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<東京怪談ノベル(シングル)>


紫陽花な恩返し?

 物事の始まりと終わりがどこにあるか、明確に定義するのは難しい。
 スタートのピストルが鳴る事で始まり、ゴールのテープを越える事で終わる陸上競技ですら、スタートの合図から0.1秒以内にスタートするとフライングであり、『始まり』にならない等の規則がある。
 機械的に時間で区切られる陸上競技ですらそうなのだから、抽象的な事柄になると、どこから始まってどこで終わるのかという事は、本当にわかりにくいものだ。
 例えば、梅雨という季節。
 梅雨が何月何日に始まり、何月何日に終わったかという事など、気象の専門職の者でもない限り明確に定義しようとは思わないだろう。
 何となく始まり、何となく終わる。多くの人が、梅雨という季節をそういう風に認識している。
 海原みなもの場合も、基本的には似たようなものであった。
 ただ、彼女なりの基準があった。紫陽花である。
 紫陽花の花が咲き始めたら梅雨の始まりで、紫陽花が枯れ始めたら梅雨の終わり。そんな風に彼女は思っていた。
 …別に、そんなに紫陽花に思い入れがあるわけでもないんですけどね。と、みなもは、今日ものんびりと学校から帰る途中だった。
 ふと、みなもは足を止めた。
 小さな、丸い貝のようなものがコンクリートの壁に張り付いている。
 カタツムリかな?
 何となく、干からびているようにも見える。
 そういえば、ここ三日位雨も降ってませんでしたし、乾いちゃったのかな。と、みなもはカタツムリを優しく手に取って家まで持ち帰ると、庭の紫陽花の花壇に放した。庭の花壇なら定期的に水を撒くから、カタツムリも干からびる事は無いだろうし、食べる物にも困らないだろう。
 みなもは、それからしばらくの間、庭の花壇に放したカタツムリをじーっと眺めていた。最初はピクリとも動かなかったカタツムリだが、やがて殻の中からニョロっと角や体を出すと、紫陽花の葉の陰へと消えていく。
 カタツムリが消えていった、みなもの家の紫陽花の花壇も、そろそろ花が枯れかけていた。いよいよ本格的に梅雨も終わりなのかな。と、みなもは思った。
 …これで終われば、ただの日常の風景なのだが、今回はそうでも無かった。
 みなもがカタツムリを庭に放した、その日の夜の出来事である。
 「あのー、今日はありがとうございましたー」
 ベッドで寝ていたみなもは、やけにのんびりとした女性の声で目を覚ました。
 「あ、はい、どういたしまして?」
 誰だろー。と、みなもは女性の方を見た。
 女性は裸であったが、背中に貝殻のようなものを背負っていた。頭には柔らかい角のような飾りを付けている。
 「あー、昼間のカタツムリさんですね。おつかれさまですー」
 寝ぼけていたせいもあるのだろうか、みなもは、やけに素直に、女性の事を昼間のカタツムリだと思った。
 「はいー、昼間は危ない所をありがとうございますー。
  そのお礼に参りましたー」
 女性は、とにかくのんびりとした声で話す。
 「お礼ですかー?
  いえいえ、お気遣いなさらず結構ですよー」
 みなもも、釣られてのんびりと話した。
 「いえいえー、そんな事を言わずにー。
  とりあえず、こちらの貝殻を背中にどうぞー」
 と、女性は自分が背中に背負ってるのと同じような、大きな貝殻をみなもに示した。
 「はいー、それでは、お世話になりますー」
 あんまり断るのも悪いかとおもったみなもは、女性から貝殻を受け取ると背中に背負った。
 貝殻は、まるで体の一部かのように、みなもの背中にぴったりと張り付いた。
 「その貝殻を背負っていると、一晩だけ、私達の仲間になれますよー。
  是非、そのままパーティーにいらして下さいですー」
 「わかりましたー」
 では、窓の外へどうぞ。
 と女性が言うので、みなもは女性と一緒に、のんびりと部屋の窓へと歩く事にした。
 ぬるぬるー。と、みなもは額に汗のようなものを感じたが、よく考えると、それはカタツムリと同じ粘液だった。
 「ちょっと、ベタベタして気持ち悪いですねー」
 「大丈夫ですよー。
  一年位すれば慣れますから」
 なるほど、確かに一年もすれば、カタツムリ生活にも慣れるだろう。
 みなもと女性は、のんびりと窓へと行き、そのまま庭に出た。
 「へー、うちの庭って、こうして見ると広いんですねー」
 庭に広がる、やけに広大な紫陽花の花壇を、みなもは眺めた。カタツムリの視点で眺めると、庭の花壇も広かった。見れば、カタツムリの仲間が紫陽花の葉で夜食を取っているようである。
 「こんばんはー」
 「今日は仲間がお世話になりましたー」
 カタツムリの仲間が、みなもに声をかけてきた。
 「いえいえー。
  そろそろ、梅雨も終わりですねー」
 などと答えながら、みなもはカタツムリ達と話を始めた。
 「最近、住みやすい草花が減って困ってますー…」
 「アスファルトは、熱いから嫌いですー…」
 どうやら、最近は住みにくいらしい。夜のうちにアスファルトの地面に迷い出て、翌日の昼間に干からびてしまうカタツムリも居るそうだ。
 「いつも紫陽花に水を撒いてくれて、ありがとうございますー」
 「私も水が好きですから、気にしないで下さいー」
 みなもとカタツムリ達は、何やら意気投合しているようだ。
 ぼーっと、みなもはカタツムリ達と歓談を続ける。
 みなも達の周囲に生えている、紫陽花の花と葉っぱは、良い香りだった。
 そういえば、カタツムリ達は、みなもを歓迎する為に色々な葉っぱを用意してくれていた。
 はむはむ。と、みなもも葉っぱを頬張ってみる。
 人間の味覚だと苦いだけの葉っぱだったが、カタツムリの感覚だと、とても美味しく感じた。
 のんびり、のんびり。
 カタツムリのパーティは過ぎていった。
 みなもは、静かに目を閉じた…
 やがて周囲も明るくなり、日が昇ってきた。
 朝である。
 カタツムリ達も、日差しを避けて葉の陰に隠れた。
 いつのまにか眠っていたみなもは、日差しを受けながら目をこする。
 …夢…だったのかな?
 気づくと、みなもは部屋のベッドの中に居た。
 夢か現か?
 いつの間にか、みなもはカタツムリになって、カタツムリのパーティに参加していた。
 そして、いつの間にか、気づけばベッドに寝ていた。
 いつ始まって、いつ終わったのか、はっきりわからないカタツムリのパーティである。
 ただ、一つ確かな事は、みなもの口の中に、紫陽花の葉っぱの苦味が残っていた事だ。
 カーテンの隙間から差し込む日差しは、そろそろ夏の日差しだ。
 みなもは、部屋のカーテンを開けた。
 それが、梅雨の終わりにみなもが体験した、小さな出来事だった…

 (完)