コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<幻影学園奇譚・学園ノベル>


懐かしい月が照らす世界へ


 いつの間にか薄暗くなっていた図書室の中で、城ヶ崎 由代はふと目を開けた。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
目の前に広がったままの分厚い本を閉じて立ちあがり、慣れた動きでそれを本棚へと戻す。
薄暗い室内は当然足元も暗いし、棚を探すのも本来ならば容易ではないはずだが、由代は夜目にも慣れたもので、迷うことなく本をきちんと戻し、図書室を後にする。

 今、時間はどのくらいだろうか?
気になって腕時計に目をやるが、そこにあるはずの時計がない。
由代はちらと首を傾げてみせるが、さほど気にとめる様子もなく、月光ばかりがほんのりと照らす廊下の中を歩いて行く。
 遠くから生徒達の笑い声や話し声が聞こえる。
学園祭も近いことだから、発表を控えているどこかの部が活動をしているのかもしれない。

 学園は夏休みを迎えている。
夏休みとはいえ、学園に登校している生徒は割といるものだ。由代もその例に漏れず。
しかし夜ともなれば、学園の中は一面の静寂に覆われる。夏・夜の学園というシチュエーションともなれば、怪談の一つや二つも上がってくるのは当然のことだろうか。
 カツンカツンと響くのは由代の足音。それが廊下に響き、奇妙な音楽のように聞こえる。
由代はその音に目を細めつつ、ふと視線を外に向けた。

 窓の外に見えるのは、中庭に立つ一本の木。
その木の下に何者かの気配を感じて目を向ける。そこにいたのは一匹のウサギだった。
ウサギは何やら必死に飛び跳ねては、目の辺りをぐしぐしとこすりつけている。
飛び跳ねるたびに、その真白な毛並は月の光を浴びて銀色に光る。
気付けば、由代は中庭へと足を踏み出して、ウサギの傍まで寄っていた。
「そこで何をしているのかな?」
 そう問うと、ウサギはびくりと体を跳ねらせてからこちらを振り向き、由代の体をまじまじと見据えた。
それから真白な手で木の上を指し、ほろほろと涙をこぼしながら応えた。
『あのかけらが見えるかい? ボクはあのかけらがほしいんだ』
 応えるウサギが示した場所に目をやると、なるほど、そこには光る何かがあった。
『あのかけらを手にしたら、ボクはあの懐かしい月へと還ることが出来るんだって。そう教えてくれたひとがいたんだ』
 続けながらほろほろと泣き続けているウサギに、由代は再び問いかける。
「月? キミは月から来たのかい?」
 まるでかぐや姫のようだねと言いかけて口をつぐむ。ウサギならば、かぐや姫よりは餅つきだろうか。
 ウサギは一度大きく跳ねたが、由代の問いかけに応じるかのように、長く伸びる耳をふるふると揺らしながらうなだれた。
『分からない。分からないけれど、ボクにはあの月が懐かしい。郷愁を感じる場所に戻りたい。それだけさ』
 応えている間にもほろほろと流れる涙が、ウサギの真白な毛並を濡らしていく。

 木の中で光る、そのかけらとやらに目を向ける。
ガラスのかけらなのか、あるいは光る石なのか。それは遠目で、しかも暗がりの中では判別し難いが、どうやらビー玉ほどの大きさをしたものらしい。
 由代はふぅんと頷いてからウサギに視線を落とし、腕組みをして、さらに問いかけを続ける。
「誰が、あれを手にしたら月に行けると教えてくれたのかな?」
 
 訊ねたその時、一陣の突風が吹きぬけて、木の葉を大きく揺らしていった。
真白なウサギの姿をした彼は、銀色に輝く瞳を細めながら呟いた。
『それはボクをここに引き寄せたアクマだよ。……もっとも、キミからしたらボクも充分バケモノなのかもしれないけれど』
 そう応えてこちらを見やる彼の額には、一本の角が細長く伸びている。
『この学園は、ボクみたいなのを引き寄せるに充分な場なのさ。ボクみたいなのはまだいい。中にはボクなんか比較にならない、大きなアクマが存在している』
「アクマ?」
 アクマならば僕の範疇かもしれない。しかし告げかけた言葉は、ウサギの言葉によって遮断された。
『お願いだ。ボクにあの欠片をくれないか。ボクはあれを手にいれて懐かしい月へと還るんだ』 
 ウサギの姿をした彼は由代を見上げてそう言うと、再びホロホロと涙をこぼした。


