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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


安らぎの香りは危険な誘い(前編)

 月刊アトラス編集部には常に人が出入りしている。それは何も編集員たちに限ったことではなく、どう見ても部外者としか思えない者たちも含まれる。それが日常と化しているからか、ウラ・フレンツフェンのような少女が紛れ込んでいても、誰も気にしたりはしないし、唐突にドアが勢い良く開け放たれても誰も驚いた顔さえしない。
 その後に、悲鳴じみた女の声が響くまでは。
「月刊アトラスの編集部はこちらですか!? 今月の記事でお聞きしたいことがあるんです!」
 その切羽詰まったもの言いに、編集部の隅でバックナンバー等を読んでいたウラは顔を上げた。編集員たちもちらほらと顔を上げる。
「え……、えっと……。いかがなされましたか?」
 いかにも冴えない容貌をした若い男が、ずいぶんと焦燥した様子の、その女の前に押し出された。
「ここ、この記事なんです」
 女は、手にした雑誌を慌ただしくめくると、1つの頁を開いた。どうも何か事件の匂いがする。好奇心を覚えたウラは、きょろきょろと辺を見回した。大した苦労もなく、近くに今月号が転がっているのが目に入る。それに手を伸ばせば、ちょうど傍らから別の手が伸びてきたところだった。
 相手の顔を見れば、ウラよりいくつか年嵩の細身の少年で、彼もこの女性の話に興味を持ったらしい。軽く微笑んで雑誌をウラへと譲ると、客人と冴えない編集員の方へ顔を向けた。
「中学生の娘が、眠ったまま目覚めないんです。お医者に見せても身体に異常はないと言われて……。枕元に香炉があって灰だけが残っているんですが……。多分、この香だと思うんです。この香について、詳しいことを教えてもらえませんか!?」
 客人の女性は口早に訴えた。確かに、娘が目覚めなくなったというのは一大事だろう。けれど、それだけでは話が見えて来ない。早く当該記事を見つけようと、ウラは香、香、と唱えながら雑誌の頁を繰った。
「『街の噂』の頁みたいだ」
 2人の方を覗き込んでいた少年が、囁き声で教えてくれる。
「街の噂、街の噂……、あった」
 ウラがその頁を探し当てた頃、客の女性には編集長碇麗香自らが応対をしていた。
「三下君、資料を出してちょうだい。記事に載せたからには当然、追加取材はしてるわよね? 現物くらいは手に入れてるんでしょう?」
 碇は、女性にねぎらいの言葉をかけてから、例の冴えない編集員を振り返った。
「ええっ?」
 碇の言葉に、三下と呼ばれた彼は大袈裟に驚愕の声をあげた。
「……まさか」
「だ、だ、だって、このコーナーは『噂』って……」
 言い訳をする三下の声は消え入らんばかりに弱々しくなっていった。
「人の命がかかってるのよ、すぐに調査しなさい、徹底的によ、て・っ・て・い・て・き。この意味、わかるわね」
 宣告のように下された命令に、しゅんとなる三下を見て、ウラと少年はそろって「あーあ」と溜息をつく。
 辣腕女編集長は、依頼人の女性に向き直ると、残っていた灰を持って来てくれるように頼み、女性は頷いて編集部を出て行った。途端に、編集部にざわめきが戻る。
「で、例の記事はどうなってるの?」
 少年の声に、ウラは手許の雑誌に目を落とした。少年と2人して香の記事を探す。それは、うっかりすれば見落としてしまいそうに小さな記述だった。
「ええと……『女子中高生の間で流行。過去を呼ぶという不思議な香』?」
 ウラが記事のタイトルを読み上げると、少年がその続きを引き継いだ。
「『焚いて眠れば過去の夢を見られるという香が、女子高生の間で密かに流行っているという。何でも、香は時折街中で配られているそうで、それがまた不思議な気分を盛り上げているらしい。人との繋がりが希薄と言われる現在、何が女子中高生を懐古主義へと駆り立てるのか』か……。ということは、その目覚めない子は、今過去の中にいることになるのか」
