コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


焔の向こう


 海堂の身体を黒き鱗に変えて戦う邪龍はついに大神の子孫を捉えた。左腕を失った蛍は記憶を失っている。傷によるけいれんを起こし、わずかに跳ねるだけだ。邪龍はその姿を見て喜び、闇の塊をいっそう大きくさせる。その姿は死者に鞭打つのと同じだ。邪悪な存在に容赦という文字などない。彼の心には復讐の二文字しか存在しないのだ。彼の歩みは喜びを味わうかのように強く地面を踏みしめていた。

 『今、貴様は心で闇を感じているか? 途方もなく深い、無限の闇を。お前はそこに堕ちて行くんだ。終わりのない闇に……!』
 「…………………………」

 蛍は悪魔のささやきを無視し、その身を何度か上下させる。口からも血を吐き、いよいよ生命の危険が迫っていた。邪龍は放っておいても死ぬであろう蛍に哀れみをかけるかのように右手を前に突き出す。その掌には大きくなった闇の塊があった!

 『終わりだ、大が……何っ!?』
  ゴゥワァァァッ!
 『うぐあっ! これは……まさか!!』

 邪龍の伸ばした右腕に向かってすさまじい轟音が迫ってきたかと思えば、続けざまに強固な鱗を焦がす匂いがした! 右腕は激痛で持ち上げることができず、闇の塊はその場で四散してしまった。それほどまでにすさまじい熱を受けた彼は慌てて右手の方を見る……するとそこには、もうひとりの鬼が立っていた! 彼は邪龍と同じように右手をかざし、そこから火球を放ったのだ。しかし、彼の姿は異様に映る。彼はこの世に存在しないのか、それとも異質な存在なのか、その姿は陽炎のように静かに揺らめいていた。邪龍はすっかり蛍のことを忘れ、目の前に浮かぶ鬼神の虜になった。そして即座に正体を見抜いた。それと同時に何ともいえない衝撃を受ける。

 『大神 天人……もう千年も経つというのに。貴様、生きていたのか?』
 「私はむしろ、あなたが甦っていたことの方が驚きです。あの時、封印を施したにも関わらずまた現世に舞い戻っているとは……」
 『甦っただと? 冗談言うな。俺はまだ完全に復活したわけではない。本来の力があるのなら、こんなちっぽけな人間などに用はない!』
 「なるほど。その子を使って力を蓄えているということですか。あなたのやりそうなことだ」

 焔の向こうから話しかける鬼神こそ、大神 蛍の先祖にあたる存在の大神 天人だった。その正体は平安の世に生まれた彼は陰陽師として活躍し、京の都に存在するある社に括られている高位の存在なのだ。彼の姿はどんなに優れた霊能力者でも感知することができない。しかし子孫である蛍を守るために力を発揮した今は別だ。炎の力による物理的干渉などを行うことができると同時に、周囲の者も天人が鬼に変化した姿をおぼろげに確認することができるようになるのだ。
 平安から続く因縁の相手を前に、お互いに驚きを隠せずただ立ち尽くす。あの頃の記憶がふたりの間で交錯しているのだろう。だが、先に動いたのは邪龍に身体を乗っ取られた海堂だった。しかも敵である天人から離れようとしているではないか。彼はポケットに手を突っ込んで、ゆっくりと半身になった。

 『必ず肉体を復活させる。そして貴様に復讐するからな、覚えておけ。まぁ、思ったより復讐は簡単そうだ。せいぜい退屈させるな、俺を……』
 「我々の戦いに無関係な、この天人の子孫を傷つけた罪は必ず償わせる。よく覚えておくといい」

 ふたりの視線は自然と蛍の方に向いた。未だに動かないその身体を見て笑う者、そしてそれを心配する者。対極の存在であり、決して交わらないふたりが言葉にならない思惑をそれぞれ胸に秘めていた。


 蛍の心の中は邪龍の言う通り、闇に閉ざされていた。今までに絶望することは何度かあっても、ここまで暗い闇に落ちることはなかった。そう、彼は闇の底へと落ちているのだ。本人はそう感じていなくとも……
 そんな心の中でも、蛍の身体は動かなかった。震えもなく寒さもない。ただ身体の隅々から闇が染みこんでいくかのようだ。今までに感じたことのない力が全身を蝕んでいく。それでも彼は目覚めない。頭の中ではさっきの戦いがずっと繰り返されている。左腕を何度も失い、我を忘れるほど大きな恐怖を感じ、彼は次第に黒く大きな波に飲みこまれそうになっていた。その時、わずかな声で心が叫ぶ。それは普段から持っている前向きな気持ちではなく、本能の中にある恐怖心からのものだった。

