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心の箱が開く時
貴方の望むものはなに?
貴方は…その生と死に…満足できる…?
貴方は何故此処にいる?
私はどうして此処にいるの……
◆◇◆
月明かりが窓から差し込み、柔らかな光が部屋の中に蹲る少女を照らし出す。
しかし、少女は優しい月明かりに照らされていながらそれに癒されることはなく、ただぼうっと膝を抱え何もない宙を見上げていた。
人の気配が感じられない部屋。
誰もいない部屋。
少女一人だけの部屋。
少女は孤独という箱の中に閉じこもっていた。
今まで誰一人として少女を構う者は居なかった。
まるで空気よりも薄い存在。
少女の家族はとうの昔に亡くなり、身よりもない。
ずっと少女は一人きりでこの部屋で暮らしていた。
機械的に生命を維持するだけの必要最低限のことを行いながら。
しかし、それも今日で終わる。
小さく少女は微笑んだ。
それは何処か壊れた機械のような微笑みで。
生きていることに何も喜びを見いだせず。
今存在しているこの世界に自分の存在価値が無いように思えた。
なんのために生きているのかも。
なんのために未来があるのかも。
ただそこにいるだけの存在。
自分一人が消えてしまっても、この世界は何一つ変わりはしない。
誰が泣くことも、そして笑うことも苦しむことも。
少女を取り巻くそのような感情はいつも少女一人だけのものだった。
きっと、少女の存在は空気よりも軽くて薄くて、空のもっと高いところまであっという間に飛んでいってしまうのだ。
「バイバイ」
鏡に映る自分自身に手を振って。
少女は満月が見守る中、この世との決別を図る。
それは余りにも呆気なく、そして淋しい最期だった。
月明かりだけが、何も変わらず少女を静かに照らし出していた。
◆◇◆
ここは何処だろう、と少女はふと目を覚ます。
ゆっくりと起きあがり、自分の目の前に広がる世界を眺めた。
それは何処までも広がる暗闇。
動かしたはずの自分自身の掌すら見えず、自分自身の体がそこにあるのかも分からない。
耳を澄ましても何も聞こえない。
何も見えず、全ての存在は形を無くし、その暗闇の中には何もない。
少女は暗闇と共にあった。
深淵の闇の中に閉じ込められた恐怖。
その恐怖に全身を取り囲まれ、少女は思いきり声を上げた。
…上げたつもりだった。
しかし、その声が上がることはなく少女がその暗闇から抜け出すこともない。
そこには自分という形は無く、自分すら存在しない死という名の闇の中。
そしてそれが、自ら命を絶ち、暗闇の中に身を投じた少女に科せられた罰だった。
ただずっと暗闇の中にあるということ。
ひたすら闇と共にあるということ。
まるで暗闇の牢獄。
一人きりでも少女が生きていた時には光はあった。
誰もいなくても、太陽も月も少女を照らしてくれていた。
風がそよぎ少女の髪を揺らし、雨が少女の頬を濡らした。
少女は確かに自然の中で暮らし、そして生きていた。
たった一人きりでも、少女は自由だった。
命を絶つという行為、生を冒涜する前は。
少なくとも今の状態よりは何倍も良かったはずだった。
こんな恐怖を味わうために、少女は命を絶ったわけではなかった。
ずっと遠くまで行けると思っていた。
何よりも高く、そして自由になれるのだと。
それなのに、ここは生きていた時よりもずっと深く繋ぎ止められている。
闇という暗闇に。
全てを闇に取り込まれ、心さえも自分のものであるか怪しい。
そんな少女の心がざわつき出す。
『此処から出たいの』
『どうしてここはこんなに暗いの?』
『ここはとっても怖いの』
『私は私?』
『貴方は…私?』
『私は……貴方?』
ぐるぐると質問だけが回り答えなど見つからない。
少女は余りの恐怖に心を少しずつ壊しながら、自分の犯した過ちを知る。
少女は自分自身を自分の手でこの世から消すことで、何よりも重い枷を背負ってしまったことを。
もう何処にも行けないのだ。
ずっとこの暗闇の中で永遠に彷徨い続けるのだ。
辿り着く場所も分からないまま。
永遠に紡がれる闇の唄。
少女を捕らえて放さない闇の枷。
少女は願った。
自分の犯した罪を…行為を償う方法を。
暗闇の中で繋がれずとも償える方法を。
『私は………!』
強くそう願った時、目の前に鎌が現れた。
自分の背丈よりも大きな漆黒の刃。
自分自身の体も見あたらないというのに、少女はその鎌を手にすることが出来るような気がした。
暗闇の中で、更に深い闇を纏ったその鎌にだけは触れられるような。
少女は混沌とした闇の中で必死に手を伸ばす。
そのイメージを脳裏に描いて目の前の鎌を手にする。
鎌を手にしたと、少女の脳裏へと伝わる感触。
少女はその瞬間、暗闇の中から無理矢理引きはがされ、そしてまとわりついていた他の思念を振り払い闇の中から消えた。
一つの魂を逃した闇が暗い咆哮をあげる。
少女を捕らえていた闇は何処までも暗く深い。
少女はその暗闇をもう二度と見たくないと思った。
そして他の誰にも見て欲しくないと、あの闇は見てはいけないものなのだと少女はそっと瞳を閉じた。
◆◇◆
再び少女が目を開けた時、足下には緑色の草原が広がっていた。
何時か見た風景。
それは何時のことだったろうか。
頭の中が混乱していて分からない。
ただ、少女はきちんとした身体を持ち、そしてしっかりと自分の足で立っている。
あの暗闇と同化したままの少女ではなかった。
手には大きな漆黒の鎌。
その鎌が暗闇と少女を切り離してくれたようにも感じられた。
そよいでいく風が少女の長く黒い髪を夜空に舞わし、そして真っ黒な外套を静かに揺らしていく。
少女はまた一人きりでこの世界に立っていた。
一度は自ら断ち切った世界。
未来など要らないと捨てた世界。
それなのにこうして少女は再びこの世界に戻ってきた。
しかし闇と切り離された時に少女は記憶の欠片の全てを落としてきているようだった。
何故ここにいるのかも分からない。
ただ、何故自分が此処にいるのか、その意味を知りたいと思った。
そして少女は歩き出す。
自分自身の存在を見つめるため。
自分の存在している意味を探すため。
ふと心に浮かぶ言葉。
「スイクル………」
それが私の名前、と少女は小さく呟く。
見上げた夜空には大きな満月があった。
その光が少女を優しく照らし出す。
その明るさに少女は小さな笑みを浮かべる。
その優しい微笑みは、少女の心の奥底にしまい込まれた心の箱が開いた合図だったのかもしれない。
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