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ビーフ・ブルース
――プロローグ
牛に……賞金がかけられている。
しかも、四百万円ときた。
深町・加門はその画面を見て固まっていた。牛だぞ? 牛。牛なんかどうやって見分けをつけるんだ。
その心配はない。その牛の額には十文字の傷があった。こんな牛はさらさらいないだろう。
ともかく、牛だ。
資料によるとその牛『源五郎』は二歳。従順な牛であったそうな。
そして、さぞかし美味しそうな牛だそうな。
……牛みて美味そうとか、普通に思う感覚ってわかんねえな。加門は牛の獰猛そうな顔を見ながら、そう思う。
だが、たかが牛に四百万だ。この国日本では、テロリストを捕獲したところで百万を切る賞金だったりする。牛に四百万とは破格ではないか。
四百万あれば、半年は遊んで暮らせるかもしれない。もちろん、うまくいったためしなどないが。
牛は赤い布を振ればやってくるだろうか。
四百万を夢みて、加門はぼんやりと考えた。
――エピソード
かわいらしい犬を連れた、恐ろしい容貌の男が渋谷ハチ公前に現れたのは待ち合わせ時間とほぼ同時刻だった。
……深町・加門が待ち合わせの時刻にその場所にいることは少ない。相変わらず半径三メートル以内に人が近付かない顔のCASLL・TOは加門の姿を確認してか、大きく笑った。
連れている犬が若干元気がなさそうなのはどうしてだろうか。
CASLLはなぜかアコースティックギターを片手にしている。加門を発見してから彼はギターを構え、切なげにギターをかき鳴らした。
「ブルース、ブルース〜」
加門にとって音楽はただうるさいだけの自己主張である。CASLLの趣旨換えにはあまり興味がなかったので、すっかり憔悴している犬を窺い見た。動物の嫌いな加門にしては珍しい行動だ。
CASLLは加門の視線を見てとって、先回りをして言った。
「ブルース〜、……あ、ちょっと異臭騒ぎがあったんですよ」
「テロリストでも追ったのか?」
少し訝しげな表情になりつつ加門が言うと、CASLLはなぜだか曖昧に笑って言葉を継いだ。
「いえ、鍋を」
「……」
加門を飲み込んだ三メートル四方に人がいなくなる。悪役面も人込みでは悪くない。しかし現実問題として、賞金稼ぎがこのザマでは仕事が成り立たない。CASLLは悪役俳優が本業なので、本望とも言えるのかもしれない。「鍋ねえ」と興味なさげに加門はつぶやいて、CASLLを引き連れて歩き出した。今の場合、人が寄りつかないのはCASLLの奇行ゆえとも言える。
CASLLは恐ろしい顔を屈託なく笑わせて、「ええ、鍋です」と念を押す。
意味がわからない。鍋で異臭とはどういう事態なのだ。
頭を一瞬巡らせたが、加門は考えるのを放棄した。人の鍋事情にまで付き合ってはいられない。
「それで、牛を見たって?」
相手がCASLLでなければどこだかの喫茶店へ入って話を切り出すのだが、CASLLの場合行く先々で強盗に間違われるので、店に入るといらぬフォローをしなければならなくなる。
公園の端にある自動販売機で冷えた缶コーヒーを買ってから、加門はCASLLを見た。
「私はサイダー少年で」
CASLLから出た微妙に愛らしい飲み物の名にぎょっとしつつ、コインをつまみ出して並んだ商品を見ると確かに『サイダー少年』は並んでいた。ガコンと音がして、サイダー少年が落ちてくる。それを拾い、加門は両手に缶を持ってベンチへ向かった。
ベンチには若いカップルが座っていたが、CASLLの姿に恐れおののいて逃げ出している。おかげで、スムーズに席につくことができた。
「源五郎は興信所に突っ込んできました」
「興信所?」
「ええ……そして壁を突き破って街に出て行きました」
「いつの話だ」
「一昨日です。その後の情報がありますか」
加門はベンチの背に長い手と頭を置いて、ぼんやりと入道雲の突き出た青空を見上げる。一昨日の情報ということは、加門の持っている情報より古い。牛はたしか、今は永田町の辺りをひた走っているのではないか。ただ、牛に会っている人物にははじめて会う。
「さあなあ……で? どんな牛だ」
「強いて上げれば、おいしそうですか」
