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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


死神の気紛れ

 例え健二にそいつの死期が見えたとしても、当の本人は己の寿命など当然知る由もない。健二が手を下さずとも、近い将来に死する運命に遭ったとしても、決してそうとは認めたがらないだろう。
 当然、健二に対する怨念は深く根強く残る。『気』の強いものは勿論、そうでないものも蓄積すればそれなりのものになっていく。
 …やがてそれらが負のエネルギーを伴い、噴き出す時を迎えるだろう事を知っていても、当時の健二には己の行為を止めようがなかったのだ。


 一家団欒も終わりを告げる時刻、一人の会社員らしい女性が、夜道を足早に帰路を急いでいた。
 彼女がそんなに急ぐ理由は、観たいテレビがあるからでも門限が厳しいからでもない。最近のメディアを連日賑わせている、連続通り魔事件の事があるからである。
 暫く前から、毎日のように紙面を賑わせているその事件は、死者こそまだ出てはいないが、いつ出ても可笑しくないような内容である。概要は、夜、人気の無い場所で老若男女問わず、正体不明の人物から襲われ怪我を負う、と言うものである。犯人は刃物を用い、言葉は一言も発する事なく被害者を追い詰め、その刃物を振り上げる。すわ一巻の終わりかと被害者の脳裏に今までの人生が走馬灯のように流れ始めたその時、何故か急に犯人は苦しみ出し、苦悶の呻き声をあげるとそのまま立ち去って行くのだと言う。
 犯行エリアが特定されている訳ではないこの事件のため、都内で夜道を歩く人々は格段に減った。お陰で、それ以外の犯罪がほんの少しだけ減少したと言うおまけがあったが、致し方なく夜に出歩く人々は、己がその不幸な被害者とならぬよう、ただ祈って急いで自宅へと向かうしかなかったのである。そしてまさに、この女性もその一人であった。

 カツカツとハイヒールの音がアスファルトに響く。嫌だわ、と眉を顰めて女性は歩調を更に早めた。今の所、犯人には殺害の意思がないとされているが、そんな事、本人が語った訳でもないのだから実際のところは真実とは限らない。最初の死者となれば、そりゃもう全国のメディアに自分の名前が数え切れない程の回数、登場するのだろうが、そんなところで有名になったってちっとも嬉しくもない。女性は、少しだけ身震いをして脇に抱えたトートバッグを抱え直した。
 その時である。女性の行く手を遮るように、誰かが路地から飛び出して来た。当然びっくりした女性だが、悲鳴を上げられなかったのは、余りに驚いた所為であろう。彼女の瞳は、その人物が持つ、刃の輝きに吸い寄せられていた。
 磨き抜かれ、恐らく使い込まれてもいるだろう幅広のナイフ。それを構え、奴は女性の全身を舐めるように見る。街燈を背に背負っている所為もある、顔の大半を覆い尽くす長い髪と引き摺るようなコート状の服装の所為で、男か女かも判らない。ただ、その目の光りは、明らかに狂喜のものだった。ひゅ、と女性の喉が音を立てて呼吸をした。
 奴がナイフを握り直すのが視界の端に映る。次の瞬間、それは煌めいて女性の喉笛を的確に狙った。悲鳴を上げて逃げようとする女性が、ヒールで足を捻りその場にしゃがみ込む。その、意図せずした行為が功を奏し、奴のナイフは空を切っただけに留まった。
 が、道路にへたり込んでしまった女性が、最大の危機状態である事には変わりはない。ヒュー、ヒュー、と奴の荒い息が、まるで何かの獣の息遣いのようにも聞こえ、女性は総毛立つ。実際、獣と似たようなものだったのだろうが。奴は一歩、また一歩を踏み出して女性へと近付いて行く。ナイフを振り被り、その切っ先は確実に恐怖に見開いたままの女性の右目に突き刺さろうとしていた。
 その時。極限状態にある女性の、人には言えない特殊な能力は、凄まじいまでの『負』の気を感じ取っていた。その『気』が、ぐらりと撓む感覚を受ける。伸びたビデオテープの映像のように、ぐにゃり曲がって何か違うものに姿を変えようとした。
 「グッ……う、ぅウ……ぁああぁァア―――…!」
 奴が突然、苦悶の叫びを上げる。歯を食い締め、ぶるぶる震える右腕を、左腕でしっかりと掴んでいる。まるで、この右腕だけ別の生き物で、そいつの凶行を左腕が阻止しようとしているかのように。奴は暫くそうして何かと闘っていたが、やがて無理矢理右腕を捩じ伏せ、ナイフを握ったままその手はコートの内側へと捕獲される。そしてそのまま女性に背を向け、一目散に走り去っていったのであった。
 女性の悲鳴と奴の叫び、両方を聞いた地域住民の通報のお陰で、程無くして警察が到着するだろう。それまでの間、女性は腰が抜けて道路に座り込んだまま、自分が九死に一生を得た幸運に感謝すると同時に、さっき感じた強烈な『負の意思』について考え込んでいた。


