コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


聖家族



オープニング


小さな掌が、大事にくるんでいたたくさんの小銭達を机の上にそっと置いて、不安げに揺れる目で見上げられながら「足りませんか?」と聞かれた瞬間、零は耐えきれず目頭をハンカチで抑えた。
「おこづかいと、お年玉の残りと、あと、お手伝いした時にもらったお駄賃も一緒に持って来たんです」
武彦は小さな依頼人に、いつもの少し憮然とした顔つきで「足りないね」とにべもなく答える。
「大体、ウチは興信所であって、医者ではない。 無理だね」
冷たい言葉。
その言葉に、武彦の前に座る、坊主頭の子供の目からポタポタと涙が零れ落ちた。
「お…お、お願いします。 ば……ばぁちゃん…ずっと、俺の事、一人で育ててくれたから……、俺…どうしたら……いいか…」
そのまま、グシグシと泣き崩れる姿に、零は手を伸ばし、その小さな頭を胸に抱え込む。
「そうよね。 お婆ちゃんいなくなったら、独りぼっちになっちゃうものね……」
依頼に来たこの子の名前は、健司。
まだ、小学生だという。
両親が早くに死に別れ、祖母の手によって育てられたそうだ。
だが、その祖母も、かなりの高齢でこの夏、とうとう倒れてしまったらしい。
その間、健司は一人で家の中の事を切り盛りし、祖母の世話をし、学校にも通った。
だが、そんな健司の懸命な看病にも関わらず、医者の話では、祖母はこの夏一杯の命と考えた方が良いらしい。
「お、お婆ちゃんの事助けて下さい…。 何でもします。 お、俺、何でも…何でもします…」
彼は、この興信所が、不思議な事件ばかりを解決してきているという噂を聞き、藁をも掴む思いで尋ねてきた。
「お婆ちゃんの命…助けて下さい」
しかし、武彦は首を振り、諭すような調子で言う。
「決められた命の長さを、人の手では左右できない。 例え出来てもしてはならない。 お前の婆ちゃんは、立派に生きて、やっとお役ご免の時がきたんだ。 お前は、今、婆ちゃんが生きてる内に、もう一人で立派に生きてけるって見せて、安心してあの世へ行かせてやらなきゃ駄目だ。 有りもしない、命を永らえる方法を探すより、そっちの方がずっと大事なんだ」
武彦の言葉に、健司は首をブンブンと振る。
「ひ……一人で、なんて、無理です。 だって、だって、俺、ずっと婆ちゃんと一緒に……一緒に……」
そんな健司を見て、零は、沈痛な面もちで口を開く。
「一人でなんて、無理よね。 一人は、寂しいものね。 でもね、兄さんの言う通り、無理なの。 お婆ちゃんを助ける事はね、どうしても無理なの」
その言葉に、零と武彦、交互に視線を送った健司は、「う……うぅ…」と嗚咽を漏らしながら立ち上がり「分かったよ! もう、頼まないよ!」と叫ぶと興信所から走り出ていった。
零は、その背中に「あ!」と声を掛けて手を伸ばす。
そして項垂れると、「…どうしよう」と呟いた。
そんな零に、見透かすような視線を送りながら武彦は口を開く。
「あーあー、困ったなぁ」
「え?」
驚いたように顔を上げる零。
「あいつ、金置いてっちゃったな」
そう言いながら、ヒラヒラと一枚の紙を見せる。
「これ、健司が書いてくれた連絡先と住所。 んで、忘れ物の金」
「……え?」
「届けてくれるか?」
そう首を傾げられて、零は勢い良く頷く。
すると武彦は、少し笑って、「ホイ」と紙を渡してきた。
健司の家は、下町にある、古く、今にも倒れそうな姿をしていた。
零が、そっと中を覗き込めば、開け放した畳の部屋は、荒れ放題の様相を呈している。
どれ程頑張ろうとも、小学生一人では手入れが怠ってしまうに違いない。
祖母の世話だって、大変な筈だ。
ご飯はどうしているのだろう?
そう考え出すと、もう、駄目だった。
零は、トントンとドアをノックしながら決意する。
「お節介だって言われようと、私、この一夏、この家の家事を手伝ってあげよう」と。





本編



炎天下の中、人家の屋根の上にて修繕作業を行うという行為は、正直言って自殺行為だ。
だが、シオンは、「雨漏りが酷くてねぇ…」と健司の祖母である志之に、布団の中から呻くようにして言われた瞬間「では、直しておきます!」の一言と共に、屋根に駆け登っていた。
我ながら人が好いとは思うのだが、だからといってそのままにはしておけない。
庭では、同じく炎天下で庭仕事に励む、長い銀髪を一括りにし、頭にタオルを巻いている諏訪海月もいて、「頑張らないとな」と己に気合いを入れ直すと、再びトンカチを振るう。
玄関口の方で、「たっだいまぁー!」と元気な女の子の声が聞こえてきた。
銀髪、赤目の中学一年生の美少女鬼丸・鵺だ。
確か、健司と一緒にお使いに行っていた筈で、重そうなビニール袋を提げて歩いていた。
屋根に登っていれば、庭にある大きな植え込みに一人の男が隠れているのがよく見える。
魏幇禍。
鬼丸鵺の家庭教師であり、婚約者でもあるらしい。
泊まり込みで手伝いを行っている鬼丸鵺を、連日、物陰などから見守っており、朝もきちんと挨拶を交わしていた。
何故、物陰から?と聞けば、鵺に「幇禍君、来るとなんか騒動起きてめんどくさいから、今回は別行動ね!」と、言われ、それでも心配故に、ああやって影から見守っているらしい。
正直、ちょ〜っと変かな?と思わないでもないが、「愛されてるなぁ、鵺」と思う。
屋根の修繕を始めてから三時間、
あらかた直し終えたシオンが「次は、何処直そうかなぁ?」と考え始めた時だった。
家の中から初瀬日和が澄んだ声で「海月さん。 シオンさん。 休憩にして、アイス頂きませんか?」と呼んでくれる声が聞こえた。
プロのチェリストを目指しており、声楽にも精通しているとかで、初瀬の声は良く響く。
外見も声と同じく透き通るような美しさの持ち主で、恋人の羽角悠宇などは、一緒に手伝いに来た日は、ぶっきらぼうに振る舞いながらも、丁寧に扱っており、とても大切にしている事を伺わせた。
庭にいる海月が頷いて返事し、シオンも「今、行きますね」と言いながら慎重な足取りで梯子を下る。
「お昼をまわって、益々暑くなってきましたねぇ」
そう言えば、コクンと頷く海月。
二人連れだって、台所の奥にある茶の間へと向かう。


古い家らしく、台所と畳の茶の間が襖と段差だけで区切られており、開け放って風を通しがてら皆で集まれるようにしてあった。
家自体は広く、部屋数も二人で住むには充分すぎる程ある家なので、泊まり込みで来てくれている人達も銘々の部屋があてがわれていた。
と、いっても、今回泊まり込みで健司と志之の世話をしている、儚げな美少女、暁水命などは心配だからって事で志之の隣で布団を敷いて寝ているし、小学生ながらも驚くべき程大人びている飛鷹いずみや鵺等は泊まりにきた時は健司と一緒に並んで寝ているようで、それぞれの部屋などあってなきが如しのようだった。
日和が、ここに来がてら差し入れとして買ってきてくれたアイスを振る舞う。
シオンは、爽やかな檸檬のシャーベットアイスを選ぶと、シャクシャクとスプーンで掬って口に運んだ。
火照った体に、氷の冷たさが心地よく、吹き渡る風を頬に感じながら、シオンは「ふぅっ」っと小さく息を吐く。
屋根はあらかた直せたので、今度は雨どいの修繕にとりかかろうと考えていた。
家の中のガタがきていたあちこちを、演劇用語で言う所のガチ袋(トンカチや、釘など、大道具やセット作成の為の道具が入っている袋のこと)を腰に提げ、修繕して歩いた。
生来、こうやって人の為に働く事は嫌いじゃないので、別に苦にならないし、何よりここにこうやってお手伝いに来ると、必ず美味しい物が食べられていて満足だった。
健司や、いずみのような子供達も嫌いじゃないし、お年寄りの話し相手も得意分野だ。
なので、結構シオンは、この生活を楽しんだりもしていた。


