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もしもし私、
――プロローグ
アヤちゃん電話に何度も電話をかけると、内容が少しずつ変わるそうだ。
そうしてアヤちゃんは、電話をかけている本人の家に近付いてくる。そうらしい、のだ。
そう自分に言い聞かせる。「そうらしい」つまりは、違う。アヤちゃんはただ、用意された台詞をテープが繰り返しているだけなのだ。
プルルルルル。
一人きりの家で、電話が鳴る。さっきから、アヤちゃんからの電話で電話は鳴りっぱなしだ。
須藤・まりもは気付いている。アヤちゃんから電話がかかってくること自体が、イレギュラーなことなのだ。
だから怖くて仕方がない。しかし、家から出てもしもそこにアヤちゃんが立っていたら、どうしたらいいだろう。
恐怖ばかりが増していく部屋で、まりもは震えていた。
アヤちゃんは、さっきマンションの前に着いたと言っていた。今何階だろうか。こう考えていることが、非科学的だとまりもは感じている。けれど、アヤちゃんからかかってくる電話が非科学的でなくてなんだというのだ。
涙は乾いたように出て来ない。学校からの帰って、郵便受けから取った多くの広告を広げてみる。探偵の文字が見える。なんでも引き受けます、と便利屋のような文句が書いてあった。
まりもは受話器を取って、番号を回した。
数回の電子音の後に、気だるい男の声が電話に出た。
「はい、草間興信所」
「助けてください。アヤちゃんが、来るんです」
叫んでいた。驚いた様子で、男は答える。
「同級生か誰かですか」
「アヤちゃん人形です。電話をかけたら、やってくるアヤちゃん人形が……」
男は慣れた調子でまりもに電話番号や番地を訊ねた。まりもは突っかかりながら、男に伝えた。
その間に、キャッチホンの音がしていた。プ、ップ、ップ、ップ……。アヤちゃんからの電話だ。
「助けてください」
もう一度言ったとき、まりもの背後で声がした。
「どうして出てくれないの」
ひぃ、と喉の奥が鳴った。電話でしか聞いたことのないアヤちゃん人形の声だった。それが、すぐ後ろで……、
――エピソード
ああ、と悲鳴が電話から響いたとき、草間・武彦は固まった。
隣に立っていた蒼王・翼は、草間からひったくるようにして黒い受話器を取り、冷静に話しだした。
「まりもさん、落ち着いて。窓を開けてください、まりもさん」
既に応答はない。
翼が珍しく、小さく舌打ちをした。
「風を……入れる……までもない、か」
うなだれるように俯いて、翼は小さな声でつぶやいた。
シュラインは自分の机の引き出しの中からハンドバックを引っ張り出し、放心状態の草間に向かって言った。
「急ぐわよ、行きましょう」
たまたま興信所に居た、水野・あきらとシオン・レ・ハイも立ち上がる。
シュラインは興信所の薄っぺらいドアを壊す勢いで開け、ジャケットを引っ掴んでいる草間にハッパをかけるように続けた。
「携帯持って、手当たり次第に誰か一番早く着ける人に電話かけて。武彦さん今日、車は?」
草間は電車で移動するのが常だった。
「ああ……乗ってくればよかった」
「そんなのどうだっていいわよ、そもそも武彦さんの運転じゃチンタラしてて間に合わないわ。タクシー拾いましょ。誰かに情報収集を頼まなくちゃね、雛太くんがいいわ。武彦さんは冥月さんやクミノちゃんに電話して。あの二人なら、一瞬とまではいかなくてもすぐに着くわ」
シオンとあきらは顔を見合わせている。
「まりもちゃん無事でしょうか」
シオンが濃紺の品のいいジャケットに袖を通しながらシュラインへ訊く。シュラインは、今にも「知らないわよ」とヒステリックに叫びそうな様子だったが、振り払うように首を振って微笑をみせた。
「きっとね」
「乙女を怖がらせるなんて許せません」
水野・あきらは制服のスカートを握り締めながら口をぎゅっとすぼめた。あきらは性別的には男であるが、女子高生姿に違和感はない。ただシュラインは、少し困った顔であきらの名前を呼んだ。
「……あ、あきらさん」
「ちゃんで結構です」
逡巡するようにシュラインは虚空を見つめた。
