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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


■星空(さくらふぶき)の流れる夜■

 それは、さくらのなか。

 せんねんのあいだ、ひっそりとひっそりと、はぐくまれてきたあい。

 おんなのなまえは、里衣樹(りいじゅ)。さくらをまもる、さくらのせい。

 おとこのなまえは、珱(えい)。里衣樹とともにさくらのなかでくらす。

 ひっそりと、ひっそりと───。


「それで、その夢の中の風景や情景が妙に頭に残って、しかも眠りの時間が日々増えていく、と?」
 草間は煙草をもみ消して、新しい煙草に手をつけながら、目の前のソファに腰掛けている……私服だが恐らくは女子高生くらいの年であろう少女を見た。
 15〜6歳、そう見える。黒髪に黒い瞳の、今時、と言ったらおかしいだろうが、清楚でおどおどした少女である。桜色のノースリーブのワンピースを着ていた。ただ───肌の色が、というよりも顔色が───異常なほどに白い。まるで何かにとりつかれでもしているかのようだ。
「はい、わたしあの……ほかにも、色々……最近、ヘンな夢見たりしてるんです。でも、どっちが夢か分からないんです。今だって、こっちが本当なのか、あっちが本当なのか……」
 きゅ、と握った手が震えていた。
「どんな夢か覚えています?」
 念のため聴くと、予想通り、「分かりません」というこたえが帰ってきた。
「夢魔、の仕業なのかね……しかし俺の知り合いの夢魔はそんな悪さはしないはずなんだが」
 草間の独り言に、きょとんとする少女。
「ま、ともかく貴女が今朝のように栄養失調で倒れて救急車で運ばれることがないよう、手を打たないとな。このままだと貴女は……」
 夢に取り殺される、といったらしっくりくるかもしれない、などと不謹慎なことを草間は思ってしまい、「ともかく危険ですね」とだけ言った。
 少女はそれでその日は興信所を出て行った。依頼料、ということで前金を既に置いていっている。いつの間にと追いかけようとしたのだが、少女は既にタクシーに乗ってしまっていた。
「……とりあえず協力者を集めにゃ」
 草間は返し損ねた依頼料が入った、偉く軽い小さな袋をぽん、と手の上で遊んでから興信所に戻って行った。


■Relief party■

 とろとろとろ、と適度に練乳をかけたカキ氷を、海原・みその(うなばら・みその)は口に入れた。隣でも、しゃくっと音がする。
「いかがですか? シオン様、お味のほうは」
 ソファに座り、膝にバッグを乗っけて美味しそうに持参してカキ氷を食べながらの見目麗しい彼女の問いに、お相伴に預かっていたスーツ姿でビシッと着こなした一見美中年なシオン・レ・ハイは、しゃくしゃくっともう二口くらい食べてからほんわかした気持ちで、
「とても美味しいです。やっぱり夏はカキ氷ですね」
 と応えた。
 その二人の耳に、キリッとした美声が飛び込んでくる。
「わたしの考えは今言った通りよ。加えて、武彦さんが考えたみたいに夢魔関係の可能性もあるし、関連がなくても夢について詳しいでしょうし、その知合いの夢魔さんにも相談乗ってもらうとか、実際依頼人の夢を見せてもらう事出来ないか、交渉可能かしら、武彦さん?」
 すっとした姿勢の良い背筋からも見て取れる、キッパリした感じの美女、シュライン・エマがひとり、カキ氷はそのままに草間と向き合っていた。
 夢魔、と聴いてみそのとシオンは顔を見合わせる。みそのがまず口を開いた。
「お話を伺う限りその桜の方々にお会いしてみたいですね。千年の時を過ごしてらっしゃるのなら、わたくしの知らぬことを知ってらしてそうです。それに、千年の愛も興味深く思います。その夢の“流れ”を合わせれば同じ夢を見ることは出来ると思います」
「みそのさんの能力を使ってですか?」
 とは、のほほんとした感じにも取れる、シオン。こくりと小さく頷いたみそのと、自分と彼女を見比べているシュラインとに、シオンも自分の意見を言った。
「頭の中に残っているという風景等がはっきり分かれば、場所の特定ができるかもしれません。風景に心当たりがないか聞いてみたいです。もしかしたら他の誰かが見ている夢なのかもしれません。波長が合ってしまったのかもしれませんし。何か強い思いが働いていて影響を受けているとかも考えられますね」
 なるほど、と草間は頷いた。
「シュラインだけが少し違うところをついていたが、それは真実か分からないな」
 新聞をやっとソファの脇に置き、草間はテーブルに肘をつき、両指を組み合わせてその上に顎を乗せて面々を見る。カラン、そのまま放置されていたみそのからの差し入れのカキ氷に添えていたスプーンが微かに音を立てたのを聞き、シュラインは初めて気付いたように、
「あ、頂くわね」
 と、練乳かけカキ氷を口にした。
「ええ。美味しいですか? それと、シュラインさんの違うところをついていたところというのを、知りたいですわ」
 にっこり微笑んで、みその。
「食べながら話すのは行儀が悪いから、少しカキ氷は置くわね。早くなんとかしてあげたいし」
 と、スプーンを置いて、シュライン。みそのとシオンもそれに従った。
「親族が父方の祖母だけとの事だけれど、母方にはいないのかってここに来る前に調査したけれど、いないようだったわ。それでちょっとね、唯さんのお話に出てた里衣樹さんと珱さんて方がご両親なんじゃないか…なんて連想してしまって」
 みそのとシオンが、「そういう可能性もありますわね」「目の付け所が違いますね」と、同時に小さく感嘆する。シュラインはそれで得意になった風でもなく───それが彼女の魅力を一層際立たせていることにも気付いてはいないのだろうが、ともかくも続けた。
「実在の人物で血縁等何らかの繋がりがあったなら、のセンでいけば、よ。もしかしてその桜を見つけ傍にいかないと治らないんじゃないかしら。実体から抜け出た精が長く離れ過ぎると衰弱するように。どっちが夢か分からないとの事だし、元から意識が半分になっていたりとか、そう言う事はないかしら……と。ともあれ、唯さんの御祖母様にご両親の事や桜に関し、何か覚えがないかお話をお聞きしてみたいのよ」
「でも」
 カキ氷の続き───よほど気に入ったのか、既に残り少なくなっているそれを丁寧にスプーンで掬いながら、シオン。
「私達がここで言っていることは全て、悪い取り方をすれば憶測の域を超えていません」
「やはり実行を何かしら起こすのがいいかと存じます」
 薄墨色のねぐりじぇと竹枕も持って来ましたしと、どこか天然系なことを真面目に言ってしまうのも彼女の魅力なのだろう、こちらはカキ氷を完色したみそのである。
「じゃ」
 草間が、にっこり笑った。
「知り合いの夢魔にはハナシつけてあるから、場所はここにいけば会える筈だ」
 ひらり、草間の一番近くにいたシオンのカキ氷の器の隣に、そのメモは落ちた。


