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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Erase + Force

【chapter 0:序】

 何だろう――この、力。
 ああでも、なんだかとても、良い感じだ。悪くないな。
 アレを討つには、きっとちょうどいい力だ。
 まだ上手くは使えないが、アレの傍に二人の守人が居ても妙な力の持ち主が居ても、これならきっと――……

 ……俺は、決してお前の存在を認めはしない。
 だから。

 さあ、ゲームを始めよう。
 追って来い。ここまで。

 ――今、この瞬間から、カウントダウンの開始だ。

          *

 その日。
 ゲームセンター「Az」の店内は、奇妙な事になっていた。

「……ショックです」
 ぽつりと呟いたのは、赤く丈の短いチャイナドレスを着た、通称『赤のバイト生』という少女だった。彼女は街並みと店内とを隔てている分厚いガラスに映る自分を見て、酷く絶望的な顔をしている。
 その彼女の横に並び、無表情のままモップの柄を握り、同じくガラスに映る自分の姿をじっと見つめているは、通称『白のバイト生』という、白い燕尾服姿の少年。
「ここの店長が妙なもの好きな人だという事は既によく理解していた事ですし。赤さんもでしょう?」
「……そうよね。うん、理解はしていたのよ。……長く短い人生、時には諦めも肝心よね……。それに」
 ちらりと、少女の視線が、ガラスに映っている少年の顔へと向けられる。そして、はあと一つ深い溜息をついた。
「……琥珀くんよりはマシだものね、私の方が」
「慰めになりますか? 僕よりマシだと思うと」
「……ごめんなさい、そういう意味じゃないの」
 ……そんなやり取りをしている二人を店外からガラス越しに見た少年達が、何やら驚いたような顔をしてから、爆笑して去っていく。その笑声はこちらには聞こえないが、表情だけで「爆笑」と分かる。片手で腹を押さえ、もう片手でこちらを指差しつつ、苦しげに笑って歩き去っていく。
 それを見て、少女がまた絶望的な顔付きになった。
「……こんな所に立っていたらまた自己嫌悪に陥りそう……」
「そうですね。まだ店内に居たほうが赤さんの心境的にはマシかもしれませんね。だって」
 こくんと頷きながら、少年はくるりと踵を返して店内を見やった。
 その店内。
 普段より人が多めなのは、おそらくは今が夏休みだからだろう。
 その、客の姿を見て、少女もこくんと頷く。
「うん。そうね、私一人でも、琥珀くんだけでもないものね」
「ええ。みんな」

 みんな、変なカツラを被っているから。

「…………」
「…………」
 納得していいようなしたくないような、微妙な沈黙が二人の間に落ちた。

 ――事の始まりは、ある日の店長の閃きからである。
 夜の休憩時間に時代劇を見ていた店長が、突然ぽつりと呟いた。
「あー。そろそろ世間は夏休みだな」
「……そのようだな」
 その隣で、何となく一緒になってその画面を見ていた、黒い帽子を目深に被った黒尽くめの胡散臭い男――霧嶋聡里という名の人形師が低く答える。答えてはいるが、あまり興味はなさそうだ。
 が、構わず店長はバリバリと固焼きせんべいを齧りながら言葉を続けた。
「という事は、また何か企画をやらなきゃな」
「……そうか」
「霧嶋。お前、ヅラ好きか?」
「……ヅラ?」
 怪訝そうに問い返す霧嶋に、店長はテレビ画面を指差す。
「ほれ。被ってるだろう。ヅラ。店内中にこういうヅラを被った客がわらわら居たら面白くないか?」
「……多分、面白いと思うのはお前だけだと思うが」
「よし決まり! 来店した客全員にヅラを被らせるという企画! コスプレ企画もそろそろやらんといかんと思ってたからな、先にヅラ企画をやろう!」
 人の話を全く聞かずに一人盛り上がる店長の言葉に、霧嶋が目深に被った帽子の下で眉を潜める。
「……ヅラ企画?」
「客・店員、全員総ヅラ着用計画」
「ちょっと待て。それはもしや、琥珀も……」
 我が子のような存在である琥珀の外見を損なう事を恐れたのか、思わずヅラの手配に動き始めた店長を追うように腰を上げる霧嶋。それに、ニヤリと店長が笑みを返す。
「当たり前だ。んー……そうだな、琥珀にはあの一式をぜひとも着用してもらおう」
「……一式?」
「それは当日のお楽しみ」
 楽しくない、と思った霧嶋の気持ちなど全く無視し、さらに店長は「あ、もちろんお前もヅラ着用だからな? お前の娘もどきである瑪瑙もな。店内にいる者は総員、ヅラだ」と楽しげに言った。

 ……そんなわけで。
 その日、夏休みという事で終日バイトの予定になっていた赤のバイト生――若宮梨果も、当然「ヅラ企画」に巻き込まれた訳で。
 いつもは頭の上で二つのおだんごを作っている長い黒髪をヅラの中にしまいこみ――今は某コントに出ていた雷様が被っていたようなカラフルでもっさりしたヅラを被っていた。ちなみにヅラの色は、赤のバイト生ゆえに、やはり赤。
 そして白のバイト生――琥珀はと言うと。
 同じく、某コントで某氏が着けていたハゲヅラを被らされている上に、鼻の下にはちょびヒゲ、そして丸い黒ぶちの眼鏡などまでつけさせられていた。
 ……その琥珀の様を見たおさげヅラを被らされた霧嶋は、朝からずっと店員専用休憩室に引きこもっている。自分の姿を人目に晒したくなかったからか、それとも琥珀の姿にショックを受けたせいかは分からない。
 琥珀の妹である瑪瑙は、盲目であるがゆえに自分の姿も周囲の姿も見えない為、ちょんまげヅラを被らされてもいつもと変わらずにこにこしていた。
 黒のバイト生は、その日バイトの予定から外されていて、難を逃れている。
 店長はというと、巨大なアフロヅラを被りつつ入口に立ち、店に入ろうとする客全員に本日の企画の趣旨を告げてヅラをテキパキと渡している。
 趣旨――すなわち。

 本日来店した客は全員、以下の内、いづれかのヅラを着用する事を義務とする。
1.ハゲ(丸い黒縁めがねとちょびヒゲ付。希望により腹巻も貸与可)
2.アフロ(黒)
3.雷様のヅラ(アフロちっくで、カラフル。中に小さな鬼ツノあり。色選択は自由。緑・黄・赤・紫等アリ)
4.ちょんまげ
5.おさげ(女性が着用するのは不可)

「…………」
 はあ、とまた一つ、梨果(赤雷様ヅラ付)が深く溜息をついた。
 と、その時。
「あ」
 ぽつりと、琥珀(ハゲヅラと丸黒縁めがねとちょびヒゲ付)が呟いた。それに、布巾を手にカウンターを拭いていた梨果(赤雷様ヅラ付)が顔を向ける。
「どうしたの、琥珀くん?」
「……、何か……マスターの能力に異変が」
「マスター……って、霧嶋さんがどうかしたの? 異変って?」
 琥珀の主である霧嶋には、特殊な能力がある。彼を中心に半径一キロ程度の範囲は、常に「域」もしくは「Az(アズ)」と呼ばれる妙な力で包まれていて、琥珀はその範囲内の番人でもある。霧嶋の能力に起きた変化を察知できるのも当たり前の事。
 こめかみの辺りに指を添えて、琥珀(ハゲヅラと丸黒縁めがねとちょびヒゲ付)は言った。
「……域内において、現在カツラを被っている能力者の方々に対して影響は及び、そのカツラが本物の頭皮として定着します。マスターの域を抜けてもそれが回復する事はありません」
 一息に紡がれた言葉に、梨果(赤雷様ヅラ付)が瞬きする。
「……それはつまり?」
 問いに答えるように、琥珀(ハ以下略)は自分が被っているハゲヅラを引っ張って見せた。が、どうやら抜けないらしい。
「……ご覧の通りです。どうやらマスターの能力に何者かの能力が干渉し、異変が起きたようです」
「……ええと……。じゃあつまり、どうにかしない事には、琥珀くんもずっとそのハゲヅラのまま……?」
「そういうことです。もしこの店内に何らかの能力を持たれた方がおられたら、その方もずっとそのままです」
 本人はいつもどおりの無表情でこくりと頷いたが――。


