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『 Have a hope day 』
時計専門店『羈絏堂』の隅に置かれたグランドファザークロックの鐘の音が静かに鳴り出した。
左目にモノクルをはめて小さな懐中時計の修理をしていたユーンはその作業の手を止めて、モノクルを外すと、両手を上に向けてうーんと伸びをした。
鳴り続ける鐘の音は無意識に数えていたらしい。文字盤を見る事無く今の時刻を把握する。
「2時か」
ユーンは苦笑しながら呟いた。
「どうやらまた時計の修理に没頭したらしいな」
立ち上がって背後を振り返る。そこに置かれた向かい合う二つのソファーにはそれぞれに双子が寝ていた。双子はとても気持ちよさそうな顔で寝ている。寝室はちゃんとあるのに双子の寝床はほとんどがこのソファーの上だ。なぜなら眠くなったらちゃんと寝室に行ってベッドの上で眠るようにといくらユーンが言い聞かせても双子はこの部屋で時計の修理をするユーンに付き合ってソファーの上を離れようとはせず、そして結果ソファーがそのままベッドとなってしまうからだ。
苦笑しながらユーンは双子の頭をそれぞれそっと起こしてしまわないように撫でて、ソファーの真ん中に置かれた長方形の机の上に視線を移した。そこにあったのはこの時計専門店『羈絏堂』がある辺りの地図だ。目下この双子はこの近辺の地図を作るべく画策中で精力的に動いている。ユーンといえばそんな二人をものすごく微笑ましそうに見守っている。
双子の一方が眠っているソファーの背もたれの上に神々しく神秘的な姿をした鳥によく似たモノがとまった。それはこの時計専門店『羈絏堂』について囁かれるいくつかの噂話の一つともなっているモノで、曰く時計専門店『羈絏堂』には鶏の姿をした何かが店内に現れて、そこを訪れたお客を出迎えてくれると。
「どうした、精霊よ」
ユーンは双子に向けていたモノと変わらぬ笑みを浮かべて、その精霊に話し掛けた。
精霊はユーンをじっと見つめた後に、その視線を店の玄関の方に向けて、そしてその場から空間に溶け込むようにして消えた。
それに何かを感じたのかユーンは玄関に向かい、彼がその戸の前に立った瞬間におもむろに来客者が戸を静かにノックした。
+
夏、水辺に蛍光の光が飛び交う季節に実しやかに囁かれる噂がある。
その噂とはこうだ―――――
毎年、蛍が飛び交う頃になると開かれる店がある。
その店は風鈴の音を聞かせる風鈴屋。
店主は色黒でスキンヘッド。その容貌に付け加えてサングラスをかけている。そのサングラスの下はオッドアイとか、義眼とかまあ、数多くの噂があるが、どれが一番信憑性があるかと言えばおそらくはこの説だろう。
その店主のサングラスの下にある瞳は見る者に禍々しさを感じさせる蒼。その蒼の瞳を見た者は・・・。
だが同時に囁かれる噂には外見は怖そうだが、性格は気さくで、なぜかグランドピアノの調律師の資格を所持している、というものまである。
一体何処までが本当でどこからが嘘で、そしてすべてが本当なのか、すべてが嘘なのか。
しかし本当に信じられぬ噂はその風鈴屋は天寿を全うした人が亡くなる寸前に、ほんの少し残した魂から、風鈴を創り出すというもの。もっとも殺人、事故死、自殺などの魂からは風鈴を創り出すことはできないということだが・・・。
それが都市伝説に囁かれる噂。
その実しやかに都市伝説において囁かれる風鈴屋の名前はこう呼ばれている・・・
―――――――『蛍の風鈴屋』と。
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「よぅ、死にぞこないの時計屋」
久々に会った幼馴染み兼親友に対する第一声がこれだ。久々に会った感慨とかそういうモノとは無縁の砕けた親友の訪問。それでもそれに対しては素直に嬉しいとも想うし、また感謝もしたい。死にぞこない…その言葉に込められた親友 セイ・フェンドの想いは幼馴染みであり親友でもある…だからこそユーンが一番理解できる。