また『おいしそう』だ。牛を見ておいしそうと思う感性が理解できない。
CASLLは犬の頭を撫でてから、不思議そうに訊いた。
「どうして逃げてるんでしょう」
どうして? 加門は入道雲の陰影に目を細めていた。
「知るか」
「私は考えたんですが、きっと恋人を探しに出たんだと思うんですよ」
ジャジャン、ビワのようにギターを鳴らしてCASLLは節をとる。
加門は上を向いたままシャツの胸ポケットに入っている煙草のふたを開け、中から一本取り出してくわえた。唇で煙草を上下させながら、片方の手で百円ライターを探る。ズボンのポケットからちゃちい赤いライターを出して、加門は言った。
「興味ねえなあ……」
CASLLは少し驚いた顔で「そうですか?」と聞き返してきた。加門は頭を持ち上げて煙草に火をつけた。それから眼帯をはめているCASLLを横目でちらりと見た。
「お前も暇だな」
「いえ、私も四百万狙いですが」
CASLLはサイダー少年を開けた。プシュッと音が鳴る。
牛の四百万騒動で、街にはカウボーイ気取りの賞金稼ぎが溢れているようだった。
さて、策はまったくないわけだが、楽して四百万円を取りたいのだから仕方がない。
ざわり、と空気がざわめいたので加門はCASLL越しに駅の方を見た。ドドドドドと大きな地響きがしている。なんだ? 思って目を凝らす。
地響きの主は見えなかった。ともかくもの凄い埃が舞っていた。
「おい」
勘が働いて、加門は素早く腰を上げた。ベンチに缶コーヒーは置き去りだった。
「きた、きたぜ」
「え? なにがです」
CASLLも加門にならって立ち上がった。見えたのは、集団だった。布やら網やらを持った二十人ほどの人間が、黒いものを追いかけている。黒いものが牛だと判断するのに時間はかからなかった。
「CASLLお前を信用する。俺がこいつらを片付けている間に、お前は牛を見失わないようにしろ」
加門のやる気のなさそうな顔がにやりと笑った。
「え? そんな、だって、民間人も混じってま……」
「ポットハンティングってのはそんなに甘くねえってとこを、見せとかねえとな」
加門は手足を軽く振った。それから牛と集団の突進してくる進行方向に歩き出す。CASLLは犬を連れて、同じようにした。そして加門達はあっという間に埃にまかれ、加門の横を横切った五人がいっきにその場に崩れ落ち何人かが足を引っ掛けて転んだ。
CASLLを振り返ると大きな後姿が牛を追って駆け出しているのが見えた。それを追っている連中を追いかけて加門は素早く動いた。手当たり次第引っつかんで、足を振り上げる。掴んだ頭に足を蹴り出してから、逆サイドにいる連中に思い切り殴りかかった。ほとんどの奴は加門の不意打ちに反応を示せずにいる。
何人かがやる気をみせたので、加門はくわえていた煙草を吐き捨てた。
「やろうぜ」
楽しそうに笑い、ひゅうと背を屈めた。
神宮寺・夕日は渋谷へ買い物に来ていた。
実は、夏物は先週のセールで買ったばかりで、今日はさわやかな黄色のブラースと白いパンツ姿だった。
財布の中身が心もとなかったので、ATMへ行ってみたが、心もとなさは変わらなかった。どうやら先週秋にも着られると思って買いまくったせいで、夕日の微々たる貯金は食い尽くされたようだ。給料日後にはカードの支払いがやってくる。考えるだけで嫌になる。
今日の目的は靴だった。夏用のサンダルは今年は二つ買っていたからもういいとして、職務中に履くパンプスが一つ壊れてしまったのだ。
夕日はすぐに靴を履き潰してしまう。警察署の人間で夕日より足の速い人間はいないから、そういったところに原因があるのだろう。
今日は非番だった。歩道を歩いて辺りを見回すと、なにやら騒がしい。
なにごとかしら? 純粋に興味が湧いて、騒ぎの方向へ足を向けた。
野次馬が何重にも取り巻いている一角をかき分けて中へ入る。そこでは、まるでプロ野球中継で見るような乱闘が繰り広げられていた。いや、そう見えた。
実際は片っ端から回りの人間が伸されていくばかりだった。中央で暴れている犯人の手足は長く、素人と見てとれるほどの人物達は、犯人から一撃を食らっただけで倒れて動かなくなった。