「あきらちゃん、電話みててくれない? まりもちゃんが意識を取り戻すかもしれないから」
「わかりました」
あきらは翼の隣へ行き、黒電話を受け取って
「もしもし、もしもし」と何度も問いかけた。
翼は沈痛な面持ちで全員を見回し、全てを知っているような顔で言った。
「僕は僕で調べよう。アヤちゃん人形についてね」
外へ出ながら草間とシュラインは電話をかけていた。
「クミノか。え? 携帯電話は無線を妨害するからやめろ? そんなこと言ってる場合じゃねえんだよ」
苛立たしく電話先のササキビ・クミノに草間が言う。
隣のシュラインも早足で階段を降りながら、緊迫した声で携帯電話へ向かっている。
「雛太くん? なにそこパチンコ? さっさと出て。いいから。うるさくて話ができないわ。調べて欲しいことがあるのよ、聞こえてる?」
こちらは雪森・雛太に応援を要請しているようだった。
タクシーをうまく捕まえ、シュラインが住所を告げた。
タクシーの中は携帯電話は一応ご法度になっているのだが、二人はそんなことに構っている余裕はないのか、電話をかけ続けている。
「冥月か、悪いが早急にこの住所に向かってくれ。都市伝説だ」
「旭さん? 都市伝説絡みなんです。お知恵を拝借できますか」
一方は影を操る能力者黒・冥月に、一方は神父であり悪魔祓いを生業としている神宮寺・旭にかけているようだ。
シオンは二人の様子をじっと見つめながら、ともかくまりもの無事を祈っているようだった。
しばらくして電話は終わり、情報が統合されはじめる。
「冥月が一番早いだろう。クミノも向かわせたし、限が近くにいるらしい」
「雛太くんには都市伝説のデータを洗ってもらってるわ。旭さんからは絶望的なお答えをいただきました」
「どういうことです?」
嫌な予感がしてシオンが眉根を寄せる。
シュラインは小さな声で
「言いたくないわ」
弱音を吐くようにこぼしてから、きっと口を引き締めて語り出した。
「都市伝説は物語のパーツのようなもので、一旦はまってしまったら必ず全ての事象が起きるそうよ。確かにこれは、いつだったか武彦さんも都市伝説に遭って死ぬ思いをしてるし、現実問題ね。回避率は非常に低い。なにしろ、人間の妄想を誇大化させて噂というネットワークでできあがった代物だから、人よりはずっと強いわけね。
旭さんに言わせれば、アヤちゃん人形の被害者は他にもたくさん出ているし、この状況下で助かるとはとても思えないそうよ。ゴリ押しで武彦さんみたいに助かるしか、道がないタイプの都市伝説なのね。……助かる希望があるとするなら、どこをどうやって刺されて、出血がどの程度なのか。超現実的な問題にすりかわるわ」
草間が煙草を取り出して、フィルターを噛んだ。
シオンは不安そうな顔をしている。シュラインはそれでも尚言葉を継いだ。
「何回刺されたか、どこを刺されたか、何で刺されたか、内臓の損傷状態」
「最低だ」
草間が吐き出して煙草を手に取る。吸いたいが、ここは禁煙だった。
「まだ、最低と決まったわけではないですよ」
弱々しくシオンが草間に注意する。草間は不貞腐れたように外を眺めている。
シュラインは厳しい口調で言った。
「そうやって現実逃避する癖、どうにかなさい」
草間の顔がいよいよ渋くなった。
須藤・まりもマンションへ着く前に、黒・冥月から連絡が入った。
少女須藤・まりもは彼女が到着する少し前に、こと切れていたとのことだった。草間は携帯電話を振り上げた。シュラインが無言で草間の腕を掴む。その様子を、シオンが不安げに見守っていた。
「死んだんだぞ」
「そうね」
少し悔しそうにシュラインは同意した。
シオンは少し涙目になりながら、首をぶんぶん横に振っている。
「まだ間に合うかもしれないですよ」
「何かの冗談か?」
自嘲するように草間はシオンに問い返した。シオンがぐうっと押し黙るのを見て、くわえっぱなしの煙草を運転席と助手席の真ん中へ投げる。運転手が嫌そうな顔を、バックミラーに映し出していた。
「冗談なんかじゃ、ないです……」
シオンが言葉を継ぐ。草間はイライラとシオンを横目にしている。