■夢魔「乱瑠」一族の主を頼り■

 何のことはない、「ここにいけば会える筈」の場所は、都心から離れた東京でもかなり田舎のほうの、いかにも「それらしい」池がある小さな林だった。今はもう奉られていないのだろう、放置状態の神社がある。
 着いたのは夜に入ってからだった。
「途中でコンビニのある街に降りて食料を買ってきたのは正解だったわね」
 とは、シュラインである。
「そうですわね。わたくしはこの神社を綺麗にしてさしあげたいですが……」
 少し残念そうに言ったのは、みその。
「あ、桜の木じゃないですか? あれ」
 第一に発見したのは、シオンだった。
 そう、池のすぐ傍に見えるのはかなり大きいが、桜に見える。普通の桜には見えるが……近づこうとした三人の後ろから、くすっと何者かのからかうような含み笑いがかかった。
「美しきものには全て棘があるって言葉、知らんわけじゃあるまいに」
 振り向くと、全身黒で固めた服と耳に幾つもピアスをしている、紫色の少し長めの髪と野性的な銀の瞳を持った艶やかな男だった。
「あなたが……その、ギルエン・聖嵐夢(ぎるえん・せいらむ)さん? 夢魔さんですか?」
 シュラインが尋ねると、夢魔は足音もなく近寄り、ふっとシュラインを通り過ぎてみそのに顔を近づけた。
「へぇ……オマエ美味そうだな」
 下卑た風でもなくただ純真そのもののその言葉は、シオンでなくシュラインの背筋まで凍るようだった。当のみそのは、きょとんとしている。天然がうまく鎧となってくれたのか、それともその身体を流れる血が無意識の鎧となったのか。
「冗談だよ。幾らなんでもそんな無節操に魂喰おうとか思わねえし」
 笑って男は、シュラインのほうを向いて「俺がその名前の主だよ、どうせ武彦が受け持った依頼の件できたんだろ?」と薄笑いを浮かべたままその場にどかりと胡坐をかいた。
「ええ。少しでも情報を頂ければと思って」
 こちらもクールな笑みを見せる、シュライン。
「お腹がすいては戦もできないと言いますし、せっかく買ってきたことですし、行儀の悪くない程度に食べながら聞かせていただいてもいいですか?」
 コンビニの袋からジュースやらおにぎりやらサンドイッチやらを取り出しながら、シオン。彼が持つ特有のものだろう、穏やかな雰囲気が流れ、ギルエンは面白くなさそうにチッと舌打ちし、話した。
「めんどくせーから知ってることだけ教えてやるよ。
 一つ目。唯って子の肉親は正真正銘、あのでかい桜にいる里衣樹と珱じゃないってこと。
 二つ目。唯って子に『悪戯』してんのは多分夢魔ってこと」
 しん、と静まり返る。ギルエンからの情報がもっとないかと待っていた結果の沈黙だった。
 ないと知ると、シオンがおずおずとおかかお握りの包みをビニール袋にしまい込みながら、聞く。
「ギルエンさんも、夢魔さんなんですよね。あなたの知り合いの夢魔と、その悪戯をしている夢魔とは無関係なんですか?」
「さあ、俺は元から遊び歩いててそこまで干渉しねーから」
 鬼瑠(きりゅう)一族が関わってるんなら別だけどな、と付け加える。
 聞くと、ギルエンが仕切っている夢魔一族は「乱瑠(らんりゅう)」というもので、「鬼瑠」一族とは犬猿の仲であり、顔を見ただけで殺し合いも度々あるというまでの憎み合いらしい。
「じゃ、鬼瑠っていう一族が干渉しているかもしれない、ということもあり得るのね……」
 何か考え込むように、シュライン。ギルエンは手持ち無沙汰のようで、立ち上がった。
「じゃ、あとは俺が見守っててやるからしっかりやれよー」
 と、手を振って去っていく。その手にはみそのが買った、カキ氷風味のアイス。
「あ、わたくしのアイス……」
 ハハッと笑い声がしたと思うと、その声が途中で止まった。何かと振り向くと、ギルエンと入れ替わるとでもいうように、15歳ほどの黒髪の少女が虚ろな瞳で歩いてくるところだった。
「───唯さんですね」
 草間に渡されていた写真と見比べながら、みその。確かに彼女達の晩御飯を踏みつけそうになって慌ててそれらをどかすシオンなどお構いなしに真っ直ぐ桜にパジャマ姿……しかも裸足で歩いていくのは、霞・唯だった。
 みそのは自分の荷物を地面にそっと置き、「流れ」を探り始める。
 シュラインはギルエンの元に足早に、しかし静かに歩み寄り、長身の彼になるべく唇を近づけて尋ねた。
「彼女がここに来ることも知っていたの?」
「いや」
 と、ギルエンはぽりぽりと頭を掻いた。
「夢遊病とも違うし、こりゃマジで鬼瑠の連中がなんかしてんのかもな」
「何故ですか?」
 シュラインのあとを、晩御飯の入ったビニール袋を片手についてきていた、シオン。
「あの瞳」
 ギルエンが唯の黒い瞳を指し示す。
「夢魔にやられてる特有な虚ろの色だ。けど鬼瑠の連中がここまで無節操に人間に悪戯するとは思わなかったぜ」
 ギルエンの銀色の瞳が、面白くなさそうに宙を泳ぐ。そして、はた、と、唯が辿り着き額を当てた桜の大樹にその視線を止めた。
「……ヤバいくらいの『気』を感じる。鬼瑠のモンだ。仲間集めてこねえと俺が殺されちまったらあとが面倒なんだよ」
 すっ、とギルエンの身体が宙に浮く。逃げるのかと思ったが、「仲間集めてくる」との短い言葉に、これは本気でかからなければと改めて三人は思ったのだ。
 何よりも───狂ったような微笑みで桜に額を押し付け、ぶつぶつと語りかける唯の姿を見て。


■哀れと思いやこの娘御を■

「眠った状態ですわね」
『流れ』を感じ取ろうとしていたみそのは、ふう、と小さく息をついてそう判断する。
「この流れ───唯さんの夢の中のその情景とこの場所と、同じもののようですわ」
「やっぱり」
 シオンは、ぎゅっと何故か引かない汗の出る掌を握り締める。
 シュラインは、今、唯と桜に近づいていいものか迷っていた。ここはギルエンの応援を待つべきなのだろう、それが正しい判断だ。それは分かっている。けれど。
「物凄い悪寒がします」
 かわりに、シオンがそう言った。そうなのだ。
 何なのだろう、この悪寒は。まるで、見知らぬ誰かに、見えない何者かに背中を押されるような圧迫感。意図と反して、三人はずるずるといった感じで桜の傍に引きずり出された。
「力ずくなんて卑怯ね」
 シュラインは周囲を睨みながら見渡す。
「姿を隠すのも卑怯者の常套手段ですわ」
 と、続いてみその。
「唯さんがこちらを見ています」
 シオンが、微かに震える声で言ったとおり、唯がぼうっとした瞳でこちらを見た。
 すっと両腕を上げ、三人に向けると同時に、見えない「何か」を含んだ突風が巻き起こった。
 誰が何の能力を使う間もなく、「引きずり込まれて」いく。


