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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


素麺賛歌


 澄んだせせらぎに乗って優雅に流れゆく白糸。
 美しい絹糸が涼を紡ぐ。その姿は地上に降りた天の川。
 嗚呼、素麺素麺と草木も靡くよ、夏の終わりの素麺賛歌。


[ ACT:1 午後の語らい ]

「素麺よ。流し素麺」
 暦上では既に秋ではあるが、夏の名残は一向に引かず、厳しい残暑を予感させるある日の東京某所。大きな屋敷の中の広い応接間でその単語は力強い響きを持って発せられた。
「流し素麺……ですか?」
 その言葉を投げかけられた屋敷の主であるセレスティ・カーニンガムは数度瞬きをした後、おうむ返しに聞き返した。
「見た目にも涼しいし、さっぱりしてるから食欲なくても食べられると思うし。いいと思うのだけれど、どう?」
 セレスティの正面に座り、一口大に切られた水羊羹を竹の楊枝で刺しながら、シュライン・エマはセレスティに向かってにこりと微笑んだ。

* * *

 事の発端は約一時間ほど前、暑気払いにと水羊羹片手にシュラインがセレスティを訪ねて来たところから始まる。
「元気なさそうね、セレスティさん。やっぱりこの暑さのせいかしら?」
 いつもの優雅な笑顔だが、どことなく疲れたようなセレスティの顔を見て、シュラインは綺麗に整えられた眉を僅かに寄せて心配げな表情を作った。
 その表情に、シュラインの持ってきた竹筒に入った細長い水羊羹を自らの手で切り分けながら、セレスティは力ない微笑みを浮かべた。
「ご心配有難うございます。寝込むほどではないのですが、やはりだめですね、この気候は」
「典型的な夏バテね。この暑さじゃ、セレスティさんでなくてもぐったりだけれども」
 道すがらの暑さを思い出しうんざりと溜息を吐いたシュラインの前に、セレスティは水羊羹の乗った皿を置くと、やはり同じように溜息を吐いた。
「そうなんですよ。食欲もないし、仕事をしていてもすぐ疲れてしまうし。夏の私は使い物になりませんよ」
 力なく笑い、やや遠い目をしながらセレスティは窓の外へと視線を向けた。スプリンクラーで水を撒いた後なのか、芝生や植木が水に濡れていた。葉に付いた水滴が日光を反射してきらきらと輝いている。
 その景色は確かに爽やかな夏の日の一場面かもしれなかったが、同時にどこからともなく聞こえる蝉時雨がうだるような暑さをも感じさせた。
「残暑も厳しそうだしね」
 つられて中庭を見ていたシュラインも眩しそうに目を細めながら呟いた。
「何かこう、暑い夏を涼しく過ごせるような物とか、ご存知ありませんか?」
「そうねぇ……」
 セレスティに聞かれて人差し指を顎に当てて、涼めるような物やら場所やらを考えていたシュラインはふと目の前のテーブルに視線を落とした。
 そこには先程置かれた皿に乗った水羊羹と、水羊羹が収まっていた竹筒がある。
「あ、そうか。アレがあったわ!」
 シュラインがポンと手を打った。
「アレ?」
「素麺よ。流し素麺」

* * *
 
 そんなわけで流し素麺なのである。
 水羊羹の竹筒を見て、竹の中を流れる素麺の映像が思い浮かんだのだが、咄嗟の閃きにしてはかなり良い提案に思えシュラインは満足げに水羊羹の最後の一切れを口に放り込んだ。
「そういえば食べた事はないですねえ、流し素麺」
「あら、そうなの?」
「というか、素麺自体あまり食べた事がありませんね。どうしても洋食に偏ってしまうので」
 セレスティはそう答えつつ、日頃のメニューを思い出す。確かに、麺類と言えばパスタばかりで、うどんやそばなどと言った和食はあまり食べた覚えがない。
「それなら丁度いいじゃない。ここは一つ、日本の風情を味わいながら暑気払いと行きましょ!」
「そうですね。……この広さなら申し分ないですし」
 シュラインに同意を示すと、今一度、セレスティは自分の屋敷の敷地内に広がる広大な中庭を見やった。
 この広さなら、さぞや長い流し素麺コースが作れるのではないだろうか。
 セレスティは以前見かけたケーブルテレビのローカルニュースを思い出していた。そこにはどこかの町内会の流し素麺大会が移っていたのだが、あまり広いとは言えないスペース内で老若男女横一列に並び、素麺が流れてくるのを待っていた。
 大勢でわいわいやっているのは楽しそうではあったのだが、肩を寄せ合って箸も触れんばかりの近さで素麺を掬っているのが何となく嫌だった。別段酷い潔癖症と言うわけではないのだが、それでももっと優雅に味わいたいとセレスティは思ったのだった。
(屋敷の庭の広さなら十分ですよね) 
 庭一杯に青竹の道が広がり、白い素麺が絹糸の如く流れてゆく。
 その光景を頭に描いてセレスティは思わず顔を綻ばせた。
「そうと決まれば用意しないとね。折角だからばーんと大規模に、って思ってるでしょうセレスティさん?」
 微笑を浮かべたセレスティの顔を覗き込みながら、シュラインが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「良くお分かりですね」
「何となく、ね。こういうの好きそうだし。セレスティさんって意外とお茶目なのよねえ」
 そう言って軽くウィンクをするシュラインにセレスティは「さすが何でもお見通しですね」と笑った。