「まずはあのかけらを取ってこないとね」
 ほろほろと泣き続けているウサギを宥めながら、由代はそう言って組んでいた腕を伸ばして木に触れた。
「こう見えても僕は木登りなんかも得意なんだよ」
 すらりとした長身を跳ねらせて器用に枝に掴まると、見る間にかけらが光っている辺りまで登っていく。
そしてかけらを手に取ると、下で自分を見上げているウサギに向けて手を振って笑ってみせる。

 手にしてみるとそれはやはりビー玉ほどの大きさで、何かが割れたというよりは砕けたものの一部のように見うけられる。
月光を帯びて多彩に変化していくその輝きは、由代の知識の中に修められている、どの宝石とも異なったものであるように見えた。
 かけらをつまんで月に照らし、ほんの数秒だがその輝きに目を奪われる。
 妖しい輝きだ。――妖怪の類いが欲するのも理解出来るような気がする。
だけど、と由代は首を捻った。
こういったかけらは持ち主に力を与えこそすれ、例えば月に渡る手段として活用できるようなものだろうか?
 下で待っているウサギの姿を見やり、由代はさらに首を捻る。
見る限り、あのウサギはこういった力を悪用するようなものには見えない。
もっともそれは自分の直感がそう告げているだけだけれども。

 首を捻りつつ枝から飛び降り、ウサギのすぐ横に足をつけると、由代は掌の中のかけらをウサギに差し伸べてみせた。
「これでいいんだよね」
 ウサギは嬉しそうに何度か飛び跳ねると、由代の手にあるそれを掴もうとして手を伸べる。
しかし由代はその手を振りきって微笑むと、片手をあごにあてて考え事をしながら口を開いた。
「ところで、誰があなたに”これを手にしたら月に行ける”と言ったのか。もう一度詳しく教えてくれますか?」
 由代の問いかけにウサギは少し躊躇を見せて、長い耳をうなだらせて重い口を開いた。
『……女の姿をした……自分では月の精霊のようなものだって……』
 のろのろと応えるウサギの言葉に、由代は眉根を寄せて首を傾げる。
「月の精霊? ……なるほど」
 口許に薄い笑みを浮かべながらウサギを見やり、握り締めていたままのかけらをウサギの手に渡す。
今度は間違いなく自分の手に渡されたので、ウサギはかけらを手にくるくると踊るように飛び跳ねた。
『ありがとう! ありがとう。これでボクは月に行けるんだね』
 鈴の音にも似た軽やかな声でそう告げると、ウサギは銀色に光る瞳で由代を見上げた。
由代はその言葉に小さく頷き、それからその視線をふとウサギの向こうへと向ける。
「……そのアクマとやらは、あれのことかな」
 真っ直ぐに指差して、そこに立っている女を見やる由代の目を追い、ウサギが小さく震えた。
『そ、そ、そうだ。そうだよ、あれがボクに』
「……なるほど」
 ウサギの応えに笑みを浮かべ、由代は女に目を向ける。
そこに立っているのは花魁に似たいでたちの妖艶な女。
少しばかり乱れた黒髪に片手をそえて、柔らかな笑みをはりつかせた顔で二人を見据えている。
由代はふむと呟き、頭の中にインプットされてある知識のページをめくる。
そして目の前にいる女の姿を確かめながら、対象がどのような存在であるのかを考えた。

 ウサギは女をアクマだと表現していた。
ウサギはおそらく妖怪の類いに数えられるのだろうが、その彼が悪魔と表現していたからには、ウサギとは種類の異なる存在なのかもしれない。
だが、目の前にいる女は悪魔という西洋名を冠する割には、和という空気を感じさせる。それは服装の影響もあるのだろうが。
 和服姿の女。これがもしも蛇妖であるならば、知らないわけでもない。
しかしそれを確認しようにも、女の足元はずるずると長い着物の裾で隠されていて、確かめる術もない。
まさか裾をたくしあげてくれ、なんて頼むわけにもいかないだろうし。
――――と考えたところで、由代はふと自嘲気味に笑った。