 水上・操は依頼を受け、この連続通り魔事件を追う事になった。先の女性だけでなく、容疑者から『負の気』を感じ取った人が何人か居た為、何かしらの心霊現象的なものが働き掛けている可能性があったからだ。
 ある夜、別件で都市郊外の住宅街へとやって来ていた操は、強く深い怨念の気を感じ、そちらへと向かう。それが、巷で噂の連続通り魔事件と関わりがあるのかどうかは判らなかったが、その気の禍々しさは、退魔師としては放っておけない程のものだったのである。
 気の波動を追って走り、次の角を曲がろうとしたその時。男性の悲鳴がそちらから聞こえて来た。急いで操が角を曲がると、その先で壁際に追い詰められた若い男性と、今にもその喉笛を切り裂かんとナイフを構えた人物の姿が目に入った。
 「待ちなさいッ!」
 奴の注意を引こうと、操が大声を出す。思惑通り、奴がこちらを向いた。その隙に男性が逃げてくれれば幸いとも思ったが、怯え切っているその様子から、それは無理だろうと踏む。走りながら己の気を両手首に集中すると、手首で揺れていた二つのブレスレットが、長短二振りの刀へと変じ、操の手の中でその出番を待った。
 追いついた操の『後鬼』が、奴のナイフを狙って閃く。小振りなそれは小回りが利き、操の手の一部であるかのように実に巧みに動いた。が、相手も相当な技の持ち主か、目にも留まらない操の攻撃を避け、後ろに飛びすさると激しい殺意を剥き出しにして操に反撃しようとする。が、その時。いつもの事態が起こる。奴は突然苦しみ出し、暫し一人で葛藤を繰り広げた後、身を翻して逃げ去ってしまったのだ。
 当然、操はその後を追う。遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来ていたから、暫くすると被害者の男性は警察に保護されるだろう。それに第一、危険な相手は今自分の目の前を凄い勢いで走っているのだから、例え一人取り残されたとしても、取り敢えずは安全だと言えよう。
 暫くすると、二人は人気の無い古びた公園へと辿り着く。切れ掛けの街燈の下、奴は立ち止まって荒い息でその肩を揺らした。バチバチ、とフィラメントが焼け付く音をさせながら、街燈が点いたり消えたりする。そんな照明を浴びながら、奴はゆっくりと振り返り、操と正面から対峙した。
 「……あなたは、…」
 操が呟く。その顔には見覚えがあった。…山崎・健二だった。
 「…やっぱりあなただったのね」
 「………」
 健二は何も答えない。答えないのは、操に対して罪悪の念で己の行為を恥じているからではないようだ。その証拠に健二は、初めて見るような目で操の顔を見る。操は、その反応も予想の範囲内だったか、臆した様子もショックを受けた様子もなく、ただいつも通りの淡々とした表情のまま、両手の刀を構え直した。
 「あなたの所為、だとは言わないわ。あなたとは一言二言言葉を交わしただけですけど、でも、私には分かっていました。いつか、あなたがこうなる事は。人の想いは、喜びや幸せよりも憎しみ悲しみの方が数倍、数十倍強く作用するものだから…」
 あなたの所為ではない。でも、私はあなたを止めなければならない。
 「…行きます」
 操の静かな宣誓と共に、その足が地を蹴り、猛然と健二へと立ち向かっていった。


 暗く足元も覚束ないような中、火花を散らす二人の動きは、明るい所での一般人の動きとは比べ物にならない程、軽やかだった。健二の振り被って叩き降ろすナイフの刃を、逆手に握った『後鬼』で操が受ける。その隙に、逆の手の『前鬼』を脇からバックハンドで斜め上に向け切り上げると、その切っ先を紙一重で健二は避け、上体を仰け反らせた。
 一歩後ずさりし、操は持ち直した二振りの刀を身体の前で構え直す。健二もまた、腰を低く落としてナイフを構え、戦闘態勢を取り続けた。
 健二は、未だ強い怨霊に操られたまま、激しい殺意を操に抱いている。操もまた、健二を殺すつもりで刃を振るっている。殺意と、殺意に限りなく近い強い意思とのぶつかり合い。どちらも最終的には無事では済まないような戦いであった。
 健二が、より一層身を低くして構える。それを見て操も、緊張から眉間に皺を寄せた。ダン!と地面を蹴って健二が一直線に操に襲い掛かってくる。操は、『前鬼』を持った方の手を肩越しに後ろに振り上げ、いつでも薙ぎ倒せるような体勢を取った。が、健二は、人としては到底あり得ないような勢いのまま、鋭角に曲がって進行方向を変える。操が引いた方の肩を狙って、隠し持ったナイフを投げ付けて来た。さすがに不意を突かれ、操は振り下ろす『前鬼』でそのナイフを避ける。予想外に余分な行動を取らされた所為で、操にほんの少しだけ隙が生まれた。健二の空いた手の中に、魔法のように別のナイフが現われる。そのナイフが操の喉元を狙っている事に気付き、操は一旦、手にした『後鬼』を取り落とした。その手で小さな印を結び、健二の顔面目掛けて投げ付ける。それは健二の目の前で小さな小さな雷となり、バァンと弾けて一瞬だが健二に目眩しの効果を与え、操の被害は結った長い髪の先を散らすのみで留まった。水神家秘伝・天候操作術の応用である。