【chapter 1:天啓の下る日】

 台風が来るとか来ないとか上陸したとかしないとか、朝からテレビで言っていた、その日。
 シュライン・エマは、事務員をやっている草間興信所の暇な時間を見計らって買い物に出ていた。家で使っている割烹着が古くなってきたため、そろそろ新しいのを買いたくなったのである。
 割烹着。
 最近では色も様々、デザインも、フリルが少し使われていたりして、色々と工夫された物が出回っている。
 が、あえてシュラインが選ぶのは、昔ながらのシンプルな真っ白い割烹着だ。
 使いやすさ重視。白だと汚れが目立つし、常に清潔に使えていい。料理をする時、長袖を着ていてもいちいち袖口を気にしなくてもいいし、割烹着というのは本当に優れものなのである。周りのお料理をする人々にも熱烈にオススメしたくなるくらいだ。
 ……とまあ、割烹着の事はさておき。
 買い物を終えたシュラインは、おニューの割烹着が包まれた紙袋を大事そうに胸に抱えて、今、とある店の前に立っていた。
 店――ゲームセンター「Az」。
 何度か立ち寄った事もあり、そのたびごとに何かの事態に巻き込まれているシュラインなのだが。
 店の前にいる人物を見て、今日も今日とて何事かに巻き込まれそうな予感がした。
 今、店の前には巨大なアフロに着流し、といういでたちの人間が一人、立っている。着流しはともかく、そのアフロ――巨大というか超巨大というか……ゆうに直径1メートルほどあるものである。
「一体どうやってお店から出てきたのかしら……」
「そういうツッコミは不可だよそこのお美しいお嬢さん」
 呟いたシュラインの声を耳ざとく聞きつけて、その人物がもさりとアフロを揺らせながらシュラインを見、ニヤリと笑った。
「いらっしゃいお嬢さん。ウチに遊びに来たのかい?」
「こんにちは、店長さん。今日は一体どんな企画を実施中なの?」
 すでにこの人物が一風変わった女性であるという事はよく知っているシュラインは、動揺もせずににこりと微笑み返して問うた。
 店長は自分の巨大アフロを指差し、本日の企画の趣旨をシュラインに語って聞かせる。
「……というものなんだけどね。どうする? アンタ、何か好きなヅラあるかい?」
 好きなヅラって……、と思いながら店長の傍らに置かれていた段ボール箱を覗き込んだシュラインは、ふと、あるヅラを見た瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
 これは。
 これは……この全身に走る心地よい痺れは……!
 これは天啓、そうだ天啓に間違いない!!(え?)
「……店長さん。私、そのヅラにするわ」
 真顔でシュラインが、すっとその眼に留まったヅラを指差す。
「でも、改造する自由がほしいの。アーティストとしての私の血が騒ぐの……頭の中にそのヴィジョンが浮かんで、私の心を駆り立てるの……!」
 ……アーティスト?
 いや、確かにシュラインは翻訳家でもあるし幽霊作家でもあるため、ある意味アーティストといえばアーティストなのかもしれないが――天啓というよりは何かおかしな電波を受けたかのようなそのシュラインの言葉とキラキラ希望の光を宿した瞳に、店長は眼帯をしていない方の右眼に優しさを宿し、コクリと頷いた。
「いいよ、アンタの好きなようにしな。アンタのその情熱を止められる者はここにはいないからね……私も見守るよ、アンタのその心意気を」
「ああ、ありがとう、店長さん……!」
 ガシッと女2人が熱い握手を交わす。
 ……ヅラ1つでそこまで盛り上がる必要があるのかどうかは謎だが、まあ、たまにはそういう日があってもいいだろう、ということで(いいのか)。


 ゲーセン内のトイレにこもる事、約十数分。
 いつもはバレッタで1つに纏めている後ろの髪を綺麗にヅラの中に纏め入れたシュラインは、鏡に映る自分の姿を見て酷く満足そうに頷いた。
「ふふ、なかなかやるじゃないの私も」
 えらくご満悦そうに笑みを零すシュラインが選択したヅラは、真っ黒いアフロヘアだった。
 が、彼女は店長に告げていた通り、そのヅラを見事に自分の手でアレンジしたのである。
 髪を、前頭部・右側頭部・左側頭部、という3ブロックに分けてそれぞれを丁寧に黒いゴムでまとめ、形を整えた。
 その髪型はまさしく。
 お魚くわえたドラ猫を追いかけて裸足で駆け出す、愉快なあの人のもの。
 日曜の午後6時30分から始まるアニメの――……、もうそれ以上は語らずとも分かるはずだ。
 あのアニメの主人公である某貝の名前のついた女性の特徴的な髪型を、シュラインは今、ここに見事に再現してみせたのである!
 しかも、先ほど買って来たばかりの割烹着まで身につけて……もう何と言うか、本人、かなりノリノリだ。
 しかも、変に似合いすぎている辺りがまたなんとも。
 いやはや美人はどんな格好をしても似合う、ということか。
 ふんふん、と鼻歌を歌いながら上機嫌でトイレからようやく出てきたシュラインは、あちこちから自分に集まる視線と「おい、アレってサザ(以下略)じゃねえ?」等という子供達の囁きを、どこか心地よく思いながら(……)、そういえば鶴来さんは来てるのかしら、などと小首を傾げた。
 その時。
「シュラインさん?」
「っっ」
 突然背後から声をかけられて、慌てて振り返る。
 と、そこに居たのは今しがた思い浮かべた人物、鶴来那王(つるぎ・なお)その人だった。
 が。
 その顔を見た瞬間、シュラインはブッと吹き出した。
 鶴来のその髪型、いつもは長めの黒髪なのに、今日はハゲヅラ着用なのである。しかも、何だか妙に似合っている。
「つ、鶴来さんっ、その頭!!」
 だが同時に、鶴来の方もシュラインを見て口許に手を当ててクックック、などと激しく笑っている。
「シュラインさん、その格好……!」
 そんな2人の背後から、誰かが「わ、サ(以下略)さんと波(略)さんだ!」「親子だ親子ッ!」とか言っている。
 それを聞き、2人は顔を見合わせて。
「……確かに、親子セットみたいに見えるわねこれだと」
「では俺の事は父さんと呼んでください」
「そうね。じゃあ私の事は娘とでも呼んでくれるかしら」
「分かりました。そういえば、何だか今さっき琥珀くんに話を聞いたんですが、ヅラ、何か特殊な力を持つ人が被ったら取れなくなってしまうようですよ」
 今日は俺も影響受けているみたいなんですよね、とか何とか言いながらハゲヅラを引っ張って見せる鶴来。しかし、彼の言葉どおりヅラは一向に抜けそうに無い。試しにシュラインも自分のヅラを引っ張ってみるが、やはり抜けなかった。
「わ……ホントにくっ付いてる!」
「笑ってる場合じゃないでしょう、娘。何だか他にも被害にあわれている方がいるようで、今から解決方法を模索するんだとか言ってましたけど」
「あら。じゃあ私も参加してこようかしら」
「ああ、きっと琥珀くんも助かると思います、あなたがいたら。頼りになるから。頑張っておいで、娘よ」
「ええ、頑張ってきます、父さん」
 言って、すいと踵を返しかけて――ふと、鶴来が今日も式服(戦闘服)で、片手に鞘に収めたままの日本刀を所持しているのを確認し、シュラインは僅かに眉を寄せた。
(……、まあ、後にした方がいいわね……)
 彼に言いたい事があったのだが、とりあえずは後にしよう。
 だって。
「こんな頭でシリアスな話しても説得力ないんだもの」
 肩を竦めて笑うと、シュラインは琥珀たちがいる場所へと歩き出した。


