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<東京怪談ノベル(シングル)>


ダイエットプチ情報〜これだけやれば確実に痩せる!〜
 じりじり。
 じっとしているだけでも汗が吹き出てくる、真夏。
 特に今年は熱い、いや暑い。
 その中で、むあぁっと熱気が立ちのぼる銀色の容器へタスキがけをした着物姿でせっせと食材を詰め込む小さな姿があった。
 だいこん、たまご、はんぺん、しらたき、たこ、すじ、こんにゃく、ちくわ、がんも、ごぼう巻き、ソーセージ巻き…。
 ひとつひとつ名を歌い上げながら、温かな出し汁の中へと沈めていく。
「夏でもおでんが当たり前に食べられると言うのは良いことじゃ…しかし、それにしても暑いのぉ…」
 拭いても拭いても納まらない汗。
 真夏のおでんの仕込み。我慢大会もかくあろうという熱気の中、本人は真剣に身体を動かし、せっせと今日の分の仕込みに動いている。
 …この時、源はまだ自分の体に何が起こっているのか気付かなかった。気付くのも、仕事以外の事を考えるのが辛いほどの熱気ではそれも致し方のないことだっただろう。

***

「ふぅむ?」
 夏向きのさっぱりとした着物にようやく着替えた源が、何か少し違和感を感じて首を傾げる。
「久しぶりの夏服じゃし、着慣れないのかもしれんの」
 それよりも仕事仕事ー、とぱたぱた急ぎ足で仕込みへと向かう。
 そう。
 源はまだ気付いていなかった。
 八百屋さんがそれとなくおまけの量を増やしてくれた意味も、腕いっぱいに荷を抱えている姿に顔見知りが驚いたような顔をしている意味も。

 ――芋虫は蛹へ。

 蛹は、蝶へ。

 薄皮を剥ぐように、少しずつ少しずつ…源は、この夏にめげず働いていたお蔭か、まるで別人のようにほっそりとした姿になっていた。
 …何故か本人は未だに気付いていなかったけれど。
 着物を締める力が最近緩んだのかとしっかり締めなおしたことは再三あったと言うのに。