数名残っている者達の顔は、殺気だっていた。夕日の知る限り、その人間達は犯罪者ではなさそうだった。街のチンピラ……つまり賞金稼ぎだろう。
そして中央で首をぐるりと回している眠そうな犯人は、夕日の因縁の宿敵深町・加門である。
加門は繰り出された拳をのらりくらりと避け、片手で手を掴んで勢いよくぐるりと一人をアスファルトへ叩きつけた。すぐに隣の男に片足を振り上げ、顎を一撃する。その足を立っている最後の男の頭へ薙ぐように叩きつけ、加門はアスファルトに寝ている一人の男の腹へ足を置いた。
完全な傷害罪である。
夕日は鬼の首を取ったかのように叫んだ。
「深町・加門、傷害罪で逮……」
肝心の加門は辺りをきょろきょろ見渡して、すぐにその場から駆け出した。夕日には気付いてすらいないようだった。
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ」
加門は人込みをすり抜けて走り去っていく。すぐに人で加門の背中を見失ってしまう。
夕日はサンダルの後ろにベルトがついていてよかったと思いながら、怒鳴った。
「警察よ、どきなさい」
ざざざ、と道が開く。加門の青いシャツの後姿が見えた。
夕日は全速力で駆け出した。
別に何を怒っているわけでもないのだ。シュライン・エマはそう考えた。
しかし実際、怒っているのだ。ことの発端は先日の鍋騒動である。鍋と言っても、普通の鍋ではなかった。闇鍋パーティーであった。
ともかく、その際に色々と起きた。某草間・武彦は闇に紛れて人の乳まで揉んだそうだ。秘蔵のエロ本まで担ぎ出され、そしてそれを紛失し草間は散々の様子だった。けれど、セクハラ問題は残っている。
そこばかりは許せなかったので、一発ぶん殴って出てきていた。興信所を出て、一度家へ帰り服を着替えて雑誌連載のコラムの打ち合わせで渋谷まで出てきたのだった。
時間が経ったせいか、多少冷静に物事を考えられるようになっていた。
だからと言って、今回の草間の行動はやはりやりすぎだった。どうやってお灸を据えてやろうか思い浮かべながら、やはり禁煙が一番堪えるだろうと考える。しかし、高いハードルはくぐる可能性があるので、やはり禁煙ではだめだ。きっとどうにかして煙草を入手し、そしてどうにかして吸うだろうことは目に見えていた。
いっそのことす巻きにでもして、放置してやろうかしら。
そういうわけにもいかない。
こうなったら一週間ぐらい無視してやるのがいいかもしれない。さすがの彼も少しは懲りるだろう。
妥当な案で考えがまとまり、コラムの打ち合わせも終わったシュラインは、せっかく渋谷まで出てきたのだから買い物でもして帰ろうかと辺りをぶらついていた。
渋谷にはセールスが満ち溢れていて、居心地が悪い。
街はいつもよりざわついているようだった。何か事件でもあったのだろうか。シュラインが歩道を歩いていると、車道を牛とCASLL・TOが走ってきた。
……見覚えのある面々だった。どちらも獰猛な顔をしている。
シュラインは心の中でそう思い、さすがにCASLLに獰猛は失礼かしらと思い直した。CASLLは犬を連れて走っている。その犬はじゃれつくように嬉しそうに牛を追いかけていた。
やはり、おいしそうなのだろうか。
牛、源五郎には鍋騒動のときに非常にひどい迷惑をかけていた。
ひどい鍋にうなっているところへ、気の毒に肉である牛が飛び込んできたので、興信所に集まった連中は団結して牛を捕らえ食おうとしたのである。シュラインは一応止める側に回ったのだが、全員に正確な判断力はなかったようで、牛は追い詰められ二階の壁に風穴を空けて逃げて行った。
牛に賞金がかけられていると知ったのは今日の朝のことで、シュラインは「まあ」とともかく一言洩らした。
CASLLは悪役俳優の傍ら賞金稼ぎを兼業していると聞いていたので、彼が牛を追っている理由はわかっていた。CASLLは気が付いたようにシュラインの近くへ寄ってきた。
そして停めてあるバイクに乗った。
牛が一直線にかけていく大通りの端に、CASLLのバイクは停めてあった。
犬を足元に乗せて、すばやく鍵を押し込みエンジンをかける。ブルン、ブルンと重低音が鳴り、CASLLは勢いよく出発しようとした。後ろに体重を感じて振り返ると、いつもよりカッチリとした服を着ているシュライン・エマが乗っていた。
