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<東京怪談ノベル(シングル)>


小指のブルー



SCENE-[1] この季節に。


 ロッキングチェアがギイと揺れる。
 座と背が籐張りになったこのチェアは確かに涼しげで、空調によって一定の温度に保たれた室内は暑気も幾分薄れて感じられる。が、それでも――――セレスティ・カーニンガムは、身に忍び入る夏特有のじわりと滲むような熱の気配に、小さく溜息吐いた。
 暑いかと問われれば、暑くはないのかもしれない。
 人工的に冷やされた空気は、粘つくような摩擦もなくするりと肌を撫で、気管を通って体内にも取り込まれる。窓外では灼け付くような陽射しが我が物顔に地上を跋扈していようとも、とりあえずこの部屋の中にいる限り不都合はない筈で、しかしやはり僅かな息苦しさが絶えず意識に付き纏う。
 (日本の四季は美しいものだと思いますが……、連日のこの暑さにはさすがに気が滅入りますね)
 永き時を生き、人と変わらぬ姿形を得ようとも、本性が人魚であるセレスティにとって、過度の太陽光線や高温は大敵である。
 点け放したテレビからは折しも、気象予報士が滑舌の良い口調で、何ら悪びれぬ風に「今日の東京の最高気温は三九度」だと告げている。湯にすれば温めのその温度は、気温とすれば熱波かと問いたくなる。天気予報図を数秒大きく映し出した画面は、すぐに海水浴場の映像に切り替わり、白い波飛沫が親子連れの陽に焼けた笑顔を洗う光景が、セレスティの青眸の片隅を染めた。視力が弱くはっきりとはテレビ画像を認識できないセレスティにも、光彩の変化と耳を搏つ子供のはしゃぎ声から、そこにどんな景色が映じているのか容易に予測はついた。
 こんな真夏日は、部屋の中で静かに調べ物でもして過ごすのが適しているだろう。
 暫くしたら、いつものように冷たいドリンクやスウィーツなどを料理人に用意してもらい、冴えた音色のヴァイオリン曲でも聴き乍ら、気に入りの古書を眺め遣るのもいいかもしれない。
 (……ですが……)
 セレスティはテレビの電源を落とし、何か物思うように頸を少し傾げた。
 その胸中を、銀と紅の色彩が過ぎる。
 澄んだルビーのように輝く大きな眸が、明るい笑みを湛え乍らセレスティをみつめている。腰までを覆う柔らかな銀の髪や身に着けている衣装とも相俟って、まるで人形のように愛らしい容姿のその人。
 最愛の恋人、と。
 そう呼ぶことのできる、大切な、大切な存在。
 今日、セレスティは彼女への贈り物を購入するために、少々出掛ける心積もりでいたのである。
 先月ドイツで執り行われた友人の結婚式に参列した折、花嫁への贈り物として恋人と二人でアンクレットを用意した。ドイツまでは自家用機での移動で、今からドイツへ、というその直前に宝飾店へ立ち寄ったのだったが――――そのとき、思ったのだ。今、自分の隣で、幸せな結婚式を思い胸高鳴らせている可愛い人に、プレゼントをしたいと。
 贈るのなら、そう、この季節ならではの、何か。
 二人が、今このときに、手の触れ合える距離で生きているそのことを感じられるような。
 夏の光によく映える、アクセサリーを。
 (そう思いはしましたが……、さすがにあのときは、彼女への贈り物まで選んでいるだけの時間の余裕がありませんでしたから)
 セレスティは、トンと床の上にステッキを突いてチェアから立ち上がると、おもむろに窓の外へと視線を投げた。
 降り注ぐ陽光の眩しさに、つい眼を伏せる。
 セレスティの長い睫の下で暫し双眸が揺れたあと、そこにふっと優しげな微笑が宿った。
「……折角、今日は時間もあることですし」
 どこか嬉しそうな声音を零し、セレスティはチェア脇に寄せてあった車椅子に身を落ち着けた。
 さあ、先ずは運転手に車を用意してもらい、それから、宝飾店へこれから出向く旨の一報を入れることだ。


