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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


知識の海を泳ぐ者

 その日、ラクス・コスミオンは大忙しだった。
 まず、今日一日部屋に立ち入らないよう、家主にお願いした。何故なら、とても危険だからだ。
 次に、念には念を入れ、結界で部屋を閉じた。そう、本当に、今日彼女が行う実験は危険なものだからだ――。
 部屋の四隅に結界の範囲を示す札を貼ると、窓から風は入ってこなくなり、外からの蝉時雨が消えた。外界から切り取られた証拠だった。
 これで、誰も入って来られない。仕上げに、襖戸にも内側から封鎖の札を貼ってから、ラクスは室内へと身を返した。
 と、後で襖紙が擦られる不吉な音がする。ラクスは慌てて背中の翼をたたんだ。……突き破ってはいないだろうか? そーっと背後を覗うと、襖は無事だった。セーフだ。日本家屋は、彼女の体には色々と手狭だし、壊れやすいものが多くて気を使う。
 それは、彼女の背が特別高いとか、そういう次元の問題ではない。
 ラクスは、葡萄酒色の髪と、熟した小麦のような色の肌をした女性だった。ただし、その背には力強い猛禽の翼がある。音もなく畳を踏むのは、柔らかな肉球のついた獣の四足だ。人と獅子と鷲の合わさった姿を持つ、スフィンクスであるラクスは、色々あってエジプトを出、日本にやってきた。
 それは目まぐるしいばかりの環境の変化だった。前述の通り、住環境一つとっても。しかし、彼女の学習意欲だけは、どこに暮らしていても変わりはなかった。
 そして今、ナイルの水のようだと称されるラクスの明るい緑色の瞳は、知識を探求する者としての高揚をみなぎらせている。
「さあ、やりますよ」
 ラクスの足元には、紙が敷いてあった。模造紙か何かを貼りあわせて作ったのだろう、六畳ほどの部屋いっぱいくらいの大きさで、図形と文字で構成された魔法陣が書いてある。部屋を汚さないための苦肉の策である。
 部屋の隅では、大人しく背を丸めている黒猫が一匹。協力願うべく、朝一番で連れてきた近所の野良猫だ。魔術師と使い魔としての契約を結んだので、意志の疎通は一応できる。
 今から行う、ラクスが新しく覚えた技術の内容と、その素晴らしさについては、既にきちんと説明してあった。使い魔になったとはいえ、ほんの一時間ほど前までただの猫だった彼に、どこまで通じたのかは謎であるが。
「よろしくお願いしますね」
 ラクスは猫を抱き上げて、魔法陣の円の中心に降ろした。何事が起こるのかと言いたげに、金色の目を丸くしている猫の頭に、ぽふ、と前足を置き、ラクスは口の中で何事か呟いた。金の額飾りが、しゃらりと涼しい音をたてた。ラクスの足が離れると、猫はもう静かに眠っている。
「では、始めます」
 円の外へと後退し、次は前足を魔方陣の端に触れるように置いた。所定の位置であることを確認してから、ラクスは目を閉じる。そうして、覚えたばかりの呪を唱えはじめた。
 切り離された空間は、外の物音とも暑さとも無縁だ。ラクスが唇に乗せる複雑な音だけが、部屋の中に響く。しばらくの間はそれだけだった。
 やがて、ぱちん、と小さく炎の爆ぜるような音がした。音の次は光が現れる。黒く墨で引いた魔法陣の上に、火の粉のような細かな光がきらめいた。それは生まれては消えるのを繰り返しながら、少しずつ量を増やしてゆく。
 ラクスが目を開いた時、魔方陣は金色の光の集まりになっていた。成功を確信しながら、ラクスは最後の文言を口にした。
「魂を持つものは魂のあるまま、その心を、その意思を、消さぬまま無機なるものへと転変せよ」
 光は今や、渦巻いて円から溢れ出していた。その中心で、黒猫の毛並みがざわりと波立つ。