【chapter 2:ヅラ、集う】

 この事態を打開すべく、集まった精鋭は。
 怪奇事件に関わるものなら一度は顔を合わせていてもおかしくはない、草間興信所最古参の、陰ながら皆に恐れられる女傑……シュライン・エマ。
 中学生の割りに高身長で、将来大変期待を持てそうな整った容貌を持つ、名前は女の子みたいでもしっかり男っぽい……学校では優等生、私生活では気まぐれニャンコな性格の、季流美咲(きりゅう・みさき)。
 こんがり小麦色の健康的な肌にがっしりした体躯、そして。一体何の仕事についているのか、実際の年齢はどれくらいなのか等、一見するだけでは色々と判断がつかない……女性に優しく野郎にキビしい謎のフェミニスト青年、藍原和馬(あいはら・かずま)。
 日本人形のような秀麗で優美な顔立ち――なのに頭の螺子は微妙に左巻き、気分屋で変人の日本人形専門店「蓮夢(はすのめ)」店主とはこの人……蓮巳零樹(はすみ・れいじゅ)。
 以上の4名である。
 そして本日のこの店の趣旨により、当然皆ヅラを着用しているのだが――。
 どうみても、某アニメの登場人物としか思えないシュラインと美咲の髪型と衣装に、黒スーツ(自前)に黒いアフロの和馬と、錆色の着物(自前)に黒いおさげの零樹がぽかんと口を開け、暫し言葉を失った。
 まさか。
 まさかヅラを被るだけではなく、そのヅラを改造して、なおかつ衣装までチェンジしているとは……!
 恐るべし、シュライン&美咲、だ。
 が、そんな反応に全く構わず、その場に居た3人とハゲヅラ琥珀の姿を見たシュラインは、「きゃー!」と嬉しそうな声を上げて、いそいそと纏っている割烹着のポケットから携帯電話を取り出すと、パシャパシャと慌しく写真を撮り始めた。
「こんな機会滅多に無いものね! 激写激写!」
 こんな珍妙な姿をしたところを押さえておけば、後々、事務所の仕事で多少無茶を頼めるかも……などと腹黒い事を考えているのは表には出さず。ただひたすら楽しげにパシャパシャと撮っていく。
 もちろん、怪しまれないように自分も零樹に携帯を渡して撮って貰う。これは勿論、何に使うわけでもなくただの記念だ。
 そして最後に琥珀とその場にいた梨果も交えて5名揃って記念撮影をし、嬉しそうにその画像を事務所にある自分のパソコンに向けてメールにて送信しておく。
「あー……どうせだったら皆でプリクラも撮って、店内全部をヅラのプリクラだらけにするとかどうだ?」
 あまりにも嬉しそうにシュラインが写真を撮っているのを見て、ぽむ、と手を打ってそう提案するのは和馬だ。
 が。
「そんな事されたら、後片付けが大変で困ります。出来たら僕たちバイト生の仕事を増やさないでいただけると嬉しいのですが」
 淡々と真顔で、琥珀がツッコんだ。勿論、頭はハゲ、鼻の下にはちょびヒゲ、丸い黒縁メガネ装着のままである。だが心はきっちりこの店のバイト生。仕事を増やされたら困るというのは切実な言葉なのだろう。
「……いえ、何も。何でもないです」
 心の中ではそんなナリで冷静にツッコまれても、と思わず脱力しかける和馬だが、そんな彼の様子を不思議そうに見ている琥珀のその後ろに、そーっと気配を殺して歩み寄る怪しい影が、一つ。
 どこからか取り出した黒の油性マジックできゅきゅっと琥珀のハゲヅラに何事かを書き込んで「ふーっ」と清々しく、浮いてもいない額の汗を拭う仕草をして満足げに自分の力作を眺めているのは、金色の見事な縦巻きロールに女性物の白いテニスウェア(下は勿論スコート。スコートの下は……聞かないほうがいい気がする)を纏った、ムダ毛が薄い男子中学生、美咲である。
 何故にわざわざムダ毛が薄いなどという説明をくっつけているかというと、…………、まあ、そういうことだ(何)。
 つまり、アレである。いくら若くてぴちぴちでも、ムダ毛が濃い少年に女性物のテニスウェアなど着せたくはないだろう? 美しくないだろう? という話だ。
 その点美咲は、ムダ毛の薄さのせいもあり一見するととりあえず今の所は男には見えず、身長高めの派手な金髪テニス少女に見える。
「ふふふ、大作の完成だっ」
 大変ご満悦の様子の美咲の様子に、なになに? とその描かれたものを見た零樹は、直後、ぽかんと口を開いた。
 その澄んだ緑色の眼に映るのは、三角の体に糸みたいなひょろりとした手足を持つ人間らしき物体(?)だった。
 丸い頭部には毛らしきものが申し訳程度に三本早されており、やや歪ではあるが円らな二つの目と一本線で表現された鼻と楽しげに逆三角形に開かれた口許が、見事なバランスで配置されている。見事な――目・鼻・口だとかろうじて分かるくらいの、ヘタクソな福笑いさながらの、ガタガタながらも絶妙なバランスで。
「……キミの美的センスって謎だねぇ……」
 真顔でポツリと呟いた零樹の言葉に、美咲が見事な金色の縦巻きロールを揺らせて顔を向けた。
「失礼な。手にしっかりラケットも持って、まさしくオレ……もとい、私――バタフライ夫人……長いからおバタ夫人にしとこう……の、ライバル『ひろみ』そのものだろ?」
「ひ……ひろみ……?」
 何の話かと首を傾げる零樹。その横からシュラインがひょいと顔を出し、美咲の手からマジックを取り上げた。そして。
「甘いわよ、おバタ夫人。ひろみはもっと、こうよこう」
 言いながら、さらさらと美咲が描いた絵の横に、十数年前の少女漫画の主人公そのものという、眼の中にきらきら星が瞬いた少女の絵を描きつけるシュライン。そして先ほどの美咲と同じように額の汗を拭いながら、ふーと息をつく。
「どうかしら、おバタ夫人。これぞひろみよっ」
「おおっ、流石はサザ……いや、シュラエさん! なかなかやるわねっ」
「おーっほっほっほ、挑戦なら何時でも受けるわよ、おバタ夫人っ」
「あっ、その高笑いはオレがやるべきだと思うんだけど」
「あ、それもそうね。じゃあ私は『んがぐぐっ』とかやっとこうかしら」
「そうよ、よくってよ、よくってよシュラエ! それでこそ私のライバルよ!」
 いつからライバルになったのか分からないが、とりあえず妙なテンションで手を取り合い、何をされたのかイマイチ理解していないらしい琥珀と、そのハゲヅラに描いた絵の前で笑い続けているシュラインと美咲を、一歩後退った場所で微妙に生暖かい眼差しで見つめているのは和馬と零樹である。
「……シュラエさんとおバタ夫人……。うん、まあね……二人ともなんだか妙に気合入れて衣装まで変えてカツラライフを楽しんでいるみたいだしね……あえてツッコミ入れる必要はないとは思うんだけどね……何と言うか……何と言うかね……」
「まあ盛り上がる二人は放置しておいて、軽食スペースでまったりしながら作戦でも練ったりしたらどうかと思うんだけど、どうだろう?」
 和馬の言葉に、零樹が長い睫毛を打ち合わせるように一つ瞬きした。
「キミ、もしかしてここに来るのは始めての人?」
「え? ああ、そうだけど……」
「じゃあ知らないんだね。キミのそのアフロもしっかり頭に張り付いてるって事は、何か普通の人とは違う力を持ってるよね? このゲームセンター、そういう力を持つ人は味覚と痛覚がなくなるようになってるんだよ」
 つまり、軽食スペースで何か食べても美味しくも何ともない、という事だ。
「まあ、それでもいいなら……立ったまま話してるのも何だしね。椅子に座りに行くのは賛成かな」
 言って、零樹はどこか遠くのほうを見やって口の横にパーにした手を添えて息を一つ吸い込んだ。そして。
「霧嶋さーん! 僕と一緒にお茶でもしませんかー!?」
 周囲の騒音にかき消されないように大声で言う。その声につられて、シュラインと美咲も零樹が見ている方へと視線を向けた。
 そして。
「ぶーっっ、オッサ……オッサンは、お、おさげ……おさげなのかっ!!」
「……霧嶋さん……意外に似合ってるわね」
 豪快に吹き出して息も絶え絶えで笑っている美咲と、真顔で呟くシュライン。それに、くすくすと笑いながら零樹が自分のおさげの片方を持ち上げた。
「僕とお揃いなんだよねー。ねー? 霧嶋さんー?」
 語尾にハートマークがつきそうな声と表情で言う零樹の横に歩み寄ってきた霧嶋は、その眼を和馬の隣に何となく立っていた琥珀に向けて、被ったままの帽子で隠されている目許を片手で覆った。
「……受けるダメージがあまりにも大きいから、その姿を私に見せないでくれないか、琥珀。眩暈がする」
「ん? 彼、この子の親か何か?」
 和馬が不思議そうに、黒い帽子を目深に被りつつ両肩におさげ髪をぶら下げた無精髭の男(普段より怪しさ5割増し/当社比)と、金色の瞳を持つ変則的な白い燕尾服の少年(ハゲヅラつけてるため本来の髪が何色か和馬には分からない)の間に視線を行き来させる。その和馬の台詞に美咲とシュライン、零樹はしばし返す言葉に悩んだようだが、あっさりと美咲の横から、赤雷様のヅラ付き梨果が肯定した。
「はい、琥珀くんのお父さんなんです、霧嶋さん」
「ふぅん。まあ、折角だし皆で軽食スペースでお茶でも?」
「そだな。ゆっくりお話し合いできるスペースっつったらそこしかねえもんな。つーわけで、オレとしてはアフロ刑事に賛成」
 リストバンドを嵌めた手を挙げて言う美咲の台詞に、和馬が一瞬キョトンとしてから眉を寄せた。
「アフロ刑事?」
「刑事と書いて『デカ』と読む。コレ常識。つーわけでアンタはアフロデカな。決定」
 アフロより刑事の読み方より、むしろなぜ『刑事』がつくのかを知りたかった和馬だが、説明になってない事を言って勝手に決定を下す美咲は彼に反論する間を与えなかった。そのまま、今度は零樹を指差す。
「アンタは……大正時代清純派女学生……ってーと、長いか。んん、じゃあハイカラさんにしよう。決定。和服だし」
「ハ、ハイカラさん?」
 またしてもその発想の理由がよく分からず、零樹は怪訝そうな顔をする。が、その顔にニッと美咲は明るく笑い返した。
「おバタ夫人とシュラエさん、アフロ刑事にハイカラさん。なかなかの仮名だろ? 折角だし今日は仮名で呼び合おうな。あ、琥珀は勿論『加藤さん』で決定」
「……加藤さん……」
 何が『勿論』なのか琥珀にはよく分からなかったが、分かる人にはおそらく物凄くよく分かる名付け理由だろう。
 妖しげな音楽(正式な曲名は「TABOO(タブー)」と言うらしい。作曲はマンボの王様、ペレス・プラード氏)を流しつつ、ピンク色のスポットライトの中で色っぽくしなを作らせて「ちょっとだけよ〜」とハゲヅラちょびヒゲ丸めがねの琥珀に言わせたくなったのは、別に美咲だけではないはずだ。
 ただ、そんなことをやらせてみたくはなったのだが、本当にやらせたら霧嶋に尋常ではないほどの恨みを買いそうな気がしたからやめておいた美咲である。
「まあ、遊ぶのもいいけど、さっさと犯人捕まえないとね。霧嶋さんの能力に干渉してるって人を」
 気を取り直し、腕組みしながらシュラインが真顔で言った。その様はまるで、今彼女が扮しているアニメの女主人公が魚の名を持つ弟を叱る時のような厳しい顔付きだった。


