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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき〜伊勢の一番長い日〜

 ふと、何かが聞こえた気がした。
 振り向いてみるが、そこに誰かがいる訳でもなく。ただ鬱蒼と茂る雑木林が広がるばかり。獣どころか鳥さえも見当たらない。
 気のせいかな、そう考えて桐苑・敦己(きりその・あつき)は、頭を掻きながら視線を元に戻した。
 目の前に続くのは、ほっそりとした獣道。あまり人の手がはいっておらず、何処にも踏み荒らされた跡がない。
「‥‥まさか、ね」
 ぽつりと呟いた彼の脳裏に、地元の人が言っていた言葉が浮かんできた。
 それは、この山道へ入ろうとした時のこと――。



 ‥‥流れ流れて。
 敦己が辿り着いた今度の場所は、神々の住まう地として名高い伊勢だった。天照大神を祭神に奉る神宮を中心に大小さまざまな宮が、あちこちに点在しているこの地は、今も古くからの伝承が色濃く染みついている土地でもあった。
 まずは外宮と呼ばれる場所へのお参りを済ませ、その足で内宮へと赴こうとした道中で、ふと目に付いた山の前で立ち止まった。
 何が気になったという訳ではない。
 ただ、本当になんとなく‥‥その山に入ってみたくなったのだ。
 そして、脇道に一歩を踏み出そうとした時。
「――おーい、そっちは山道だ。危ねえぞー」
 敦己を呼び止めたのは、畑仕事帰りだろう地元の住人だった。純朴そうな雰囲気の男だが、その表情はすこしばかり心配そうにこっちを見ている。
「何かあるのですか?」
 そう尋ねる敦己に、男は一瞬言葉を濁す。
 困った風に眉根を寄せつつ、仕方ないとばかりに歯切れ悪く説明し始めた。
「この道は地元民でも滅多に通らねえんだ」
「野犬とかがでるのですか?」
「あ、いや‥‥まあそれもあるんだがな‥‥あそこにはな、昔っから出るって話なんだ」
「出る? ‥‥それは、ひょっとして」
 そっと前に出した両手をだらんとさせたジェスチャーに、いやいやと男は首を振る。じゃあ、と尋ねたところで男は一旦言葉を切った。
 そしてほんの少しの沈黙の後、おもむろに話し始めたその内容は、
「まあ、あれだ。あやかしってヤツだな」
「あやかし?」
「ああ。この辺でよく見かけたのは、どうも天狗とかって話だな」
 まあ俺は見たことはないんだけどな。
 そう男が言うのを、敦己は何となく面白そうだと内心思った。霊ならば、普段からよく見ているおかげで少々新鮮みに欠ける。
(ここは一つ、あやかしという存在と交流してみるのもいいですね)
 そんな彼の心の内も知らず、男はくれぐれも近付くな、と念を押してその場を去った。
 そして、残った敦己はといえば。
「‥‥やはりここは、行くべきでしょうね」
 逸る好奇心を抑えることは出来ない。
 くすりと苦笑を零しつつ、彼はその山道への第一歩を踏み出した。