 息を飲み、ラクスは目を凝らした。これは、生きものなど魂を持つ存在を加工し、知性を持つ道具を作り出す錬金術である。古くから知られているが、加工前の記憶を残しにくいこと、一度加工してしまったら元には戻せないことなど、欠点が多く、問題視されてきた技術だった。
 それらの点が全て改善されたと聞いて、ラクスはじっとしていられず、噂の錬金術師を直接訪問し、この新しい術を習い覚えてきたのだ。
 魔法陣の書き方、必要な道具、呪文。改良された全て、ラクスの知識に照らし合わせても納得のいく、よく出来た理論だった。だからこそ、実際に試さずにはいられなかったのである。
 黒猫の輪郭が、光の中で崩れてゆこうとしたその時。
 封鎖の札を貼っていた筈の襖戸が、何故か軽々と開いた。
「こんにちはー」
 何も知らず、笑顔で部屋の中に足を踏み入れてきたのは、長い青い髪の少女。
「みなも様!?」
 ラクスの友人である、海原みなもだった。学校帰りらしく、制服を着ている。
 何故みなもが訪ねて来たのか、そして何故結界を張った部屋に入ってこられたのか、そんなことを考えている場合ではなかった。今や、金色の光は床全体に溢れてる。みなもの、白いソックスの足元で、ぱちん、と小さな火花が弾けた。巻き込まれる! ラクスが術を止めようとするよりも先に、光が、みなもを飲み込んだ。みなもの手から、下げていた荷物が落ちる。
 猫と一緒に、みなもも術の中に組み込まれてしまったことを、ラクスは悟った。加工が始まる。こうなっては、最後まで見守るしかない。途中で止めるほうが危険だ。
 黒猫は、最早猫の形をしていなかった。その体は膨れ上がり、天井に頭がつくほどの大きさになっている。形は二足歩行の人型。
 それが見えたのか、みなもは目を見開いている。ラクスに何か問おうとしているようだが、唇が動くだけで声は聞こえなかった。光が全て吸い取っているようだ。その唇が、絶叫の形に開いた。みなもの体に絡みつくように、白い稲妻が走ったのだ。声にならない叫び声を上げながら、みなもの表情が無残に歪む。
 バキバキと、硬いものが結晶してゆくような音がした。みなもの足元から、加工が始まっている。色は青銀だった。猫のように大きさが変化することはなかったが、肉体の柔らかさは瞬く間に失われていく。
 驚愕と苦痛の表情を顔に貼り付かせたまま、みなもの体は変化した。
「まあ……!」
 やがて潮が引くように光が弱まった時、ラクスは感嘆の声を上げた。
 魔法陣の上には、黒い石のゴーレムが一体。
 そして、西洋の板金鎧が一体。
 近所のボスだった黒猫が変化したゴーレムは、いかにも無骨だ。それに対し、西洋鎧は青みを帯びた艶があり、細かな細工が美しい。胸には百合の花の意匠が打ち出されており、下肢の部分には、細かな凹凸で鱗模様の細工がしてある。シルエットはどこか女性的で、みなもという少女の持つイメージが重なった。
「加工前の魂によって、こんなに出来上がりが違うんですね…………!!」
 ラクスの瞳は、輝いていた。ハプニングがあったものの、大成功だ。それも、四足獣からと人型からと、二種類のデータが一度に取れたのである。……みなもを巻き込んでしまった罪悪感は、興奮のあまりマヒしてしまっているらしい。
 ラクスは肉球のついた前足で器用にペンを持ち、記録を取り始めた。猫とみなも、それぞれの変化の様子、変化後の様子、全て細かく文字にする。ラクスは夢中だった。
 ゴーレムは、使い魔としての性質は変わらず、命令すれば言うことを聞いた。土や石から普通に造られたゴーレムとの違いといえば、命令への対応が柔軟だということだ。たとえば、真っ直ぐ進め、と命令した時。普通のゴーレムなら、前に障害物があれば踏み潰すか遮られて進めなくなるかするだけだが、このゴーレムは、障害物を避けた後もとのコースに戻って進む。
「知性が残っているということですね。興味深いです………」
 次は鎧だ。銀の鎧は、門扉を守る番人のように、襖の前から動かない。語りかけたり触れたり、ラクスは忙しく調査を続ける――。


