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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夜の来訪者、夏の夜の夢【後編】


 ダビデの星を書いたのは、ちょっとしたゲームの為だ。
 もしかすると、ニンゲンが気付いてゲームを盛り上げるだろうと思ったからだった。
 しかし、そのゲームで弟ヴァリーは死んだらしい。あの、ニンゲン共の手にかかって死んだのだ。

 笑ってしまう。いや? 笑ったら悪いか? しかし、笑う以外なにができよう。

 星の中央のトヨダビルのニンゲンは全滅している。
 ようやく気が付いた、ゲームのコマ達がビルへ集まり始めている。そして男が入ってきて、ニンゲンの残骸をみて途方に暮れている。
 そんな暇はないのだよ。ゲームはまだ、これからだ。
 私は笑う。まだ日の強い空へ、舞い上がる。
 
 
 ――エピソード2
 
 壇成・限は興信所をコツコツと革靴で歩きながら、ぼんやりとした口調で言った。
「これは俺の感触なんだけど、そのヴァリーと三件の殺人事件は関連はあったにせよ、やったのはヴァリーじゃない。ただ押し入って悲鳴や嗚咽も聞かずに殺して回るなんてスタイリッシュすぎると思う」
 ホワイトボードにはダビデのマークが書かれた地図が貼ってある。
 ソファーの背に腰を落ち着けて聞いていたシュライン・エマは、細い顎に手を当てて一度目を瞬かせた。
「そうかしら」
「さあな」
 ソファーにゆったりと腰を下ろしている黒・冥月が悔しそうに言う。
「ともかくあいつらの向かったトヨダビルは全滅。百数名死んだんじゃないか」
 テレビは絶え間なくトヨダビルを中継している。しかし、吸血鬼という文字は一言も出て来ない。鬼のときもそうだった。政府は異人種を隠蔽し続けるつもりなのだ。
 夏場だというのに、背筋がざわざわしてくる。限は自分の腕をさすった。
「夢じゃないのか」
 口からでまかせだとわかっていても、声にせずにはいられなかった。
「夢だと思いたいわね」
 シュラインが暗い絶望的な顔になる。
「もう一人のヴァンパイアがいる」
 冥月が苦々しく言った。
 限は考えがまだまとまっておらず、それでもふらふらと口にしていた。
「違うよ、そういうことじゃない。チグハグだ、だってヴァンパイアが人間の映画の模倣なんかやるか? まして東京壊滅を企んでいたなら本末転倒じゃないか。どうして人間の真似なんかしなきゃならない」
 シュラインは静かに顔を伏せて考えているようだ。
「映画だ、あれは人間の娯楽だ。しかも、ダビデの星だって? あれは魔除けじゃないか」
「そうなのよ、変だわ。全部が変なのよ」
 シュラインはすくっと立ち上がって、ホワイトボードを叩いた。夏用の薄手のスカートが、ふわりと舞った。
「メッセージ性は皆無、目的は不明、首謀者も不明」
「現実を見ろ。目的は大量虐殺、首謀者はヴァンパイアだ」
 冥月が冷静に忠告をする。
 限も冥月の言っていることが真実であることに気付いている。シュラインと限の繰り広げているのは机上の空論であり、現実問題ではない。だが、――このまま気にせずにいていい問題なのだろうか。
 全員はホワイトボードのダビデの星を睨んでいる。
 シュラインは弾けるように我に返り、行動を開始した。
「映画の内容とタイトル、監督演出主演を怪しいところがないか調べてちょうだい」
 限は力強くうなずいてから彼女へ言った。
「じゃあ、シュラインさんは貨物船の線を洗ってください」
 冥月はやる気のない顔で、素っ気無く言った。
「どちらも警察が調べ尽くしているさ」
 ただテレビの前にいるということに耐えられない二人へ、的確な一言だった。


 海原・みなもとCASLL・TOはビルの片隅で泣いていた。泣くという感情がまだあるのだと思い、少し安心した自分に嫌悪する。目の前でおそらく故意に行われた殺戮なのに、自分達は飛行機事故の名前を見て涙をするように、泣いていた。
 人間の感情にも許容範囲というものがある。
 誰を知っていたわけではないけれど、大きな波が心をさらっていったのだ。
 
 アイン・ダーインと田中緋玻、雪森・スイはビルの中を探索している。ビルを見上げた雪森・スイは少し悔しそうに言った。
「もう、終わっているだろう」
 気を察知したのかもしれない。
 草間と夕日をビルの一階ロビーに残し、三人はビルを上がって行った。アインは片手にマグナムを構えている。緋玻は少し殺気立っているようだった。ヴァリーとのやりとりを思い起こせば無理はない。スイは冷静だった。ここに生存者と殺戮者がいないことを、スイはもう知っていた。生命の気は草間達から発せられる細く小さな灯火ばかりで、強大な力を押し殺したモンスターの気配は消え去っている。
 こうして部屋一つ一つを隅々まで確認する作業は無駄なことだ。
 しかしスイは言わなかった。彼彼女達の希望もよくわかるからだ。たとえ、絶対に敵わない敵のいるダンジョンへ弱い仲間達が突っ込んで行ったとしても、そしてその生命反応がなかったとしても、自分も中へ入り仲間の躯を確認するだろう。もしかしたら、息を吹き返す誰かがいるかもしれないと、希望を持つだろう。
 しかし二階、三階を調べ終わっただけで、希望は簡単に絶望に変わった。
 肩から胸の辺りまで斧で打ちつかれたような痕や首をもがれたような人間がごろごろと転がっていた。一欠けらの希望を見つける前に、スイ達は絶望に出会うことになった。
 吸血鬼にとって人間を殺すということは、ハエを叩き潰すのと同じなのだ。
 この世界にもモンスターがいるのだと、スイはあらためて驚いた。
 