「行って! 逃げちゃうわよ」
「はい」
ドドドドドとこちらは機械音を上げながら牛追いをスタートさせる。
シュラインは後ろからCASLLへ言った。
「奇遇ねえ、あの牛、源五郎さんでしょ」
「ええ。実は賞金がかかってまして」
「新聞で読んだわ。大勢のハンターを引き連れてるって言ってたけど、CASLLさんだけみたいね」
牛の後ろにバイクをつけながら、CASLLはかすかに振り返って答えた。
「いえ、さっきまでいたんですが……あの、加門さんが」
「あの血の気の多いハンターさんね」
もう事情を察したらしいシュラインが納得の溜め息を洩らした。
「傷害罪にならないのかしら」
賞金稼ぎは賞金首を捕まえる際、器物破損や傷害事件を起こしても免除される。もちろん、相手の入院費や修繕費の請求書はきちんと送られてくる。加門の仕事方式だと、百万の賞金首を捕まえた場合、半分が税金その半分が費用で飛び、結局手元に残るのは二十数万らしい。CASLLはもう少し平和的だったので、そこまでひどくはない。
「その間に捕まえて換金しちゃおうって魂胆ね」
CASLLの胸の内を読んでシュラインはすらりと言った。ギクリ、と思わず固まる。
「こないだのこと、源五郎さんに謝らないと気がすまないのよ」
彼女は自分の手の内を明かした。シュラインのことだから、本当に賞金になど興味はないのだろう。そもそもライセンスがなければ換金はできない。
鍋の大波乱に話が及ぼうとしたとき、バイクの後ろから人が追いついてきた。
シュラインが驚きの声をあげる。
「あら、……早かったわね」
「よお、えーと、なんつったっけ」
「シュラインよ」
CASLLがちらりと横を見ると、加門が前を向いて駆けていた。
「ああ、シュラインな」
加門は息切れをしている様子もなく、バイクをすんなりと追い抜いた。
加門の後ろから怒鳴り声が聞こえる。つい振り返ると、二十メートルほど後ろを神宮寺・夕日が走っている。
「この、傷害罪男、待ちなさいよ」
「あら、元気ねあっちも走ってるわ」
シュラインが呆れ声でつぶやいた。加門は少しCASLLを振り返り、少し口許を笑わせて言った。
「早い者勝ちだぜ、CASLL」
牛は障害物を障害物とみなさず、地響きを立ててビルへ突っ込んでいく。加門は牛の穴を追って中へ入って行った。CASLLは大型バイクをビルの前で停め、困った顔でシュラインを見た。
「どっちも分け合う気はないのね」
冷静にシュラインがCASLLへ告げる。CASLLはそのようだと苦笑した。すぐに髪を振り乱して夕日が追いついてきて、加門を追ってビルへ飛び込もうとし、シュラインに気付いて彼女は立ち止まった。
「あら? なに、あの男に賞金でもかかってるの」
「その前を走ってる牛ですよ」
CASLLが言うと、夕日は色めきたった。
「牛って、四百万の? やだ、ちょっとそれイタダキよ!」
警察官が賞金稼ぎのライセンスを持っている筈はないのだが、夕日はターゲットを牛に変換してビルの中へ去って行った。
「牛を追い込めないかしらね、たとえば高いところへ追い込んで、落とすとか」
シュラインが思案をしながら言う。
「それじゃ、死んじゃいますから、賞金も牛もパーです。たぶん」
「下にトランポリンでも用意してね、そうすればさすがの牛でも少しは大人しくなるかしら、って思ってね」
CASLLはうーんとうなってから、バイクを方向転換させて走り出した。
「まず、どうやって追い込むかですよ……あの様子じゃ、加門さんぐらいしか追いつけないでしょうし」
ドドドドドド、また重低音が響きだす。
「そうねえ、この際協力したらどうなの。挟みうちにして、行く手を阻むとか」
「その気はあるんですが」
「上辺だけね」
いくつかの路地を駆け抜けると、加門が牛に手を伸ばしているところだった。大通りを突っ切っていく牛は、向かうところ敵なしで車を跳ね飛ばしながら駆けて行く。負けじと加門は車のボンネットを踏みつけて牛を追う。牛と加門、どちらもつわものである。
「なんか、アホらしくなってきたわ……」
「そんな暇はありません。追います」
激突した車を避けて、加門を追ってバイクが走っていく。
