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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


赤き花の街

 エリス・シュナイダーは歩いていた。ゴミゴミとした街中を、喧騒が続く大都市を。高層ビルは天を目指しているかのように立ち並び、太陽の光を遮ってばかりいた。途切れる事なく車の走りつづける道路は、路傍に植えられた木々を汚染してばかりいる。捻出される排気ガスは、完全なる青空を奪ってしまった。いつもどんよりと、空と高層ビルの間にスモッグが在中している。
(空気も美味しくなですし、何より煩いですね)
 エリスは青の目を不愉快そうに光らせ、街をぐるりと見渡した。
(大体、人が多すぎるような気がします。一体何処から、出てくるというのでしょう?)
 エリスはそう考え、小さく溜息をついた。先ほどから自分とすれ違っている人々が、自分の方を振り返っていることにエリスは気付いていた。エリスはともかく目立つのだ。その身に纏っている紺のミニ丈スーツに黒ストッキングと黒パンプスも、他の人よりも頭一つ分くらい大きいと思われるすらりと伸びた身長も、さらりと風に靡くショートカットの茶色い髪も。どれも、エリスを目立たせるのに十二分の働きをしていた。
(人、人、人……)
 エリスは再び溜息をつく。
(何故、こんなにも人がいるんでしょうか?本当に、邪魔に思えてきますね)
 そう考え、エリスはふと気付く。『邪魔』という言葉。それは不意に思いついた言葉であったが、エリスに何かを思わせる言葉でもあった。
(そう、邪魔なんです。ならば、邪魔にならないようにすればいいだけの話ではないでしょうか?)
 エリスはそう考え、口元に笑みを浮かべる。エリスが持つ、あらゆる物の大きさを自在に操る能力。それを発動しようかと、思いついたのだ。そして、それを実行しようとした、正にその瞬間であった。
 ドオォン、という強い衝撃が音となって襲い掛かってきた。
(地震……?!)
 エリスは思わずよろめき、その場に手をつく。
(地震ならば、第二波が来るかもしれませんね)
 エリスはそう考え、そっと立ち上がりながら身構える。だが、地震はただの一度限りで収まってしまったようだった。一瞬の揺れだけ。
「大丈夫……ですね」
 エリスは小さく呟き、そっと息を吐いてからあたりを見回す。大きな揺れだった為、何かしら壊れてしまったものがあるのかもしれないと思ったのだ。だが、エリスが気付いたのは地震によって崩れたり壊れたりしてしまったと言う光景ではなかった。
「これは、一体」
 エリスは思わず立ち尽くす。近距離の光景は何も変わってはいなかったが、遠距離の風景は全く変わってしまっていた。遠くに見えていたものが、もっと遠くに見えているようになっていたのだ。
「目の錯覚……ではないですね」
 エリスはごくりと喉を鳴らした。その時、影が街中に降り注いだ。それに気付き、エリスを始めとする人々が空を見上げた。
「なっ……」
 エリスは言葉を無くす。周りにいた人々は、途端に悲鳴を上げ始める。
「きゃああぁぁ!」
「な、なんなんだよ!あれは!」
 それは、巨大なメイドであった。高層ビルよりも、タワーよりも、もっと大きなメイドである。彼女は口元に冷たい微笑を浮かべ、心底楽しそうにこちらを見つめていた。
「おもちゃ……」
 彼女の声が、響き渡る。恐らく、彼女は呟いているだけなのだ。町内放送のように響き渡っているが、彼女はただ呟いているだけ。彼女にはメガホンもマイクも必要無い。ただ小さく呟くだけで良いのだ。ただそれだけで、彼女の声は思うが侭に響かせる事が出来る。