 そのまま歩みを進める事、数十分。
 先程感じた違和感は、それっきりのまま今に至る。てくてくと山道を歩き続け、時々迷わないように目印を付けつつ、敦己はただ一心に前へ歩く。
「ふぅ‥‥森の中で木陰になるとは言え、さすがに暑いですね」
 連日のテレビニュースによる猛暑の報道が思い出され、掌でパタパタと扇いでみる。そのままペットボトルの水を一口、軽く含んだ。
 その時、奇妙な感覚に思わずペットボトルの中身を見た。そこにはまだ半分ほど残っている。
 が、それでは明らかにおかしい。
「確か、山に入る時もこれぐらいの量でしたよね‥‥ひょっとして」
 ふと周りを見る。
 何処までも続く雑木林。なんの変哲もない。
 だが、敦己の目はある一カ所に集中した。そこには、自分が迷わぬようにと付けた目印が残っている。これを付けたのは、随分前だというのに。
「迷った、わけではないですよね。これはどちらかといえば」
(――閉じ込められた?)
 サッと背筋に走る緊張感。
 が、すぐにワクワクする気持ちの方が強くなる。のほほんとした元来の性格からか、どうものんびりしがちだ。
 それに、今周囲を満たす雰囲気もあまり切羽詰まった感じはない。そう考えるのは呑気すぎるか。
 思わず零れる苦笑。
「これは結界の一種でしょうか」
 そう呟いた、時。
 日射しを何かの物体が遮った。ハッと見上げたその先で、確かに動く影を見た。
「待って!」
 声を上げると、逃げようとした影がぴたりと止まった。それでも幹に身を隠しているせいか、相手の姿は見えない。
 警戒する相手だ。うかつに近寄れば、すぐに逃げてしまうだろう。
 そう考えた敦己は、その場所から声かけてみた。
「あの‥‥この結界、あなたが作ったのですか? ひょっとしてあなたが‥‥天狗、ですか?」
 優しく語りかける口調は、いつもののんびりした雰囲気だ。にこにこと微笑む表情には、種族を問わず、誰とでも仲良くなれるオーラが滲み溢れている。
 彼は、そうやって今まで誰とでも仲良くなってきたのだ。
「もしよかったら、少しお話しませんか。俺、あちこちを旅してて、その土地土地の人との交流がしていんです」
 打算などまるでない、無垢な笑み。
 しばらく静寂が続いたのち、やれやれ、と溜息めいた声が木の上から聞こえた。
「来るとは思っとったけどのう」
 呟いた声に、敦己は聞き覚えがある。
 枝の上から飛び降りた影が静かに地面に着地した、その姿を見て、彼は思わずアッと声を上げた。
「あ、あなたはさっきの」
「やれやれ、しょうがない若者じゃ」
 困惑にも似た表情で、だが特に困った様子もなく笑うのは、先程敦己に声をかけてきた男だった。
 そして、次の瞬間。
 男の姿がぼやけたかと思うと、その背には黒々とした翼を称え、衣装もさっきと違って修験者のような仰々しい和服になった。そして、明らかに人と違う――真っ赤に伸びた赤い鼻。
 伝承に伝え聞くような天狗の姿が、今目の前に現れたのだった。



「折角の人の忠告も無視しおってからに」
「すいません」
「まあよいわ。お主のような若者ならばな」
 結界を取り払われた山道を歩く二人。
 ガハハと笑う天狗に、敦己は少なからず恐縮していたが、その様子はすっかりうち解けていて、今や旧知の仲のように振る舞っている。
「最近は無遠慮にやってくる者も後をたたんからのう。ま、俺がちょいと脅かしてやれば、あっさり逃げ帰るような奴らじゃがな」
 聞けば、この山は彼ら天狗の住処なのだという。昔からこの地に住み、この地に住む人達を時には護り、時には制裁を与えるといった事を繰り返してきたのだ。
「へえ、土地の守り神様なんですね」
「ああ。この地は俺達が昔から護ってるからな。それを里の者もよく知ってるんじゃ」
 そのまま、彼ら天狗がどのようにしてこの地を護り、またどういう生活をしているかを敦己は聞かせてもらえた。それは、長く長く続いたあやかしの歴史。それを聞くだけでここに来た意味があるというもの。
 勿論、一方的に聞いただけではない。
 自分の方も、何故旅人を続けているのかを話した。
「遺産、とな?」
「ええ。祖父の遺言でしてね。俺一代で食い潰すよう言われたんですよ。ただ、殆どが貧乏旅行ですからね」
 なかなか減らないんですよ。
 そう言って、笑う敦己。
 そんなコトを言ううちに、やがて森の切れ目がうっすらとした光とともに見えてくる。
「そろそろ出口じゃな。俺が送れるのはここまでだな」
「ありがとうございます。また来てもいいですか?」
「お主のような若者なら歓迎じゃよ」
 振り向いて男を見れば、いつの間にか男の姿はまた元の人間のものに変わっていた。きっと彼はこれからもこの姿で、彼の地を護り続けるのだろう。
 敦己はゆっくりと右手を挙げ、笑顔で別れを告げた。
「それでは、また!」
 手を振る。
 そして、前へと向き直ると、敦己は振り返ることなく歩いていった。その背を沈みかけた夕陽が、いつまでも照らす。
 どこか名残惜しげに――。

【終】