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『 人形師の思惑は永久に 』
夕暮れ時の雑踏の中を私はひとり歩いている。
世界が一日で一番優しく綺麗な時、夕方。私はその美しい光景を頭の中で音楽化する。
アンダンテの音楽。
柔らかで温かな橙色はビオラ。
明るい子どもらの声は私が奏でるチェロ。
優しい母親の声はピアノ。
力強い父親の声はヴァイオリン。
車のブレーキ音やクラクションはスタッカート。
「世界は音に満ちて美しい」
呟く私。
立ち止まった私は空を見上げる。
そこにある藍色と橙色とが美しいコントラストを描いた空はどこまでも広がっていて、それはかつて彼女と一緒に病室から見ていた四角い狭い空とは全然違っていて、
そう想ったら私の胸は切なさで一杯になって、
それでその涙に滲んで歪んだ空に風に飛ばされていくリボンの幻影を見た私はもうダメだった。
つぅーっと目じりの端から一滴の涙が零れ落ちて、
一端涙が零れたらもう私はそれをとめる事が出来なくって、
それで私はそのままぐずぐずと泣いてしまう。
夕暮れ時の買い物客や家路を急ぐ人々が多く行き交う道の真ん中で立ち止まって泣き出した私を、周りの人々はぎょっとしたように眺めながら通り過ぎていく。
別に私はそれに何とも想わない。
助けてもらいたいとも想わない。
だって今私が感じているこの悲しみや苦しみ、そして怒りや憤り…恨みのような感情はそれは本当にどうしようもなくって哀しい事だけど、この私にしか理解の出来ないモノだから。それでも私は・・・
願ってしまう。
そう、私はおそらく話すという行為で共有したいのだ、
この感情を。
四条ユナの事を。
「哀しい音色だな、今のあんたの心が奏でているチェロの音色は」
――――聞きようによっては素っ気の無い投げやりな物言い。でもよく聞けばまるで優しく諭すような声。
はっと私は顔をあげた。
柔らかな橙色の光りのカーテンに包み込まれる都会の雑踏の中に立つその人は、だけどすべてを音楽化させるセンスを持つこの私のセンスでもその音色を想像できない人。
それは言い例えるのなら闇。純粋な夜のぬばたの闇。どろりとした粘性を持ち、心に絡みつくようなそんな見る人の心にざわつきと恐怖を感じさせる。
だけどそれでもこの私がその人を怖がらないのは、私は彼が奏でるピアノの音色を知っているから。
そう、音楽は心で奏でるモノ。
ならばあれほどの音楽を奏でられるこの人の心は・・・
私は覚えている。
初めてこの人のコンサートに行った時に、
この人の奏でるピアノの音色がものすごく優しくって、そして哀しすぎて、
どうしようもなくこの人がかわいそうに思えて、
それでずっとコンサートの間中泣いてしまっていたのを。
そう、この人はとても優しい人。
――――そして同時にものすごく哀しい人。
「あんたはいつも泣いているんだな、初瀬日和」
そう言ってその人、三柴朱鷺さんは私の頭をくしゃっと優しく撫でてくれた。
【オープニング】
「う〜ん、編集長…お願いします。没はやめてください。経費が足りません。えっ、取材費を自費だなんて…」
などと三下忠雄が仕事にはシビアな美貌の女上司である碇麗香の悪夢にうなされていると、突然携帯が鳴り響いた。
「……は、はい…って、あ、おはようございます。編集長。…へ? パソコン」
パソコンを起動させる。言われた通りネットに繋ぎ…
「**美術館から、人形師海道薫の最後の人形が盗まれる、って…これって編集長……」
『ええ、そうよ。江戸末期に活躍した天才人形師海道薫、最後の人形のテーマは永遠に動き続ける人形。そのために彼はその人形にある魔性の細工をした。それはその人形が絶えずさ迷う人の魂を呼び寄せ、そのボディーにその呼び寄せた人の魂を宿らせるということ。そしてその目論見は成功した。人形には人の魂が宿り、人形は動き出した。そう、その魂の体となった。そして色んな事件を引き起こしたわよね。想いを遂げて人形に宿っていた魂が成仏しても、次の魂がまるで順番を待っていたかのように空席となったその人形に即座に宿るから…永久に動き続ける人……海道薫の願いは叶った』
