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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


dressup dollは水槽で踊る

 夏は短いようで長く、暑さは最中にあると永遠に続くのではないかと錯覚する。窓外に顔を向ければ、遠く道上で熱に揺らぐ光景が見えるようで、セレスティ・カーニンガムは水の色を湛える瞳を僅か細める。
 八月も終わりが近く、もう残暑と呼べるのだろうか。まだ午前中だと言うのに強い日差しは空調の効いた室内でも秋の風の訪れを待ち遠しくさせるのに充分な威力をもって地上を灼くのだろう。はっきりと映像を捕らえる事の出来ない瞳ですら、光に圧迫される。
 熱にゆだる窓外から意識を逸らし、セレスティは室内へと車椅子の正面を返した。照明を落とした室内は、日中とは言え室外と比べれば柔らかな影が浸透している。整えられた温度と、熱波を遮る外とは区切られた空間は、セレスティにとって夏の間の命綱であり、水槽の中のような不自由でもあった。
 弱い身体に不自由を覚えるのはいつもの事。とうに慣れた筈であるのだが、不快な暑さと容赦の無い光の氾濫に閉じ込められる事だけは、如何にしても堪え難き苦痛である。
 そしてこの夏の監獄は、セレスティに退屈の虫を疼かせ、ほんの少しの悪戯心をも刺激する。
 鉾先は、ちょうどティータイムを迎えた時刻に入室して来た、セレスティの料理人、池田屋・兎月へと向けられた。
「主様、本日のティータイムは……」
 セレスティの胸中など知らぬげに、兎月はマホガニーのコーヒーテーブルに湯気の立つティーカップや、スイーツの載せられた皿を並べる。
「兎月君」
「はい」
「この後少し、私に君の時間を戴けないでしょうか?」
 銀のトレイを手に、首を傾げる兎月にセレスティは天の住人のごとき、美しくも優雅な微笑みを向けた。


「あの……主様、これは……」
 兎月の前には、四十も半ば辺りだろうか……物腰の柔らかな男性が膝を付いており、兎月の身体をメジャーリングしていた。肩幅、ウエスト、ヒップ等にメジャーを当てて採寸しつつ、男は兎月に質問をした。
「色のお好みはありますか?」
「……色、ですか……」
 困ったように眉を顰めて、兎月はセレスティに救いを求める視線を寄越した。兎月には訳が判らないのだろう。時間が欲しいと言われ応じたは良いが、一体何が行われようとしているのか、一切知らされていないのだから。
「兎月君、そんなに不安がる事はありませんよ。彼は日本でも五指に入るサルトですから。数々のサルトリアでイタリアン・テイラリングを深く学び乍らも、新しく柔軟な感性を持つ彼の作るスーツならば、きっと君も気に入るでしょう」
「スーツ、ですか……?」
「そうです。兎月君の私服は和服ばかりでしょう。いざと言う時の為に、数着作っておくのも悪くはないですよ」
 気品の漂う慈愛満ちた微笑の裏に、セレスティの本当の笑み――楽しげで悪戯げな――がある事を兎月は判っているのだろう。変わらず困った様な眉をしながらも、大人しくしている。
 採寸は計20箇所近くにも及び、その間に兎月は細かな質問をされた。それは日常的な行動等に関する事で、スーツを作るのに関係があるのか、と兎月は首を捻る。
「服とは身に付けるものですから、普段の動きを考えて作りませんと。形だけ良くても、着心地が悪いのでは意味がありませんから」
 男は柔らかにそう言うと、採寸を終えたメジャーを脇に置き、傍らにあった鞄を開け、一着のスーツを取り出した。
「御連絡を頂きました折に、簡単に身丈等をカーニンガム様よりお聞きしましたので、こちらのガーメント(サンプル)を元にピン打ちをさせて頂きまして、簡易的な仕上がりを御覧頂きます」
 説明をしながら、兎月に上衣を着せる。
「これは私共のスーツでも、クラシカルな形に分類されるものですが、実際のラインは如何致しましょうか」