 確認するように短い記事を口ずさみ、ぽつりと呟きを加える。
「過去は居心地が良いから囚われているのかしら?」
 ウラは少年の呟きに、軽く肩をすくめた。
「過去は記憶の中で組み立てられた主観的なものでしかないわ。記録とは違うもの。輪郭をなぞっていくうちにだんだんあやふやになっていくものよ。それに自分だけの閉じた世界って感じじゃない。刺激がなくってつまんないと思うんだけど」
 そのまま、立て板に水の勢いで、たたみかけるように続けると、少年は軽い苦笑を浮かべて頷いた。
「だってあたしは見たい過去なんてないもの。忘れっぽいし。でも香の正体は気になるから調査してみようと思うんだけど。あの三下って人も困ってるみたいだしね」
 さすがに少し気が引けて口調を緩めると、少年もやや考え込むような顔になった。
「うん、香の正体も気になるけど、そんな香が街中で配付されてるなんていうのも少し奇異な感じがするな。流行っているなら、売ればそれなりのもうけになりそうなのに、そのあたりがうさん臭い。まるで不特定多数の人に過去を呼ばせようとしてるみたいで」
「それもそうね」
 少年の言うことももっともだ。ウラも大きく頷いた。
「どっちにしろ、調査するなら街に出て現物を手に入れるのが先決だな。女子中高生に協力してもらえれば手っ取り早そうだけど……」
「それなら任せて」
 少年の呟きに、ウラはにこりと笑みを返した。年頃から言えば、ちょうどウラは中学生にあたる。後は、傍からそう見えれば問題はない。
 ふと視線を三下へと戻せば、彼はウラとたいして年の違わない少女に泣きついているところだった。その様は、横から見ていてもかなり情けなく、蹴りの一発でも入れてやりたい気分になる。どうもこの三下という男、どこまでも人の加虐心を煽るようにできているらしい。
「ねえ、ちょっと、三下って人!」
 ちょうど2人の会話も一段落したところだったようなので、ウラは迷わず割り込んだ。三下はびくりと身を震わせると、おどおどした顔を向けた。いかにも「いじめて下さい」と言わんばかりだ。
「変装用の制服持ってない?」
 ウラがぐっと顔を近付けると、案の定、三下は大袈裟に目を白黒させた。
「せ、せ、制服ですか? ぼ、僕がっ?」
 慌てて答えた声までが裏返っている。
「からかっただけよ」
 思い通りの反応に、喉の奥でキヒヒッと引き攣るような笑いを漏らしながら、ウラは引き下がった。
「制服でしたら、わたくしが持っております。妹を参考にセーラー服ですが」
 おもむろに、三下の相手をしていた少女が口を開いた。その言葉に改めて見れば、彼女はこの暑い盛りだというのに冬物の漆黒のセーラー服に身を包んでいる。けれど、その出で立ちよりも、長く伸ばされた闇色の艶やかな髪と、どこか大人びてはいるものの、世間ずれしていない神秘的な雰囲気が人目を引く。
 ウラが見ている前で、少女はゆっくりとした手付きで、荷物の中から制服を取り出した。自分が着ているのと同じ、いかにも暑そうな冬物の漆黒のセーラー服だった。
「……いいわね、貸してちょうだい」
 迷わなかったと言えば嘘になる。けれど、制服は制服だ。これだけ簡単に手に入るならそれに越したことはない。ウラは、にこりと微笑むと、それを受け取った。
「あたし、ウラ・フレンツフェンよ」
 おそらく一緒に調査することになる少女に名乗ると、少女もまたおっとりと微笑んで丁寧に頭を下げる。
「海原みそのと申します」
「これで、囮捜査兼、女子中高生への聞き込みができやすくなるってことだな。ああ、俺は音切創ね」
 先程の少年が、人好きのする笑みを浮かべて自己紹介に乗った。そう言えば話が先に盛り上がってしまい、名前を聞いていなかったとウラは少しだけ苦笑する。
「今どきの女子中学生に聞き込みですか。浪漫があっていいですね」
 創の言葉に、みそのはうっとりと微笑んだ。
「じゃ、着替えてくるから。三下、覗かないでね」
 さくりと言いおくと、三下はまたびくりと身体を震わせた。何ともいい反応だ。ウラは喉の奥だけで笑うと、三下の返事も待たずに踵を返した。
「そ、そんなことしませんよぉ」
