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<幻影学園奇譚・学園ノベル>


懐かしい月が照らす世界へ


特に何かをするために残っていたのではない。
ただいつのまにか、気付けば鬱陶しいばかりの太陽は地の底に沈み、心地よくねっとりとした闇が辺りを支配していた。
見上げると、空にはわずかに欠けた月ばかりが煌煌と光り輝いている。
月を囲む星の姿もなく、月は音もなく静かに、妖しげな青白い光で、屋上で横たわっている少年を照らし出しているばかり。

 夏休みという事もあり、学園は常時の喧騒から遠ざかっていた。
それでも昼間は学園祭の準備に勤しむ者や、部の練習のために通学してくる者などの姿もちらほら見えるが、夜ともなればそういった姿もひっそりとなりを潜めてしまう。

 この数日間、彼は用もないのに学園内に留まっている。
その原因は学園内に姿を見せ始めた一匹の妖なのだが、実のところそれだけが理由ではない。
彼の心を留めるものが、闇の中に息を潜めている。
もっとも彼にとってはそれを探し出して屠ることなど、造作もないことだ。
それをせずに数日間放ってあるのは、戯れなどといったためではない。
放置することで、それが日々少しづつ成長しているから。屠るなら、対象が大きく肥えた時の方が良い。
ただ、それだけ。

 
 学園の中庭に、一本の木が立っている。
それはわりと新しく植えられたものであり、高さ的にはそれほどたいしたことはない。
だが、その木の下で何やら懸命に跳ねている妖からすれば、それは高層ビルのように見えていることだろう。
少年は妖の傍までゆっくりと歩み寄ると、表情を緩めることなく言葉をかけた。
「そこで何をしている?」
 発せられた声音は少しの抑揚もなく、用意された言葉をそのまま読んでいるような、淡々としたものだった。
視線の先にいるのは、ウサギに似た姿をした妖。真白な毛並が月光に映えて、美しい銀色に染まっている。
ウサギは少年の言葉に驚き、飛び跳ねていた足を止めて振り向いた。
目には大粒の涙が溢れ、こぼれている。
『あのかけらがほしいんだ』
 ウサギは少年の問いにそう応えてほろほろと泣き、もう一度大きく飛び跳ねた。
「――――かけら?」
 ウサギの応えに、自分も視線を持ち上げる。
木の葉の中に、なるほど、光る何かが見えた。
『あれを手にしたら、ボクはあの懐かしい月へと還ることが出来るのだ。そう、教えてくれたひとがいたんだ』
 少年がかけらを目にしたのを確かめて、ウサギはそう言葉を続けた。
「月」
 一言だけを返し、頭上高く光る月を仰ぐ。
「月から来たんですか?」
 少年が問いかけると、ウサギは長く伸びる耳をふらふらと揺らしながら、がっくりとうなだれた。
『分からない。分からないけれど、ボクにはあの月が懐かしい。郷愁を感じる場所に戻りたい。それだけさ』
「郷愁……?」
 ウサギの言葉が理解出来ないといった風を見せる少年に、ウサギはわずかにかぶりを振った。
ほろほろと流れる涙が、滴となって宙に消えていく。

 少年はもう一度、木の葉に隠れているかけらを見やり、グラススコープの奥で鈍く光る瞳をゆらりと細めた。

 手にして見ないことには分からないが、一見するかぎり、それはどうもビー玉ほどの大きさをしているらしい。
ただ、それがガラスなのかあるいは光る石なのか、それは判別しがたい。

「誰があれを手にしたら月に行けると言ったのですか?」
 少年が訊ねると、ウサギはゆらりと振り向いてこちらを見据え、月光と同じ色をした銀色の瞳を細くする。
同時に一陣の突風が吹きぬけて、かけらが引っかかっている木の葉を大きく揺らしていった。
ぬらりと闇が色を濃くしたような、感覚。
『……それはボクをここに引き寄せたアクマだよ……。もっとも、キミからしたら、ボクも充分バケモノになるかもしれないけれど』
 そう応えるウサギの額には、細長く伸びる一本の角がある。
『この学園は、ボクみたいなのを引き寄せるには充分な場なのさ。ボクみたいなのはまだいい。中にはボクなんか比較にならない、大きなアクマだっている』
「アクマ」
 返し、くつりと小さく喉を鳴らす。しかしウサギは少年が見せたわずかな変化に気付かず、再びほろほろと涙をこぼした。
『お願いだ。あのかけらを取ってくれないか。ボクはあれを手にいれて、懐かしいあの月へと還るんだ』

