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<東京怪談ノベル(シングル)>


Last Present
 ――一体、俺はなんのために生まれてきたんだ?

 暗闇の中で倒れ伏したまま、男はふとそんなことを考えた。

 朦朧とした意識の中で、過去のいくつもの記憶が次々と浮かんでは消えていく。
 これが、おそらく「走馬灯のように〜」というやつだろう。
 だが、そうして駆け巡っていく内容は、とても走馬灯に比せられるようなものではなかった。

 ――今までの人生、いい事なんて何一つありゃしなかったな。

 改めてそう思わずにはいられないほどの、「ろくでもない出来事」の数々。
 そして、それらの「ろくでもない出来事」の結果として、今の彼がここにあった。
 もはや彼にとっては珍しいことではなくなった命のやり取りの果てに、土手っ腹にいくつもの穴を空けて、冷たいコンクリートの上に横たわっている。
 この死に様が、彼にはなんともふさわしいように思えた。

 ――結局、クズは死ぬまでクズのままか。

 心の中でそう呟いて、彼が何気なく横を向いた時。
 誰もいないはずの彼の隣に、闇から抜け出して来たかのような黒ずくめの少女が立っていた。
 手には巨大な漆黒の鎌を持ち、闇色の外套を纏っている。
 その外套と、長い黒髪の間に見える顔だけが透けるように白く、少女の妖しくも冷たい美しさを際立たせていた。

 無言で自分を見下ろす少女に、男は聞くともなしにこう尋ねてみた。
「お前、もしかして……死神、か?」
 その問いに、少女は無表情のまま小さく頷く。

 不思議なことに、怖くはなかった。
 こうして死ぬことに、男はなんの恐怖も抱かなかったのである。
 あるいは、すでにこのろくでもない生き方に、嫌気がさしていたのかもしれない。
 だとすれば、生への執着が勝敗を分ける戦いに男が敗れたのも、当然の帰結というものだろう。

「……遅かったじゃねぇか」
 自分でも冗談とも本気ともつかぬまま、男はそんな言葉を口にしていた。
 それを聞いても、少女はほとんどなんの反応も示さない。
 聞こえていない、ということはないだろう。
 だとすれば、何も感じなかったのか、あるいは、男の言った意味を計りかねているのか。
 その答えの欠片すらも見せない紅の瞳を見つめているうちに、ふと、こんな考えが頭に浮かんだ。

 ――最期に、死神に愚痴ってみるのも悪くない、か。





「俺は、いらない人間だったんだよ。生まれた時からな」
 真っ先に口をついて出たのは、その一言だった。
 それと同時に、再び走馬灯が回りはじめる。
「もともと、望まれて生まれたガキじゃなかった。
 そのせいか、オヤジにも、オフクロにも、優しくされた記憶なんて一つもねぇよ」
 ほんの少しの食事しか貰えず、いつも腹を空かせていたあの頃。
 理由もなく何度も殴られ、生傷が絶えなかったあの頃。

「殺されなかっただけマシだと思った時期もあったさ。
 けど、今にして思えば、ただ単に厄介なことに巻き込まれたくなかっただけなんだろうな。
 その証拠に、ギャクタイがどうのって調査の人間が来ると、二人とも厄介払いができるとばかりに、さっさとオレをそいつらに押しつけやがった」
 全てが、今思い出しても腹の立つ出来事ばかりだった。
 そのいまいましい両親とも、ひょっとしたらいずれ再会することになるのだろうか。
 もし地獄というものがあるのならば、自分も、そして両親も、そこへいくことは免れえないだろうから。

「保護施設とやらも、保護なんて名ばかりのひどいところだったさ」
 他の誰ともわかりあえず、延々と衝突を繰り返した。
 いつしか彼はそこでも厄介者扱いされるようになり、彼がたまりかねて飛び出した時も、結局申し訳程度にしか探してはくれなかった。
 きっと、内心では皆いなくなってよかったと思っていたのだろう。