三下は魂が群がる人形を想像して、ぞくっと鳥肌がたって、椅子の上で体を丸めた。実は彼は先々月号の時にこの数十年ぶりにある素封家の蔵で発見されたその人形(人形には呪符によって封印がされていた)の取材をしたのだ。(その時に人形に怒り、憎悪、悲しみ、喜びなどがブレンドされたような異様な雰囲気を感じて気絶してしまったのは碇には秘密だ)
「だ、だけど、この人形が消えたって…まさかW大学の大月教授がナンセンスだって呪符を剥がしたせいで人形に魂が宿って…それで人形がって言うかその人が想いを成就させるために消えた……?」
『ええ、そうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく面白いネタには違いないわよ、三下君。さっそくこの現世に蘇った魂が宿る人形が紡ぐ物語を調査してちょうだい』
―――――――――――――――――――――――
【Begin tale】
「落ち着いた?」
ストローで口に含んだ一口のオレンジ―ジュを喉に流した私に三柴さんは素っ気無く訊く。
私はこくりと頷いて、そしてくすりと笑う。
温かな白い湯気をあげるブラックコーヒーを喉に流す三柴さんは両目を細めてん? という表情を浮かべた。
「どうした?」
「あ、いえ、別に」
私はふるふると首を横に振って、そしてごまかすように髪を肩の後ろに払いながらストローに口をつけた。
こっそりと上目遣いに見上げた三柴さんは軽く吐息を吐きながら肩を竦めている。
「で、どうした?」
二回目の質問。
それでも今度の『どうした?』が先ほどの質問とは違う事はお嬢様育ちでおっとりとした私にでもわかった。
私はこくりと顔を頷かせた。
「ちょっと昔を思い出して、それで感傷的になってしまっていたんです。別に困った事とか哀しい事、そういうのがあったわけではなくて…」
私はため息を吐きながら、ただ想いを…心の深層の更に奥深くにそっと沈め込んでおいたのに、それなのに泡のように心理の表面に浮き上がってきた想いをどうしようもできなくって、そしてこの人ならそれを理解してくれるんじゃないのかって、それでそんな期待を込めて、それを止められなくって、言葉を口にする。
「どうしようもできない事なんです。どうしようもできない事だってわかっているのに、だけどそれでもきっと私はそれをどうにかしようとしている。そうしなければ私はきっと前に進められないのを知っているから。それでも同時に私はやっぱりどうしようもなく絶望的なまでにそれをどうする事もできないんだってわかっているから、そんな宙ぶらりんになった心をどうする事もできなくって、それで苦しんでいるんです。自分ではそれをどうする事も…上手く処理する事もできないから」
――――我ながら感覚的な物言いをするなと想う。
これではきっと三柴さんには私が何を想い何を言いたいのかわからないだろう。
きっとそれは私が三柴さんに何も期待していないからだろう。
私はちゃんと知っているのだ。ただの16の小娘のこの私にはそれをどうする事もできないように、
例え三柴さんが世界的に有名なピアニストでもそれをどうする事もできないって。
だから私は結局の所、三柴さんには同意とか言葉を期待しているのではなく、ただ一方的に私が吐き出したモノを受け止めてもらいだけなのだ。
我ながらそんな身勝手な感覚に吐き気がした。
――――それでも・・・
「まあ、あんたが自分の何かにどう決着を付けたがっているのかはそれはあんた自身にしかわからないものだけど、でもゴールの場所は一つじゃないし、社会的概念が決める事じゃない。それを決めるのはあんた自身なんだぜ、初瀬日和」
「あの、それってどういう?」
他人の事は言えないがこの人も随分と感覚めいた事を言う。
「だからさ、けじめの付け方はあんた次第だろうって言う事。そのけじめの付け方は他人の価値観とか社会概念が決めるんじゃない。あんたが決めるんだぜ?」
そう言って三柴さんは私にウインクすると、ブラックコーヒーを飲み干して、伝票を持って席を去っていった。