休憩後、シオンは「頑張ってますね」と声を掛けてくれたエマに、「廊下の修繕も、殆ど終わりましたし、今度は雨どいでも直そうかと考えてるんです」と言いながら、庭を歩く。
シオンの後ろには、ゾロゾロと健司と鵺、それにいずみがついて回っていた。
健司の申し出で、雨どいの修繕のお手伝いをして貰う事になったのである。
「じゃ、いずみと健司で、渡しが打つとこ抑えて、鵺は私に道具を渡して下さい」
子供にも敬語のシオンの言葉に、真剣な表情で頷く三人
その余りの可愛らしさに、思わず頬が緩む。
「で、どこら辺から直すのー?」
そう鵺に問われ、屋根の修繕の出しっぱなしにしてあった梯子を畳んで脚立にすると、肩に担ぎ、「あの、家の隅の雨どいですよ」と指差した。

修繕箇所前に脚立を立て、いずみと健司が、ぐっと力を込めてその足を押さえてくれる。
シオンは、ヒョイと身軽な仕草で脚立をのぼり、姿勢を安定させると、壊れている場所の修繕を始めた。
「ちゃんとしろよー?」
そう言う健司に「あなたこそね?」といずみが言い返している。
この二人、気が合うんだか、合わないんだか。
ちょっとした喧嘩は絶えないものの、ずっと一緒に行動していて、やはり年が近いと親しみやすいのでしょうか?とシオンは考えていた。
「鵺、釘を下さい」
シオンがそう言うと、鵺がすぐに渡してくれる。
(可愛い助手が三人もいて、幸せだな)
そう考えつつ顔を緩ませるとコンコンコンと、軽快なリズムでトンカチを振るった。
それから暫くの間、シオンは、トンカチを振るい続け、手伝いのおかげもあって、思ったより早く修繕が終わり、脚立を降りる。
三人が顔を見合わせた後「えー? もう、終わり?」と言ってくるので「他の箇所は、足場は安定してますし、今の部分よりも高いところの修繕ですので、万が一トンカチや、釘を落とすと大変危険ですから、もう良いですよ」とシオンは言った。
言葉通り、これからの場所は、足場を押さえて貰っている方が逆に心臓に悪い。

「いいよ。 大丈夫だよ。 手伝うよー」とごねる健司の腕を引っ張って「もう、良いって言ってるのに、そんな風にゴネルのは我が儘よ?」といずみが言う。
そのまま、二人、今度は、海月の元へと走り寄っていった。
だが、何故か鵺が立ち去らず、「んじゃ、んじゃ、次のステージへレッツゴー!」とシオンに声を掛けてくる。
「いえ、鵺さんも、もう大丈夫ですよ?」とシオンが言えど、「幾ら、足場が安定して脚立の足押さえ係りがいらなくなっても、道具渡し係りは欲しいでしょ?」と言い返してきた。
確かに、そう言われれば、言われた通りなのだが、もし鵺の頭に何か落としでもしたら、幇禍に屹度殺される。
正直、手伝いして貰わない方が、有り難いなぁと思いつつも、断りきれず、トコトコと次の修繕箇所へ移動する際もついてくるのを止められなかった。


薄い鉄板のつぎを当て、釘を打ち込む。
そんな作業を続けながら、シオンはふと思い出して鵺に言った。
「…幇禍さんに、会いましたよ?」
その言葉に、バッと、頭上を見上げてくる鵺。
思わずからかいたいような気持ちになって「愛されてますね。 鵺」と言ってやる。
すると、「まーね!」なんて、可愛くない返事をしつつも、みるみる頬を赤く染めてしまう鵺。
(かーわーいーいー)
そうシオンは心の中で呟くと 「いーなー、幇禍さん」なんて少し羨ましくなった。


次の日。
バイトとの兼ね合いもあるものの、おおむね暇人と呼ばれるに差し支えないシオンは、健司に強請られて、虫取りへと付き合わされていた。
電車に乗って30分。
郊外に出れば、まだ、自然の残る山はある。
今日は、海月に悠宇、そしていずみが一緒だった。
正直、いずみは虫がそれ程得意でなく、最初来るのを渋っていたのだが、健司が強力に誘ったらしい。
不機嫌そうな顔を見せながらついてきている。
虫取りの提案は、悠宇からで「子供は、外で遊ばねぇと!」などと言っていたが、同時に家の中の家事が嫌だったのだろうとシオンは踏んでいた。
虫取り網を掲げて走る健司と、それを追ういずみ。
山の、木々の間を見れば、そこらかしこに虫はいて、「俺、絶対ヘラクレス見付ける!」と張り切った声で健司が宣言した。
悠宇が笑顔で「じゃ、誰が一番虫を捕るか競争だぜ?」と、提案する。
そういう提案で、子供のやる気を促進させるのだなと、シオンが感心すれば、悠宇はおもっくそガチンコで、虫を探し始めた。

子供である。

シオンは、まず、虫取りの基本を教えてやらねばと思い、健司といずみの手を引き「ほら、こういう木なんかが、一杯いるんですよ? 木を蹴ったりして、上から虫を落としたりしても良いですが、木も痛いし、虫もびっくりしますからね? 私達は、手の届く範囲の虫だけ探しましょうか」と言った。
海月も、健司達の側に来て「…あんま、俺達から離れるな? もし迷子になったら、大声で俺達を呼んで、そこから動くなよ」と言いつつ、魔法のように何処かからクワガタをヒョイと捕まえる。
「ほい」
そう言いながら、健司の虫篭に入れる海月に、悠宇が「あーー!」と叫び、「それずりぃよ、海月さん!」と猛然と抗議した。
悠宇の態度を子供と思えど、逆に健司を対等の男として扱っているのだな、と感じるシオン。
だからこそ、健司も友達のように心を開いて接しているのだろう。
海月もそう感じたのか、あっさり再びカブトムシを捕まえて、文句を言う悠宇の虫篭にいれてやると「これでイーブンだ」と、至って何でもない事のように言った。

天才だ。

思わず胸中で、そう呟く。
皆も目を丸くして海月に視線を送った。
「えーと……プロの方ですか?」
シオンは堪えきれずに、頓珍漢な問い掛けをしてしまう。
海月はキョトンとした顔でシオンを見た後、どう答えていいのか分からなかったのだろう。(ていうか、答えられないのしょうがないよね)
いずみの肩を叩き、「…あっちの木の幹。 あそこに蝶がとまってる」と言い、手を引いて別の木へと連れていった。
おっかなびっくり、蝶に手を伸ばすいずみに囁くように「強く握りすぎるなよ? 優しくな」とアドバイスする。
その姿を遠巻きにして「やっぱプロだ」と言いつつ、シオンものんびりと虫を探し始めた。



お昼。
悠宇が持たされたという、初瀬手作りのお弁当を皆で頬張る。
おかかや梅おにぎりと、各種おかず。
冷たい麦茶も勿論持ってきていて、丁度良い草原にシートを広げて腰掛けた。
夏の日差しは、木々に遮断され、涼やかな山の風が吹き渡っていた。
「美味しい!」
おにぎりを頬張り、そう健司が言えば「ま、日和が作ったんだし、当然だな」と、まるで我が事のように悠宇が自慢する。
確かに、かなり出来の良い弁当で、カニかまを真ん中に巻いた卵焼きも、見た目にも鮮やかで美味しい。
シオンは「健司君のお手伝いに来てから、美味しい物ばっかり食べれてて、ラッキーだなぁ。 ありがとうね」と、健司に心から御礼をいいつつ、パクパクと箸を進めてた。
午後からは、もう少し奥に虫を探しに行こうかと言い合っている。
皆の虫篭には、それぞれ、それなりの収穫はあったが、皆、もう少しと欲張る気持ちもないではなかった。


だが、それがいけなかったのか。


午後。
一匹大きめのカブトムシを見付け健司を呼んでやろうとした時に気付いた。
海月も、悠宇も目を離してしまったらしく、健司が一人、蝉を追って山の奥へと入っていってしまった。
先程まで、側にいたのにと見回せど、見あたらない。
集合場所を分かり易い位置で決め、いずみと海月、シオンと悠宇の組み合わせに別れて探す。


