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<東京怪談ノベル(シングル)>


清く正しく、夏休み。

 学生の夏休みといえば、遊びと宿題と、そしてアルバイトである。
 人材派遣会社から仕事の紹介を受け、海原みなもは都内の家電店にバイトとして赴くことになった。
 一日だけの契約で、バイトの内容は携帯電話の新機種発売キャンペーンだと聞いている。キャンペーンガール……ではない。みなもはまだ中学生なので、簡単な雑用の仕事しか紹介されないことになっている。
 ……手違いさえなければ。
 ちらりと、みなもは先日の事態を思い出した。あんなことがないように、今回はきっちり、確認を取ってもらっている。


 駅の改札を出ると、目的の店はすぐ目の前に見えていた。新しく出来た超大型量販店だ。
 5分も歩かなかったのに、みなもは汗をかいていた。今年は記録的な猛暑。まだ午前中だと言うのに、気温が高かった。
 開店前なので、裏口から中に入ると、中はもうエアコンが効いている。心地よいが、効きすぎだ。一日中ここにいると、ちょっと寒いかもしれない。そう思ってしまった後、みなもは頭を振った。
(冷房が効いてても暑くなるくらい、がんばればいいんです)
 まずは一階の携帯コーナーに行くようにと聞いている。見回すと、すぐに見つかった。スタッフらしき人たちが集まっている。
「おはようございます! アルバイトで参りました、海原です!」
 気付いてもらえるように、大きな声で挨拶すると、男性が一人、小走りにみなもの前にやってきた。彼が今回のキャンペーンの主任で、広報担当者だそうである。挨拶を済ませたあと、主任は隅に積んである段ボールを指さした。
「じゃあ、とりあえずあの箱、あっちに持ってってくれる?」
 あっち、と言って指したのは、まだ「準備中」のステッカーが立っている正面入り口の方向。つまり、
「……外、ですか?」
「うん、そう」
 寒いかもしれない、などという心配は杞憂に終わりそうだ。主任は、げんなりしているのを隠し切れない様子だった。無理もない。自動ドアのガラスの向こうには、眩しい日差しが降り注いでいる。彼を元気付ける気持ちで、ことさら勢い良く、みなもは頷いた。
「外に出しておくんですね、わかりました!」
 段ボールの中身は、宣伝用のティッシュだった。重くはないけれど、箱が大きくて持ちにくい。
 断然お得!To-Ka(トーカー)フォン。入り口脇には、月並な宣伝文句の書かれたのぼりが立っている。それに挟まれて、商品見本を展示したブースが組まれていた。小さな液晶テレビが置かれ、新機種のテレビCMをエンドレスで流している。
 携帯電話をイメージした衣装を着た女の子が出てくるのが印象的だ。
 みなもが最後の一箱を運び終えた時、店の奥から目を引く女性が二人出てきた。
 彼女たちはキャンペーンガールだと、一目でわかった。テレビCMの女の子と、同じ衣装を着ているのだ。
 メタリックシルバーの全身タイツ。胸元には液晶、お腹にはプッシュボタンを模した柄が描かれている。背中にはメーカー名と、To-Kaのロゴが入っていた。ボディと同じメタリックシルバーのロングヘアは、ウィッグだろう。右耳の上にピョコンと、アンテナのような髪飾りがついている。
 外に出た途端の熱気に、キャンペーンガールの二人は早くも額に汗を浮かべていた。確かに、金属的な色合いの全身タイツは、いかにも通気が悪そうだ。
 雑用でよかった。みなもは心底から思ったが、少し心配にもなった。銀の衣装の片割れは、小柄で細く、見るからに体力がなさそうだ。
(日射病で倒れたり、しないといいんですけど)
 そして、みなもの心配は的中した。
 家電店が開店し、同時にキャンペーンも開始して数時間。
 空になった段ボールをゴミ置き場に片付けて、ブースに戻ってきたみなもは、小柄な彼女が倒れる瞬間を目撃した。
 現場はもう一人に任せ、みなもは主任と二人がかりで彼女を従業員用の更衣室へと運ぶ。
 椅子に座らせて、ウィッグを外してやると、熱気が立ち昇った。やはり、かなり暑かったらしい。
 着替えて、飲み物を飲むと、大分気分が良くなったようだ。受け答えはしっかりしているし、顔色も悪くないので、救急車の必要はないだろう。
 それは良かったのだが、事態が落ち着くと、主任には別の問題が持ち上がってくる。キャンペーンガールが一人、減ってしまった……。
「…………あの?」
 視線を感じて、みなもは首を傾げた。主任がみなもを見る目が、何故か、熱い。
(嫌な予感です……!)
 目を逸らさねば、という気がしたが、その前に主任が口を開いた。
「海原さん。あのさ、……やってくれないかなあ?」
「えっと、あの」
「代理、やってもらえないかなあ??」
 切羽詰った顔で見詰められて、みなもには首を横に振ることなどできなかった。


