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労働(ろーど)・とぅー・ざ・0(りんぐ)
奈義沙は、いつものように街を歩いていた。
犬も歩けば棒に当たると言うが、奈義沙の場合、こうして歩いているだけで飯の種から厄介事まで、いろいろなものに行き当たる。
そして、その日奈義沙が出会ったのは、どうやらその両方の要素を兼ね備えた出来事のようだった。
「天草奈義沙さん……ですよね?」
後ろから声をかけられて、奈義沙は声の主の方を振り返った。
年の頃なら三十代半ばくらいの、どこかぼんやりした感じの男である。
「そうですが?」
奈義沙が答えると、男は安心したように口を開いた。
「ああ、そうでしたか。
この近辺で、背の低い人を探せばいい、とだけ聞かされた時は、はたしてそれだけの手がかりで見つかるものかと思いましたが、いや、本当に小さな方ですね」
安心したついでに、悪意の全くない様子でとんでもないことを口走る男。
確かに、奈義沙の身長は百五十センチにも満たず、「背の低い人」というのが彼を見つける際に最も役に立つ情報であることは否定できない。
だが、そのことを少なからず気にしている奈義沙にしてみれば、面と向かってそんなことを言われてはたまったものではない。
「背の低いだの、小さいだのと、人の気にしていることを言わないでもらえませんか?」
怒りをかみ殺しつつ、奈義沙が精いっぱいの低い声でそう言うと、男は慌てて頭を下げた。
「あ、これは失礼しました」
全く、「天然の毒舌家」というやつは、なまじ悪意がないだけにかえって始末に負えない。
そんなことを考えて、奈義沙はため息を一つついた。
「……で、その指輪をなんとかして取り戻したい、と」
男の依頼を聞いて、奈義沙は小さく首をひねった。
彼の依頼は、一か月ほど前に盗まれて以来、所在不明となっている指輪を取り戻すこと。
指輪は十八世紀頃のもので、アンティークとしても大変価値のあるものだが、それ以上に、彼にとっては先祖代々伝わってきた宝物であるらしい。
「お金はいくらかかっても、とはさすがに言えませんが、これくらいまでなら出す用意があります」
そう言って彼が提示したのは、指輪の「適正価格」の倍以上の金額だった。
これだけの予算があれば、多少割高で買い戻そうと、多少経費がかかろうと、十分な収入になるだろう。
「わかりました。なんとかしましょう」
奈義沙のその言葉に、男は心底安心した表情を浮かべた。
依頼人の男が帰ってすぐに、奈義沙はコンピュータに向かった。
実のところ、こうした「探し物」の依頼は初めてではなく、必要なノウハウも、ツールも、ネットワークもすでに揃っている。
奈義沙は慣れた手つきでコンピュータを操作し、あちこちのコンピュータをハックして、盗品の裏取り引きの記録やら何やらを大量に見つけだした。
続いて、それらの記録の中から、今度は問題の指輪と思しきものについての記録があるかどうかを、バックグラウンドでコンピュータに検索させる。
それと平行して、奈義沙自身は、以前の「探し物」で知り合った「その筋の人」に連絡を取り、情報の提供を呼びかける。
まさに、奈義沙の天才的なハッキング能力とプログラミング能力、そして人脈の広さがあってこその早業である。
ものの数時間で、黙っていても情報が向こうから入ってくる状況を作り上げた奈義沙は、情報が集まってくるまでの時間を潰すべく、以前の探索の過程で「たまたま」見つけた、いわゆる「えっちなさいと」の一つにアクセスしたのだった。
と、その時。
「ほほぉ〜?」
聞き慣れた、しかしこの状況では最も聞きたくない声が、突然頭上から聞こえてきた。
ぎこちない動きで視線を上に向けると、ちょうどこちらを見下ろしていたやや背の高い女性と目が合う。
その人物こそ、まぎれもなく、奈義沙の彼女であった。
ちなみに、彼女の身長は百七十センチ近くもあり、奈義沙との身長差はゆうに頭一つ分ほどはある。
「い、いつの間に!?」
「チャイム鳴らしてもノックしても返事がないから勝手に上がらせてもらったんだけど」
それだけ言うと、彼女は一度ディスプレイに目をやった。