シュラインは草間の肩をドンと片手で叩いた。草間が不服そうにシュラインを見る。その顔の幼いことったらない。
「シオンさんに当たるのはやめなさい」
「お前は冷徹なんだよ」
こうなった草間は小学生以下である。シオンはポケットのハンカチーフで涙を拭っていた。運転手が聞き難そうに訊いてきた。
「なにかあったの、もう着くよ」
シュラインはメーターを覗き込んで、自分の財布から一万円札を引っ張り出した。ベージュ色の大きなマンションの前でタクシーは停まり、シュラインは申し訳なさそうに一万円札を運転手に手渡した。
「すいません、お世話になりました」
釣りを受け取らずにタクシーを降りる。
外へ出ると、パトカーの音が聞こえてきていた。シュラインだけにではないのだろう。シオンも草間もきょろきょろと道を見回している。
「中に入りましょう、そうしないと、警官でいっぱいになって入れなくなるわよ」
シュラインの台詞に反応して、二人は大きなマンションのガラス張りのドアを開けた。郵便受けを眺める余裕もなく、エレベーターのボタンを押す。五階の金属製のドアに辿り着いてインターフォンを鳴らし、堪らずドアをガンガンとノックした。
草間がイライラと呼んだ。
「開けろ、限、冥月、クミノ」
シオンがドアノブに手をかけると、それはするりと回りドアは開いた。
草間・武彦は苦り切った顔をしていた。七部丈のワインレッドのシャツを着たシュライン・エマも難しい顔をしている。シオン・レ・ハイは不安でいっぱいな顔色だった。応対に廊下まで出ていた限が、ドアを開けて入ってきた草間の名前を呼ぶ。
「草間さん、俺……」
「別に誰のせいでもない」
限の言葉を遮ってそう言うと、限を追い越した。シュラインも少し殺気立っており、限へ少しだけ微笑んでみせただけだった。シオンといえば、下を向いて涙を噛み殺している。
居間へ入るとすぐに死体を見つけられる。
めった刺しにされている須藤・まりもの後姿に、誰も発言しなかった。
冥月とクミノがやっと来たかと草間を見やっている。草間は、ほとんど子供同然の意志で二人に向かって言い切った。
「クソ、この借りは必ず返す」
クミノが不思議そうに訊き返した。
「借り?」
「アヤちゃんだよ。電話の前で、俺は最後の声を聞いたんだからな」
シュラインは辺りを見回している。
「どうしたんだ」
冥月が言うと、彼女は答えた。
「遺留品がないかと思って。例えば、アヤちゃん人形とか」
「ない。私が探したんだ、ないんだ」
言われてシュラインは目を走らせるのを止めた。かわりにゆっくりと、快適なスペースであろう居間を見た。
シオンは死体を避けてカウンターキッチンの上を覗き込んでいる。
載っている広告類を手に取り、シュラインの元へ持って行った。
ワープロで打たれた広告が数枚散らばっている。一つは引越し屋のチラシ、一つはピザ屋のチラシ、それから草間興信所のチラシがあり、最後に黄緑色の紙に印字された変なチラシが見つかった。
あなたの願い事を叶えます。
シュラインは訝しげな顔になる。
「なにかしら、これ」
言いながら、チラシをクミノと冥月の元へ持って行く。草間は限と共に室内が本当に密室だったのか調べに行っていた。
「……どう考えても、アヤちゃん電話のダイヤルだろうな」
シュラインは手帳を取り出して、書いてあるナンバーを控えた。
シオンはいつまでも死体の側を離れず、悲しそうに手を合わせている。
「名月もクミノちゃんも、警察が来るとまずいんじゃない?」
「……しかし、逃げるわけにもいかない。第一犯人でもないから、あちこちに指紋はつきっ放しだし、現状密室であるということを壊すしか私の侵入経路は説明できない」
「私もだ」
クミノが短く付け足した。
シュラインは困った顔になった。
「じゃあ? ドアが開いていたということにするの」
「それしかない……多少不自然だがな。何にしろ、私達に動機はない。殺した凶器も持っていない。少し拘束されるだろうが、すぐに開放されるさ」
「警察に捕まるんですか、平気ですか? 私が代われるなら……」
シオンが心配そうにソファーへ近寄ってきた。冥月とクミノは苦笑をして、彼の訴えを退けた。
「何も心配はいらない」