(夢の中、ね)
 こぽこぽと、まるで水中にいるようだが息苦しくはない。シュラインは他二人も特に命の異常はないと知り、「流れ」を感じてここは確かに唯の夢の中ということをみそのの口から聞き取り、シオンと共に頷いていた。恐らくこれは、唯が「鬼瑠」一族の夢魔の力を使ってまでも助けてほしいと願った結果。
 三人までも、自分の夢に引きずりこんでしまったのだ。
(私は覗きの趣味はないですが、原因を取り除けるなら見てみたいです、唯さんの夢)
 とは、シオン。
(わたくしもです)
 そう言うみそのに続き、シュラインも頷いた。
 三人の意志に呼応したように、「夢が始まる」。


「どうしたの? どこか痛い?」
「唯、大丈夫?」
「ね、男子に頼んで保健室連れてこうよ」
 朧気ながら、ふたりの女子の声がする。唯は、泣き濡れた瞳を開けた。そこは───。
「え……」
 見慣れたような、でもどこか哀しい、校舎。その廊下に、唯は倒れ伏していたのだ。
「あ、気がついたみたい」
「唯、平気?」
 ふたりの女子中学生が顔を覗き込んでいる。唯は、ふたりの名前を呼んだ。
「孝枝(たかえ)……水緒(みお)」
 みお───懐かしい……なんて懐かしい、名前。
「まだどこか痛いの?」
 水緒は心配そうだ。ショートカットの……水緒。
「あっ……ううん、平気」
 唯は我に帰り、慌てて首を振って身を起こす。
「でも泣いてるじゃん」
 孝枝が言う。
「ええっ?」
 唯は手で目をこすった。本当だ───水滴がくっついてくる。
「な、なにこれ……どうして?」
「あんたねえ、廊下歩いてていきなりぶっ倒れたのよ。意識もなくなっちゃってるみたいだし、保健室に運ぼうかって言ってたの」
「わ……わたし?」
 孝枝の説明に、唯は驚く。その時、予鈴が鳴った。
「どうする? 次の授業休んで、保健室で寝てる?」
 水緒が問いかけてくる。
 唯はかぶりを振った。
「ううん、大丈夫。ただの立ちくらみじゃないかなあ」
「こいつ、心配かけやがって!」
 孝枝がこつんと頭を小突いてくる。
「さ、いこ。授業始まっちゃうよ」
 水緒が手を引っ張った。唯は改めて、校舎を見渡す。
 そうだ……ここはわたしが通う中学校。どうして、懐かしいなんて思ったのだろう。
「ゆーい!」
 遠くで、懐かしい声が呼んだ。懐かしい……水緒よりも、もっと。
 唯は水緒の手を振り解き、窓へと駆け寄った。中庭が、そこに見える。
「放課後一緒に帰ろう!」
 どくん。
 唯の心臓が、跳ね上がった。中庭に立っていたのは───。
「雪樹(ゆき)……くん」
「返事は? 唯」
「う……うん! み、水緒も一緒よ!」
 雪樹はくすっと笑い、親指と人差し指でマルをつくった。
 なんて……懐かしい日常。何故今更そう感じるのか、分からないけれども。
 唯には、水緒の存在も雪樹の存在も、何故か懐かしくて懐かしくて仕方がない。

(水緒……?)
 ふと、シュラインが口元に手をやる。考え込んでいる彼女に、シオンとみそのの視線がいく。
(どうしましたか?)
(どうか致しまして?)
 夢を「邪魔」しないよう、そっと問いかける二人に、シュラインは視線を返す。
(唯さんの肉親を調べたときに、どこかでその名前を聞いた覚えがあるの。どうしてかしら……思い出せないわ)
(夢の中、ということで……その鬼瑠一族という夢魔が『邪魔』をしているのかも)
 と、シオン。
(流れを変えられるかやってみてもいいですけれど、今はこの夢を見届けるのが大事かとも思われます……)
 みそのが言うと、(わたしもそう思うわ)とシュライン。
 ともかくも、この「鍵」であろう夢、唯が必死で自分達に見せてくれている夢を見逃したくはなかった。