「ともかく加門さんに追いついて、協定を結びましょう」
バイクの後ろにもう一人分の体重がかかったように思うと、シュラインの後ろに無理矢理夕日が乗っていた。
「エルメスのバーキンよ」
彼女は息を切らしてそう言った。
その様子を遠くからのんびり見ている人物がいた。
冠城・琉人、神父である。彼もまた賞金稼ぎであり、そして源五郎を狙っているのだが、そんな様子は微塵もみせず、彼はただまったりと水筒から温かいお茶をコップに注いで楽しんでいた。
「深町・加門さん、でしたっけ」
乱闘騒ぎを抜けた加門の姿を双眼鏡で見ながら、琉人は目を細める。
「足が速いんですねえ」
加門はよほど鼻がいいのか、きちんと牛の後ろまで駆けて行き、先行して追いかけているバイクを追い抜いた。牛のスピードに合わせて走っているとはいえ、バイクを簡単に抜くことなどなかなかできないだろう。
「なにかの能力者なんでしょうか」
独りごちつつ、琉人は牛を見る。牛、源五郎は凄い勢いでビルを破壊してビルの中へ入って行った。追うは加門とその後ろの神宮寺・夕日だった。
牛はすぐにビルを抜け出て、大通りを一直線に駆けて行った。一度、二度加門が手を伸ばして牛へ触れることには成功したらしいが、まだ捕獲にはならないようだ。
「なんだか皆さん、追いかけっこ楽しそうだなあ」
心底羨ましそうに源五郎の空けた穴を見つつ呟いた、琉人はぶんぶんと首をふり頭の帽子の位置を直しながら言った。
「漁夫の利です、漁夫の利」
それから琉人は顔を微笑ませてお茶をずずずとすすり、他人事のようにつぶやいた。
「誰が捕まえますかねえ」
そう言いながら、琉人は街中に溢れている浮遊霊の類を集めていた。浮遊霊は琉人の思うままに動き、捕縛にも探索にも役に立つ。
冠城・琉人は源五郎の行く先を楽しそうに眺めながら、いつ手に入るか考えていた。
スポーツクラブへ正面玄関口から突っ込んだ源五郎を追った加門は、バイクで悠々と走っていたCASLLを蹴落とした。そのせいで、CASLLは加門と共に走る羽目になっている。シュラインと夕日は、塩で源五郎を近くのドーム球場まで移動させると言って、別行動を取ることになった。
追うのは加門とCASLLである。
各機材を乗り越え、プールサイドを走り、エアロビクスのおばさま方から本気の悲鳴を浴びたりしながら、ともかく源五郎を追った。源五郎はドアを破ってある部屋へ入って行った。もちろん、加門達も続く。
「きゃああっ」
源五郎に対する悲鳴の後、問答無用で入って言った加門へまた大声が上がった。
「きゃああ、痴漢よ!」
なるほど、ここは更衣室だったのだ。たしかに、下着姿の女性があちらこちらに見える。喜ぶより前に、加門へバックや清涼剤や色々な物が投げつけられる。ひょいと避けると、後ろに立っているCASLLへ当たった。
「加門さん、ひどいです」
「……いや、悪い」
そしてCASLLを見てまたよりいっそう大きな悲鳴が上がった。
「ぎゃあああ、変質者の人殺しよ!」
こうなったらフォローは時間がかかるばかりだったので、加門は小さくなりながら更衣室をなんとか進み、源五郎の後を追って駆け出した。
残されたCASLLは立ち往生だった。
「そんな、加門さん!」
「がんばれ」
CASLLは慌てて廊下に引き返し、追ってくるガードマン達から本気で逃げつつシュライン達の待つドームへ向かった。
加門の気のない「がんばれ」にどういう報復をしてやろうかと考えているところへ、横から牛が突っ込んでくる。受け止めようと思っても間に合う筈はなく、CASLLの大きな身体は牛に跳ね飛ばされた。
もちろん牛の後ろには加門がくっついていた。
傷心のCASLLが見上げたドームの入り口には、なぜか『本場スペインから来日、闘牛士』と書いてあった。
冠城・琉人はせっかくだったので、ドームの入り口に垂れ幕を用意しておいた。五百円券を発行してお客さんを入れてみると、そこそこの稼ぎになる。琉人は教会の維持費ゲットに満足しつつ、ドームの客相手に自慢のお茶を振舞うことを思いついた。
いそいそと用意をして、いそいそと客席へ向かう。
「お茶、いりませんかー」
「え? ビールないの」
「すいません、あいにく切らしてまして」