 一通りデータを取った後でようやく、みなもを大変な目に遭わせているということを思い出して、ラクスは青ざめた。
 軽くニ時間ほどが経過してからのことだった。

 
「……すみませんでした」
 小麦色の頬に朱を昇らせて、ラクスはみなもに深々と頭を下げた。
「いいですよ、そんな。私が急にお部屋に入ったのも悪かったんですから」
 見事な体躯のスフィンクスが、うなだれ、肩と翼を縮めて、しゅんとしている様子を見ていると、何やらこっちのほうが申し訳ないような気がしてくる。
 それに、家主に通してもらったとはいえ、そして声をかけても中から返事がなかったとはいえ、ラクスの私室の戸を勝手に開けてしまった自分にも多少の非はある、と、みなもは思っていた。
「ほら、こうして、ちゃんと元に戻して頂きましたし」
 完璧に元通りになった腕を広げ、みなもは懸命にラクスを宥める。研究のこととなると少々我を忘れてしまうところがあるが、物静かで知的なこの友人を、みなもはとても好きなのだ。
「ね。だから、そんなに気にしないでください」
「みなも様……」
 にゃーん。同じく元に戻してもらった黒猫が、ラクスの足元で鳴いた。気遣うような調子に聞こえた。その頭をそっと撫でてやってから、ラクスはおずおずと口を開いた。 
「あの、みなも様。先ほどの感想を、伺ってもよろしいでしょうか?」
 加工された本人がどう感じたか。それは今回の実験において採取できる、最後のデータである。
「感想、ですか」
 みなもは苦笑した。本心から悪いと思ってはいるのだろうが、ラクスの緑の瞳は、好奇心の光を隠せていない。少し迷ったが、みなもは本当のことを包み隠さず告げることにした。
「ええと、変化の間は、…………体中が痛かったです、すごく」
「!!」
「いえ、痛かったですけど、それは最初だけで」
 ラクスが泣きそうな顔になったので、みなもは慌てて付け足す。
「完全に変化してしまってからは、全く痛くは……と言うか、体の感覚がほとんどなくなってました。ラクスさんに触られても、何も感じませんでしたから、触覚はなかったんだと思います。はっきりしていたのは、視覚と聴覚くらいで。それから、ええと」
 言葉を切ったみなもを見るラクスの目が、輝いている。普段は惚れ惚れしてしまうくらい落ち着いている彼女なのに、今はまるで絵本の続きを待つ子供のようだ。
「ずっと、鎧として、守るべき対象を守らなきゃいけない、っていう風に思ってました」
「まあ。みなも様は、だから戸の前から動かなかったのでしょうか……」
 何事かをノートに書き足し、ラクスは満足げに息を吐いた。どうやら記録が完成したらしい。
「ありがとうございました。良いデータが取れました」
「よ、良かったです……。ちょっと、びっくりしましたけど」
 ラクスは一瞬満面の笑みを浮かべたが、みなもの言葉にはたと我に返り、またしゅんと肩を縮めた。
「私ったら……。本当に、申し訳ありませんでした。誰も入れないように、きちんと結界を張っていたんですけれど……」
 ラクスは部屋を見回した。窓際でカーテンが揺れている。蝉の声は、夕暮れが近付いて少し大人しくなったようだ。今や、結界は完全に切れている。その原因は、すぐに見つかった。
「……あら。札が……」
 四隅に貼っていた札の一枚が、破れていた。
「いつの間に…………」
 頬に手を当て、首を傾げたラクスの背後では、翼が壁を擦っている。彼女はそれに気付いていないようだ。……なるほど。いつの間にか、自分で剥がしちゃったんだなぁ、多分……。思ったが、みなもは言わなかった。これ以上ラクスを沈ませても仕方がない。
「あ、そうだ」
 自分が訪ねてきた理由を思い出し、みなもはキョロキョロと下を探した。鞄はすぐに見つかった。部屋に入ったところで落としていたのだ。
「これ、届けに上がったんです」
 みなもが鞄から出したのは、可愛らしくラッピングされた焼き菓子だった。
「私が作ったものなんですけど、よかったら、お家の皆さんでどうぞ」
「これは……?」
 包みを受け取り、ラクスは目を丸くしている。ラッピング越しに見ると、店で売っているものと遜色ない出来栄えだった。狐色の焼き色がピカピカしていて、とても美味しそうだ。そういえば、随分前に、みなもとお菓子の話をしたような気がする。大概のケーキ屋さんというのは狭くて、ラクスの体では入り辛いというようなことを言った覚えも。
「林檎のタルトです。冷やして食べると美味しいですよ」
「みなも様……ありがとうございます」
 あんな他愛も無い会話を覚えていて、わざわざ寄ってくれたのだ。ラクスの目が潤んだ。異郷の地で受ける親切は、一層心に染みるものである。
「そうだ、お茶を入れて頂いてきますね! お待ちください」
 いそいそと、ラクスは台所に向かった。獅子の尾が襖の向こうに消えるのを見送ってから、みなもは伸びをした。鎧になってずっと同じ姿勢でいたせいか、肩が酷く凝っている。ラクスの友人をやめよう、などという気にはもちろん全くならないが、ただ一つ、今回心に決めたことがあった。
「今度から、ラクスさんのお部屋に入る時は、あたし、絶対にちゃんと中を確かめてからにします……」
 にゃあ。
 そうしたほうがいいよ、と相槌でも打つように、みなもの足元で黒猫が鳴いた。


                                               END