「あ、桜……」
 唯は道端で、思わず足を止めた。
「え? 桜? どこ?」
 雪樹と水緒が辺りを見渡し、やがて雪樹が「ああ、あれ」と唯と同じものを見つけた。
 それは、枯れかけた桜の老木だった。春なのにもはや花も咲かない。
「枯れかけた桜って、なんだか淋しいね」
 水緒が言ったが、唯は「ううん」、とかぶりを振る。
「枯れかけた桜も、キレイになる季節があるの」
「ああ、冬だね」
 雪樹が頷く。唯は嬉しくなり、頷き返した。
「そう。雪が降ったら、それが枝に積もって雪の花が咲いたみたいになるの」
「ねえ! 向こうに桜並木がある!」
 水緒のひとことに、ふたりは駆け出した。
 ……ふと、唯は立ち止まる。
「───?」
 誰か……呼んだ?
「わたしを……、呼んだ?」
 しかし、彼女の背後には小さな小さな旋風が地面に疼いているだけだった。


「最近さあ、仲いいよねえ、雪樹センパイと唯」
 孝枝が言い、水緒は二階の窓から中庭を見下ろした。そこでは、唯と雪樹が楽しそうに立ち話をしている。
 唯は実際、楽しかった。何故か長いこと、この日常の楽しみを忘れていたような気がしていたのだ。
 何故だろう? こんなに……こんなに大切な日常。
「───唯? 聞いてる?」
「あ……」
 あまりの楽しさにぼうっとしていた唯を、雪樹は覗き込んだ。
「ごめんね、雪樹くん。わたし……」
「ぼくね、きみに言いたいことがあるんだ。今、どうしても」
「え?」
「これ以上、自分の気持ちを隠していられない」
「雪樹くん?」
 雪樹はふっと一瞬愛しそうに瞳を伏せ、微笑んで口を開いた。
「唯。きみが好きだよ」
 ドキン。

       ?

 一瞬胸を高鳴らせた唯は、同時に何故か自分の胸に生じた違和感を不思議に思った。
「唯、ちゃんと聞いて……ぼくと……つきあってほしいんだ」
 雪樹の声が、頭に響く。……不自然な響き。どうして?
「こたえは? 唯。聞かせて……くれないか?」
 微笑む、雪樹。
 どくん。
 唯の胸が、不安に高鳴る。
 大好きな、雪樹くん。
 唯は、『何か』を忘れている。唯は、『誰か』を忘れている。『違う』。『何かが違う』。
 唯は必死で不安に震える胸を抑えた。
「唯?」
 雪樹くん。
 目の前にいる。
 どくん。どくん。
 つきあってくれって。わたしのこと好きだって、そう言った。でも。
 どくん。どくん。どくん。
 この、不自然なまでの心臓音。恐らくは、唯の本能が告げている、音。
 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん───!!
 咄嗟に、呼んでいた。
「……さ、ん……」
 だれ? 名前すらしらないのに。
「おかあさん、おとう……さん」
 知らないのに。何故、自分はこうして必死に助けを求めるの?

(限界ですわ───唯さんのほうが)
「流れ」で感じたみそののその言葉に、シュラインは頷いた。シオンは、「お願いできますか?」といった感じでみそのを見遣る。みそのはこくりと頷いた。
「流れ」を利用し、夢からの脱出口を開く。ザバッと彼らは、池から出るかのような音を立てて現実に戻っていた。


