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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


きっと間違いない




 昨日からみなもの様子はおかしかった。食事中も、食後のお茶を飲んでいるときも。
 ……昨日とは、丁度みたまが帰宅した日でもある。
 ――何かあったのかしらねぇ――
 みたまも母親。内心では気になっていたが、突然娘に訊ねるのもためらわれる。
 ――つまりは、タイミングってやつ――
 みなもがみたまに相談するような仕草をしたとき、それが自分の動くときだ。
 ――家にいるときくらいは“母親”しないとね――
 娘を見守る母親――今の自分を客観視すればそう表現出来る――みたまは照れ笑いしそうになった。
 次の仕事まで時間もあるのだ、こういうのもいいだろう。

「お母さん、はい」
 と、みなもが差し出す湯飲みを受け取る。
「あの、お母さん……」
 相談かなと思いつつ、みたまは何気なく返す。
「どうしたの」
「うん、大したことじゃないんだけど……お母さんに、訊きたいことがあって」
 こっちはその言葉を待っていたのよねぇ。
「何?」
 みなもは俯いて、両手の指先をからませている。恥ずかしがっているのか、先の言葉は唇の近くで消えていく。
 年頃の女の子が恥ずかしがることとは何か、みたまは考える。
 ――やはり、アレかしら――
 だとしたら、何て可愛いのだろう。そのウブさを昔の自分にも分けたいくらい。
 ――母親として、どこまで教えてあげるべきなのかしらねぇ――
 などと、どことなく卑猥な笑みがみたまからこぼれたとき、みなもはみたまの想像を破ることを言った。
「あたしが産まれたときの話……してくれる?」
 実際、それはみたまにとって予想外の質問だった。
 ――何でこんなことで恥ずかしがるのかしら――
 みたまにはわからなかったが、みなもにとってこの質問をするのには、少しばかり勇気がいるのだった。

 数日前からみなもは自分の誕生のことを考えていた。
(あたしだって、ちょっと前まで小学生だったんだよね。その前は幼稚園生で、その前は赤ちゃんで……)
 その前は、どうだったんだろう。
(それに、妊婦のお母さん)
 想像がつかないことが二つ。
(そのときの、お父さんのことも)
 訊いてみたくなったのだった。

「いいわよ」
 みたまは言う。
「本当?」
 みなもは喜んで、身体をみたまへ近づける。
 ――無邪気ね――
 みたまはみなもの髪を分けて、彼女の耳たぶを指で挟んだ。
「最初は、これよりも小さかったのよ」
 話はみなもが産まれる前――約十五年前から始まる。


 みなもという命の種が芽を出したとき、みたまは八歳だった。
 それが本当かどうかはわからない。みたまは自分の年齢を知る術がなかったのだ。
「じゃあどうして八歳だってわかるの?」
 不思議そうに首を傾げるみなも。
「ダンナ様が教えてくれたからね」
 ふわり。みたまの中で“あのときのこと”が蘇る。
 ――今でも鮮やかに思い出せる――

 あれは、現在みたまが“ダンナ様”と呼んでいる男性と出会った日。
 場所はホテルの一室だった。
 つけっぱなしのテレビでは、何処の国の言葉ともわからないが、軍服の男が早口に怒鳴っている。
 それは現実か、あるいは映画か。
 ……二人がこの部屋にチェックインしてから、このシーンが流れるのは三度目だった。したがって映画である。そのチャンネルでは同じ映画が幾度も放映されていて、二人ともまどろみながら途切れ途切れに眺めていた。
「ん………………」
 そのときも、みたまは淡い眠りから目を覚ました。
 身体の下には、まどろむ前に幾度か絡めた“愛しい人”の寝顔がある。
 聞こえてくるのは映画の音、悲鳴、爆音、足音――。
 現実に引き込まれるように、みたまは絡めたままの身体を離し、自らの上半身だけ起こした。
 二人の間には何もないのに――ただ肉体ばかりなのに。まるでくっついた磁石を離すように、身体が重かった。
 身体を離したとき、さらさら、という音が聞こえた気がした。湿らせて固めた砂の塊が、ゆっくりと割れていくかのようだ。
 ――そういえば、戦場の土はもっとさらさらしてた――
 また爆音。
 愛しい人の上で座ったまま、横目で画面をみる。
 少女が泣いている。
 ――私と同じくらいか――
 その少女は、日に焼けた肌に透明な涙を幾滴も浮かべていた。か細い声で鳴き声を上げる。
 近くにいた大人が少女をかばい、倒れた。
 その少女は、軍服を着ていない。
 武器を持つこともない。
「――幾つなんだろう、私――」
 唐突に出た自分の言葉に、答える声があった。
「八つ」
 ――眠っていたと思ったのに――
 男性はいつの間にか目を覚まし、下から苦笑といった表情を浮かべている。
「本当に?」
 みたまのまなざしをみて、からかいたくなったのだろう。男性は苦笑を微笑みに変えた。
「――さぁ、どうかな」
 数秒ののち、みたまは笑い声をたてた。無邪気な声。この人の胸に顔を沈めても、まだ笑いが噛み殺せない。
 こんな風に笑ったことなんて今までなかったのに。
 ――今はこんなにはしゃぎたいんだ、私――
「ちゃんと答えてもらいたいんだけどね」
 笑いながら、ズルズルと後ろへ下がる。
 その動作に慌てた男性は、咄嗟にみたまが動けないように抱きしめた。
 みたまの耳元で囁く、
「八歳だよ。きっと……間違いない」
 それは優しい声だ。
 “きっと”なんて言っているくせに、妙に自信のある声だから、信じてしまった。