 およそ一分後。ようやくという感じで返された三下の声が、はるか背後から聞こえて来た。
 それを黙殺して、編集部の奥へと入れてもらい、手早くセーラー服へと着替える。漆黒という色のせいか、普段好んで着る服装と大した違和感は感じない。それでも、どことなくわくわくするようなときめきを感じるのは、やはり「セーラー服」だからだろうか。
「ねえ、似合う?」
「ええ、とっても」
 創たちの元へと戻り、プリーツスカートの裾をそっとつまみあげると、みそのがにっこりと微笑んだ。
「ありがと」
 ウラは機嫌よくみそのに微笑み返すと、つかつかと三下へと歩み寄る。
「ねえ、どこに行ったら香の配付人に会えるの?」
 半ば命令口調に近い語調のウラの問いに、三下がびくりと身体を震わせた。どこまでも期待通りの反応をしてくれるあたりが三下だ。
「え、駅前とか繁華街とか、人の多い場所……の近く、だそうです」
「そ、ありがと」
 そんな三下にどこか「女王様」めいた笑みを向けて、ウラはみそのたちを振り返った。
「じゃ、決まりね。行きましょ」
「ちょっと待ってちょうだい」
 今にも出かけようとした3人を止めたのは、奥の編集長デスクに座る碇麗香だった。
「今、他の助っ人にも声をかけてあるの。こっちに向かっていてくれているから、もうちょっと待っていてちょうだい」
「助っ人? 他にも?」
 軽く首を傾げた創に、碇は大人びた笑みを向けた。
「ええ、こういう件ではとても頼りになる人よ。あなたたちとの相性も良いと思うわ」
 と、不意にまなじりを釣り上げて、きつい眼差しを三下に向ける。
「これというのもみんな、三下くんが使えないから、なんだけどね」
「あわわわわ、す、済みません」
 まだ助っ人が来ると聞いてすっかり顔の弛んでいた三下は、碇の容赦ない一言にあわてて目を白黒させた。
 そうこうしているうちに、編集部の扉が叩かれ、2人の男性が入って来た。杖をついて長い銀髪を背に流した絶世の麗人に、彼に付き従うようにしている、これまた端正な長身の金髪の男。およそ雑然とした編集部に相応しくない洗練された2人が、碇の言う助っ人であることはすぐに知れた。
 2人の方も、すぐにみそのたちが協力者だと悟ったらしく、軽い会釈を返してよこした。自然と、自己紹介をする流れになる。銀髪の麗人はセレスティ・カーニンガムと名乗り、金髪の部下をモーリス・ラジアルと紹介した。
 その端正な容姿も、優雅なしぐさに加えて、あきらかに人離れした雰囲気がどうしても人目を引く。ウラがついじっと見詰めても、そうされることに慣れているのか穏やかな微笑みを返してくる。
「では、これからどうしましょう」
 年長者としての役割か、どこか老成されたその雰囲気からか、自然とセレスティが場を仕切るような空気になった。が、その言葉には、みそのたちの意志を伺うような柔らかさがあった。
「まず、街に出て現物を入手するのが先決だと思う。その後で、眠ったままの娘さんの様子を見たい」
「そうそう、そのための制服なんだから。うまくすれば配付人に接触できるかもしれないしね」
 その言葉に答えるように創が先程までの計画を口にすると、ウラが即座に同意を示す。スカートの裾をつまんでくるりと一回転すると厚みのある布が宙を舞った。
「ええ、今どきの女子中学生にお話をお聞きするのも浪漫があっていいですわね」
 ワンテンポ遅れて、うっとりとした口調でみそのも言葉を足した。
「では、そちらの方はお願いしますね。私とモーリスはここに残って、灰の方から香について探ってみます。娘さんのお宅には、後で親御さんの許可を頂いて参りましょう」
 セレスティがたおやかな笑みで計画をまとめると、傍らで忘れられていた三下が情けない声を出した。
「あの……。僕は……」
「おまえは来なくていいわ。怪しいおじさんがいたところで邪魔なだけだもの」
 おどおどと言いかけたその言葉を、ウラが容赦なく一刀両断に斬って捨てる。
「そんなぁ……」
「三下くんは残っていて下さい。やってもらうことがありそうですから」
 たじたじと数歩退いた三下に、モーリスは笑顔を向けた。けれど、その声にもフォローの色は見られない。
