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ハナ ハ ドコヘイッタ
■オープニング
『ハナが居なくなったダ…』
里山の情緒を残す榛名瀬村には、太鼓を叩いて春先の山を舞い、そうして山の桜に花を招く「桜鬼」が住むそうである。
ただの伝承だろうと、当初は鬼の実在を信じなかった草間だが……
「ハナというのは一体誰だね?」
『オラの妹ダ。隣の山に住んでたノニ、昨日から居なくなっテ…』
――この日依頼人として興信所を訪れた少年が、「榛名瀬村の桜鬼」などと名乗ってくれたものだから、彼のその主張は一瞬で瓦解してしまった。
「行き先に心当たりは?」
『無いダ。山の鳥達モ、見かけて無いっテ…』
名乗るだけならともかく、薄紅色のずんぐり三頭身ではあるものの、頭にしっかり角を生やした鬼の外見をしているのだから、もはや疑う事など出来なくなる。
(実在するのは仕方ないとして、何で俺の所に来るんだよ…)
――やはり自分は「怪奇探偵」なのかと、草間の目が三秒だけ遠くなった。
そんな彼の心を知らぬまま、腰に提げた小さな太鼓をそっと撫でながら、桜鬼は深い溜息をつく。
「最近何か変わった事は? その…妹さん…とか、山の近辺で」
『近くの遺跡ニ、東京から「ハックツタイ」って人達が来たダ。ハナは珍しがっテ、その様子を見たがってたケド…』
「発掘隊? それはまだ遺跡に居るのかね?」
『昨日帰っタ。ハナが居なくなったのハ、その後ダ』
そしておずおずと向けられたのは、上目遣いに泣きそうな点点の目…。
『母チャンも心配してル…だからオラ、お願いに来たダ』
――鬼の迷子探しかよ。
仕事と割り切り、聞き取った内容を淡々とメモにまとめながらも、草間もまた泣きたい心境だった。
■ミチ トノ ソウグウ
えっと…どう反応するべきなんでしょう。
鬼…鬼なんですよね?
三頭身だし薄紅色で、何だか桜餅みたいですけど。
……あ、やっぱり鬼ですか。
妖怪類とか幽霊類は怖いです。
まさかこんな所で鬼に会うなんて……。
(暫し沈黙――十秒ぐらい)
――そう云えば、世の中には数学が怖い人が居るそうですね。
数式、怖くないですよ?
兎のように、癒してくれます。
√(a + (nπ)^2) - nπ = {((a + (nπ)^2) - (nπ)^2)}/(√(a + (nπ)^2) + nπ) → 0 (n → ∞).
lim n → ∞ sin √(a + (nπ)^2) = limn → ∞sin {nπ + (a/(√(a + (nπ)^2) + nπ))} = 0.
――ホラ、和むでしょう?
(再び沈黙――今度は二十秒ぐらい)
ああ…やっぱり鬼が居ます。
計算してる間に居なくなるかと思ったけど、やっぱり今もそこに居ます。
しかも私を見上げてます。
鬼に見詰められるなんて怖いです…。
こ…ここはひとつ、心を落ち着けるためにもう一度計算を――
In = ∫0 π/2 { cos n x /( cos n x + sin n x) } dx, Jn = ∫0 π/2 { sin n x /( cos n x + sin n x )} dx と置くと、変数変換 t = π/2 - x より、 In = Jn , 又、In + Jn = ∫0 π/2 {( cos n + sin n x) /( cos n x + sin n x) } dx = π/2, よって、In = π/4.