ユーンは苦笑した。
「ああ、残念ながらまだ生きているよ。死ぬわけにはいかないのでね。師匠から受け取ったこの時計屋、そこに住む精霊、それに双子や…時折思い出したようにやって来るどこぞの寂しがり屋の風鈴屋とか気がかりがたくさんあるんでね」
にやりとどこか悪戯っぽいだけど同時にとても温かく優しい感じのする微笑を浮かべるユーンに今度はフェンドが苦笑した。
「って、誰が寂しがり屋だよ」
「そうだとは自分では気づいていない風鈴屋だよ」
「風鈴屋は腐るほどいるな」
「ああ、これは言葉が足りなかったか。外見は怖そうだが本当は気さくな正確でグランドピアノの調律師の資格を所持している都市伝説に囁かれる『螢の風鈴屋』だ」
「はぁー、それは誰だろうなって、俺かよ」
「ご名答だ、フェン」
「はっ、嬉しかねーよ」
にやりと笑うユーン、おどけたように気だるそうに片手を振るフェンド。だがそこには穏やかで楽しげな空気しかなく、もしもこの光景を誰かが見ていたら、その人は顔を微笑ましさに緩めていたに違いなかっただろう。
「さてと玄関先でなんだから中に入れよ。コーヒーの一杯でも奢ってやるさ」
「ああ、それは当たり前なんじゃないか。久方ぶりに尋ねてきた親友であり幼馴染みの俺を接待するんだから」
ユーンはため息を吐いた。
「本当におまえは変わらないな」
「ああ、変わらないように変わっていくようにしているからな。おまえと違って、ユーン」
その瞬間に空気が重苦しいモノに変わった。だけどユーンはそれに気づかないふりをしてどこか作り物めいた(実際無理やり顔に貼り付けているのであろう)笑みを浮かべた顔をしたままフェンドに背を向けて、部屋の奥にと入っていった。
その後ろ姿はまるで周りにあるどこかよそよそしい闇に溶け込んでいくようで、それは雄弁にユーンの危うさを語っているとフェンドには思えてしょうがなかった。
+
雨が降る日に、
大切なモノを失って、
絶望して、
諦めて、
投げやりになって、
ただ生と言う名の無機質で怠惰な日々を送っていたユーンは、
拾われた。
この・・・
時計専門店『羈絏堂』の先代店主に。
初めて此処にユーンを訪ねてやって来た時に彼女を見た時、正直俺は泣きたくなった。
その時はその感情が何処から来て、どうしてそんな感情を自分が抱いたのかわからなかったが、それでも俺は後々から………
そう、彼女がユーンにこの店を任せて旅立った時に自分のその感情に気づいた。俺は彼女に母親を感じていたのだ。深い母性を。優しさを。安心感を。
どうしてほんの数刻前までは身も知らなかったただの他人の彼女にそれを感じたのかは理解できない。
それは彼女の優しさを、ユーンを助け、彼に居場所を与えたという行為に見たからであろうか?
それとも彼女が浮かべた甘やかな笑みのせいか、もしくは彼女が纏う雰囲気のせいか………。
とにかく俺はそういう風だったんだ。
俺とユーンは幼馴染みであり親友。だがユーンが俺の隣に現れるまでには26年の時があった。
その26年が俺に与えたモノは大きい・・・
一族の有望な若者として誕生した俺。
早くからの特別待遇の一方でしかし一族から余所余所しい扱いを受ける事になった。その理由はこの蒼い瞳………
………見る者の心に禍々しさを感じさせる蒼い瞳。
その蒼い瞳のせいで、俺は・・・
―――――だけど・・・
―――――――『海とお空の色』
この呪われたような蒼い瞳を、
俺は自分でも心の奥底から忌み嫌い、
嫌悪していた。
だけど『あの子』はその俺の…俺自身が自分でも忌み嫌ってしまう瞳をそう評してくれて、
それだけじゃなくってその俺の瞳を見つめながら笑いかけてくれたんだ。
ああ、それがどんなに嬉しく、そして幸せだったろう。
―――――俺はその瞬間に自分の存在を許されたような気がしたんだ。
ユーンに案内されるままに俺は部屋の奥にまで来て、それでそこにある光景を見て呆気に取られて、そしてそのままつい苦笑してしまう。