「唯さん……!」
 桜の大樹にぐったりと真っ白な顔で倒れこんでいる唯に真っ先に駆け寄り、スーツを脱いでかけてやったのはシオンだった。
 シュラインとみそのは、今開かれた脱出口により恐らく一緒に引きずり出された唯に「悪戯していた夢魔」───銀色の髪に金の瞳の恐ろしいまでの美青年と対峙していた。
「俺を引っ張り出すとはね……大した度胸だ。俺はただ、鬼瑠一族の裏切り者と関連するこの少女に悪戯をしていただけだ。邪魔しないでくれ」
「ただの悪戯なら、タチが悪いものは阻止するのが当たり前よ」
 シュラインはキッと睨みつける。
「それをいうなら、わたくし達が『関連』している唯さんにかかわっているあなたやあなたがしていることを知るのはわたくし達の義務でもあるということになりますわ」
 普段は天然だが、なかなか弁の立つみそのである。鬼瑠一族の美青年夢魔は、苦虫を噛み潰したように額に手をやった。
「鬼瑠一族は同じ一族以外とは恋愛は赦されても結婚は赦されない。それをこの桜の中に閉じこもっている珱は破り、里衣樹という桜の精と結婚した。俺達がそれを知ったのは最近───この霞唯という少女の家族が死んでからだ」
 ぴくり、と唯の指先が動いたのを、シオンは見逃さない。小声で大丈夫ですかと尋ねるが、まだ少女の瞳は開かない。心なしか、息が細い。ギルエンはまだか。いざとなれば自分が能力を使うしかない。シオンは縋る思いでギルエンが去っていった夜空を見上げる。だがそこには、未だ月と無数の星が瞬いているだけである。
 シオンの思惑も知らず、鬼瑠の夢魔は続ける。
「霞唯の両親の波長がうまく里衣樹と珱のそれとぴったり合い、霞唯の双子の姉だった水緒のように悪霊にならないよう桜の中で護ってきたのさ。でも流石に俺と霞水緒の怨念の強さに何年も耐えられなかったらしい、霞唯を護りきれなくなってきたんだ、最近こいつらは」
 ───ああ……だから、日々長くなる眠りの夢を見ていたのか。
 三人は同時に、合点がいった。
 同時に、同じ疑問が沸き起こる。
「なんですって……」
「水緒さんは……唯さんの、双子のお姉さん……?」
 ぴくり、またシオンの腕の中で唯の腕が動く。
 シュラインは飽くまで冷静に口を開いた。
「わたしが調べた時……思い出したわ、確かに水緒という中学の時に亡くなった幼馴染が唯さんには居た。けれど、双子とはどこにも載っていなかったわ、しかも顔が全然違う」
「何故……悪霊などに?」
 シオンがぎゅっと唯を父親のように護るように抱きしめながら、尋ねる。鬼瑠の夢魔の冷たい瞳がこちらを向いた。
「霞水緒は、同じ幼馴染の雪樹という少年のことが好きだった。けれど雪樹は唯に告白し、その年の冬に死んだ。水緒は驚くほどに気性が荒かった、唯とまるで正反対だ。唯と家族でいるくらいなら自殺すると両親を脅し、両親は仕方なく離婚し、父親に唯を預け、母親は水緒を育てることにした。だかその水緒も事故で中学の時に死んだ」
「……それで、どうして唯さんはあんな夢を?」
 次々に知らない事実が明らかになっても、慣れている。シュラインは動じずに次の質問をする。
 だがそれは、違いところから返事がきた。
 ぽかりと灯火がついたように、ひとりの少年───年の頃は13〜4歳だろう───の姿が桜の木から半分身体が生えたように浮かび上がったのだ。