***

「嬉璃殿、今日は暇じゃから遊びに来てやったぞ。感謝せい」
 毎夜毎夜引いていた屋台も、突然の大雨で休みになり、近頃あまり顔を合わせることが無かった嬉璃の部屋へと行くなりふんぞり返る。来てやった、という割りには本人じつに楽しそうで。久々の友人の顔を見てにまりと笑う。
 だが。
「だれぢゃ?」
 嬉璃が遊びに来た源の顔を見るなり、首を傾げつつ訊ねる。その他人行儀な物言いに唇を尖らせると、
「だれ、とはご挨拶じゃな。わしじゃ、源じゃ」
 ずず…。
 手に持った湯のみから渋茶を啜り、ほぅ、とひと息付き。
「…わしをからこうておるのか?源ならばもっとこう、ふくよかでぷにっとした頬がなければならんぢゃろうが」
 ちろっと涼しげな視線を送る。その言葉に肩を怒らせる源。
「わしは、わしじゃ!嬉璃殿に言われるまでもなく、ぷっぷくしておるほっぺたのことは分かっておるわ!い、今更言わんでもよいじゃろうに…」
 ちょっとは気にしていたらしい。越冬に備えての本能に勝てず、あれだけ脂肪を蓄えたのだから。
「……?」
 かくん、ともう一度首を傾げた少女が、ちょっと目を見張るとちらと湯飲みの中身を見。そしてこくこくと一気に飲み干すと、ふぅと息を付いてからどこかわざとらしく源を見つめ…そして、
「おぉ」
 畳にごとんと湯飲みを…絶対割れない位置から慎重な手つきで落すと、よろりらとよろけ、片手を畳に、もう片方は着物の袖をくいと掴んで口元を覆った。
「そう言われてみれば源じゃ。その姿は変わっても変わりようのないちんちくりんな目は覚えておるぞ」
 リアクションを起こす直前に気付いていただろうに、というジト目にはわずかに目をそらしながら、嬉璃が言う。
「ちんちくりんは余計じゃ…変わっておるのか?この姿が?」
 着物をちらちらと見ながら、普通じゃのう、と確認している様子にやれやれと首を振りつつ嬉璃が笑いかけ。手を引いて室内に置かれている三面鏡の前に立たせる。
 ――鏡の中には見知らぬ少女が映っていた。
 いや、着物や髪型は分かる。だが其れを着た姿は…
「……これが、わし…?綺麗じゃ!」
 ぴたぴたと頬を叩きつつ、すっきりと形良く尖った顎や無くなった頬の膨らみ、襟元、胴回りを鏡で確認し…振り向いて背と腰のあたりも入念にチェックする。
 そんなことを飽きず繰り返す源は、端から見ればくるくると機械仕掛けの人形のように回転しているように見えた。
「これが『なつにむけてのだいえっと』と言うやつじゃろうか?」
 くるりと振り返った源が、嬉璃に不思議そうに問い掛ける。
「どうぢゃろうかの…それにしても見事なものぢゃな。源、ちと近う」
 はたはたと優雅に手招きする嬉璃に近寄る源。そのほっそりした顔に嬉璃の両手をひたりと当てると、
「ふぅぅむ」
 ぷにぷに具合が減ったのが寂しいのか、それとも思いがけず友人がシェイプアップしたのが悔しいのか、何とも言えない複雑な表情を浮かべながら頬を伸ばしたり縮めたり繰り返し。
「ひいろの(嬉璃殿)?」
 頬をつままれたままなので少しばかり発音が変な源が何をしているのかと問うのだが、嬉璃は返事することなく。
 ぱちん、とゴムを離すような勢いで頬を引張っていた手を離されて、ほんのりと赤く染まった頬を両手で擦る。
「…不公平ぢゃ」
 その様子を見て、ぷぃ、と横を向いた嬉璃がぼそりと呟いた。
「なっ、何が不公平じゃっ。わしの顔をこんなにしておいて」
 少し腫れたか、以前の頬の感触に近い頬を手で冷やしつつじぃと睨みつける源。
「源はすぐそうやって変わってしまえると言うのに。わしはずーーーーーっと、ずーーーーーーーーーーーーっとこのままぢゃもの」
 袂で目の下ぎりぎりまで多い、長い睫をそっと下ろして、はぁ、と聞こえるか聞こえないかの溜息を付く嬉璃。
「そのうち背も高うなって、わしを見下ろすようになるんぢゃろ…」
「嬉璃殿……」
 ちろりと、さっきまでは興奮していたもののしゅんとなった源の顔を隠した袂の隙間から見ていることに気付かず。
「悪いと思うたな?」
「思ったのじゃ…」
「それならばっ」
 ばっ、と着物の柄が部屋いっぱいに広がった…と思った途端、がしっ!と両肩を掴まれ。目を開けば、らんらんと輝いた瞳の、今までにない怖い表情の嬉璃がどアップで迫っており。
「わしにも教えるのぢゃっ!!!」
「……………え?」
「え、ではない!どうやってそこまで『すりむ』になれたのぢゃ!?○○か?○△×か?それとも○○◎▲かっっ!?」
 ああ、恐ろしき哉。汝の名は女なり。
 源ですら耳にしたことのある『だいえっとしょくひん』の名を羅列した嬉璃が、きりきりと源の両肩を締め上げながら訊ね――いや、尋問する。
「それは嬉璃殿の誤解というものじゃ。わしは特に何も…」
 そんな筈はないと言う強い強い視線に言葉が途切れ。暫くその姿勢のまま、考え込む源。
「――おお。そうじゃそうじゃ」
 源がにこりと笑いながら嬉璃の顔を覗き込む。
「わしはな、ずーっとこのお天道様の中を働いておったのじゃ。汗いーっぱいかいてな」
「働いて?」
「そうじゃ!」
 いつの間にか手が離れたことに気付いた源が自分の胸をどんっと叩く。
「働き、動く事が何よりじゃ。それも1日2日ではなく、毎日じゃ。だからわしは真冬でも真夏でもこのとおり元気なのじゃ」
 神妙な顔をして、こくこくとその自信に満ちた減の顔を頷きつつ見る嬉璃。
「それならば、致し方ないの…」
 納得し、晴れ晴れとした顔になった嬉璃がにこりと源に笑いかけた。

***

 その日から、おでん屋で動きまわる人数が2人に増えた。
 いきなり従業員が増えた理由は誰も知らず。夏の間こうして働いた結果新顔が『ないすばでぃ』になれたかどうか、定かではない…。

-END-