そのやり取りを始終繰り返すことになったが、大成功お茶の売れ行きもよい。
琉人はニコニコしながら、牛の入ってきた芝生を見守っていた。
牛に続いて入って来た深町・加門は周りの異変に気付いていないようだった。
加門はベンチ席の近くに立つ女性シュラインの方へ顔を向けた。彼女はヒラヒラした赤い布を加門に手渡した。
わあああ、と大きな歓声がする。
加門が布を振って源五郎へ近付くと、源五郎は鼻息荒く加門へ向かって行った。身が軽いのか、加門はひらりと布を舞わせて避ける。源五郎はいっそう荒々しく加門へ向かう。何度かそのやり取りがあった後、CASLLが現れた。CASLLに気を取られた加門が、見事に牛に跳ね飛ばされる。しかも、牛はしっかり方向を加門へ変えて、わざわざ加門を踏みつけて行った。
「ぐぎゃ」
加門が一度呻いた。
CASLLはマントをまとっていた。やる気満々だった。
「マンソ!」
CASLLが叫ぶと観客もわく。
夕日は呆気に取られて観客席を見渡した。なにがどうなって入って来て、観客等は何を観ているのだろう。
「どういうこと?」
シュラインはうーんと唸ってから、答えを出した。
「誰れか入れたのね、きっと」
「そんなこと見ればわかるわよ」
源五郎はCASLLへと一直線に駆けていく。CASLLはマントを手放し、両手でがっしりと源五郎にしがみついた。源五郎は首をぶんぶん振ってCASLLを振りほどこうとする。しかしCASLLは離さない。
「これはいい勝負ね」
シュラインが冷静に言う。冷静ではない夕日が野次を飛ばす。
「源五郎、やっちまえ! あんたわ私の獲物よ!」
お行儀が悪いことこの上ない。加門は芝生の上に倒れたまま動く兆しがなかった。
そして、源五郎は一瞬力を抜いたようだった。CASLLが持ち上げようとしたとき、力いっぱい身体を振る。CASLLは見事に跳ね飛ばされる。着地地点へ源五郎は走って行って、CASLLを角でまた放り投げた。
「げ、源五郎やるわね……」
ここまでくると捕獲できるかどうか怪しい。加門が突破されただけではなく、怪力系のCASLLもやられたのだ。夕日はフェラガモの新作が遠のくのを感じていた。
そこへ、又しても新たな勇者が現れた。
「ここで会ったが百年目です」
闘牛場へ現れたのはシオン・レ・ハイであった。
シオンはホームレスとは思えない高級スーツ姿だった。片手に投げ縄を持っている。そして、CASLLの遺体(にあらず)へ近付いて行ってひと撫でし、知らぬ加門の元へも行って頭を撫でた。
そして源五郎へ向き直る。
「旧友の仇!」
投げ縄をブンブン振る。
シュラインは頭を抱えている。
「誰です? あれ」
夕日が聞くと、シュラインは苦笑をしながら言った。
「CASLLさんのお友達?」
「加門とは?」
「……さあぁ」
実際は加門とシオンに面識はない。が、ともかく旧友の仇らしいので、シオンは牛を捕獲する気満々のようだ。
シオンの投げ縄は見事に牛の首へかかり、牛源五郎は大暴れしながら駆け出した。一直線へ出口へと向かっている。シオンは縄を離さず、足が高速スピードで回っていた。もちろんそれが長く続く筈はなく、シオンはバタンと芝生の上へ倒れ、そしてそのまま引きずられて行った。
「加門さんが発信機を付けておいたとはいえ、街に出すのはやばいわ。さっさと二人を起こして追跡よ」
シュラインがCASLLを起こしにかかったので、夕日は加門の頭を突いた。
「ほら、起きなさいよ、ちょっと情けないわね」
ニ、三度小突くと加門は両手に力を入れて身体を持ち上げた。ゆっくりと頭を上げ、いつもの眠そうな目ではなく、ギロリと夕日を睨む。
「な、なに」
「相手は牛だぞ?」
加門は跳ね上がるように起き上がり、キョロキョロと辺りを見回してから時計についている発信機をオンにした。
「許さねえ、源五郎」
「ちょっと、あんた、ちょっと!」
夕日の前から全力疾走で加門が立ち去っていく。CASLLも目が覚めたようで、シュラインに付き添われて立っていた。二人の横を駆け抜けた加門は、すぐに出入り口から消えた。
夕日が呆れ返ってシュラインの元へ行くと、同じく呆気に取られている二人は夕日を見た。
「どうしたの? 加門さん」
「火ついちゃったみたい」
