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<東京怪談ノベル(シングル)>


12時前のシンデレラ


 チリンチリンチリン……
 甘味処の軒先に飾られた風鈴が風に吹かれて涼やかな音を響かせている。
 風鈴の下には「氷」と書かれた布がはためいており、その後ろには紺地の麻の暖簾。
 どこか懐かしい雰囲気の店構えは、真夏日続きの東京で一服の清涼剤のような佇まいであった。
 青空には大きな入道雲が浮かんでいる。
 少し日差しが弱まったのを見計らって和服姿の女性が桶に張った水を手水で打ち水をしていた。
 その時、店の前を1台の車が通り過ぎて、店の並んでいる通りの角に静かに止まった。
 黒塗りの車の同じように黒い後部座席の窓が静かに下りる。
 中に乗っていたのは黒く艶のある長い髪にガーネットのような紅色の瞳がひどく印象に残るうら若い女性だ。
 実際の年齢はまだ18歳なのだが、その落ち着いた雰囲気と上品な仕草が彼女を実際の年齢よりも幾分か大人っぽく見せている。
「あそこね」
 東京の隠れ家的名店として一部の間では噂になっているその甘味処を確認した天ヶ瀬瞑夜(あまがせ・めいや)は、
「ここで降りるわ」
と言った。
 すると慌てて助手席に乗っていたスーツの男がまず先に降りた。
 当然のようにその男が後部座席のドアを開けるのを待って瞑夜はゆっくりと車を降りる。そしてドアを開けた彼をちらりと見やって、
「ここからは一人で行くから」
と告げる。
「しかし……」
 その言葉に男は反対の意を示したが、瞑夜は表情を変えることなく至極冷静に、
「あんなお店に貴方みたいなのを従えて行くなんて無粋もいいところよ。店まで100メートルもないし……まだ2年私には時間があるはずでしょう?」
と言い瞑夜は振り向きもせずに真っ直ぐ店に歩んでいく。
 男は何かを言いかけがたそれでも1歩下がって、
「いってらっしゃいませ」
と頭を下げて瞑夜が店に入るまで後姿を見送っていた。


■■■■■


 店の前で打ち水をしていた女性は瞑夜の姿に気付き、手を止め、手水を入れた桶を看板の脇に置くと、
「いらっしゃいませ。どうぞ」
と鈴を転がしたような声で瞑夜を中へと促した。
 彼女に続いて瞑夜は暖簾を分けて店内に入る。
 中も青竹の桟に藺草の円座と外見に見合った雰囲気になっていた。
「どうぞお好きな席に」
 そう言われて瞑夜は2人用の小さな席に腰掛ける。
 ちょうどぽっかりと空いた時間だったのか、店内にいる客は瞑夜ひとりであった。
 先ほど案内してくれた女性が磨り硝子のグラスにお冷を入れて瞑夜の前に静かに置く。
 夏用のメニューらしくお品書きには白玉や葛きり、カキ氷と夏向けの冷菓などが目にも涼しい写真付で並んでいる。
 一見何もかも見通すような目つきと厳格な雰囲気で表立って表情の変化が見えにくい瞑夜だが大好きな菓子とお茶を楽しむ時だけはわずかに表情が柔らぐ。
 パタンとメニューを閉じた瞑夜に気付いて、
「お決まりですか?」
と注文をとりに来た女性に瞑夜は、
「お勧めの品はありますか?」
と尋ねる。
「えぇ、今日みたいに暑い日だとやっぱりカキ氷だとかこういったのがよく出ますよ」
「そうですか……それじゃあ、お抹茶とくず白玉餡蜜、氷宇治ミルク金時、それに白玉ぜんざいをお願いします」
 注文の量に店員は少し目をぱちぱちと瞬かせたが、瞑夜のめったに人には見せることのない笑みに毒気を抜かれたように、
「は、はい。少々お待ちください」
とそのまま厨房へと戻っていった。
 そして瞑夜の前に次々と運ばれてくる。
 目の前に並んだ品に瞑夜の口元が綻ぶ。
「いただきます」
 丁寧に手を合わせてから瞑夜は次々と口に運ぶ。
 いろいろな店を巡っているからこそ、有名だからと言って必ずしも味が伴うかといったらそうではないことを瞑夜はよく知っている。
 だが、この店の雰囲気も味も上々だ。
 瞑夜は今は財閥のお嬢様という立場だが、年齢が満二十歳に達した時にお嬢様から党首と言う立場に立たねばならないことになっている。
 幼い頃より将来のために帝王学を厳しく教えられた瞑夜はいつの間にか感情を素直に表に出すことがなくなった。なくなったというよりも、どうやって出していいのか判らなくなってしまったのかもしれない。
 そんな瞑夜が唯一至福そうな笑みを自然と浮かべられるのがこうして美味しいお茶とお菓子に出会えた時なのだ。
「ご馳走様。とても美味しかったです」
そういって瞑夜はお会計を済ます。
 すると、
「あの……お客様。もしよろしかったらこちらをお持ちになって下さい」
お店の女性がお団子を包んで渡してくれた。
 幸せを感じられている時間とは言うのはあっという間だ。
 しかし、その至福を味わう自由があるのもあと残り2年―――
 そんなことを一瞬考えてしまい表情が曇る。
 それでも限られた時間を瞑夜は明いっぱい楽しもうと、
「ありがとう」
そう言って微笑んだ。
 そして、瞑夜は迷いのない足取りで迎えの車へと向かった。