木々の間を歩き、不安定な足下に注意しながら、視線を周囲に配り、耳を澄ませる二人。
時折、「健司ーー!」「健司君ー!」と大声で呼び、足を止める。
「くそっ! 側を離れるなって、あれだけ言ったのに!」
そう怒鳴る悠宇の言葉を聞きながら、不安と心配で胸が押し潰されそうになるシオン。
この中で一番の年上は自分であり、当然責任者も自分だ。
もっと、ちゃんと子供達には目を配っておくべきだった。
このまま、もしもの事が健司にあったら、自分で自分を許せなくなりそうで、必死に健司を捜し回る。
悠宇も、焦燥の色を濃く滲ませ、「健司っ!」と名前を呼んでいた。
「もし、健司君に何かあったら、志之さんにどうお詫びして良いか……」とシオンは、先の事まで考えた不安を口にする。
かなりの山の奥まで探せど、健司は見つからない。
二人、疲労を忘れて健司の名を呼びながら、歩き回る。
海月や、いずみの方はどうだろう?
健司は見つかっただろうか?
連絡を取り合いたくとも、山の中では携帯の電波が届かず、悠宇が一旦集合場所に戻ろうとシオンに提案してきた。
「もしかしたら、見つかっているかも知れないし、そうでなかったら、この先の事を相談しないと…」
悠宇の言葉に頷くシオン。
二人、黙りこくったまま集合場所へ向かう。
ただ、健司の無事を祈った。


集合場所に近付くにつれて、いずみが何か言っている声が聞こえてきた。
それに何か言い返すように、少年の声が聞こえてくる。
思わず顔を見合わせるシオンと悠宇。
間違いない。
健司の声だ。
その瞬間、シオンはダッと、山の中を走っているとは思えないスピードで駆ける。
「っ! 健司君! 良かった、ご無事で!」
そう言いながら、走り寄り健司に飛びついた。
負けじと、悠宇も走ってきてシオンに抱き締められている健司の前に立つと、眉を吊り上げながら「山ん中で勝手に行動するってどういうつもりだ!」と大声で怒鳴る。
健司の頬が、赤く腫れており、きっと海月に叩かれたのだろうとシオンは確信した。
肝心の海月は、いつも通りの無表情で立っているが、ああ見えて、叱る時はとても怖い人なのかも知れない。
シオンは、ただ、ぎゅっと健司の体を抱き締める。
へたり込んみながら「良かったよ。 マジで…」と悠宇が呟いた。
そんな悠宇とシオンに健司は頭を深々と下げると、「ごめんなさいっ!」と、大声で詫びた。
シオンは眉を下げ「心配させないで下さい。 私は確実に寿命が縮みました」と本心から言って、そして「…怖かったでしょう? もう安心して良いですからね」と囁きポンポンと健司の肩を叩く。
一人で山の中で迷子になるなんて、健司のようよう子供にとっては酷い怖い出来事に違いない。
良かった。
無事に見つかって良かった。
そうシオンは心の中で繰り返す。
悠宇も「もう、勝手な行動すんじゃねぇぞ? でなきゃ、約束の釣り、連れてってやんねぇからな?」と言って、健司の頭を軽く叩いた。




電車を待つ、寂れたプラットホームから、次の電車まで時間があるからって事で健司と二人ジュースを自販機に買い出しに行く。
「どれにしますー?」
皆のジュースを抱えたまま硬貨を投入し、そう聞くシオンに「あの…ほんとーに、ごめんなさいでした」と健司が言った。
シオンはクスリと笑い「私は、どれにします?って聞いたんですけど?」と答える。
そして、健司が炭酸のグレープジュースを買うのを眺めながら「…今、たくさんの人が、健司君のお家にお手伝いに行っていますね?」と問い掛けた。
健司は、ジュースを取り出しながらコクンと頷く。
「あの、お手伝いに行っている人達はね、みんな、みーんな、健司君の事が大事なんです。 勿論、君のお婆さんの事もね? 私はね、それは、健司君にとって重荷になってないかな?って、時々考えるようにしてます」
目を見開く健司。
「そんなことないよ?」
と言われてシオンは笑う。
「そうですか。 それは良かった」
頷き、健司の頭を撫でて、言葉を続ける。
「でもね、健司君。 今日の事でも分かるように、大事になった人に何かがあったかも知れないって心配する事は、大変怖い事です。 今日の私達を見て、分かったでしょ? みんな、凄く狼狽えて、必死になる。 今はね、健司君。 君の事で、私達みたいに必死になってしまう人が、他にもたくさんいるのです。 それをよく覚えて置いて下さい。 まだ、小さな貴方には重すぎるかも知れませんが、同時に、とても幸福な事なのですよ」
シオンの言葉に真剣な表情で頷く健司。
シオンは「じゃ、そろそろ電車の時間ですから、みんなの所に戻りましょう」と、告げて、並んで駅へ向かった。


数日後。


その日は、健司達と釣りの予定を立てていたのだが、運悪く午前中のバイトが入って、一緒に行けなくなってしまった。
密かに落ち込むシオン。
「いーなー。 釣り。 行きたかったなー」と愚痴りつつ仕事を終え、健司の家に向かう。
今日は、健司の祖母である志之を、散歩に連れていこうかと考えていた。
病院関係者の知り合いから既に、車椅子は貸してもらっており、ゴロゴロゴロと注目を浴びるにも関わらず、押しながら道を歩く。
志之と、散歩をする事を考えながら歩くと、なんだか楽しくなってきて、いつしか釣りに行けなかった事を忘れ鼻歌混じりでシオンは歩き続けた。



健司の家に着けば、丁度お昼の時間帯で、それ目当てかと思われそうで恥ずかしかったが、幇禍が作ってくれたという絶品中華料理をご馳走になった。
今日は、最速の貴公子の異名を持つ美貌の女性F1レーサー蒼王・翼も手伝いに来ていて、何故か釣りに行くはずだった鵺も、家に残っており、水命と零も交えて、昼食を摂る。
何故だか、作った筈の幇禍は食卓におらず、やはり、鵺に言われた言葉を律儀に守っているのか、どうもまた庭にいるのではないかと考えたシオンは、幇禍にも聞こえるよう大きな声で料理を誉めた。
「うーわー! この、八宝菜は絶品ですね!」
すると、水命も、零も一緒になって「ほんと! それに、天津飯も柔らかくて美味しい!」だの「中華スープは、この季節とても飲みやすいわ!」だの大声で誉め続ける。
そんな三人の姿を見て、鵺が、恥ずかしそうに目を伏せた。

後に判明するのだが、その時は幇禍は、庭におらず、志之には「あんた達、限りなく馬鹿みたいだったよ」と言われ、シオンはとても落ち込むことになる。


「ずっと寝てばかりも何ですし、お散歩行きません?」
そうシオンは志之を誘い、水命もその提案に賛同して、同行してくれる事になった。
「今日は顔色も良いですし、天気も良いですし、行きませんか?」
水命がそう言えば志之も、「そうだねぇ。 ちょっと、久しぶりに外出ようかね…」と、答えてくれて、ひとまず零と翼と鵺に家の中の事は任せて、三人で散歩に出掛ける。


明るい日差しの中、水命が日傘を志之に差し掛けてやりながら歩く。
シオンはゆっくりと車椅子の背中を押し、静かな午後の街をのんびり歩いた。
「暑いねぇ…」
そう言いながらも、湿度は低く、カラッとしており、時折吹き渡る風も爽やかで、志之が気持ちよさそうにしているのを、シオンは何より嬉しく思う。
「健司君。 魚、一杯釣ってきますかね」
シオンがそう言えば、「昨日ね、あたしに釣った魚食わせてやるって息巻いてたからね…、父親に似て、やるっつったらやる子だよ? きっと、大漁さ」と、自慢げに答える。
シオンと、水命は志之の孫自慢な台詞に顔を見合わせ微笑み合うと、「そうですね。 屹度、大漁ですね」と答えた。
そのまま、街の真ん中にある公園の中に足を踏み入れる。
公園の中の噴水脇に「あいすくりん」と書かれたのぼりを掲げた自転車が止めてあるのを見留め、志之が「懐かしいね。 アイスクリーム売りだ」と声をあげた。
シオンは「本当だ」と嬉しげに言い、「ね? 折角だし、買いましょう?」と二人に提案する。
こんな物には滅多にお目に掛かれないのだ。
食べなきゃ損だ。
志之が「あたし、丸々一個も食べられないよ…」と言えば、水命が「じゃ、半分個しましょう」とはしゃいだ声で言い、シオンは子供のようにワクワクとした足取りで、アイスクーリム売りに近寄っていった。
のぼりには、「あいすくりん」と書いてある文字の下に「バナナ味」と書いてあった。
「二本下さい」
自転車の側に佇む老人にそう言えば、柔和な笑みを浮かべて頷きながら、二本渡してくれる。
「二百円ね」
そう言われて、お金を払うと、シオンは駆けるようにして二人の元へ戻った。
一本は自分、一本は志之に渡すと「バナナ味だそうです。 美味しそうですよ?」とシオンは薦める。
そして、自分も一口囓ると「ん! 冷たいっ!」と、声をあげた。
志之も、アイスを囓り、にっこり笑う。
そしてまた、三人はのんびり歩み始めた。