シュラインは意外そうに笑った。
「案外そういうタイプだったんだ、あの人」
それから三人でCASLLのバイクに乗り込み、どう考えても牛が穴を空けて行ったであろう痕を追った。
しばらくすると牛本体と、引きずられるシオン、そしてシオンのことになんて気付いてもいない加門が目に入った。加門は今や牛に乗り込もうとしている。こうなったらロデオ気分というわけらしい。
「シオンを拾わないとまずいですね」
CASLLが言うと夕日は低速のバイクから飛び降りた。素早くシオンの元まで駆けて行き、持っている綱をなんとかして手から引き剥がす。シオンは意識がなかった。CASLLはバイクを停めてシオンを回収し、夕日は三人を振り返ってニッコリと笑った。
「シャネルのスーツよ」
夕日が駆け出す。彼女の足元はまだサンダルである。それをものともせず、加門の乗った牛を追いかけて行った。
シュラインは二人の後姿を見送りつつ、ぼんやりと言った。
「加門さん、源五郎さんに乗るってことは、それなりの覚悟ができてるのかしら」
加門を乗せた源五郎は高速道路を走り、スクランブル交差点をものともせず、大きなビルに風穴を空けながら進んだのである。牛の強固さも気になるが、加門の根性もアホみたいであった。
CASLLはシュラインの考えにうなずきつつ、少し羨ましそうに言った。
「私もロデオやってみたいです」
シュラインとCASLLの真ん中にいるシオンもハイハイと手を挙げる。
「私も、私も」
「捕まえた暁にはやってみるといいわ……」
シュラインが笑うと、シオンは眉根を寄せて二人に訊いた。
「なんで源五郎さんは追いかけられてるんです?」
「賞金首なのよ。四百万の」
金額を聞いたシオンから力が抜ける。落ちそうになるのを、シュラインが必死で支えた。
気を取り戻したシオンは、CASLLにがっしり捕まりながら訊いた。
「宝石でも飲み込んだんでしょうか」
「さあ? どうかしら……」
ビルの風穴が人を乗せた珍妙な形に変わり、そしてCASLLのバイクのガソリンも残り数なくなってきた夕暮れ時、一行はとある牧場へ辿り着いた。
牧場へ着いた途端、加門の根性も尽き果てたのか彼はそこで崩れ落ちた。どうしてだか、源五郎はわざわざ振り返って加門を踏み潰すことを忘れない。
「ぐわっ」
アヒルの鳴き声のようなうめき声が一つ洩れる。
CASLLはバイクを停め、牛の中に紛れた源五郎を探した。
「牛を隠すには牛の中……やるわね、源五郎」
シュラインはやけに納得した口調で言った。
「四百万あったら何に使いましょうか」
シオンがルンルンで夕日に振る。夕日もルンルンで答える。
「ブルガリの時計を買って、プラダのバックを買って、シャネルのスーツを買って、エルメスのバーキンを買って、あとーあとねえ……結婚資金も貯めちゃおうかなあ」
夕日の言っている物を全て買ったら、おそらく全てパーだろう。貯める金など残るまい。
「私は、コンビニでまず大きなキノコタケノコを買います。それから、プッチンプリンを……あと、お肉は一割いただける筈なので、一割でタンを」
むっくりと加門が起き上がる。
「牛……牛……あっぱれな、牛」
うわ言のようにつぶやきながら、加門は牧場内へ入って行った。
顔を見合わせた四人も、加門に続いて入ってみる。すると、牧場の中で源五郎らしき牛と牝牛が見詰め合っていた。
CASLLがはっと気が付いたように言った。
「やっぱり、恋人を探していたんですね……」
CASLLはシートを開け、中から缶ビールを人数と源五郎分を取り出して、肩からギターをかけた。
「ブルース、ブルース、ビーフ・ブルース」
声高に唄いながら、全員に缶ビールを配る。どうやら加門も牛捕獲は諦めたのか、それとも先延ばしにしただけなのか、缶ビールを開けた。
「乾杯!」
とそれぞれ違う思惑の下で乾杯し、牛にもビールを飲ませる。CASLLが口へ流し込んでやると、源五郎は美味そうにビールを飲んだ。
「四百万はどうするかだが」
加門が本題を切り出す。
「私は一割のタンで結構ですよ!」
ニコニコとシオンが笑う。
「……かわいそうだからこのままってわけには……いかないわよね」
シュラインが頭を抱える。
「当然警察が捕えるべきよ」