「この双子はいつもここで寝ているな」
「ああ、俺の仕事の終わりを待つんだと言って二人ともそこに居座って、そのままさ。いつもの光景だ」
「いつもの光景ね。いつもの。つまりおまえはそうやっていつもこの双子たちに心配をかけているってことだ」
「フェン・・・」
俺は俺を見るユーンの視線にも言葉にも答える事は無く、ただ時計屋の窓縁に腰を下ろし、何処かからか聞こえてくる時の狂った鳩時計の刻を知らせる音を聴きながら瞼を閉じた。
「今日も良い音が響いてンなぁ、ユーン。良い音で俺らに時を知らせようとしている。例え時が狂っていたとしても動いてる時計はこうやって時を忘れはしない。だけど時が止まった時計は………。ユーン、おまえは色々と背負いすぎだ。そんなんじゃあまた刻の針が止まっちまうぞ。双子の坊主達も心配している」
「ああ、わかっている」
ユーンは温かい湯気を上らせるコーヒーが入ったコップを俺に渡してきて、俺はそれを受け取った。
口から含んだ温かみは喉から胸に落ちて、身体の内側がぽぉーっと温かくなって、それはどこかユーンと『あの子』にこの蒼の瞳を見つめられながら話している時の感覚に似ていた。
+
窓縁に腰を下ろし、膝の上の精霊を撫でるフェン。
俺はその彼を右斜め後ろにおいて彼と談笑しつつ時計の修理に勤しむ。
先ほどまでは時計の秒針や、二本の時計の針が動く音が聴こえてきそうな程に静寂に包まれた空間であったのに、今はただ心地良い親友の声が響く空間に変わっていた。
心地良い空間………
―――――時間の共有。
それは誰でも出来る訳も無く、過去に傷を持つ俺もフェンもそんなモノを共有できるのは数少ない。
その中の一つがフェンであり、
そして双子であり、
時計屋の精霊であり、
例えば闇の調律師の師弟や、この店の常連客。
感じずにはいられない、止まっていた時計の針がほんの少しずつ動いているのを。
―――――時計の針が動き出したのが何時かなどという問いには答えられる。それは間違いなくこの時計専門店『羈絏堂』を託してくれた師匠に出会えた瞬間から。
そして俺はまた言い切れた。逆に時計の針が止まったのはいつかも・・・
「あの頃の俺は子どもという類のものは全て苦手だった。だけど『あの子』に出会い、俺は変わった。俺にとって『あの子』との出会いは…あの子の存在はそれほどまでに大きなモノだったんだ。己を変えてしまうぐらいに」
「ああ、わかるよ。双子どもにすら俺のこの蒼い目は恐ろしく想えるのにだけど『あの子』はその俺の目を見つめてくれた、ユーン、おまえのようにな。だから俺にとっておまえも『あの子』もとても大切なんだ」
そう、フェンの蒼い目はあの双子たちすらも恐れてまともに見る事はできない。
そのフェンの蒼い目を『あの子』は『海とお空の色』と称した。
そして俺には・・・
俺は一族に『あの子』が生まれた頃、一族の全てからただの殺人をする汚らわしい道具………モノとしてしか扱われていなかった。
荒んでいく心。
荒れていく行動。
だけどそんな俺を見かねたフェンドが俺を『あの子』に秘密裏に会わせてくれた。
そう、それがあの子との初めての出会い。
汚らわしい殺人の道具よ、と罵られていた俺に、だけど『あの子』は俺をじっと見上げ、おもむろに足にぎゅっとしがみついてきた。
―――――そして『あの子』が俺に言ってくれた・・・
………くれた言葉―――――
「あのね………幸せのおすそわけ」
幸せのおすそわけ
俺が、幸せそうには見えなかった?
そうだろう。俺はその時に顔に笑みを浮かべてはいなかったから。
無表情だったから。
幸せそうには見えなかった俺。
かわいそうな俺。
不幸な俺。
薄汚い殺人の道具の俺。
俺
おれ
オレ
シアワセソウニハミエナクッテ、カワイソウデ、フコウデ、ウスギタナイサツジンノドウグナオレ・・・
そんな俺に『あの子』はくれた、幸せを。
『あの子』はどれだけの幸せをおすそわけしてくれたのだろう? おすそわけのその量は?
