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<東京怪談・PCゲームノベル>


恋占い

 たとえば心というものを海になぞらえるのはそれこそ世界中の詩人や小説家がやっていることだが、それに倣って言わせてもらえば、俺の心はもうずっと長いこと砂の海だった。冷えてかわいた、どこまでも続く無音の夜の砂漠。くらやみに彩られた砂の海面は波ひとつ立てないままじっと凪いでいる。なにもかも死に絶えたみたいな沈黙だけがそこにある。
 目印もないだだっ広い夜の砂漠に立ち入るような莫迦はいない。ごくごく偶にいたとしても、砂と沈黙だけが永遠に続く世界に人間は長くはいられない。
 この場所は何も育むことはない。
 迷い込んだ誰かの喉を潤したりすることも決してない。
 ずっと昔は砂ではなく海水で満たされていたような気もするがそれは一体いつの話なのか思い出せない。
 いずれにしろ俺はこの渇きを抱えたまま、それでもうわべだけは普通の人間を装ってずっと生きていくのだろうと、特に根拠もなくそう思っていた。



 なあばあさん、ネットゲームって知ってるかい?
 人間っていうのは面白いものを思いつくよな。電子のデータでできたかりそめの人格と肉体を得て、架空の世界で冒険をくり広げる、そういう遊びだ。まあやることって言ったらモンスター退治、アイテム集め、お使いイベント、普通のRPGと大して変わりゃしない。違うのは、ディスプレイ上の世界をうろうろしてるキャラクターのほとんどが、自分と同じプレイヤーキャラクターだってことぐらいさ。
 ……なんて他人事みたいに言っちまったけど、やってみたら俺も結構はまっちゃったんだ。そもそもあの手のゲームには、クリアって概念自体がないからさ、その気になればずーっとプレイすることもできるわけ。運営側もプレイヤーを飽きさせないように、イベントをやったりバージョンアップをしたりと色々やるしね。それにネット上で知り合った気のおけない仲間と無駄話をしたり、時には協力して敵を倒したりするのも結構楽しいもんさ。
 前置きはいいから本題に入れ? これから入るんだよ。

 そいつはそこのサーバだとちょっとした有名人だった。一匹狼ってやつでさ。
 大体あの手のゲームっていうのはパーティ組むのが基本なわけ。ひとりでもできるけど、本当に強い敵なんかは、何人かで協力しないと倒せないようになってる。そのほうが効率がいいし、そこが醍醐味でもあるわけだな。でも、そのキャラクターは俺が見かけた限りでは、いつもひとりで行動してた。
 装備品はいつも結構レアなのを着けてたし、高レベル向きの狩場でもちょくちょく見かけたし、動かしてるのは余程すごいプレイヤーなんだろうって評判になるのも無理はないだろ? しかも、別にベータテスト時代からのプレイヤーってわけでもないのにだ。

 強いやつや目立つやつがちやほやされるのはゲームの世界だって同じさ。一皮むけば数値と演算でできた世界でも、キャラクターを動かしてるのは同じ人間なんだからまあ当然だよな。
 だけど有名人っていうのは厄介なもんでさ。目立つから厄介な奴にも目をつけられる。
 ある頃からそいつの周囲に見慣れないキャラを見かけるようになった。最初はパーティーを組むようになったのかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。だってぱっと見ただけで、キャラクターのレベルが全然違うのがわかるんだものな。普通は同じぐらいのレベル同士で組むもんなんだぜ。知り合いのレベルアップを手伝ってるって雰囲気でもない。おかしいと思うようになるまで時間はかからなかった。
 ストーカーってやつさ。
 ゲームの世界でもそういう奴がいるんだっていうのは、俺もはじめて知ったんだがね。たまにいるらしい。キャラが女でもプレイヤーが女とは限らないってのはネットゲームじゃ常識なんだが、常識を知らないやつっていうのも存在するわけだ。
 あいつがログインするころを見計らってストーカー野郎もやって来る。歳はいくつだの今度会いませんかだの、どこの出会い系サイトだって言いたくなるようなくだらない会話を一方的に投げかける。
 モンスターの狩場に行ってもついてくるんだが、当然ストーカー野郎のほうがレベルが低いのでモンスターに一方的に殴られる。そうするとあいつ、よせばいいのに助けちゃうんだよなあ。キャラクターが死んだって経験値が減るだけで、ちゃんと復活だってできるのにさ。
 そう言ったらあいつは言った。
「なんか、つい助けちゃうんだよ。考えてみると確かにそうなんだけど、目の前で死なれるのってなんか‥‥」
 一匹狼だと思っていたやつは、なんと驚くべきお人よしだったのだ。
 対策を練ろうと知り合いに呼びかけたら、びっくりするぐらい人数が集まった。意外とあいつに助けられたやつは多いらしい。お人よしもこういうときは人望につながるってわけだ。
 PK、つまりプレイヤー同士での戦闘はできないから、すこし頭を使わなきゃならない。まず最初にログイン時間をすこしずらしてもらった。向こうにも都合はあるだろうから、その範囲内で。
 次に俺や他のみんなとパーティーを組んでもらった。さらに高レベルの狩り場に行くようになった。モンスターがうようよいて、パーティーじゃなくちゃまず行けないようなところだ。そこに行くにはアイテムが必要で、ストーカー野郎のキャラクラーはそれを取るのにゃレベルが到底足りない。ついてこようにも無理ってわけだ。
 一ヶ月ほどそれを続けたらストーカー野郎はあきらめたらしい。その後姿も名前も見かけないので、ゲームそのものをやめてしまったのかもしれない。根気のない奴だ。