♪♪♪
「で、師匠、これで良かったの?」
「ええ、ありがとう、朱鷺」
「いや、いいけどさ。俺があの娘と話すよりもあんたが彼女と話した方が良かったんじゃねーの? あんたが彼女を導いてやれば」
「いいえ、それはダメなのよ。あの娘には耳があるわ。だけどその耳は迷いの音色によってノイズキャンセルされた四条ユナの音楽を聴けないでいる。その音楽を聴くためには大変だけど彼女が自身でその迷いの音楽を打ち消し、自らの心の音色を調律しなければダメ。優しいだけではダメなのよ、闇の調律師は」
「へいへい。キツイね、これは」
両手をあげてそう言った三柴朱鷺に綾瀬まあやはにこりと笑った。
「でもまあ、それだけの得はあるわ。もしも彼女が己が心の音楽を調律できたその時はあたしたちは世界で一番純粋なその音色を聴く事ができる。そう、それはすべて彼女の心の強さ次第。だから・・・」
だからがんばって、初瀬日和――――
♪♪♪
「ありがとうございましたー♪」
然して私と違わない店員の明るい声に送られて私は店を出た。
制服のポケットから取り出した携帯電話を開いて、適当なボタンを一つ押す。暗闇にぼわぁっと茫洋な光を投げかけて液晶画面に現れた時刻は19時32分だった。
「あーぁ、オーケストラの練習、さぼちゃったわね」
投げやりに言う。それでも今から急げば遅刻ではあるが練習には少しは参加できるのだ。
――――でも私はどうしてもその意欲を搾り出す事ができずに、とぼとぼと人通りの少なくなった道を歩いた。
足は無意識に前に歩いていく。
心はどうしようもなく一つの場所で足踏みしているのに。
守れなかった約束。
忘れていたふりをしていた、
見ないようにしていたあの日の自分の見た光景。
小指に残った感触。
指きり、げんまん、嘘ついたら、針千本、のーます、指切った。
かわした約束。
耳に残る無邪気な笑い声。
何もかもが色褪せる事無く心に残っている。
それでもそれは私の心の中の世界だけの話で、
私が生きるこの優しくない現実世界は無慈悲に立ち止まる事無く進んでいくのだ。
たとえこの手を赤い血で染めようとも両手で掴んだ刻の針は止める事は叶わない。
「ユナちゃん」
夜の闇の中でその建物だけがこっそりと時を止めてそこに存在していた。
そう、世界という音楽の音色はものすごく早い。
あっという間にそれは耳朶にその余韻を残す事無く流れきって、一体自分はその時にどんな音楽を聴いていたのか、いや、そんな音楽自体が流れていたのかさえわからなくなるほどに早いのだ。
そしてそれに恐怖や不安を感じる暇もなくまた膨大な音の奔流が私の心を押し流さそうとするように奏でられる。
私の心はそれに何の対抗をする術も無い。
それでもだからと言ってこういう時が止まった世界において安息の時間を得るかと言えば必ずしもそうじゃない。
時を止めた廃虚の音色は甘く淫らな音楽で私を誘う。破壊の地へと。壊すのは自分の道の先の果てにあるもの。
臆病な私の足はそれがわかっているからそこで立ち止まる。
ならば私は進む事も、
戻る事も叶わず、
その中途半端な地で宙ぶらりんとなって、いるのか?
そうなのだ。
そうなのだろう。
それは思春期と言う年代の少年少女の不安定な心が奏でる音色。
その音色が私を更に苦しめる。
私は闇の中にひっそりとある廃虚を見つめる。
そうして思い出そうとするのだ、その廃虚が在りし頃に奏でていた音楽を。
『日和ちゃん』
「????」
だけどそれは音楽ではなく、幼い少女の明るく無邪気な音色だった。声という音色。
「ユナちゃん?」
私はその声の主の名前を呼ぶ。
そう、それはユナ、四条ユナの声だ。
そして私は耳を澄ませるのだ。
それは幻聴だろうか?
風の音色がそう聞こえた?
それとも私が思い込んだ?
いや、違う。
違うのだ。
私には断言できた。
だってここは私とユナちゃんが出会った場所で、
遊んだ場所で、
約束した場所。
それならばユナちゃんの私を呼ぶ声が聞こえたとしても、それはなんら不思議は無いのだ。
魂がここにあったのだろうか?
それともここが彼女の心が奏でた声を憶えていたのであろうか?
