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デンジャラス・パークへようこそ 〜小さな相談者〜
「初めましてなの」
蝉の声が降りしきる夏の午後、井の頭公園にやってきたのは、あどけない大きな目をした緑の髪の少年だった。
ぴょこんとお辞儀をした拍子に、背負ったクマのリュックがずり落ちそうになっている。
閑古鳥の大群が押し寄せるボート乗り場で、その日何十回目かの大あくびをしていた鯉太郎は、可愛らしい挨拶をした珍客に目を見張った。
「んぁ? どうした坊主。迷子かぁ?」
「ううん、なの」
「お母さんとはぐれたんなら、お兄ちゃんが一緒に探してやるぞ?」
小さな子どもには面倒見の良い鯉太郎は、少年の目線に合わせてしゃがみ込んだ。しかし少年は、首を横にふるふるとさせる。
「かみさまを、探してるの」
「神様ぁ?」
鯉太郎はんーんと唸り、難しい顔で宙を睨む。
「……そりゃあ悪いが、力になれそうもないな。ここには神さまなんていねぇぞ?」
皮肉でも意地悪でもなく、ごく自然に鯉太郎は言った。彼にとって弁天は、神様の範疇には入らないのである。
「そう、なの?」
少年の大きな瞳に落胆が浮かぶ。
「でも、持ち主さんが言ってたの。ここには『えんむすびのかみさま』がいるって」
「縁結びの神さまねぇ……」
より一層、眉間の縦皺を深くして鯉太郎は考える。
……何となく該当者がいるような気もする。しかしまさか、縁結びのご指名で、こんな小さな子が弁天を訪ねてこようとは信じがたい。
「うーん。そんなありがたい神さまに心あたりはないけどなぁ……」
「鯉太郎どの? お客さまですか?」
弁財天宮の方向から、疲れ切った面持ちの蛇之助が現れた。銀の髪は乱れ、白衣は汚れてあちこち破れているのが目立つ。
「うわっ蛇之助。どうしたんだよ、そんなぼろぼろになって」
「はぁ。わけあって、お化け屋敷に改造された弁財天宮地下4階に幽閉されまして。たった今、命からがら抜け出してきたところです。……この方は?」
「それがなぁ、『縁結びの神さま』とやらを探してるらしいんだ」
「『むさしののこうえん』にいるって、聞いたの。ここ、『むさしののこうえん』じゃないの?」
少年はすがるような目で蛇之助を見上げた。蛇之助も鯉太郎同様に、世にも難しい謎を突きつけられた顔になり、たっぷり3分間、考え込む。
「武蔵野と呼べる地域は広うございますし、公園もたくさんありますが、不勉強にして、そのような霊験あらたかな神さまのお噂は聞いたことがございませんね。どのへんにお住まいの神さまなのか見当がつけば、私がご案内することもできるのですが」
深い溜息をつき、そう呟いた時である。
「本気で言うておるのか、おぬしらは!」
びゅん!
