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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


小判先生

「誰か、この手紙を小判先生のところまで持っていってくれないか」
「小判先生?」
「俺の知り合いだ。季節柄、お中元てやつだな」
「でもお中元って、物を持っていくんでしょう?手紙だけでいいんですか」
「お中元の内容は手紙の中に書いてあるから」
頼んだぞ、と武彦が拝む形に両手を合わせた。

 興信所の扉を開けると、中はなにやらざわついていた。また厄介ごとでも抱え込んだに違いない。面倒なことは避けて早めに帰ろうと、報告書の入った茶色い封筒を蒼王翼は握りしめる。文章にまとめたのは別の人で、翼はただ届けに来ただけである。
「おい、武彦。前回の仕事の報告書を届けに来たぞ」
「丁度よかった」
翼が茶色い封筒を手渡すと、興信所の主草間武彦は受け取ると入れ違いに再び茶色い封筒を握らせる。なんだこれは、と翼は秀麗な眉を片方吊り上げる。
「とりあえず、預かってくれ」
「なんなんだこれは」
「仕事」
あっけらかんと言われると、拒否する気持ちも起きない。幸いにも今日は休日で、この後の予定は決めていなかった。
「・・・・・・まあいいけど」
人使いの荒い男だ、と翼は小さな声で呟いた。ぼろぼろの興信所はどう見たって流行っているようには思えないのだが、仕事の量だけは尋常ではないらしい。この男も大変なのだと翼は武彦に同情する。
「手紙、なくさないでくれよな」
ここで武彦がしおらしい態度でも見せれば少しは親身になるものを、自分を子供扱いする武彦に翼の語気はつい尖ってしまう。
「当たり前だろう。それとも僕がそんな粗忽者に見えるとでも言うのか」
こうしてまた、否応なく厄介ごとにまきこまれてしまった。それが草間興信所を訪れた際の常であった。仕事というものはいつだって予定なし、嵐のようにやってくる。

 今回、武彦曰くの「お中元」を携え小判先生の元を訪ねるのは自分のほかにシュライン・エマ、灯藤かぐや、シオン・レ・ハイの四人だった。今年の東京は雨の降らない日が続いているせいかやたらに暑く、彼らは日陰を選んで歩いた。
「車を使ったほうが、早いんじゃないのか?」
自分ならそうすると翼は言いたそうだったがシュラインは武彦から預かった地図を示し
「小判先生の住んでらっしゃるところがね、路地の奥だから車が入れないのよ」
どちらかといえば東京は車に冷たい都市である。大通りは排気ガスで溢れ返っているというのに一本奥へ入ると自転車でも通れないのではと思われる細い道がうねっている。
「でも、行けるとこまでタクシーで行こうよお」
こっちも暑さに耐えられなくなったのか、かぐやが泣き声を上げる。いや、その忠告はかぐや自身のためではなく三人の後ろをひたすらついていく唯一の男性、シオンのためであった。
「じゃないとシオンさん、溶けちゃうよ」
炎天下に長袖を着て歩くだけでも自殺行為なのに、上着の色が限りなく黒に近いグレイ。シオンの額からは汗が噴出している。そのくせ、シオン本人はなぜこんなに暑いかわかっていないのだからたまらない。
「大丈夫ですよ」
そう言いながら大男に倒れられては女三人、どうしようもない。仕方なくシュラインは家計を削って(正確には草間興信所の交通費として処理されるのだが)タクシーを選んだ。しかし小判先生を訪ねるのが四人で本当によかった、あと一人増えていたらタクシーをもう一台呼ぶ羽目になっていた。