「何が可笑しいのかえ」
 女は由代がふいに笑ったのを訝しんだのか、丁寧に整えられた眉を寄せて首を傾げた。
「は? いえ、ちょっと自分の事で」
 笑んだ口許を片手で隠し、由代はそう応ええ、知を感じさせる眼差しを女に向けた。
「失礼ながら、ここで何をしておいでなのです? ここは一介の学園であり、あなた方が集うような場ではないと思うのですが」
 由代の問いかけに対して女は短い嘆息を洩らし、少しだけ由代とウサギが立っている場ににじり寄ってから口を開けた。
「ウサギは何も言うてないのかえ?」
「はあ。ここはあなた方が寄り易い場なのだということは」
 女がにじり寄ってくるたびにウサギの震えが大きくなっているのを感じ、由代はウサギを庇うように手を後ろに回した。
「ふぅむ。……そなたも我等が見えるということは、それなりの異能を携えておるのだろうが、この地の奥深くに眠る巨大な力の影は判らぬかのぅ?」
「……地深くに?」
 女の言葉を返し、由代はふと足元に目をおとした。女の言葉は続く。
「いずれ遠からず見えてくることかもしれぬが、それは少しづつ目覚めてきておる。それ、この学園の方々にその影がちらついておるわ」
 女はそう言ってホホホと笑い、由代のすぐ傍まで寄ってきてから足を止めた。
髪に飾ってある櫛の鈴がシャランと小さな音を立てる。
「ほれ、ウサギ。そのかけらをこちらへ。こちらへよこさぬか」
 口の両端をつりあげて笑みを浮かべ、女は糸のような目を三日月に歪めてウサギを見やり、手を伸べた。
『! こ、これはボクが月に渡るための』
「馬鹿を言うでないわ。それ、それを使って月に渡してやろう。だから早うこちらへ」
 震えるウサギに向けて青白い手を伸ばす女を、由代がそっと制した。
「――――このかけらには、本当に彼を月に戻すだけの力が備わっているのですか?」
 女は浮かべた笑みをそのままに、目だけをギョロリと由代に向けて、すぐにまたウサギへと手を伸ばす。
「そのかけらを砕いてしまえば、月に向かう道が出来ることだろうよ」
『……砕く?』
 ウサギは告げられた言葉に小さく頷き、握り締めていた手をそっと開いてかけらを確かめた。
『砕けばいいんだね?』