 そうして集まった四名の被害者(この現状を楽しんでいるような気もするが一応、被害者である)と、霧嶋・琥珀・梨果に、途中で「何だい何だい、何か楽しい事でもおっ始めるのかいっ?」とわくわくしながら合流した巨大アフロ店長を含めた四名――計八名は、軽食スペースにあるテーブルに陣取り、この現状打破に向けての作戦会議を始めよう……としていたはずなのだが。
「おー、アンタ、格ゲー強いのかい?」
「ああ、まあそこそこ? ゲーム好きだから大体のゲームはやってるし」
「そうかそうかー。いや、近々ウチでも格闘ゲームの大会開く予定だから、その時には参加してくれたら嬉しいんだけどねえ?」
「大会? あーなんか面白そうだなあそれも。どの格ゲー?」
「ああ、アーケードゲームも面白いけどさ、コンシューマでやってもいいなあとか思ってるんだよ。テレビとゲーム機持ち込んでさ、獣化格闘アクションとかどうかなあって。『獣化』『超獣化』『エスケープ』とかのシステムで駆け引き楽しめそうなヤツで」
「……獣化……」
 まさか自分の能力の事を知っているわけではないだろうが、そんな話題を振られて「ん……ああ、面白いな、あのゲーム」と店長の言葉に相槌を打っているのは和馬である。巨大アフロとそこそこデカいアフロの二人が話しこんでいる様は、アフロという共通点があるためか変に仲良さそうに見える。
 そしてその横では、これまたお揃いのおさげ髪の二人が言葉を交わしている。
「ねえねえ霧嶋さん、僕のおさげ、可愛いよね?」
「……、可愛いと言われて嬉しいのかお前は?」
「霧嶋さんに言われたら嬉しいよ? でも霧嶋さんはおさげ、嬉しくなさそうだよねえ」
「嬉しいわけがないだろう、こんな、こんな……、…………」
 普段あまり感情を見せない霧嶋が、珍しくガックリと肩を落として机の上に突っ伏しかけるのを見て、おさげコンビ(?)の片割れ、零樹が小首を傾げた。
 どうやら霧嶋は、本気で嬉しくないらしい。
 せっかくおそろいなのになあと思いながら、ぽむと零樹はその霧嶋の肩に手を置いた。そして顔を隣から間近く覗き込み。
「そんなにがっくりしないでよ。とっても可愛いよ? おさげの霧嶋さんも。そんな霧嶋さんも僕は好き」
 にっこりと、またしても語尾にハートがつきそうなトーンで言い放つ。
 どう見ても口説いているようにしか見えないハイカラさん(仮名)。
 しかし、誰一人その事態にツッコミを入れる者はいなかった。それはつまり、邪魔者はいない、という事である。思う存分口説きモードに入っても問題ないようだ(本当に入るかどうかはともかく)。
「ていっ、このハートめっ」
 そんな、ぴょんぴょんと零樹の方から流れ飛んで来るピンク色をしたハートの幻をペシリと手で払い除けつつ(勿論本当に幻覚が見えている訳ではない)、美咲がちらりと隣にいるシュラインの手許に落としていた視線を上げ、彼女の顔を見た。
「……シュラエさん。アイツにはさっき撮った写真を使っての脅しも効かないと思うぞ?」
「あら、脅しだなんて。おバタ夫人ったら私の事そんなに性格悪い人だと思ってるわけ?」
「ん? 違うのか? 結構真剣に激写しまくってパソに送ってたみたいだから、いつか草間興信所の仕事で困った時にでも利用する気なのかと思ったんだけど。これをバラまかれたくなかったらー……みたいな感じで」
「……おバタ夫人。私はそんな極悪な人間じゃないわよ?」
 真顔で言って、シュラインは手の中にある携帯電話の画像保存画面を閉じた。そして怜悧な青い瞳を美咲に向けて。
「ただ、もしかしたら私のパソコンが勝手に、仕事上アドレス帳にたくさん入れてある様々な所のメールアドレスに向けてその画像をばら撒く危険性が無いとは言えないというだけの話で。私はそれをそれとなく教えてあげるだけよ?」
「…………」
 「ありえねえ」もしくは「どんなパソコン使ってんだ」という呟きを飲み込んで美咲はふと、自分の向かい側……霧嶋の隣にちょこんと大人しく座っている琥珀を見た。ハゲ頭に描かれている美咲とシュラインによる見事な芸術作品「ひろみ」が、とっても美しくて微笑ましい(と思うのはきっと美咲だけだ。いや、シュラインも思っているかもしれないが)。
「さてと。いつまでも関係ねぇ話してねえで、いい加減コレをハズす努力でもしてみっか。琥珀、お前一体どんな力感じたんだ?」
 その問いに、シュラインも携帯電話を割烹着のポケットにしまい込みつつ頷いた。
「そうね、霧嶋さんの能力に干渉してくるくらいだもの、霧嶋さんのこと知ってる人がやってる可能性が高いと思うんだけど、どうかしら?」
 霧嶋がここにいる事は、現在でもまだ一応表向きは「行方不明」になっている事になっている霧嶋である。関係者以外知る事はないだろう。けれども、確実に霧嶋の能力に干渉しているという事は……。
「何となく、霧嶋さんのアトリエから瑪瑙ちゃんを運び出した相手、とか……連想するんだけど」
「瑪瑙?」
 シュラインの言葉に、和馬が問いを発した。それに、零樹が手を持ち上げて、格闘ゲーム台の奥にひっそりと佇んでいる、白いひらひらフリル満載のドレスのような服を纏って眼を伏せたまま穏やかに微笑んでいる少女を指差した。
 その頭はちょんまげで、容姿と髪型が激しくミスマッチだったが和馬はあえて何もツッコまなかった。
 ……ツッコミ始めたら今この場にいる者に対してもいちいちツッコミを入れなくてはならなくなる。いっそ、ああそういうものなんだなと思った方が気が楽だ。
 そんな和馬の思いと同じなのか、違和感アリアリなちょんまげについてはあえて言及せず零樹も淡々と言葉を紡いだ。
「あそこにいる、琥珀くんの双子の妹さん。瑪瑙ちゃんって言うんだ。一時期、何者かに誘拐されたみたいな感じになってたんだよ」
「ふぅん。じゃ、その誘拐犯がまた何かチョッカイかけて来て、こんな状態になったって事か?」
 こんな状態、と言いながらアフロを引っ張ってみせる。勿論当然、それが外れる事はない。引っ張ってもちっとも痛くないのは、ここが特殊な空間内だからだろう。