でも……この鬼は何だか可愛いですね。
丸いし、点目のシンプルな顔だし。
それにまだ子供で、内気そうな感じです。
もしかしたら怖くないかもしれません。
――いえ、やっぱり妖怪類は怖いんですが。
それでも、この鬼だったら可愛いので――
「許します!」
「――何をだ?」
――自身の叫びに怪訝そうな問いかけ声が重なり、シオン・レ・ハイはそこでようやく我に返った。
「え? あ…あの……」
慌ててその場の状況を確認し直してみると、草間は思いっきり訝しげな視線をこちらに送っているし、その草間に紹介された桜鬼も、点点の目を丸くして自分を見上げている。
シオンの脳内で延々と繰り広げられていたモノローグな世界を、彼らは当然知らない。
前段を一切省略して、いきなり「許します」と叫ばれた格好だ。
そりゃ驚かれるのも当たり前だろう。
「あ…あはは…。どうも失礼しました」
これがシオンの、未知との遭遇の場面だった。
■ハルナセ ノ イセキ
まずは遺跡周辺から探すべきかと榛名瀬の村役場に向かったところ、応対に出た職員が案内してくれたのは、林の中にぽっかりとひらけた平地だった。
「ここがその遺跡ですか?」
伊達眼鏡の奥から一瞥した瞬間、綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)の青い瞳が、意外そうに軽く見開かれる。
「何も無い…ねぇ」
後に続いた相生・葵(そうじょう・あおい)の呟きは、拍子抜けと云わんばかりだ。
しかし彼らのそんな反応当然だろう。何しろ一見する限りでは、特にそれらしき景色ではない。五十メートル四方の地面が一メートル程度の深さで掘り下げられ、その上に青のビニールシートが被せられているだけだ。
「遺跡と云っても古墳や洞窟の類じゃなく、縄文時代の小さな集落跡ですからねぇ」
すらりと並び立つ汐耶と葵のそんな表情に、案内の職員の顔には苦笑が浮かぶ。
「それでも、ここでこんな物が見付かるなんて思いませんでしたから、村としては調査の結果に期待してるんですよ」
「観光資源――ですか?」
シート越しにその下にある物を見極めるかのように地面へと向けられていた汐耶の目が、すいと職員の方へ流れた。
東京でもかなり郊外にある過疎の村。村中を埋めるかの如き大量の桜以外には、取り立てて目立つ物も無い――ならばこの遺跡を観光にと、そんな考えが村にはあるのではないだろうか。
しかし職員の答えは、彼女の予想とは外れたものだった。
「こんな交通機関に見放された陸の孤島じゃ、わざわざ遺跡見物に来る人も少ないでしょう。ですから、観光とかは考えてません。ただ、保護費用という事で、国や都から少しでも予算が下りないかな…と」
笑いながらのその答えは、しかし観光地化よりもしたたかで抜け目無い。
「成る程ねぇ」
夏の陽光を蓬色の髪に受け、心地良さそうに目を細めながら、葵が妙に納得する。汐耶も小さく頷いていた。
「文化財に対する地方予算は、何処も充分とは云えないみたいだものね」
そんなオトナの事情を語り合う三人の横には、ちょこんと地面にしゃがみこみ、物珍しげに周囲を見回し続けている少女が居た。海原・みあお(うなばら・みあお)だ。
くるりと首をめぐらせ、大きな銀色の瞳で三人を見上げる。
「見付かったのはお家の跡だけ? 貝塚とかは無いの?」
皆が当初考えていたのは、ハナが遺跡の内部に入り込んで出られなくなっているのではないかという事だ。しかし住居跡では入り込めるような場所は限られている。可能性としてみあおの脳裏をよぎったのが、貝塚だったのだ。
「海にも川にも遠い場所だからね。ここの人達には貝を食べる習慣は無かったみたいだよ、お嬢ちゃん」
実際の年齢はともかく、みあおの外見は小学校の、それも低学年のものである。汐耶や葵に対しては改まった口調だった職員も、彼女に対してだけは朗らかで親しげな言葉遣いになった。
「じゃあ、貝塚無いんだね。他に穴は無かったのかなぁ?」
「お家の柱を立てた跡と、それから――ホラ、あっちの隅の方――あそこにお墓の跡が見付かったみたいだよ」
職員の示した方へと、みあおの視線が動く。何かを探るように。
「――どうだい?」
長身を屈ませて葵がその顔を覗き込むと、ややあってみあおから戻ってきたのは、「居ないみたい」という一言だった。
「それっぽい霊気は全然感じないから、ハナはこの遺跡には居ないと思うよぉ」
そうなると、手掛かりは発掘隊の方だろうか。
「ひとまず役場に戻りましょうか」
