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<東京怪談ノベル(シングル)>


事故

 それは突然の事だった。

 いつもの、学校からの帰り道。
 夏真っ盛りの日差しに目を細めつつ、透華がのんびりと歩いている。日差しは強いが幸いなことに道を流れる風が髪を梳き、僅かながら涼風を送ってくれる。
「……?」
 ――ふ、と。
 その風に…何か、別なにおいが混じったような、気がした。

 ざわざわ…ざわ…
 通り過ぎる人の声が、何故だか高く聞こえて来る。それは、興奮交じりか…時折顔を顰めながら後ろを振り返るようにし、それでも足早に去っていく人が何人もいる。
 ――人だかりに、群がっていく人と。
 そこから急ぎ足で離れていく人と。
 斜めに止まっている大型トラックとが、何が起こったのか教えてくれた。
「人身事故だって?」
「うぇ…巻き込まれてんじゃん。ぐちゃぐちゃだよ…」
 事故そのものが起きてまだそう時間は経っていないらしい。周囲の人の言葉に、人垣で見えない筈だがトラックの側面が赤く染まって見えた気がして慌てて顔を背ける。
 ガードレールの向こうで茫然と立ち竦んでいるのは、トラックの運転手だろう。自分の仕出かしてしまったことを知り、かたかたと小刻みに揺れながら、遥か遠くを目を見開いて眺めている。
 何となく、遠巻きに眺めていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

*****

 携帯で写真を撮る者もいたり、友人に興奮しながら目の前の光景を声高に話す者もいたり…そんなに楽しいものなのか、と透華が少しばかり眉を寄せる。
 誰かが目の前で死んでいると言うのに。
 魂が抜けたように立ち竦んでいる者も居ると言うのに。

 ――?

 野次馬を一渡り眺め回した時、何か奇妙な違和感に気付いて透華がもう一度逆方向から1人1人眺めて行った。当たり前のように携帯を使い、若しくは数人で話をし、だがその視線の先は同じ、トラックの先。
 なのに。
 ――たった1人。道路に背を向けて。

 此方を見て

 透華と目が――

「!」

 ばッ、と顔を横に向ける。
 皆が道路を向いている中、その人ごみに紛れるようにして真っ直ぐ透華を見つめていた女性。
 いや、見つめていたと言うのは正確ではないかもしれない。たまたま透華の方向を向いていただけかもしれない。
 …それが、普通の人間であったなら。
 その女性から感じ取ったのは、酷く強い視線と――人ならざる気配。
 相手に、透華が『見えていた』事に気付かないよう、急いで視線を逸らしたのだが…。
 ――帰ろう。
 周囲を見ないよう、軽く俯いて足早に立ち去る。
 首筋に、きっと日の光のせいだろう…いつまでもちりちりと炙られているような感覚が残っていた。

*****

 寝苦しさは、季節のせいだけではないように思えた。
 ――寝ないと…明日もあるんだし。
 ごろごろと何度も寝返りをうって、小さく溜息を付く。
 思考は、昼間見てしまったものについてへと自然に移動していく。
「やっぱり…死んじゃった人よね」
 感じ取れたのは、何かを探すかのような強い視線で。
 嫌な感じ、と呟いて無意識に首筋へ手をやる。
 ――ちりちりと。
 何かの視線を感じ取った気がして。

*****

 …歪んでいた。
 焼けた写真を見ているような、色の飛んだ風景画が目の前に広がっている。
 自分の目が広角レンズになってしまったかのように、歪んだ世界の中に、透華は立っていた。
 ――車1つ通らない道路の上に。
 …ここは…
 ゆっくりと辺りを見回す。見覚えのある場所と気付いたのは、道路から見える建物や店が、いつもの帰り道にあるモノと同じと分かってからだ。
 …あの、大通り…
 歩き出そうとして、ぬるっとした地面の感触にえ?と下を見――

 てんてんと飛び散った、そこだけ鮮やかに赤い水溜りが。

 足の下に、あった。

 …事故があった…場所?
 突如聞こえたエンジン音にはっと顔を上げ、目の前にぐんぐん近づいてくる大型トラックに気付く。
 ――逃げないと…!
 慌てて、靴が汚れるのも構わずその場から走り出そう…とするのだが、どういうわけか足が動かない。
 目の前のトラックは透華に気付かないのか、速度を緩める事無く近づいてくる。
「――だめよ」
 ずしりと、背に。
 何か『重いもの』にもたれかかられる感触。
 耳元に届いた『声』は、息遣いまで感じ取れるくらい近くて。
「にがさないわ」
 吐き出された言葉に――その意味に気付いて、ぞおっと背筋が凍りついた。
 運転手がようやく気付いたらしく、飛び出すくらいに見開かれた目が――透華と合う。

 あなたも いっしょに

 ――キキィィィィィィ!!!!
 ドンッ

 感じたのは、強い衝撃。やたらとゆっくり動く空、誰かの喚き声――そして熱い、身体。
 くすくすくすくす
 ――誰かの…笑い声。

*****

「――――っっっ!!!」
 余韻に浸る間も無く目を見開いた透華は――じっとりと濡れる布団の上で、寝具を手が真っ白になるまで握り締めた状態で固まっていた。
 まだ、耳元で囁かれた声が響いている。

 にがさないわ

 ゆっくりと身体を起こし、大きく息を吐きながら、額にびっしりと浮かんでいた寝汗を拭い取り、ぽつりと呟く。
「…またお払いしてもらわないとなぁ…」

 室内は、熱帯夜の筈が、どことなくひんやりとしている。それは、寝汗だけのせいではなさそうだった――。

-END-