 女がニヤリと笑い、ウサギが手を大きく挙げてかけらを割ろうとした瞬間。
 バチィンと大きな音がして、女の体は由代から遠く離れた場所まで飛ばされていた。

「まったく、最近は学園内に招かれざる客が多くて困ります」
 中庭に通じる廊下に立っていたのは、学園の生徒会長である繭神 陽一郎。
繭神は左脇に数冊の本を抱え持ち、右手を軽く持ち上げて、跳ね飛ばされた女の姿を真っ直ぐに見つめている。
「キミは……繭神君」
 少し驚いたような表情を浮かべ、由代が彼の名を呼ぶと、繭神はようやく由代に顔を向けて丁寧な会釈をした。
「こんばんは、城ヶ崎先輩。こんな時間にお散歩ですか? 寮は食事の時間など決められているのではないのですか?」
「いや、夕飯よりも面白い場面に立ち会ったものだからね」
「……なるほど」
 由代の返事に納得してみせると、繭神はゆっくりと足を踏み出して歩き出した。
吹き飛ばされた女が、上体を起こして歯噛みをする。
「やはり蛇妖でしたか」
 起き上がった女に目を向けながら、由代は小さな笑みを浮かべて首をすくめた。
女の機もの裾からは、ねっとりとした大きな蛇の尾が覗いている。
「清姫、という名で呼ばれていらっしゃる方でしょうか?」
 続けて発した由代の問いに、女は顔を歪めて口を大きく上下に開いた。
「ならば何じゃと言うか。さっさとそれを砕き捨ててしまわぬか!」
 女の甲高い咆哮が闇の中響き渡る。
「――――それは、困ります」
 繭神が冷えた声音でそう告げた。
由代の後ろで、ウサギが小さな嗚咽を立てている。
「……このかけらには一体どういう秘密があるのかな、繭神君」
 ウサギの頭を軽く撫で、繭神に目を向けて由代は首を傾げてみせた。
しかし繭神はそれに応えようとせず、薄い笑みを張りつかせたままでウサギの傍へと歩みより、半ば奪い取るようにしてかけらを手に取った。
「――――あなたは知る必要のないことです。……それよりも、その蛇とウサギを、わたしに渡してはもらえませんか?」
「渡したらどうするのかな?」
 繭神は由代の問いに表情を変えることなく睫毛を伏せて、少しした後に軽く片手を持ち上げた。
同時に、咆哮をあげていた女の体が闇夜の中に粉々になって弾け飛んだ。
「万が一に彼女が牙を剥いたなら、あなたは彼女に勝てたでしょうか?」
 伏せた睫毛を持ち上げて由代を見据える繭神の目には、月光よりも薄い光が漂っている。
由代は女が弾け飛んだ辺りの闇を見つめながら、小さなため息を洩らして口を開く。
「勝てないものがあるとしたら、それは自分の好奇心かな」
 ため息がてらそう返し、繭神の目を見つめ返す。
「――――なるほど」
 由代の返事に小さな笑みをこぼしながら、繭神はそっとウサギに視線を投げかけた。
「そのウサギは、このかけらを手にしてどうするつもりだと?」
「ウサギは月にいるものだろう? 故郷に戻りたいということさ」
「月へ……?」
 呟いて上空を見上げる繭神に向けて、ウサギが告げる。
『さっきのアクマがボクに言ったんだ。そのかけらがあれば、ボクは月に還ることが出来るって』

 上空には煌煌と光る月が浮かび、冷えた風が木の葉をかすかに揺らしていく。

「残念ですが、これにはきみを月に渡す力はありません。……でも、出来るだけの協力はわたしも惜しみません」
 繭神はそう言って由代の顔を見やり、軽く頷いてから何かを小さく呟いてから由代に向けて言葉を放った。
「わたしが月への階を作ります。あとは城ヶ崎先輩、あなたが彼を月へと送り返してください。……多分、可能ですよね?」
 言い終えるころ、繭神の体は眩い光に囲まれて、やがてその光は緩やかな坂となって空へと伸びていく。
由代はそれを見やって小さな嘆息を一つつき、膝を曲げてウサギを抱き上げてその階の上へと乗せた。
「僕には、対象を本来あるべき場所へ戻してやる力がある。……恐い思いをさせてしまったね。さあ、月に渡るといい」
 告げて緩やかに微笑み、ウサギの真白な背中を軽く押しやる。
と、ウサギはふわりと宙に浮かび、光の階の上を滑るようにして天高く昇る。
ウサギは歓喜の声をあげながら、やがて月光に透けるように消えていった。


 数日後。
 カーテンごしに入りこんでくる月光がやけに明るく感じられ、由代はふと目を覚ました。
同室の少年を起こさないようにと危惧しつつ、そっと部屋を後にして中庭へと向かう。

 結局、繭神があのかけらをどうしたのかは判らない。ウサギが月に戻れたのかどうかも。
しかしあれから、少しづつ満ちていく月を見上げるたびに、由代の心はほんのりと温かくなるのだ。
仰ぎ見る月にはウサギの餅つきを連想させる影が鮮やかに浮かぶ。
由代はそれを眺めながら、月に向けて小さく手を振った。

   


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【2839 / 城ヶ崎・由代 / 男性 / 3-A】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

いつもお世話様です、由代さま。
遅筆がたたり、納品が少しばかり遅くなってしまいました。毎回のことながら、申し訳ありません。

今回のノベルは、幻影学園の公式設定というものを意識して書いてみました。
なので内容的に解決されきっていない部分もありますし、突如として現れた繭神君のことなど、
謎が残ってしまったかと思います。が、それは今後のノベルで少しづつ明らかにしていければと
思っております。
その設定のため、いただいたプレイングの一部は反映できませんでした。申し訳ございません。
ご理解いただければと思います。

由代さんを書けて幸福な気持ちになれました。
少しでもお楽しみいただければと願いつつ。