「兎月くんはバランスの良い体型をしているから、ある程度ゆとりを省いて身体のラインに添ったシルエットが良いでしょう」
 洋服に疎い兎月に変わって、セレスティがサルトと言葉を交わす。
「色は……そうですね、兎月君の髪が青いですから……」
「生地はこちらなど如何でしょうか。細いですが、しなやかで……」
 30センチ四方程にカットした生地を、何十枚か綴じたバンチ見本と呼ばれるものを手に、サルトがセレスティと生地を選ぶ。
 兎月は二人が話し込むのに口を挟む事も出来ず(何しろ未だ兎月は戸惑ったままであるようだ)、鏡を前にピン打ちされて形が整えられたスーツを着用した自分を見ている。
 濃いブルーグレイのスーツは、要所要所をピン止めした状態であるに係らず既に出来上がったスーツであるかのように兎月の身体にフィットしており、手持ち無沙汰に腕を上げてみたりなどしている彼の動きを妨げてはおらぬようだ。
 袖、肩、着丈と適正に合わせられたガーメントは細かいサイズが記入された採寸カルテにも等しい。
 ――流石、名フィッターでも知られるサルトだけはありますね。
 セレスティは兎月の背を横目に、浮かべていた笑みを深める。
 セレスティが今回ビスポークに呼んだサルトとは長い付き合いである。彼が駆け出しの頃に出会い、とある縁で一着のスーツをオーダーした。そのスーツの着心地の良さに無名のサルトであった彼に援助を申し出、彼はその後見事にセレスティの期待に応えた。今となってはサルト・フィニート(全ての修行を終えた職人の意で用いられる言葉)とも呼ばれる程である。そして彼は、その呼称に驕る事なく日々研鑽を積んでいる。
 セレスティは、退屈凌ぎと戯れでのみ、このサルトを呼んだのではない。
 信用する彼の手で、親愛なる料理人である兎月に、良い服を仕立ててやりたかったと言うのもあったのだ。いつもセレスティの為に素晴らしい食事を作ってくれる彼に、感謝の意を込めて。
 ただ、そのような謝意ですら、遊戯の一環へと紛れ込ませてしまう所がセレスティがセレスティたる所以であろうか。
「では形はこちらの二種で……、生地と色はこちらと言う事でよろしいですか」
「ええ。出来上がりが楽しみですね」
 サルトとの話が纏まりセレスティが兎月に頷きかけると、兎月が気の毒になる程に力を抜いて安堵するのが見えて、セレスティは吹き出しそうになるのを堪えねばならなかった。


「これで秋のレセプションには間に合うでしょう」
 ゆったりと車椅子に身を預けて、セレスティが言うのに、兎月が無言で疑問を示す。
「ここ数年で頭角を現して来た企業のレセプションが秋に行われるんですよ。私の所にも招待状が届いていましてね……兎月君、君にも一緒に来て頂こうかとと考えているんですが」
「主様……私は料理人です。そのような御招待をお受けするような……」
 困惑する兎月の前に、軽く人さし指を上げてみせ、セレスティは微笑む。
「噂によれば料理を担当するのは、フランスで修行を積んだ若手シェフのようです。その名前は私も聞いた事があります……腕は噂だけではないようで、多くの美食家が彼の料理を楽しみにしているとか」
「はい……」
 セレスティの言わんとしている事が掴めぬのか、兎月はただ相槌を打つ。
「人々を魅了する料理を、君も食してみたいでしょう?」
 兎月はあらゆる食材と調理法に通じ、その腕はセレスティが認める程である。そして兎月は食に関する事は何でも好む。無論料理を食す事も。生きて行くのに食べ物を摂取する必要は無いが、それとは関係なく、兎月は食と言うものが好きなのだ。
「それでは、此度のスーツは……」
 兎月が、青い目を見開いてセレスティを見る。感動に揺れる瞳に、セレスティは微笑みかけた。
「でも、まだスーツだけですからね」
「……?」
「まさかスーツだけ着用するわけには行かないでしょう、兎月君」
「……そうでございますね……?」
