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<東京怪談・PCゲームノベル>


硝子の指輪 〜Atelier de Dame.〜

 高い天井の明り取りを透かして落ちる細い光が、硝子細工の貝殻に虹色の縞を描いた。
 午下りの静謐に涼やかな波紋を投じた呼び鈴の音に、カウンターの奥から姿を現した娘は、もの珍しげに店内を見回す銀髪の青年に恭しく頭を下げる。
「……Enchante. Monsieur,Tukikasumi. Soyez les bienvenus.」
 意味不明の音の羅列に含まれた自分の名前に、月霞・紫銀(つきかすみ・しぎん)は戸惑い気味に顎を引いて目の前の娘を眺める。
 やわらかく波うつ長い黒髪に、もの問いたげな翳を落す長い睫に縁取られた涼しげな黒目がちの眸。透きとおるような白磁の肌をした、人形のように可愛らしい。そして、本当に人形ではないかと脆ぶまれるほど、生彩に乏しい娘であった。
「ええと…あの……」
 彼女と面識はない。
 歩きなれた目抜き通りに、見覚えのない横道がひとつ。気紛れに足を踏み入れ、何気なく目に止まった下げ看板‐凝った青銅細工の意匠は帽子だろうか‐に、惹かれて扉を開けた。――ただ、それだけ。
 ここに店があることも知らなかったし、何を商う店なのかは未だによくわからない。
 強いて言えば“レン”という名の骨董品店と同じ匂いがする。――貴族趣味で存在感のある家具や調度は売り物ではなさそうだったが。
「……奥様(Dame)が…お待ちかね…です……」
 月霞の戸惑いにはまったく頓着した風もなく、少女は優雅に片方の足を引いて客を誘うように店の奥へと促した。ふうわりと広がったスカートの裾が軽やかに揺れて後に従う。わずかばかりの空気の揺れに、焚き染められた香がひそやかに月霞の鼻腔をに触れた。――馥郁と神秘的でミステリアスに燻揺る香りは、店の雰囲気にも……移ろう表情<いろ>のない寡黙な少女のイメージにもよく似合っている。