[ ACT:2 麺を求めて何千里? ]

 セレスティ邸で流し素麺についてひとしきり話し合った後、シュラインは既に我が家同然の草間興信所へと足を運んだ。見慣れた入り口の扉を開けると、ここにも一人夏バテの人間がいた。
「……武彦さん。お客さんが来たらどうするのよ、だらしないわねえ」
 ズボンの裾を膝まで捲り上げて、素足を洗面器に張った水に浸しつつソファにだらしなく寄りかかっている草間武彦に、思わず溜息を吐く。最早、この光景は夏の日常茶飯事と化している。
「いやもう、暑くってさぁ……冷房つけたらダメか?」
「零ちゃんは?」
「出かけてる」
「じゃあダメね」
 室内に三人以上いなければ、冷房は不可。光熱費節約の為に掲げた掟を元にあっさりと草間の言葉を却下すると、シュラインは自分の事務机に座ってパソコンを立ち上げ、何やら調べ物を始めた。
 その真剣な表情に少しだけ声を硬くして草間が問う。
「仕事か?」
「違うわよ。セレスティさんの家でちょっと企画をね……そうだ、武彦さん。手伝ってくれない? お礼は現物支給で」
 目的のページを見つけ、必要な部分だけをプリントアウトしながらシュラインはモニターの向こうから顔を出し、相変わらずソファでだらけたままの草間を見た。
「手伝うって何を?」
「素麺の買出し」
 シュラインは草間の問いに一言で簡潔に答えると、プリントアウトし終わった用紙をひらひらと振って見せた。
「素麺? 別に構わないが、なんでまた素麺?」
「流し素麺やるのよ。折角だから本格的に麺も竹もいいものをって事で私が麺を手配する担当なのよ。ちょっと遠いけど、美味しい素麺が食べられるならいいわよね?」
 シュラインの手にしている紙に書いてある住所を見て、草間は思わず言葉を失った。

* * *

 素麺の歴史は長い。七世紀頃、高句麗の僧侶、曇微によって日本に麺がもたらされてから、奈良時代に素麺の原型となる索餅と言うお菓子が作られ、中世には寺院などで食べられる点心料理として広まっていった。その頃にはまだ寺院の中や宮中の宴などで出されるような特別な料理だったが、江戸時代頃より徐々に庶民の口にも入るようになったと言う。
 その後、各地で手述べ素麺が作られるようになり、今では手延製麺技能士と言う国家資格まである。
「……で、その職人が作った麺を買いに俺はここまで運転手をさせられたわけだな」
 草間が軽ワゴンに寄りかかりながら咥えた煙草を噛んだ。大きく伸びをしていたシュラインは、草間を振り返るとそんな草間の苦々しい表情など気にせずに言う。
「やっぱり一流の職人さんの麺が食べたいじゃない。手述べ製麺技能士って超難関らしいわよ?」
「だからってわざわざ奈良まで来なくても良いんじゃないのか?」
「何言ってるのよ。やっぱりご当地のものは現地で買わなきゃ」
 そう、ちょっと遠くまで買い出しに、と草間が駆り出されたのは東京から約五〇〇Kmほど離れた奈良県であった。
 素麺で有名な場所は全国にいくつかあるが、その中でシュラインが選んだのが、素麺発祥の地と言われる日本最古の神社、大神神社もあるここ奈良の三輪である。
 東京から奈良までではちょっとどころの遠さではないと思うのだが、手伝ってもいいと返事をしてしまった以上は断れるわけもなく、予期せぬ長距離ドライブとなったのだった。
「すぐに必要ってんでもないなら、通販で買えばいいのに……」
 ぶつぶつと文句を言う草間に、シュラインは腰に手を当てちょっとだけ頬を膨らませた。
「一度手伝うって言ったんだから文句言わないで。別にいいじゃない、帰りに大仏でも見れば立派に観光でしょ」
 それに、とシュラインは表情を緩めた。
「たまにはドライブもいいじゃない?」
「……ああ、まぁ……」
 がりがりと頭を掻いて口篭もる草間を見て、シュラインは今度は少し満足げな笑みを浮かべた。
 