私はその声がする方向へと走ったのだった。
♪♪♪
かつて私は一時期幼い時にこの廃虚…病院に通っていた。
主治医と話をしている母親に断りを入れて私は診察室を出て、病院の中庭を歩いていた。
季節は春。
外を歩くのが何よりも楽しい時分だ。
そんな私は空を見上げる。真っ白なキャンバスに水色の絵の具を塗って、その上に更に白を重ね塗りしたような空を。
青い空と、
そして白い雲。
それと・・・
ピンク色のかわいいリボン。
それは風に飛ばされて、空間を舞っていた。
私はそのリボンから、それが空に投げられた場所を見た。そこにいたのは自分と同い年ぐらいの女の子で、その娘は私と目を合わせると病室の中に引っ込んでしまった。
「そう、確かあの時の私もこうやって………」
聞こえなくなった声。その声の代わりを求めるように私は空を見上げていた。
見上げた空はあの時と違う空。
あの時は明るい日差しに溢れた昼間の空。
でも今、見上げる空は夜の空。
違う空。
だけどそれでもその空に飛ぶそれは・・・
――――同じリボン。
ユナちゃんの・・・
リボン。
「ユナちゃん?」
聞こえた声。
空を舞うリボン。
間違い無い。やっぱりユナちゃんはここにいるのだ!
私は走った。
ユナちゃんの居る場所に。
記憶の中にある何度も遊びに行った彼女の病室と、この今の病院の廃虚の間取りとを重ね合わせながら。
そしてそこにいたのは!!!
・・・・・・。
♪♪♪
リボンに代わりに世界を見てもらおうと想ったの・・・
――――それが私からリボンを受け取った彼女の言葉だった。
四条ユナ。
当時の私と同じように…いや、私よりも病弱だった幼い少女。
私は通院だったけど、彼女は入院だった。
私よりももっともっと身体が弱くって、外へも余り出られなくって、それで・・・
「ねえ、そのリボンを貸して」
「へ?」
「リボンはね、髪を結ぶ物なんだよ」
髪を洗っていないから恥ずかしいと逃げる彼女に私は微笑みながら彼女の髪を指で梳いて、そしてリボンを彼女の髪に結んで、
「うん、リボンは髪を結ぶ物なんだよ。だから代わりに私が一杯いっぱいユナちゃんに外の事を話してあげる」
そうやって泣き出したユナちゃんに私は微笑みながら彼女を抱きしめて、
まずはその当時にチェロのレッスンを受けていた怖い先生のお話をした。
♪♪♪
真っ暗な病室にはベッドと椅子が残されたままで、長い年月を経たそれはスチールの骨組みとスプリングだけになっていた。
だけどそれでも私にはその窓ガラスが割れたせいで外から風によって運ばれてきた砂や埃、ゴミだらけの部屋が初めて来た時のこの部屋の風景と同じに見えたのだ。
ベッドには病院特有の白いシーツがかけられていて、その上にはテディベアーの絵柄の上布団がたたまれて置かれていて、その横の椅子には読みかけの本が置かれていて、それのページは吹き込んでいる強い風にぺらぺらと捲れ上がっていて、それでその窓の所には吹き込んでくる風に長い黒髪を舞わせるとても色白でかわいいユナちゃんがいて・・・・
そう、ユナちゃんがいて・・・
「ユナちゃんなんだよね?」
恐る恐る私はそう声をかけた。
枠だけとなった窓に私に背を見せて立つその古い日本人形に。
それはゆっくりとその声に応えるように私を振り返る。
――――そう、かつてのユナちゃんのように。
+
「日和ちゃん、元気だった?」
――――人形なんだもの、表情が変わる訳が無い。それでもそれは確かにあの頃と同じように・・・
うん、あの頃のユナちゃんと同じように綺麗に微笑んで…私が病室に遊びに行く度に嬉しそうに笑って出迎えてくれたユナちゃんの表情と一緒に見えたんだ。
『こんにちは、ユナちゃん。遊びに来たよ♪』
『いらっしゃい、日和ちゃん』
+
それからの私たちはその病院の廃虚であの頃と変わらぬままにおしゃべりした。
ユナちゃんが大好きだった仔犬のポッキ―が今は近所の野良犬達のボスとなっている事や、
近所のお姉さんが産んだ赤ちゃんが今は小学校に行っていること。
この病院が潰れた事。
ユナちゃんがここの病室の窓から見ていた花は今は私の家の庭にあって、毎年綺麗に咲いていること。