「よいしょ……っと」
 衣装を着終わって、みなもは馴染ませるように肩を動かした。
 みなもよりもだいぶ小柄な人が着ていたので、無理かと思ったが、少し窮屈なものの、なんとかなった。分厚く硬そうな生地だが、意外に伸縮性があったようだ。
 胸の液晶とお腹のボタンに凹凸があって、普通の全身タイツよりは体の線がわかりにくいのが、せめてもの救いだろうか。
 身支度を終え、みなもは外に出た。
 一応、パラソルが立ててあるのだが、照り返しがきつくてあまり意味がない。コンクリートからは、熱気が立ち昇っていた。もう一人のキャンペーンガールは、すでにぐったりしている。
 銀の衣装は思った通り風通しが悪く、下に隠したみなもの地毛が長いせいもあってウィッグは想像よりも蒸れた。これでは倒れても無理はないと思う。
 店に入ってゆく人々に、みなもはチラシを勧め、立ち止まったお客には新機種の特長を説明した。立ちっぱなしで喋りつづけるのは体力が要る。しかも、炎天下だ。
 なんでこんな目にあわなきゃいけないんだろう――頭がぼんやりしてくる。
「あぁっ!?」
 突然お腹をつつかれて、みなもは思わず声を上げた。見ると、幼稚園児くらいの女の子が、みなもの衣装についたボタンに小さな指を伸ばしているところだった。スポンジのような材質で出来たボタンが、押さえると凹むのが面白いらしい。ボタンを次々と、手当たり次第に押されて、みなもはくすぐったさに身をよじった。
「あ、あ、あ、……キャッ」
 おへそのところをつつかれて、悲鳴を上げる。
「すみません!」
 携帯の見本に目を奪われていた母親が、やっと気付いて女の子を止めた。
「駄目でしょ。お姉ちゃんお仕事してるんだから、邪魔しちゃ」
 お仕事。そうだった、とみなもは思った。何の為にこんな暑い思いをしているのか。
「はい。新機種は、実物のサンプルも店内にはございます。ごゆっくり、ご覧になっていって下さいね」
 にっこり笑って、みなもはチラシを差し出した。足元で、女の子がぴょんぴょん跳ねた。母親が苦笑した。
「すみません、渡してやってくれますか?」
 みなもの手からチラシを受け取って、女の子は満足そうだ。大人扱いされたような気分なのかもしれない。
 店内に入っていく親子の後姿を見送りながら、みなもは息を吐いた。
 成り行きとはいえ、仕事は仕事。一生懸命やればやるだけ、報酬を得た時の喜びが大きいことを、みなもはもう知っている。
 この後で飲むお茶は、きっととても美味しいし、晩御飯だっていつもの何倍も美味しく感じる筈だ。
 がんばった後にだけ得られる心地よさを想像しながら、みなもは背筋を伸ばした。
 午後はまだ長いけれど、きっと乗り切れるだろうと思った。