[ ACT:3 黄金の竹林 ]

 一方、竹担当のセレスティも「どうせならば最高の竹で素麺台を」と心密かに燃えていた。
 竹という植物は古来より日常用品から工芸品まで様々な物に使われている。そのまま切って料理の器にするかと思えば、焼いて炭を作ったりもする。はたまた細く裂いて編み込み、見事な細工を施したりする事も出来る。しかも成長が早いために資源不足になる事もない。
「どれがいいのでしょうねえ……」
 短時間の間に部下に集めさせた竹に関する様々な情報を頭に入れながら、セレスティはどの種類の竹で素麺台を作れば良いだろうかと吟味する。
(妥当に行けば真竹でしょうか。あとは孟宗竹か……)
 植物図鑑のような物をめくっていたセレスティの手がふと止まった。
「この竹は……」
 セレスティの瞳が好奇心で輝き始める。どうやら気になる竹があったらしい。
 セレスティは机の上の資料をさっと纏めると内線電話を繋いだ。

* * *

 数時間後。セレスティの目の前には小山程度の広さの竹林が広がっていた。
 流し素麺の為の竹を求めて一路西へと向かったセレスティは、自分の求める美しい竹を目の前にうっとりと溜息を吐いた。
 その竹はほの暗い林の中を照らす一条の光のように、静かに輝きながら凛とした体を天に伸ばしていた。
 周りの青々とした竹とは違い、全体的に金色に輝き、節毎に緑色の縦の条線が鮮やかに走っている。金と緑はお互いの色を引き立て、より一層その色彩で人の目を惹き付けている様だった。
「美しい……」
 竹の表面を指先でそっと撫でながら、セレスティは再び息を吐く。写真で見るより格段に美しい。暑さに弱っていた心も体も癒されるような色だと感じた。
 目の前にある金色の竹。その名を金明孟宗竹と言う。
 筍を食用にする事でよく知られている孟宗竹の突然変異であり、黄色と緑の縦縞が節毎に交互に走っている珍しい竹である。その美しい色合いから、かぐや姫が生まれた竹だとも言われている。
 光り輝く竹から生まれたとされるかぐや姫。まさに金明孟宗竹は伝説どおりの輝きを放っているかに思えた。
「この竹の器の中を素麺が流れていく……素敵です」
 竹を見て恍惚としているセレスティを唖然と見ているこの竹林の所有者を置き去りにして、セレスティの心は金色に輝く竹と絹糸のような素麺のコラボレーションへと向かっていた。
「あのぅ……大丈夫ですか?」
「あ、ああ、申し訳ありません。すっかり見惚れてしまいました」
 恐る恐るかけられた言葉にはっと我に返ると、セレスティは少し照れた笑みを浮かべつつここへ来た目的を告げた。
「この竹林を譲ってもらえませんか?」


[ ACT:4 素麺日和に日が暮れる ]

 そしてまた幾日が過ぎた頃、シュラインはセレスティの屋敷へと足を運んだ。数日前、水羊羹を手に訪ねた時と同じようにやはり暑い日だった。違うのは、手にしているのが水羊羹ではなく素麺な事と、その格好が浴衣と言う事だ。そしてやっぱり麺を抱えた浴衣姿の草間が続く。一見すると良家のお嬢さんとその付き人という感じだ。
「だからさ、わざわざ浴衣でなくてもな……」
「風流の分からない人ねえ。和の心よ、和の心。流し素麺に洋服じゃ風情に欠けるじゃない」
「和の心ったってなぁ、浴衣って見てる分にはいいけど、着ると暑いんだよな……」
 大体、純粋に日本人って俺だけじゃないのか、というツッコミはとりあえず口には出さず、草間は額の汗を拭った。
 そんな草間の心の声を無視し、シュラインは手にした素麺に視線を落とす。
 今日は数日前に思わぬ盛り上がりを見せた流し素麺を食べる日だ。この日の為に美味しい麺を手に入れようと走った。走った、というか運転したのは実質的には草間だが、指示はシュラインなのだから間違ってはいないだろう。セレスティにしてもどうやら満足のいく素麺台が出来たらしく、いつも静かな彼にしては珍しく興奮した口調で連絡をしてきた。
「ふふふ……素麺、食べるわよ!」
「その決意はあまり風流っぽくない気がするがな」
「うるさいわね」
 一言多い草間の頭を叩くシュライン。お嬢さんと付き人は夫婦漫才に印象を変えながら、セレスティ邸へと向かって行った。

