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<東京怪談ノベル(シングル)>


Miss.SummerTime

 ジーッジーッと焼け付くような声で鳴く蝉。それに応えるよう、じりじりと肌を焼く厳しい日差し。これが夏ね、と零は眩しげに片手で庇を作り青い空を見上げた。

 夏真ッ盛り、この季節の食べ物と言えば、素麺に冷しゃぶに…と言った、涼を呼ぶ食べ物が真っ先に思い浮かぶだろう。草間家でもそれは例外ではなかったのだが、たまには意表を突いたメニューもいいかもしれない、と零は立ち止まって思案をした。
 その視線の先には、思案するきっかけとなったモノが、ぽつんと所在なさげに佇んでいた。
 あやかし荘の程近く、通り沿いに設置された小さな屋台。冬であれば、昼夜問わず人の尽きる事はないが、さすがにこの炎天下では、訪れる者とていないようで。蝉の声だけが響くその通りで、そのおでん屋台はさすがに異質の存在であった。零はその屋台に近付いて行く。噎せ返るような熱波の中、ぷーんと出汁のいい香りがした。
 「こんにちは!」
 暖簾を片手で分け、零は屋台の内側へと入る。さすがに風が流れない内部は熱気が篭ってかなり暑い。これでは、持ち帰りで買いに来る程度なら構わないが、ずっとこの中で調理している店主は大変だろう。そう思って零は、おでん鍋の向こう側に居る筈の相手に向かって声を掛けた。

 「こんにちは、今日もいい天気ですね。暑くて大変じゃないですか?」
 「…………」
 こちらに背を向け、何やら食材を下ごしらえしている風な店主は答えない。腕は規則正しく動いているから、寝ていたり気を失っていたりする訳ではなさそうだ。
 「毎日お店は開いてるんですか?さすがにお客さんも少ないでしょう?」
 「…………」
 「ここ数日、特に暑いですもんねぇ。夜も寝苦しくて」
 「…………」
 「…あのー?大丈夫ですか?もしかして、あんまりに暑くてボーッとしてらっしゃるとか?」
 「…………」

 何を話し掛けても、店主は答えようとしない。さすがに不安になった零は、少し身を乗り出して店主の顔を後ろから伺おうとした。
 「…あの、私…おでんを買いに来たんですけど……」
 「いらっしゃいマセ」
 くるり、店主は手の平を返したように振り返って零を見た。目をぱちくりさせ、零がまじまじと店主の顔を見る。今度は、零が黙りこくる番だった。

 「いらっしゃいマセ。お買い上げですね?」
 「………」
 「ナニにいたしましょう。何でもご用意させて頂きます」
 「………」
 「もしもお好みのものが無い場合は、少々お待ち頂ければ何なりとご用意させて頂きますので」
 「………」

 「お客様?」
 店主が、首を緩く傾げる。そうすると、どこかがコキリと鳴ったような気がした。
 「あ、えーと…ごめんなさい。ちょっと暑さでぼーっとしていたようです」
 「お気をつけください。熱中症に掛かりますと、最低三日間は安静が必要です、そうなった場合の経済的損失は安く見積もって…」
 「あっ、あの!…前からここでお店を開いてらした?」
 店主の言葉を遮って、零がそう尋ねる。首を傾げた時、さっきと同じようなコキリとした音が聞こえたような気がして、零は思わず眉を顰める。
 「どうかなさいました?お客様」
 「いえ、なんでも…それで、その……」
 「ええ、前々からここで商いをさせて頂いております。改めまして、源と申します。以後、お見知りおきを」
 そう言うと店主は、腰の部分できっちり48度の角度で折り曲げ、挨拶をする。また、コクッと音がしたような気がした。
 「…源さん、と仰るんですか…そうですか……」
 「何か?」
 思案げに自分の顎に細い指を宛う零に、源が問い質す。ううん、と零が何でもないのだと首を左右に振った。
 『私の記憶違いかしら…確か、ここの店主の名前は……』
 「それでお客様。ご購入ですね?」
 記憶を辿る零の思考をぶった切り、源は自分の職務を優先させる。物思いから無理矢理引き戻され、零は目を瞬きながらこくこくと頷いた。
 「え、ええ、そうです。たまには夏のおでんもいいかと思って…」
 「当然で御座います、夏こそおでん!暑い時に熱いものを食するのが本当の通と言うもの。お客様は分かっていらっしゃる」
 「そ、そうかしら?」
 「何しろ、残念な事に夏の間は売り上げが少ない。と言う事は→売れ残りの懸念→その打破の為の値下げ→消費者に取ってはウハウハ→こっちにしてみればオーマイガッ!→だが売れればそれはそれでOK…となる訳です」
 「………」
 →の度にガーッ、チーン!とか妙な音が微かに聞こえてくるような気がする。零の眉間に、また小さく皺が寄った。が、その思考はとりあえず脇に退けておいて、零は今聞いたばかりの事柄を反復してみた。