<ぼくが唯を護ろうとしたから……せめて夢の中では、みんな仲良く楽しい夢を、唯にって>
「……あなたのお名前は?」
 みそのの問いに、雪樹、と短く答えが返る。
<でもそれは、珱さんの力を借りてできたことだった。それでなくても珱さん達は唯のお父さんやお母さんの霊を護ってるのに……だから、水緒が邪魔してきて、唯がこんなに衰弱しちゃったんだ>
 涙が出そうになるのを、シオンは堪えた。シュラインもみそのも、心のどこかで、彼と同じ気持ちを抱いたに違いない。
<だって>
 シオンがもう少し若ければ、雪樹のように泣き叫んでいただろう。
<なんでぼくが大好きだった唯がこんな目にあわなくちゃいけないんだ! ぼくさえ死ななければ、ちゃんと護ってやれたんだ! 大好きなのに、たくさん約束もしたのに、どうして死ななきゃいけなかったんだ! 水緒だって唯だって仲良かったのに、どうして人は分かり合えないんだ!>
 哀しみに。苦しみに。
 シュラインがぎゅっと拳を握り締め、みそのが何かを言おうとした時、鬼瑠の笑い声が響き渡った。
「全く人間とは愚かだ。寿命が来るから死ぬ。何故それが理解できない? 何故取り乱す必要がある? 苦しいならそんな感情は放っておけばいいのに、全く愚か以外の何者でもないな。こんな人間共の霊を護っている珱の気が知れん」
「……そんなに夢魔って万能なの? 感情があるからこそ人は人を愛することが出来るのよ」
 流石のシュラインも、この夢魔の発言には些か赦せなかったらしい。みそのの瞳も、どこか冷たい。だが、そんなものはこの冷血な夢魔には効果がなかった。二人をせせら笑うかのように応える。
「万能なのが鬼瑠の夢魔さ。感情すらコントロール出来ない、望みどおりの愛情も出来ない苦しみを伴う感情などゴミのようなものだ」
 カツン、と靴音がした。ギルエンかと振り返ったシュラインとみそのはだが、殆ど虫の息の唯をそっと横にさせて立ち上がったシオンの姿をそこに見た。
「……そんなに万能なら、こんな痛みもコントロール出来ますよね」
 避ける間もない。
「なっ……!」
 鬼瑠の夢魔の額に、左の黒手袋を外したシオンの掌がパシリと当たる。ジュッと何かが溶ける音がした。
「貴様……! 万能でもないクセに……!!」
「感情がないのなら、私は万能など望みません。私は私、苦しみも哀しみも持った人間のほうがいい!」
 シオンの瞳から、ぽろぽろと涙が零れていた。彼にしては全く珍しいことだった。普段は能力すら使うこともないのに。
「シオンさんが手を下すまでもないわ」
 シュラインが、そっとシオンの腕に自分の手を乗せる。シオンも力なく、その場に膝を折った。
 途端、だがその膝は再び地から離れる。シオンは鬼瑠の夢魔青年に胸倉を掴み上げられていた。
「俺の額に傷をよくも……丁度いい、貴様から殺してやる!」
「シオンさん!」
「シオン様!」
 シュラインとみそのの声が重なる。そして、シュラインはハッとして横たわっていたはずの唯がいなくなっていることに気がついた。同時にみそのは、その唯が再び桜の大樹にふらふらと近寄るのを見た。
「おもい、だした……」
 半透明の、雪樹の姿が見えるのだろうか。
 雪樹が両手を広げ、唯はそれに向かってこちらも手を広げる。
「水緒が死んで……何回目かの年……今年になって……誰かに、話しかけられた……」