 アインが「なんてことだ」とつぶやいたのを聞いた者はいなかった。緋玻は同じ廊下の違うドアを開けている。引き裂かれている死体を見るのは気持ちのいいものではない。だが、彼彼女等はおそらくさっきまで、確かに生きていたのだと思った。思えば思うほど、あまり好きではない憎悪の感情がうずくのを感じた。
 ぎゅう、とグリップを握り締める。こんな武器を持っていても、無力だった。
 うなだれて部屋を出たとき、緋玻に肩を叩かれる。彼女は絶望も失望もしていない表情で、毅然と言った。
「諦めちゃだめよ」
 アインは長い髪の緋玻を見上げる。彼女は勝気そうな顔を無理に笑わせることはせず、しかしけして押し潰されてはいなかった。あれだけの死体の山を見たというのに。
 突然スイが声を上げる。
「おい、上だ」
「敵?」
「違う、命がかすかに……ゆらめいている」
 スイが二人を引き連れて階段を上って行く。彼女の足は軽快で早く、そして無駄がない。遅れをとらず駆け上がった先は八階で、ついていた大きな観音開きのドアを開けると、会議中に逃げ惑い殺されただろう人々が見えた。その死体に押し潰されるようにして、白い手が少しだけ動いていた。
 死体をかきわけて、白い手を引きずり出す。白い手は女子社員のものだった。彼女の肩には風穴が空いていたが、他に外傷はなかった。
 スイが傷口に手を当てて精霊魔法で傷を癒していく。目を閉じていた彼女はゆっくりと空ろな目を開き、そして頭に手を当てて泣き出した。
「いやああ、いやああ」
 肩を押さえながら両手で身体を包むようにする。アインが抱き締めようと手を伸ばすと、後退るように死体に寄った。
「ああ、ああ、うふふふ」
 スイが目を伏せる。緋玻がおもむろに顔を逸らす。ただ一人アインだけが、笑い出した彼女を見ていた。
 彼女は、壊れてしまっていた。


 建物がL字に曲がった団地の一棟が潰された。
 幸か不幸か夏休みの帰省が重なっており、被害者は普段よりも格段に少なくすんだ。
 神宮寺・夕日は肩の髪を払い不機嫌な顔をしている。トヨダビルの次が団地だなんて、趣味が悪い。
 相変わらずの手並みを現場で確認し、戻って来たところをシュラインやみなもに捕まった。
「どうだった?」
「どうもこうもないわ、ドンピシャよ」
 食い荒らしてないだけマシと見るか、それとも食べもしないのに殺すのを非情ととるか、夕日には判断つきかねた。
「どうして吸血鬼さんはこんなこと……するんでしょう?」
 みなもがおずおずと訊ねる。こっちが聞きたいわよ、という叫びを夕日は飲み込んだ。
「さあ? どう思う」
 夕日が切り返すと、みなもは考えふけるように首をかしげ宙を見た。
 シュラインは白いシャツにタイトなスカート姿で、みなもはセーラー服だった。夕日はと言えば、いつも通りの出勤スタイルの、ピンクのシャツに黒いスーツである。
「どうもこうもないわ……ゲームよ。きっと、新しいゲームなんだわ」
「新しい?」
 うわごとのようにシュラインが口走ったのを、夕日が聞きとがめる。
「ダビデの星は完成して、中央も崩壊させられた。だから、あのゲームは終わりなんだわ」
「映画でも?」
「いいえ。映画はそのあと神が降臨するのよ」
 みなもはこめかみに指を当てて、うーんとうなっている。
「そんなに人が嫌いなんでしょうか」
 彼女は困った顔で夕日とシュラインを見上げた。二人は苦笑した。
「嫌いかもしれないけど、憎んではいないんじゃないかしら」
 シュラインが答える。継いで夕日も言った。
「ただの遊び道具なのよ」
「ひどい」
 一言だけ言ったみなもは口を結んだ。夕日が何も言えずにいると、シュラインが冷静に口を開いた。
「規則性、今回も規則性がある筈だわ。建物の形か、位置か、それともなにかが」
「わかれば次の被害場所がわかるって寸法ね」
「そう、わかれば……」
 夕日は投げやりに言った。わかる筈もない。こういった事件の場合、単純に映画を真似ている場合などを抜かして、犯人が捕まり自供するまで規則性は明らかにならない。犯罪者は犯罪者の論理を持っているのだ。ヴァンパイアだって、それを遂行している筈だ。
 興信所へ帰る途中、緑の羽の共同募金が立っていたので、夕日達はそこへ百円玉を入れた。
「ありがとうございます」
 グレーのスーツを着た男が微笑んだ。


 翌日道頓堀・一と草間・武彦、黒・冥月と梅・黒龍が向かったのは小さな丸いホールだった。一の力で民間人である全員は中に入ることができた。入ってすぐの受付嬢の机や後ろのポスターに血が散っている。
 廊下は真紅の絨毯が敷いてあったが、はたしてそれが最初から真紅であったのか、疑いたい心境だった。廊下のあちこちにも血が飛び散っている。ホールへ入ると、匂いがいっそうひどくなった。
 その日この場所では三十人程度に人数で、ピアノの発表会が行われていた。
 一が刑事を捕まえて質問をする。
「遺留品は?」
「ありません」
「犯人の目星は……」
「目下捜査中であります」
 聞いてから草間達を振り返る。
 きっと楽屋などもこの状態と同じなのだろう。これ以上見ることはないと踏んで、草間は言った。
「もういいだろう。外へ出よう」
「……悪いな、役に立てず」
 冥月が暗い顔で言った。珍しい弱気な言葉に、草間が驚く。
 影は夜の帝王であるヴァンパイアが支配している。いつもならば標的をすぐに捕らえられる冥月の能力だが、今回ばかりは使えなかった。
「しょうがないさ」
 黒龍が感心したように言った。
「この惨劇を全部一人でやったのか? ヴァンパイアは」
 彼はこの間のヴァリー戦に参加していないのだ。だから、悠長にそんなことを言っていられる。
 草間はつい口を閉じてから、ゆっくりと言った。
「晩飯前だ、あいつらにとっちゃぁな」
「それは強敵だ」
 黒龍はおかしそうに笑う。冥月がきつい目に感情を込めて、黒龍を睨む。
「笑いごとではすまない」
「……そうか、わかった」
 すごすごと引き下がった黒龍をフォローするように、草間が茶化した。
「この男を怒らせるとこわ」
 い……を言い終わる前に、冥月に頭を横殴りにされる。
「誰が男だ」
 草間はたははと苦笑をしながら、頭を押さえ歩き出した。
 