 氷の燭台に乱反射する蝋燭の火は、冷たく透明な光を薄暗い室内をほのかに染めて揺らめく影を躍らせていた。たっぷりとドレープを取った天鵞絨の緞帳に囲まれた室内は、真夏の外気からは想像もできぬほどひやりと涼しい。
 古の空気を閉じ込めた氷室のようだ、と。そんなことを、ちらりと思う。
「“Atelier de Dame”へようこそ、月霞さま。――お待ちしていましたわ」
 傍らから掛けられた声は、先の少女よりわずかに高く華やかだった。視線を向けると大きな肘掛に腰を下ろした少女と視線が合う。淡い金髪をシニョンに結い上げ、つんと上を向いた鼻先に丸い硝子の眼鏡を乗せた若い娘だ。行儀良くきちんとそろえた膝の上に古い本を一冊、乗せている。
「どうぞお掛けくださいな。ごゆるりとなさってくださいね。今、マドモアゼルが奥様(Dame)を呼びに行ってますから」
 そう言って、部屋の真ん中に置かれた凝ったつくりの椅子を示した。にこりと向けられる笑顔は、先ほどの娘よりは愛想も良い。
「‥‥月霞さんはどんな話してくれるの? プゥペは血沸き肉踊るスペクタクルな大冒険が聞きたいんだけど」
 コブラン張りのソファに腰を下ろすなり、今度は別の方向から声が掛けられる。
 驚いてそちらを見ると、天鵞絨の帳の影にもう1人の少女がステンドグラスで飾られた窓敷居に腰掛けていた。
 氷蒼色の瞳が好奇を湛えて月霞をじっと見詰める。氷のような蒼味を帯びた銀色の髪は、月霞の銀髪とはまた違う色。3人の内では、1番、幼いように思われた。
 “霞の月下人”と呼ばれる人気モデルの月霞を前に、少しも臆する様子はない。――尤も、月霞自身があまり仕事を引き受けないので、単純に知らないのかもしれないが。改めて見回せば、洋装店の形はとっているもののファッション雑誌やカタログなどはひとつも置かれていなかった。
 3人ともそれぞれにどこか浮世離れした雰囲気があり、三様に個性的な美術品のようにも見える。彼女たちを題材に、何か創ってみたいと創作意欲を刺激される気さえした。
「――それは貴方の聞きたいお話でしょ、プゥペ? 奥様(Dame)がお聞きになりたいのは、もっと不思議なお話だと思うわ」
 何のことやら。
 楽しい冒険譚をねだるプゥペを可愛らしく顔をしかめてたしなめ、少女はどこからか現れた茶器を月霞の前に置く。薫り高い紅茶の芳香が辺りに揺れた。
「あの……」
 彼女達が何を言っているのか。
 皆目、見当がつかないのは何故だろう。何やら、底の見えない異郷に迷い込んでしまった気分。――ウィンドウショッピングの延長の。ほんの軽い気持ちで、扉を開けたのに。
「どうかしました?」
 くるりと聡い光を湛えた丸い眼鏡の奥から覗き込まれて、月霞は小さな苦笑を零す。
初対面であるはずなのに、彼女はまるで頓着していない。
「……何故、私の名前を? それに、どうして今日ここに来ると知っていたのです?」
 自分でも予期せぬ行動であったのに。
 当然ともいえる月霞の問いに、少女はほんの少し不思議そうに小首を傾げ、そして、ころころと銀の鈴を振るような笑みを転がした。
「あら、だって」
 すとんと自分の席に腰掛け、少女は傍らに置いた古びた本を大切そうに取り上げる。薄く黄ばんだ羊皮紙は、ずいぶん古いものであるようだった。
「月霞さまが当店<うち>にいらっしゃるのは、もうずっと前から“刻<とき>の標”に記されていましたわ」
 ほら、と。広げられたページには、いくつかの見知らぬ名前に混じり、確かに月霞の名が記されていた。羊皮紙の内側から滲み出すように浮き上がる癖のある字は、名前を読み取るのが精一杯。
 眉を寄せた月霞の為に、少女は指先で文字をなぞって読み上げる。
「月霞さまは、本日、当店<うち>の奥様(Dame)に、ビーズの指輪とそれにまつわる思い出を話して行かれるの」
「……指輪の…」
 確かに、指輪は持っていた。
 硝子のビーズをテグスで繋いだ……今、流行のスワロフスキーなんて洒落たものではなく、本当に子供の玩具のような指輪なのだが。
 父と母の形見の指輪。
 人ならざる者であった父と、人であった母が残した思い出の。――決して、豊かではなかったが溢れるような愛情に満ちた日々の記憶を紡いだ、月霞にとっては何物にも返られない大切な宝物である。
 だが、この指輪の話は誰にも告げたことはなかったのに――。

■□

 彼女は机に向かって、熱心に何かを作っていた。
 ここ数日、彼女は暇さえあれば台所の食卓を兼ねたテーブルに座わり、根気よくその作業を続けている。臨月間近でそれほど活動的には動き回れないせいか、暇を持て余しているのかもしれない。
 ここには彼女の友と呼べる存在はなく、また、人里離れた樹海の奥は、気軽に友人を招くには少しばかり不向きな場所だった。――思えば、彼は彼女の友達をひとりも知らない。
 彼女は彼にそういう話をしたことがなく、彼も彼女に過去を訊ねなかったから。
 それを、不自然だとか、訝しく思ったこともない。そんな詮索は無意味だと思われるほど彼女は既に彼の一部であり、世界の全てであったとも言える。
 彼の一族はこの期に及んでも彼女の存在を疎んじ続け、汚らわしいもの、ないものとして扱った。
 それについても、彼女は何ひとつ口にしない。
 見つめる彼の視線に気付くと、ただ、にこりと優しげな笑顔を返す。
 彼は、屈託のない彼女の笑顔が好きだった。
「何を作ってるんだい?」
 そう訊ねた彼に、彼女は両の手で包み込むようにして熱心に触っていた小さなモノを、指を開くようにして掌に乗せる。
「これ」
 色とりどりの硝子の欠片。
 夜空にちりばめられた星の欠片を思わせる小さなビーズを織り上げた。それは、編みかけの細い帯のようにも見える。
「これは?」
 ビーズの細工だということは判っても。
 何に使うものだろう。彼女はあまり身を飾ることに熱心ではなかった。――衣服に気を使う性質なら、とても樹海の奥では暮らしていけぬ。
「指輪よ」
 簡潔すぎる言葉に僅かに眸を細めた彼の困惑に気付いて、彼女は少し考えるようにして言葉を足した。
「……ブレスレットが切れたのよ。せっかくだから、何か記念になるものを作ってあげようと思って……」
 誰に、とは言わなかったが。
 言わなくても、彼には理解る。――彼だから、と。いうべきだろうか。
 あと僅かで生まれる新しい家族。彼と彼女の他は誰もその誕生を望まず、祝福を受けることすらできぬ子供のために。
 子供の話をする時、彼女はほんの少しだけ寂しげな顔をする。
 生まれてくる子供に罪はないのに。
 せめて、己だけでも我が子を祝福し、その血を誇ってやりたいのだと。言葉にはしなかったけれども。
「……ごめん…」
「貴方の責任じゃないわよ。それに――」
 私は十分、幸せだから。
 そう言って、彼女は笑った。彼の愛する、この上なく明るい笑顔で……