 その声は、珱。
<───誰か?>
 真夜中に眠れなくて、小さい頃幼馴染三人でよく遊んだこの神社にきた唯に、桜が話しかけてきた。青年の声で。
<里衣樹か? 泣いているのは。しくしくと……ああ、違う。里衣樹ではないな。声が近すぎる。なんと哀しげな聲……───お前は誰か? 何を泣いている? 里衣樹……我らの力をあの娘の……>


「雪樹、くん……そこにいたの。ずっと、いたの? 水緒も?」
 唯は泣いていた。雪樹は哀しそうに、何故か微笑んでいた。
<……いたよ。ずっと、きみを見ていた。きみのお父さんとお母さんと、一緒に……ずっと、見ていたんだよ>
 でも、とその声が哀しく告げる。
<昨日、里衣樹さんは亡くなった……だから力ももうない……きみを救うには、唯。珱さんの力だけじゃもう、お父さんもお母さんも、きみを護ってあげられない。だからぼくたちは話し合って、もう決意していたんだ>
 触れる位置にあるのに、二人の手は触れ合えない。死んだ者と、生きている者。痛感して、唯はこみ上げてくるものを堪えた。
「決意……何を? まさか」
 逸早く察したシュラインが、みそのに目を遣る。彼女も既に気付いたようで、なんとか「流れ」で止められないかどうか試みてみようとした、その時。
 突如音を立てて、桜の大樹が燃え上がった。
「「「「!」」」」
 シュラインとみその、シオン。そして唯と鬼瑠の夢魔でさえ、目を瞠った。
 炎の中に、見慣れない美しい着物の女性を抱き抱えた、こちらは鬼瑠の夢魔と同じような衣装を身に纏った、だが穏やかな顔つきの青年。そして、唯とよく似た顔立ちの中年の男女、彼らに抱き抱えられるようにしている───恐らくは、水緒の姿。
 雪樹も。
 共に燃えていた。
「いやだ……せっかく会えたのに、おとうさん、おかあさん!」
<喋る力が残ってるのは、ぼくだけなんだ……唯>
 その声も既に、かすれている。
<でもね……唯を護る気持ちは変わらない。こいつだけでも連れて行ける力はまだ残ってる>
 そして、ぐいと鬼瑠の夢魔をその「手」で引き寄せた。じゅうっと先刻より強い音が一同の鼓膜に響き渡る。
「何をする! やめろ! たかだか人間の分際で───珱、やめさせろ!」
 だが、珱と呼ばれた穏やかな顔つきの青年は、ただ黙って見つめているだけだった。
 最期にふと、シュラインとみそのとシオンを感謝するように見つめ、微かに微笑んだ。
 鬼瑠の夢魔は、断末魔の叫びを上げて炎の中に消えていった。
「終わったか」
 呆然ともいえる彼らの背中から声が投げかけられたのは、何分後だろうか何十分後だろうか。仲間も呼ばず、ギルエンが単身そこに立っている。
「あなた……仲間を呼びにいったんじゃ……?」
 そしてシュラインは気付く。みそのが言った。
「わざと席をお外しになったのですね」
「そうだったんですか……?」
 気付かなかったらしい、シオン。
 ギルエンは、少し微笑んだ。
「『こういうこと』はいくら鬼瑠の仕業つっても、やっぱ人間は人間同士、解決したほうがいいんだよ。俺はただ情報を流してやるだけ。ま、あんまり酷いようなら俺が手を下す予定だったけどな」
 やられた、とシュラインとシオンは思ったが、
「そういえば、お土産にとカキ氷を持参してきたのですけれど、すっかり溶けてしまって。よろしければ如何ですか?」
 天然なのか他の何かなのかみそのがそう言って、すっかりあたたまった器を取り出し、ギルエンは一瞬ぽかんとし、腹の底から豪快に笑った。
「いいよいいよ、あんたら人間がいてくれるから、俺達は安心して『いい悪さ』ができるんだ。あんたらみたいな人間がいてくれてホント良かったぜ。じゃ、また縁があったら会おうな」
 言って、誰が止める間もなくギルエンはスッと影のように闇に溶けていった。