 『死ぬのか……俺。死ぬ? 死にたくない……』

 純粋な恐怖は絶望を色濃くし、さらにその心を奈落の底へと向かわせる。深い闇に抱かれたまま、静かにそれを反芻し始める蛍の心。死ぬということだけに意識が行ってしまっている。自分の存在を忘れかけたその時、彼の中で変化が起きた。死を確かめるかのように話す蛍の声が、次第に別の声へと変わっていく。

 『怖い。怖いんだ……怖い、怖い、怖い……』
 「コワセ」
 『壊せ? ……壊スのカ?』

 さっきまで対峙していたような邪悪とは違う声が自分の中で響いた。それは暗黒に染まった叫びであり、生きることや死ぬことからかけ離れた種類のものだ。言葉となって現れた破壊衝動に耳を傾けてしまった蛍は、もはやその声の虜になってしまっていた。蛍の問いかけに相手は同じ言葉を返し続ける。何度も何度もそれを聞いているうちに、彼の心は血のように深い紅に染まっていくのだった。

 『壊ス……壊シテミセル……』
 「コワセ……コワセ!」
 『ウゴオオォォォォ……ガフォオオォォォォ……!!』

 そして瞳が開かれる。あの紅き血に植えた色が全身を染め上げていく……生きることから逃げ、死にも背を向けた蛍が絶望だけを胸に抱いて再び戦いの場へと甦るのだった……


 『なんだ、この飢えた獣のような匂いは……?』
 「まさか……あの子……!」

 邪龍でさえ驚く異質な匂い……それは間違いなく蛍が全身から放ったものだ。彼の身体は人間のものから徐々に魔狼へと変化したかと思うと、その体毛は紅く染まり始める。そう、あの鬼神の力まで取りこんだ未知の獣になろうとしているのだ。蛍はゆっくりとその身を起こし、異形の姿をふたりにさらした。

 「なんということだ……目が、目が恐れで狂ってしまっている……!」
 『きっ、貴様ぁ、そんな力を隠し持っていたとは!』
 『殺ス……壊ス……消シテヤル……ウゴオオオォォォ!!』

 高らかに吠える姿に凛々しさなど存在しない。銀狼よりも一回り大きくなり、その身は紅く染まっている。額には鬼神の名残とも言うべき2本の曲がった角がねじれてひとつになったものが生えていた。もはやこれは何かの化身と呼べるようなものではない。
 『狼鬼』と表現すべき存在となった蛍は、まず失った左腕を拾いに向かう。だがそのスピードは恐ろしいものだった。立った場所からそこにたどり着くまでの速さといったらない。あの気味の悪い叫び声がふたりの耳に届いた頃には、もう腕のあるところに立っていた。そして紅い足で腕を蹴り上げ、目の前まで跳ね上げるとそれを残っている手でキャッチする。そしてそれを傷口と合わせると、腕がみるみるうちに紅く染まっていくではないか! さすがの邪龍もこれには驚く。

 『超……回復だと? 俺のお株を奪うとは……てめぇ!』
 「腕を、治したのか?!」
 『ガフォオオォォォォ……!』

 腕を取り戻した蛍はまた吠えたかと思えば、瞬時に海堂の目の前へと踊り出た! そして相手を中心にして、円を描くように動く。さすがの邪龍にもどこから攻撃が来るかはわからない。再び腕を太く強固なものへと変化させると、その攻撃を防ぐために集中を高めようとする。が、どうしても怪しく吠える声と異質な獣の匂いが気になって仕方がない。さらに蛍が走りまわっている姿はあまりに速く、捉えることができない。邪龍から見た今の状況は、長く大きい紅い帯に周囲を巻かれたようだった。

 『グガアァァ! グワハァァァ!!』
 『うぐ、おがっ……なんだ、奴の爪の軌道が見えない……!』

 円の外周から時折繰り出される長い爪を防ぐのは、今の邪龍にとっては無理な注文だった。宿敵である天人でさえ理解していないものと戦うことなど想像もしていなかった。蛍の攻撃は硬質化する前の皮膚も傷つけるほど強力なものだ。もはや攻撃することで活路を見出すことは不可能だと踏んだ邪龍はダメージを負ってでもこの場から逃げ出すことを優先した。持てる力を発揮し、身体全体を黒い鱗で覆った瞬間に円の中から逃げ出したのだ!

