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血の理
この世に産み落とされて直ぐに息の根を止められ掛けたことは、知っていた。
それが『実の母』の手によるものであったことも、母を止めて自分を生かしてくれたこれたのが『父』であることも。
呪詛のように、日毎夜毎枕元で母が語ってくれたから。
忌まわしい色の髪は戒めのために切ることを許されず、名付けられた名前すら縛り付けるための道具でしかなかった。
常に視界に入るように髪は流され、親戚に会えばいつも憐れむような視線を投げかけられていた。
罵倒されることはなかった。
その代わり、笑いかけられることもなかった。
父はいつも悲しげに見つめてくれても、やはり笑いかけてくれたことはない。
──極稀に、母の目の届かぬ場所で抱きしめてくれることはあったけれど。
だから、妹が生まれて嬉しげに笑い合う母と父を見た時、水女は心底驚いた。
この人達は、ちゃんと笑うことが出来るのだ、と──。
妹が生まれて、けれど長子であるのは赤い髪と瞳を持った自分で。
待遇が一向に変化を見せないことに、特に訝ることは無い。
冷遇されることがなくて、安心した。
「おねえさま」
今年四つになったばかりの小さな妹は、まだ舌足らずなまろい声で呼びかける。
黒い髪に、青の瞳。
自分には無い色で、それ故に本来居なかった者として扱われる原因である。
別段羨ましいなどと思ったことはこれまで一度もないのだが、周囲からしてみれば、それは彼女の精一杯の強がりに映るのだろう。
龍神の加護を授かる一族の中で唯一、水を呑む焔の色を携えて生まれて来た水女に向けられる感情は、同情よりも虞の方が勝る。
粗雑に扱うことで祟りを畏れ、けれど忌み子で在るが故に存在を許されず、当主である父親が居なければ、水女は幽閉されていたに違いない。
「おねえさまは、いみごなのですってね。お母さまは、わたしに家をついでほしいのだそうよ」
くすくすと、邪気なく笑うその口元を袖口で押さえる妹を、無感情に眺める。
子供独特の無邪気な残酷性に、ちらちらと母親の影が見え隠れしていた。
子供は親の所有物なんだろうか。
妹と話をするたびに、沸き上がる疑問。
母に問い掛けたならば、きっと冷ややかな眼差しを向けられて当たり前でしょう、と答えが返ってくるに違いない。
生かすも殺すも、親の配慮次第だと。
では父はどうなのだろう。
悲しげに目を伏せて、それから真っ直ぐに目を見て答えてくれるはずだ。
そんなことはないよ、と。
物じゃないのだから、生きるのも死ぬのも自分のしたいように往きなさい、と。
優しい父は、そんな質問をした自分を殊更憐れむかも知れない。
優しい父を困らせたくはない。
だから、疑問は脳裏を過ぎるだけで、口にしない。
「お姉様?」
訝るように、愚鈍な姉を嘲笑するように、軽い声がした。
いつの間にか記憶の中の小さな可愛い妹は、一人前の口を叩くに相応しい年齢になっている。
母の愛情と影響をたっぷり受けた妹は、何の気苦労も知らない。
世の中は自分中心に回っていると思いこんでいる節すらある。
憐れむでもなく、同じ色を持って生まれていたとしたら本来自分もそうだったのかもしれないとぼんやり考え、けれどやはり今の生活が一番だと感じる。
幼なじみの少年を、親友と追うように同じ高校に入学したと同時に、水女は家を出た。
一人立ちするのだと建前を口にすれば良いやっかい払いが出来たと母は喜び、父は心配げに眉を寄せた。
親の背に隠れて黙り込んでいたのは、幼なじみの少年と親友となる少女に会う前。
彼らに会って水女は漸くこの世に生まれてきたような気がした。
笑うことも出来ない自分に笑いかけ、手を引いてくれた二人と同じ道を少しでも良いから歩きたいと思った。
虚勢ではなく、人と向き合って話すことがとても愉しいと思い始めていた。
生まれて来た者勝ち。
親友に言われた言の葉は、水女の心を氷解した。
殺されず生かされたのだから、自分の生き方は自分で決めるのだ。
家に、名に、縛られるなど時代錯誤も甚だしい。
「私は家を出たのですから好きにすればよいのに、わざわざ宣言しに来るなんて、可愛いこと」
偶にこうして会う妹から母や父の息災を聴いて安堵し、厭われようと存在を抹消されていないことに苦笑する。
十五になり、龍神からの力の一端を譲り受けることが出来たのだと、妹は水女にわざわざ知らせに来ていた。
だからお姉様とも対等になったのだ、と誇らしげに報告してくれた。
「それでも、覚醒したばかりなら注意なさいね? 生半可な利用は身を滅ぼすことになりますわ」
ころころと鈴を鳴らすように笑い、水女は愛用の扇を広げる。
十五の祝いに、父から譲り受けた物だ。
「直ぐに追いついてみせますわっ。わたくしはお姉様と違って家に居て常に龍神の加護を身に受けてますの。火を含まない、絶対聖域で修行しているのですからっ」
世間知らずで物事の道理を知らない妹は、直ぐに挑発に乗って眉を逆立てる。
自分自身全ての道理を理解しているわけではないにしても、きっとこの妹よりは解っているはずだろうと水女は思う。
世の中には龍神の力を借りずとも身を守る術なら幾らでもある。
龍神の加護を持ってしても、勝てない相手もまた然り。
「けれど、嫡子の座は譲れませんわね。恨むなら後に生まれてしまった己と、私の後にあなたを生んだ母をお恨みなさいね」
「なっ! ……お母様を愚弄するなど、幾らお姉様とて赦されることではありませんわ!」
「もとよりあなたに許しなど求めておりません。それに、それを軽々しく口にすることなど、あなたの方こそ出来ぬ立場でしょうに……」
慇懃に吐息し、水女は緩く頭を横に振る。
物心付く前から水女は水を意のままに操る術を知っていた。
誰に教えられたわけでもなく、まるでその外見が隠れ蓑となっているように、水女は歴代の当主以上の能力を秘めていた。
それを表出すことはほとんど無かったが。
妹は水女の態度に腹立たしげに奥歯を噛み、水女を睨み付けた。
「今日の用件はこれで終い? ならば私は先に失礼します。供の者をお呼びなさい。
それでは、また、ね?」
人一倍矜持の高い性質は家系だ。
今のこの場には誰にも見られたくないはないだろう。
だから水女は妹を置いてその場を後にした。
それは血縁故の配慮だ。
妹には伝わらないことも、承知の上だ。
水女は、血縁を恨む道理は理解できない。
このまま一生、理解できなくてもいいとまで想う。
彼女にとって血縁者は愛しい者であり、それ以下では有り得ないのだから。
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