 間合いを取り、操は肩で息をしながら体勢を整える。さすがに健二相手の戦闘では、操と言えどもそれなりに能力を消耗してしまったらしい。決着は、付くとしたら一瞬ね、と操は小さく唾液を飲み下した。
 暫くの間、二人は間合いを取ったままじっと見詰め合っている。まるで愛しい恋人同士の逢瀬のようでもあるが、その手に持つ武器と漂う緊迫した空気に、そんな甘い雰囲気は欠け片もない。
 その時。切れ掛けの街燈にとうとう寿命が来たか、ブツッと音を立てて完全に切れてしまう。周囲は一瞬にして闇に包まれ、互いは互いの立ち位置を見失った。
 先に状況を把握したのは健二だった。駆け出し、操の心臓を狙う。ナイフを構えたこの腕を突き出しさえすれば、それは容易にあの柔らかな肉に突き刺さるだろう。そこから滴る、熱く赤い血の香しい匂いと粘り気。徐々に温もりを失い、ただの肉塊と化して行く過程。悲鳴、悶絶、断末魔。それら全てが、今の健二に取ってはこの上ない悦びだった。
 (コロセコロセコロセコロセコロセ!!!)
 健二の顔が、狂喜と悦楽の笑みで歪む。引き攣ったような耳障りな笑い声をあげたその時だった。
 パッ。と、さっき消えてしまった街燈が、気を取り直したか、再び明かりを灯したのだ。その時、健二と操は、互いの吐息が掛かる程の間近にいた。驚き、見開かれる操の黒曜石と、真っ正面から向き合う健二。そこに彼は何を見たのだろうか。少なくとも、大きな鎌を持った姿では無い筈だ。
  ……シニガミガ、イナイ。
 それは、死の合図が存在しないと言う事。健二の動きが、ぴたりと止まった。
 勿論、操はその隙を逃しはしない。手の中で『後鬼』を180度回転させ逆手で握り込む。その柄の部分を操は健二の延髄に叩き込み、その衝撃で昏倒した健二の身体は糸の切れた人形のよう、力を失ってその場にどさりと倒れ込んだ。


 健二に憑いていた怨霊の数は計り知れず、その威力も想像以上のものであった。操ほどの力を持ったものでない限り、全てを除霊する事は難しいと思われたが、何とか無事に祓う事ができ、こうして連続通り魔事件は解決したのだった。尤も、真実は一部関係者に伝えられたのみで大半はそのまま闇に葬られたので、世間的には事件は未解決のままであり、突然犯行を辞めて永遠の謎だけを残したジャック・ザ・リパーのように、後々まで語られる事となるのだが。

 神社の朝は早い。まだ朝靄がけぶる中、箒で地面を掃く音だけが聞こえる。
 神社の境内には巫女がひとり。玉砂利の上に散った葉屑を、竹箒で掃き寄せている。他に人の姿はなく、遠くで朝の時を告げるニワトリの鳴き声がした。
 「…精が出るわね」
 不意に、操の静かな声がする。誰に話し掛けたのかと思いきや、全く気付かなかったが、操の脇でしゃがみ込む人物の姿があった。完全に気配を消すその正体は健二である。何をしているのかと思えば、黙々と草むしりをしていたのだ。
 「……。このまま居着くつもり?」
 操の言葉に、暫しの沈黙で健二が答える。返事は返って来ないもの、と思って操が背を向けると、相変わらずしゃがみ込んで地面に視線を落としたまま、健二が低く呟いた。
 「…この恩は、俺の一生を持って返す」
 「………」
 恩、とは何か。命を見逃して貰った事か、それとも悪霊を祓って貰った事か。或いは、得体の知れない健二を、深く問い詰める事もなくここに置いている事か。どれも当て嵌まるような気もするし、どれも違うような気もする。操は、細く息を吐いた。
 「……好きにしたら良いわ」
 溜め息混じりのその返事は、それでも決して、呆れや嫌悪を現わしてはいなかった。再び、操は庭の掃除に没頭する。箒で掃く音と草を引く音、それらだけが、早朝の境内に響き渡っていた。


おわり。