「みんな、私のおもちゃです」
 彼女はそう言い、指でぴんと高層ビルを一つ弾いた。並べられたドミノを倒すかのように、ぴん、と軽く。だが、彼女にとっては軽いものでもビルにとっては一瞬で粉々になるに充分なものであった。弾かれた高層ビルは、一部を一瞬で砂塵へと変え、ゴオオオ、という轟音を響かせてから倒れ始めた。
「きゃああああ!」
「いやあああ!」
 ビル内にいた人々が、口々に叫んで地面へと向かってきた。高層ビル内にいた全員にしては、少ない人数ではあった。恐らくは彼女が指で弾いた瞬間にビルと共に砂塵へと変わってしまったのと、まだビルの中に取り残されているのであろう。何にせよ、落ちてきた人々は受け止めて貰えるマットもトランポリンも無いまま、そのまま固い地面へと向かって行く。為す術も無く、重力に逆らう事も出来ず、真っ直ぐと。
 一瞬のうちに地面にたくさんの花が咲いた。赤い花が、数多く。高い位置から落ちたためか、花の種は何処にも見当たらない。一瞬のうちに散ってしまったかのように。
「まあ、綺麗ですね」
 彼女は、道路に描かれた花を見つめてくすくすと笑った。小さな笑い声は、恐怖を拡張させるのに十二分であった。
「に、逃げろ!」
 誰かが叫び、言葉通りに駆け出した。何処に逃げれば良いのかなど、逃げている本人達にさえ分からないのだ。ただ、目の前に見えるメイドのいない場所を求め、自らに災厄が降り注がれないようにという事だけを考えて、彼らは走っているだけなのだ。
「あら、何処にいかれるんですか?」
 彼女はそう声をかけ、そっと微笑んだ。「ひい」と、逃げていた人々の声にならない叫びが聞こえてくる。
「何処に?何処に行くつもりなんです?……私のおもちゃさん」
 彼女はそう言い、にっこりと笑うと「ふっ」と息を吹きかけた。先ほど轟音を立てて崩れていった高層ビルが生み出した、土埃だ。彼女の吐息は優しいものであったのかもしれぬ。だが、巨大すぎる彼女の吐息は、猛烈な狂風でしかなかった。土埃は天高く舞い上がり、逃げ出していた人々を飲み込み、そして飛ばす。風に飛ばされた人や車、バイクや看板たちがまだ崩れていない壁に打ち付けられていき、または遠くへと飛ばされていった。壁には人の作り出した赤い花や、車やバイクのガソリンの引火による花火が出来上がっていった。彼女はそれを見て、うっとりと微笑んだ。
「綺麗ですね」
 彼女はそう言うと、ふと何かに目を留める。動きを止めた、四角い箱……電車だ。
「動かないんですか?」
 彼女はそう言い、小さく「ならば」と言って指でぴんと軽く弾いた。
「動かしてさしあげましょう」
 電車の中から、老若男女の様々な叫び声が響いてきた。止まっていたはずの電車が、突如もの凄いスピードで動いたのだ。新幹線よりも早く、モノレールよりも早く。重力に耐えられなかった人は、体の中のものが外に飛び出てきた。何とかそれに耐えられた人も幾人かは存在していたようだった。しかし、普段ならば何も問題なく曲がる筈の緩やかなカーブを曲がりきれない為に脱線してしまい、結局はビルに衝突して電車が潰れてしまった。
「まあ」
 彼女はそれを面白いと感じたのか、別のレールに乗っていた電車をそっと持ち上げ、先ほど電車を弾いたレールに置いた。電車の中から聞こえてくる悲鳴や叫び声は、全く彼女の耳に届いていないようだ。
「もう一度、走ってください」
 彼女はそう言い、先ほどと同じように指でぴんと弾いた。途端、先ほどと同じように電車はもの凄いスピードでレールの上を駆け抜け……そして先ほどと同じカーブで曲がりきれず、最初の電車の後ろに衝突した。
「二両編成ですね」