■□

 父と母は深く愛し合っていた。

 種族を超えて。
 ――命をかけて‥

 父と結ばれ、どれだけ幸せであったか。
 父と共に過ごした「群れ」での日々が、いかに満ち足りたものであったか。病気で世を去るその時まで、母は月霞に何度も繰り返し語って聞かせた。

 何度も何度も――
 思い出を紡ぐ母の表情は、いつも少女のように艶やかで。
 本当に、母は幸せだったのだ、と。心からそう信じられる。――「群れ」は母と月霞の存在を忌んだが、月霞は自らの体内に流れる血脈を決して劣っているとは思わない。
 むしろ、誇りでさえあった。
 ――自分の存在こそ、父と母とが愛し合ったその証なのだから。

■□

「――なるほど、これは貴方のバースデー・リングというわけかい?」
 語り終え、誇らしげに上気した月霞の顔をちらりと眺め、上座に腰掛けた貴婦人はゆっくりと煙管を燻らせた。銀細工の火口から立ち上る細い紫煙が、薄暗い天井にゆるやかになびいて漂う。
 やわらかな天鵞絨の上に置かれた小さな指輪は、生まれたばかりの月霞が両親から最初に贈られた愛の証しでもあった。
「いい話だね。スクレテール」
「Oui Modam」
 呼ばれて、本を膝に抱いた少女が背筋を伸ばす。蝋燭の明かりに照らされた狭い部屋には、月霞と女主人の他に3人の少女たちも控えていた。
「この指輪の値段はいくらと見やる?」
 笑みを含んだ視線を流され、スクレテールはちらりと月霞の顔をうかがう。もちろん、彼が指輪を手放すはずがないことは承知の上だ。
「いけませんわ、奥様(Dame)。この指輪の価値は月霞さまのお心ひとつ。――値段なんてつけられませんもの」
 ねぇ? と、同意を求められて、月霞は苦笑を落す。

 父と母が互いに深く愛し合っていたことは、揺るぎない確信。
 その価値を誰よりも良く知っているのは、月霞以外にはひとりもいない。――樹海の奥にいるであろう、父の一族にとっては唾棄すべき汚点であっても。

「どうぞお大事になさいませ。おふたりの愛は、貴方の記憶にあってこそ輝くもの」
 感謝と労い、そして、祝福の言葉に送り出されて、月霞はゆっくりと店を後にする。胸の底に秘めていた想いを言葉にしたせいか、心は凪いだ湖面のように穏やかに澄んでいた。


=おわり=


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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☆3012/月霞・紫銀/男性/20歳/モデル兼、美大講師


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■         ライター通信          ■
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 目測を誤りました。
 お待たせしてしまい、申し訳ありません。
 ノベルの性質上、主人公(月霞さん)を放っておくわけにもいかないので、さわり程度となってしまいましたが。イメージどおりのご両親になっていれば、幸いです。
18/Aug/04 津田 茜