今さら画面を隠したところでどうなるものでもないが、頭上の遥か高くから見下ろされては、とっさに視界を遮る術すらないのがなんとも悲しい。
「よっぽど集中して仕事してるのかなぁと思ったら……こんなの見てたんだ?」
冷たい言葉に冷たい視線、そして冷たい微笑み。
それらに耐えかねて、奈義沙はたまらず弁解をはじめた。
「い、いや、これはたまたま……というか、ついさっきまでは本当に仕事を……!」
しかし、その「仕事」の部分を見ていない彼女がその話を信用するはずもない。
「問答無用っ!!」
その言葉とともに、頭上から鉄拳が雨あられと降り注ぎ……それは、情報が十分過ぎるほど集まるまで続いたのであった。
その後も、いくつかのトラブルに遭遇したものの――正確には、そのうちのいくつかは奈義沙本人が呼び寄せたものだが――どうにかこうにか、奈義沙は指輪の現在の持ち主を突き止め、指輪を買い戻すことに成功した。
ちなみに、その人物は「指輪を盗品だと知らずに買った」と言っていたが、それにしては指輪を相場よりかなり安く買い叩いている。そのくせ、「買った時と同じ値段でお返ししたい」と言いながら、今度は相場通りの金額を要求してくるのだからたまったものではない。
奈義沙はよっぽどそのことにツッコミを入れようかと思ったが、依頼主は相場より多少高くても買い戻したいと言っていることだし、ここで事を荒立ててもあまり面白いことにはなりそうもないので、あえてそのことには触れずにおいた。
「本当に、どうもありがとうございました」
依頼主の男に指輪を渡すと、彼は小躍りせんばかりに喜び、わざわざ現金で報酬を置いて行った。
銀行強盗でもあるまいし、全額キャッシュでと要求した覚えはないのだが、これはこれで便利なこともある。
例えば、友人・知人に借りた金を返す必要がある時などには。
(とりあえず、借金を返してしまおう。これだけあれば十二分に足りるはずだ)
そう考えて、奈義沙はコンピュータに向かい、自分がお金を借りている相手のリストを確認した。
「…………」
長い。
「…………」
思っていたより、人数も、金額も、だいぶ多い。
「……本当に、こんなに借りてたっけ?」
パッと見た時はそう思ったものの、よくよく見ると、どれもこれも全て身に覚えのあるものばかりである。
つい最近借りた相手や、多少なりと催促してくる相手はともかく、「ある時払いの催促なし」で貸してくれた気のいい連中のことは、いつしかすっかり忘れていたようなのだ。
だが、そんな相手だからこそ、こうして返せる余裕と返す気があるうちに返しておかないと、また延び延びになってしまう。
「……ま、まぁ、これだけあれば足りますよね、多分」
奈義沙は半ば呆然としながらそう呟くと、返さなければならないお金の額を計算しはじめた。
友人たちからの借金を完済し、今回の捜索でかかった経費を清算し、ついでに彼女のご機嫌取りのためのプレゼントを購入すると、あれだけたっぷりあったはずの報酬は、雀の涙ほどしか残っていなかった。
この程度の額では、残しておいても仕方ない。
「これで、美味しいものでも食べに行きますか」
奈義沙は小さくため息をつくと、彼女を誘って食事に出かけ、本当に残っていた分まできれいに使い果たしてしまった。
「まあ、今回の件で借金は全額返済できたことですし。
次にこういう仕事がくれば、今度こそ臨時収入獲得ですよ」
そう強がる奈義沙だったが、その「次」がはたして一週間後なのか、一か月後なのか、それとも何年も後になるのかは、奈義沙自身にも全くわからなかった。
どうやら、奈義沙の貧乏はまだまだ続きそうである……。
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<<ライターより>>
撓場秀武です。
まずは、納品の方遅くなってしまって申し訳ございませんでした。
ギャグノリで、とのことでしたが、こんな感じでよろしかったでしょうか?
ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。
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