるね? ありがとうね」と言ってくれて、益々鵺は張り切った。


さて、夕食の準備のため、再び台所へ入る鵺。
翼にジャガイモを渡されて、「じゃがいもの皮を剥いた後、一口大に切って?」と言われて、皮むきに没頭し始める。
翼は、ほうれん草を湯がき始めており、どうも今晩の夕食は肉じゃがにほうれん草のお浸し、そして健司達が釣ってきてくれるであろう魚を作った料理を予定しているようだった。
すると、突然玄関口で「シオンさーん?」と、シオンの名を呼ぶエマの声が聞こえてきた。
顔を見合わせる翼と鵺。
「シオンさんって、車椅子何処かへ返しに行ってたよね?」
そう鵺が言えば、「あー、じゃあ、ちょっと出迎えに行ってくるから、皮むきサボらない事」と翼が告げて台所を出ていく。
「ん、まー! 失礼な言い草っ!」
と呟くと、鵺は、じゃがいもの皮むきに専念した。


暫く後、翼がエマを連れて現れた。
エマ、何故か、腕には、大量の花火が入った袋を下げ、大きな西瓜を抱えている。
あんな大きな西瓜を抱えて歩いて来たんじゃ、大変だっただろう。
エマは憔悴しきった表情で、台所の椅子に座り込んだ。
翼が、棚からグラスを出しながら、鵺の手元を見て眉を上げる。
「君ね、もうちょっと、ちゃんとじゃがいもを支えなよ。 それから、皮を剥いているのに、どうしてそんなに身を抉るんだい?」
翼がうんざりしたような声で言ってくるので「うーるーさーいぃぃ」と唇を横にひん曲げてそう言い返し、また、鵺は、じゃがいもの皮むきに没頭した。
翼が、コトリと冷たい麦茶をいれたグラスをエマに差し出しつつ「ご機嫌麗しくなられたようで、良かったです」と囁く。
(翼って、ほんと、女の人に優しいよねって、じゃあ、鵺って何よ!)
そう内心憤りつつ、鵺は二人の会話に耳を傾ける。
「んふふ。 まぁね…」と言いつつ、エマはよっぽど喉が渇いていたのだろう。
麦茶を喉に流し込んだ。
それから大きなスイカを横目で眺め「コレってさ、みんなで食べようと思って買ってきたんだけど…、入らないよね? 冷蔵庫」と、呟く。
「うーん、これはねぇ…」
困ったように眉を顰める翼の肩をポンと叩き、「ま、こーいう時は、先人の知恵よね」と言って、「じゃ! 夕食楽しみにしてるわ」なんてちゃっかり告げると、エマはスイカを再び抱えて台所から立ち去り、志之の寝所に向かっていった。


その後、とうとう我慢がならなくなったのか。
「っ! 何度言ったら分かるんだ! そんな風に包丁を使わない!」
と、翼に怒鳴られ、鵺は負けじと怒鳴り返す。
「コレで良いの! だって、翼の言うとおりやってたら、指切っちゃうよ!」
「分かんない子だなぁ! それにね、顔近づけすぎ。 そんな距離で喋ったら、具材に唾が掛かる」
「うっさいなぁ。 洗えば良いジャン。 後で」
「そういう問題じゃなくて!」
そう激しく言い合う翼と鵺を、タイミング悪く、休憩のために足を踏み入れたシオンがオロオロと眺めていた。
シオンは止めようという素振りを見せるのだが、どうも間に入れないらしい。
そんな中、釣りから帰ってきた悠宇と海月がクーラーボックスを抱えて台所に足を踏み入れた。
助かったとばかりにパァッと表情を輝かせ「おかえりなさい。 如何でした?」と問い掛けるシオン。
海月が答えの代わりにクーラーボックスを開けて見せてくる。
中には大量の魚達が水を張ったクーラーボックスに詰まっていた。
思わず鵺は歓声をあげる。
「大量だね! 凄い、凄いっ! ねぇ? 健ちゃん、何匹釣った?」
そう問い掛けられて悠宇が指を三本立て「三匹。 初心者にしては、上出来だな」と答えた。
いい加減翼に怒鳴られながらの料理に飽きていた鵺は、「すっごい! 誉めてあげなきゃ」と言いながら、ビュンと台所を飛び出す。
そのまま、志之の部屋へと駆け込むと、「おっかえり! 健ちゃん。 君、三匹釣ったんだって?」と明るい声で言いながら、健司の背中に飛びついた。
「いいなー! 鵺も、行けば良かったぁ」
健司を後ろから羽交い締めするように、抱きつきながら口を尖らせる鵺。
翼には怒られっぱなしだし、殆ど、家事の役には立たなかった訳で、それを考えると涼しい川の側で釣りをしている方が、ずーっとマシだったかもしれない。
だけども、今日一日家事をしてみて、日頃のみんなの大変さが理解出来た訳で、そういう意味では収穫があったと言えるのだろう。
ギュッと健司の首根っこに囓り付けば、何だか、庭の方から「んなっ!」と、怒り混じりの幇禍の声が聞こえてきたりする。

(幇禍君〜〜。 バレバレだよ〜?)