「じゃ、行ってくるから」
「じゃあね、三下」
「行って参ります」
 そんな三下に構うことなく、ウラたちは思い思いの挨拶を残して編集部を後にした。

「賑やかですわね」
「本当。どっからこんなに人が湧いてくるのかしら」
 駅前の喧噪に目を細めたみそのの言葉に、ウラも呆れたように溜息をついた。
「とりあえず、配付人らしいのは見当たらないな」
 夏の陽射しを遮るように掌をかざして、創はあたりを見回した。
「そう……ね」
 冷静な創の言葉に、ウラも注意深く周囲を見回して、低い声で答えた。が。
「あのう、もし……」
 1人マイペースなみそのがいつの間にかさっさとその辺の高校生らしき少女をつかまえて声をかけていた。キンキンに髪を染め、厚い化粧をして元の人相が全く伺えなくなっているような、ある意味「今どきの」ではあるが、平均的な範囲に入るかはかなり微妙な少女たちだが、みそのにはそれに構う様子もない。
「何?」
 少女たちは、物珍しげにみそのを見返した。長く伸びた漆黒の髪を、同じく漆黒の冬物のセーラー服を、不思議なものを見るような、無遠慮な顔つきでしげしげと眺める。
「ええと、過去の夢が見られるという香のこと、ご存知ありませんか?」
 そんな少女の視線を気にすることもなく、みそのは鷹揚に尋ねた。
「香?」
「街中で配られてて、今女子中高生の間で流行ってるって聞いたんだけど」
 傍で見ていても仕方ない。ウラはすぐに駆け付けると、言葉を継いだ。
「ああ、これのこと?」
 少女の1人が、得心がいったというような顔をすると、持っていたカバンの中から、セロファン紙の袋を取り出した。それを無造作にみそのに渡す。
「ありがとうございます」
 みそのは丁寧に礼を述べると、その袋の口を開いた。中からコーン状の練り香が数個転がり出る。
 あまりに簡単に手に入ってしまったことに若干拍子抜けしながらも、ウラは横からそれを覗き込んだ。かすかに甘ったるいような匂いが、ウラのところにまで届いてくる。
「そんなに珍しい? 欲しいならあたしのもあげるよ」
 じっと香を見つめる2人の様子に、もう1人の少女も半ば呆れたような顔をして、カバンの中から香を取り出し、ウラへと渡した。
「そんなに簡単に手に入るの?」
 あたかも道ばたで拾った石でも分けるような様子の少女に、ウラは軽く首を傾げた。
「うん、たいてい欲しい気分になった時に配ってる人に会うんだよね」
 少し考えれば、それが奇妙だということくらいはわかろうものなのに、少女の方は、当たり前のことを言うかのように、こともなげに答える。
「欲しい気分って?」
「うん、なんか疲れたなー、とか、こんなはずじゃなかったのになぁっていう時かな。そういう時にふと気付くと側にいて、香を渡してくれるんだよね」
「どのような方がお配りになっているのですか?」
「そうね、ちょっとうす汚い冴えないおっさん、って感じかな。いっつも帽子を深くかぶってて、ちょっと怪しげなんだけど」
 みそのの問いにも、何の危機感も屈託もない言葉が返ってきた。
「で、そんなに過去の夢っていいものなの?」
「別に。ただ、それ使って寝ると、すんごい気持ちよく寝られるの。翌日のお肌のハリと化粧のノリが違うって感じ? そう言えば2人ともキレイな髪と肌してるよね? シャンプー何使ってるの? 化粧品のメーカーは? 何か特別なお手入れしてるの?」
 ウラの疑問も軽く流され、少女2人はウラやみそのの髪に触れて、にわかにきゃあきゃあと騒ぎ始めた。こうなるとすっかり彼女たちのペースで、全く香とは関係のない話題に流れてしまう。かといって、彼女たちの勢いときたら、話を打ち切るのも難しい程だった。すっかり辟易したウラの隣で、みそのはにこにこと彼女たちとの会話を楽しんでいる。
 と、不意にみそのが軽く眉を寄せた。
「ウラ様」
 何か異変を感じたのだろうか。呼ばれて、ウラも周囲を見回した。
「そういえば創がいない……」
 一緒に聞き込みに出たはずの創の姿が見えない。と、さらに周囲を見回したウラの視界の隅に、創らしき人影が見えて、ウラは猛然と走り出した。