* * *

「お待ちしていましたよ。お二人揃ってようこそいらっしゃいました」
 余程流し素麺を食するこの日を楽しみにしていたのか、はたまた早く自慢の素麺台を披露したいのか、満面の笑みを浮かべ、ややいそいそとした面持ちで二人を出迎えたセレスティもやっぱり浴衣であった。シュラインと草間が良家のお嬢さんと付き人改め夫婦漫才ならば、こちらは大店の若旦那といったところであろうか。浮かれていても立ち居振舞いに品の良さが窺える。
「意外と似合うのね、浴衣」
「そうですか。有難うございます」
 シュラインの言葉に素直に喜びを表すと、セレスティは二人の持っている素麺を傍に控えていた調理担当らしき人物に引き取らせた。
「彼は一級素麺師の資格を持っているのですよ。今日の為に、とある店から呼び寄せました」
 一礼して下がる料理人を見送りながらセレスティが説明すると、シュラインがさすが、と簡単の声を上げた。
「セレスティさんなら一流どころを揃えてくると思ったのよ。期待通りね。楽しみだわ」
「有難うございます。シュライン嬢のお持ちになる麺はきっと良い物だと確信しておりましたので、それを一番美味しく食べられるように準備させていただきました」
 お互いのやる気を称え合うような二人のやり取りに、何も言えなくなっている草間の姿など気にも止めない素振りで、セレスティは屋敷の奥へと促すように腕を上げた。
「素麺台もすでに出来ているんです。ご覧になってください」

* * *

 セレスティの案内で廊下を進み、中庭に面したテラスの大きなガラスの扉を開けると、シュラインと草間は思わず息を呑んだ。
 セレスティの屋敷の敷地内にいくつかある庭の中でも一番広い中庭に、素麺台は作られていた。
 美しく整えられた植木の間に張り巡らされた素麺台は、広大な雲海を優雅にたゆたう金色の龍の如く、見事な曲線を描いて庭を走っていた。
「すごい……」
 素麺台の行方を目で追いながらシュラインが呟く。その隣の草間もやはり驚いたように瞬きを繰り返していた。
「金明孟宗竹の竹林を譲って頂きまして、高名な竹細工師の方に少し細工も施してもらいました」
 中庭に出るセレスティの後に続いて素麺台の近くまで来たシュラインと草間は更に目を見張った。目を凝らして見れば、竹の表面に細かな模様が彫られており程好い間隔で金粉が撒かれていた。それだけでも輝いて見える金明孟宗竹の素麺台は、金色の化粧によって更に輝きを増し、夏を惜しむよう照らされた陽光を照り返し、幻想的な空間を作り出している。
「さすがに竹林といっても数は少ないので普通の孟宗竹も混ぜてはいますが、それでも美しく映えるような配置にしてあります。いかがですか?」
「すごいわ、セレスティさん。金明孟宗竹って生で見るとこんなに綺麗なのね。これで流し素麺なんて贅沢だわー」
「うわー……素麺台の竹に使うくらいなら俺の浴衣にかけてくれ、金粉。少しは値打ちが……あだっ!」
 芸術を味わう欠片も見えない草間を片手で張り飛ばしつつ、素麺台と同じくらい目を輝かせて、シュラインはセレスティを振り返った。
「喜んで頂けてこちらも嬉しいですよ。草間さんにも、そのうちお作りしましょか、金粉を塗した浴衣」
 対照的な二人のやり取りにセレスティがくすくすと小さく笑いながら答えていると、室内から声がかけられた。
「セレスティ様。こちらの準備は整ってございます。いつでも始められますがいかが致しましょう?」
「ああ、そうですか、有難う。それでは、始めましょうか」
 使用人に軽く手を上げて用意を促すと、セレスティは改めてシュラインと草間に微笑みかけた。