 彼女はそう言い、ぷっと吹き出した。何が可笑しいのかすら分からない。彼女が引き起こす事はどれも、恐怖しか生み出していないのだから。
 恐怖による叫び声が、街中に響く。
 ただ逃げるしか術を持たぬ人々が、それすらも許されずに街に留まっている。
 彼女はただ、冷たく微笑み、心底可笑しそうに笑っている。
 正に阿鼻叫喚の地獄絵図。
「は……ははは……」
 エリスのすぐ隣にいた男が、突如笑い始めた。エリスはその声にはっとし、隣の男を見た。男はそんなエリスの様子にも気付かず、巨大なメイドを見上げたまま、笑い続ける。
「あははははは!」
「……あの」
 エリスの問いかけも耳に入らないように、男は笑い続ける。
「あははは!死んでいく、倒れていく!世界は赤い!」
 男は叫び、笑い、ふらふらと歩き始めた。相変わらず笑ったままだ。
「逃げられない!走っても悪夢は消えない!あははは……ははは……」
 男はぴたりと足を止め、エリスの方を振り返ってにやりと笑った。狂人のような笑みであった。……否、恐らくは男は既に狂ってしまっているのであろう。笑み一つで、エリスの背筋がぞくりと震えた。
「俺も赤く……」
 男はそう言いながら、手を大きく広げた。巨大なメイドを崇めるかのように、抱き締めるかのように。
「あの人は、狂ってしまったのですね」
 エリスは男を見て呟き、そしてあたりを見回した。女が大声で笑いながら高層ビルの上から飛び降りようとしていた。壁に描かれた赤い花から滴り落ちる液体を、両手につけて壁にぺたぺたと小さな花のように手形をつける少年がいた。燃え上がっている花火の如き車に、自ら飛び込んでいく男性がいた。目に何も映す事も無く、手にぬいぐるみを抱いたまま呆然とその場に座り込んだままの少女がいた。
(この街は……世界は、狂ってしまったのですね)
 邪魔だと思っていた人々は、既に邪魔な存在ではなくなっていた。それ以上に、狂ってしまったという思いが大きく渦巻いていた。
 エリスは上を見上げる。上空にいるのは、巨大なメイド。
(私は、彼女を知っています)
 メイドは笑っている。冷たい目で、心底楽しそうに。
(彼女を良く知っているのです。なぜなら、彼女は……)
 エリスはメイドと目を合わせた。そうして二人、にっこりと笑い合った。心の通じ合えた仲間同士のように、にっこりと。


 エリスはそっと目を覚ます。
「あれは……夢、だったのですね」
 様々な声が耳の奥に残っていたが、確かに夢だったのだろう。その証拠に、エリスは今ようやく自らのベッドで目を覚ましたのだから。
 エリスは近くに置いていたテレビのリモコンを手にとり、電源を入れた。テレビ画面の向こうで、レポーターが神妙な顔で叫んでいた。がらんとした空間の前で、必死に大声を張り上げながら。
『こちらが、都市が消えたという現場です!実に不思議な現象が起こってしまいました!』
 エリスはふと、自らのコレクションの方に目をやる。実物を縮めて作った、ミニチュアたちだ。その中に、大都市のミニチュアがあった。それをそっと手に取ってよく見ると、道路や壁に赤い花の模様があった。エリスはそれを見て、小さく笑った。
(やはり、そうだったんですね)
 エリスは大都市のミニチュアを手に取ったままそっと目を閉じる。すると、あの様々な声が響いてくるかのようだった。
「みんな、私のおもちゃです」
 小さく声に出して呟き、エリスはそっと微笑む。
(彼女は私、私は彼女……。赤い花は、全て私のものなのです)
 エリスは再び大都市のミニチュアをコレクションの並ぶ場所に、元通りに戻した。そうして、いつも通りに着替え、いつも通りに部屋を後にした。
 耳に残る声と、目の奥に残る風景の余韻を、心の中で反芻しながら。

<赤き花は声の記憶を呼び起こし・了>