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<幻影学園奇譚・学園ノベル>


懐かしい月が照らす世界へ


■ 月夜のうさぎ ■

 夏休みだというのに、活動の盛んな部が練習でもしているのだろうか。
夕方というにはもうだいぶ日も落ちて、辺りにはむしろ薄い闇が渦巻いている。
その中でも、どこかから生徒達の声が遠く近く聞こえてきている。

 セレスティ・カーニンガムは脇に抱え持っている本に目を落とし、それからふと周囲に目を向けた。
それから渡り廊下から覗くことの出来る空を見上げ、小さなため息を洩らした。
「またいつもの夢ですか……」

 この数日、彼は毎夜同じ場所を夢に見る。
その夢の中では彼は神聖都学園という学園に通う生徒の一人であり、ごく普通の学園生活を送っているのだ、
もちろんごく普通にとはいえ、時折不可思議な事が起こったりもするが、それはそれ。
ただひとつ。ひどく印象的なのは、学園の上に浮かぶ青ざめた月。
毎日少しづつ満ちていくその月に、セレスティは言い知れない何かを感じている。

 ふと目線をおろしてみると、廊下の近くの木の傍に、いつの間にか一匹のウサギがいて、何やら必死に飛び跳ねていた。
銀色の毛並は月光を浴びて艶やかに光り、その手が求める先には、月光を帯びて妖しく光っている小さな欠片があった。
欠片は木の葉の中に埋もれるように引っかかっていて、風が吹いた程度では落ちてきそうにもない。

 セレスティがウサギを目にするのは、実はこれが初めてのことではない。
これまで何度か目にしてきたのだが、なんとなく通り過ぎてきたのだった。
だがしかし、今日は何となく声をかけてみよう。そんな気分になった。

「何をしているんですか?」
 抱えていた本を廊下に置き、片手に持った杖をつきながら静かに歩み寄ると、ウサギは驚いたように体を震わせてこちらに目を向けた。
月を映した大きな瞳には、ゆらゆらと揺れる滴が溢れている。
『あの欠片がほしいんだ。あの欠片を手にしたら、ボクはあの懐かしい月へと還ることが出来るのだと。そう教えてくれたひとがいたから』
 ウサギはセレスティの問いにそう応えて、溢れていた滴をほろほろとこぼした。
その涙は止まることなくこぼれ続け、ぱたぱたと地面に落ちていく。
「月? 月から来たんですか?」
 問いを続ける。ウサギは再び大きく飛び跳ねていたが、問われると動きを止めて真白な毛並をこちらに向けた。
『わからない。わからないけれど、ボクにはあの月が懐かしい。郷愁を感じる場所に戻りたい。それだけさ』
 長く伸びる耳をふらふらと揺らしてがっくりとうなだれ、ウサギはそう応えた。
こぼれ続ける涙は、彼の体をどんどんと濡らしていく。

 飛び跳ねだしたウサギが見つめている先に目を向ける。そこにはウサギに対しては大きな木が一本立っている。
その木の中で光っている欠片は、ガラスなのかあるいは光る石なのか。それは一見しただけでは判らないが、大きさとしてはビー玉ほどだろうか。
 セレスティは視線をウサギへと戻すと、ふと片手を口許にあてて首を傾げた。
「誰が、あれを手にしたら月に行けると言ったのですか?」
 訊ねたその瞬間、一陣の突風が吹き荒れて、木の葉を大きく揺らしていった。
真白なウサギによく似た姿をした彼は、ふと動きを止めてセレスティを見据えた。
銀色に輝く瞳をゆらりと細めて。

『それはボクをここに引き寄せたアクマだよ。……もっとも、キミ達からしたらボクも充分バケモノなのかもしれないけれど』
 そう応えるウサギの額には、細長く伸びる一本の角がある。その角が、彼がただのウサギではないということを示しているのだ。
『この学園は、ボクみたいなのを引き寄せるには充分な場なのさ。ボクみたいなのはまだいい。中にはボクなんか比較にならない、大きなアクマが存在している』
 続けて応えたウサギの声は、夜の闇に消え入りそうなほどに小さく呟かれる。
「アクマ、ですか?」
 薄い笑みを浮かべてそう訊ねると、ウサギは耳をゆらゆらと動かしながら、また涙をほろほろとこぼした。
『お願いだ。あの欠片をボクにとってくれないか。ボクはあれを手にいれて、懐かしい月へと還るんだ』