 なんだか、これだと本当に定着しているのか何なのかよく分からない。
 が、これでこのまま放置したらきっと本当にそのままアフロヘアになってしまうのだろうなと思い、和馬はふるふると、ぽわぽわの黒髪に飾られた頭を振る。
 自慢の(?)かっちりオールバックが、ある日突然こんなぽわんぽわんのもこもこアフロに即チェンジ! だなんて冗談ではない。いや、冗談だったらまだしも、現実なんだから性質が悪いというか、本当に、まったくもって冗談ではない。友人に笑われる程度ならまだしも――と考えたその瞬間、和馬の脳裏に浮かんだのは友人たちの顔ではなく、真っ直ぐのさらさらな黒髪に翠の瞳を持つ、とある女性の顔。
(いきなりアフロで現れたりしたら驚くかなあ……)
 なんだか思わず遠い目をしてしまう。愛しさと切なさと心細さが綯い交ぜになったその眼差し。憂いを含む男の瞳は、何となくちょっとセクシーだ。
 が、そんな憂いの空気をもよよ〜んと帯びた彼をそのままに……というか、あからさまに放置して、シュラインが真顔で霧嶋の方を見やった。
「霧嶋さん、本当に心当たりない? 琥珀くんも」
 今回は、確か何者の能力にも影響を受けない、というのが能力であるはずの美咲までもがおバタ夫人になっている事からしても、おそらくは能力者の力に関係なく力が作用しているのだろう。
「その辺りも考えて、カツラ……もっと厳密に言えば、人工の皮膚とか、髪に影響を及ぼすような力、と捉えてみたらそういう方面の職人さんの可能性も出てくる気がするのよ。どうかしら、霧嶋さん?」
「どう、とは?」
「霧嶋さん、人形師やってるんだし、お弟子さんとか仕事上のライバルとかいなかった?」
 もし弟子やライバルだとしたら、手に職人特有のタコやら何やらの特徴があるだろう。もしそっち方面ではなく、陰陽師等の術師ならば、デビルイヤー……もとい、地獄耳以上の聴覚を持つシュラインが耳を澄まして呼吸などを聞き取りさえすれば、おそらくはその人物を捕らえられるはずだ。
 口許に拳を当てて真顔で考え込むシュラインの顔――より少し上、頭の上辺りにあるもこもこと集められた前髪を見ながら、霧嶋は、ふむ、とシュラインと同じように口許に拳を当てて頷いた。
「残念だが……私は今まで一度も弟子など取ったことはない」
「霧嶋さん、私の髪を見ながら話さないでくれる?」
「仕事の敵に関しては、何とも言えんが……」
「霧嶋さん、もう少し視線は下よ、下。私はココ」
 自分の顔を指差しながら言うシュラインの言葉に導かれるように、霧嶋の視線が髪から少し下に下りて――前髪を上げているため全開になっている額の辺りでピタリと止まり。
「……見事な額だ。次の人形はそういう額にしてみるか……」
「あ、折角だから見事なデコに『肉』とか書いてみる?」
 わくわくと、横から美咲がまたしてもどこからか油性の黒マジックを取り出して言うのを見て零樹が苦笑する。
「ホント、キミの美的センスって謎だよね」
「デコにラクガキっつったら『肉』が基本だろ?」
「見事なデコだったらデコピンするのもアリだと思うんだけどなあ、俺は」
 遠い世界に旅立っていたが、ようやく話し合いの席に復帰した和馬が指をデコピンの形にして言うのに対し、慌ててシュラインは自分の額をパッと両掌で押さえて隠し、椅子から腰を浮かせた。そしてふるふると頭を振る。ぽよんぽよんと、頭の上と左右の耳の傍にある三つの髪の山が揺れる。
「いやよアフロ刑事、デコピンなんて!」
「じゃあやっぱ、『肉』?」
「それも却下よおバタ夫人っ!」
「折角だからビンディとかつけてエスニックにしたらどうかな? 僕としてはなかなか似合うと思うんだけどねえ?」
「割烹着まで着てるのに何でエスニックになる必要があるのよハイカラさん……って、だからどうしてそう話がズレるのかしらっ?」
 がくりと脱力したように椅子に腰掛けて、シュラインは深い溜息をついた。そして、半眼でじーっとその場にいる面々を見やる。
「……もしかして皆、そのヅラお気に入り? 真剣に外す気ない?」
 どう見ても、あまり真剣にヅラはずしについて考えているような気がしないのである。
 そのシュラインの眼差しを受けて、あー、と男三名が顔を見合わせた。
「オレはまあ、どーせ今回オレの力なんて役にたたねぇから、果報は寝て待つ感じで皆に任せようと思ってたんだけど」
「僕はまあ、霧嶋さんとおそろいだし、普段の髪も長いからあんまりこれでも変化ないっていうか?」
「俺もまあ、特に解決方法も出てこないから格闘ゲームでもやってみようかと思ってたんだけど」
 揃いも揃って出たあまりにもやる気ナシナシな台詞に、シュラインがガクリと、気合を入れてサ○エさんヘアに仕立てた頭を斜めに傾がせた。
「あーそう……要するに誰も真面目に作戦考えてないわけね……。じゃあ、それはそれでまあいいわ。皆で今から外に出て企画のチラシ配りするわよ? いいわよね店長さん?」
 言われて、それまで黙って面白そうに面々のやり取りを聞いていた店長が、ん? と顔を上げた。
「チラシ配りはうちにしたら有難いし全然構わないけどさ。何か意味あるのか、それ」
「もしかしたら、犯人が近くにいるかもしれないじゃない? だから、企画のチラシ配りながら、霧嶋さんの能力の領域内を捜索してみようかなーって思って。怪しい人がいたらその人にもヅラ被せちゃえば、能力者かどうかわかるでしょ?」
 それに、もしそのヅラを被せた人物が犯人だったとしたら、自分でもその力を解除しないとヅラを外せない、とかいう事態に陥らないだろうかと期待してみたのだ。
「無理かもしれないけど……だって他に誰も案出してくれないんだもの。だったらやってみるしかないじゃない? 異議は?」
 むーっと唇を尖らせて、またしても恨めしげな半眼で面々をじーっと見やるシュライン。その青い視線のレーザービームに撃たれた男3名は、反論もなくただコクンと頷いた。