 
 刑事の聞き込みの結果、ある空き家が浮かび上がったので、葛城・理と壇成・限、雪森・スイとアイン・ダーウンそして海原・みなもは東京のよくある郊外の街並みを歩いていた。
 夏の照り返しがひどく、下から照らされている気持ちになる。しかし、たしかに後頭部も暑い。突然鳴り出した蝉の鳴き声に、つい不満を洩らしたのは理だった。
「うるさいですね」
 理の気は少し立っている。
「まあまあ、理さん、そんなに慌ててもしょうがないですよ」
 アインが人懐っこい笑顔で言った。アインは涼しげなシャツを着ていた。
「慌てる気持ちもわかりますけど」
 みなもが顔を伏せる。
「自分、こんなに無力だと思ったことはありません」
 理がつぶやいた。アインは同感だとうなずいてみせた。スイと限は無言で道を進んでいる。
「俺も今回のことで、頭にきてるけど……それってなんか相手の思う壺みたいで」
「そうなんでしょうか」
 アインへ理は俯いて聞き返した。
 アインは困ってしまって、スイに声をかける。
「なあ、そう思わないかな」
「……思う壺とはどんな壷だ?」
 スイは真面目な顔で訊いてきた。一瞬呆気に取られた全員が、少しずつ笑い出す。
「なにか、おかしいか」
 スイを置いて全員がひとしきり笑い終えた頃、限はスイに説明をした。
「思い通りに動いてる、ということを思う壺と表現するんだ」
「……なるほど」
 納得したようにスイはうなずいた。
「確かにそうだな。前回の一件といい、今回の一件といい、モンスターの行動パターンではない」
「どういうことです?」
 理が不思議そうに問う。
「ああいった暗号というのか。メッセージというのか。それらを使うのは、モンスターではなく人間だということだ。知性あるモンスターや種族になると、人間をオモチャに使うという低俗な嗜好は持たなくなるものだ」
 言ってから、スイは限に聞いた。
「低俗、テイゾクでよかったな?」
「え? うん、たぶん」
「ふむ……なかなか使わない日本語は覚え慣れない」
「スイさん、おもしろいですね」
 邪気なくみなもが言った。スイはチンプンカンプンな顔で、みなもを不思議そうに見つめていた。
 目的の木造アパートについて、理は鍵を取り出した。差し込んでぐるりと回すと、カチャリと音がする。そして、少し息を飲んでから理はドアを開けた。
 中には……棺桶が。
 全員が身構える。
 理が先頭になり、じりじりと棺桶に近付いていく。黒い棺桶だった。限とみなもも出入り口を塞いでいた。アインが理に下がるよう指示を出す。スイが理を守るように片手を出した。理は怪我をしたばかりだったので、二人に従うように限の近くまで下がった。
 スイが棺桶の蓋に手をかけ、一気に開ける。
 腰の後ろから引き抜かれたアインのS&Wが中を狙い撃つ。ドウン、ドウンという銃声がした。しかし舞い上がったのは土だけだった。そして棺桶の中には――。
「ハズレ?」
 ハズレと書かれた紙が置いてあった。
 呆気に取られて固まっている中、限が突然叫んだ。
「ふざけんじゃねえよ」
 たしかにふざけている。誰かが理達の行動を先に読んで、悪ふざけをしている。
 全部の棺桶を調べると、何も書いていない当たりらしき棺桶を見つけたので、みなもの能力で水を引き上げてもらい、棺桶を水で清めた。

 理の携帯電話が鳴る。
 出る前に、理は苦笑をしながら言った。
「一昨日は団地殺戮、昨日はホール殺戮で電話が鳴ったんです。今日は……どこでしょうか」
 少し泣き出しそうにさえみえる顔になってから、理は電話に出た。
「もしもし、大阪先輩どうしました?」
「大変だ、今度はマツヨシの寮が狙われた。それも、同時に二棟だ」
「死傷者は?」
「死者は……両方合わせて八十六名。土曜の夜だったからね、全員は家にいなかった」
 理は気丈に言った。
「資料を持って興信所に集まりましょう。三件も起こってるんですから、きっと規則性が見つかる筈ですよ。それに、おそらくヴァンパイアの土と思われるものは処理しましたから」
「わかった」
 理が電話を切ると、全員アパートから駅までの道を引き返し始めた。
「明日戦力になる方はぜひ今夜は帰って寝てください。戦力外の私達で、なんとか明日の殺戮現場を突き止めますから」
 アインとスイは顔を見合わせて、それから理へ笑った。
「そうする」
 もしかすると、最期の夜になるかもしれない。
 
 
 道頓堀・一は田中・緋玻とCASLL・TOと共にマツヨシ社の社員寮を眺めていた。二つは平行して立っているように見える。隣り合った六号と七号だった。
 ベランダから逃げ出そうと外に落ちた二人だけの命が助かっていた。
 しかしやはり、その二人もほとんど意識がない状態だった。
「やりたい放題ね、あいつ」
 緋玻が静かに言う。彼女が怒っているのは、ほんの少しのアクセントで十分理解できた。
「私は許しません」
 CASLLは言った。CASLLの声はいつもより少し頼りなさげだった。本当の彼の声は、こういう声なのかもしれない。
「食ってやるわ、絶対にね」
 一は、二人と違ってなにもできない。ただ、情報を整理してヴァンパイアに震えることしかできない。
「今から明日の被害場所を割り出してきます。お二人は休んでください。明日は、絶対に逃がしません」
 たとえ予知夢がなくとも、もう三件の殺戮が起きているのだ。今度こそ、止めなければならない。
「……そうね、頭使うより身体の方がキモチイイわ。頼んだわよ、大阪くん」
「私も、最期の夜を楽しみます」
 CASLLが弱気にそう言ったので、緋玻が大きなCASLLの身体を叩いた。
「何言ってんのよ、あたしがいるのよ」
 そう言われて、全員が笑った。本当は、誰一人笑っていられる気分ではなかったけれど。
 