これ以上ここで調べる事は無いと判断したのか、汐耶がふたりに視線を投げる。
「そーだね。行こっ」
ぱたぱたと、みあおが役場への道を駆け出した。それに続いて葵達が歩き出そうとすると、物凄く怪訝そうな職員の目が、少女と大人達の間を往復する。
「白王社の取材と伺っていますが、あの女の子は…?」
まさか鬼の迷子探しと云ってもまともには取りあってもらえないだろうから、そのため一行は雑誌の取材という名目で来たのだが、そこに小学生が同行している事が、職員にとってはやはり不思議なのだろう。
苦笑を含んだ汐耶と葵の視線が、一瞬見交わされた。
「あの子は我が社で売り出し中の霊感少女なんですよ。最近話題になり始めてるんですけど…ご存知ありません?」
理知的なキャリアウーマンそのものといった汐耶に云われると、口から出任せでも説得力を伴うあたりが見事だ。
「いえ…こんな田舎じゃ情報には疎いですから。云われてみれば、確かに感受性が豊かそうな子ですねぇ」
すっかり信じきった表情の職員を横目に、葵の苦笑が更に色濃くなる。
「何してんのぉ〜? 早く行こーよぉ」
自分が話題の中心になっている事に気付いていないみあおの無邪気な声が、遠くから聞こえた。
■ハルナセ ノ ヤクバ
村を訪れた調査員は、もう一組。
シュライン・エマとシオンのふたりは、遺跡には向かわず役場での調査を続けていた。
「これが先方への紹介状です。それから、私の方で電話もしておきました」
「電話までして頂けるなんて、これで話が早いですね。ありがとうございます」
観光課の課長だという男が差し出した封筒を、ほわりと嬉しげな笑みを浮かべてシオンが受け取る。遺跡の調査だけでは解決しない可能性も考えて、発掘隊への紹介状を書いて貰ったのだ。
ちなみに村を訪れた発掘隊は、都内でも割と有名な大学の研究室に所属するものらしい。
「このままそちらへ向かう予定ですか?」
「ええ。あの大学のキャンパスなら、ここから都心へ戻る途中ですし。出土品に関する事は、やはり実際に発掘を担当した方に伺うべきでしょうから」
シオンと共に受け取った紹介状の文面を確認しながら、シュラインが課長の問いかけに頷く。白王社の取材という口上を疑ってもいない彼が、「記者というのも忙しいのですなぁ」と笑うのに対して、ちょーっとだけ罪悪感を感じながら……
(名前使わせてもらったなんて知ったら、あっちも怒るかしらね?)
某編集長の不機嫌顔が脳裏に浮かぶ。
まぁその時はその時だ。
桜鬼の事は抜きにして、遺跡の事だけでも記事のネタに提供して勘弁してもらう事にしよう。
あっさりそう結論を出すと、シュラインはひとつ質問を切り出した。
「この村の桜鬼の伝承についてですけど…発掘隊の方はご存知なんでしょうか?」
「ええ。私の方から説明させて頂きましたし、全員ご存知の筈ですよ」
「それについて、皆さん何か仰ってましたか?」
「興味はお持ちのようでしたが、民間伝承は専門外という事で、そっちの調査は行わなかったようです」
そこまでを聞いて、今度はシオンが口を開く。
「すると、発掘隊の皆さんは遺跡以外の場所へは行ってない…という事ですかね」
「恐らく。そうだと思います」
「成る程…」
短いが綺麗に整えられた髭の生えた顎をさすりながら、シオンはそっと横目にシュラインと顔を見合わせた。
(発掘隊が遺跡から動いていない状態でハナちゃんとの間に接点を持たせるとなると、彼女の方から遺跡まで出向くしかありませんよね…)
言葉には出さなかったが、シュラインの方でも同じ可能性を考えているようである。
この仮説が正しいかどうか、そしてそれからハナはどうなったのか――その判断は、遺跡を調査している三人の報告を待つべきだろう。
「そろそろあちらの三人も戻る頃でしょうし、私達はこれで失礼しますね」
「ご協力ありがとうございました」
幾つかの仮説を脳裏で組み立てながら、ふたりは役場を後にした。
役場の前には、七人乗りのワンボックスが止まっている。
運転席側の窓を叩くと、そこに座っていた草間の仏頂面がシュラインへと向けられた。
「何で俺まで駆り出されにゃならんのだ…」
怪奇探偵の称号を全力で否定している彼にとって、怪奇調査に同行(それも「足担当」として)させられるのは、物凄く不本意らしい。
「元々は武彦さんが受けた依頼でしょ? だったらちゃんと仕事しなくちゃ」
ささやかな抗議を、シュラインはさらりと一蹴する。
実は草間の仏頂面には、もうひとつ理由があった。