 少年は再び木の中にあるかけらへと目を向け、ふぅんと小さく呟いてみせた。途端に少年の周囲に鋭い風のようなものが巻き起こり、ウサギは小さな悲鳴をあげて頭を抱えこむ。
やがてその風が止んだ頃、おずおずと頭をあげたウサギの目に映りこんだのは、小さなかけらを手にした少年の姿だった。
どのような手段でそれを取ったのかは解らないが、そんなことよりも歓喜に溢れた声をあげてウサギは跳ねまわる。
『ありがとう、ありがとう! これでボクはあの月へと渡れるんだね』
 嬉しそうに跳ねまわるウサギに対し、少年はひどく冷たい――感情の一片も感じさせない暗い双眸でかけらを見据えている。
『そういえばキミ、名前は?』
 かけらを受け取ることが出来ると信じ、明るい表情を浮かべながら、ウサギは屈託ない声音で語りかけて少年へと近寄った。
少年はその問いかけに対してほんの少しだけ首を捻り、ぼそりと呟くように応えた。
「葛城 夜都」
『やと! やとかぁ。ありがとう、やと』
 夜都の足元まで近寄って笑むウサギに、少年はふと視線をおとす。
「よしてください、御礼なんて。……それよりも、あなたに”これを手にいれたら”と告げたというアクマは、一体どこにいるのですか?」
 ウサギに向けておとした双眸の中に、蒼銀の炎がわずかに揺れている。
ウサギはその問いかけに対して一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐに『うぅん』と唸って周りを見渡した。
『どこにいるかはボクにも判らない。いつも突然現れるんだ』
「……そうですか」
 応えつつも少年の視線は、真黒な闇の中の一点にのみ当てられた。
ぬらりと湿った闇の向こうに、生温い吐息が、ひとつ。
『……やと? かけらをボクに』
 少年のどこか狂気めいた空気をようやく感じ取れたのか、ウサギは長い耳をびくりと揺らして半歩ほど後ろにさがる。

 そこだ

 少年の口が声を立てることなく動いた。月光の下、笑んでいないはずの口許に、薄くはりつく笑みがあったように、ウサギには思えた。

 少年が見つめる一点の闇からぬらりと姿を見せたのは、花魁を思わせるようないでたちに、乱れた黒髪を片手で梳いている妖艶な女だった。
「――坊、わらわが見えたのかえ」
 女はそう言いながら艶かしい笑みを浮かべ、かくりと首を傾げてみせる。
長い着物の裾の下、ずるりと何かを引きずるような音がする。
少年は女の言葉に肩をすくめると、片手に握り締めたままのかけらを頭上に向けて放り投げた。
かけらは月光を浴びて多彩に閃き、瞬きの後少年の手の中に戻る。
それを見てウサギが小さな悲鳴をあげたが、少年はウサギには目もくれずに真っ直ぐ女を見据え、銀の目をゆらりと細めた。
「蛇妖」
 呟かれた言葉に女は端正な顔をわずかに歪め、それから紅をさした唇の両端を引き上げてニィと笑った。
「ほう、坊、なかなかに良き目をもっておるようだのう」
 女はずるりずるりと少年に近寄り、いっそ透き通るほどに青白く細い指を少年の頬に伝わせる。
少年の頬に、女の舌がちろちろと這う。闇の中でちろちろと動くそれは、どこかかがり火のようだ。
「それに賢明そうな顔をしておる。……賢明なそなたであれば、そのかけらをわらわの思うようにした方が良いと思うであろう?」
 かがり火が闇の中をぬらぬらと動く。ウサギが泣き出しそうに声を張り上げた。
『だ、だめだよ。それはボクが月に渡るためのものだ。やと、それをボクにちょうだい!』
 悲鳴に近い哀願に、少年は暗い瞳をウサギへと向けた。
一面の闇の中、ウサギの真白な毛並ばかりがひらひらと揺れている。
「それを粉々に砕き、捨てるのじゃ」
 女の声が小さな笑みを含んで響き渡る。