 車が入れないと判断した路地の手前でタクシーを降りて、それから四人はまた少しだけ歩いた。今度は長く歩かなかったし、路地は左右を襲うように立ち並ぶ木造建築に日光を遮られ案外に涼しかった。だからシオンは勿論かぐやも少し手の平で自分を扇ぐ程度、シュラインと翼に至っては涼しい顔を作ることができた。
「この家みたいだな」
やがて路地の奥まったところ、連立する小さな家の中でも一際小さな、肩をすくめているような二階建てを翼が指さした。シュラインが表札を確かめようとしたが、そこには木の板の代わりに名は実を表すとばかりに山吹色が一枚、無造作に吊るされていた。随分と雨風に晒された時期が長いのだろう土埃にまみれてはいるが、形は小判を保っている。
「こんにちはあ」
多分四人の中で一番物怖じをしない、本質的には一番そうだろう、かぐやが呼び鈴も鳴らさずいきなり玄関を開けた。小判先生の家は全体的に薄暗く、玄関を入ってすぐ正面に梯子階段があった。全てが木造作りで、ざっと見たところ家具の類がほとんどないのでやけに殺風景だった。
「小判先生、いますかあ?」
かぐやは土間から階上へ向かって大声を上げた、初めての家でやるにしては下から数えるほうが早い礼儀だった。武彦はくれぐれも失礼のないようにと念を押していたはずなのだが、少なくともかぐやの頭の中からは忠告が吹き飛んでいた。
「先生いますかあ」
「なあん」
もう一度繰り返すと、上のほうから返事が降ってくる。猫ですね、とシオンが誰にでもわかる感想を述べる。まさしくそれは猫の鳴き声、ただし普通の鳴き声というよりは喉をゴロゴロ言わせるのに近い声だった。
「降りてきたぞ」
翼が白く細い指ですっと指し示したのにつられて三人が見たものは猫、ではなく一枚の布だった。藍色に黒い菱模様の入った布が二階からふわりと落ちてきて、土間に並ぶ四人の前に音もなく着地した。
 それは、浴衣を着た猫だった。浴衣は藍色だけれど猫自身は全身真っ黒で、ただ四本の足先だけが足袋を履いたように白く、金色の目が普通の猫よりは少し大きいような気がした。
「猫さん、ご主人さんはどこですか?」
にこにことシオンが猫の喉を指でくすぐる。猫に返事ができるわけないでしょうとシュラインが呆れかけたが、遮るように不思議な声がした。
「儂に主人などおらんよ」
「え?」
四人は一斉に、シオンは撫でていた指を止めて、小さな猫を見下ろした。今の声は、どう考えてもこの猫から聞こえた。猫にスピーカーでも取り付けられていない限り、猫が喋ったことになる。
「亜人が喋るのは許されるのに、猫が口利いちゃいかんかね」
「・・・・・・なるほど、キミが小判先生なんだね」
猫に小判とはいい皮肉だ、と最初に冷静を取り戻した翼が薄く笑った。
「僕の名前は蒼王翼、草間興信所から仕事を依頼されてやってきた」
「あ、興信所の事務員を務めるシュライン・エマです」
二番目に名乗ったのはこれまでいくつかの仕事で動物に変わる人間というものを目の当たりにしてきたシュライン、そして猫も喋るんだあと感心するかぐやが続いた。最後にシオンが、
「猫に小判ってなんですか?」
自己紹介より先に頓珍漢な質問を口にした。

 金色の瞳に眼鏡をかけて小判先生は、翼が預かっていた武彦からの手紙を読んでいた。一方の目で文字を追いながらもう一方の目はちらちらと、土間に腰掛ける四人を観察しているようでもあった。猫の目は瞬きをほとんどしないので、なんとなく落ち着かない。
「僕は、基本的には猫が好きなんだがね」
あくまで猫らしい猫が好きだと翼は首筋の汗をハンカチで抑える。その青い目をした横顔がやっぱりどこかしら猫に似ていた。悪気はないのよと言いながらも、類似点を発見したシュラインは笑いを堪えきれない。
「小判先生って目が悪いの?」
私にもかけさせてとかぐやが戯れに丸い眼鏡へ手を伸ばしたが、小判先生は老人が子供に見せるような顔でからかうように、唇の端からキバを覗かせた。
「これは猫専用で、人間にゃ必要ない」
「どうして?」
「猫の見る世界と人間の見る世界は違っているから、人間の文字を読むには特別な眼鏡が必要なんだよ」
じゃあその眼鏡をかければ人に猫の世界が見えますかとシオンが質問した。それに対する小判先生の解答は辛辣だった。
「この眼鏡をかけるだけで、猫が人間を飼ってるように見えるってのかい」
即座に意味を理解したシュラインと翼はぞっとしたが、幸いかぐやとシオンはきょとんとするだけだった。小判先生はまたすぐ喉をゴロゴロ言わせる声で冗談じゃよ、と険悪な空気を払った。
「さて」
手紙を読み終わった小判先生は前足で顔を洗い、立ち上がって(後ろ足だけを使って立ったのである)人間のように体を伸ばした。
「さて、出かけようかね」
「出かけるって・・・・・・お中元を買いに行くんですか?」
「そんなもんじゃ」

