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呼ぶ、声
自分の事を人に説明する時、まず大概の人が名前から名乗る。
それから、年齢であったり学生か、それとも勤めているのか、趣味は何で休日は何をして過ごしているのか――、等。
ぽつりぽつりと、語り始めるだろう。
だが、水上操は違った。
まず、名乗る時、彼女は自らをこう言う。
「白神から参りました、"水神"です」
水上と言う姓では名乗らない。
本来与えられた真の名字だけ。
その名だけで操は全てを語ろうとする――退魔師、と呼ばれる職種も自らの事も、全て…そう、全て。
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操は退魔師の中で、とあるグループに属している。
名を『白神』と言い、退魔組織として古の昔から比類なき力を誇る強大なグループに。
まず普通の退魔師であったなら、こうはいかなかっただろう。
これこそがある人物の庇護によるものだと操は解っていたし、その点で何か思う事があったにせよ、恵まれてるとか、幸運な、と言う言葉は一切思い浮かぶことはなかった。
(今ある全ては一人の人の為に)
そのトップに立つ人物――
ちらりと、操は傍らに座り資料を見ている女性の顔を見る。
若々しく、更に美しく何時まで経っても少女のような外見の女性。
ぱっと見れば10人中10人が騙されるだろう、瑞々しさ。
(誰が思うだろう?)
彼女こそが、『白神』派の今代の長――"お館様"だと。
そうして。
操がこうして生きていられるのも、この女性の、久遠のお陰なのだ。
白く細い指が資料を叩き、時に考え込むような声を出しては腕を組む。
誰を派遣するべきか考えているのだろうか。
僅かばかりの静かな時間。
操は、ただ久遠を見つめている。
「……どうしたの?」
漸く、見つめられていた事に気付き、微笑を浮かべ久遠が尋ねた。
「いいえ、ただ――思い出していたんです」
「何を?」
「――色々な、事を」
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忌み子と呼ばれ、殺されそうになった。
確か、あれは……小学生の時の事だったから、操の母の葬儀の後の事だったか。
穏やかに吹く風と柔らかな陽は母を送るに相応しく、また、母がゆったりとした足並みで河を下るのが見えるようだった。
大きな棺が担ぎこまれ、最後に棺の小さな窓から見る母は、今の久遠のように少女の如き穏やかな笑みを湛えていて、操は生涯、母の死に顔を忘れることは出来ぬよう、心に深く刻み込んだ。
(さよなら、お母さん)
本人の希望で火葬はされず野辺送りとなった母、瑞穂の葬儀の後――、死を哀しむのが当然の場であろう、その場所で組織内の守旧派は操を忌み子として抹殺すべきと言い放ったのである。
「今まで生かしておいたのも、次期当主の娘であると思えばこそ。彼女亡き後、我らは断固として忌み子の継承は認めない」
「そんな! だからといって殺すだなどと、あんまりじゃありませんか!」
「これは白神の……次期当主と貴方は親友と呼ばれる間柄であったとか? だが、残念なことにこれは"水上"の問題であると言う事は貴方にもお解り頂ける筈」
言葉に詰まり、様々な言葉を出せないままに黙る久遠。
操自身も何も言えないままに自分が着ている喪服の色をただ見ていた。
真っ黒の、ワンピーススーツ。
良い生地で仕立てられた喪服は、自分自身の喪の色でもあるのだろうか……。
忌み子であるというだけで容赦も遠慮もなく、まだ幼い自分に、様々な言葉をぶつける守旧派たち。
(……そんなに嫌だったら抹殺でもなんでもすれば良いのに)
自分の事だ。
けれど、その自分は自分自身で決められない遠くにある。
どうすれば良いと言うのか。
全ての血液を流しだし、違う血液を入れ替えれば皆が望むものになれる?