* * *

 金色の素麺台に水が流される。その水もまた、穢れを知らない山奥深くの清流から汲み上げてきたもので、透明度が高く、竹の内側の淡い黄色と空の青を写し取って爽やかな色合いに満ちている。
 そしてその中をさらさらと流れ落ちる白い素麺。肌理の細かい乙女の柔肌を思わせるような細い麺は、離れては絡まり、まるで水遊びでもしているかのように清流の中を下りてくる。
「あー、美味しい! 今まで食べた中でも一番の流し素麺かもー!」
 麺の一筋を器用に掬い取って、つゆに浸しするりと一気に食べながら、シュラインは隣に向かって叫ぶように声をかけた。なぜならば隣といってもかなり離れたところで各々流し素麺を楽しんでいるからだ。
 広い庭一杯に作られた素麺台は長いのだ。しかも今、この流し素麺に参加しているのはセレスティ、シュライン、草間の三人しかいない。今後もこの素麺台を使って流し素麺大会でも開こうとは思うのだが、まずは発案者であるシュラインとセレスティで柿落としを、というわけである。草間はまあ、おまけである。
 そんなに長いと麺が流れている間に延びてしまわないのかとの心配もあるだろうが、そこはさすがに行き届いたセレスティの事、いくつか麺を流す入り口を素麺台の途中に作ってあり、茹でたてを食べられるように工夫されていた。
「なんでしょう……確かに麺自体も美味しいのですが、こうして流れてくるのを掬って食べるというのはまた趣があって格別ですねえ」
 竹の節の部分で作った椀を手に、セレスティもやはり声を高くして返事を返した。
「目で見て楽しみ、舌でも味わい、日本の夏よね。武彦さんも何か言ったらどうなのよー」
 セレスティに対しにこやかに言葉を返した後、シュラインが草間に目を向けると、当の本人は二人には目もくれず、一心不乱に麺を口に入れていた。
「……武彦さんたら……」
 草間らしいといえば草間らしいその態度と、呆れたように溜息を吐くシュラインの様子に、セレスティは笑みを漏らさずにはいられなかった。

* * *

 十分に流し素麺を味わった後、シュラインは懐から半透明の短冊を出すと、セレスティと草間に一枚ずつ渡した。
「これに願い事を書いて流してみない?」
「おや、これは……オブラートですか?」
 手にした短冊を光に透かして見つつ、セレスティが呟いた。
「ええ。流し素麺について調べた時に、実は天の川に見立てているっていうのを知って、ちょっと作ってみたんだけど」
「そういえばそうですね。確か、旧暦七月七日の七夕の節句の供物なのですよね」
 シュラインの言葉で、竹と共に調べた流し素麺の歴史を少し思い出し、セレスティが頷いた。
 時は平安、醍醐天皇の時代に制定された、宮中の儀式や作法を集大成した法典『延喜式』の中で七夕の節句に供物として素麺の原型である索餅を供えるように記されている。その後、今の形になってからも、やはり七夕の供物として、はたまた引き出物や保存食として広く親しまれている。
 なぜ素麺が供物に選ばれたのかは諸説があるが、白く細く長い麺が織り糸に似ていることから、七夕伝説に合わせ天の川に見立てた、という説が一番採用されているようだ。
「食紅で願い事を書けばそのまま食べられるし、オブラートはでんぷんだからそのまま流しちゃっても自然に返るだけだし」
「本日の締めとしては風流で良いかもしれませんね」
 シュラインの提案に賛同を示すように頷くと、セレスティは食紅を用意すべく屋敷の中へ声をかけた。

* * *

 日も傾き、暑さも漸く引いた夕暮れ時、夕焼け色を映した清流の中をゆらゆらと、やはり夕陽に赤く染まった半透明の短冊が流れてゆく。
 各々の願いを乗せた短冊が地上の天の川を下り切る頃には、東京の空にも僅かに星が見え始めていた。
「今日は有難うございました。少し時期は遅いですが、七夕まで出来て良かったです」
 家路へ向かうシュラインと草間を玄関先まで見送りに出て、セレスティは嬉しそうに微笑んだ。
「こちらこそ楽しかったわ。美味しい素麺は食べられたし、珍しい金明孟宗竹も見られたし、何より夏バテのセレスティさんの顔色も良くなったようだし。流し素麺は大成功ね」
「最後の趣向も素晴らしかったですしね。また機会があればやりましょう」
「もちろん」
 にこりと笑い合うと、セレスティとシュラインは同時に空を見上げた。
 さすがに天の川は見えなかったが、それでも短冊に書いた願い事はきっと届いていると感じた。
「おー、明日は晴れるぞー。珍しく星が綺麗に見えてる」
 同じように空を見上げた草間のどこかのんきな声に、セレスティとシュラインは顔を見合わせて笑った。


[ 素麺賛歌/終 ]