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Everyday
あやかし荘の庭の木々も色濃い深緑となった。
梅雨明けもとうに過ぎ日に日に夏真っ盛りになりつつある。
そんな今日はあやかし荘月下美人の間の住人、奉上遮那(ほうじょう・しゃな)にとって久しぶりの休日だった。
普段から占い師の仕事をしている遮那は、平日の昼間は高校、平日の放課後と休日は占い師として働いている為基本的に丸1日が休みという日が少ない。
もうすぐ学生は夏休みに入るが、夏休みこそ掻き入れ時とばかりに毎日丸1日働きづめになるだろう遮那を慮って店のオーナーでもある遮那の親が夏休み前にくれた貴重な休日だ。
ただ、その休みを告げられたのは前日の帰りであったのが難点であったが。
「もうちょっと前に言ってくれれば僕だって色々と……」
ひとりごちながらもそこで言葉を止めて遮那は頬を染める。
傍から見れば中学生に見えるような童顔の遮那がしたからこそ許される仕草だが、実際彼の―――オブラートに包んで言えば体格のいい、直球で言えばゴツいムサい級友たちがすればそれはもう犯罪だろう。
遮那の濁した言葉の先には一人の少女の存在があった。
あやかし荘の管理人因幡恵美(いなば・めぐみ)その人だ。
もっと早くに休みを教えてもらえれば恵美さんを誘ってどこかに行くとかも出来たかも……という言葉を浮かべて頬を赤らめたのだが、実際そんな直球で誘い文句を自分が言えるかどうかなんてことは遮那だって十分判っているのだが。
掃除や洗濯を一通り済ませた遮那は、ダメもとで恵美を尋ねて行ったが生憎と留守にしているようで呼び鈴に返答はなかった。
がっかりしつつも少し安堵を感じつつ、遮那は買物に出かけることにした。
「んー……」
なるべく時間のある時は自炊を心がけている遮那は近くのスーパーに食材の補充に来ていた。
何を作るかで買うものは当然変わってくる。
メニューを考えることに夢中ですっかり前方不注意だった遮那は野菜売り場を通り過ぎた角の所で棚の角に買物カゴをぶつけてしまった。
「あっ!わっ……まって―――」
ごろごろと転がり出した缶詰を遮那は慌てて追いかける。
転がっていく缶詰の1つを差し出されて、
「ありがとうございます」
と遮那が顔を上げると、そこに居たのは―――
「め、恵美さん」
偶然買物に来ていた恵美だった。
「はい、遮那君。気を付けないと駄目ですよ」
先に遮那に気付いた恵美は、遮那が上の空で歩いている姿を見ていたらしい。
「は、はい」
遮那は恵美に偶然会えて嬉しいやらこんな姿を見られて恥ずかしいやらで赤面する。
「何をそんなに悩んでたんですか?」
恵美は首を傾げて遮那に問いかける。
「いえ、夕飯は何にしようかなぁって思ってただけなんですけど―――」
どうやら恥ずかしさの方が上回ったらしく語尾がだんだんと小さくなった。
恵美の持っているカゴを見ると遮那同様まだ何も入っていない。
「あ、あの恵美さん、良かったら夕食一緒に作りませんか」
と、思わず遮那は気が付くとそう口走っていた。
「喜んで。そうと決まったら早く買物を済まさないと、ね」
「はい」
遮那は大きく頷いた。
■■■■■
結局その日のメニューは無難なカレーライスにサラダというメニューになった。
しかし、単純なようでいてカレーというと各家庭によって作り方も使う食材も様々である。
遮那は玉葱、人参、じゃがいも、挽肉……と次々と食材を取り出す。
「え、生姜とかニンニクも入れるの?」
「えぇ、玉葱をよく炒めてその中に細かく刻んだ生姜とニンニクと挽肉を入れてさらに炒めるんです」
遮那は慣れた手つきでそれらの食材を細かく刻んでいく。
「じゃあ、あたしはサラダの方作りますね」
恵美が遮那の隣で野菜を洗い始める。
並んで一緒に料理をしている2人の様子は可愛らしく微笑ましい光景であった。
自分の隣で鼻歌を歌いながら丁寧にレタスを洗う恵美に目を奪われていた遮那はおもわず手を滑らせる。
「痛っ」
遮那の左の人差し指に小さくぽつんと浮かび上がった血はじわじわと広がりはじめた。
「大丈夫ですか?」
恵美は自分のしていたエプロンでとっさに遮那の指の血を拭う。
「恵美さん、エプロン汚れちゃいます」
「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ」
さっとエプロンを脱いで、
「とにかくこれで抑えてて下さいね」
と自分のエプロンをそのまま遮那に渡すと恵美は小走りに管理人室である自室に走って行き救急箱を持って戻って来た。
「ちょっと沁みますけど我慢して下さいね」
消毒液を含ませた脱脂綿で遮那の指を消毒してバンドエイドを巻く。
「今日はうっかりしてばっかりですね」
と恵美に言われてしまえば、
「……はい」
と、遮那は頷くしかなかった。
―――よりによって今日は恵美さんの目の前でドジばっかり……
落ち込む遮那に、
「あんまり心配させないで下さいね」
と恵美が続けた。
その一言で落ち込んでいた遮那の心が浮上する。
恋する者の心は斯くも単純なものである。
■■■■■
「いっただきまーす」
匂いに釣られてやって来たあやかし荘の住人の面々と一緒に遮那は食卓を囲んでいた。
「やっぱりカレーは大勢で食べる方が美味しいですよね」
恵美がそういって笑顔を浮かべている。
ほんの少し残念に思っていた遮那だったが、そんな笑顔を見てしまえばそんな気持ちも吹き飛んでしまった。
「いただきます」
遮那は気持ちを切り替えて手を合わせる。
その瞬間、自分の人差し指に巻かれているバンドエイドが目に入った。
『あんまり心配させないで下さいね』
それは大家として店子の一人である遮那に言っただけの言葉だったのかもしれないが、それでもいいと思った。
小さく笑みを浮かべながら、遮那は明日は恵美に新しいエプロンを買いに行こうと決心ししつつ夕餉の輪に加わった。
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