と、下を向き、そう心の中で唸れば、エマが何も聞かなかったかのような素振りで、「そういえば、鵺ちゃんは、どうして行かなかったの?」と、聞いてきた。
鵺は暗い視線を畳に向けていたが、エマの大人な対応に、パッと顔をあげて、ニコリと笑うと「だってさぁ、翼が、なんか、『ふふん。 君みたいな人は、多分お料理なんて繊細の事ぁ、出来やしないだろうね。 ボンジュール。 ま、お今晩は、ミーが腕によりをかけてデリシャスディナァを振る舞うので、子供達に川遊びに出掛けるが良いさ、モナムール』って言ってきたもんだから、悔しくて…」と、そこまで言った瞬間、「それは、誰の話なのかなぁ?」と絶対零度の声が、背後から聞こえてくる。
「だぁーれぇーがぁー、そんなアホっぽいっていうか、アホそのもの?な、事を言ったって?」
翼に地を這うような声で問われれば、鵺は背後を振り返り、ニコリと笑って「翼ってば、こんな風にいっっっっつも、気障っぽい、喋り方してるじゃない?」と、答えた。
後方には、憤怒の表情で仁王立ちになっている翼と、その後ろから怖々部屋の中を覗くシオンに、何が起こってるのか全く理解して無さそうな、無表情の海月がいる
「してない! ていうか、そんな喋り方の人間はいない!」
翼は、そう一刀両断すると、既に骨抜きにされているらしい水命が大きく頷いた。
「そうですよ! 翼さんは、そんな変な喋り方しません! もっと、こう、気品溢れる感じで、御伽の国の王子様みたいで、浮世離れしてて…」
水命の微妙にフォローになってない、フォローに、翼が極上の笑みを浮かべ「ありがとう。 水命さん。 君のような人に、そんな風に言って貰えると、凄く嬉しいよ」と囁き、二人の間に少女漫画で言う所の点描のようなものが飛ぶって、何劇場だ、コレは。(二回目)
鵺が小声で「してんじゃん。 気障喋り…」と呟き、その呟きを耳聡く聞き止めた翼が再び、鵺を睨み据え険悪な雰囲気が漂い始めるのを止めようと、エマが体を二人の間に割り込ませてきた。
そんな現状の中、海月はそれまでの状況が目に入っていないのか、鵺とエマの間を通り抜けて、ヒョイと置きっぱなしになっていたスイカを持ち上げる。
「コレ…、冷やさねぇと、美味くねぇぞ?」
ボソリと、海月が呟けば、パァッと目を輝かせたシオンが「うわ! スイカだ! スイカだ!」と嬉しげに言い、ペシペシと海月の抱えるスイカに手を伸ばして叩いた。
シオンがエマにねだったのか、身の詰まった事を知らせる鈍い音を響かせながら、見惚れるような笑みを浮かべて、エマに「ありがとうございます」と御礼を言った。
エマは、すました顔で「いえいえ。 どういたしまして」と返事し、次いで「海月さんは、知ってる? このお家ね、裏手の庭に井戸があるんですって。 で、そこで、スイカ冷やそうかなって考えてたんだけど…」と、話の転換を計る。
海月は、どうも井戸の存在を知らなかったらしい。
海月無表情な目の奥が、少しだけ揺れた気がした。
鵺は、何度も井戸で、健司達と水浴びをしているせいか、知らない人がいる事の方に驚きを感じる。
それに、スイカを井戸で冷やすなんて、滅茶苦茶楽しそうだ。
鵺は、海月に井戸の存在を知らせてあげたくなって、ヒョイと立ち上がり、「案内してあげる! 凄いんだよ。 井戸!」と言ってスイカを抱えたままの海月の腕を引き、それからエマに「冷やしてくるね」と言って、そのまま、トトトと、部屋を二人で後にした。


途中、通り抜けねばならない台所に足を踏み入れれば、悠宇と何度かこの家で会話を交わした事のある、日本美人な女性、雨柳凪砂が会話をしながら机の側の椅子に座っていた。
「どうしたんですか? それ?」
スイカを見た凪砂に不思議そうに問われ、「いや。 エマさんが、何か、持ってきたらしい」と海月が無愛想な声音で答える。
続けて鵺ははしゃいだ声でに「でね! でね! 井戸で冷やすの!」と言った。
「井戸?」
首を傾げる凪砂に、嬉しげに頷く鵺。
「この家の裏庭にあるんだよ? アレレ? 凪砂さん知らない? じゃ、鵺、案内してあげるよ」
そう申し出る。
「井戸なんてものが、都内にまだ残ってるんですね…」
夢見るように呟いて、凪砂は古い物が好きなのか、目を輝かせて「是非、案内して下さい!」と鵺に言った。
「その…前に…」
と、言いながら、海月は机の上に置いてあるクーラーボックスから、あまごを取り出す。 存在感のある大きさにも関わらず、全くクーラーボックスの存在に気付いていなかったらしい凪砂が、驚いて「わ! 何ですそれ?」と質問した。
「釣り行ったんだよ。 川にな」
黙々と魚たちを、台所にあるボールに移す海月に代わって、悠宇が答える。
「今日はかなり、入れ食いでさ、あんたも夕食食ってくんだろ? 美味い川魚が食えるぜ? 肉じゃが見る限りじゃ、料理作ってる奴の腕は信用出来るしな」
その言葉に、凪砂がみるみる笑顔になった。
悠宇の言うとおり、海月の手の中にある魚達は艶があって美味しそうで、期待しても損のない素材に見える。
しかし、「料理作ってる奴の腕は信用できるしな」という悠宇の言葉に鵺はプンとむくれると「翼は、確かに料理上手だけどね! 性格は最悪に悪いし、気障だし、もう、チョーむかつくんだから!」と言った。
そして「大体さ! 『ミーは、女の子の味方ザンス、プロバンス! 世界中の女の子は、ミーの物でありんす〜』とか言うんだったら、私にももっと、優しくしてくれても良いよね!」と、鵺は喚き、その瞬間、「だ〜〜かぁぁらぁぁ、それは、誰の話だ!」の怒声と共に、いつのまにか鵺の背後に立っていた翼に冷たい瞳で睨み降ろされている。
「やっだぁぁ? また聞いてたの? もしかして、翼ちゃんってば、盗み聞きプリンス?」と問う鵺に「…やだなぁ。 そんなプリンス」と思わずぼそっと呟いている、悠宇。
翼は、ワナワナと震えながら「キミは、本当に、僕の神経を逆撫でる天才だね?」と言った後、黙々と魚の内蔵を取り出し、洗っている海月の姿を見留て、慌てたように走り寄った。
「っと、スイマセン! 有り難う御座います。 …って、わ、凄い、手際良いですね」
感心したように言われ、「一人暮らし長いから」と、素っ気なく答える海月。
「洗うのだけやっておくから、他の料理の準備進めな」
その海月の言葉に、「あれ? スイカは?」と思い、鵺が抗議した。
「えー?!  折角、井戸に案内してあげるつもりだったのに! スイカどうすんのよ?」
そう言えば海月は「悪いが、サッと行ってきてくれないか?」とあっさり言う。
元を言えば、強引に連れ出した事も忘れ、(勝手〜)と思いつつむくれた表情で、「じゃ、行こ? 凪砂さん」と凪砂に声をかける鵺。
凪砂が頷いて、スイカを抱えようとするも「あ! それ鵺が持ちたい」と、手を挙げた。
こんなに大きなスイカ、見た事無くて、是非一回、抱き抱えてみたい。
「大丈夫? 重たいわよ?」
と、凪砂が不安げに問われつつも任せてもらえば、細い両手を一杯に広げて、スイカを「うんしょ」の一声と共に、抱えると、鵺は小柄な体をゆらゆらさせながら、先に立って歩き始めた。