サイレンは大きくなりパトカーは、ベランダの外を赤く染めている。すぐにインターフォンが鳴った。
予想通り冥月とクミノそして限は、第一発見者として警察に任意で身柄を拘束された。
三人には出たらすぐに連絡をして、興信所に来るようにとだけ伝えた。一人はまだ中学生の年齢の少女であった為か、警察の物腰は柔らかいようだ。
電話が草間興信所と繋がったままだったので、現場の刑事が子機を取り上げて電話に出た。
「もしもし?」
「もしもし、まりもちゃんですか」
大きな声であきらの声が洩れてくる。刑事は草間を見やってから、一つ嘆息して答えた。
「私は刑事です。まりもさんは亡くなりました。切りますよ」
あきらが何か応答をする前に、刑事は電話を切ってしまった。それからやおら立ち上がって、草間へお手上げのポーズをしてみせる。
「あの三人は犯人じゃないのか」
刑事は軽い口調で訊いた。草間は知り合いなのか、同じく軽く答える。
「残念ながら、絶対に違うな。俺が電話をしなければ、全員ここへは向かわなかっただろう。調べればわかると思うが、動機も凶器も出てこないぜ」
「やっぱりそうか」
刑事が一つ息をつく。作業服姿の警官が部屋の中を所狭しと動き回っていた。
話を聞いていたシオンが不思議そうに刑事へ訊いた。
「なにがやっぱりなんですか」
「……動機も凶器も出ない線ってことさ、もっと奇怪な事件があるんだ。オフレコだぞ。似たような事件で同じ歳の女の子が死んでるんだ。連続殺人犯の可能性が高い」
「ふむ、なぜだ」
草間が腕組をする。シュラインはじっと刑事を上目遣いに見やって話しに聞き入っていた。
「その殺人事件はこの地域で起きており、その上背中をメッタ刺しにされている。それから電話をいつも片手に持ったままだ。電話先のダイヤルは今回以外は全てアヤちゃん電話とかいう、変なところに繋がっている。しかも、前の二人に関してはどちらも密室だ……」
能力者ではない、これはアヤちゃんの仕業だ。
草間は直感したが、口には出さなかった。そんなことを警察は信じない。
「三人に共通点はないか」
「ある。が……無差別殺人の被害者として簡単に選ばれたのかと警察は考えている」
「どういうことだ」
「同じ書道教室の生徒なのさ、全員な。残りの女の子は数名、いよいよ俺達が保護に回らなくちゃならないかもしれん。しかし……どうやって」
言いかけて刑事は口を噤んだ。
刑事にとって密室とはささいな一つの要因に過ぎない。犯人が捕まりさえすれば、全ての謎は解けるのである。
「アヤちゃん電話の怪。そんなの信じてるのか、お前は」
草間は訊かれたが答えず、逆に残りの女の子の住所を訊ねた。刑事は渋ったが、アヤちゃん電話の件で動いていると刑事にとってはバカバカしい事情を告げると、仕方がなさそうに教えてくれた。
三人で外へ出て、新鮮な空気を吸い込む。
「意図的なものを感じるわね」
シュラインは顎に手を当てながら、つぶやいた。草間も同意するように頭をうなずかせる。
「ただ、彼女達の間で流行っているから、という理由付けもできる」
「人が死んでいくのに流行っているだけで電話するでしょうか」
シオンがまごまごしながら訊いた。草間はその通り、と指をパチンと鳴らす。
「そこだ、どうして彼女達は電話をしてしまうのか」
マンションの外へ出て草間が一服つけているところへ、自転車で黒装束の神宮寺・旭がやってきた。
「神宮寺・旭です」
「……ああ、遅かったな」
「すいません、どうせ助からないと思っていたものですから」
無頓着に旭が口を開く。シオンが少し怒った眼差しで旭を見た。
「そんなのひどいです!」
「すいません、お聞きしたお話がお話でしたからねえ……」
シュラインは丁寧に旭に来てくれた礼を言い、ともかく四人で次の行動を考えなければと告げた。
旭がびっくりした顔で訊く。
「次、ですって?」
「ええ、関連性のある事件なのよ。そうね、それとアヤちゃん電話を個人的にかけてみる実験の必要もあるわ。困ったわね、冥月とクミノちゃんがすぐ動けないと戦力が半減だわ」
旭は怪訝そうな顔をしていた。