■ かけら ■

 ウサギの言葉に頷くと、セレスティはゆっくりと木の下まで歩み寄り、欠片が引っかかっている場所を見上げて目を細めた。
それほど背の高い木ではないが、普通のウサギと変わらない大きさの彼からすれば、まるで高層ビルのように高く映ることだろう。
「しかし……困りましたね」
 片手に杖を持ち、セレスティはふと首を傾げてウサギに視線を向けた。
「木登りなどをしたら難なく取れてしまう高さですが、あいにく私の足は少しばかり弱いので、あなたのご期待にそえるかどうか……」
 申し訳ありませんとささやき、困ったような笑みを浮かべる。
ウサギはセレスティの顔を見上げて長い耳を折り曲げ、言葉なくほろほろと泣き続けている。
『ごめんなさい。ボクが無理をいうものだから』
 うなだれてそう呟くウサギの言葉に、セレスティは慌てて手を振ってみせた。
「大丈夫です。私のほうも答え方が悪かったですね。……私の足はこの通りですが、その代わり、不便を補う能力を持っているのですよ」
 ふと微笑んでそう述べると、ウサギは銀色の瞳をゆらりと揺らして首を傾げる。
けれども傾げられたウサギの顔には、すぐ後に驚きに満ちた表情が浮かんだ。

 ウサギの目前で広げられた光景は、まるで幻想的な一枚の絵画の世界のようだった。
セレスティが指をパチリと鳴らしたその刹那、その体の周囲はどこからか――おそらくは、足元の地中から――現れた多量の水で囲まれたのだ。
水は噴水のように噴き上げ、やがて小さな渦を作ってセレスティとウサギの周囲を取り囲む。
天上に光る月光が乱反射するその水は、数度だけ空高く噴き上がった後に細い触手のような形状へと変わり、まるでセレスティの手を代行するかのような動きで欠片を掴み取った。
優美なその動きは、どこか紳士たる風格を備え持っているセレスティの動きを模写して、悠然と光り輝きながらゆっくりと欠片をセレスティの手の中へと運んだ。

「さあ、取れました。これでよろしいのですよね?」
 穏やかに微笑むセレスティの顔は、今なお残る水の影にゆらゆらと揺れる。
差し伸べられた手を覗き見れば、ほのかに光る小さな石が月光に映えて輝いている。
ウサギは今自分の目の前で起こった事態に驚き、ぽかんと口をあけたままでセレスティの顔を見上げた。
『あ、ありがとう。そうだ、キミの名前……名前をまだ訊いていなかった』
 セレスティの手に自分の手を重ねながら、ウサギは初めて満面の笑みを浮かべている。
その可愛らしい笑顔を見据えながらセレスティも微笑み、ゆっくりと膝を折り曲げて首を傾げた。
「私の名前ですか? 私の名は」
「セレスティ・カーニンガム。この月の世界にある空気の不穏を感じとっている、ごくわずかな存在よ」
 セレスティの声に重なってそう告げたのは、見れば妖艶な姿を花魁のような衣装で包み隠した一人の女だった。
女は乱れた髪を手櫛で整え、不敵な微笑を口許に浮かべながらウサギとセレスティを見つめ、ついと片足を前に出した。
その動きに連動するように、ウサギがびくりと後ろにさがる。
その動きが可笑しいのか、女はくつりと笑って再び足を動かして二人の方へとにじり寄る。
「月の瞬きに寄せられた魔同士、仲良うしようと言うたのに」
 女はそう言って着物の袖で口許を隠し、くつくつと喉を鳴らすようにして笑った。
「すいません、お話の途中で失礼します」
 女の言動を制するように割って入ったのは、女の出現により、ウサギが異常に怯えだしたからだ。
かたかたと小さく震えているウサギを後ろに庇い、セレスティは毅然とした視線を女に向ける。
「キミが彼に欠片のことを教えたという方ですか?」
「さよう」
 身じろぐこともせず、女はゆるりと目を細める。薄暗い藤色の目が三日月をかたどった。
「彼はこの欠片があれば月へと渡ることが出来るのだと言っています。それは真実でしょうか?」
 問いかけて、今だ自分の手の中にある欠片を女に見せる。すると女は三日月にした目を見開いて、紅を塗った唇をぬらりと舐めた。
「その真偽に関して応えるには、まだ少ぅしばかり尚早かのう。何しろ、貴公がその兎から聞き及んでいる情報が、そもそも真かどうか解らぬからのぅ」
 ゆるりと口の端を歪めて笑む女に、セレスティはふと眉根を寄せた。