 
 橋爪・幸男官房長官は、マイケル・コーエンの邸宅にいる。コーエンアメリカ大使の大使邸宅だった。そこには緊急で呼び出されたSS(イギリス情報保安部)のウィリアム・オーコネットも同席していた。彼はSS日本支部の副支部長だった。
 広々とした邸宅の大きなパーティールームではなく、コーエンアメリカ大使のプライベートルーム、仕事部屋と書斎を兼ねた大きく重厚な部屋に二人は招かれていた。
 応接セットのソファーは官房室のソファーよりも少し固く、座り心地はよかった。一瞬だけそんなことに頭を使ったが、橋爪官房長官にそんな余裕はない。紅茶かコーヒーかと聞かれ、彼は慌ててコーヒーと答えた。
「そういえば三八銀行とUOL銀行の統合の件だが、あまりうまくいっていないようだな」
 コーエンが言った。彼は白い髭をたくわえている。その髭を片手でさすった。
「ええ、UOLの問題を処理次第といった具合ですかな」
 橋爪が冷静を装ってこたえた。
 オーコネット副支部長は口を開くことはしない。オーコネットは金髪を固めていて、強面の顔をしていた。それでもすらりと背が高く、威圧的な雰囲気はない。どちらかというと、コーエン大使の方が威圧的であると言ってもいいだろう。
「しかし不始末をしでかした」
 しばらく橋爪とコーエンの話題がUOLに始終する。
 橋爪の容貌はただのサラリーマンといったところだ。もう額と頭の分け目もわからない。そして日本人の中でも小柄な方だったので、二人の外人に挟まれて本当に肩身が狭かった。
 秘書がやってきて全員に飲み物を置いて出て行った瞬間に、空気が色を変えた。
「まずミスターオーコネット、この不始末の収拾は我々に任せていただけるのでしょうな」
 コーエン大使が腕を組んだ。コーエン大使が一人のソファーに腰をかけ、両側にある三人掛けのソファーに橋爪、オーコネットが座っている。つまり、三人は三角形を書くように座っているのだ。
「結論は急ぐな」
 オーコネットは難しい顔で言った。
 コーエンは黙らない。
「ここは日本だ、日本でこの惨事が起こっている。イギリス政府が奴等を管理できなかったからこんなことになったんだ、違うかね」
「……ちょっと待ってください」
 コーエンの熱弁に冷汗をかきながら橋爪がストップをかける。
「ここは日本です。主導権は私にある、違いますか」
「違うね」
 コーエン大使が断定した。
「日本を守るのはアメリカだ、日本の危機はアメリカの危機だ」
「だからと言って、……どうするつもりなんです」
「軍をあげてヴァンパイア退治に乗り出すつもりだ。もちろん、国防長官と話し合った結果だ」
 オーコネットが両手を振る。すると、コーエンも橋爪も口を止めた。
「君達はヴァンパイアがなんたるかわかっていない。軍を投入する? それでヴァンパイアの足止めになると考えるのかね。それならば、我々ヨーロッパ諸国はヴァンパイアを全滅させ生きやすい世界を作っていただろう。ヴァンパイアと共存することなくな」
 コーエンは挑発するように言った。
「倫理から逸脱している」
「なんとでも言いたまえ。いいかね、ヴァンパイアは君達が考えるよりよほど危険なのだ」
 オーコネットは両手を組んだ。そして肘を膝に乗せる。
 橋爪はオーコネットの言っていることを少し理解している。現在報告されているだけでも、数百名の死者を出しているヴァンパイア事件が、人の介入で鎮圧するとは思えない。
 橋爪はおずおずと訊いた。
「オーコネット副支部長はどんな手段をお考えですか」
「……私は一人の派遣をさせてもらう」
 オーコネットはパンパンと手を叩いた。するとオーコネットの隣に、するすると闇が渦巻きそしてまだ幼い顔をした……青年と呼ぶのが躊躇われるような少年が現れた。
 コーエンは口を開けて言葉を失っている。橋爪もぽかんと呆気に取られた。
「サムネル・ヴェルガモットくんだ。今暴れているヴェルガモット家の三男になる」
 サムネルは黒髪の色の白いかわいらしい少年だった。背はもう百七十はあるかもしれない。彼はニッコリと微笑んで言った。
「身内の恥は身内で片付けます」
 コーエンは目の前のテーブルの葉巻ケースから葉巻を取り出し、訝しげに顔をしかめた。
「歯には歯を……か。バカバカしい。よろしい、我々の突入の後まだ奴が生きていたらSSの好きなようにしたまえ」
「……そんな、ちょっと待ってください」
 橋爪がコーエンの軍投入を止めようと口を挟む。
「待てないよ、橋爪官房長。プロファイリングで次の標的も探している。探し出せば、三部隊を投入してヴァンパイア、キース・ヴェルガモットを殺害。隠蔽工作もきちんと考えている」
 オーコネットははあと一つ溜め息をついて、立ったままのサムネルに聞いた。
「それでもよいかな」
「僕はいいですけど……まあいいや、僕の出番になったらまた呼んでください」
 サムネルは霧散するように部屋から消えて行った。
 橋爪は場繋ぎのように言った。
「次の標的は……どこになるでしょう」
「今全力をあげて調べているところだ」
 オーコネットは大袈裟に両手を上げて苦笑をした。
「我々は提案をした、君達が却下をした、忘れないように。コーエン大使、橋爪官房長官」
 橋爪は嫌な予感を拭いきれず、じっとオーコネットの顔を見ていた。コーエンはヴァンパイアの素人である。オーコネットはヴァンパイアと共存する国の人間だ。どう考えても、オーコネットの指示に従うべきだ。
 しかし――。
 日本はそういった機構の国ではない。残念だが、アメリカに従うしかないだろう。