 さほど離れていない、路地に入ったところ。創に向き合うようにして、帽子を深く被った背の低いうす汚れた男が立っていた。ちょうど、先程少女たちが言っていた配付人の特徴にも合う。
「ちょっと、香を配っているのはお前?」
 わずかに息を乱しながらも、ウラが勢い良く尋ねると、男はわずかに顔をあげた。目深に被った帽子のせいで、その顔までは伺えないが、わずかに笑みを浮かべたのが気配で伝わってくる。
「あなたは、私を必要としていない……」
 静かにそう呟くと、男はくるりと踵を返した。そのまま路地の奥へと歩いて行く。決して足早に歩いているようにも見えないが、その姿は思いがけず速く遠ざかっていく。
「待ちなさいよ!」
 ウラは後を追うべく、足を踏み出した。けれど、追いつけそうにないと悟ると、くるりとそのままステップを踏み、リズムよく手を打鳴らす。それに呼応するように、空を裂く稲妻が、威嚇するように男の足元に落ちた。当の男は、足を止めたと思いきや、その姿が霧のように消えてしまう。
「何よ、あいつ……」
「この世の者じゃないな……」
 苛立ちを隠さずに呟いたウラに、創は乾いた声で頷いた。
「取り逃がしたのは残念だけど、とりあえず戻ろう。配付人にも接触したし、香も手に入れた。一応の目標は達成したわけだし」
 言って創は、小さな紙袋を見せた。
「……そうね」
 まだまだ収まらないウラだったが、これ以上ここにいても仕方がないのも事実だ。不承不承ながらも、創の言葉に頷いた。

「ただいま戻りました」
 みそのは優雅に挨拶をしながら、ウラは無言のままで、創が開けてくれた編集部の扉をくぐった。
「あ、お帰りなさい」
 三下がすぐに迎えてくれるが、編集部に残っているはずのセレスティとモーリスの姿は見当たらない。
「あの、セレスティさんたちなら出かけられました。依頼人さんのお宅には、直接向かうので、先に行っておいて下さい、だそうです」
 3人が口を開くより早く、三下が留守番をしていた子どものように、伝言を口にした。
「『だそうです』じゃなくて、あなたが彼らと一緒に行きなさい。依頼人氏に対応したのは三下くんなんだから」
 自分の役目を果たしたと言わんばかりの顔をした三下に、すかさず編集長席の碇から声が飛ぶ。
「は、はいっ」
 パブロフの犬よろしく、条件反射的に三下は背筋を正す。編集部のあちこちから、押し殺した失笑が漏れた。

 都心の喧噪からやや離れた閑静な住宅地に、依頼人の家はあった。特別大きいわけでも小さいわけでもなく、変わった外装をしているわけでもない。ごくごく普通に周囲に溶け込んでいる。
 三下が緊張した面持ちで呼び鈴を押すと、出て来た母親が4人を招き入れてくれた。
「さっそくですけれど、お嬢様にお会いできますか?」
 4人を居間に通し、茶でも出そうかと用意しかけた母親は、みそのの言葉に戸惑ったように動きを止めた。
「ああ、どうかお構いなく」
 創が言葉を足すと、母親はやや躊躇いがちながらも頷いて娘の部屋へと通してくれた。
 そこは、淡い色調で整えられた、ごく普通の女の子の部屋だった。調度品は少なく、すっきりとまとまった部屋の隅に置かれたベッドで、少女は気配さえ感じさせないくらい静かに眠っていた。
「……とても幸せな夢を見ているようには見えないわね」
 4人に一礼を残して母親が出て行った後で、ウラがぽつりと呟いた。眠っている少女の様子は、幸せな笑顔を浮かべているわけでもなく、苦痛に満ちた表情をしているわけでもなく、凪いだ水面のようであり、まるでよくできた人形のようだった。あたかも魂が抜けて、抜け殻にでもなってしまったかのように。
「三下さん、ちょっとこっちに来て」
 おもむろに創が部屋の入り口あたりに立っていた三下を手招いた。唐突に何か言われても逆らえないのが三下の性だ。不安げな顔をしながらも、ひょこひょこと創の側へと寄ってくる。
「ちょっとこの子と入れ替わってくれる?」
「入れ替わるって……」
「大丈夫、ちゃんと元に戻すから」
「またですかぁっ!?」