 考えてみれば、ウサギも女も魔であることに変わりはない。
この学園という場が特殊であるというのは、それは間違いなく真実なのだから、魔が寄せつけられるのもまた事実なのだ。
魔であるならばその発言が全て真実であるとは限らない。むしろ魔には虚偽ばかりを口にするものもいるのだから。

 しかし

「確かに、彼が私に嘘をついているという可能性も考えられます。でも私は、彼の言い分を信じていますよ」
 やわらかな口調でウサギを見やり、不安そうに自分を見上げている彼の頬を撫でる。
艶やかな白い毛並は、春の芝のようにやわらかい。

 ウサギが流していた涙は、偽りから生まれたものだとは思いにくい。
あれほど清らかにこぼれていたものを、魔だからと踏みにじることは出来ない。

 女は着物の袖を持ち上げて再び口許を隠し、藤色の目を三日月にしてくつりと笑った。
「まあ、そのようなことは良い。その欠片では月へ渡ることなど出来んのだから、代わりにわらわの願いを聞き入れてたもえ」
 女はそう言いながらつついと前に歩みだし、青白い指をセレスティの前に伸べて言葉を続ける。
「その欠片、粉々に砕いてはくれまいかの? 貴公の力をもってすれば可能じゃろう?」


■ 月に渡るウサギ ■

『だめだ! それがなくっちゃボクは月に還れなくなってしまう』
 ウサギは女の言葉を受けて不安そうに叫び、再びとめどなく涙をほろほろと流し出した。
「……大丈夫。砕いたりもしませんし、あの人に渡したりもしませんよ」
 後ろに庇っているウサギを軽く撫でてそう告げると、セレスティは再び毅然とした視線を女に向けた。
「これをご自分で取らなかったということには、きっと理由があるのですね。……ご自分では手にすることが出来ない。違いますか? だから彼を使って誰かに取らせ、その誰かにこれを砕かせようとしていた」
 その言葉に、女はゆっくりと袖をおろし、その下のぬらりとした赤い口を引きつらせて笑った。
「ご名答じゃ。さすがにやすやすとは騙せぬのう。しょうがない、この月の下で眠るがよかろう」
 ぬらりと歪んだ口がそう呪いの言葉を吐きだし、同時に女の着物の裾から露出した蛇のような尾が地面を蹴り上げた。
 
 生ぬるい風に似た声が闇を切り裂き、上下に大きく開いた女の口が――いや、蛇の口が、セレスティの顔のすぐ目前へと迫る。
その口がセレスティを飲みこもうとした、その瞬間、女の体は大きな水球に覆われた。
ウサギはセレスティが女に襲われそうになった様を見て両手で顔を覆ったが、惨劇が起きたような気配がしない事に気づき、そろそろと手をどけて女とセレスティに目を向けた。
そして目の当たりにしたのは、髪を振り乱しながら大きな水の牢に捕らわれている蛇妖の姿と、それを風船を弄ぶかのような手つきで上下させている、セレスティの穏やかな笑み。
セレスティはウサギの視線に気付くと緩やかに微笑み、「もう、大丈夫ですよ」と首を傾げた。
それからその目をゆっくりと後方に向けると、蛇妖を封じた水球を小さなビー玉ほどの大きさに縮めて握り締め、かすかに眉根を寄せつつも頭をさげる。
「……繭神君」
 