 草間興信所には人が集まっている。
 ホワイトボードの横に立っているのが、黒髪のきつい目をした美人シュライン・エマだ。凛と清楚な顔をした神宮寺・夕日は、いつもの黒いスーツを着て興信所内をカツカツとパンプスを鳴らして歩き回っている。
「一致する情報は東京で起きているということね」
 当たり前のことをシュラインが言う。
 ソファーに座っている壇成・限は、短めの黒髪に指を突っ込んでかきながら、顔をしかめた。
「例えば共通する友人関係が成立するとか」
 夕日が即決で否定する。
「今のところ見つかってないわ。相手はヴァンパイア、はっきり言ってその可能性は皆無ね」
 限の前にちょこんと座っている、セーラー服姿の青い髪をした海原・みなもが悲しそうに顔色を曇らせた。
「無差別の可能性はあっても、でしょうか」
「だろうな」
 みなもの隣に腰をかけている、いかにも知的な顔をした眼鏡の少年梅・黒龍が同意をした。
「いかにも無差別というのが正しいだろう。あの現場を見ればわかる」
 言葉を継いだ黒龍に、机の上で突っ伏していた草間が言った。
「その通りだ」
 限は自分の考えに取り付かれたように、口を滑らせる。
「やっぱり首謀者とヴァンパイアは別物なんじゃないか。殺して回っているのはヴァンパイア、それを仕向けているのは人間、そう考えるのが妥当だと思う。つまり、このゲームは、首謀者が企んだことなのだから、殺された人か標的にされた場所になんらかの共通点があり、俺達を導かなければならない」
 あっさりとシュラインは言い切った。
「憶測の域を出ないわね」
「ただし、望ましいかもしれない」
 黒龍が静かに言う。
 みなもが目をぱちくりと瞬かせて聞き返した。
「望ましい?」
「そうだろう。無差別殺人の秩序は見いだせなくても、ゲームなら見えるさ」
 地図の上の×印はてんでバラバラで、なにかがそこにあるとは思えなかった。
 そこへ道頓堀・一と葛城・理が捜査資料を持ってやってきた。
「死体は見ますか、膨大の量ですが。それとも殺害現場を見ますか。それとも建物の図面を見ますか、それとも……」
 一は入って来た途端そう言った。興信所の面々は面食らって言葉が出ない。
「明日また誰かが死ぬのなんて嫌じゃないですか」
 一はそう言って、草間の机の上の様々な物を乱暴に床にぶちまけ、持ってきた資料を草間の机の上へ置いた。草間は驚いてしまって怒ることができず、ぽかんと一の顔を見上げている。
「落ち着いて、大阪くん」
 夕日はこめかみを叩きながら言った。
「わかってます」
 理はソファーのガラステーブルへ持ってきたファイル類を置いた。一はとても落ち着いているとは言えない動作で、建物の図面をホワイトボードへ貼り出している。
 限とみなもと黒龍は理の置いたファイルをめくっていた。理の持ってきた報告書は、誰がどのようにして殺されたのか克明に書かれていた。そんなことがわかっても、何も解決しない事件だと、警察も知っているだろうに。
 黒龍は残虐性ばかりが見て取れるファイルを置いて、ホワイトボードへ近寄った。
 限は報告書を見て顔をしかめている。みなもは、パタンと閉じてそれを遠くへ置いた。
「……この、マツヨシ社寮……平行に建っていないんだな」
 言われてシュラインも図面を覗き込む。継いで限も立ち上がった。全員がホワイトボードを覗き込もうとしている中、限は一人宙を見ていた。
 草間は限に声をかけた。
「どうした、限」
「……わ、わかった」
「え?」
 シュラインが図面から限へ視点を転ずる。
「あった、あった、あった、最後の今の最後の社員寮、傾きはハの字ではなくVの字じゃないか」
 黒龍がさらりと答えた。
「そうだ」
「え? Vですか……見えなくもないけど……そうなると、最初が直角に曲がった団地……でLですね」
 みなもがホワイトボードを確認しながら言う。
 シュラインは限を見ながら言った。
「ホールは丸い、Oかゼロ」
「次はV」
 黒龍は意味深長に言った。
 限は壁へ寄りかかり、壁を自分の拳で一発殴った。
「答えは、LOVE、ラヴ、つまり愛。これは確か、アメリカの史実映画だ。遊びなんだ、全部。そいつもただ遊んでただけだったんだ。「ラブアーンドピースって書こうって思ったのに」犯人はそう言って嘲笑する!」
 限は苦々しく口を閉じた。シュラインは言った。
「……最後はEね」
 理がたっと駆け出す。
「自分、東京の航空写真取ってきます」
 言ったそばからなにもない床で蹴つまずいた。理を助け起こすこともせず、一がさっと理の隣を抜けて外へ出て行った。
 代わりにみなもが理の元へ駆けて行って、理を助け起こした。理は「すいません」と言ってぺこりと頭を下げる。
「LOVEにハズレの棺桶。三流ゲームのやりすぎね」
 シュラインは図面を見ながらつぶやいた。
「現実は映画じゃない、俺達は誰にそれを教えればいいんだ?」
 限が放心したようにつぶやいた。
「ほんとに、LOVEなわけ? ほんとのほんとに?」
 夕日は頭を抱え込んだ。
 草間達のやるべきことは、今目の前に迫ったEの被害を食い止めることに外ならない。
 
 
 キースは黒髪を後ろで結っていた。眼鏡をかけているが、もちろん伊達眼鏡だった。キースは男と話している。男はいつも微笑んでいて、ただそれはポーズのようだった。
「次のゲームは東京壊滅だろう」
「うん、そうです」
 答えを聞いたキースがにんまりする。
「新しい土は用意してくれるんだろうな」
「もちろんです、キースさん」
 男は口調を崩さない。
「アメリカ軍が次のEを見つけ出してくれそうだから、キースさんも少しはお食事をされるといい」
 キースはからから笑った。
「次はジュニアハイスクールだろう? 昼間から食事というのも悪くない。軍隊も悪くない。食事をして軍隊相手のグールを作り少し昼寝をさせてもらって、そいつらの相手をしよう。ヴァリーを殺った奴等も来るんだろう?」
「来ますよ。来なくても、死ぬのが伸びるだけですね」
 朗らかに男は笑って、キースに会釈をして去って行った。
 
 
 Eという特殊な形をした箇所は一箇所しかなかった。
 新設されたばかりの小学校だった。それを聞いた瞬間、集まった十五人は全員安堵の表情を浮かべていた。
 LOVまでの犯行は全て夕方から夜にかけてである。新設された小学校にはまだ二年生までしかおらず、下校時刻は午後二時と昼間だった。それならば、被害者は皆無になる。
「被害者が出ないところで、なにをするんだ?」
 黒龍が問う。
 全員答えられず、小学校へ向かった。
 
 
 小学校の回りには立ち入り禁止のテープが張られている。時刻はまだ午後八時を回ったところだった。何台も停まっているジープは無人だった。特設されているテントを覗いてみるも、人影はない。それらは全て英語でアメリカ軍の記述があった。
 それから草間達は校庭へ入った。
 ドサ、ドサ、と何かが落ちてくる。落ちたものは首や足や腕が取れた、迷彩服を着た兵隊達だった。上からはどんどん落ちてくる。草間は一瞬パニック状態に陥った。しかしすぐに、シュラインが厳しい声で言った。
「……中へ入りましょう」
 先頭を歩いているスイが玄関口を開ける。
 そして、飛び退いた。
「待っていろ」
 スイはそう言って一人中へ入った。
 