 お中元を手に入れるためと四人を引っ張って路地の先頭を歩く小判先生。他のみんなはそんな小判先生の後姿、特にぴんと立った尻尾を追っているようだったが翼一人は決して下を見るまいと真っ直ぐに前だけを向いていた。右へ曲がったり左へ曲がったりというのは、並んで歩くシュラインやかぐやたちの気配でわかるから苦労はなかった。なんとなく、小判先生に従うことが心に反乱を抱かせているのだった。
 この気持ちは一体どこから湧いているのだろう。さっきの「亜人」という響きが気に障っているのだろうか。亜人とはつまり人に次ぐもの、限りなく人に似ているくせに人とは違うもの、つまり翼を指しているようなものだった。たとえ小判先生にその気がなくとも、翼には名指しされたも同然だった。
「機嫌が悪いようじゃのう」
すると突然、足元から声がした。てっきり先頭を歩いているものだと思っていた小判先生がいつの間にか翼の真横を歩いていた。
「な・・・・・・」
日頃からあまり感情を表面に出さない翼だったが、それなのに自分の心理を見抜かれたものだから少し慌ててしまう。しかしよく考えてみれば小判先生は不思議な目を持った猫なのだから、人の感情を見抜くことくらいたやすいのかもしれなかった。
「別に」
「あんたは、儂の言った言葉を気にしとるようじゃな」
小判先生に対し翼は繰り返し突っぱねようとしたが、それではいつまで経っても平行線を辿るのみである。
「気にしているさ。亜人なんて、下らない」
「そりゃどういう意味じゃ」
「犬と猫に等級の隔たりがないように、人間と他の生き物にだって差異は存在しない。それなのに妙な呼びかたで一くくりにするもんだから、笑わせる」
元々上下を差別しよとするのは弱い生き物が強い生き物に対する畏怖の現れなのだ。かつて人間が地上を支配する以前、火を知らず肉食動物に怯えていた頃の、脆弱であった頃のコンプレックスの名残なのだ。
「よほど人間が好きなんじゃな」
「どうだか」
しかし翼は否定しない。好きなんじゃなと、今度は疑問ではなく納得したように頷いて、小判先生は再び先頭へ戻っていった。
 変な猫だ、と翼は浴衣の裾から突き出た尻尾を見送った。

 路地を抜けてさらに歩き、辿り着いた場所は川原だった。小判先生は何千個と転がっている小石の中から大きめの一つを選ぶとその上に行儀よく座り、翼に向かって時間を訊ねた。
「七時五分前だ」
翼が胸元から取り出した懐中時計には、美しいアンティーク模様が刻まれていた。
「ふむ」
あと一時間遅くてもいいのだがまあよいかと、小判先生は目を細めた。猫が笑うというのは聞いたこともないのだが、そうやって目を細めると笑っているように見えなくもない。
「頃合じゃ」
そう言った小判先生が強く瞬きをすると、目から火花が飛んだような気がした。それと同時に対岸からヒュルヒュルという甲高い音がしてさらに爆発音、と同時に茜色の空へうっすらとだが花火が咲いた。
「どうなってるんですか」
向こうには誰もいませんよとシオンが指さす。かぐやも両手を額にかざしてみるのだが、やっぱり人影はない。それなのにもう一発、花火は上がった。
「どうなってるんですか?」
「お中元じゃよ」
もしかしてこの花火が、とシュラインは咄嗟に頭の中でそろばんを弾く。個人の注文で花火を打ち上げるには、いったい幾らかかるのだろうか。草間興信所の家計を思うと冷や汗が出たが、小判先生は安心しなさいと前足を振った。
「あの花火は儂からあんたらへのお中元じゃ。今日は一日つきあってもらったからのう」
儂の貰ったお中元はこっちじゃと小判先生は、浴衣の背中に突っ込んできた武彦からの手紙を前足の爪に引っ掛けて取り出し、シュラインに手渡した。四つ折にされた手紙には、見慣れた悪筆でこういう意味の言葉が綴られていた。
「今年もいきのいい連中を贈ります。煮るなり焼くなり好きにしてください」
シュラインの脇から手紙を覗き込んでいた、かぐやの手の中でなにかが砕ける鈍い音がする。川原に向かって水切りをして遊ぼうと見つけ出した平べったい石が、粉々になっていた。
「煮るなり焼くなりとはどういう意味だ」
ポーカーフェイスの翼も、あまりいい気はしない。シュラインもなにを考えてるんだかと肩をすくめ、ただ一人シオンだけ小判先生に教えを請う。
「私たち、煮られるんですか?」
「いいや、そんな乱暴な。武彦の冗談じゃよ」
そして猫らしく前足で顔を洗う、美しい夕焼けなのに明日は雨だろうか。
「儂にとっては若い人間に会うことが、日々暮らす中の楽しみなんじゃよ。あんたらは一人一人いろんな考えかたを持っとる。だから武彦はお中元だの歳暮だの時期によって違うのしをつけて面白い連中を寄越してくれるんじゃ」
あんたらみたいなのとつきあってる間は年を取るのも悪くないもんじゃと、小判先生は夕焼け空を見上げた。ようやく顔を出した一番星が光っていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1536/ 灯藤かぐや/女性/18歳/魔導学生
2863/ 蒼王翼/女性/16歳/F1レーサー兼闇の狩人
3356/ シオン・レ・ハイ/男性/42歳/びんぼーにん


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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
今回は「小判先生」というオリジナルキャラクター登場の巻で、
事件というよりは妙な一日に付き合わされる・・・・・・という話でした。
翼さまは、ご自身の気位の高さというのもあってなんとなく小判先生には
反発を抱きそうだなあと感じてしまいました。
恐らく、なんでもわかっているような偉そうな性格とは
相性悪いような気がして、今回のような展開になりました。
今後は、小判先生を巡る不思議な話というのをシリーズ化したいとも
考えておりますのでご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。