後席のドアを開けたシオンが、その「理由」に向けて微笑みかける。
「お待たせしましたね。退屈してませんでしたか?」
中列のシートでは、ちょこんと膝を揃えて座った桜鬼が、みあおにもらったジュースを飲んでいた。シオンの問いにこっくりと頷く。
狭い車内に怪奇現象とふたり(?)きり――草間にすれば不本意極まりないのだが、誰も彼のそんな心理を気遣っちゃくれなかった。
「こいつにとってここは地元なんだろ? だったら案内させれば良かったじゃないか」
「彼は人見知りなんですよ? 村の皆さんの目に付く場所に出られるわけが無いじゃないですか」
のほんと笑顔で桜鬼の頭を撫でながら、シオンはさも当然と云わんばかりだし、薄紅色の三頭身を微笑ましげに見詰めるシュラインも、その意見に同調する。
「桜鬼の伝承が実話だなんて知ったら、村の人の方でも驚くでしょうしね」
「……それで俺が子守り担当か」
盛大に溜息をついたその時、遺跡の方からみあおを先頭にした一団が戻ってくるのが草間の目に入った。
■ハナ ハ ドンナ?
のどかな田園風景の中を、ぽこぽことワンボックスが走り往く。
「そぉ云えば、ハナの特徴教えてもらわないと」
最後尾のシートに葵と並んで座っていたみあおが、不意に中列へと身を乗り出してきた。
「それもそうね。特徴がわからないと探しにくいし…似顔絵でも描いて貰う?」
持参のバッグから手帳とペンを取り出すと、汐耶は隣席の桜鬼へとそれを手渡す。
『オラ、絵はあんまり上手じゃないケド…』
気後れしつつもペンを握った桜鬼は、妹の顔を思い浮かべるように一瞬考え込んでから、くきくきと手帳の上でペンを走らせ始めた。
かきかきかき。
『こんな感じダ』
ややあって、恥ずかしそうに返された手帳。
どれどれと皆が覗き込んでみると、そこにはこんな感じの絵が描かれていた。
・真ん丸の顔
・点点の小さな目
・まっすぐ一本線の大きな口
「………」
何とも微妙な沈黙を伴いながら、運転中の草間を除く全員の目が、似顔絵を桜鬼との間を往復した。
「似顔絵の必要、無かったみたいですね…」
シオンの口元がわずかに引きつって見えるのは、「微笑んでいる」と善意の解釈をするべきだろうか…
助手席から振り返るシュラインは、苦笑を浮かべている。
「ハナちゃんの方が髪が少し長いけど、あなた達そっくりなのね。これなら見かければすぐわかりそうだわ」
とりあえずこう云っておくのが一番無難かもしれない。
血筋とは云えあまりにシンプルすぎるハナの似顔絵に、しかし素直に喜んでいるツワモノも居た。
「うわーっ、そっくりだぁ♪」
「可愛いねぇ…うん、素朴で優しそうだ。きっと凄くいい子なんだろうねぇ」
三列目に陣取ったみあおと葵である。
「都会の女性も洗練されてて素敵だけど、こういう飾り気の無い女の子も、実は凄く素敵なんだよね。ああ…早く会いたいなぁ」
葵に至っては、半ば陶酔モードだ。
汐耶とシュラインとシオンの視線が、物凄く何かを云いたげな含みを持って交わされる。
「……」
――しかし、何を思えど口に出しては突っ込まないのがオトナの礼儀。
「ま、こういう人だからね」
苦笑と共に肩をすくめ、それ以上は云わない事にする。
ぽこぽこと、車は走り続けた。
『コレ、やる。持ってくトいいカモ…』
発掘隊の居る大学に辿り着き、五人が車を降りようとしたその時、桜鬼が不意にある物を差し出してきた。
透き通った薄紅色の、ビー玉ぐらいの大きさの珠だ。ひとりにひとつずつという事なのか、その数は六つ――つまり草間の分もある。そして、午後の光を透かして光る珠からは、微かに桜鬼と同じ花の香りがした。
「綺麗な珠だね――これは?」
『桜珠ダ。オラの力が込められてるから、ハナが近くに居たラ、気付いてくれるカモ』
人見知りの桜鬼にはここでも車内に居てもらった方がいいだろうから、こうした品があるのはありがたい。
差し出された桜珠を、五人はそれぞれ手に取った。苦い顔で受け取ろうとしなかった草間の分は、とりあえずシュラインが預かっておく。
「それじゃあ、行ってきますね」
「くっさまー、留守番ヨロシク〜っ☆」
「また鬼とふたりきりにさせる気か…」
ただでさえ苦かった草間の顔が更に苦くなるが、ここでもやはり、誰もそんな事に配慮しちゃくれない。
「夏の車内に小さな子ひとりきりじゃ、脱水症状の心配があるでしょ?」
「だから武彦さん、宜しくね?」
ブツブツと繰り返されるぼやきを封じると、五人はキャンパスへと足を踏み入れた。
■ハナ ハ ドコニ?