 ――こうして、『犯人にもヅラを被せよう大作戦(あまりにもそのまんまな名前だ)』は開始されるのである。


【chapter 3:犯人にもヅラを被せよう大作戦】

 ……しかし。
「あー……ったく、あっちいー……」
 肩にかかる見事な金色の縦ロールを手でかき上げながら、見事な美脚を晒している美咲は大きな溜息をついた。
 チラシ配りを始めてから、約1時間。
 ここのところ、7月程の暑さはなくなったとはいえ、まだ夏には違いない8月末。1時間も日差しの下に突っ立ってチラシを配っていたら汗がダラダラ出るのは当たり前だ。
 すでに零樹は「もうダメ僕ちょっと霧嶋さんと休憩してくるから後はよろしくー」とか何とか一息に言って、さっさと店内に引っ込んでしまっている。
 確かに、零樹は体を張って何かをするようなタイプにはあまり見えない。むしろ、誰かを言いくるめて上手くこき使ってこういう作業をさせる、という立場にいる方が似合っていそうな人物だ。……断じて人が悪くて狡猾だ、とかいう事を言っているわけではないのでそこら辺くれぐれも誤解の無きよう。
 そして、残されたのは肉体労働にも耐えられそうな3名……だが、ついに出た美咲の泣き言を聞き、白い割烹着に身を包んだ、見るからに暑そうな格好のシュラインが額に汗を浮かせながらキッと鋭い眼差しを向けた。
「ほらほらおバタ夫人、しっかりやらないと犯人引っかからないわよ?」
「ンなコト言ってもさー……」
「ほら、見なさい。アフロ刑事の働きっぷりを」
 ビシリとシュラインが指差した先――黒スーツに黒アフロ、という上から下まで黒尽くめの和馬が、せっせと道行く人に愛想よくチラシを渡している。
「ゲームセンターAz、本日特別企画中! さあさ皆さん楽しんで行ってくださいねー! 常日頃とは一味違う異空間をアナタもアナタも、そこのアナタも、体験しませんかー? あっ、はいはいチラシはこちら、お店はアチラ、さあどうぞどうぞー!」
「……なんか、ミョーに慣れてんのな、あの人」
「何でも屋さんだから、彼。バナナの叩き売りからティッシュ配り、果ては犯罪スレスレの仕事までやってるみたいよ」
「あー、ある意味本職さんなワケか」
 深く納得しながら、もうダメとばかりにふらふらと店の前の段差に腰を下ろし、はぁと俯いて深く溜息をつく。そしてふと、美咲がその顔を上げた時。
「……?」
 隣のパチンコ屋の幟の影から一人、こちらの様子を伺っている者がいる事に気がついた。
 しかも、その人物の顔……どこかで見た事が……。
「……なあ、シュラエさん、アフロ刑事」
「なあにおバタ夫人?」
「ん? どうしたおバタ夫人?」
 チラシを道行く人に渡し終えて、くるりと和馬とシュラインが振り返る。と、ちょうどそこに、戦線離脱していた零樹も戻ってきた。ゆらゆらと三つ編みを揺らせながら、ひょっこりと自動ドアから冷気を伴って涼しい顔付きで出てくる。
「ごめんねーみんな。どう、成果はあった?」
「成果っつーか、今琥珀って店ン中にいるよな?」
 出てきたばかりの零樹に、美咲が問う。それに、緩く首を傾げてから零樹が頷いた。
「プリクラ台の用紙が切れたからとか言って店の中で入れ替え作業やってたけど?」
「……だよなあ。じゃあアレは?」
 ひょいと何気ない仕草で手を持ち上げて、美咲は例の怪しい人物を指差した。
 シュライン、和馬、零樹の視線が、てんてんてん……と美咲の指先を追い――やがて幟の影にいる一人の人物に辿り着く。
 そこに居るのは、黒いゴシックスタイルの服を着た少年だった。
 そしてその顔は、今店内に居るはずの琥珀そっくりなのである。
 ……怪しい。この状態で、この場所に、琥珀そっくりの顔の人物がいるなんて。何か関わりがあるに決まっている。ないほうがおかしい。
「…………」
 そんな思いを知ってか知らずか、幟の影に立ったまま暫しじっと四人の様子を伺っていた少年は、やがてその視線が自分に集まっている事に気づくと、慌てたようにパッと踵を返してその場から駆け出した。
「…………。見るからに怪しいわよね」
「やっぱ、怪しいよな」
「怪しいだろう。顔、加藤さんだしな」
「……でも琥珀く……もとい、加藤さんと違って瞳の色、金じゃなくて黒かったと思うんだけど。髪も、加藤さんは銀髪だけど彼は黒だし」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 無言のまま、四人の眼がそれぞれの考えを伺うように顔を見てまわる。
 そして。
 ハッと、いち早く我に返ったシュラインがズビシッと逃げていく少年の背を指差す。
「……ってやってる間に逃げられるじゃないのっ! ほら出番よおバタ夫人とアフロ刑事っっ!」
「ったく、人使い荒いんだから姉さんは……」
「しょうがないなあ……ちょっとチラシ持っててくれ」
 段差からよっこらしょと緩慢な仕草で腰を上げて、まるで某アニメの魚の名前の弟みたいな事を言いながら美咲が一つ息をつく。
 が、次の瞬間、その類稀なる身体能力を活かし、スコートの裾を派手に翻しながら猛ダッシュで少年の後を追い始めた。ちらちらと白いスコートの下から見えるものが何なのかは、ご想像にお任せすることにしてあえてここでは語らないでおくが、一見するとなかなかの美少女に見えるため、惜しげもなく太腿を晒して走るその姿に「おおっ」と振り返る男性がちらほらいた。が、幸か不幸か、美咲自身はその事態に気づいていないようだ。
 一方、和馬も、零樹の手にチラシの束を押し付けると、美咲同様常人離れした脚力で駆け出した。
 風を切ってなびく金髪縦ロールと、揺れる黒アフロ。2人はすぐさま少年を捕獲可能範囲に捉える。
「にーがーすーかーよっ!! オラッ!」
 低く声を放つと、美咲は少年の背に向かいタックルをかます。が、少年はくるりと身を反転させて華麗に美咲をかわした。
 しかし、すぐさま今度は和馬が少年の体をひっとらえるべく、跳躍する。
「よ……っと!」
 がっしりとした長い腕が少年の体に巻きつく! ……と思った瞬間、少年が左手を腰の後ろ辺りに回し、シャツの下から何かを取り出して和馬に向かい、それを構えた。
「危ないっ!!」
 シュラインの声が上がる。零樹も、驚きに眼を見開いた。
 少年が取り出したのは、鈍い銀色の輝きを持つ、小型の自動拳銃。
 その銃口を迷い無く和馬の左胸に向け、撃ち放つ。
「――……っっ!!」
「ア……アフロ刑事ぁぁぁーーーっっ!!」
 美咲の叫びが、銃声に混じってその場に響く。
 その場にいた者達の脳裏に、妙に鮮やかに「第24話:アフロ刑事、殉職」の文字が浮かんだ(24話である事に深い意味はない)。
 ……が。
 凄まじい反射神経でほんの一瞬の間に身を捩り心臓を撃ち抜かれて殉職する事を免れたアフロ刑事――和馬は、左の二の腕を撃たれながらもそれに構わず両腕で、タックルを避けられてしゃがんだ姿勢でいた美咲に下から足払いをかけられてよろけた少年の体をがっちりと捕らえる。
 すぐさまそこから逃げ出そうともがき暴れる少年に、ニヤリと鋭い犬歯を覗かせながら和馬が笑った。
「逃がすかよ、少年」
 撃ち抜かれたはずの左腕には痛みはなく、血が流れてもいなかった。ただ、障子を指で突付いた時のようにぽっかりと穴が開いているだけ。
 それに、あ、と零樹が口許に手を当てて呟いた。
「そうか……ここ、霧嶋さんの能力内だから怪我とかしても痛くないし、大丈夫なんだったね」
「あ……そうか、そうよね。よかった、後で霧嶋さんに治し……直してもらえばいいのね」
 シュラインも事態を飲み込んで、ほっとしたように一つ深く吐息をついた。そして和馬と少年の方へと歩み寄る。零樹もその後に続き、美咲もパンパンとスコートについた埃を払って立ち上がった。
「さて。それじゃあアンタは一体何者か、訊かせてもらいましょうか?」
 にっこりと笑い、シュラインはチラシとともに手に持っていた物を、ガバリと少年の頭に有無を言わせず乗っけた。
 琥珀が被っているのと同じ、ハゲヅラを。
 そして、一度軽くハゲヅラを引っ張ってみて、抜けない事を確認してからさらににっこりと笑い。
「はい、定着完了。これでアンタもハゲヅラライフを楽しむ事になるわね。よかったわね」
「は……、ハゲヅラライフっ?!」
「霧嶋の能力に干渉してるの、お前だろ?」
 腕から少年を解放しつつ、けれどもしっかりと少年の両腕を後ろ手に回させて捕らえたまま、和馬が問いかけた。それに、プイッと顔を背けて答える事を拒否しようとする少年。
 けれど、その態度だけでもう十分に、彼が犯人だと語っているようなものだ。
 子供じみたその少年の態度に、ニヤと和馬が笑みを零す。
「まあ、だんまり決め込むのもいいけどさ、干渉するのやめないと、お前もずっとそのハゲヅラ被ったままになるぞ?」
「えっ!?」
 くるりと少年が、ハゲヅラに収められていない為、残ったままになっている襟足で1つに結ばれた腰まである長い髪を、まるで蛇のように揺らせて肩越しに振り向く。
「このままってどういう事だっ?」
「あ? なんだよお前、理解してやってたワケじゃねえのか?」
 腰に手をあてがって少年の前に仁王立ちになりながら、美咲が呆れた表情を浮かべる。
「お前が霧嶋の能力に干渉するのやめねえと、ヅラがハズれねえんだよ。勿論お前もそのままだな」
「…………」
「あーそうだ、ハゲヅラだけじゃ能力解く気にならないっていうなら、さっき店長さんにもらってきたコレもキミにつけてあげるよ?」
 にっこりと、どこか腹黒さを感じさせる微笑を浮かべて零樹が着物の袖口から取り出したのは、二本の黒く長いひも状の物。
「じゃっじゃーんっ、ドジョウのおヒゲー! ちょっと先をカールさせればピエールって感じだよねー」
「わあ素敵な物持ってるのねハイカラさん。今ならアフロ刑事が捕まえてるし、遠慮なくつけちゃっていいわよー?」
 両手を組み合わせて自分の右頬につけて「感激っ」のポーズを取りながら、少年にとっては悪夢としか思えないような事を妙に楽しそうに言うシュライン。それに、美咲もニヤニヤ笑いながら腕組みして様子を見守る姿勢を取った。和馬はよりいっそうきっちりと少年が暴れたり逃げ出したりしないように腕を捕らえる。
「さあ観念しようね、琥珀くんのそっくりさん?」
 穏やかな微笑を浮かべながら、泥鰌ヒゲを持ってずずいっと少年に迫る零樹。
 その、ヒゲを乗せた指先が少年の鼻の下に今まさにくっ付こうとした、その瞬間。
「や……っ、やめろォォォーーっ!!」
 少年が大声で悲鳴を上げ、後ろに捕らえられている手指をパチンっと鳴らした。
 途端。
「っ?!」
 ふっ、と。
 その場にいた全員の頭が、急に重くなり、そして。
 ……ぱさり。
 全員の頭の上から、それぞれ被っていたカツラが地面に落下した。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 あまりにもあっけなく解決の時が訪れてしまい、心の準備ができていなかった為どう反応したものかと困る4人。
 そんな一同の足許を、ひゅるり、と夏なのに何故か妙に冷たい風が駆け抜けて行った。