弁天の怒号と共に、大きく重い何かが宙を飛んできた。蛇之助は反射的に、それをはっしと受け止める。
それは……一抱え以上もある大きな西瓜だった。
「弁天さまぁ……。よりによってこんなもの放り投げないでくださいよぉ。何なんですか一体」
「駅ビル内の青果コーナーで安売りをしておった。せっかく皆で食べようと買ってきてみれば、井の頭池の主からも眷属からも随分な言われよう。わらわのガラスハートはいたく傷ついたぞえ」
弁天はボートの料金表に大げさに寄りかかり、服の袂をそっと目に押し当て、よよよと肩を震わせてみせた。
「ガラスハートな女神さまとは、眷属を特設お化け屋敷に閉じこめたり、西瓜を投げつけたりしない方のことを言うんです!」
「それはともかく、このお客人は――オリヅルランの化身じゃの。わらわを探していると見たが、どうじゃ?」
弁天はけろっと真顔に戻り、少年の顔を覗き込む。
少年は大きな瞳をさらにまんまるにして、じっと弁天を見つめてから、小さな花がほころぶように笑った。
「きれーなおねーさんなのー」
「な」
両手を口に当てて驚愕のポーズを取ったあとで、弁天は少年をしっかと抱きしめた。
「何という正直ものじゃ! 愛いやつよのう。しておぬし、名は何と申す?」
「藤井……蘭、なの。……むぎゅ」
「弁天さま弁天さま。いたいけな花の化身にあまりハードなことをなさっては」
おろおろと止める蛇之助を気にもせず、弁天は蘭を抱き込んだまま頭を撫でている。
「おぬしは、わらわのことを誰かに聞いて訪ねてきたのであろう? 思うに、おぬしではなく、知り合いなり友達なりが恋愛問題で悩んでいるとみたが?」
「そうなの」
弁天がちょっと力を緩めたので、ようやく蘭は一息ついた。
「えっと、僕のお友達に楓の木さんがいるの。その楓の木さんがね、『恋』をしているみたいなの」
「ほう」
「でも僕は『恋』ってわからないから、持ち主さんに聞いてみたの。そしたらここに『えんむすびのかみさま』がいるって」
蘭は弁天を見てにっこり笑う。
「おにいさんたちは知らないって言ったけど、おねーさんが『えんむすびのかみさま』なんだよね?」
「いかにも! 迷える善男善女の恋のキューピット、井の頭公園の弁財天とはわらわのことぞ!」
「よかったなの。楓の木さんのなやみを聞いてあげてほしいのー」
「あいわかった。わらわにまかせるが良い。どんな恋の苦悩も立ちどころに解決じゃ!」
弁天はぽんと胸を叩いた。その背に、縁結びモードの薄紅色のオーラが燃え上がる。
蘭は、期待に満ちたきらきらしたまなざしを向けていた。
「……おい、あんなこと言ってるぞ。止めろよ蛇之助。失敗したらあの子がかわいそうだ」
「止めたいのはやまやまですが、ああいう状態の弁天さまを制御するのは、八百万の神々が束になっても不可能だと思います」
「しようがねぇなあ。うぉーい、弁天さまに蘭の坊主。恋もいいけど、とりあえずこの西瓜食わねぇか? でかいから、ハナコとかデュークとかも呼んでさぁ」
蛇之助が持ったままの西瓜をぽんぽんと叩きながら、鯉太郎は言った。
* *
「東京で食べる西瓜ってさー。出始めのころの産地って南の県だけど、だんだん北上していくんだよね。そんで、東北の県がメイン産地になったら、あーそろそろ夏も終わりだなって、ハナコ、思ったりするの」
「エル・ヴァイセには、このような果物はありませんでした。少々、食べにくいですね」
「ハナコ! がつがつ食べながら、そんなしみじみした話すんなよっ! デューク! ナイフとフォークなんか使ってんじゃねぇ。がぶっと行け、がぶっと」
「弁天さま。ちゃんと人数割で切ってあるんですから、私の分に手を出さないでくださいよぉ」
「蛇之助の方が大きめではないか! ひとくちお寄こし。それで公平じゃ」
「おいしいなのー」
蛇之助が6等分した西瓜は、蘭・鯉太郎・蛇之助・弁天にハナコとデュークを加えた6人によって、弁財天宮前のベンチで騒々しく食べられることとなった。
今のところ、弁天は西瓜を食べることに気を取られていて、蘭の縁結びの相談は失念しているように見える。
(ありがとうございます、鯉太郎どの。弁天さま、忘れてるみたいです)
(よっしゃ。西瓜の皮を捨てに行く振りをして、今のうちに蘭の坊主を公園から逃がしてやろう)
蛇之助と鯉太郎はいらぬ犠牲者を出さぬため、ひそやかな計画を囁きあった――のだが。