その後、車椅子を返却に向かって、健司の家に戻る。
少し喉が乾いたので、台所へ麦茶をご馳走になりにいった。
台所では、翼と鵺が並んで調理している。
翼は見事な、腕前を披露していたが、鵺は何とも頼りなく、シオンが見ていてもハラハラするような場面が何度もあった。
この二人、どうも犬猿の仲らしく、寄ると触ると喧嘩をしている。
そんな二人が一緒の台所にいるのだ。
空気が悪くならない筈がなかった。
「っ! 何度言ったら分かるんだ! そんな風に包丁を使わない!」
翼に怒鳴られ、鵺が負けじと怒鳴り返す。
「コレで良いの! だって、翼の言うとおりやってたら、指切っちゃうよ!」
「分かんない子だなぁ! それにね、顔近づけすぎ。 そんな距離で喋ったら、具材に唾が掛かる」
「うっさいなぁ。 洗えば良いジャン。 後で」
「そういう問題じゃなくて!」
そう激しく言い合う翼と鵺を、シオンはオロオロと眺めた。
(ど、どうしよう、止めた方が良いのかな?)
そう思うのだが、どうも間に入れない。
そのまま、この空気にシオンが耐えられなくなってきた時だった。
釣りから帰ってきた悠宇と海月がクーラーボックスを抱えて台所に足を踏み入れた。
思わず、これぞ天佑(天の助け)と確信し、シオンはパァッと表情を明るくする。
「おかえりなさい。 如何でした?」と問えば海月が答えの代わりにクーラーボックスを開けて見せてくれた。
水を張ったクーラーボックスでは、たくさんの魚が泳いでいた。
「凄い!」
そう声をあげようとするも、シオンよりも先に鵺が歓声をあげる。
「大量だね! 凄い、凄いっ! ねぇ? 健ちゃん、何匹釣った?」
シオンも気になっていたその問いに、悠宇は指を三本立て「三匹。 初心者にしては、上出来だな」と答えた。
鵺が「すっごい! 誉めてあげなきゃ」と言いながら、ビュンと台所を出ていく。
「もう、料理に飽きたみたいだな…」
呆れたようにそう呟いて、それから二人に翼が麦茶を出した。
「楽しんでましたか? 健司君」
翼にそう問われて、悠宇が自信たっぷりに頷く。
「帰り道なんか。ずーっと、釣りの話してんだぜ? 次はいつ行こうかってな」
悠宇の言葉に(いーなー。 次は、絶対一緒に行こ!)とシオンは決心し、翼が「じゃ、また連れてってあげて下さいよ」と言って、それからふと顔を曇らせた。
「どうした?」
海月が問えば、翼がツと眉根を寄せ、表情を険しくし、「嫌な予感がする」と呟く。
そして、「ちょっと、今から寝所の方へ行ってきます」と言ってくるので、シオンまで不安になった。
海月も同じ様な気持ちになったからだろう。
「俺も、挨拶がてら行こう」と言う。
シオンも、気になり「私も、行きます」と告げて、立ち上がった。


襖の前に立つ三人。
翼の肩がワナワナと震えている。
襖から漏れてくる声が、翼の肩を震わせていた。
「だってさぁ、翼が、なんか、『ふふん。 君みたいな人は、多分お料理なんて繊細の事ぁ、出来やしないだろうね。 ボンジュール。 ま、お今晩は、ミーが腕によりをかけてデリシャスディナァを振る舞うので、子供達に川遊びに出掛けるが良いさ、モナムール』って言ってきたもんだから、悔しくて…」と、そこまで言った瞬間、我慢しきれなかったのだろう。
「それは、誰の話なのかなぁ?」と襖を開け、絶対零度の声で、鵺に問い掛けた。
憤怒の表情で仁王立ちになっている翼を見上げ、あちゃーと言う表情を見せる鵺。