「都市伝説に個人的な関連性は少ないのが常識なのですが。ほら? 例えば友達がもし死んでしまったら普通は怖くて行動をしないか、打開策を試すでしょう」
シュラインは考えるようにコメカミをトントン叩いた。
「ますます作為的ね」
「作為的? それは……」
口を開いた旭が、眉を寄せて押し黙る。全員が旭の言動の続きを待っていた。
「それは、ひどい、ひどいですね」
シオンが大きくうなずいて同意する。
「そうです、ひどいです」
シュラインは刑事から聞いた話を整理して、行動の筋道を立てた。
「事件は翌日に起きる仕組みになってるわ。明日朝二人の女の子を訪ねるとして、私達はアヤちゃん自身をどうにかしてみようと思うんだけど。あと、書道教室へ行ってみた方がいいわね。キーポイントはそこなんだから」
茶の髪に手を当てて、旭は困った顔をした。
「アヤちゃんを呼び出すのは出来るかどうかわかりませんよ。物語通念というものがありますからね。例えば心底から望んでいなければ、来ないのかもしれない。来たところで、標的とその物語を分断するという形でしかアヤちゃんは退治できない。つまり、他のところでアヤちゃんという物語を動かす者がいれば、結局標的にされるわけです」
シオンは小さな声で言った。
「どうにもできないんですか?」
「……いえ、物語の分断を行う、つまり標的の元へ我々が向かいなんらかの形で守ればよいわけです、が」
草間は持たされた携帯灰皿へ煙草を捨てながら、旭の気の抜けた顔を見た。
「が? なんだ」
「いえね、気になる点がいくつもありますから。困ったなあ……」
旭は一人で困っている。目を何度もまたたかせ、眼鏡を上げたり下げたりした。
草間が裏手で旭の肩を叩き、さっさと言えと促す。けれど旭はむうと押し黙ったままだった。
シュラインが仕方なさそうに声を上げる。
「喫茶店にでも入りましょう。まだ三時過ぎだし。雛太くんとあきらちゃん、翼くんを呼んでみるわ」
二人掛けのテーブルを三つ占領して草間達は座っている。
「この事件の悪質な点は、まず絶対的に一人のときにしか起こり得ない都市伝説であること。ここを決められてしまっては、我々も手出しはできません」
旭がキリリとして言った。
雪森・雛太は旭の隣に座っている。雛太は口を曲げて、滑稽な旭の顔を眺めていた。
「お前、今日眉毛辺りがキリリとしてない?」
「何を言ってるんですか。私はいつでも、キリリです」
全然キリリには見えなかったが。誰もが思ったが、誰も口に出さなかった。
雛太はアイスカフェオレに口をつけてから、首をひねった。
「なにが悪質なんだ? 来ないなら来ないでいいじゃねえか」
「標的は自分でアヤちゃんを呼んでいるわけです。純真な思いを叶えようとして。つまり、一人で電話をかけないと意味がない。あるメッセージが出るまで繰り返す、それを聞いたら死ぬわけですね」
旭の説明を聞いていたシオンが手を挙げる。
「はい、シオンさん」
「例えば私が部屋に隠れていて、とかダメですか」
「ダメです。アヤちゃんを呼ぶ本人が、知らなければおそらくアリでしょう。例えば呼んだあとに部屋に乗り込んで行って、アヤちゃんに遭遇できるかはわかりません。……私さっきから得々と語ってますが、都市伝説は専門外なのですが」
旭が今更補足する。そんなこと今言われても困る。
あきらがシオンと同じように、けれどおずおずと手を挙げた。
「あの、先に、お知らせした方がいいんじゃないでしょうか。女の子達に」
「無駄だな」
翼がにべもなく言い切る。
「都市伝説自体に既に、純粋には幸福不純には死と書き記してある。知っての上だろう。同じ書道教室の女の子が死んだという事実と、アヤちゃん電話は結びつき難いんじゃないかな。一時的な抑制にはなるかもしれないが、都市伝説が力を持っている以上いつ起きてもおかしくない事態になる」
シュラインは少し遠い目をして言った。
「恋は盲目って言うしね」
「へ?」
明らかに驚いた様子で雛太が聞き返す。シュラインは苦笑して打ち消した。
あきらが納得するように言った。
「確かに、純粋だ、不純だという言葉自体、恋に結びつきそうです」
あきらはこくりと確信的にうなずいた後、グレープフルーツジュースを飲んだ。