 ふふ、と思い出し笑いをして。
 気付いたときには、みなもに顔を覗き込まれている。
「ごめん、ごめん。……そう、つまり……私は八歳だったのよねぇ」
「んー八歳かぁ」
 みなもは宙をみて考える。
「お父さんがそう言うんだもんね。本当に思えてきちゃう」

 徐々にみたまのお腹は膨れていく。
 ここに命があるのだ。
 それはみたまにとって、よくわからないものが成長していくことだった。
 お腹の中で、命を紡ぐ音がする。
 コポン、コポン、とそれは言う。
 音の一つ一つが、みたまの驚きに繋がるのだった。
 子供を産むことではなく、命への驚き。
 そして命を育むことの恐れ。みたまは、それを壊すことだけを学んできたのだから。
 そんなとき、ダンナ様はみたまの身体に触れて言う。
「大丈夫だよ」
 その一言で、心が安心して崩れていくようだった。
 だが、驚くということではダンナ様もまた同じだっただろう。彼は女性ではないのだから、妊娠の経験はない。
 ダンナ様は、その驚きを隠すのが上手かった。
 あるとき、みたまは大きくなったお腹に手をあてた。
 動いている、と。
「ダンナ様、さわってみて」
 お腹に触れたては、温かかった。
「今、蹴ったみたいだ」
 声と共に、今度は頬をお腹にあてた。
 ――また動いたね。
 柔らかい声が、お腹に響いて、心に染み渡る。
 ――うん、動いたね。
「きっと、女の子だよ」
 ダンナ様の声は確信に満ちていた。
 みたまも女の子だと思う。

 みたまの話を聞いていたみなもは、ただ感心するばかりである。
(お父さんってやっぱり凄い)
 だって触っただけで性別がわかるなんて。
(あたし、女だもん)
 だがみたまに言わせれば、他に驚くところはあるらしい。
 何せ、ダンナ様は助産婦役を買って出たのだから。

 そう、ダンナ様は裏で苦労していたのだ。
 おそらく様々なところから情報をかき集めたのだろう、みたまを安心させるために、助産婦はいらず、自分がやると言ってくれた。
「帝王切開の必要もないから、一人でやれるだろう」
 というのがダンナ様の結論だった。
 だがみたまは口ごもった。
「でも、あれって帝王切開じゃなくても……………………………切るわよね?」
 不安だった。
 失敗しそうで不安という訳ではない、ダンナ様に“そういう”作業をしてもらうことに対して、さすがに気恥ずかしさを覚えたのだ。
 ――それで愛想をつかされたりしないわよね――
 予想に反して、ダンナ様は首を横に振った。切る必要は無いのだという。
「自然出産だから、必要ない」
 そういうものなのね、とみたまは納得。
 みたまよりもダンナ様の方が詳しいのだった。
 いよいよ産まれる、となったとき、みたまは激しい陣痛の痛みを体験した。今までの身体に受けた怪我とは全く別の痛みである。
 悲鳴にも似た声を上げる。
 ダンナ様の声が聞こえ、みたまは呼吸を規則的にしようとする。ラマーズ法という、ダンナ様が教えてくれたやり方だ。
 陣痛が止むと、いつの間にか眠っている。まどろみと陣痛を繰り返すのだ。
「…………ん……ふう…………………あ」
 痛みに耐えかねたとき、掌にぬくもりが燈る。
 みたまがよく知っている優しさだ。
 心の底で、大丈夫、と呟く。
 目を瞑っていても、瞼の奥でダンナ様が見える。
 息が荒くなって、そこから先は自分の呼吸音で世界は一杯になった。

「それで……どうなったの……?」
 唾を飲むみなもに、みたまはあっけらかんと言った。
 ――それがね、スッポリ抜けたのよ。
 その言葉にみなもは、笑顔とも呆れともつかない表情を浮かべていた。
「今、変な感じがしたよ」
 心もスポって抜かれたみたい、とみなもは笑った。
「それからどうなったの?」
「不思議なことがあるのよ」
 あのとき、目を瞑っている私の耳に響いてきたダンナ様の言葉。
「未熟児だね」
 みたまは、早く子供が見たかったのだが、まだ息苦しい。
 ようやく、途切れ途切れではあるが会話が出来るようになり、目を開けた。
「ほら、ね」
 と、ダンナ様が抱えていた赤ん坊を見せてくれた。
 だがその子は、どう見ても未熟児には思えない。
 ――普通の赤ちゃんじゃないのかしら――
 ダンナ様は笑っていた。
「はは、いつの間にか未熟児ではなくなっていね」
 さて、
 沈黙。
 ………………………………みなものまっすぐな視線が、みたまを見上げた。
「お母さんはどう思ったの?」
 みたまは当然の如く返す。
「そういうこともあるんじゃないかしらねぇ」
 ……みなも曰く、「ないと思う」。

 みなもという名前をつけたのも“ダンナ様”だった。
 ちなみに、みなもを身ごもった時点で二人は籍を入れ、みたまは日本国籍を得ている。これはみなもの中の海原家七不思議の一つである。
 それともう一つ。出生届けはダンナ様がいつの間にか出していた、らしい。


 お茶のお替りを淹れてきたみなもに、みたまは一枚の写真を見せた。
 そこには、みたまのウエディングドレス姿が映っている。
「綺麗……」
 プリンセスラインの美しい純白のドレスとくれば、みなもが憧れるのも無理はない。
 裾は緩やかなドレープを描き、見る人間を包み込む。
 袖部分と胸元の上部は全てレースで作られており、肌が透けている。長袖なので効果は大きく、当時のみたまはみなもよりずっと年下なのだが、なまめかしくさえあった。
「着てみたい?」
 素直に肯くみなも。
「みなもだったら、どんなのが似合うのかしらねぇ……」
 母と娘、女二人の話の種は、なかなか尽きそうにない。




終。