 「と言う事は、お安くして頂けると言う事ですね?」
 「今日のお買い得は、手作りはんぺんで御座います。いつも以上にじっくり味を染み込ませたこんにゃくもオススメです」
 「…それは、日々売れてないから、ですよね?だからお安く……」
 「牛すじなども如何です?あっ、やっぱり人気No.1、玉子などは…」
 「………。適当に見繕って二人分頂けます?」
 「毎度あり!」

 さては安くするつもりはないようね、と溜め息を零しながら零がそう言うと、源はまた手の平返したように態度を変え、きびきびと動き始めた。
 「…源さん、暑いのに大変ですね」
 「そんな事はありませんよ。お金が増えれば、その分身体が軽くなります」
 嬉々として持ち帰り用の容器におでんを盛り付けながら、源がそう言ってニコリと笑う。その笑顔に、零は何故か見覚えがあった。
 「…源さん、ご商売は…楽しい?」
 何故、そんな事を聞こうと思ったのか。零にも判らなかった。ただ、何故か自然と口を突いて出たのだ。そして、源から帰って来た言葉は、零の予想通り、
 「はい、楽しいですよ。命の源ですから」
 また、にっこりと笑う源。その笑顔は、何故か人に購買意欲を起こさせる力を持っていたが、それよりも零には、凄く不思議な印象を持った。
 不思議、と言うのは少し違うかも知れない。微妙な違和感に近い気がする。だがその違和感と言うのが、『自分と違う何か』に対しての違和感ではなく、『ここ最近自分が出会って来た人達とは違う何か』に対しての違和感のような気がするのだ。

 では、自分と比べてはどうなのだろう。その考えは何故か結論に行き着く前に無意識で遮断してしまった。
 「はい、お待たせ致しました、おでんお持ち帰りお二人分でしたね?」
 「あっ、は、はい、そうです。ありがとうございます」
 零は慌てて財布を取り出す。言われるままにぴったりの金額を源へと差し出す。源はそれを、両手で恭しく受け取り、ありがとうございましたと深々と頭を下げた。さっき鳴ったみたいなコクッと言う音はしなかったが、その代わりどこかがギシッと軋むような音がした。
 零は、代金と引き換えに、レジ袋に入った商品を受け取る。ずしりと重いそれに少しだけ疑問を感じるが、それは源の大きな声であっさり吹き飛ばされてしまう。
 「ありがとうございました!又御贔屓に!!」
 「えっ、あっ、……あら?」
 大音響と共に、零は眩暈を感じる。ぶれる視界の中、源が両手で自分の首を持ち上げ、座りを直すような仕種をしていた。


 「……………」
 気が付くと、零は通りの真ん中で立ち尽くしていた。辺りを見渡すと、さっきまで五月蝿く鳴き叫んでいた蝉の声はしない。その時点になってようやく零は気付いたのだ。すっかり日が暮れ、周囲には夜の帳が降りていた事を。
 「…おかしいわね、私がおでんを買いに屋台の暖簾を潜った時には……」
 首を傾げ、零は後ろを振り向く。数十メートル離れた場所に、例のおでん屋台は同じように佇んでいた。今は夜である所為か、ぼんやりとした明かりが暖簾の隙間から漏れている。やはり客の居る気配はしないが、その奥で蠢く影は何となく見えた。
 ふと気付けば、ちゃんとその手には買ったばかりのおでんがずしりと重量感を与えてくる。持ち帰り用の発砲スチロールの容器を手で触ってみると、ついさっき盛ってくれたのを証明するかのよう、それはまだアツアツの出来立てであった。零はもう一度おでん屋台の方を見る。明かりは変わらずぼんやりと灯り、日が暮れても未だなお暑い夏の夜、季節外れの大きな蛍のように見えた。
 「…なんだったのかしら」
 余りの暑さに、頭がぼーっとしてたのかしら。零はくすりと小さく苦笑する。さて、と息を吐くと足を前へと踏み出した。
 「早く帰らないと、兄さんが心配するかも……」
 はっ、と零が立ち止まり、改めてレジ袋の中身を見た。
 「…ど、どうして私…こんなに沢山のおでんを買ってるのかしら……!?」
 それは、ゆうに十人分はありそうな程の量だったのだ。一目見れば分かりそうなものなのに、何故今までそれに気付かなかったのか……。

 ふと、零の脳裏に、源の笑顔が浮かんだ。あの、どこかで見た事があるような、商売人の笑顔を。


おわり。