確かに重い。
ズッシリとクる重さだ。
何度か抱き抱え直し、その度に不安げな目で、凪砂に見つめられる。
井戸の前まで辿り着くと、二人で力を合わせて縄を引き、つるべを引き上げて、水のたっぷり入ったその桶に、スイカを入れる。
そして、再び、ゆっくりとスイカを井戸に落とさないように井戸の中に入れた。
これで、スイカを冷やせる筈だ。
水は、かなり深いところから引いている地下水なので、とても冷たい。
そして、条例で飲料水として使えなくなっている事が惜しい位澄んでいる。
「この水でね、前はみんなで水浴びして遊んだんだよ?」
そう無邪気に言えば、凪砂は「そうなの。 気持ちよさそうね」と羨ましげに答えてくれる。
「ウン、気持ち良いよ!」と鵺は言うと、二人は並んで台所へと戻った。



さて、台所には、先程までのメンバーに加えて零もいた。
翼と、海月は並んで調理を続けており、その体勢のまま、翼が凪砂に問い掛ける。
「凪砂さんにお聞きしたいんですけど……」
いきなり声を掛けられて驚いたのだろう。
ビクリと身を跳ねさせ「…っ、っはい!」と、返事をした凪砂に、翼が、心から済まなさそうに「あ、すいません。 驚かせてしまって…」と詫びた後、「あの、庭に隠れてらした方、凪砂さんご存知ですか?」と、意味の分からない疑問を投げかけた。
凪砂が目をパチパチさせ、「えーと、幇禍さんの事ですか?」と聞いている。
(わぁ。 凪砂さんにまで、知れているよ。 存在が)
凪砂の言葉に、鵺が、深い深い、溜息を吐き「どーして、あんなトコに潜むかなぁ」と呟く。
「あ、いえ、幇禍さんじゃなくて…あの、もう一人いらっしゃったと思うんですけど…」そう翼が言えば、海月は続けて「別にどうって事はないし、害意も全く感じなかったが、見知らぬ気配があったからな…」と呟いた。
先程の寝所での話だろう。
だが、鵺は気配なんてもの微塵も感じておらず、「おお、この二人凄い」なんて、素直に感心する。
寝所にいなかった悠宇には、何が何やら分からなかったのだろう。
混乱した顔で周りを見回していたが、ポンと手を叩くと「幇禍なら、知ってんぜ? あいつ、まだ鵺の事、見守ってんの?」と、面白そうに言う。
その言葉に鵺が頭を抱え、(どんだけの人に知られてんだよ? 潜むって、潜むって………潜んでないじゃーーーん!)と内心叫ぶと、「ていうか、悠宇にまで知られてんの? 恥ずかしいなぁ、もう…」と呻いた。
凪砂は、少し笑みを浮かべると「じゃあ、もう一方は新庄さんですね」と答える。
「新庄さん?」
そう首を傾げる翼に、凪砂は「健司君の里親候補です」と告げた。
(里……親?)
里親などという思ってもみなかった言葉に驚く鵺。
零が素っ頓狂な声で「里親?!」と叫んだ。
だが、考えてみれば、志之の死後、健司の面倒を見ていく人は確かに必要なのである。
「や、ま、確かに、そりゃあ、考えなきゃいけねぇ問題だけどよぉ」
そう呟きながら悠宇は、台所にある丸椅子に腰掛け足を組むと「詳しい話、良いか?」と凪砂に聞いた。
凪砂は、頷くと、口を開く。


「つまり、新庄さんは、家族になりたいんだそうです。 健司君の。 そして、志之さんの…。 これからする話はロマンスなんです。 それも、涙が出る位、純粋なロマンス」
そう口火を切った凪砂。
静けさが、蝉の声を運んできた。