嫌な予感ってコレか。
いや、当たってたんだけど、そして違う意味で当たってなくて良かったんだけど…。

思わず、シオンはガクリと脱力する。

「だぁーれぇーがぁー、そんなアホっぽいっていうか、アホそのもの?な、事を言ったって?」
翼が地を這うような声で言えば、鵺は背後を振り返り、ニコリと笑って「翼ってば、こんな風にいっっっっつも、気障っぽい、喋り方してるじゃない?」と、答えた。
「してない! ていうか、そんな喋り方の人間はいない!」
翼は、そう一刀両断すると、どうも翼に惚れ込んでいるらしい水命が大きく頷いた。
「そうですよ! 翼さんは、そんな変な喋り方しません! もっと、こう、気品溢れる感じで、御伽の国の王子様みたいで、浮世離れしてて…」
水命の微妙にフォローになってない、フォローに、翼が極上の笑みを浮かべ「ありがとう。 水命さん。 君のような人に、そんな風に言って貰えると、凄く嬉しいよ」と囁き、二人の間に少女漫画で言う所の点描のようなものが飛ぶって、何劇場だ、コレは。
鵺が小声で「してんじゃん。 気障喋り…」と呟き、シオンは思わず同意しそうになったものの、その呟きを耳にした翼が再び、鵺を睨み据え険悪な雰囲気が漂い始めるのを感じ、身を縮こまらせる。
しかし、海月がそれまでの状況が目に入っていないのか、鵺とエマの間を通り抜けて、ヒョイとエマの側に転がっている大きなスイカを持ち上げた。
「コレ…、冷やさねぇと、美味くねぇぞ?」
シオンは、思わずそのスイカに目が釘付けになる。
そういえば、前にエマにそれとなーく、ねだったのだ。
「みんなでスイカが食べたい」って事と「花火がしたい」って事を。
まさか、本当に買ってきてくれるなんて。
この調子なら、花火にも期待出来そうだ。
シオンは目を輝かせながら「うわ! スイカだ! スイカだ!」と嬉しげに言い、ペシペシと海月の抱えるスイカに手を伸ばして叩く。
身の詰まった事を知らせる鈍い音を響かせながら、シオンは満面の笑みを浮かべ、エマに「ありがとうございます」と言った。
エマはシレッと「いえいえ。 どういたしまして」と返事し、次いで「海月さんは、知ってる? このお家ね、裏手の庭に井戸があるんですって。 で、そこで、スイカ冷やそうかなって考えてたんだけど…」と、巧いこと話の転換を計る。
すると、鵺がヒョイと立ち上がり、「案内してあげる! 凄いんだよ。 井戸!」と言いながらスイカを抱えたままの海月の腕を引き、それからエマに「冷やしてくるね」と言った。
そのまま、トトトと、部屋を出る二人を見送り、シオンは「ふう…」と小さく息をつく。
(翼さんと鵺って、実の所、本当に仲が悪いんじゃなさそうなんだけどな…)
そう、シオンはそう考えると(ま、喧嘩する程仲が良いって事なのかも)と、結論付けた。
そんなシオンの想像も知らぬげに、水命の隣りにいつの間にか移動していた翼が、柔らかく微笑みながら健司に喋りかける。
「たくさん釣ってきてくれて、ありがとうね。 今晩は、塩焼きと甘露煮にして、夕飯に出すよ」
そう翼が言えば、健司は、途端にモジモジとした調子で、まず志之の顔を見上げ、次にいずみの顔を見、そして、漸く翼の顔を見上げると、小声で呟いた。
「あの…」
「ん?」
「あの…、えと…」
「うん」
何かを言いかけては止まる健司の様子に、苛立ったように志之が口を開く。
「何なんだい? 早く言いなよ」
いずみも、クールな眼差しのまま「ほら、ちゃんと頼まないと」と、脇腹をつついて促し、健司は漸く決心をつけたように、「あの、お、俺の釣った三匹の魚のうち、一匹は婆ちゃんに、で、もう一匹は、ぬ、鵺に食べさせてやって下さい」と、言った。
思わず目を見開いて固まるシオン。
まさか、健司が、鵺をだなんて、全然気付かなかった。
「ち、ち、違うんです! あの、鵺と、約束してて、俺が釣った魚食わせてやるって…」
顔を真っ赤にして言い訳しているが、健司の鵺への感情は一目瞭然である。
(そっか、そっかぁ。 鵺をねぇ〜)
シオンは、何度も心の中で頷き、海月も、「ああ、だから、自分の釣った魚と、俺達の釣った魚を別にして持って来たのか…」と言うと、シオンは楽しげに「喜びますよ。 鵺ちゃん。 それに、志之さんも…ね?」と志之に視線を向けた。
志之は、ニッと笑って、健司の頭に手を伸ばす。
「ま、あたしは、鵺のおまけだろうけどね、有り難くご相伴に預かろうかねぇ」
そういってグリグリと撫でてくるのを「おまけじゃないよ。 婆ちゃんに、食って欲しいんだ」と答えつつも、照れたように目を伏せた健司を見て翼が明るく笑うと「了解。 じゃ、台所に一緒に来てくれるかな? どれが、君の釣った魚か教えて欲しいからね?」と言い、いずみも「私、お手伝いさせて下さい」と言いながら立ち上がった。
三人が連れ立って出ていくのを眺め、エマが「かーーーわいい」と呟けば、水命も「青春!って感じですね。 鵺ちゃん、奇麗だし、健司君とは前からお友達だったみたいだから……、そっか、そうかぁ…」と、どこかうっとりした口調で言う。
シオンが「じゃ、応援してあげないと…」と笑顔で提案した瞬間だった。
「その応援は命懸けで…と、いう事にりますよ?」と、全く気配無く、微塵も空気を揺らさないまま背後に現れていた幇禍が、シオンの耳元で囁いた。
その底冷えのするような声音に、思わず硬直する一同。
シオンは、死神に心臓を直に手で握られているような恐怖を覚える。
志之だけが動じた様子無く「あれ。 来てたのかい? いらっしゃい」と声を掛け、その言葉に「お邪魔します」と幇禍が頭を下げるのを呆然と眺めた。
(わ…忘れてた)
シオンは震えながら、そう思い、エマが「幇禍さん。 幇禍さーん?」と、慌てて幇禍の名を呼ぶ。
しかし、彼は何処かイちゃった目で「そうか、あの懐き方は、恋心だったのか。 まぁ、お嬢さんは素敵だからしょうがないけど……あははは、 ライバル出現だなぁ。 どうしてくれようか…」と、ブツブツと呟き続けた。
その背後の気配に恐怖を感じ、何とか気を持ち直して貰おうと、「で、でで、でも、ほら、健司君くらいの年の子って、年上の奇麗なお姉さんに憧れるもんですし…」と、シオンがとりなせば、志之があっさり「いやいや、あたしも、健司位の時が初恋だったよ。 それが、後のあたしのじいさん。 ま、大概マセガキだとは思うけど、そうかい。 健司もかい…。 血だねぇ。 健司の、父親も、随分早くに、幼なじみだった子と結婚したしねぇ…」と、告げる。
尚一層暗くなる幇禍の空気に、(志之さーん! 志之サンったら、自分の孫、命の瀬戸際に追い込んじゃってるよ!)と、皆が一斉に内心で叫びつつ、エマは、「まま、ままぁ、ね! ね? 幇禍君、子供相手なんだから、そんな気にしないで…」と幇禍を元気付けようとして、そのまま幇禍の背後に目を向け、少し驚いたように目を見開いた。
(誰かいたのかな?)
不思議に思うシオン。
案の定、「あら? えーと、どなた様…」と、エマがそこまで言いかけて、少し小太り気味の柔和な印象を受ける男がすっと室内に足を踏み入れ、志之にぺこりと頭を下げた。
「ご無沙汰してます」
志之は、男を見つめたまま、わなわなと震え、それから「………新庄さん」と呟いたっきり、俯いた。
年の頃は40台後半といった所だろうか?
何故か、髪の毛に絡むように葉っぱがついている。
この人の良さそうフェイスから、察するに、庭に幇禍が潜んでいる間、付き合わされていたに違いない。
少し禿始めた風貌は、愛嬌があって、硬い表情で志之の前に座ろうとも、どこか心を温かくさせる空気に満ちていた。
「…どうして、ご連絡下さらなかったのです」
押し殺したような声で言われ、志之は弱ったように目を伏せる。
「俺、言いましたよね。 何かあったら、絶対連絡下さいって。 俺…、俺……、幇禍さんに志之さんが倒れたって聞かされて、どれだけ……っ!」
新庄という名らしい男は、堪えるようにクッと唇を噛み、それから志之の側に膝をつくとそっと手を伸ばして、その手を握り締める。
肉厚の、暖かそうな手の中に、志之のしなびた小さな手が優しく収まった。
「……話、全部聞きました。 お願いです。 俺に、健司君の事、任せて下さい。 絶対、不幸にはさせません。 立派に育ててみせます。 だから、お願いしますっ…。 お願いします」
志之は、呆然としたような表情を見せ、微かに首を振る。
「…どうして? どうして…そんな風に…。 もう、あたしは……」
「違います。 そういう意味で言ってるんじゃない。 俺が、健司君の事を育てたいと思ってるんです。 俺の意志なんです。 親友の子供だって事だけじゃない。 志之さんの孫だからでもない。 そういうのだけじゃなくて……」
そこで言葉に詰まるように、声を途切らせる新庄。
「………家族になりたいんです。 健司君の……そして、貴方の…」
新庄の言葉に、志之は泣き崩れた。 



シオン達は、一旦新庄と志之を二人きりにすべく部屋を辞し、それから誰も使っていない一室に集まって、彼を連れてきた幇禍から話を聞く。
幇禍は、「この話はね、結局はロマンスなんですよ。 それも、泣ける位純粋なね…」という言葉で口火を切った。
「まず、始まりは、凪砂さんが草間に対し、健司君の親族関係や、里親になってくれそうな人の調査・捜索依頼を行った事からでした。 健司君が、志之さんの死後誰に引き取られるかというのは、重大な問題に思われましたし、放ってはおけなかったので、俺もその調査に協力しようと考え、草間の手伝いで、志之さんの死後、健司君の里親となってくれる人を探す事にしました。 幸い、有力なネットワークの持ち主と知り合いにおりましたので、そういうツテも行使しつつ、探したのですが、やはり、健司君には親戚と呼べる人はおらず、志之さん自体、複雑な事情があって、完全に身寄りのない身の上の方でした。 さて、どうしようかと悩み始めた時に、俺の知り合いからある情報を入手したんです。 どうも、健司君や、志之さんの事を、知ってる人がいるらしいと。 その情報先は、ある出版社で、その出版社にお勤めになっていらっしゃる方が、自分の担当先の作家が、もしかすると、その志之さんや、健司君達を知っているのではないかと、俺の知り合いに教えてくれたんです。 俺は、慌てて、その作家さんのお家、つまり新庄さんのお家を訪ねました。 そこで、全ての事情を説明し、里親になる人を捜している事をお伝えしたところ、それならば、是非自分がという事で、本日お越し願えたという訳なのです」
その言葉に水命が、おずおずと幇禍に尋ねる。
「あの…それで、一体、新庄さんと、志之さんはどういうお知り合いなんですか?」
幇禍は、一旦唇を舌で湿らせ、再び口を開いた。
「あの新庄さんって方は、健司君の学生時代のお父さんの親友だったそうです。 健司君のお父さんは、随分と親切な好漢だったそうで、新庄さんは昔、大学に通う為に下宿していた家が火事に合ってしまい、殆ど身の回りの物も持ち出せずに焼け出された時に、同じゼミだった健司君のお父さんに助けられ、このお家で卒業までの間、お世話になったと言っていました。 その時、既に志之さんのご主人は他界されていたらしいのですが、志之さんは、男手が増えると新庄さんの事を歓迎し、殆ど家族同然として、三人でこの家で、二年ほどの年月を過ごしたそうです。 新庄さんは、余り家庭的に恵まれてない環境で育ったそうで、余計に、その二年は、大事な思い出となったのでしょう。 だけど、新庄さんは、その二年間で、思い出以上の大事なものを見付けました」
水命は、両手を握り合わせ、大事な言葉を口にするように、そっと囁く。
「それが、志之さんなのですね…」
幇禍は、コクンと頷く。
シオンは、とても貴い言葉を聞いたような気分になり、一度ぎゅっと目を閉じた。
「30歳近く年が離れていますから、始め新庄さんが、志之さんに想いの丈を告げても、取り合っては貰えなかったそうです。 在学中に、公募の文学賞で受賞し、卒業時には、何とか食べていける位まで新庄さんが、作家として独り立ちしても、志之さんは、新庄さんの結婚して欲しいという申し出に、首を縦に振りませんでした。 でも……、どうなんでしょうね…。 本当に嫌な相手ならば、想いを告げられた時点で、この家を出ていかせるでしょう。 志之さんが、新庄さんの事をどう想っていたかなんて、今となっては分かりませんが、それでも、新城君の事を悪しくは考えていなかったんじゃないでしょうか?」幇禍は、一旦そこで言葉を止め、懐から一枚の写真を取り出す。
そこには、この家の前で並んで立つ、若い頃の志之と、それから健司は父親似なのだなと感じさせる、快活そうな男性、そして今よりも、随分痩せている新庄の姿が写っていた。
エマが、如何にもしっかりしてそうな、ひまわりのように力強い笑顔を見せる志之の顔を指先でそっと撫でる。
「これ、新庄さんの大事な写真を焼き増しして貰ったんです。 皆さん、御覧になりたいかと思って…」
幇禍が、そう言って笑う。
「いい写真ですよね……。 新庄さんが、大学を卒業して一旦地元に帰る前に、撮った写真だそうです。 新庄さんが、地元に戻る前の日、再度、志之さんに自分の気持ちを新庄さんは伝えましたが、結局その想いを受け入れず、自分の事は、一時の気の迷いだから、忘れなさい。 もう、私に連絡を寄越してもいけない、と言って聞かせました。 新庄さんは、志之さんのその強い言葉を受け入れながら、それでも、何か困った事があったら、助けが欲しい事があれば、必ず自分を呼ぶようにと伝えて、地元に戻ったそうです」
写真の中の、新城の表情は、笑っていてもどこか憮然としていて、なのに悲しそうで、色々複雑な感情の入り混じっているように見える。