【chapter 4:お昼のメロドラマ(?)】

「……で? 結局、何なんだお前は」
 再び、軽食コーナーにて。
 黒い瞳でじろりと黒衣の少年を見やりながら、和馬が味のしないコーヒーが注がれた紙コップを手に、口を開いた。
 その頭は、もういつもの茶髪のオールバックに戻っている。
 あまりにも急にヅラから解放されてしまい、ちょっとした淋しさがある……ようなないような、奇妙な感覚が心――ではなく頭の辺りに漂っている。
 要するに、ヅラを被っていた時の名残なのだが。
 そんな和馬の視線を受けて、少年が上目遣いに睨みつけるように視線を返す。
「アッシュだ」
「それがキミの名前?」
 和馬と同じく、味のしない冷たいレモンティが入った紙コップをゆらゆらと手の中で揺らせながら、零樹が少し首を傾げた。
「琥珀くんと同じ顔なのに、石の名前じゃないんだね」
「彼の名前は『玲瓏(れいろう)』です。青い光が入る黒曜石の名なんですが」
 ハゲヅラ・ちょび髭・黒ぶち眼鏡という3点セットから解放されたいつもの容姿で、その場にいる者たちから外れたヅラを回収しながら琥珀が淡々と告げる。感情のない金色の瞳をちらりと黒衣の少年に向けて。
「マスターから貰った名前を捨てたのか、君は」
「はっ、あんなヤツを『マスター』とか言って自分の主扱いしてるお前の気が知れないな」
 紡がれる玲瓏――アッシュの言葉には、この場にはいない霧嶋への隠す事の無いあからさまな嫌悪感がある。敵意、と言ってもいい類のものだ。
 それにしても、同じ顔なのに琥珀はまったく感情を表には出さず、アッシュは感情のままにころころと表情を変化させる。人の顔と言うのは表情一つでこんなに印象が違うものだろうか?
「……それで。一体どうしてこんなことしたの?」
 脱いだ割烹着を畳みながら、シュラインが静かに問いかける。あまり、相手を刺激しない程度に。
 ヅラから解放されたとはいえ、厳密に言うとまだ彼がどういう能力を持っているか分からないからだ。
「意味もなくやらないでしょ、霧嶋さんの能力に干渉する、なんてこと」
「……、お前らに言う必要はない」
「わざわざこんな、霧嶋の近くまで寄ってきて様子を見てたって事は、お前の能力が届く範囲が狭いのか、それとも干渉された霧嶋の反応が見たかったのか……ま、そんなトコじゃねえの?」
 何でもない感想を告げるかのようなドライな口調で言うと、美咲はヅラで押さえつけられていてペッタンコになっていた髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。そして手櫛で整える。
「どー見てもコイツ、ただのガキじゃん? 親に構って欲しくて様子見に来たんじゃねえの?」
「…………」
 アッシュが言葉を返さずにムッと黙り込んだのは、図星を突かれたからだろうか。
「……にしても、だからってヅラを外れなくするってのはどうなんだ」
「それは俺が意図したものじゃない」
 和馬の言葉に即座にアッシュが答える。それに、ふとシュラインが美咲へと視線を向けた。
「そういえば、季流くんの能力って他人の力の影響を受けないのが能力、だったわよね?」
「ん? ああ、そだけど?」
「じゃあ、何で今回は影響受けちゃったのかしら」
 基本的に、美咲は霧嶋の能力「人形化」という肉体に不可解な変化が起きる特殊空間の影響を受けていない。生身の人間のままである。
 だから、もしアッシュに銃で撃たれたのが和馬ではなく美咲だったら、今こんなに和やかに話していられる状況ではなかったはずだ。
 前に一度、霧嶋の能力の影響を受けているのかどうかを確認する為に、美咲は琥珀にナイフで腕を切りつけられた事がある。
 その時同様、流血沙汰になる事間違いナシ。
 アフロ刑事には大変申し訳ないが、撃たれたのがおバタ夫人ではなくアフロ刑事でよかった、という所だ。
 そのアフロ刑事――もとい、元・アフロ刑事は、左腕にぽっかり開いた穴を物珍しそうに覗き込んでいた。それを見て、琥珀がそっとその穴の近くに触れる。
「このまま放置して帰宅しないでください。大変なことになりますので。後でマスターに直してもらいましょう。お時間は取らせませんので」
「ん? あー……それはかまわんが。というか、むしろ頼む」
「はい。……それで、今回季流さんが能力の影響を受けたのは、玲瓏――アッシュの能力のせいだと思います。彼の能力は、いかなる能力者の能力も無効化する、というもののようなので」
 霧嶋の能力範囲内にいる能力者の持つ能力を余すことなく全て読み取る事ができる琥珀の金の瞳が、しばしアッシュの瞳を捕らえてからすぐにするりと離れた。
 アッシュの能力で美咲の能力は無効化され、その無防備になったところに、霧嶋とアッシュの能力の干渉により起きた歪み――すなわち「ヅラ密着」の影響も受けさせてしまった、という感じだ。
 能力が無効化されていても、元々体には「能力がある」という残り香のようなものが刻まれており、それに「ヅラ密着」が反応したのだろう。
 他の者たちは今回特にそれらしい能力を使わなかったために実感がないかもしれないが、ヅラ装着状態(つまり、アッシュの能力が効いている状態)で力を発揮しようとしても、おそらくは無理だった筈である。
 が、和馬の常人離れした身体能力は、特殊能力とは認識されなかったようだ。美咲の身体能力と同じように。
「でも、それだったらなんで霧嶋さんの能力は無効化されないのかな?」
 アッシュがここにいても、やっぱり飲み物の味を感じる事はできない。それは霧嶋の能力が無効化されていないからだ。和馬がアッシュに撃たれても無事でいられるのも、そのせいである。
「おかしくない?」
 そう、さらりと艶やかな黒髪を背で揺らせながら小首を傾げる零樹に、チッとアッシュが舌打ちして無言のまま忌々しげに顔を背ける。何か言いたい事はあるようだったが、それを無言で押し殺した感じだ。
 そんな彼の代わりに、琥珀が冷めた顔で口を開いた。
「所詮はマスターに生み出された存在。マスターの力には敵わない、ということです」
「琥珀、貴様……っ」
 ぎり、と奥歯を鳴らして琥珀を睨みつけるアッシュ。けれども琥珀はそれをしれっとした顔で無視し、シュラインへと双眸を向けた。
「先ほどシュラインさんが言われていた通り、瑪瑙をマスターのアトリエから連れ出したのは、彼です」
「……、どうしてそんなこと……」
 眉を寄せて言いかけた時。
「あららら、コッチはこーなってたかぁ」
 不意にシュラインの後ろから上がった声に、パッと全員の視線がそちらへと向けられる。
 その、一斉に自分に向かって集まった視線に「お?」と言うように瞬きしたのは、黒いゴシックスタイルの衣装を纏った、黒髪に紫の瞳の少年だった。
 通称、ゲームセンターAzの「黒のバイト生」。元々の呼称は「ゲートキーパー(仮名だろう、多分)」。
「うーっす。琥珀、バイトご苦労さん」
「黒さん、今日はバイトお休みのはずでは?」
 すちゃっと指先を綺麗に揃えた手を額の横に添えて言うゲートキーパーは、その逆の手にガラス製のような透明の大鎌を持っている。その柄を肩に乗せて、琥珀が抱えている複数のヅラを見た。
「あ、もしかしてもうちょっと早く来てたら面白いもの見れた? くああ、残念っっ」
「おいそこの阿呆」
 さっきまでとは打って変わった冷えた声を発し、美咲が椅子にふんぞり返ってゲートキーパーを見た。自然と声音が険悪になってしまうのは、心に決めた(?)宿敵ゆえだろう。
「一体何しに来たんだお前」
「ん? ああ、ちょっと侘びを言いに――……あ」
 言った時、その一瞬の隙をついたかのようにフッとアッシュの姿がその場からまるで煙のようにかき消えた。すぐ傍らにいた和馬がその事態にギョッとしたが、琥珀が表情一つ変えず緩く頭を振ってみせる。
「逃げたようです。瞬間移動能力で」
「あー……そりゃまた便利な能力だことで」
 まあ別に、ヅラさえ外れれば和馬にとってはアッシュなどいてもいなくてもどうでもいい存在である。それ以上深く気にする事もなかった。
 他の者も、とりあえず現段階では無理矢理追いかけて連れ戻す必要性を感じなかった為、何も言わずにそのまま視線を、言葉を止めたままのゲートキーパーへと戻す。
 そのゲートキーパーはと言うと、肩越しに後ろを振り返ってひらひらと誰かに向けて手を振っていた。
 歩み寄ってくるのは霧嶋である。すでに帽子の下のおさげは取り払われ、5割増だった胡散臭さがいつものレベルに戻っていた。
「さて。では役者が揃ったトコで説明と参りますか」
 トントン、と軽く大鎌の柄で自分の肩を軽く叩いてから、ゲートキーパーが一つ溜息をついた。
「んー……あぁ、まあ、何だな……一言で言うとだな、今回の一件……というかアッシュが生まれた原因っつーのがだなー……いや、原因というか……んー……」
「何かえらく歯切れが悪いな……」
 テーブルに頬杖をつきながら、コーヒーを飲み下して和馬がぼそりと言う。それに、同意、というようにその場に居た全員がこくんと頷く。
「あー……いや、だからだな。……おい霧嶋、アンタも何か言えよ」
「……私に責はないと思うが」
「うーわ、俺一人に責任押し付ける気かっ」
「……押し付けるというかそもそもお前が私の……」
「ヒドいっ、ヒドいわっ! アッシュは……アッシュは」
 小脇に大鎌の柄を挟みこんで芝居がかった様子で両手で顔をバッと覆うと。
「俺たち2人の愛の結晶なのにぃぃぃっっ!!」