―――――だけど俺の足にしがみついて、俺の顔を見上げて、俺の瞳から零れ落ちた涙に顔を濡らしてそれでもにこにこと幸せそうに楽しそうに笑う『あの子』のそのおすそわけしてくれた分だけで、だけど空っぽで無機質で、渇いていて、凍っていた俺のすべては満たされたんだ。
「ぁ・・・」
俺はそのお礼の言葉を、感謝を、その時の想いを、俺は俺が今感じているすべてを言おうとした。だけどそれをどう、どのような言葉で、音声化すればいいのかそれが俺にはわからなくって、
それが嫌で、苦しくって、哀しくって、
でも・・・
そんな俺に『あの子』はとても優しく微笑んで、今まで以上の力で俺の足にしがみついてくれたんだ。
それはちゃんと俺のこの言葉にはできない想いが伝わったよ、っていう言葉。
ああ、だから俺は・・・
そのままその場に跪いて、両手で『あの子』をぎゅっと抱きしめたんだ。
―――――だけど『あの子』は・・・
+
俺にとってもユーンにとっても『あの子』はとても大きな存在なんだ。
――――だけど『あの子』は・・・
だから俺もユーンもこの長い間、『あの子』を探し続けてきた。
そして・・・
「ユーン」
「ん、どうした?」
「ああ。実はなユーン、実は………実は―――――」
+
あの子が生きているかもしれないんだ・・・
都市伝説に囁かれる風鈴屋。
毎年、螢が飛ぶ時期に、悲しみに囚われた遺族は気が付くと店先に立っており、
風鈴の音を聞いて悲しみを癒してゆく。風鈴が招く人々を見届けるのがその風鈴屋の仕事。
「ああ。実はなユーン、実は………実はあの子が生きているかもしれないんだ」
そのフェンドの言葉にユーンは思わず椅子から腰を浮かせた。
そしてフェンドの方に歩きかけて、だけど何かを恐れるようにその足を止めてしまう。
「フェン。それは本当の事なのか?」
「ああ、間違いないよ、ユーン。俺の店に来た客が教えてくれたんだ。おまえが『あの子』にもらった銀時計とよく似た時計を持つ男……銀の髪に青の瞳を持つ男が『あの子』と一緒に居るところを見たという客が居たんだ。その男の容姿は銀髪の青の瞳としかわからないが、それでも『あの子』が生きているという事がわかったんだ。それだけでも…」
「ああ、それだけでも俺達にとっては前進だ」
ユーンはその場に座り込み、フェンドはそんな彼に苦笑しながらユーンの前に立ち、彼に手を伸ばした。
「生きている事はわかった。だから次の目的地までの道は見えた。俺はその道を進むがおまえはどうする、ユーン?」
「決まっているさ。俺もその道を進む」
そしてユーンとフェンドは手を握り合った。
「ユーン、どうしたの?」
「あ、風鈴屋だ。見ちゃダメ」
ソファーの上で双子が起きだした。
ユーンとフェンドは見合わせあった顔に苦笑に近い表情を浮かべあって肩を竦めあう。
そしてフェンドは服の胸ポケットに仕舞い込んであったグラサンをかけた。
「じゃあな、ユーン。俺はそろそろ帰るわ」
「ああ、悪かったなフェン」
「いや、いいさ。俺とおまえの仲だろう」
「ああ」
そしてユーンとフェンドは握り合った拳を軽くぶつけ合って、
フェンドは帰っていき、
ユーンは双子を寝室に寝かしつけると、店の外に出て真ん丸い月を見上げた。
顔にはとても優しく、そして希望に満ち溢れた表情を浮かべて。
道。
それは繋がっているモノだ。
それは続いているモノだ。
しかしだからと言ってそれはその道を歩いていかなければどうしようもない。
時には苦しい事もある。
時には哀しい事もある。
投げ出して、捨てて、諦めて、そうやればそれは楽かもしれないけど、
それでもほんの少しずつでも、ゆっくりでもいいから歩けばそうしたらそれは、その道をそうやって歩けば気づけば行きたかった場所に、望んだ場所に、まったく予想しなかっただけどとても幸せな場所に、行き着いているモノだ。
そしてその道は・・・
ユーンが今歩いている道は間違いなくあの雨の日から選び歩き始めた道であった。
雨の日に見たかすかな希望は、
今、確かなモノとなってユーンが歩く道の先にある。
あとは・・・
「師匠、俺はこの道を絶対に歩きとげ、そして今度は『あの子』とまた歩ける道をそこから歩き始めます。たとえこの道が荒れ果てた獣道でもその先にあるのは願ったモノだから」
その日、ユーンは希望を持った。
ライターより
こんにちは、シン・ユーンさま。いつもありがとうございます。
こんにちは、セイ・フェンドさま。はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
物語は動き始めたのですね!!!
ずっとユーンさんと『あの子』の物語が気になっていたので、本当に今回のお話を担当させていただけて嬉しかったです。
新たなる謎の人物も出てきてすごく大変そうですがユーンさん、フェンドさん、がんばってくださいね。^^
ユーンさんの設定も本当に素敵で、すごいと想いましたが、
フェンドさんの設定もカッコ良いですね。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきます。
本当にありがとうございました。
失礼します。
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