「まず、始まりは、私が草間さんに対し、健司君の親族関係や、里親になってくれそうな人の調査、捜索依頼を行った事でした。 健司君が、志之さんの死後誰に引き取られるかというのは、重大な問題に思われましたし、放ってはおけなかったので、お節介が過ぎる事を自覚しながらも、せずにはいられなかったのです。 後に、その依頼を幇禍さんが手伝ってくれるという事になり、幇禍さんは、有力なネットワークの持ち主とお知り合いになられているようで、そういうツテも行使しつつ、探してくれたのですが、やはり、健司君には親戚と呼べる人はおらず、志之さん自体、複雑な事情があって、完全に身寄りのない身の上の方でした。 草間さんの調査も暗礁に乗り上げ、さて、どうしようかと悩み始めた時に、幇禍さんの知り合いがある情報を彼に教えてくれたのです。 どうも、健司君や、志之さんの事を、知ってる人がいるらしいと。 その情報先は、ある出版社で、その出版社にお勤めになっていらっしゃる方が、自分の担当先の作家が、もしかすると、その志之さんや、健司君達を知っているのではないかと、幇禍さんのお知り合いに教えてくれました。 幇禍さんは、慌てて、その作家さんのお家、つまり新庄さんのお家を訪ねました。 そこで、全ての事情を説明し、里親になる人を捜している事をお伝えしたところ、それならば、是非自分がという事で、本日お越し願えたという訳です」
そこまで聞いて鵺が、あっけらかんとした調子で凪砂に尋ねる。
「それで、一体、その新庄さんって人と、志之さんはどういう関係なわけ?」
鵺の問いに凪砂は、一旦唇を舌で湿らせ、再び口を開いた。
「新庄さんって方は、健司君のお父さんの学生時代の親友だったそうです。 健司君のお父さんは、随分と親切な好漢だったそうで、新庄さんは昔、大学に通う為に下宿していた家が火事にあってしまい、殆ど身の回りの物も持ち出せずに焼け出された時に、同じゼミだった健司君のお父さんに助けられ、このお家で卒業までの間、お世話になったと言っていました。 その時、既に志之さんのご主人は他界されていたらしいのですが、志之さんは、男手が増えると新庄さんの事を歓迎し、殆ど家族同然として、三人でこの家で、二年ほどの年月を過ごしたそうです。 新庄さんは、余り家庭的に恵まれてない環境で育ったそうで、余計に、その二年は、大事な思い出となったのでしょう。 だけど、新庄さんは、その二年間で、思い出以上の大事なものを見付けました」
翼が、全てを察したように、そっと囁く。
「それが、志之さんなのですね…」
翼の言葉に、息を呑む一同。
話を聞いていれば、友人の母親を好きになったという事で、随分と年も離れているはずである。
(やるねー! 志之さん)
と、鵺は快哉を胸の内で叫んだ。
凪砂は、翼の問いにコクンと頷く。
「30歳近く年が離れていますから、始め新庄さんが、志之さんに想いの丈を告げても、取り合っては貰えなかったそうです。 在学中に、公募の文学賞で受賞し、卒業時には、何とか食べていける位まで新庄さんが、作家として独り立ちしても、志之さんは、新庄さんの結婚して欲しいという申し出に、首を縦に振りませんでした。 でも……、どうなんでしょうね…。 本当に嫌な相手ならば、想いを告げられた時点で、この家を出ていかせるんじゃないでしょうか? 志之さんが、新庄さんの事をどう想っていたかなんて、今となっては分かりませんが、それでも、新庄さんの事を悪しくは考えていなかったんじゃないでしょうか?」
凪砂は、一旦そこで言葉を止め、懐から一枚の写真を取り出す。
そこには、この家の前で並んで立つ、若い頃の志之と、それから健司は父親似なのだなと感じさせる、快活そうな男性、そして、優しげな目をした男性の姿が写っていた。
この男が、新庄だろう。
鵺は手を伸ばし、如何にもしっかりしてそうな、ひまわりのように力強い笑顔を見せる志之の顔を指先でそっと撫でた。
「これ、新庄さんの大事な写真を焼き増しして貰ったんです。 皆さん、御覧になりたいかと思って…」
凪砂が、そう言って笑う。
「素敵な写真ですよね……。 新庄さんが、大学を卒業して一旦地元に帰る前に、撮った写真だそうです。 新庄さんが、地元に戻る前の日、再度、志之さんに自分の気持ちを新庄さんは伝えましたが、志之さんは結局その想いを受け入れず、自分の事は、一時の気の迷いだから、忘れなさい。 もう、私に連絡を寄越してもいけない、と言って聞かせました。 新庄さんは、志之さんのその強い言葉を受け入れながら、それでも、何か困った事があったら、助けが欲しい事があれば、必ず自分を呼ぶようにと伝えて、地元に戻ったそうです」
写真の中の、新庄の表情は、笑っていてもどこか憮然としていて、なのに悲しそうで、色々複雑な感情の入り混じっているように見える。
どんな気持ちだったのだろう。
親友の、母親に恋をして、恥も外聞もなく、学生の身で求婚し、その全てを気の迷いと言われて、実家に帰る身というのは、どんな気持ちになるのだろう。
淋しいのだろうか、悲しいのだろうか、憎いのだろうか……。


それでもまだ、愛おしいのだろうか。


「結果を言えば、新庄さんの想いは、一時の気の迷いなどではありませんでした。 志之さんの事が忘れられず、他に女性と付き合っても、どうしようもなかったそうです。 それから、20年近く、結婚する事無く、ずっと、ずっと、ずっと……。 志之さんの事を、想い続けていたのです。 …純愛ですね」
凪砂の言葉に、翼が、静かに答えた。
「羨ましい位の、純愛ですね」
海月は、静かな声で呟く。
「そんなに惚れた女と、漸く再会したっつうのに、それが最期の別れが近い時だというのはどんな気持ちなのだろうな…」
凪砂が、蝉の声に耳を傾けながら答えた。
「悲しいでしょう。 それは、とてもとても、悲しいでしょう。 それでも、最期に会えないまま逝ってしまわれるよりは、屹度、悲しくないのだと思います」




そうだろうか?


鵺は思う。



そうだろうか?