今もまだ季節になるとちゃんと飛んでくるツバメの事やカルガモ一家の話。
でも一番ユナちゃんが驚いたのは・・・
―――あの時はまだ幼い女の子だった私が、今はもう女子高生になっていること。ユナちゃんはあの頃の小学生のままだと言うのに・・・。
「でも本当に驚いたよ。あの日和ちゃんがこんなにも美人になっているんだもん。それに髪の毛もだいぶ伸びたんだね」
「うん、ユナちゃんの綺麗な長い黒髪が羨ましかったからね」
「そっかー。それにしてもあの日和ちゃんがもう女子高生かぁー」
「そうよ。もう法律的には結婚も出来るし、私だってそれなりに恋だってしたんだからぁー」
「きゃぁー、聞かせて、聞かせてー」
「やだぁ、ユナちゃんったら」
そうやって私たちはくすくすと笑いあった。
「まだ、チェロ、がんばってるんだよね?」
「うん、がんばってるよ。ユナちゃんとも約束したもんね、チェロをがんばるって」
「うん」
「うん、がんばっているよ」
「どうかしたの?」
ユナちゃんが小首を傾げる。さらりと揺れた前髪の奥にある彼女の硝子の瞳がとても心配そうに見えて、だから私は無邪気に笑った。
「何でもないよ。ああ、だけど今日はちょっとサボちゃった。あはははは。ごめんなさい」
「うん、許しましょう。たまには息抜きも必要だよ」
「うん」
そうしてしーんと静まりかえる。
でもこの世界において完全なる静寂なんてありはしない。
それが在りうるのは人が作り出した世界だけで、それで自然の世界ではいつも何かの音楽が鳴り響いている。そう、今だって・・・
「これ、あの遊園地の音楽だよね」
「あ、うん、そうだよ」
私は立ち上がって片手でスカートを直してお尻を叩いて埃を落としながら四角に切り取られた夜の街の光景を見つめる。
その私の視線の先にあるのは大きな大きな円を描く幾つもの光りの点だ。その円の中心には巨大なデジタル時計なんかもあったりする。
かすかに風に乗ってここまで流れてくるその軽やかで心躍るような軽快な音楽はその巨大な観覧車がある遊園地のテーマソングだ。
「東京で一番の大きな巨大な観覧車」
「うん、白亜。ああ、でももう一番じゃないんだよ?」
「ああ、そうなんだ。そうだよね。あの小さかった日和ちゃんが女子高生になっているんだから」
「うん。………あの、ごめんね、ユナちゃん。ひとりだけ大人になっちゃって」
そうだ、私はずっと謝りたかったのだ、ユナちゃんに。
幼い小学生のまま・・・
どっちが早く彼氏が出来て、デートするとか、
どっちの胸が大きくなるとか、
どっちが早く結婚して、
それでその時に友人スピーチで何を言うのかとか、
そんな事を話し合っていたのに、
私はひとり成長して大人への階段を上っていって、
でもユナちゃんは小学生のままで・・・
「バカねー。そんな事をずっと気にしていたの?」
ユナちゃんはとても優しい声を出した。
それはまるで優しいお母さんが、自分の娘にかける声のような、そんな優しい声で…
「私の心は常に日和ちゃんと共にあるわ。
ねえ、日和ちゃん。私はね、とても嬉しかったんだよ、日和ちゃんがいてくれて。
あの日、私は日和ちゃんの優しい心がとても嬉しくって泣いてしまって、
ずっとずっとずっと日和ちゃんに感謝して、
そういうのが伝えられなくって、それでずっと後悔していた。
でもそれも今日、この人の魂を糧にして動くという人形のおかげで叶える事が出来て、それを神様に感謝してる。
神様なんかこれっぽちも信じていなかった私が神様に二回目に感謝した日。事」
くすりと笑ったユナちゃん。彼女が初めて神様に感謝した日。事、なんてのは訊かなくってもわかった。それは私も同じだから。
「ずっと一緒にいられないの?」
私は嗚咽と一緒にそう言った。
「うん」
ユナちゃんは静かに頷いた。
そして・・・
「だから最後の約束を叶えよう。私はそのために戻ってきたのだから。日和ちゃんの心にずっと巣食い、その音色を曇らせるその後悔という雑念の蜘蛛の糸を。それを取り除く事が出来れば、日和ちゃんは最高の音色を奏でられる」
「ユナちゃん・・・」
「行こう、遊園地に。あの時に果たす事のできなかった約束を一緒に叶えよう」
【ラスト】