 少年は長いため息を洩らしつつ、そっと睫毛を伏せて口を開けた。
「――――うるさいな、餌どもが」

 夜の闇より深く響くその声に、ウサギと女が同時に顔を持ち上げた。
だが持ち上げたその顔は、その刹那に横一文字に裂かれ、赤々とした血飛沫を宙高く吹き上げた。
断末魔の代わりに吹きあがった血は雨となって少年を濡らす前に、少年の脇から姿を現した獣が滴の一つも残さずに呑みこんだ。

 あとに残ったのは、未だ満ちぬ月を背景にして立つ少年――葛城 夜都の姿のみ。
少年の手には身の丈をゆうに越す大鎌が握り締められており、その刃先についた滴でさえも、獣の腹におさめられた。


 色濃く染まった夜の中を、じわりと肌寒い風が抜けていく。
再び闇の中へと消えていった獣の気配を感じつつ、少年はふと廊下の方へ目を向けた。
中庭に通じる廊下に、いつからか見学していたのか――男がいたことに気付いたのだ。
男は少年の目に気がつくとゆっくりとした歩調で少年の近くに歩み寄り、すごいなあと呑気に告げながら手を叩いた。
 上空に浮かぶ月が明るい輝きを放ち、男の顔を照らし出す。見れば、それは生徒会長の繭神 陽一郎。
繭神はたった今目の前で起こった情景を目の当たりにしながらも、少しの動揺も見せずに小さく微笑み、まるで握手を求めるかのような動作で片手を差し伸べた。
「そのかけら、あなたには不要でしょう? わたしがいただいてもよろしいでしょうか?」
 丁寧な口ぶりでそう言うと、繭神は少年に向けて穏やかな笑みを見せた。
少年は繭神の言葉に首を傾げ、握り締めたままのかけらを頭上高く放り投げた。
瞬きの後に落ちてきたそれは、繭神の手の中に吸いこまれるようにして消える。
「……繭神君がそれをどう使うのかは判らないけど、確かにこの身には不要なものですし」
 軽い会釈を残して立ち去ろうとした少年を、繭神の毅然とした声が呼び止めた。
「葛城先輩。一つ、訊いてもいいですか」
「……何かな」
 肩越しに後ろを見やれば、繭神もまた肩越しに少年を見やっていた。
「どうして彼の願いを叶えてあげなかったんです? 彼は悪しきものではなかったはずですが」
 問いかけるその言葉は淡々としているが、見つめてくる瞳の中にはわずかな感情の火が見える。
その小さな火を見つめ返しながら、少年はふと小さな嘆息を洩らした。
「私には彼の心が理解出来ないからですよ」
 そう応え、再び足を進める。

 中庭を後にして廊下に踏み込んだ少年の背中を、青白い月光が音もなく照らしていた。
彼はふと振り向いて月を仰ぎ、わずかに目を細めてみせる。
 月の中ではウサギが餅をついているというが――――
ほんの少しだけ胸によぎった感情は、しかし次の瞬間には少年自身の内側にある闇の中に溶けこんで消えた。
  




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3183 / 葛城・夜都 / 男性 / 3-A】



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■         ライター通信          ■
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はじめまして。今回このノベルを手がけさせていただきました、高遠と申します。
今回はお声をかけてくださいまして、まことにありがとうござます。

遅筆がたたり、納品が遅くなりました(汗)。
しかしその分、大事に書かせていただきました。ほんの少しでもお楽しみいただければと思います。

今回のプレイングを拝見しましたときに、これは場面的に絵画となるようなものを入れてみたいと思いました。
そしてその部分をしっかり書いてみましたが、さらりと書いてしまいましたので、
お気に召していただけるかどうか心配です。

終わりで唐突に出てきました繭神君ですが、この幻影学園の公式設定を意識して書いてみたものです。
これ以降の話は、また幻影学園で窓を開けたいと思いますので、もしも見かけてくださいましたら
またお声などいただければと思います。
今回はありがとうございました。