草間はブレンドコーヒーに口をつけることもせず、ずっと煙草を吸っている。喫茶店に入ってから三本目の煙草だった。
「少女達の共通点である書道教室へ行く、次の被害者と予測される二人の少女の家へ行く。一応これでいいか」
草間の機嫌は最悪だった。まりもを死なせてしまっているのが堪えているのだろう。
「少女の家へ行く場合は盗聴器を仕掛けてきてちょうだい。そうしないと、中が窺えないから。でも問題は、アヤちゃんから電話がかかってきた段階で少女達は完全に戸締りをしてしまうから、中に入る込むのが難しくなることね。電話をかける前に、潜んでいられればいいんだけど」
草間がぼんやりと呟く。
「不法侵入だな」
「そんなこと気にしていられません」
あきらが吹っ切るように言った。
草間が呆れた声であきらを制する。
「わかった、わかったから。で? 書道教室の方はどうする」
「生徒は十二人、半分は小学生でしょ。 先生が二人枡崎・雅夫と佐倉・義純。まりもと同年代の女の子があと残りが二人。でも、普通は怖がるわよね、同じ教室の生徒が次々と殺されていくなんて、そんなときに都市伝説を試すなんて考えられないわ」
シュラインはぞっとしたように肩を抱いた。
「知ってるのかもしれないね」
翼が言う。
「全員が同じ人を好きになっていたら、不純で殺されても当たり前と思うかもしれない」
カフェオレの氷をかき混ぜながら雛太が言った。
「アヤちゃん電話は廃れているから、今はアヤちゃん人形を買っても番号がわからないらしい。だから今や幻の電話番号なわけだ。それを知らせている奴が、いるんだろうな。最悪の展開としてさ」
はっ、とシオンがシュラインを見た。
シオンはシュラインの二つ向こうに座っていたので、隣の草間を見たようにも思えた。
「シュラインさん、あのチラシですよ」
「……ああ、あのチラシが女の子達の郵便受けに毎回届けられて……」
チラシがあったのだ。まりもの家に届けられた広告に混じって。『純粋な願いを叶える』というチェーンメールのようなチラシが。
「ちょっと待て」
雛太が少し大きな声でシュラインを遮った。じっくりと瞬きをして、全員の注目を浴びながら雛太は言った。
「サクラ、とか言わなかったか、今」
「え? ええ、佐倉、人偏に左で倉ね」
「ビンゴだ、姉御。そいつが黒幕だぜ」
「どういうことです?」
あきらが不思議そうに雛太を見る。
「俺は今日都市伝説を片っ端から漁ってきたんだけどさ、実際数が多いわアホなサイトも多いわって中に、『実録都市伝説』ってサイトがあってな。そこには、仮名だが被害者のリストが載ってるんだよ。ガセネタ載せて喜んでるアホかと思ったんだけど、確かにアヤちゃんの被害者は今のところ二人となっていて……管理人の名前がサクラだ」
シオンが不思議そうに訊いた。
「そんなに堂々と本名でですか?」
「ハンドルなんてそんなもんさ。それに、サクラは罪を犯していない」
「え?」
あきらとシオンの呆気に取られた声がした。
コーヒーを持て余している様子の旭が、少し顔を歪めた。
「その通りです」
「な、なんでです? 人を殺してるのに」
翼が宙を見ながら、絶望的に言った。
「殺しているのはアヤちゃんだ。サクラは彼女達にアヤちゃんを呼ばせただけだ」
シュラインと雛太とクミノは、問題の少女の一人金井・恵美の元へ来ていた。
生命保険の勧誘とシュラインが偽って中に入り、手に入れたパンフレットを置いてきた。一応玄関付近にだが高感度の盗聴器が仕掛けられている。
「事情話して、中に入れてもらえねえの」
「昨日の旭さんの話聞いてなかったの。一人で呼び出さないと、相手は来ないのよ」
不思議そうな顔でクミノも訊いた。
「来なくてもいいのでは? 殺しても殺せぬ相手と、聞いているが」
「それじゃ本人の気が済まないもの」
雛太がブロックベーの影でつい口にする。
「めんどくせー、女って」
「やらせてるのは男でしょ」
シュラインに言われて雛太は、ヤブヘビだと口を押さえた。
イヤホンをはめているシュラインとクミノが反応する。クミノは無線の不具合で電話の存在を知っているようだ。
「かけてるわ」