 生命の精霊の力をそっと身体に宿して、波動と風を併用して校舎内を駆け巡らせる。それは成功したが、残念ながら一階部分のみだった。それ以上力を使ってしまうと、誰かが致命傷を追った場合の治癒に力が使えなくなる恐れがあった。
 スイは力尽きている小さな子供のようなグールを見て、顔をしかめた。
 
 スイに中へ呼び込まれる。草間達は歩き出した。
「待ってください」
 CASLLは静かな声で言った。大柄な彼を誰もが振り返る。CASLLは少し戸惑った表情をみせ、そして笑った。
「校庭にヴァンパイアを引きずり出してください。そうしたら、どうにかします」
 CASLLははにかむように笑って草間達に背を向けた。
「撤退組か」
 スイが不思議そうに言う。
 冥月はかぶりを振った。
「何か策があるのだろう」

 CASLLは落ち続ける死体に近付いて行って、切断部分の血を手に取り顔に塗りつけた。おそらくこの兵隊にも、家族がいただろう。両親や息子や娘がいて、そして家があり、たまに友人から手紙が届き……誕生日にはたくさんの祝福を受ける。そうした些細な幸せが、たくさんあったに違いない。
 CASLLが殺してきたグール達一人一人に人生があり、そしてヴァンパイアに殺されていった多くの人間にも人生があったのだ。
 どうしてそれが食い止められないのか。
 無力感や喪失感とはこういうものか、とあらためて感じた。
 CASLLは今日防護服を着ている。そして、作戦があった。お誂え向けにアメリカ軍の残していったジープがある。鍵はついたままだった。
 ヴァンパイアが校庭に降りてきたら……そのときは。
 CASLLはぎゅと拳を握り締めた。
 
 
 黒・冥月は途方もない気持ちでいっぱいになっている。
 影を完全に制御するヴァンパイア相手では、冥月は決定力に欠けていた。これほどの事態は今までなかったのだ。影は自動防御で冥月の自殺すらも防いでしまうものだった。それが、完全に効かないとは……。
 ずいぶん昔に逝ってしまったような気のする、あの人と距離が近付いたような気がした。
 暗い教室を回りながら、冥月はふとそんな思いに囚われていた。
「お前といいCASLLといい、変なこと考えるなよ」
 草間が冥月の頭をポカリと叩いた。
 冥月は草間の顔をぼんやりと見つめ、そして我に返った。
「何のことだ?」
 立ち止まった草間の後ろにシュラインがぶつかって小さな悲鳴があがった。
 
 
 血の跡は二学年の教室と職員室にべったりと残っていたものの、外には皆無だった。全部の部屋を回りきった草間達は、屋上へ昇る決断に迫られた。
「俺が先に行きましょう」
 アインが暗闇で爽やかに笑う。
 緋玻はうなずいてアインの後ろに立った。
「夕日さんとみなもさん、シュラインさん限さんは、なるべく出て来ないでください」
 アインは厳しい顔で言った。
「あっと、草間さんも大阪さんもですよ」
 ドアを開ける。すると、大人が一人と子供達がたくさんいた。
 ヴァンパイアは言った。
「この間は弟が迷惑をかけたようだな、諸君。私はキース・ヴェルガモット、ゲームはこれからだ」
 パチンとキースが指を鳴らすと、うなだれていた子供達が顔を上げた。全員グールになっている。よく見ると、あちこちに大人の死体が放置されていた。子供達はそれらを食べていたらしい。口が真っ赤に染まっている。
 突然弾けるように限が飛び出した。
「現実は映画じゃないんだ」
 一斉に子供達が限に飛びかかる。限がグールに飲み込まれる。
 
 加速装置を使ったアインが限の身体を抱きかかえる。しかし、もう一度加速して元の場所に戻ることはできない。加速装置を使いマッハで移動するということは、持つもの全てが摩擦熱で燃えてしまうのだ。だから、こうしてグールから限を守ることしかできない。
 後ろから冥月と緋玻がグールをかき分けてアインと限を救い出してくれる。アインは冥月にぐったりとした限を預け、加速装置を再び使ってキースの目の前まで移動した。
 思い切り横殴りにしようとした手を捕まれて、キースがにたりと笑う。
「面白い技を使う人間がいるものだ」
 もの凄い力で身体がコンクリートに打ちつけられる。足掻いて手をもぎ取ろうとしても無駄だった。


 梅・黒龍が光る玉を操ってグールにまみれている冥月と緋玻に星座の力が発動する。緋玻と冥月の動きがみるみるうちに軽くなる。冥月はグールを引き連れて少し下がり、緋玻はアインを打ちつけているキースへ向かった。
 スイはグール達の中へ入り、子供達の頭を片っ端から踏みつけもいでいく。シュラインと夕日が微かに悲鳴を上げた。しかし、みなもはもう悲鳴もあげなかったし泣きもしなかった。みなもは給水タンクの水を操り、屋上に溢れさせ水圧をかけてグール達を下へ流した。
「キースさん相手は上、グール相手は下です。誰か、下に」
 みなもが叫んだので、スイが高い屋上からひらりと外へ飛び出した。次いで、影を伝い冥月もグール戦へ去って行く。
 
 緋玻がキースへ突っ込んでいった。キースはアインの身体を手放した。アインの身体が宙を舞う。一が受け止めようと屋上へ飛び出した。その瞬間に、キースに噛み付こうとしていた緋玻の身体が乱暴に飛ばされ、一を巻き込んで壁にぶち当たった。
「ちっ」
 緋玻が立ち上がる。
 一は苦しそうに片目を開けた。

 その間に復活したアインがまた加速装置で突っ込んでいく。アインはキースの身体を抱き締めるように締め付けた。しかしキースは両手に力を込め、アインの腕がギシリと鳴った。片方の腕が肩から外れる感触がする。
「うが」
 透明の溶液が流れ出している。
 キースは構わずアインの右腕を力任せに外し、それから面白くなさそうに頭を殴った。キースの足元へアインの頭がめり込む。