誰よりも早く西瓜を食べ終わった弁天は、皮をちゃっかり蛇之助に押しつけて、すっくと立ち上がった。
「それでは、その楓の木とやらのもとへ出向くとしようかの。蘭、案内せい」
「うん、なのー。ごちそうさまでしたなの」
蘭は西瓜の皮にぴょこんとお辞儀をしてから、クマのリュックを背負い直した。
「あっ」
「ああっ」
「……む? どうした? 蛇之助も鯉太郎も、西瓜の種が喉につかえたか?」
「いや、あーと、そうだ、おれも一緒に行っていいかな? その、楓の木が、そりゃもうものすごく心配で」
「私もお供いたします。楓さんのことを考えますと、いてもたってもいられません」
「おぬしらがそんなに縁結びに熱心とはの? まあ良い、ついて参れ」
「楓の木さんは『しんじゅくぎょえん』にいるのー」
吉祥寺駅に向かって、蘭が走り出す。
かくして、弁天に蛇之助と鯉太郎を加えた異色の縁結び隊は、しばし井の頭公園を後にした。
* *
広大な新宿御苑の中でも、その楓はひときわ目立った。
回りじゅうの木々が滴るような濃い緑であるのに、くだんの楓一本だけが、紅葉していたのである。
「これはまた……。見事ですね」
「うーむ。時ならぬ秋景色じゃな」
「つーか、もし恋わずらいでこんなになってるとしたら、相当な重症じゃねぇか」
「楓の木さんー。えんむすびのかみさまに来てもらったのー。お話を聞いてもらうなの」
蘭が呼びかけると、楓の木はざわり、と枝を揺らした。
(……まあ。蘭さん。わざわざありがとう。……でもね、私の恋は、神さまにもどうにもできないの)
「これ楓。いきなりわらわの存在を却下せずとも良かろう」
(これは……何とお美しい女神さまでしょう。地上にあれば花、天にあれば星のような)
「ほほう。礼儀をわきまえた木じゃの。さて、おぬしが懸想する相手は誰ぞ? 樹木か? 鳥か? 獣か? 人か? 精霊か?)
(哀しいことに、そのうちの誰でもないのでございます。かの方は夜空に輝き、日ごと形を変える、孤高の衛星……)
「月か!」
(はい……)
月に恋した楓の木。弁天は腕組みをして天を仰ぐ。鯉太郎は蛇之助を肘でつついた。
「おいっ。そんな縁結び、どう考えても無理だろう」
「そうですよねぇ……」
「蘭の坊主。どんな結果になっても泣くんじゃねぇぞ」
蘭はいまひとつ状況が呑み込めないらしく、きょとんとしている。その頭に手を置き、鯉太郎と蛇之助ははらはらしながら成り行きを見守った。
しかし――腕組みを解いた弁天は、高らかに言ったのである。
「案ずるな。おぬしの恋は、とうに叶っておる」
(えっ?)
「えええー?」
「なんだとぅー?」
「そうなの?」
当の楓の木を筆頭に、その場に居合わせた全員がクエスチョンマークに包まれる。
弁天は微笑みながら、楓の木の幹をぽんぽん叩いた。
「『目には見て 手には取らえぬ 月の内の 楓のごとき妹をいかにせむ』。これは湯原王の歌じゃが(by万葉集)中国の伝説によれば、月には楓の木があるという。よっておぬしは、すでに月で暮らしておるとも言える」
(そうなんですの? そんな伝説が……。何の接点もないと思ってましたのに)
楓の木は嬉しそうに紅葉をさらさらと鳴らし、弁天はうむうむと頷いている。
「うわぁ。無茶なこじつけしてんなぁ。まぁ、楓の木が納得してるっぽいからいいけどさ」
「細かいことを言うようですが、あの歌の楓(かつら)はカエデではなくて架空の植物ではないかと」
「しーっ。んなことは黙ってろ」
困惑しているおにいさんたちをよそに、蘭はにっこりと目を細めるのだった。
「えんむすびのかみさまと会えて、よかったなの」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2163/藤井・蘭(ふじい・らん)/男/1/藤井家の居候】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。初めまして、神無月です。
この度は、NPC付きシチュエーションノベル風ゲームノベルにご参加いただきまして、まことにありがとうございます。
……まあ。こんないたいけな方にいらしていただけるなんて。おにいさん方も思わず保護欲をそそられておったようです。ところで『持ち主さん』が、どのように情報を得られたのかが、ちょっと気になる今日この頃。
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