 三下の泣きの入った訴えは、何が「また」なのかわからない創によって、またも綺麗に無視され、その身体は床へと崩れ落ちた。代わって、ベッドの少女が、ゆっくりと上体を起こす。
「何したの、今?」
 興味津々といった面持ちで、ウラが目を輝かせた。
「現象の組み換え。一時的にだけど、この子と三下さんの状態を組み換えたんだ。これで、どんな過去に囚われているかが聞けるはず……」
 軽く説明を返して、創は少女の方へと視線を向けた。が、少女は薄く瞳を開いたものの、ぼんやりとした視線を宙に浮かしているだけだった。
「ご自分のお名前、おわかりになりますか?」
 思わず訝しげに眉を寄せた創の横で、みそのが穏やかに尋ねた。
「な、まえ……」
 少女は茫然と、抑揚のない声でみそのの言葉を繰り返した。不意に何も映していないような瞳に怯えたような色が浮び、細かく震え始める。
「あ……、あ……、何……。真っ暗で……、あ……」
「生まれる前の世界に迷いこんでしまわれたのですね。大丈夫、大丈夫ですよ」
 ともすれば恐慌状態に陥りそうな少女を、みそのは柔らかく抱き締めた。そのまま創に、元に戻すように促す。創の能力で再び状態を組み換えられた少女は、静かにその身体をベッドへと横たえた。
「ねえ、どうなってるの?」
 傍らで見守っていたウラが小首を傾げる。
「始原の闇、渾沌……。ものに名前がつく前の、区別というものがない世界。そういった世界に迷い込んでしまわれたようです。ご自分が生まれる前の、自分が誰かわからない世界に」
 軽く目を伏せて、みそのが2人に説明してくれる。
「つまり、究極の過去ってことか……」
 創が気難しそうな顔をして溜息をつく。
「ええ、こちらに戻ってきて頂くには、ご自分を見つけて……、ご自分が誰で、どんな方か思い出して頂く必要がありそうですね」
 みそのは再び凪いだ水面のような寝顔を浮かべる少女を見下ろして、静かに続けた。
「迷い込むのは簡単だけど、帰ってくるのは大変そうだね。……っていうことは、さっきこの子と状態を入れ替えた三下ってどうなるわけ?」
 不意にあがったウラの甲高い声に、3人は先程から一言も発さない三下へと視線を転じた。案の定、そこには、床に座り込んだまま、ずれた眼鏡越しに虚ろな視線を宙へと泳がせた三下の姿があった。

<了>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388/海原・みその/女性/13歳/深淵の巫女】
【3579/音切・創/男性/18歳/実験体(組換能力体)】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【3427/ウラ・フレンツフェン/女性/14歳/魔術師見習にして助手】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
初めましての方も、二度目ましての方も、今回のご依頼にご参加いただき、まことにありがとうございます。
そして、私の方の事情で納品が遅れてしまい、大変申し訳ありません。
また、今回は余裕がなくなってしまいましたので、勝手ながら個別のコメントはご容赦下さい。重ね重ね申し訳ありません。

今回、5名ものPC様を預からせて頂くのは初めてでしたが、非常にバランスのとれた構成で、楽しんで書けました。
私の予想以上に能力の高いPC様が多かったため、だいぶ込み入った真相になって参りましたが、楽しんでいただければ幸いです。
なお、オープニング段階で申していた「してはいけないこと」は、「途中で誰も止めてくれる人がいない状態で、眠っている少女の夢に潜り込む、あるいは同調する」ことでしたが、今回、音切さんの能力によって、三下くんにアウト判定を出させて頂きました。後編では少女に加えて、三下くんも救ってあげて下さい。

なお、後編は、私個人の事情がありまして少し間が空いてしまうのですが、9月の中ごろに窓を開けたいと思います。気が向かれれば、ご参加いただけると幸いです。

また、ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。