 呆然としている草間の頭に、ちょこんと何かが乗った。驚いて顔を上げてみると、昔一度会ったファム・ファムというよくわからない肩書きの運命管理人だということがわかった。
「大変そうですね」
 まるで他人事だった。
「お前、こないだの力を使ってくれよ」
 ファムのキスを受けると、人間の能力値があがるのだ。
「希少種さんのやりたい放題さを考えると、うーんやってあげられないこともないですけど。これって違反ですし、こないだのお礼ということであと、これからもよろしくってことでよいですか?」
 ファムは宙から手帳を取り出してぺらぺらめくった。
「キース・ヴェルガモットさん、年齢は百五十二歳、高貴な血筋ですが劣性遺伝子とみなされてますね。性格はヴァリーさんと似たり寄ったりかしら? 同じ方向にプライドが無駄に高いみたいです」
「……色々書いてあんな」
 ファムはえっへんと胸を張る。
「そりゃそうですよ」
「じゃあ、弱点は?」
「えーとですね、最小三人の犠牲でこの戦いは終わることになってます。運命を変えられるのは一人だけです。誰にします?」
 草間は考えもせずに言った。
「俺だ」
「了解しました。では、失礼します」
 ちゅ、っとファムは草間にキスをした。

「もっと楽しもうじゃないか、早く!」
 緋玻が動き出す。見ていられなくなった、シュラインと夕日、そして理が構える。
「やあ」
 と掛け声をかけて駆けていく理を、面白そうにキースは眺めている。そして懐へ飛び込んで一太刀浴び、理の頭をむんずと掴んだ。理の手から、カランと日本刀が落ちる。
「うああ」
「やめなさい」
 緋玻が横から殴りかかる。まるで劣ったスピードだったが、逆サイドからも草間が殴りかかっていた。能力値が少々アップしたぐらいでは、人種の壁は越えられないようだった。
 理の頭を放り投げ、緋玻の肩に片手をずぶりと突っ込んで風穴を空けたキースは、草間に向かって片腕を向けた。片腕が犬に変形している。犬は草間の頭を食らおうとしていた。
 そこへ冥月が影の中から現れる。
「……お前の弟を殺したのは私だ」
「……なにを言ってるんだ?」
「殺すなら、私にしろ」
 キースはバカバカしいと鼻を笑わせた。

 その隙に黒龍が星座を発動させる。盾座の星座が黒龍の手元で描かれ、キースが冥月に噛み付くのを防いだ。
「……煩い」
 キースが念波を飛ばし、黒龍と理が下へ跳ね飛ばされた。
 黒龍は手元の光る玉を動かして、鷲座を発動させた。ゆっくりと黒龍の身体が舞い、怪我をしている理を受け止めて下へ降りることができた。
 グールは殲滅している。少し体力を使いすぎたのだろう、スイが上を見上げて立っていた。
 黒龍はすとんと校庭へ降り、スイの体力を蛇遣い座で回復してやる。スイは手を握り、不思議そうに黒龍を見た。
「こういった力を使う奴もいるのか」
「見ての通りさ。ただ、精神力はカバーできない」
 言って黒龍は理の治療へ入る。星座を組みながら、彼は言った。
「戦場を校庭へ下ろさせよう。CASLLの案もあるようだ。上じゃあ、危険だからな」
 そう言うが早いか、上から人が降ってきた。冥月がシュラインを受け止めているが、草間と緋玻と一、そしてみなもと限は無防備だった。
「いくらボクでも五人は無理だ」
 言いながらも鷲座を発動させる。しかし心配はなかったらしい。すぐにみなもの能力で全員の身体はウォーターベットのようになった水に包まれ、やわらかい振動と共に校庭へ落ちた。
 水が校庭へ吸い込まれ、水溜りがあちこちにできる。
 
 キースはゆっくりと屋上から手を振っていた。
「ボクの言うとおりに動いてくれ。全員で一度突っ込め、なんでもいいから隙を作れ。ボクが最期の手段で奴を捕縛する。星座の効力はあるようだからな、きっと大丈夫だ。そうしたら、致命傷を」
「……緋玻さん、大丈夫」
 緋玻の肩の下は風穴が空いている。
 スイが近付いていって、緋玻の傷を癒した。
「私の精神力もそろそろ底をわる」
「底をつく、ね」
 夕日は理を抱き上げながら言った。
 キースが降りて来る。
 そしてキースが地上へ降りた瞬間に、ジープがキースへ向かって突っ込んできた。ジープにはCASLLが乗っている。水を被っているのか、ジープの車体がテラテラと濡れていた。
「この匂いは、ガソリン?」
 シュラインが弾けるように言った。
「まさか、CASLLさん」
 意識を取り戻している一が顔色を青くして叫んだ。
 CASLLごと突っ込んだ車は、キースの分だけ凹ませて停まった。つまり、キースはジープに突っ込まれても不動だった。しかし、CASLLは次の瞬間キースに絡まるように抱きついて、火を放った。
 ゴォォォォ! ガソリンが燃える。ジープも一緒に燃え上がる。

「あのバカ」
 冥月は影を辿り力の抜けて焦げたCASLLを回収した。
「誰か、回復を」
 夕日が咄嗟に口を開いた。
「ダメだ、その前に大ボスを叩くぜ」
 黒龍が有無を言わさずに断言した。
 行動が開始される。みなもの水がキースの背を打ち、右から右腕のないアインとスイが左から草間がそして正面から冥月と緋玻が突っ込んで行く。全員が捻じ曲げられるようにして弾き飛ばされた後、黒龍も隙をついてキースへ殴りかかった。が、身体的に優れているわけでもなかったので、軽く飛ばされた。黒龍の頭はアンドロメダ座をすでに練り上げている。手元の玉がゆるやかに光り、アンドロメダ座の鎖がキースを拘束した。
「今だ」
 緋玻が一番速かった。緋玻はキースの首元に食らいつき、そしてヴァリーのときと同じように心臓を引きずり出そうと手を差し込んだ。しかし、キースは片手でそれを制して抵抗する。片手のアインが代わって、胸に手を差し入れた。勢いよく血が噴出す。緋玻とアインはキースの血を浴びた。そして心臓は本体から取り除かれ、校庭の砂の上に落ちた。
 立ち上がったばかりのスイが、まだ動いている心臓を足で踏み潰す。
 はぁ、はぁ、とほとんど全員の息が上がっている。
 シュラインと目を覚ました限は、キースの身体に近付いて行った。
「来るな」
 アインが叫ぶ。
 見ると、キースの片腕の犬がアインの肩に噛みついていた。
 キースの手を振り解いた緋玻が、キースの首を手刀で切り落とす。そしてようやく、キースの犬はその場に朽ちた。


