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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雑音の中に

 自然に囲まれた緑豊かな田舎から、灰色のジャングルである大都市へと上京してきたその日。
 初めて出会った『音』は、彼の『声』だった――。


 無機質なビル群。初めて目にするその光景に、葛井・真実(くずい・まこと)は思わず圧倒されて立ち尽くしてしまった。
 押し寄せてくる洪水のような雑音。
 幼い頃から、彼は様々な『音』を拾ってしまう特異な体質であった。どんな些細な『音』であろうと、どれほど離れていようと、彼の耳はその僅かな振動を拾ってしまう。
 センサリティ能力――そう名付けられたその力を、真実は今でこそある程度のコントロールが出来るまでになったが、子供の頃は暴走する事も度々あった。
 勿論、今でも完全にコントロールしきれておらず、時折突拍子もない音を拾ったりもした。
 それでも、田舎暮らしをしていた頃はさほど気にならなかった。
 だが、都会――特に日本の首都であるメガロポリス・東京に出てきた時、自分の油断に後悔してしまった。殆どノイズと言ってもいいような、その騒音に。
 その中にあって。
 たった一つ。
 彼の『声』だけが切り取ったように綺麗で鮮明に、真実の脳内に直接響いてきた。
 彼――多岐川・雅洋(たきがわ・まさひろ)、子役時代から芸能界の荒波を生き抜き、俳優・番組司会を経験後、現在は夜のニュース番組でメインキャスターとしてお茶の間を賑わせている男。
 そんな彼の声だけが、真実の心を揺さぶった。それが例えテレビの、電気信号に変換されたただの音ですら。
 むしろ、気持ちいいと感じてしまう。
 だから。
 真実は、多岐川の『声』が――彼そのものが苦手だった。



「‥‥‥‥はぁ‥‥」
 ぼんやりと物思いに耽りながら、真実は小さく溜息をついた。雑然と動く周囲の忙しない人達をよそに、彼は書類を手にしたまま、その視線は特に何を見るでもなく。
 多岐川と同じ局で働くようになって一年。
 最初は関わりのなかった相手だったのだが、途中で彼がメインキャスターを務めるニュース番組で現地レポートをするようになり、それ以来何度か交流があった。
 嫌だと思いつつ、さすがに下っ端の身ではそれをあからさまに顔には出せず、しかもどうやら多岐川の方は何故か自分を気に入っているようなのだ。トコロ構わず話しかけてこられ、その度に動揺したり、赤面したりして、からかわれているのが明白だ。
「はぁ、ホント‥‥なんであの人は‥‥」
 俺なんかにちょっかい出すんだ?
 もう一度、今度は盛大に溜息を吐いた、丁度その時。
「あの人ってのは誰のことだい?」
 突然。
 殆ど不意打ちで、耳元に投げかけられた声。
「うひゃぁっ!?」
 ビクンと首筋からきた震えに、真実は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。その敏感な反応に、更にクスクスといった笑い声が後に続く。
 慌てて振り向いたそこには、予想通り多岐川の姿があった。
「た、多岐川さん?! な、な、なにするんですか、突然!」
「何って‥‥いや俺の事を呼んだような気がしたからね。ちょっと声をかけてみただけだよ」
 しれっと告げる多岐川に、真実は顔中を真っ赤にしながら下目使いに彼を睨む。敏感に反応してしまったこの身を恨みつつ、なんとか取り繕おうとするが‥‥。
「だ、だからって、いきなり後ろから声かけるのは止めて下さい」
「ん、どうして?」
「どうしてって‥‥それは、その‥‥ビックリするからじゃないですか」
「びっくりねえ」
 ジロジロと舐めるような視線に晒され、真実はどこか居心地の悪さを感じる。こういうとき、声だけでなく彼自身をも少し苦手だった。
 普段クールに振る舞う多岐川だが、何故か真実の前ではくだけた様子を見せる。好意を持たれてると思えばいいのだろうし、実際好かれている事はその態度から明らかだ。
 真実自身、その事は嬉しいとすら思うのだが‥‥。
「な、なんなんです?」
 視線に耐えきれず、そう聞いた真実だったが、直後そのことを後悔する羽目になった。
 一歩、多岐川が近付くと、すっと耳元に顔を近付けてきた。その気配に思わずビクッと震える真実に、誰にも聞こえないような小さな声でそっと囁いた。
「それだけじゃあ、ないんじゃないかな?」
 脳天に突き抜けるような『音』。
 気持ちいいと感じた身体と、こんな場所で感じた羞恥心とで顔中を真っ赤にしながら、手にしていた原稿をものの見事に床へぶちまけてしまった。