■人が遺していくもの■

 長いこと燃え盛っていた桜がすっかり消え去って跡形もなくなると、シオンはやっと気付いたように少し自嘲気味に黒手袋をはめなおした。
 シュラインは、ふらりと気を失った唯を抱き抱える。みそのが心配そうに見たが、唯の顔にはもう生気が戻ってきていた。
「……人が遺していくものって、本当はなんなのかしらね」
 池から少し離れた場所に座り、澄んだ水面に映る一面の星空を見下ろしながら、誰にともなく問う。
「わたくしはたとえ哀しみや苦しみでも、いっときも感情を手放したいとは思いません」
 みそのが、穏やかに言う。
「感情があるから悲劇はおこる。けれど、感情がなければ人を愛することも、何かを人の心に遺していくものもありませんから」
 ぽつりと、シオン。

<……唯……>

 雪樹の声がどこからか聴こえた気がして、三人は夜空を見上げる。その途端だった。
「あ……」
 シュラインは思わず立ち上がる。次いでみその、シオン。唯は変わらず、シオンのスーツの上で横になったままだ。
「雪……? 星……?」
 尋ねるみそのに、シオンは心の底から微笑んで言った。
「……桜の花弁ですね」
 そう、それは。
 この季節に。
 惜しみなく彼らにはらはらと降り注ぐ、桜吹雪。
 雪のように、星のように。
 まるで、人が遺していくものが無限大とでも主張するかのごとく、限りなくやわらかく暖かく、これでもかと降って来る。
 それは、人の命が散ったあと、かわりとばかりに遺される命から生まれた数限りない愛の花弁。
 その夜、いつまでもいつまでも、星のように桜吹雪はやまなかった。




《完》



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1388/海原・みその (うなばら・みその)/女性/13歳/深淵の巫女
3356/シオン・レ・ハイ (しおん・れ・はい)/男性/42歳/びんぼーにん 今日も元気?






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■         ライター通信          ■
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こんにちは、東瑠真黒逢(とうりゅう まくあ)改め東圭真喜愛(とうこ まきと)です。
今回、ライターとしてこの物語を書かせていただきました。今まで約一年ほど、身体の不調や父の死去等で仕事を休ませて頂いていたのですが、これからは、身体と相談しながら、確実に、そしていいものを作っていくよう心がけていこうと思っています。覚えていて下さった方々からは、暖かいお迎えのお言葉、本当に嬉しく思いますv

さて今回ですが、「人が死んで遺すもの」を題材にしてみました。実体験に基づいて思ったことも盛り込んでありますが、勿論プレイングから生まれた発想も多々あり、皆様にはとても感謝しています。
因みに今回は個別よりも同一のほうがいいと判断したので、ご了承くださいませ☆

■シュライン・エマ様:何度もご参加、有難うございますv 今回は、少しわたしの書くシュラインさんにしては冷静さを強くしてみましたが、うまく出せていたかは疑問です;
■海原・みその様:復帰して初めてのご参加、有難うございますv 本当にお久し振りでしたので、未だに一年程前動かさせて頂いたみそのさんの印象が強かったのですが、天然さを出すように心がけてみました。如何でしたでしょうか。
■シオン・レ・ハイ様:連続のご参加、有難うございますv 今回は、いわば「倒す系」の能力を持った方がシオンさんしかいなかったこともあり、また、いつもとは違ったシオンさんを書いてみたいなと思った結果、こんなシオンさんが出来上がりました。なんだかとても不安なのですが; お気に召されませんでしたらすみません;

「夢」と「命」、そして「愛情」はわたしの全ての作品のテーマと言っても過言ではありません。それを今回も入れ込むことが出来て、本当にライター冥利に尽きます。本当にありがとうございます。
物語の最後にわたしはいつも、必ずと言っていいほど、誰かの台詞なりなんなりの文章を1〜2、3行ほど入れるのですが、今回は入れませんでした。何故か、今回はそのほうがいいと思ったので……。ギルエン・聖嵐夢と絡んだお話もまた出来そうですので、その時はまた機会がありましたら、よろしくどうぞv

なにはともあれ、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからも魂を込めて頑張って書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>

それでは☆