「それから……まあ、喧嘩して、盗んで、パクられて……そんなことを繰り返してるうちに、自然とその筋の連中とつきあうようになってな」
 そんな連中に出会った頃のことは、今でもはっきりと覚えている。
 初めて自分が仲間として受け入れられたと感じ、仲間のためなら何でもやってやろうという気になっていた。
 しかし、結局彼に回って来たのは、鉄砲玉のような役目ばかりだった。
 誰かがやらねばならないが、誰だって死ぬのは怖いし、組織としても死なせるのは惜しい。
 だから、死んでも誰も困らないヤツがいけばいい。
 連中にとって、彼はしょせん「死んでも誰も困らない、便利な使い捨ての駒」に過ぎなかったのである。
「そんなこんなで、気がつけば、いつの間にかこんな殺し合いに明け暮れる生活さ。
 カタギの連中には忌み嫌われ、裏の人間には蔑まれ、あるいは利用され。
 ……で、邪魔になったら、こうやってポイ、だ」

 そこまでいうと、男は一つ大きく息をついた。
 気がつくと、いつの間にか辺りは一段と暗くなっていた。
 隣にいるはずの少女の姿も、すでに霞んでしまってはっきりとは見えない。
 開いたままの傷口から、どんどん血が流れていくのが自分でもわかる。
 おそらく、もうそう長くはもたないだろう。

 ――どうでもいいか。

 そう心の内で吐き捨てて、男はさらに続けた。
「別に、今さら恨んじゃいないさ。
 俺はあまりにも人を殺し過ぎた。そのツケが回ってきたんだろう」
 今にして思えば、なぜこんなにも生きたのだろう?
 人を殺し、罪を重ねながら、どうして今まで生き続けていたんだろう?
 何のために生まれて、何のために生きていたんだろう?
 そんな問いが、次々と浮かび上がってくる。
 答える術を持たない男は、答えのかわりに、自嘲気味にこう呟いた。
「俺みたいなヤツは、死んで当然なんだよ。こんな風にな」

 その時だった。
 不意に、男の頬に暖かいものが触れた。
 その予想外の感覚に、男の意識が少しだけはっきりしてくる。

 頬に触れていたのは、少女の手のひらだった。
 いつの間にか、彼女は男の横にかがみ込んで、彼に手を差し伸べていたのである。
 その思いがけない行動に、男は改めて少女の顔を見つめた。

 彼女の左右の瞳には、涙が光っていた。

 ――なぜ?

 戸惑う男に、少女はゆっくりと口を開いた。
「寂しかったんだね」

 さびしかったんだね。

 その言葉を耳にした時、男は今までに感じたこともないような不思議な感覚を覚えた。

「今……なんて?」
 おそるおそる聞き返すと、少女は先ほどよりもはっきりとこう言った。
「本当は、寂しかったんだよね」
 涙の雫が少女の頬をつたい、コンクリートの上に落ちる。
 乾いたコンクリートが、すぐにその涙を吸い込んでいく。
 それと同じように、少女の優しい言葉は、男の乾いた心に染み渡っていった。
「泣いてるのか……泣いてくれるのか? 俺なんかのために?」

 寂しかった。
 誰にも愛されず、誰にも理解されず、いつも一人ぼっちだった。
 寂しかった。
 寂しいということすら、誰にもわかってもらえないのが、とてつもなく寂しかった。

 けれど。
 今目の前にいる少女だけは、そんな彼の気持ちに気づいてくれた。
 そして、彼が今までずっと求め続けてきた、彼の一番欲しかったものをくれた。

 愛情、というものを。

 ――俺は、この一言を聞くために、今まで生きてきたのかもしれないな。

 薄れゆく意識の中で、男はふとそんなことを考えた。
 いつしか、視界は涙でにじんで、少女の顔もよく見えなくなっている。
 その代わり、自分の頬を一筋の涙が流れ落ちていくのが、妙にはっきりと感じられた。

 ――終わりよければ、全てよし……か。

 そんな諺を思い出しながら、男は静かに目を閉じた。





 男が目を閉じたのを見届けてから、少女はゆっくりと立ち上がり、大鎌を振るった。
 男の魂が肉体より切り離され、彼女の手によって浄化されていく。
「せめて、彼の魂が安らげますように」
 そう一言だけ呟いて、少女は静かにその場を後にした。