 にこにこと、いつものように穏やかかつ、優しい笑顔のままのセレスティだが、兎月はそれに何かを感じ取ったようだ。流石に食を司る料理人だけはある。常に主人の健康状態や、精神状態を把握しているだけあって、セレスティが笑顔に隠した企みを気取ったのだろう。
 無意識か足が一歩後ろに下がる。
「スーツに合わせてシャツと、タイ。それから靴も用意しないとなりません」
「……シャツ、タイ、靴、ですか」
 為す術も無い様子で、セレスティの言葉を繰り返すだけの兎月に、セレスティは変わらぬ笑みのまま先を続ける。
「そうです。先ずは靴を合わせようと思っているんですよ。良い工房を知っていましてね。シューフィッターがこれから来る事になっているんですよ」
 それから、と黙してセレスティを見つめるしかない兎月に追い打ちをかける。
「スーツと靴が仕上がって来る頃には少し涼しくなっている事でしょうから、シャツとタイはお店に見に行きましょうか」
「あ、主様」
「何でしょう、兎月君?」
「本日はその……靴をオーダーして終わりでございましょうか……?」
「いえ、この際ですからスーツ以外にも色々と合わせてみては、と思うのですよ」
「……色々、と申しますと?」
 恐る恐ると聞いて来る兎月が楽しく可愛らしく、セレスティの声が弾む。
「ちょうど、懇意にしているデザイナーが日本を訪れているのですよ。忙しいのを承知で連絡を入れてみたのですが、タイミング良く空いているとの事でしたので」
「何時、おいでになりますので……」
 言いかける兎月に、セレスティがふと黙る。兎月はその様子に息を呑む。デザイナーが来るというだけで、別段何があると言う訳ではないのだが、すっかりセレスティのペースに巻き込まれ、雰囲気に流されている。
「兎月君」
「はい」
「そう緊張する事はありませんよ。何も取って食おうと言うのではないのですから」
「……はい」
 セレスティに嗜められ、兎月は息を吐く。ただ洋服を選ぶ、それだけの事であるのだが、とにかく兎月には慣れない経験であるのだろう。特に今回は唐突でもあった。
「靴のビスポークを終える頃には夕方になるでしょうから、共に食事をと考えているのですが、どうでしょう、兎月君。私の友人でもあるデザイナーに、君の料理の腕を見せてあげてはもらえないでしょうか」
 実は、このデザイナーには兎月の料理の話で誘いをかけたのだ。そのついでに何点か、兎月の為に服を用意してはもらえないだろうか、と頼んでみた所、快い返事が返って来た。
「久方振りに会う友人に、是非私の自慢の料理人の腕を披露したいのですよ」
 セレスティの言葉に、兎月の背が伸ばされた。戸惑いばかりを見せていた表情に、いつもの、料理人としての瞳が戻る。
「主様のお望みであれば」
 引き締められた面、瞳に宿る真摯な彩。それは、セレスティが招いたサルトと同じ。
 自分の腕を信頼し、だが驕り落ちる事のない、道の探究者の持つもの。
 きっと、これから訪れるフィッターもデザイナーも、同じ顔で、瞳でセレスティを見るのだろう。
「兎月君……私はとても恵まれていますね」
 いつもの退屈凌ぎが、思った以上にセレスティの心を満たしていた。
「創造者達の時にこれだけ触れる事が出来るのですから」
 服を、靴を、料理を――創造し、その手で造り出す者達。その中でも選りすぐりの者がセレスティに見せる一時は、これまでにどれだけセレスティの長き時に楽しみと、感動を与えて来た事だろう。
 満足の笑みに彩られるセレスティの麗貌を兎月もまた笑みをもって迎える。主の喜びは、兎月の喜びでもある。
「ああ、兎月君」
 膝上で組まれた両手に瞳を落としていたセレスティの顔が上げられた。
「食事を終えたら、一寸したファッションショウが見られますね」
「……ファッションショウ、ですか?」
「ええ。貴方の為に何点か用意してくれるとの事ですから、是非着て見せて下さい」
 にっこりと、楽しげに言われては否と言う言葉が出ようはずもなく。
「……はい、主様」
 兎月は力なく頷くという選択しか得られない。
 本日の料理人は、着せ替え人形の役をも負わねばならないのであった。