綺麗事だ。




新庄はそれで良くても、自分の死に逝く姿を、自分を想ってくれてる人に見せるなんて、鵺には出来ない。



幇禍に、醜く死に逝く姿を見せる位なら、あの残った目も抉ってしまおう。




鵺は一人そう決意する。




女の気持ちを、皆知らない。





馬鹿だなぁ。

みんな馬鹿だ。





夕食の為に、皆でちゃぶ台を囲む。
食卓には、10人近い人間がついていた。
賑やかな食卓風景。
新庄は、写真に写っている姿よりも太っていて、禿げていた。
年月の無情さというのを体現しているような姿だが、それでも柔和そうな雰囲気と優しい目は変わっていない。
先程も、丁寧に挨拶され、健司の事を知りたいのだろう。
駄菓子屋などへ行った時の話を事細かに聞かれる。
「そっかー。 サラダ煎餅が好きなのか」
と、言う新庄を見て、きっと、この男なら、ねだられるままに、買ってやるのだろうと、ちょっと羨ましくなる。
今も凪砂が健司と、新庄の側に腰を下ろし、二人の会話を取り持とうしていたが、しかし、凪砂があくせくする間もなく、屹度新庄の人柄なのだろう。
健司は完全に、新庄に打ち解けていた。
「で? で? お父さん、そん時どうしたの?」
健司には新庄の事を、亡くなった父の友人とだけ伝えてある。
幇禍の言葉に従った結果らしいが、確かにその方が、打ち解け易くはあったみたいだ。
「んー? 逃げたよ? 自慢じゃないけどね、俺も、聡も喧嘩はからっきしだったんだ。 逃げるが勝ちだよ」
今も、父親と二人で不良に絡まれた時の思い出話を、流石作家と言うべき軽妙な語り口で聞かせながら、健司をカラカラと笑わせている。
健司の隣りに座るいずみも、黙ったまま聞き入っており、子供二人相手にも手を抜いた様子なく、新庄は真剣に語り続ける。
「すっげぇ! で、逃げられたの? 逃げられたの?」
「それがね、向こうも人数が居るからね、挟み撃ちに合っちゃって、で、そん時の聡が凄いんだ。 いきなり、近くにあった、家の塀をよじ登ってね…」
その口調に思わず、聞き入ってしまう鵺。
「うん! うん!」
と強い相槌を打つ健司の横腹を、いずみがつつき「ちょっと、うるさい」と言って、可愛らしい言い合いが始まり掛けるも、新庄が話し始めれば、再び意識はそのお話にいくらしい。
(かーわいいーv)
そう微笑ましく眺めていた鵺は、視界の端で水命と凪砂が何か話し合い、それから鵺の側にやってくるのを(何だろう?)と思いながら眺めていた。
「あの、一緒に、志之さんのお食事のお世話、お手伝い頂けませんでしょうか?」
水命に肩を叩かれて、そう言われ「およ? 何故に鵺?」と内心首を傾げつつも「オッケェ」と答える。
他にも新庄と、健司も一緒に世話に行くらしく、健司と並んで歩きながら「魚、美味しそうじゃーーん?」と、問い掛ければ「約束守ったからな。 俺、ちゃんと釣ったからな」と健司が誇らしげに答えた。



志之の寝所では、支える係を新庄、食べさせる係を健司が請け負った。
益々「なーんで、鵺ってば呼ばれたのかしら?」
と、首を傾げつつ、肉じゃがを口に運ぶ。
水命は健司に「そう。 うん、その位の量が、丁度良い…ですよね? 志之さん」と声を掛け、志之に確認を取りつつ、食事を口元に運ばせていた。
そんな中、鵺がパクリとあまごの塩焼きを食べて、目を見開いた。
プリプリっとした歯触りに感動して叫び声をあげる。
「おいしぃぃぃい! マジで! 超美味しいんだけど!」
そう嬉しげに言うのを、鵺以上に嬉しげに見た健司。
何故か、志之や、水命も嬉しげに顔を綻ばせた。
「だろ? 凄いだろ? 鵺が食べてる魚は、俺が釣ったんだぜ?」
と、得意げに告げる。
その顔が、あんまりにも可愛くって、鵺は「やーるなぁ、おぬし?」と言いつつ、頭をグリグリと撫でた。
志之も「じゃ、一口貰おうかね」と、告げ、健司が差し出したあまごの身を口の中に入れた。
「…へぇ。 美味しいねぇ。 ここんとこ、毎日美味しい物ばっかり食べさせて貰ってて、良いのかね。 こんな贅沢してて」
そう言う志之に、水命は「良いじゃないですか。 みんな志之さんに美味しいって言って欲しくて頑張ってるんですから」と言い、自分もあまごを口にしていた。
翼の腕前なのだろうあまごは、全く形崩れしておらず、肉じゃがも、中まで味が染みていて、幸せな気分になる。
悔しい。
やっぱ、すげーや。
「悔しいけど、おいしいなぁ」と、呟けば、水命はニコリと微笑んで「鵺さんがお手伝いしたのも、きっとこの美味しい料理を作るには必要不可欠だったと思いますよ」と言ってくれ、明らかに鵺が切ったと思われる不格好なじゃがいもをパクリと口に入れた。
健司も「面白ぇ形!」と言いつつ、ゴツゴツとした人参を口の中に放り込み「でも、美味しい」と照れたように鵺に言う。
鵺は、「嬉しい事言ってくれんじゃぁーん?」と心から言いつつ、健司の首っ玉にかじり付く。
再び「ぬぁぁ?!」という声が庭から聞こえてきたが「あははー。 幇禍君ったらぁ」位の感想しか最早、鵺は抱かず、気にしていないっていうか、気に止めない素振りで「健ちゃんの釣った魚も、すっごい美味しいよ?」と言った。
新庄が、「志之さんが素直に誉めてるって事は、よっぽど美味しいんですね?」と言って、空いている手でマスの甘露煮を器用に口に運ぶ。
「うん。 美味しい。 志之さん、マスも美味しいですよ?」
と、言いながら志之に笑いかけた。
「本当かい? じゃあ、頂こうかね」と、笑い返した志之の顔を見て「女の人の顔だな」と感じる鵺。
少し甘えるような、自分達には見せない、女の顔。
(いつまで経っても、女は女か…)


鵺はその事実を、何処か切ない気持ちで受け止めた。


夕食後、エマがスイカと同じくシオンに強請られて買ってきたという花火を皆で楽しんだ。



鵺は、恐らくここにいるだろうと思われる、植え込みに近付き「幇禍君。 出ておいでよ。 花火一緒にしよ?」と声を掛ける。
ガサガサッと音を立てる植え込み。
中から、髪に葉っぱをつけ、捨てられた子犬のような表情をしている幇禍が現れた。
「プッ…」と、鵺は吹き出し、「何て顔してんのー?」と言う。
「だって……、お嬢さんが……、別行動って言ったのに……」
そう呟く幇禍に「別行動って言ったって、ずーっと見守ってるんだもん。 しかも、潜んでるのにみんなにばれてるし」と指摘し、そして、「ごめんね。 面倒臭いなんて言って。 幇禍君、健ちゃんの為に一杯頑張ってくれたんだよね。 凪砂さんに聞いたよ」と言いながら、幇禍の胸にこつんと額を押し付けると「…やっぱさ、一緒にいよ? ね?」と言った。
「良いんですか?」
そう問われて小さく頷く鵺。
そして顔を上げると全開の笑顔で「さ? 行こ?」と告げた。