どんな気持ちだったのだろう。
親友の、母親に恋をして、恥も外聞もなく、学生の身で求婚し、その全てを気の迷いと言われて、実家に帰る身というのは、どんな気持ちになるのだろう。
淋しいのだろうか、悲しいのだろうか、憎いのだろうか……。



それでもまだ、愛おしいのだろうか。


「結果を言えば、新庄さんの想いは、一時の気の迷いなどではありませんでした。 志之さんの事が忘れられず、他に女性と付き合っても、どうしようもなかったそうです。 それから、20年近く、結婚する事無く、ずっと、ずっと、ずっと……。 志之さんの事を、想い続けていたのです。 …純愛ですね」
幇禍の言葉に、シオンは、静かに答えた。
「羨ましい位の、純愛ですね」
水命が、ポロポロと泣く。
エマが手を伸ばし、その頭をそっと撫でた。
「どうしたの?」
そう問えば、嗚咽混じりの声で、水命が答える。
「だって……、そんなに、愛した人が、死んでしまうだなんて……。 新庄さん、可哀想……です」
エマは、ぎゅっと水命の肩を抱いて答えた。
「違うわ。 可哀想じゃないわよ。 もう一度会えたんですもの。 会えないまま、お別れするより、ずっと、ずっと、幸せよ」


シオンは、思う。
もう一度会えた事も幸せだろうが、それ程までに想い続ける人を見付けられた事も幸福なのだと。



夕食の為に、皆でちゃぶ台を囲む。
幇禍は「お嬢さんに会うと、叱られるんで!」と短く答えて、シュタッと消え去ってはいたが、今食卓には、10人近い人間がついていた。
いつのまにか、凪砂も食卓に着いている。
凪砂は依頼者である事だし、、既に幇禍か、武彦から報告は聞いているのだろう。
新庄と、健司の間を巧く取り持つような会話をしている。
健司には新庄の事を、亡くなった父の友人とだけしか伝えてないらしい。
幇禍曰わく、「一応、一緒に、暮らしてみては?って思うんです。 生活を共にした方が、健司君も新庄さんの事受け入れやすいだろうし、色々、見極めもできますからね」という事で、健司は、新庄さんも水命や、シオンのような、この家を手伝いに来てくれている人と、捉えているのだろう。
健司は、新庄の穏やかな人柄にすっかり、打ち解け、今は、お父さんの思いで話をしているみたいだった。
時折、いずみが、何事か口を挟み、二人で可愛らしい言い合いをしている。
大家族みたいだ。
微笑ましくそう思いながら、団扇で自分の顔を扇ぐ。
凪砂が、水命に何事か声を掛けていた。
水命は、コクンと頷くと、健司と新庄、そして鵺の肩を叩く。
四人は、何らかの会話を交わした後、用意されていたお盆に、銘々の夕餉を乗せると、部屋の奥、志之のいる部屋へと向かった。
新庄が、自分のだけでなく、卵粥の乗ったお盆も抱えていた所から、きっと夕食のお世話にいったのだろうと思い、その場に健司と新庄の二人を誘わせた凪砂の配慮に、感心する。
鵺は、きっと健司に、自分の釣った魚を目の前で初恋の人に食べている所を見せてあげたくて、誘ったのだろう。
エマが、全員分のごはんをよそったあと、自分の席につく。
目の前には、美味しそうな料理の数々。
料理を作った翼が照れ臭そうに手を合わせ「いただきます」と言うのを聞くや、シオンはまずは美味しそうなあまごの塩焼きに箸を伸ばした。
そっと身をほぐし、口の中へ運ぶ。
あまごの柔らかで、でも、弾力のある身がプリプリと舌の上で弾け、ほのかな塩味と共に淡泊で深い味わいが口の中に広がるのを、目を細めて楽しみ、次いで、肉じゃがを、つまんだ。
翼の腕前なのだろう。
あまごは、全く形崩れしておらず、肉じゃがも、中まで味が染みていて、幸せな気分になる。
いずみが「おいしい…」と、思わずといった調子で呟くのを、翼はニコリと微笑んで「可愛いリトルレィディに誉められて、光栄だよ」と告げた。
ああ、今、鵺がいたならば、思う存分突っ込んでいただろうななんて思いつつ、色んな意味で、鵺を連れていった水命に、平和な食卓を守ってくれてありがとうと、感謝の念を捧げる。
もう片方の隣りに座っていた海月も、いつも通りの無愛想ながらも、どこか柔らかな空気で箸を口に運んでおり、零にエマや凪砂は言うに及ばず、皆が美味しい料理のおかげで幸福そうで、シオンは、胸が一杯になる。


いいなぁ。 こういうの…。


一抹の郷愁と共に、そう胸で呟く。
そんな思いに浸っていると、エマが明るい声で「ね? 食べ終わったらさ、花火しよ? 花火」と提案し、シオンは、予想通りエマが花火を買ってきてくれていた事に、内心快哉をあげた。