しばらくの沈黙があった。
雛太が暇を持て余して、煙草を手でクルクル回しはじめたころ、シュラインが短く言った。
「きた、かかってきた」
ふいに雛太が思い付く。
「アヤちゃんってさ、だんだん近付くんだろ。じゃあ、ここで待ってりゃ、来るんじゃねえか?」
「待ってても別にいいけど、私は中へ入るわ。アヤちゃんが嘘言ってたら嫌だもの」
「……なーんか、姉御今回ピリピリしてんねぇ」
「雛太くんは死体を見てないから、そんなに悠長なのよ」
タッとシュラインとクミノが玄関に走り寄る。ドアノブを回してみるが、もう鍵がかかってしまっていた。
「二度目の電話」
シュラインが口走る。
「蹴破るか」
クミノがすでに用意万端で言った。しかしシュラインは首を横に振り、インターフォンに手を伸ばした。
「ごめんねー、さっきの保険のおばちゃんなんだけどー!」
シュラインは大声で言った。
「忘れ物しちゃったのよー! 開けてちょーだい」
相手は極度に怖がっている筈である。疑うか、それとも救世主として迎え入れるか。
すぐに、ドアの鍵が開く音がした。
三人が中へなだれ込む。シュラインはしっかりと恵美を抱えている。恵美は髪の短い活発そうな女の子だった。保険のおばさんについてきたオプションに、唖然としている。
けれど恐怖が大きいのか、彼女はそのことを言及せずに言った。
「大変なの、アヤちゃんが私を殺しにくるの」
電話がまた鳴っていた。シュラインは恵美と立ち上がり、フローリングの廊下を進んで、電話に近付いた。
「もしもし」
「もしもし、私アヤちゃん、今あなたの部屋の前に来ているの。これから遊びに行くわ」
スパンが短い。たった三回のコールで部屋の前……なのか。
シュラインは恵美を引き寄せたまま、壁に背をつかせた。こうしておけば、後ろからやられる心配はない。
クミノが玄関口を見張っている。雛太はシュラインのすぐ隣にいた。
嫌な緊張感が漂っていた。
トゥルルルル、また電話が鳴った。最後の電話だ。クミノが玄関口からシュラインの目の前に戻ってくる。電話を取った。
「もしもし、私アヤちゃん、今あなたの後ろにいるの」
後ろに?
シュラインが振り返ろうとした瞬間に、雛太が飛び出していた。
雛太にはシュラインの首元へにょっきりと出た包丁の刃が見えたのだ。シュラインと恵美を突き飛ばし、その拍子に振り下ろされた包丁が右腕を切っていた。雛太は、「あぁ、ちくしょう」と洩らしてシュラインと恵美の後ろに立った。
クミノが遅ればせながらアヤちゃんとの戦闘を開始する。
アヤちゃんは普通の女の子だった。茶色い髪を肩まで伸ばした、大人びた中学生といった風貌である。彼女は真っ赤なワンピースを着ていた。執拗に恵美へ向かって来ようとするのを、クミノが止める。
手をかけ、クミノは彼女の能力の一つである敵の能力の具現化によって、包丁を手にした。
「まさか、このような武器を手にするとはな」
アヤちゃん人形と同じ効力を持つ包丁で、クミノはアヤちゃんの背を勢いよく切り裂いた。倒れたアヤちゃんの背に、強く体重を込めて包丁を打ち下ろす。やはりアヤちゃんは人間ではない為か、血らしきものはまったく噴出してこなかった。
そしてアヤちゃんは、黒い消し炭となってその場に残り、姿は床に吸い込まれるように消えてしまった。
「……よかった」
恵美が突然のことに泣き出す。
その隣で、雛太が小さな声でつぶやいた。
「頼むから、誰か救急車呼んでくれねえ?」
その声に気が付いて、シュラインが雛太の腕を見る。右腕からは、血が滴り落ちていた。深くはないようだが、肘の上辺りから手首近くまでが切れていた。
「雛太くん、大丈夫、え? やだ、大変じゃないの」
「いやあ、結構大変なんっすけどねえ……」
雛太は少し不貞腐れたように言った。シュラインは慌ててハンドバックからハンカチを取り出し、腕の一番上の部分を縛った。
「痛い? ごめんね、ありがとう」
「いーえ、大した傷じゃないっすよ」
栄誉ある負傷だったが、雛太の虫の居所が悪いようだ。
傷の手当てをされている最中も、雛太はそっぽを向いて、すました顔をしている。
「機嫌を直したらどうだ」