 『今しかない……うごおおおぉぉぉ!!』
 『ウガアアァァァァ! キシャアアァァッ!』
 『うぐぐぐ、うごあぁぁ! え、えぐられる、俺の鱗がえぐられ……!!』

 蛍が生み出していた円はあっけなく崩れた。理由は単純だ。破壊する対象が外へ逃げたから……ただそれだけだった。線の動きになったのを察知した邪龍は狼鬼が来る方向にありったけの力を込めて両腕を振るう! 傷だらけの腕からは血が染み出している。この攻撃が今の彼にできる最強の一発だった。

 『かかった! どぉりゃあぁぁぁ!!』
 『ブゲ……!』
 「邪龍……逃げるか!?」

 天人が海堂に向かってそう叫ぶ。しかし相手の反応は驚くほど素直だった。むやみに全身を変化させたことで相当の力を使ったのだろうか、その声は苦しさで荒れていた。

 『今日のところはな。必ず元の姿で甦って貴様を滅ぼしてやる! はぁ、はぁ……とにかくこんな奴とやってられるか。せっかく蓄えた力が台無しだぜ、ちくしょう! 奴が起き上がってくる前に失敬するぜ……』

 そういうと邪龍は海堂の姿に戻り、さっさとその場から逃げてしまった。天人も状況が状況だけに相手を追うこともできない……思わず小さく溜め息をついた。
 その刹那、狼鬼が再び起き上がる。そして獲物を目で追うが、倒すべき敵はもうどこにもいない。彼は怒りに震えているのか、足元の雑草をすさまじい勢いで凍りつかせていく。狼鬼となった蛍は、炎と冷気の両方を使いこなすことができるのだ。破壊のために暴悪な力を振りかざす、それが狼鬼という存在なのだ。視線が下に向きそうな状況ではあったが、天人は狼鬼の鼻がわずかに動いたのを見逃さなかった。蛍はまだ海堂を追おうとしているのを察知したのだ。そして予想通り、紅い獣はそれを追おうと恐ろしいスピードで走り出そうとした!

 『壊ス……壊ス! ウゴオオォォ、オゴォオ??』

 追跡の一歩を踏み出そうとした蛍の足を止めたのは、なんと天人だった。彼はかつて蛍も使ったことのある炎の鎖で全身を捕らえたのだ! その結び方は何かの印のようにも見える。そう、この技は彼の暴走を食い止めるために用いた封印の技なのだ。炎の中でもがく蛍はそれまでも破壊しようと本能で冷気の力を発揮する。それを見た天人は顔色ひとつ変えず、その力を封じるためにより強い炎で彼を縛る!

 『オゴォ……コ、コワセ、コワス、コワ……』
 「心配することは何もない。命を奪わんとする敵はもう去った。今は静かな水面のような心を取り戻すのが先だ」
 『ウ、ウウウ……ウウ……………』

 封印を拒んでいた狼鬼だったが、次第にその効果が身体に作用したようでおとなしくなっていった。そして全身の力が抜けぐったりとなったかと思うと、その姿も蛍のものへと戻っていく。それを見届けた天人はその技を解いた。地面へと力なく倒れる蛍に意識はなかった。感情の高ぶりでまた疲労が溜まったのだろう。その側に天人が近づく。彼も鬼神の姿ではなく、誰にも見ることのできない人間の姿になっていた。そしてやさしい眼差しで蛍を見た。

 「負の感情の暴走によって生み出される弱さと強さ。そんな力を行使することで戦いに勝っていくことほど空しく、そして悲しいことはない。今はその力、この天人が預かっておく。来るべき邪龍との戦いに備え、心の成長も促さなくては。その役目、父親とともに果たそう。今は休むことが先決だ」

 天人の言葉は気絶している蛍には決して届かない。きっと彼は自分自身に言い聞かせているのだろう。これから起こる本当の苦難に立ち向かう子孫を正しい道に導くために、彼は今一度それを確認したのだろう。数奇な運命をたどりし魔狼と鬼神の力を持つ子の宿命を案じる彼の目は誰よりもやさしかった。