校舎周辺を探してみるという汐耶やみあおと別れ、シュラインと葵とシオンは研究室へと向かった。
「教授は会議中ですので、代わりに僕が――里見と云います」
応対に出たのは、温和な感じのする若い青年だった。助手なのだという。
実際に出土品を見せてもらいながら、三人は早速彼に話を聞く事にした。
「今回の発掘で出土したのは、これが全部ですか?」
「ええ」
「土器が多いみたいだね。こっちは埴輪かな?」
「採取中心の生活をしていたようで、狩猟道具の出土は少なかったんですよ」
示された出土品は土器や木片ばかりで、これと云って目を引く物は無い。ハナに繋がる手掛かりも無さそうだ。
「発掘中、何か変わった出来事とか…もしくは変わった物を見かけたりはしませんでしたか?」
この土器ひとつで、銭湯に何回行けるだけの学術的価値があるのだろうと、微妙に感覚のズレた計算式を脳内で展開しながら、シオンが問う。
「あの村には桜鬼の伝承があるらしいし、鬼の姿とか見かけてたら面白かっただろうね」
葵も笑ってカマをかけてみる。
しかしそれに対する応答の中にも、ハナとの関連は見出せなかった。特に異変は無かったし、鬼に限らず変わったものも見かけなかったという。
「花の鬼なんて幻想的だし、一度会ってみたかったんですけどねぇ」
そう云って笑う彼の表情は、相変わらず穏やかで屈託が無い。
或いは発掘隊がハナを見つけて攫って帰ったのではという懸念もあったのだが、この様子ではその可能性は排除して良さそうだ。純粋そうなこの青年には、とてもそんな事が出来るとは思えない。
(ならば、ハナちゃんは何処に…?)
改めて、その疑問がシオンの胸中をよぎる。
(もしここに居るのなら、自分からついてきたと考える方が自然なようですね)
「もうひとつだけ、宜しいですか?」
最後の質問を切り出したのはシュラインだった。
「発掘中、こんな匂いを嗅いだ覚えがあったら教えて頂きたいんですけど…」
云いながら、桜珠を里見へと差し出す。
手に取り匂いを確認すると、彼は暫し考え込むように、視線を軽く天井へと投げた。
「そう云えば…最終日だったかな、何だかいい匂いがしましたね。近くで花でも咲いてるんだろうって事で、深く気にはしませんでしたけど」
――やはりハナは発掘現場付近まで来たようだ。
そのまま姿を消したとなれば……
(居るのはきっと、この近く――)
確信に近い思いを抱きながら、三人は素早く視線を交わし合った。
これは、外を調べている汐耶達と合流した方がいいだろうか。
「それじゃあ、僕達はそろそろ…」
こうなってくると俄然外の様子が気になり始め、葵は話を終わらせにかかるが、しかし皆まで云うより先に、里見が次の話題を切り出して来てしまった。
「あ。現場で撮った写真があるんですよ。次回の調査の為に、持ち帰らずに埋め戻した物も撮影してありますし、ご覧になりませんか?」
ニコニコしながら手を打ち鳴らし、アルバムが並んだキャビネへと駆け寄る。取材に協力的と云うよりも、調査結果を語りたくて仕方無いのだろう。