クミノが言うと、雛太はかわいらしい顔をニッコリと微笑ませた。
「嫌だね」
戦闘突入で自分の怪我が完全に無視されたのが、相当気に食わないらしい。
クミノは雛太の怪我を見つつ、人命に及ばずよかったと考えていた。
――エピローグ
都市伝説に対抗するものは、噂しかないのだ。
そう悟った面々は、それぞれ得意の方面で噂を広げていった。
シオン・レ・ハイは公園の仲間や、ホームレスの仲間にアヤちゃんがくだらない冗談だという噂を流し、あきらは女子高生仲間に色々なバージョンを作って面白おかしく、ただし害のない噂を流した。
シュラインはたまたま受け持っていたエッセイの仕事に絡ませて、噂の紹介をしておいたし、雛太はインターネット界に受けそうなネタをばら撒いた。限はレンタルビデオを渡しながら、「そういえば」とわざとらしく噂話をしなければならなかった。
特に伝手のない連中は連中で、知り合いに話したり話さなかったりのようだ。
後日、義純の死亡記事を持って限と雛太が興信所へ駆け込んできた。そこには、翼と冥月しかいなかった。
「見たか、死んだぞ、サクラが」
翼は眉もあげずに「へえ」と言った。事情を知らない冥月が不思議そうに聞き返す。
「偶然か? それとも誰かが何かしたのか」
「したんだ、旭さんが首切り悪魔を放ったとか言ってた、しかも、首切られてるし」
「そういうわけなんだよ、あいつ人殺しか?」
佐倉・義純が死んだことよりも、二人にとっては旭が人殺しかどうかが問題らしい。冥月は旭の温和そうだが、不気味な雰囲気を思い出して
「あいつならやりかねないな」
と言った。
翼は素知らぬ顔をしている。
「姉御は? 姉御」
雛太は片腕に包帯を巻いていた。暑い最中ということもあって痛々しい。
「シュラインは買い物だ。零もな」
「とにかく、旭さんがサクラを殺しちゃったの?」
現場を見ている限が狼狽して言う。
そこへ後ろでコホンと咳払いがした。神宮寺・旭と水野・あきらが立っている。
「そもそも都市伝説とか悪魔とかは、朝の占いみたいなもので、当たるか当たらないか気持ち次第なんですよ」
限と雛太は大きく後退って、旭から距離を取った。
言っていることが、最初と違うではないか。警戒して二人は旭を睨む。
「旭さんは神父さまですよ、そんなことしないです」
あきらがニッコリと微笑んだ。
シュラインと零そしてシオンの話し声が聞こえる。
翼が開けた窓から、クミノが顔を出した。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1166/ササキビ・クミノ/女性/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)/女性/16/F1レーサー兼闇の狩人】
【3171/壇成・限(だんじょう・かぎる)/男性/25/フリーター】
【3356/シオン・レ・ハイ/男性/46/びんぼーにん 今日も元気?】
【3383/神宮寺・旭(じんぐうじ・あさひ)/男性/27/悪魔祓い師】
【3679/水野・あきら(みずの・あきら)/男性/16/女子高生】
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■ ライター通信 ■
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「もしもし私、」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
いきなり話が折れるようにはじまりまして、プレイングもこなせていたりこなせなかったり、不穏な感じで申し訳ないです。
各それぞれの分岐も多いので、全員合わせてお楽しみいただければと思います。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。
では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
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