 ――――…………。

 ……非常に微妙な沈黙がその場に流れた。
 騒がしい店内の騒音も、引き潮の時のようにその場からざざざー……と遠ざかったかのようである。
 シュラインと美咲と和馬はポカンと口を開いて、そんな寒い空気が漂っている事を知ってかしらずかシクシクと泣き真似を続行しているゲートキーパーを見ている。
 呆気に取られる、とはまさしくこのこと。三人揃ってハニワのように同じような表情をしていた。横一列にきれいに並んでいる為、ますます墓を守るハニワちっくである。
 そんな中、ただ一人。
 零樹だけが、ガタンと後ろによろけて椅子に力なく崩れ落ちた。翡翠色の瞳にうっすら涙……を実際に浮かべているかどうかは言及しないが、ガーンッッ!! という効果音でも鳴らしたくなるようなショックの受けようであった。
「ひ……ひどい霧嶋さんっ、僕というものがありながら……っ!」
 メロドラマの悲劇のヒロインよろしく着物の袖口で目許を拭い、ううう、などと嗚咽まで漏らしている。はらはらとセピア色の情景内に薔薇の花弁でも散っていそうな雰囲気だ。
「霧嶋さん……僕との事は遊びだったんだね……!」
 ひゅるりら〜、と木枯らしのような冷たい風(近くにある冷房から吹き出てくる風だ)が零樹の髪を撫でて通り過ぎていく。
 突如訪れた哀しみ……彼はこの悲しみを乗り越えられるのか……?
「ああでもいいんだ……僕はそれでも、霧嶋さんが幸せなら……幸せなら、僕も……僕も幸せだよ……」
「マスター、蓮巳さんが壊れました」
 遠い眼をしてからまた眼を拭う仕草をする零樹を暫し観察していた琥珀が、ごくごく冷静にいつもの無表情のまま、椅子に腰掛けて口許に手を当てたまま身動きを止めている霧嶋に報告する。それに、霧嶋が真顔で答えた。
「……演技派だな、彼は」
「それにしてもマスターがまさか黒のバイト生さんとそんな事になっているとは思いませんでした。蓮巳さんともそうだったなんて」
 またしても真顔で言う琥珀の肩を、後ろからぽむとシュラインが叩いた。振り返る琥珀に、緩く頭を振って生暖かい微笑を浮かべる。
「琥珀くん……そこら辺は大人の事情だからツッコんじゃダメよ」
「おいおいおいおい、いいのかそんなこと言って」
 思わず和馬が素早くツッコミを入れてしまう。それに、美咲が和馬の肩をポムと叩いて、振り返る彼に生暖かい眼差しのまま緩く頭を振った。
 それは全てを悟り切った者のみが持ち得る眼差し。
「ふっ……そうやって子供は大人になっていくのさ……大人の階段はそうやって上っていくものさ……」
「……そうか。そういう成長もアリだな……まあ琥珀も男だしな、後学の為という事か……ふっ、俺もそうやって大人になったんだっけ……」
 本当か嘘か分からない事を言いながら、和馬も生暖かい眼差しになる。
「――――……」
 ……何だか妙な空気が漂っているその場の空気をどう取り扱っていいものか分からないまま、霧嶋は疲れたように椅子から腰を上げた。
「やれやれ……傍迷惑な愛の結晶もいたものだ……」
 その呟きが、その場にいる者たちの耳に届いたかどうかは謎である。


 結局、「アッシュ」というものが本当のところ一体何者なのか分からないまま、ヅラ騒動は妙な空気に包まれつつ慎ましやかに幕を閉じた。


【chapter Final:そして、日常へ】

「ホント、一体なんだったのかしら」
 ふう、と一息つくと、シュラインは2階のプライスゲームコーナーへとやってきた。
 何だか、ヅラを取ったその瞬間から、身体的にというよりは精神的な疲労に包まれている気がする。
 あのヅラ……実は人の生気を吸い取る力でもあったんじゃないかしら、などと思うくらいに。
 まあ、あれだけテンション高く居続ければそれなりに疲れるのも当然かもしれないが。
「さて……と」
 階段を上がり終えると、シュラインはその青い双眸を周囲へと巡らせる。そして、奥のほうにあるUFOキャッチャーの前に真剣な眼差しで立っている鶴来を見つけて駆け寄った。
「鶴来さーん。今日もお人形ゲットに励んでるの?」
「はい。最近の趣味なので」
「毎日ここでこんな事してるの?」
「まあ、一週間の内の大半は」
「部屋の中人形だらけになってない?」
「……だらけになるほど取れていないので……、あっ」
 言った傍から、アームに引っかかっていた人形がぽろりと落っこち、がくりと肩を落としてしまう。
「やっぱり下手なんですね、俺は……」
 うう、と恨めしげに落っこちた人形を見る鶴来のその頭には、まだハゲヅラが乗っけられたままだ。それを見て、シュラインは携帯電話を取り出した。
「はい鶴来さん、ちーずっ」
「え?」
 視線をそちらへ向けた瞬間にパチリと撮られてしまい、きょとんと瞬きをする。それにニッコリと微笑み。
「記念よ、記念。あー、どうせなら私がヅラ取る前に並んで撮ればよかったわね。親子写真みたいでいい感じだったのに」
「あ、それは言えていますね。残念」
 真顔で答える鶴来に頷いて笑ってみせてから、ふと、シュラインはその鶴来の手にある日本刀を見た。
 そして、少し躊躇ってから。
「……その刀、いつも持ってるのは家からの干渉を防ぐ為、とか?」
 いつもこの店にいる時には式服だ。……というか、綺の一件があってからは、先日の夏祭りの時の浴衣以外は常に式服を纏っているような気がするのだ。
 喪服のような黒いスーツではなく。
「ああ……これですか? これは……ただ、傍に置いていないと落ち着かないというだけの事です」
 言うと、鶴来はハゲヅラを取ってから少し刀を持ち上げて微笑んだ。
「心配いりませんよ」
「……無茶はしないで、ね?」
 彼の「心配いりません」はアテにならないのだ。
 それをよく知っているからこその、言葉。
 あの日の涙を、知っているからこその。
「……無茶なんて、しませんから」
 心配そうなシュラインの表情を安堵の色へと変える為、鶴来はいつものように微笑む。
 その笑顔を見て、シュラインも微かに笑った。
 ……今日のこのヅラのように、彼を包むしがらみも何もかもが、その身から外れてしまえばいいのに……。
 微笑の内で、ふと、そんな事を思った。
 少しでも早く彼も穏やかな日常に戻れますように、と。
 あんな騒動の後にそんな風に、妙にシリアスな思考に走る自分に苦笑しつつ、それでも……それは嘘偽りではなく、彼女の本心だった。
 早く、平穏な場所に辿り着けますように――と。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/権天使】
1533 … 藍原・和馬――あいはら・かずま
        【男/920歳/フリーター(何でも屋)/天使】
2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/権天使】
2765 … 季流・美咲――きりゅう・みさき
        【男/14歳/中学生/大天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけました……でしょうか?(恐る恐る)

 シュライン・エマさん。
 再度のご参加、どうもありがとうございます。再会できて嬉しいです。
 某アニメの某さんみたいな髪型、というプレイング……笑い悶えてしまいました……(笑)。何気に写真撮って後で利用、とかいう腹黒さもとっても好きで!(笑)
 実は今回、しっかりと調査方法を書いて下さっていたのがシュラインさんだけでして(笑)、助かりました……ありがとうございますっ。
 そして、いつもいつも鶴来が大変お世話になり&ご心配をおかけしておりまして……(ぺこり)。
 これからも諸々、どうぞ宜しくお願いします。
 それにしても今回のシュラインさん、なんだかちょっと……はっちゃけすぎ……な気が……(汗)。

 本文について。
 界の詳細な規則等は、すでに異界をご覧頂いていると思い、多少省かせていただいています。なるべく文中でも解説する機会を作れたものはくどくどと解説していたりもするのですが(汗)。
 わかりにくい、と言う場合は、異界にてご確認ください……。
 今回は、調査については全共通です。個別部分は序章の次の章と、終章です。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。