そして私はユナちゃんを人形だとばれないように変装させた。
ユナちゃんと二人でノリノリで変装して、
そうしてドキドキしながら遊園地のゲートをくぐって、
その瞬間に二人して見合わせた顔には感慨深い表情が浮かんでいて、
それで二人で真っ直ぐに約束の観覧車に向って、
それに乗った。
一周25分。
その25分が私とユナちゃんの最後の時間で、
それで私はきっとその25分を生涯で間違いなく一番の密度の濃い時間にしようとして、だけど私は何を言えばいいのかわからなくって、
そうしたらユナちゃんがなぜか口笛を吹き出して、
それは私が彼女の誕生日にプレゼントするために作曲していた曲で(もちろん、こっそりと作っていて、ああ、でも一度だけ病室に行ったらユナちゃんが気持ち良さそうに眠っていて、それで私は彼女が起きるまでの時間を利用しようとランドセルから楽譜を取り出して、でもいつの間にか眠っていて、あれ、でもその時はそれでも私はユナちゃんが目覚める前に起きて、急いで楽譜をランドセルにしまって…それでそれを見計らったようにユナちゃんが起きて…)、
「もう、ユナちゃん」
私が苦笑しながらそう言うとユナちゃんは口笛を吹きながらにこりと笑って、
それでだけどユナちゃんはそこで口笛を止めた。当たり前だ。彼女が見たのはそこまでで、そしてその日の夜にユナちゃんは亡くなってしまったのだから。
そして私はちゃんとこれも覚えている。
今日がユナちゃんの16回目の誕生日だって。
「ちゃんと完成しているよ、ユナちゃん。聴いていてね」
そうして私はハミングをする。
心を込めて。
あの幼い彼女と過ごした日々を想いながら。
私は忘れない。
絶対に忘れるものか。
あの幼い女の子だった日、
春から夏の終わりまでを彼女と一緒に過ごした時を、
日々を、
その想い出を。
私と彼女が友達だった事を。
そうして確かに生涯で一番の私の密度の濃い25分は終わりを告げた。
がしゃりと観覧車のゴンドラの扉が開かれる。
そして私はただの人形をその手に抱きながらゴンドラを降りた。
遊園地に流れるのは蛍の光。
それは今日の終わりを告げるモノではなく、
この遊園地の終わりを告げるモノ。
だけどそれはまた新たなる出会いへの道を祝福する音楽でもある。
そう想えるようになったのはユナちゃんと今夜出会えたおかげ。
私は絶対にユナちゃんの事は忘れない。
忘れないまま彼女を抱いて生きて、
そうしてまた新たな人と出会ったり、
新しい場所に行く。
それが生きている私の役目だと、そう、ユナちゃんが別れの間際にとても優しく微笑みながら教えてくれたから。
― fin ―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【 3524 / 初瀬・日和(はつせ・ひより) / 女性 / 16歳 / チェリスト志望の高校生 】
【 NPC / 三柴・朱鷺(みしば・とき) 】
【 NPC / 綾瀬・まあや(あやせ・まあや) 】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、初瀬日和さま。
はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼していただきありがとうございました。
ものすごくやり甲斐のあるPCさまですごく楽しかったです。
今回は少女の頃に迎える思春期をテーマにさせていただきました。
ひょっとしたらPLさまのご想像なされていた物語と雰囲気が変わってしまったでしょうか?
プレイングにあった友人とのお話、それと大人の階段を上っている日和さんの感覚を絡み合わせたら面白いだろうな、と。
今回のこの物語、PLさまにも気に入っていただけていたら嬉しい限りです。^^
自分的にはこのお話、ものすごく上手く書けて嬉しい限りですので。
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にご依頼ありがとうございました。
失礼します。
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