ヒュルヒュルッと音を立てて、空で咲く、海月が点火してくれている小さめの打ち上げ花火に、鵺は歓声をあげる。
家の奥にあったのを外に引っぱり出した、古い木の机に、切り分けられた西瓜が並んでいた。
と、言っても、物凄い勢いで売れたので、残りはあと僅かだ。
幇禍は、鵺と一緒に、花火を振り回してはしゃぐ。
悠宇が呼んだらしく、初瀬が涼しげな浴衣姿を披露しながら、二人並んで、花火をしていた。
縁側には、志之を寝かせて凪砂、エマと水命にシオンと翼、そして新庄が並んで座っている。
鵺は、花火を持ったまま走り回りながら、こういうのもたまには悪くないなと、心の中でうそぶいた。


さて、花火後、全員集合の状態になっている現状を見て「銭湯行かない?」と、鵺は明るい声で提案した。
花火の高揚も残っており、解散してしまうのが惜しくなったのだ。
皆も、帰る気になっていないみたいで、ここで大人同士なら飲みに行く?となるが、未成年の多い状況で、銭湯という提案は我ながら至極素晴らしいと思う。
「いいな、それ」
そう海月が、珍しく賛同の意を表したのも効いて、志之の世話の為に残るというエマと翼を置いて一路銭湯へ向かう事になった。
と、言っても泊まり予定の無い凪砂含むメンバー達は、皆、着替えに女性は志之の、男性は亡くなられた志之の旦那さんの浴衣を借り、タオルや石鹸なども、出して貰う。
鵺も、泊まり込んでいるのにも関わらず浴衣を貸して貰った。
「洗濯物、大変じゃないですか?」
そう、凪砂が問えば、海月と水命が同時に首を振り、「大丈夫」と答える。
「銭湯、銭湯〜v 初体験!」
楽しげに跳ねる鵺に、「お嬢さん、ちゃんと、前見て歩かなきゃ、転びます」と心配げに、幇禍が注意を促してきた。
凪砂は、銭湯は初めてらしく、「どんなんでしょうね?」と笑顔で海月に問い掛けて「…そんな、大の大人にワクワクする程の所ではない」と無表情に一刀両断されていた。
しかし、そう言う海月の後ろでは、スキップしそうな勢いで「みんなで、お風呂なんて、楽しみですね!」と健司と一緒になってはしゃぐシオン(42歳)がおり、何ら説得力がない。
健司も、「銭湯、こんな大人数で行くなんて、すごい!」と満面の笑みで、いずみに「こどもね」と冷たく笑われていた。
ま、しかし、そのいずみも、どこか足取りは軽く、鵺は、「こういうのも、悪くない」と再び感じた。


「ここが、私のよく行く銭湯です」
そうシオンが告げたのは、古ぼけたコンクーリート作りの、いかにも銭湯っていう感じの建物で、「ゆ」と書かれたピンクと、紺色ののれんが二つの入り口にそれぞれ掛かっていた。
「じゃ、あとでね?」
鵺がそう言って、女性用のピンクののれんをくぐり掛け、フトある事を思い付き「ん?」と足を止める。
そして身を屈めると「ねぇ、健ちゃんって、今小学校何年生だっけ?」と問い掛けた。
健司が、何でそんな事と首を傾げながら「えーと、三年生だけど…」と答える。
すると鵺が「じゃ、キミ女湯へGOね!」といきなり、その腕をひっ掴んだ。
「へ?」
と目を丸くする健司。
しかし、凪砂も「そうよ…ね。 小学生だし良いのよね、 ヨシ、おいで、健司君!」と言い、水命が「頑張ってるんだもん。 背中流してあげますよ」と言い、初瀬も、「じゃ、私は髪洗ってあげます。 だって、考えてみれば一番の功労者だもの」と言う。
突然の展開に目を白黒させる健司を置いて、悠宇が初瀬に「おい! なんで、健司そっち行く事なってんだよ! 馬鹿っ!」と怒鳴った。
幇禍も鵺に縋り付くようにして「止めて下さい〜。 小学生とはいえ、もう、男なんですっていうか、駄目です! お嬢さんの玉のお肌をそんな、異性に晒すわけにはいきません!」と喚いている。
そして、幇禍はいずみに視線を向け「やですよね? 同い年の男の子と、お風呂なんて」と言えば、いずみは「別に、健司は、同い年じゃなくて、年下だもの。 子供よ。 それにね、お兄さん達がそうやって小学生相手に取り乱してるのって、格好良くないよ」と一刀両断し、その言葉が決定打となって、健司の意志関係なく、彼は女湯へと引きずられていった。



銭湯は、程良く空いていて、女性陣+健司は気兼ねなく、湯船に浸かる事が出来そうだった。
「泡風呂がある!」
そう叫んで走り出そうとする健司を抱き締めるようにして捕まえ、凪砂が「まず、掛け湯。 それから、もう、水命さんと初瀬さんに洗って貰いなさい」と言っている。。
水命と、初瀬が四つ並びで空いている洗面所の前を確保すると、健司の手を引いて腰掛けの前に連れていった。
幇禍や、悠宇はあんな事を言っていたが、やはり健司は子供で、いずみと一緒に物珍しげに銭湯の内装を見回し歩いている様は無邪気そのものだ。
ただ、何故か鵺の裸だけは、直視できないようで、耳を少し赤くして、視線を逸らしてくる。
だが、鵺はそんな事に気付く筈もなく、「健司! 健司、凄いよ! 向こう、なんか色の違うお風呂もあるよ!」と、腕を引っ張りながら声を掛けた。
そして、お湯で体を洗うと、湯船の中に浸かり、ぼんやり健司達の様子を眺める。
まず、水命達は健司を腰掛けさせ、初瀬はシャンプーを手に馴染ませると、いがぐり頭に爪を立てないようにシャカシャカと洗い始めた。
「良いなぁ。 気持ちよさそう」
と羨ましそうに凪砂が言い、「痒いとこないですかー?」と、巫山戯て初瀬は笑いながら聞く。
すると、健司は「無いけど、初瀬姉ちゃんの髪の毛があたってる背中が痒い」と訴えていた。
初瀬が、掻いてやる前に凪砂がヒョイと手を伸ばして掻いている。
水命も、タオルを泡立てて、優しく健司の背中を擦り始め、その一連の動作全て眺めながら鵺は「…はぁ、何か、圧巻だよねぇ」と、呟いた。
言葉の意味が分からないのだろう。
「へ?」と問い返してくる凪砂。
鵺は、「健ちゃん〜? こぉーんな、上玉さん達に、体洗って貰うなんて、幾らつんでも出来ない経験よ? しっかり、心に刻んでおきなね!」と心から言った。
いずみが鵺の隣りに浸かりながら「…確かに」と頷く。
三人、何言ってんだか…なんて、笑い合って、「ほら、水流しますよ? 目を瞑って?」と、水命が優しく健司に声を掛けていた。