ヒュルヒュルッと音を立てて、空で咲く、小さめの打ち上げ花火に零や、鵺が歓声をあげている。
家の奥にあったのを外に引っぱり出した、古い木の机に、切り分けられたスイカが並んでいる。
と、言っても、物凄い勢いで売れたので、残りはあと僅かだ。
先程帰った筈の幇禍が、何故か鵺と一緒に、花火を振り回してはしゃいでいた。
また、何処かに潜んでいた所を見つかったのだろう。
まるで子供のように見えた。
悠宇が呼んだのらしい日和が涼しげな浴衣姿を披露しながら、二人並んで、花火をしていた。
いずみと、健司は何事か言い合いながら、海月が打ち上げる花火を、目を煌めかせて見上げている。
キラキラキラと、頭上に咲く火の花に、シオンが運んで縁側に寝かせた志之が感嘆の溜息をついた。
シャクリと口にした、スイカは井戸のおかげで歯に染みるほど冷たく、そして滴り落ちる程の甘い果汁を秘めた一品で、エマが「私の目に狂いはなかったわ」と、勝利の笑みを漏らした。
翼が、その言葉にクスリと笑って「確かに、これは見事なスイカです」と言い、自分も、小さくかぶりつく。
志之も新庄が、スプーンで果肉を掬って差し出せば、一瞬照れた様子で躊躇しながらも一口、口にして頷く。
「これは、美味しいスイカだねぇ」
志之の言葉を聞き、おねだりに応じて買ってきてくれたエマに心から感謝の念を捧げた。
健司が、大きく手を振って、新庄の事を呼んでいる。
新庄は、頷くと、スプーンを翼の左隣に座っていた凪砂に託し、健司の元へと走り寄っていった。
蚊取り線香は匂いがキツイと思い、用意しておいた蚊連草(蚊を寄せ付けなくするらしい)を置き、シオンは横たわって花火を眺めている志之をそっと団扇で仰ぐ。
「…キレイですね」
シオンは、花火を見上げうっとりとした表情で呟いた。
「エマさん、感謝します。 スイカも、花火も…」
シオンの心からの感謝の言葉にエマは、「いえ。 こっちこそ、ありがとう。 シオンさんに言われなきゃ、こんな事思い付かなかった。 良かった。 健司君も、みんなも喜んでるんだもの。 本当に良かった」と笑顔で答える。
至る所で、咲いている小さな火の花達。
その火の花が照らし出す表情は、皆笑顔で、心が満たされていくのを感じる。
凪砂が、縁側から降り、線香花火に火をつけて、パチパチと弾けさせながら、何気ない調子で志之に問い掛けた。
「…志之さんは…、新庄さんの事、どう思ってたんですか?」
いきなりの質問に、息を止める一同。
なんて直球勝負!と、思いつつ、自分も正直とても気になっていた事なので、好奇心を抑えきれずに耳を澄ませる。
「どうって…どういう意味だい?」
飄々と問い返す志之。
凪砂も、淡々とした調子で問いを重ねる。
「新庄さんの事、好きじゃなかったんですか?」
すると志之は、「好きだったよ。 ウチの息子の、大事な友達だったからね」と答えた。
凪砂は、じっと線香花火を見下ろしたまま、首を振る。
「そういうのじゃなくて…」
「そういうのだよ。 そういうのだけさ。 何、聞いたかしんないけどね、あの子とあたしには、20以上も年の開きがあって、あの子は、ここに住んでる時は、ほんの子供で、そういう子供に対してどうこうってぇのは、ないんだよ。 それにあたしは、死んだ旦那一筋なのさ」
「……ほんと、ですか?」
「本当だよ」
凪砂はチリチリと散る花火を見ながら、優しい声で囁く。
「………新庄さん、ずっと、志之さんの事、想ってたそうです。 ずっと、ずっと、志之さんの事好きだったそうです。 いえ、今も想ってます」
凪砂は、ポトリと落ちた線香花火の芯を淋しげに見下ろして言った。
「…純愛ですね」
志之は、微かに笑った。
淋しい、憐憫に満ちた笑みだった。
「嗚呼。 あの子に、あたしは引導を渡してあげたかったのにねぇ…」
翼が、怪訝な声で「引導?」と問う。
志之は、頷いた。
「若いあんたらには、ピンと来んだろうけどね、あたしは、旦那に先に死なれてから、ずっと、死っつうのを、見据えて生きてきた。 あたしは、あの子より先に死ぬ。 どう生きようとも、あたしに先にお迎えが来るのは確かだ。 あの子に、結婚しようと言われた時から、ずっと分かりきっていた。 好きになった人にね、先に死なれるっつうのは、淋しいよ。 堪らないもんだよ。 そんな思いはね、出来るだけ誰にもさせたくなかったんだ」
志之は、そっと目を閉じる。
「20年間、あの子に辛い思いをさせてたんだね。 嗚呼、あの時、もっとちゃんと引導を渡してあげれば良かった」
花火の火が、また一瞬、志之の横顔を照らした。


深い皺。
浮いた染み。
目立つ頬骨。


だけど、美しいとシオンは感じた。
見惚れるほどに、その瞬間の志之の横顔は美しかった。



さて、花火後、全員集合の状態になっている現状を見て「銭湯行かない?」と明るい声で提案してきた。
花火の高揚も残っているのだろう。
何だか、このまま解散するのも淋しくて、ここで大人同士なら飲みに行く?となるが、未成年の多い状況で、銭湯という提案は至極素晴らしいものに思える。
「いいな、それ」
そう無口な海月が、賛同の意を表したのも効いて、志之の世話の為に残るというエマと翼を置いて、一路銭湯へ向かう事になった。
と、言っても泊まり予定の無いシオン含むメンバー達は、皆、着替えに女性は志之の、男性は亡くなられた志之の旦那さんの浴衣を借り、タオルや石鹸なども、出して貰う。
「洗濯物、大変じゃないですか?」
と、凪砂が問えば、海月と水命が同時に首を振り、「大丈夫」と言ってくれた。
「銭湯、銭湯〜v 初体験!」
楽しげに跳ねる鵺に、「お嬢さん、ちゃんと、前見て歩かなきゃ、転びます」と心配げに、幇禍が注意を促している。
凪砂は、銭湯は初めてらしく、「どんなんでしょうね?」と笑顔で海月に問い掛けて「…そんな、大の大人にワクワクする程の所ではない」と無表情に一刀両断されていた。
しかし、そう言う海月の後ろでは、スキップしそうな勢いで「みんなで、お風呂なんて、楽しみですね!」と健司と一緒になってはしゃぐシオン(42歳)がおり、何ら説得力がない。
健司も、「銭湯、こんな大人数で行くなんて、すごい!」と満面の笑みで、いずみに「こどもね」と冷たく笑われていた。
ま、しかし、そのいずみも、どこか足取りは軽く、シオンはやっぱりはしゃぎ続ける。
行き慣れた銭湯が、別世界へと変わるような気がした。



「ここが、私のよく行く銭湯です」
そうシオンが案内したのは、古ぼけたコンクーリート作りの、いかにも銭湯っていう感じの建物で、「ゆ」と書かれたピンクと、紺色ののれんが二つの入り口にそれぞれ掛かっていた。
「じゃ、あとでね?」
鵺がそう言って、女性用のピンクののれんをくぐり掛け、「ん?」と足を止める。
そして身を屈めると「ねぇ、健ちゃんって、今小学校何年生だっけ?」と問い掛けた。
健司が、何でそんな事と首を傾げながら「えーと、三年生だけど…」と答える。
すると鵺が「じゃ、キミ女湯へGOね!」といきなり、その腕をひっ掴んだ。
「へ?」
と目を丸くする健司。
しかし、凪砂も「そうよ…ね。 小学生だし良いのよね、 ヨシ、おいで、健司君!」と言い、水命が「頑張ってるんだもん。 背中流してあげますよ」と言った。
初瀬も、「じゃ、私は髪洗ってあげます。 だって、考えてみれば一番の功労者だもの」と言う。
突然の展開に目を白黒させる健司を置いて、悠宇が初瀬に「おい! なんで、健司そっち行く事なってんだよ! 馬鹿っ!」と怒鳴った。
幇禍も鵺に縋り付くようにして「止めて下さい〜。 小学生とはいえ、もう、男なんですっていうか、駄目です! お嬢さんの玉のお肌をそんな、異性に晒すわけにはいきません!」と喚いている。

別に、子供相手にそんなムキにならなくても。

と、苦笑するシオン。
幇禍はいずみに視線を向け「やですよね? 同い年の男の子と、お風呂なんて」と言い、いずみに「別に、健司は、同い年じゃなくて、年下だもの。 子供よ。 それにね、お兄さん達がそうやって小学生相手に取り乱してるのって、格好良くないよ」と一刀両断され、その言葉が決定打となって、健司の意志関係なく、彼は女湯へと引きずられていった。


銭湯は、非常に空いていた。
まるで、貸し切り状態の大きな風呂に気兼ねなく入浴できることをシオンは喜ぶ。
「うう…う…うぅぅ」
打ちひしがれるように呻きながら幇禍が湯船で膝を抱えている。
その姿は視覚的に非常に鬱陶しいのだが「くっそう。 日和の奴。 男に警戒心なさすぎだ!」と怒りを露わにしながら、ゴシゴシと目を覆いたくなるような強さで自分の肌を泡立てたタオルで擦っている悠宇も厄介だ。
恋愛に目が眩むと、男とはかくもみっともなくなるものか…と感じつつ、髪を洗い始める。
隣りに座り海月が、服を着ている時は非常に細身に見えるのに、こうやって裸を見てみれば、かなり鍛えられた体をしていたので髪を洗いながら、「海月さんって細身の割りに、結構良い体してますね。 何かスポーツでも?」問いかけた。
無愛想な声で、「いや…別に…」と海月が答えた瞬間だった。
「健ちゃん〜? こぉーんな、上玉さん達に、体洗って貰うなんて、幾らつんでも出来ない経験よ? しっかり、心に刻んでおきなね!」
という、鵺の声が、壁の向こう側から聞こえてきた。
健司は女性陣に体を洗って貰っているのか…と、考える。
その瞬間、悠宇が「くぅぅぅぅ!」と怨嗟の声とも、泣き声ともつかないような唸り声をあげた。
「…あの、美人揃い達に体を洗って貰うだなんて……確かに、物凄い天国ですよね。 いいな、健司君」と新庄が呟き、見れば幇禍は、完全にブクブクと湯船に沈んでいた。