「あらら…」
「しょうが無いわね」
その楽しげな様子が、葵とシュラインの苦笑を誘う。
そわそわとシオンの視線が窓の方へと流れた。丁度建物の裏手にあたるらしいそこには、青い葉を茂らせた銀杏の木と沈丁花の植え込みが、フェンスに沿って並んでいる。
「あ…みあおちゃんが居ますよ」
植え込みに向かって駆けて行く小さな人影が見えた。みあおだけでなく、汐耶も同様に駆け寄っていくのが見える。
一体何処を目指しているのか。
何気なく視線を彼女達の向かう方へと移動させて――
「あ……」
シオンの口から、再び小さな声が漏れた。
「ん?」
「どうしたんだい?」
つられてふたりの視線も動く。
ここからはギリギリ見える位置にある植え込みの影。そこで――
「あれって……」
――ぴょこりと薄紅色の何かが動くのが見えた。
■ハナ ハ ココニ
――本当に、似顔絵の必要が無いぐらいよく似ていた。
わずかに髪が長い事と、虎縞の腰布の代わりに、赤いつんつるてんの着物を纏っている事以外は、何から何まで桜鬼にそっくりである。
窓越しに姿を見かけ駆けつけた三人を加えた五人の男女は、あまりのそっくり加減に言葉を失い、暫しぽかんとハナの顔を見詰め続けた。ハナの方でも彼らの顔を無言で見上げ、そうして沈黙がその場へと舞い降りる。
先に口を開いたのは、ハナの方だった。
『兄ちゃノ「気」がすル……。何でダ?』
「ああ、これの事だね? キミを探すのに役立つかもって、お兄さんから貰ったんだよ」
姿が無いのに感じられる兄の気を不思議がるハナの目の前に、葵が桜珠を差し出してみせる。
『兄ちゃノ、桜珠…?』
そうですよとシオンが頷いた。ハナの方に向けて一歩踏み出すと、自身の大柄な体格で怯えさせないようにという配慮か、そっと膝を突き目の高さを合わす。
「あなたが帰ってこないから探してほしいと、私達の所へ依頼に来たんですよ。お母さんも、心配しているそうです」
「まさか発掘隊について来ちゃったの?」
間を置かず、汐耶の問い。
こっくりと、薄紅色の頭が縦に揺れる。
「お母さんやお兄さんにも黙って来るなんて…どうして?」
すぐには、答えは無かった。
『それハ…あの……』
ややあって答えようと口を開きかけ、しかしハナはすぐに口篭ってしまう。云いにくそうに俯いたその顔が、直後、薄紅色からじわじわと、衣と同じ朱の色へ……
「あーっ、わかったぁ!」
突然大きな声を上げたのはみあおだった。
「ハナ、発掘隊の中に好きな人出来ちゃったんでしょぉ〜? それで追いかけて来たんだねっ?」
ええええええええ!?
――瞬間、四人の大人達の目が、桜鬼のような点点になってしまったとしても、それはある意味当然の反応だろう。子供らしい発送の飛躍……出来ればそう思いたかったのだが、その後のハナのリアクションの前に、彼らのその願望はあっさりと打ち砕かれてしまった。
『そんな大声デ云われたラ、オラ…恥ずかしいダ……』
小さいぽよぽよの手で、もはや真っ赤になっている顔を覆ったのだ!
これはもう間違い無い!