「な、なんなんだよ、あの人は!」
 人気のなくなった現場で、真実は思いっきり一人叫んでいた。


 その後の仕事は、本当に散々だった。
 キューを振られ、パッと画面が切り替わった直後、届いた『彼』の声にさっきの事を思い出して原稿を噛んでしまった。それを取り繕おうとすればするほど、科白は空回りするばかり。あたふたとする真実に多岐川が更に声をかければ、よけいに失敗の上乗りばかりだ。
 散々の失敗でスタジオに返した後、げんなりするぐらい幾つもの野次が飛んできた。
「すいません。すいません!」
 現地のADからは小突かれまくり、何度も何度も謝った。
 仕事としてやっている以上、失敗は決して許されない。たとえ春秋の改編で番組集大成のNG大賞に持ち上げられるとしても、社会人としはさすがにマズイだろう――もっとも、真実の出演はかなりの確率でその番組に持ち上げられ、その度に彼は赤面しっぱなしだったのだが。
 そして、散々に絞られた後、最後にトドメを刺したのは、多岐川からの一言だった。

「やれやれ。そりゃあ緊張するのはわかるけどね、もう少しプロとしての自覚を持ってもらわないと」
「は、はい‥‥」
「まあ、そういうトコロが葛井クンのいいところだとは思うけどね」
(「‥‥ほ、褒めてないじゃん」)
 グッと叫びたい衝動を堪え、必死に耐える真実。
「申し訳ありません」
「なにかあったのかな?」
(「し、しれっと言うなよ! あんたのせいなんだからな」)
「ああ、そうか」
「はい?」
「ひょっとして――俺の声に、ドキドキしちゃったのかな?」
 言葉と一緒にニコッと笑む多岐川。
 その途端、真実は顔中を赤面させた。その様子を見ていた周囲が一斉に大爆笑したものだから、真実は言葉も返せずその場に立ち尽くすだけだった――。



「もう! なんだってあの人は‥‥ッ!」
 さすがにその場での文句は言えず、一人になった今でこそ声を大にして叫ぶ真実。
 下っ端の身では仕方ないと思いつつ、やはり納得がいかない。
 周りの仲間に聞けば、多岐川がからかう相手は真実だけだという。中には「それだけ心許されてるなんていいな〜」などと、女性スタッフからは羨ましがられたりもするのだが、だったら変わってやりたいと何度口に出しかけたことか。
 グッと拳を握りしめ、悔しさに涙も出そうだったが、さすがに泣いては負けになる――何に対してかは、その時の真実には考え及ばなかったが――と思い、必死で我慢していた。
 だが、果たしてこのままでいいのか、とも考えてしまう。
 このまま、現地アナウンサーを続けていっていいのだろうか。多岐川にからかわれ、ドジを繰り返し、はたして自分の将来はどうなっているんだろうと、本気で憂う自分がいた。
 入社した当初は、報道に情熱をもっていたのだが、さすがにここまでくると、自分に才能がないのではないのかと思ってしまうのだ。
「‥‥田舎に帰ろうかな〜」
 ポツリと呟く弱音。
 都会はなにかと雑音の多い世界。日々、耳に飛び込んでくるのは陰鬱とした『音』ばかり。
 気落ちする自分を、更に暗くさせる毎日だ。
 その中にあって、唯一気持ちいいと思える『音』――多岐川の声。よりにもよってあんな男の声が、自分にとって気持ちいいと思えるなんて。

『――やあ、君が葛井クンだね。よろしく頼むよ』

 不意によみがえってきた、初めて会った時にかけられた声。
 その時は、彼の裏なんかまるで知らなくて、ただ素直に嬉しかった事を思い出す。
「くっそー、あの時の感動を返せよ」
 ふつふつと沸き上がる理不尽な思い。それによってさっきまでの落ち込んでいた気持ちが徐々に持ち直していく事を、今の真実は自覚していない。
 多岐川の声を思い出す事で、こんなにも気持ちが動かされる事を。
「こうなったら、いつか絶対‥‥」
(「――いつかタッキーって呼んでやるっ!」)
 内心、グッと拳を振り上げて心の中で叫ぶ。
 いつか、ぜったい。
 そう誓う真実。


 そんな彼をほくそ笑みながら見守る多岐川の姿があったことを、
 彼はまだ知らない――――。


【終】