その後、皆で湯船に浸かって、暫しぼんやりする。
「…疲れが取れる〜〜」とオヤジ臭く呻くシオンに「…全くだ」と同意を示し、目を閉じる海月。
だが、くつろいでいる男性陣に追い打ちを掛けるように、再び壁向こうの鵺が、凪砂に「…いいな。 凪砂さん、胸大きくて」と言っているのが聞こえてきた。
鵺が続けて「私、まな板みたいじゃん? なぁんか、ヤなんだよね」と言うのが聞こえる。 幇禍が、目を見開き「な…なな、なんて事を…」と呟くのが聞こえた。
「な? 健司だって、胸大きい方がいいよな?」と問うている鵺。
健司が焦ったように「知るか! そんなのっ!」と答えている。
水命も「やっぱ、大きい人がいいですかね?」と、言っていた。
(や、大きさよりも、形の方が…)と、ぼんやり勝手に答えるシオン。
顔を真っ赤にした悠宇がザバリと立ち上がると「俺、もうあがる!」と宣言し、幇禍も「聞いていられません」と言いつつ出ていった。
流石に齢42にもなるとあのような会話ではドキドキ出来ず、苦笑を浮かべ「我々も、そろそろ上がります?」とシオンは告げ、それに同意する新庄。
海月も頷き立ち上がると、脱衣所へ向かった。


シオンが力説した、銭湯での欠かせない定番、フルーツ牛乳を皆で飲む。
乾いた喉に、冷たいフルーツ牛乳は滲みる程美味しくて、シオンは一気に飲み干した。
その後、浴衣を着るのに四苦八苦している悠宇を横目で眺めつつ、自分も浴衣を着る。

「似合いますね」とシオンが誉めた海月含む皆がなかなかの着こなしで、幇禍や悠宇もよく似合ってはいるのだが、如何せん丈がたりない。
新庄だけが、泊まり込み予定の為、Tシャツとジャージのズボンで、彼に借りれば良かったかと思いつつも、やはり丈は足りなかったかと諦める。
脛を覗かせつつ、「小柄な方だったんですね、志之さんの旦那さんは」と言うシオンに、悠宇が「や、俺達の図体がでかすぎんだろ」と冷静に答えた。




それからも、シオンは、殆ど毎日のように健司の元に通った。
志之の話も聞き、家の力仕事を積極的に請け負った。
志之の事も、健司の事も、シオンにとって大事な人になり始めていた。
まるで、健司の事を自分の息子のように感じていた。


間違いなく、家族の一員として、健司にも志之にも迎え入れられていた。



そんな夏も終わりかけたある日。






志之が死んだ。







唐突な知らせに、シオンはへたり込んだ。

動けない。

悲しくて、悲しくて、意識が遠くなる。



ただ、健司が今、どんな気持ちなのだろう。
どんな気持ちなのだろう。



出来れば、力一杯抱き締めてやりたい。





それだけを考えてシオンは、健司の家へとよろめく足で急いだ。





志之の寝所には、武彦と手伝いに来ていた者達、健司と新庄の皆が揃っていた。
誰かが呼んだらしい、医者が志之の枕元に座っている。



静かだった。
圧倒的な迄に静かだった。



死の音とは、無音なのだと海月は悟った。
ゆっくりと、静寂を乱さぬよう腰を下ろす。
健司が、志之の右手を握り、新庄が志之の左手を握っている。




聖家族。



聖母子と聖ヨハネを指す言葉が、何故か、頭に浮かんだ。
それ位神々しく、近寄りがたい風景だった。
志之の唇が微かに動く。
新庄が、志之の唇近くまで耳を寄せ、そしてコクリと頷くと、シオンを手招きした。
シオンは足音を立てぬよう、志之の側へ行き座る。
新庄が、囁くように行った。
「…志之さんが、何か貴方に、仰りたい事があるそうです。 どうぞ、聞いてやって下さい」
そう言われ、耳を志之の唇の側まで近づけた。



「あんた……良い男だね……。 あた…しが、会った…中で、一番の男だ」
その言葉に、シオンは首を振り、涙が零れ落ちるのを止められなかった。
志之の目から、一筋、涙が滑り落ちる。
「あんたの、おかげで……楽しかったよ…。 この夏」
そう言われてシオンは、胸が詰まるような悲しみを感じる。
「……ありがとう」
そう言う志之の声が、余りにも穏やかで、シオンは何も言えなくなった。
ただ、ボロボロと大粒の涙を零し続けた。


志之が、新庄に「…健司の事、頼みます」と告げ、健司には「…幸せに…なりな」と言うのが聞こえてきた。
シオンは最期まで、ちゃんとみつめなければならないと思い、じっと涙に霞む目で志之の顔を見つめる。
志之の瞼がゆっくりとおり、それから、呼吸が、深く、緩やかになり始めた。
健司は、何も言わず、涙も見せず、ぐっと耐えるように志之の手を握り締め続けている。
新庄が、目を真っ赤にしながら、最期の瞬間、志之に囁いた。




「愛してます」




志之が、微かに笑って、頷いたように見えた。




シオンは、健司を抱き締めてやろうと思っていたのに…。
「うっ……うぇ…うぇぇ…」
ぐずぐずと泣き続けるシオンの頭を、小さな胸で抱き締めて、健司が「…泣くな。 泣くなよぉ…」と言ってくれた。
健司の健気な言葉に余計に涙が零れ落ち、シオンは情けない気持ちで一杯になる。
「婆ちゃん…楽しかったって言ってた」
「…はい」
「俺……婆ちゃんの事、助けて欲しいって最初、武彦さんに頼んだけど、きっと、こうなるのが、婆ちゃんにとっても、俺にとっても一番正しかったんだと思う」
「……はい」
「でも、悲しいね」
健司の言葉にシオンは顔をあげ、そして目を真っ赤にした健司と目が合った。
シオンは健司をぎゅうと抱き、「…悲しいですね」と答える。


そうやって、二人はお互いの悲しみを混ぜ合うようにじっと抱き合っていた。





「シオンさん! 俺と、シオンさんは、ずっと友達だかんな!」
通夜も葬式も終えて、健司が正式に新庄の養子となった日。
手伝いに来ていたシオンに健司がそう言った。
「と…もだち…か…」
密かに、父親のつもりでいたので、ちょっと落ち込むシオン。
そんなシオンに、健司は、何処か大人びた、今までの顔よりも男に近付いた顔でい言った。
「また、遊びに来てね!」
そう、新庄は自分からも、健司からも志之の思い出を取り上げる事は出来ないと言って、この家に移り住んでくれる事になったのだ。
「ええ。 勿論」
そう笑顔で答えると、約束といって、二人は指切りを交わした。




小さな健司の指が、自分の小指に絡むのを、シオンは「新しい友達が出来たし、父親じゃなくても、ま、いいか!」とほんの少し浮上した気持ちで眺めた。






   終





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         登場人物            ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ※受注順に掲載させて頂きました。

【0086/ シュライン・エマ  / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1847/ 雨柳・凪砂 / 女性 / 24歳 / 好事家】
【1572/ 暁・水命  / 女性 / 16歳 / 高校生兼家事手伝い】
【3604/ 諏訪・海月 / 男性 / 20歳 / ハッカーと万屋】
【3524/ 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】
【3525/ 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん 今日も元気?】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー兼闇の狩人】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

遅くなりまして、遅くなりまして、遅くなりまして、真に申し訳御座いません!
へたれ人間失格人間ライターmomiziで御座います。(切腹)
初めましての方も、そうでない方も、この遅れっぷりには、最早怒りを越えて、呆れられているのではと、怯えるばかりなのですが、全て私が悪いので、どうぞ、三発位殴ってやって下さい。
さて、えーと、毎回、毎回、ウェブゲームのお話に、是非、個別通信をやりたいと考えているのですが、毎回毎回、時間の都合により掲載できません。
ほんま、スイマセン。
なので、ご参加下さった全ての方々に「本当に有り難う御座いました。 再びお目に掛かれましたら、僥倖に思います」というお言葉を贈らさせて下さい。
あと、非人道的な位、長くなってしまった事もお詫び申し上げます。

momiziは、ウェブゲームの小説は、全て、個別視点の作品となっております。
なので、また、別PC様のお話を御覧頂ければ、違った真実が見えるように書きました。
また、お暇な時にでも、お目通し頂ければ、ライター冥利に尽きます。

ではでは、これにて。

momiziでした。