夕日が下心満載に主張した。
しかしCASLLは、切なくギターをかき鳴らしながら涙して唄った。
「ローミオとジュリエーットようやくー、会えた二人の逢瀬は、誰にもー、邪魔はさせなーい」
そしてどこからともなくチェーンソーを取り出した。
「邪魔はさせません」
キラーンとCASLLの片目が光る。
加門が身構える。
「お前とやり合うときが来ると思ってたぜ」
「丁度いいわ、相撃ちになさい。そして、もっと遠くでやってなさい」
夕日が二人には全く興味なさげに言い切る。
シュラインははあと溜め息をついて、とりあえず二人の間に割って入る。
「話し合いましょうよ、……牛は参加できないけど」
「そうですよ、牛は全員で分割しましょうよ。カルビは譲ります」
「……そういう問題じゃないんだけど」
ついシオンの頭をペシンと叩いてシュラインが言った。
シュライン以外の全員が牛を巡って対立を繰り広げていたとき、ふいに全員の声動き全てが静止した。
――え?
冠城・琉人が牧場の隅から、お茶をすすりながら登場した。
「はじめまして、こんにち……いやこんばんは。私、神父を営んでおります」
どうしてだか全員が動けない。それは、牛達も同じようだった。
琉人は確かに神父のようだった。黒い帽子に黒く長い服を着ている。ロザリオも下げていた。
「ちょっとした術をかけさせていただきました。いやはや、教会の維持費も大変なものなのです。こういう破格の賞金があると、とても助かります」
モー! とは一度も鳴かずに、どういうわけか源五郎が琉人の前にフワフワと移動した。
「皆様のお名前、ご住所調べております。このお礼は後日、させていただきますので」
ニッコリと琉人は笑った。
「骨折り損のくたびれ儲け、ご苦労様でした」
そして源五郎と共に琉人は去って行った。
――エピローグ
シュラインは興信所へ電話をかけている。シュラインの隣では夕日が打ちひしがれていた。
「武彦さん? 何が食べたい? そう、お夕飯。まだでしょ?」
返答はハンバーグだったので、今夜は豚肉と鶏肉の肉でハンバーグを作ることに決定した。涙を溜めている夕日に、仕方なく声をかける。
「ご飯食べに来る?」
夕日の白いズボンは土で真っ黒だった。洗えば落ちるだろうか、といらぬ心配をした。
「……すいません、いいんですか」
気の抜けた声で夕日が聞き返した。
「ええ、どうぞ」
シュラインは微笑んだ。CASLLのバイクに乗り込んだ男三人が発進する。
「俺達は、源五郎の行く末を見てくる」
「そう、行ってらっしゃい」
CASLLはアクセルを回しながら言った。
「私達とあれほどの戦いをした牛! 変な美食家になんか食べさせません」
「そうです! タン、カルビ、プリン、コアラのマーチ!」
三人はなくなりかけたガソリンを気力でカバーして出て行った。
三人が三人ともイマイチ目的がバラバラのような気はしたが、加門の発信機の状態では既に換金は過ぎているようだったので、もう四百万が目的ではなかろう。
後日、加門の家にはお茶のパックが届いたが、誰も牛とお茶を関連付けなかった。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3356/シオン・レ・ハイ/男性/46/びんぼーにん 今日も元気?】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/24/警視庁所属・警部補(キャリア)】
【NPC/深町・加門(ふかまち・かもん)/男性/29/賞金稼ぎ】PC登録してあります。
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■ ライター通信 ■
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「ビーフ・ブルース」にご参加いただきありがとうございます。
文ふやかです。
微妙なコメディです。最近不発で申し訳ないです。
ご意見、ご感想等お気軽にお寄せ下さい。
また、お会いできることを願っております。
文ふやか
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