 いつのまにかそこに立っていたのは、学園の生徒会長である繭神 陽一郎。繭神はセレスティに一礼するとウサギに顔を向け、わずかに訝しんだ表情を浮かべた。
「三年のセレスティさん、ですよね。……こんな時間まで学園に残られて、どうされたのですか?」
 繭神は淡々とした口調でそう告げると、ウサギに向けて放っていた目を再びセレスティへと向けた。
「図書室で調べ事をしていましたら、こんな時間になってしまいました。帰り際にちょっとした事件に遭遇しましたが、それももう解決しましたし」
 穏やかに笑みながらそう応えると、セレスティは手にしていた小さな水球を繭神に差し伸べて見せる。
繭神はそれを受け取ると、手短に何かを呟き、水球を握りつぶした。
「学園内の事件を、おおごとにせずに解決してくださった事、感謝します。感謝ついでといってはなんですが、そちらの手にある欠片、わたしに渡してはくれませんか?」
 あくまでも丁寧に、頼みこむような口調でそう告げる繭神に、しかしセレスティは眉根を寄せてみせる。
繭神の丁寧な物言いと穏やかな物腰。しかしその裏には、相手に否と答えさせない圧倒的な何かがある。
「欠片、ですか?」
 応え、もう片方の手を開いてみせる。その中では確かに欠片が光っていた。
「……この欠片にはどんな力があるのですか? 私はそこの彼が故郷に渡るための道具となり得るなら、キミではなくて彼に渡したいと思っているのですが」
 眉根を寄せたままでそう応えるセレスティに、繭神は片手を持ち上げて口許を隠し、小さく笑った。
「――――お分かりなのでしょう? それはその彼が故郷に渡るための道具たる役目は持ちません。逆に彼がそれを手にすれば、彼はさきほどの蛇のような、禍禍しい気で覆われてしまうかもしれませんよ」
 
 脇で二人のやり取りを眺めているウサギが、たちまち不安に満ちた表情を浮かべる。
セレスティは一瞬だけウサギに目をやってから、ふと睫毛を伏せた。

 確かに、セレスティはすでにこの欠片に触れて、これが何であるのかを読みとっていた。
そこに浮かんだのは何事かを示す禍禍しい月光ばかりで、ウサギが言うような”故郷への道標”的な影は少しもなかったのだ。
つまり、ウサギはさっきの女に騙され、使われていただけということになる。それをウサギに伝えれば、彼はどれほどに哀しむだろうか。

「……欠片はあなたにお渡しします、繭神君。その代わり、この彼は見なかったことにしていただけませんか?」
 ウサギがびくりと耳を動かす。
「いいですよ。わたしがほしいのは欠片であって、無碍に命を奪うような趣味は持っていませんから」
 繭神は小さく笑うとセレスティから欠片を受け取り、満足そうに首を傾げた。
「……そうそう。あの月が空のちょうど真上にくるとき、月光で出来た階段が地上に繋がるというような話を、聞いたことがありますよ」
 そう述べてウサギに微笑みかけると、繭神はきびすを返して校舎の中へと消えていった。

 
 再び訪れた静寂と暗闇を、煌煌と照らす月光だけが見ている。
セレスティはそれからしばらくウサギと共に木の下に座り、言葉なく空を見上げていた。
空に架かる月がちょうど木の真上に来た頃、ウサギは嬉しそうに耳を揺らして跳ねまわり、何度も何度もセレスティに礼を述べて踊った。
見れば繭神の言葉の通り、ほのかに白い光が地上へと注がれ、それが階段に似た形をかたどっている。

『ありがとう、ありがとう。ボクはようやく還ることが出来るんだ』

 嬉しそうに飛びはねながら、ウサギはそう言ってまたほろほろと涙をこぼした。
それを穏やかに微笑みながら見守るセレスティと、少しづつ天へ昇っていくウサギ。
夜の闇は音もなく、ただ静かに二人を包みこんでいる。

 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 3-A】



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■         ライター通信          ■
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お世話さまでございます。いつも発注くださいまして、まことにありがとうございます。

今回のこのノベルは企画ものということもあり、なにげにその辺の設定などを組み入れてみました。
繭神君が突然出てきてみたりで、疑問に思われるかもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。
欠片などといったものの謎は、きっと今後少しづつ明らかになっていくと思いますので……。

学園生活というよりは、そういった謎にからむ物語の一片として書いてみました。
少しでもお楽しみいただけていればと願いつつ、筆を置かせていただきます。