みんなで並んで湯に浸かる。
「ふぃ〜」なんて言いながら手足を伸ばせば、程良い温度の湯が体の芯まで染み渡り、額から流れる汗を手拭いで拭いつつも凪砂が「いいですね。 夏の風呂」と呟いた。
疲れが、すぅっと抜けていくようだ。
鵺は健司と並んで泳ぐように、湯船を移動しながら「ほーんと! 最高っ」と答える。
そして、凪砂の側まで近付くと、しげしげとその服を着ている姿からは想像できない程、豊かな胸元を眺め、溜息混じりに呟いた。
「…いいな。 凪砂さん、胸大きくて」
その言葉に、へ?と呟き、自分の胸を見下ろす、凪砂。
「そ…うかなぁ?」
自覚がないのか。
そう不思議そうに言われて、力一杯頷き、鵺は自分の胸を見下ろした。
相変わらずのスレンダーバストである。
「私、まな板みたいじゃん? なぁんか、ヤなんだよね」と言いつつ、「ね? 健ちゃんだって、胸大きい方がいいよね?」と鵺は健司に問うた。
健司は途端に顔を真っ赤にして「知るか! そんなのっ!」と答えてくる。
そんなやり取りを見ていた、水命が俯きながら「やっぱ、大きい人がいいですかね?」と、呟いた。
水命は、確かにそれ程大きくはないが、形はとても美しい。
「鵺ちゃんは、まだ大きくなる可能性あるけど、私は、もう、多分無理ですよね」なんて水命が言えば、鵺は「でも、水命さんは、形奇麗だから良いよ!」と力強く答えた。
初瀬も「でも、鵺ちゃんのすらっとした、スレンダーな体形も、凄く格好良いと思いますよ」と、話に参加してきて、一頻り胸談義に花が咲く。
そんな三人を眺め凪砂がいずみと健司、交互に顔を見合わせると「分かんないよね? こんな話」と言った。
健司はコクンと頷けど、いずみがいつものこまっしゃくれた感じで「でも、凪砂さんは恵まれてますから良いけど、女性にとっては深刻な問題ですよ? まあ、ただ、胸が大きいからといって、それで寄ってくる男性は、頭が悪い連中ばかりでしょうし、そういう意味では、無意味な論議と言えるかもしれませんね」と冷静に答え、鵺達を一瞬にして凍り付かせた。


さて、風呂上がり、ガラス張りの小さな冷蔵庫から、皆銘々に、珈琲牛乳やら、フルーツ牛乳を取り出して、番頭のお婆ちゃんに金を払い、皆で並んで飲む。
乾いた喉に冷たいフルーツ牛乳が流れ込み、鵺は夢中になって飲み干した。
「「「「「プハー!」」」」」
皆が一斉に、そう息を吐き出し、顔を見合わせて笑い合う。
「外、男性陣待ってるかも知れないから、急ぎましょうか?」
そう初瀬は提案し、皆は、志之に貸して貰った浴衣を身に纏い始めた。
悪戦苦闘している、鵺を初瀬が手伝ってくれる。
同時に、どうも巧く帯が結べない凪砂を水命が手伝っていた。
柄は少し古い物の、落ち着いた色合いの浴衣を着て、少し心が浮き立つような気分になる。
いずみは、サイズがないのと、丁度お泊まりに来ていた事もあって、自分の着替えのTシャツなどを着ていたが、浴衣が羨ましいのだろう。
頻りに、水命や、初瀬、凪砂の来ている浴衣に触れている。
初瀬が微笑んで、しゃがみこむといずみに「今度は、いずみちゃんも浴衣着ようね? お姉ちゃんが手伝ってあげるから」と囁いた。
「そんな、別に、良いです。 羨ましいわけでは、ありませんし」と言いつつも、少し嬉しげな表情を見せたいずみ。
鵺も、「うん。 今度は、いずみも、浴衣ね?」と勝手に決めて、その上、勝手に番頭に皆の銭湯料金を払う。
「え? いいです。 自分達で…」
そう言われども「鵺、今回、遊んでばっかで、全然手伝えてないもん。 大丈夫、パパから銭湯代をお泊り代として出しなさいねって言われて預かってるお金だもん。 気にしないで」と告げて、一足先に外に出た。







それからも、鵺は、毎日健司と遊んだ。
夜遅くまでお喋りし、ご飯も一緒に並んで食べた。
そういう日々が楽しかった。
充実していた。



夏休みも、終わりに近付いた頃の事だった。






志之が死んだ。







水命に知らせられ、慌てて志之の寝所へと行く。
そこには、まだ、新庄と健司しかおらず、誰かが呼んだらしい、医者が志之の枕元に座っている。







静かだった。
圧倒的な迄に静かだった。



死の音とは、無音なのだと鵺は悟った。
健司が、志之の右手を握り、新庄が志之の左手を握っている。




聖家族。



聖母子と聖ヨハネを指す言葉が、何故か、頭に浮かんだ。
それ位神々しく、近寄りがたい風景だった。
志之の唇が微かに動く。
新庄が、志之の唇近くまで耳を寄せ、そしてコクリと頷くと、鵺を手招きした。
鵺は、静寂を乱さぬよう、足音を立てずに志之の側へ行く。
新庄が、囁くように行った。
「…志之さん。 何か貴女に、仰りたい事があるそうです。 どうぞ、聞いてやって下さい」
そう言われ、耳を志之の唇の側まで近づけた。



「あんたは、優しい子だから……一人にならないよう気をつけなさい…」
そう告げられ、鵺は、「何を言っているのだろう」と混乱する。
「大事な人が……いるのなら、その人の手を…放すんじゃないよ? あたしみたいに…」
優しい?
鵺が?