 いい加減レベルが上がらなくなってきて、じゃあもっと強い敵のいる場所に狩場を移そうかと話していたとき、あいつはじっと黙っていた。そういえばこいつは、どうしていつもひとりでいたんだろう?
「あのさ」
 好奇心にかられて、俺が提案したのはただの気まぐれだった。
 その気まぐれが、のちのち俺の心に重大な影響を与えることも知らずに。
「よかったら俺と組まない?」
 さらにその一ヵ月後、俺たちは仲間内で直接待ち合わせて会う約束をした。いわゆるオフ会だ。
 そうして俺は、キャラクターが女で、プレイヤーも女性だというケースもあるのだと知った。

 ときどき思うんだよ。
 今まで俺は……たくさんの死を見てきた。無垢なもの弱いものが生き延びるには、この世界は時にあまりにも厳しい。そしてあまりにも残酷だ。裏切りも殺戮も姦淫も謀略も飽きるぐらい見たし、多かれ少なかれその末路はいつだって同じだった。赤ん坊だろうと老人だろうと、貧乏人だろうと貴族だろうと『死』は誰にもひとしく降り注ぐ。
 ――人間である限りは。
 あいつといると俺はおかしくなる。ゲームの中で会って一緒に遊んだり、直接顔をあわせて話をしたり、ときどきはくだらない冗談を言ってあいつを呆れさせたりするのがこんなに楽しい。今まで俺が置いてきたたくさんのひとびとや数え切れないほどの穢れた思い出が、まるでただの出会いと別れのようだ。
 この時間がいつかは失われてしまうのだと思うと苦しくなる。
 いずれやってくる別れのときに置いていかれるのは俺なのだと、そう考えるたびに思考が立ち止まる。
 こんなふうに思うことは久しくなかった。砂のような心であることにずっと慣れていたのに、あいつの目に見つめられて、涸れていたはずの胸に何かが生まれた。ときどきあいつのことをどう思っているのか自分でもよくわからなくなる。
 あいつと出会っていなければこんな思いをすることもなかったのにと思い、あいつに出会えないままひとりで生きていく自分を想像してうっかり泣きそうになる。小さい思いが育ちつつある俺の心は以前の乾ききった砂の海にはもう戻らない。

 ……おかしいな。俺はどうしてあんたにこんなことまで話してるんだろう?
 教えてくれ。俺は……どうしたらいい?



 ――心が涸れたと思ったのはあんたの考え違いだよ。
 あんたの裡に花が咲いたのであれば、それはあらかじめそこに種があったからに他ならない。無から有が生まれることは決してない。その娘はただ、乾いた砂に水を注いだにすぎないのさ。
 いずれ枯れるからといって花を咲かせない木はない。
 たとえ枯れたとしても、そのあとにはかならず何かが残るんじゃないのかね?



 ふと気がつくと路地裏にひとりで立っていた。
「あれ……?」
 自分がなぜこんなところにいるのか思い出せない。
 ついさっきまで、自分は今までだれかと話していたような気がする。大事な話をして、大事なことばをもらったような気がする。けれども記憶はかき集めるほどに原型をなくし、ただ拡散して消えていく。
 思い出すことをあきらめて時計を見ると、待ち合わせの時間が迫っていた。遅れてしまう。
 無造作に転がっていたゴミ袋をまたいで通りへ出た。
 道行く人々の中で、こちらに気づいて手を挙げた人がいる。笑っている。それに対して大きく手を振り返しながら、雑踏をかきわけて一歩踏み出した。

 ふとワイシャツの下、筋肉の張った胸板を押さえて心臓がまだ止まっていないことを確かめる。
 けばけばしいネオンの向こうで鮮やかに光る月。
 てのひらの奥で規則正しく打っている鼓動のビート。
 そこにあるのは乾いた砂ではなく、確かに熱く湿った俺の、赤いあかい血が流れている。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1533 / 藍原・和馬 / 男 / 920 / フリーター(何でも屋)
 3623 / 照亜・未都 / 女 / 12 / (一応)中学生
 3524 / 初瀬・日和 / 女 / 16 / 高校生

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■         ライター通信          ■
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 先日のシチュエーションノベルに続いての発注、ありがとうございます。ライターの宮本圭です。
 遅刻です。すごく遅刻です。すみません。最近謝ってばかりですが、本当に申し訳ありません。

 なにを言っても言い訳になりそうなので、今回はいくつかの断り書きのみで。
 出会いのきっかけとなったネットゲームについては、文面からおそらくいわゆる「MMORPG」というジャンルであろうと推測し、そのように書かせていただきました。また、相関からお相手と推測されたPCさんについては、プロフィールや過去の納品物などからある程度性格を類推し、そのように動かしました。
 今後このようなことのないよう気をつけます。お待たせして大変すみませんでした。