SCENE-[2] 青い魔法。


 最高品質のものはどんなときも、華美からは離れ、静かに調和された歪みのない精美の中に在る。

 セレスティが懇意にしているこの宝飾店もその定義に洩れず、扱う品々の豪華さに挙措を乱されることなく、今日も落ち着いた佇まいを見せていた。
「……先日の品は花嫁様のお気に召していただけましたでしょうか」
 応接室中央の、英国アンティーク調のテーブルとともに配されたソファにセレスティが腰掛けるのを待って、店主が穏やかに声をかけた。
「ええ、喜んでいただけました」
 微笑を添えて短く応え、セレスティはサーブされたハーブティを一口、口に運んで喉を潤した。
「それは幸甚にございます。……ところで、本日の御用向きと致しましては、夏に相応しいアクセサリーを一品、とのことで?」
 事前に電話で伝えられていたセレスティの意向を再度確かめるように、店主が訊いた。
 セレスティが、小さく肯く。
「はい。……そうですね、たとえば……そう、愛らしい夏の花を模したような……、身に着けていてあまり重さを感じないものを」
「モチーフは夏の花、でございますね。……先日ご一緒でいらっしゃいました素敵なお嬢様への贈り物、ということで宜しかったでしょうか」
 厚かましくならない程度の、ごくあっさりとした、それでいて的を外さない店主の気遣いに、セレスティは心地好さそうな笑みを浮かべた。
「ええ。彼女に似合うようなアクセサリーをお願いしたいのですが」
「畏まりました。オーダーメイドでも承りますが、この度は当店既存の品をお求めでしょうか」
「オーダーメイドも考えましたが、デザインから起こしていると夏が深まってしまいそうですので」
「ご賢察です。……では、只今候補の品をお持ち致しますので、少々お待ち下さいませ」
 そう言っていったん応接室を後にした店主の代わりに、楚々としたスーツ姿の女性店員が現れ、「白桃のコンポート、シャーベット添えでございます」と、テーブル上に冷えた一皿を差し出して丁寧に一礼し、下がった。
 ややあって、
「お待たせ致しました」
 店主が漆黒のトレイを手に戻り、セレスティの眼前に慣れた手つきですいとそのトレイを置いた。
 トレイの内側はシルク張りになっており、そこに数点のアクセサリーが載せられていた。
「幾つか当方で選定させていただきました。いずれも、夏の花を象った品になります」
 ヒマワリを想起させる、イエローシトリンとダイヤモンドのピアス。
 キキョウの五枚花弁にアメジストをあしらったネックレス。
 ロードライトとアルマンダイン・ガーネットを組み合わせたチョコレート・コスモスのブローチ。
 セレスティは、トレイに並べられた逸品をそれぞれ手に取り乍ら、店主の説明に耳を傾け、やがてその中の一つを示して見せた。
「どれも可愛らしく心惹かれますが……、今回はこちらを是非」
「ツユクサ、でございますね」
 店主が眼を細めて微笑んだ。
 店主のセレクトの中からさらにセレスティが選んだのは、露草をモチーフにしたピンキーリングだった。
 夏の朝、日の出間もなく花咲く露草。
 蝶が薄羽を優しく拡げるように、二枚の青い花弁を上方に開き、そのすぐ下に仄見える雄蕊の黄色い葯が繊細に煌めく。花糸の長い半透明の蕊が二本、緩やかなカーヴを描きつつ垂れ――――その姿はまるで、朝露の青い妖精のよう。
 サファイアの二枚花の合わせ目を小さなシトリンでチャーミングに彩ったピンキーリングが、恋人の小指に嵌っている様を想像したセレスティは、思わず眸に微笑を滲ませた。
 (まるで……彼女の細い小指に青い花のリボンを結んだようですね)
 小指は、秘密を象徴する指だと言われる。
 秘密を大切に守りたいときに、密かな願いを込めたいときに、そこにリングを嵌める。
 彼女の小指に結ぶ青いリボンは、差詰め、二人を繋ぐ秘密の糸、だろうか。
 (……このリングを贈るときに、何か……二人だけの秘密を一つ、作ってみましょうか)
 二人だけの秘め事を、青いリボンで小指に結わえ、優しいキスで封印する。
 それはきっと、とても幸せな、夏の日の思い出になるに違いない。

 恋人よ、
 その手を取って、
 青い魔法をかけましょう。

 セレスティの清らかな水に溶ける、恋人の小指のブルー。
 考えてみれば、夏の花だというのに、強い陽射しに弱いために昼を迎えることなく閉じてしまう露草には、どこか親近感を覚えないでもない。
「……このリングを箱に収めて、ラッピングには青いリボンをお願いできますか」
 リングサイズの確認を済ませたセレスティは店主にそう声をかけ、脳裡に可愛い恋人の姿を追った。
 贈り物は青いリボンで結んだ二人の秘密ですよ、と告げたら、彼女はどんな表情を見せてくれるだろうか。一体何のことだか分からずに、大きな眸を何度も瞬かせるだろうか。それとも、謎を解こうと一生懸命考えて、ついには眉間に皺を刻んでしまうだろうか。いや、好奇心旺盛な彼女のことだ、早く贈り物の中身が知りたくて、謎解きには降参するかもしれない。
 (……楽しみ、ですね)
 セレスティは浮き立つ心を抑えるように、ハーブティーのカップをゆっくりと手に取った。



[ 小指のブルー /了 ]