まさか。


志之さん、何を言っているの?


そんな気持ちが表情に滲み出ていたのが、薄く志之が笑う。
そして、もう一度言った。
「あんたは、優しい子だよ。 どれだけ……あんたが、違うっていったって、…あたしには、ちゃあんとお見通しさ」


鵺は打ちひしがれたような気持ちになりながら、呆然とする。





志之が、新庄に「…健司の事、頼みます」と告げ、健司には「…幸せに…なりな」と言うのが聞こえてきた。
鵺は、動揺を隠せないまま、それでも、見つめなければ。
最期まで、ちゃんとみつめなければと、志之の顔を見つめる。




人は屑だ。
絶対的に屑だ。



そう信念を持っている筈なのに、どうしてだろう。
胸が痛い。
志之の瞼がゆっくりとおり、それから、呼吸が、深く、緩やかになり始めた。
健司は、何も言わず、涙も見せず、ぐっと耐えるように志之の手を握り締め続けている。
新庄が、目を真っ赤にしながら、最期の瞬間、志之に囁いた。




「愛してます」




志之が、微かに笑って、頷いたように見えた。









通夜も葬式も全て終え、鵺が家に帰る日。
健司が、何も言わずにグイと鞄を差し出してきた。
あのお使いの帰り道に、鵺が目を奪われた鞄。


「やる」


そう言われて、鵺は立ち尽くす。
健司の気持ちが、その瞬間分かった。


そっか、健ちゃん、鵺の事好きになってくれたんだ。


健司にとっては、その鞄はとても高価な物だっただろう。
きっと、一生懸命お小遣いをかき集めて買ってくれたのだろう。



鵺は嬉しくて、不覚にも涙が零れ落ちそうになる。




そういう涙も悪くないと思った。





鵺は、しゃがみ込み健司の目線に合わせるとゆっくりと言った。
「あのね、健ちゃん。 その鞄、すっごい嬉しい。 健ちゃんの事、今、最高男前って思った。 マジで、最高男前だと思う。 でもね…」
健司の体が少し震える。
「でもね、鵺は、今、凄い鵺の事大事にしてくれる人がいて、鵺もケッコーその人が大事で、で、ずーっと一緒にいて、鵺は、健ちゃんの為にも、その人の為にも、その鞄はその人の前では提げられないの。 だからね、受け取れない」
健司が、俯いた。
分かっている。
鵺を喜ばせようと思って、買ってきてくれたのだ。
どれ程勇気がいっただろう。
どれほど、頑張ってお金を貯めたのだろう。



胸が痛い。


人を傷付ける事に、初めて罪悪感を感じた。
「その鞄ね、可愛いし、多分流行関係ないからさ、健ちゃんが、鵺なんかより、もっと、もっと、もーーっと大事な人見付けたら、それあげなよ、ね?」
鵺の言葉に、健司は俯いたまま動けない。
鵺は、それ以上、何を言っても残酷になるような気がして、そっと最後に囁いた。
「健ちゃんの事好きよ? だから、お願い。 その鞄、これから出会う誰かの為に、大事にしてあげてね」
そして、立ち上がると、踵を返す。
健司が、そんな鵺の背中に「鵺の、ばーーーーっか! ブーーース! おばはーーん!」と、叫び声を浴びせてきた。
クスッと、小さく笑い声を漏らす鵺。
「鵺なんか、鵺なんか、鵺なんかなーーーー、だいっきらいだぁぁ!」
その声に、鵺は「大好きだよーーー!」と叫び返すと、タッと自分の家に向かって走り出す。
何処かで、「ほら、優しいじゃないか」と志之が言ったような気がして、鵺は空に向かって思いっきり、アカンべーをした。





  終




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■         登場人物            ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 ※受注順に掲載させて頂きました。

【0086/ シュライン・エマ  / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1847/ 雨柳・凪砂 / 女性 / 24歳 / 好事家】
【1572/ 暁・水命  / 女性 / 16歳 / 高校生兼家事手伝い】
【3604/ 諏訪・海月 / 男性 / 20歳 / ハッカーと万屋】
【3524/ 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】
【3525/ 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん 今日も元気?】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー兼闇の狩人】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】

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■         ライター通信          ■
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遅くなりまして、遅くなりまして、遅くなりまして、真に申し訳御座いません!
へたれ人間失格人間ライターmomiziで御座います。(切腹)
初めましての方も、そうでない方も、この遅れっぷりには、最早怒りを越えて、呆れられているのではと、怯えるばかりなのですが、全て私が悪いので、どうぞ、三発位殴ってやって下さい。
さて、えーと、毎回、毎回、ウェブゲームのお話に、是非、個別通信をやりたいと考えているのですが、毎回毎回、時間の都合により掲載できません。
ほんま、スイマセン。
なので、ご参加下さった全ての方々に「本当に有り難う御座いました。 再びお目に掛かれましたら、僥倖に思います」というお言葉を贈らさせて下さい。
あと、非人道的な位、長くなってしまった事もお詫び申し上げます。

momiziは、ウェブゲームの小説は、全て、個別視点の作品となっております。
なので、また、別PC様のお話を御覧頂ければ、違った真実が見えるように書きました。
また、お暇な時にでも、お目通し頂ければ、ライター冥利に尽きます。

ではでは、これにて。

momiziでした。