(無理なことを……)
無理だから、諦めるしかない。
母も死んだ、護ってくれる優しい掌はもう無い。
もう――……
操が瞳を閉じた、その時。
ふわりと、柔かく抱きしめられた。
久遠の腕だと気付き、操は戸惑う。
だが、久遠は腕の力を緩めず凛とした声で言い放った。
「ならば、この子は白神で預かります。親友の子を、抹殺すると言われて"はい、どうぞ"と言える人がいたら、それこそ顔を見てみたいものだわ! …それとも、貴方…貴方の親友の子が殺されても笑えて?」
「…話をすりかえないで頂きたいものですな。これは我ら守旧派全体の意見なのですから」
「いいえ。話をすりかえてるのは貴方がたよ、お馬鹿さん」
譲り合うことさえなく、久遠と守旧派は互いを見詰め合った。
有るのは言葉のない空間。
牽制、と言う言葉では推し量ることさえ出来ない、両者の戦いでさえあり……そんな空気を遮ったのは。
「…あんた等、次期当主がどうの子供がどうのといっとるがね。忘れとらんかね、今日は操の母親が死んだんだよ? あたしの娘でもある子が死んだって言うのに……今日くらい静かに出来んのかい?」
現当主、操の祖母、その人だった。
久遠が一人で頑張ろうとも、白神の長とは言え、久遠が個人的な事情だけでは守旧派を完全に黙らせるには至らない。
操の祖母はその点を見抜いて、言葉を投げかけてくれたのである。
…無論、どちらの味方である、と言う態度を出す事もなく。
「で、ですが……」
「黙りや。操の処遇はあたしが決める。…操もそれで良いな?」
「……うん」
「良い子だ。とは言え、あたしを怨むかも知れんが……操が、この家の継承する事は不可とする。…あんた等もそれで良いな?」
「は……それでしたら否やを唱えることもございません」
ふん、と笑いながら祖母はまだ言葉を続ける。
「更に。操は、あたしが引退する時をもって水上家から、水上の組織からも除名する」
ざわ…と、その場の空気が一斉にうごめき始めた。
現当主の言葉が何よりも絶大な決定権と重みを持つ。
そして、彼等が担ぎ歩いて行きたいのは、操ではなく、死んだ操の母であり、操の祖母なのだ。
抹殺と言う形になる事は無いにせよ、存在を水上から消すと言う提案に、皆が皆、ほっと胸を撫で下ろしていた。
が、これはまた、次の当主候補をその間に見つけなくてはならぬと言う問題を含んでいると言う事に久遠と、操の祖母だけが気付いていた。
…つまり、気付かぬならば愚であると、暗に言っているのと同じだが、この事にさえ気づくものは居なかった。
誰として。
操の存在を消そうと願っているのに関わらず。
+
その後。
中学へと上がり、白神に繋ぎ止めてもらえた恩を返そうと操は決意する。
僅かな期間であろうと母と同じ道を歩もうと。
自分を母と同じ場所に繋ぎとめてくれた白神へ、仕えるのだと。
理由はたった一つ。
母の死後、幾度も救ってくれた4つ年上の久遠の娘や、操自身に僅かながらでも守りたいものが出来たから。
何度も何度も、存在が解らなくなる度に差し伸べてくれた掌。
優しく、強く、操の名を、呼ぶ声。
他の誰でもなく、操を呼んでいるのだと気付かせてくれた、声の色。
だからこそ、今は、こう聞く事が出来る。
「ねえ、お館さま……?」
「なあに?」
「私を白神に呼んでくれて、後悔していませんか?」
一瞬、久遠の動きが、ぴたりと止まる。
が、ややあって大きな声で笑うと。
「そんな事……ある筈無いでしょう? 今や貴方は、この白神に無くてはならない存在よ」
と、言い、母親がするように操の髪を優しく撫でた。
今では、操に敵う人物もほんの僅か数えるほどにしか居ない。
それも、中学に上がって、高校3年生になった今現在と言う数年でだ。
僅か数年で、才能も有ったのだろうが驚くほどに力を伸ばした操は、白神派でも屈指の退魔師として内外にその名を知らしめている。
今や、操の名を呼ぶ声は知り合いばかりではなく――様々な、困っている人たちから高く、求められているのだ。
忌み子であると言う事実さえ関係なしに。
・End・
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