「あらあら…そう云う事だったのね」
予想外の事実から、最初に立ち直ったのはシュラインだった。照れ続けるハナと研究室の方角とを見比べ小さく笑うと、シオンと同じくハナの前にしゃがみこむ。
「さっき発掘隊の人に話を聞いてきたんだけど、あの遺跡、これからも調査を続けるそうよ。だから、わざわざここまで来なくても、山に居たままでもまた会えるわ」
『本当ニ…?』
もう会えぬのではと思いつめてここまで来たのだろう。そんなハナにはこの話は思いがけない朗報で、ようやく本来の薄紅へと色を戻した丸顔が、ほわっと仄かな喜びを浮かべた。
「良かったねーっ。また村に来るんなら、そのうち告白するチャンスがあるかもよぉ〜?」
『そんナ…オラ、恥ずかしくテ出来ないダ…』
……横からうりうりとみあおが肘で突き、すぐに真っ赤に戻してしまったが。
「安心したところで…外でお兄さんも待ってるし、そろそろ山に帰りましょ」
そんな様子に苦笑する汐耶に促され、五人の男女と一匹の鬼は、並んでキャンパスを後にした。
■エンディング
夕暮れ迫る道を走る車内には、鬼が二匹。
「来れた以上は、自力で帰れる筈だろこいつら…」
榛名瀬村への帰り道。運転席の草間の苦々しい呟きは、しかし誰にもまともに聞いてもらえなかった。
「せっかくデートに誘いたかったのに…もう好きな人が居るなんて残念だなぁ。でも、ハナちゃんがこんなに可愛いのは、やっぱり『恋する乙女』だからなんだろうね」
ハナを膝に座らせた葵は、歯ぐきごと歯が浮いてしまいそうな台詞を並べるのに忙しいし、他の者の関心も、完全にそちらに向いてしまっている。
(あれってやっぱり口説いてるのかしら?)
ちらりと後席のやりとりを振り返ってから、汐耶がシュラインに耳打ちした。
(まぁ、彼の場合はあれが本能みたいなものだしねぇ…)
(彼女も嫌がってるわけではなさそうですし、いいんじゃないんですか?)
ひそひそ話が耳に届いたシオンも、頷きながら話に加わってくる。
(ところで…ハナちゃんの好きな人って誰かしらね?)
(私達の応対をしてくれた助手の人が、なかなかいい感じの青年でしたね――もしかしたら彼かな?)
(ああ、彼ならありえるわね)
しかし真相は曖昧の闇の中。
依頼も無事に果たせた事だし、乙女の心にあまり立ち入る事も無いだろう。
「――で、結局俺達はタダ働きなのか?」
和やかムードの一同の中で、しかめっ面の草間だけが現実を見詰めていた。
云われてみれば、確かに依頼料を貰っていない。
だが、それすらも気にかけているのは草間だけのようであった。
「鬼がお金なんて持ってるワケ無いでしょぉ〜? 代わりに桜珠貰ってるんだし、それでいいじゃん」
だからボランティアになるのが当然と、みあおに気にした風は無い。
「草間ってば、がめつ〜いっ」
『オカネって、何ダ?』
桜鬼もきょとんと目を丸くしているだけで、これは只働き確定のようである。
「……結局こうなるのか」
うっすらと花の香りが漂う車内に、深々と溜息が吐き出された。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1072 / 相生・葵 / 男 / 22 / ホスト】
【1415 / 海原・みあお / 女 / 13 / 小学生】
【1449 / 綾和泉・汐耶 / 女 / 23 / 都立図書館司書】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男 / 42 / びんぼーにん】
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■ ライター通信 ■
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「ハナ ハ ドコヘイッタ」へのご参加ありがとうございました(礼)。
ゲル状に溶けそうな酷暑も落ち着いて、ほっとしている朝倉経也です。こんにちは。
こんな夏場に「桜」の鬼…相当に季節感がおかしい依頼でありましたが、お楽しみ頂けましたでしょうか?
皆さんのプレイングとキャラクターを、きちんと描写しきれたでしょうか?
拙い筆ゆえ、至らぬ部分も多々あるかと思われます。
ご意見やご感想などありましたら、是非ともお聞かせ下さいませ。
ところで。
今回は依頼料が桜珠ひとつだけという事になり、本当に本当に申し訳ありませんでした…。
でも桜鬼の気がこめられた珠ですので、持っていれば何かいい事があるかもしれませんし、無いかもしれません(どっちだよ)。
ご利益の有無は、今度桜鬼に聞いておきます。
シオン・レ・ハイ様
初めまして。ダンディなイラストと設定のギャップが、とても絶妙で素敵ですね。
実は朝倉は極度の数学恐怖症のため、プレイングを拝見した時は、赤点だらけだったテストの成績を思い出し、ちょっとだけナミダが頬を濡らしましたが(苦笑)。
でも、その部分を含めて、とても楽しく書かせて頂きました。
またお会いできる機会がある事を、心より願っております。
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