 闇の中に青年が立っている。
「こんばんは、いい月夜ですね」
 彼はそっとキースの元まで歩いてきて、そしてアインや緋玻を見た。それから全員を見渡して、拍手をしてみせた。
「僕はサムネル・ヴェルガモット、彼等の弟です」
 襲いかかろうとした緋玻の気配に、サムネルは少し後退って笑いながら言った。
「僕は兄の尻拭いに来ただけです。吸血鬼の恥さらしを止める為にね。でも、皆さんがやってくださって、僕の手間ははぶけました。ありがとうございます」
 サムネルはぽん、と宙に浮かび上がってそれからシュワアァと闇に解け、そして闇に目玉を十も二十も登場させた。その目はランランと輝き、獣のような牙を持った口が闇に現れる。
「本物の吸血鬼はこんなものじゃありません。お騒がせをしました」
 サムネルはそのまま闇に消えて行った。
 
 ファムが草間の頭上に現れる。
「今のは、サムネル・ヴェルガモット。本家の大事なお宝息子です。メモによると、キースさんの百万倍ぐらい強いって書いてありますね」
「……マジか?」
「でも放っておいても平気なんです。人間は絶滅しませんし、吸血鬼も絶滅しません。私が言うんだから間違いなしです」
 ファムはうんうんとかわいらしくうなずいて、草間ににっこりと挨拶をした。
「それでは、またお会いしましょう」
 ファムは消えた。
 
 
「大丈夫か、みんな」
 草間が言って反応したのは数名だった。
「私達は大丈夫よ」
 シュラインと夕日と理は、みなもの水の鎧に守られていたようだった。
 黒龍はしんどそうに立ち上がって、舌打ちをした。
「肉体労働は趣味じゃない」
 吐き出すようにそう言う。
 冥月は放心するようにぼうっとしていた。緋玻はアインの腕を捜しに立ち上がった。スイが最後の力で治療をしようとアインに近寄ると、アインの腕は機械だったのでどうしようもなかった。
「後で知人に修理してもらいます」
 アインが苦笑する。
 限がのっそりと起き上がって、身体の埃を払いながら言った。
「まるで悪い夢だ」
 スイはCASLLの治療を開始している。一が心配そうにCASLLを覗きこんでいた。
 
 
 ――エピローグ
 
 橋爪官房長官官邸に招かれた。
 橋爪はテレビで見るのとまったく同じ顔をしていた。草間達は立食パーティー形式でもてなされていた。アインの腕はまだ片方しかない。
「本当に、日本の危機を救ったのはあなた方でした」
 橋爪はそう言って労った。
 そして、ヴァンパイアのヴァリーとキースは、日本人らしき誰かの手筈でこの東京へ運び込まれたのだと教えてくれた。二人はヴェルガモット家のお荷物として生きてきたので、どういう手を使ったのかわからないが、日本人に唆されて東京を殲滅する為にやってきたらしい。
 これはSS(イギリス情報保安部)のヴァンパイア達への聞き込みから得た情報だそうだ。
 理は料理を頬張りながら、困った顔になっている。
「え? 事件は解決じゃないんですか」
「一応は解決です。我々は、その日本人の捜索を続けますが……情報が少なすぎましてね。辿り着けるかどうかわかりません。その人物が、何を企んでいるのか……」
 冥月が訝しげに訊ねた。
「組織ではないのか。たとえば、国が絡んでいて私達に話せないから、ということは」
「ない、と言っても信じてはもらえませんね」
 橋爪は溜め息をついた。
 限とスイはコックに料理の説明を聞いている。スイは相変わらず頓狂なことを言って周りを笑わせているようだった。
 夕日は一の皿へどんどん食べ物を載せていく。
「大阪くんがんばったんだから、どんどん食べてじゃんじゃん働くのよ」
「……す、少し休ませてください」
 一は肩をすくめて苦笑いをしている。
 緋玻は橋爪の話に顔をくしゃっと歪めてから、一言言った。
「次がないといいわね」
「そうですね」
 アインが同意する。
 シュラインとみなもはぎこちなくでも微笑んで、
「ないわよ、きっと」
 そう希望的なことを言った。
 そして最後に黒龍が、意味深長に呟いた。
「二度あることは三度ある……」
「二度?」
 シュラインが聞きとがめると、彼は手を振って答えた。
「鬼の事件さ、忘れたのか? あれだって、本当にあれが黒幕かどうかわからなかったじゃないか」
 理が初めて興信所に持ち込んだ、異人種の事件だった。
 薬の関わった事件で、たしか研究者も最後は死んでいる。
 
 橋爪はそれを受けても、動じた様子はない。そう、彼は知っているのだろう。
 異人種を動かして東京に何かを仕掛けようとしている動きが、たしかにあることを橋爪はほんの少しだが知っているのだ。
 
 
 ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女性/13/中学生】
【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女性/900/翻訳家】
【2525/アイン・ダーウン/男性/18/フリーター】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【2791/ファム・ファム/女性/952/神界次元管理省霊魂運命監察室管理員見習い】
【3171/壇成・限(だんじょう・かぎる)/男性/25/フリーター】
【3304/雪森・スイ(ゆきもり・すい)/女性/128/シャーマン/シーフ】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3506/梅・黒龍(めい・へいろん)/男性/15/中学生】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】

【NPC/葛城・理(かつらぎ・まこと)/女性/23/警視庁一課特務係】
【NPC/道頓堀・一(どうとんぼり・はじめ)/男性/26/警視庁一課特務係】

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■         ライター通信          ■
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「夜の来訪者、夏の夜の夢【後編】」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
全員分ぶちこんで書いてみました。長くて申し訳ありません。
面白かったと思っていただければよいのですが。皆さんズタボロです。おつかれさまでした。
葛城・理シリーズは謎を解明する形で進んでいきます。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。

では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。

 文ふやか