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雪月歌〜彼方に沈む陽は消えて〜
[序]
史上最長の真夏日が続く東京の街は陽炎揺らめいて。
照らされたアスファルトやコンクリートは、熱を溜め込んで夜にそれを吐き出す。
ヒートアイランドの中心点で、総ての生き物が暑さに喘いでいた。
‥‥‥‥そんな、ある日の出来事。
ふわり。
ふぅわり。
ふわり、ふわり。
棚引く雲が、青き晴天を覆って。
舞うは白、銀は煌く。
突然の雪模様に人々は浮かれ、踊る雪をその手に包もうと空を仰ぐ。
そんな中にいる、一人の女性。
ふわり。
舞い降りた雪は音も無く解けて、身体に冷感を残し、滴となりて。
落ちて、染みを成し。
乾いて消える。
ふわりふわり。
ふわ、ふわ。
‥‥‥‥しん‥‥‥‥しん‥‥‥‥。
[晴天の降雪]
夏の市は野菜の出盛り。
真っ赤に熟した木なりトマト、ぴっかぴかで肉厚なピーマン、ぎっしりと葉の詰まったキャベツに、不規則に曲がりくねっているが、ちくちくと白い粉を元気に吹いているきゅうり‥‥‥‥。
みんなにこにこと笑っている、そんな感じの野菜。
そして、本日の目玉は豚肉の新品種トーキョーX。
都市圏という不利な環境で最良の豚肉とするために開発された豚で、育成、飼料に至るまで厳しくチェックの入った銘柄豚だ。
「あの肉屋のおっちゃん、商売上手いで‥‥‥‥」
しかしながら、これで作った角煮の味を想像すると、よだれが溢れんばかり‥‥‥‥と、レディに対して失礼な表現であった。
「誰がレゲェやねん! お前な、下らん事ゆーてる暇があったらな‥‥‥‥」
えーっと‥‥‥‥。
さて。
「流すな、どアホーーーーーーーっっ」
(聞こえないフリ)
居酒屋のメニューと一言に言っても名店と呼ばれる店の一品は、手の込んだ丁寧な仕事がされており、中々馬鹿にできない物だ。
口はやかましいが、料理の腕は天才的な涼香の感涙物の酒肴と、親父の選ぶ酒客垂涎の酒が好評で、連日満員な居酒屋の買出しは結構な量となっていた。
それををとめの柔腕‥‥‥‥(腕を見る)‥‥‥‥いや。
「いいかげんにせいっ!(ぴしっ)」
失礼。
そんな涼香が歩いていると、目の前を白い物がちらついて。
「冷たっ! ‥‥‥‥雪‥‥‥‥?」
晩夏の雪白色は、有り得ない物で。
降り続くそれを見ていると、胸の奥が押し潰されそうな‥‥‥‥言い様も無い不安感に苛まれるような、そんな感覚。
「嘘やん‥‥‥‥何でやっ!?」
その疑問符は夏に雪が降る事、それ自体に向けられた物ではないような、強い苛立ちを持って口から吐かれる。まるで、切り裂かれた傷口から血が噴き出すような激しさで。
走り、そして通りにあった買い物客用コインロッカーの前で立ち止まる。
「氷窟抱風 急急如律令!」
買い物袋の表面に指先を噛切って印を記すと呪を唱えて、荷物をロッカーにぶち込むと、先程よりさらにスピードを上げて駆け出した。
途中背の竹刀袋を手に持ち替え、
走り、進むごとに。足を前に出すごとに気温はどんどんと冷えて。
雪はしんしんと降り始め、やがて一面の銀世界となっていった。
そして、その先のセンターモール。人一人、その場所にはいなかった。
「くっ‥‥‥‥」
それもその筈。
視界すら。
総てを追おう白は、総ての汚れを拒否するが如くに吹き荒れ、積もり、凍て付いて。
思わずその足を止めて立ち尽くす。
白い洞窟から吐き出される吹雪に瞬間躊躇いを覚えるが、大きく首を振って。白き暴風に符を振るう!
「風鬼召来風神召来っ! 纏絹風衣急急如律令!!」
ぶち当たる風の流れが変わって行き‥‥‥‥身体の表面を薄布のように覆う。
視界は相変わらず白いが、目を開けて正面を見られる様になったせいか、しっかりとした足取りでセンターモールに足を向けていた。
灰白色に曇った先に見えた、人の影。誰もいないこの場所に立っていたその影は‥‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥‥みどり」
屋上に見えた影は間違いなく、妹と言ってもいいかけがえの無い存在。
「みどり‥‥‥‥あんたっ!」
再び走り出していた。
恐れが、焦りが、戸惑いが、総て現実になった。
そんな激情に身を任せて、今や氷の城と化したセンターモールの階段をひた走って。
そして、見えてきた屋上の扉。
凍て付いて、氷の壁を成していたそれを涼香は力一杯押し開けようとするが、びくともせずにそこにあった。
苛立ちながら、その氷の扉に複雑な呪を書いて。
「こんな扉っ。邪魔やっっ‥‥‥‥我詔令相剋火剋金!」
刀印を上下に振る。
と、振られた部分が白熱し、激しい水蒸気の音を発していた。すかさず涼香が扉を蹴ると、熱を伝導扉全体の氷が緩んだのか、音を立ててその口を開く!
吹雪。
たいせつな、いもうと。
[雪。そして、空虚]
そこにいる、銀髪の少女。
ただ、つまらなそうに街を見下ろす。
深深と降り続く雪も、彼女には降り積もる事無く。
雪白色の白い光を纏ってそこにいた。
先程ドアを蹴破った音は、雪の降る音しかしないこの屋上にあるみどりの耳にも届いていた事だろう。
しかし、微動だにしないという事は逃げる気など無いのだろう。
そう判断した涼香は、一歩一歩雪の屋上を歩を進めていく。
ゆっくりと、しっかりと。
何故、ゆっくり?
そうしなければ、抑えられない程‥‥‥‥自分でもなんと表現していいかわからない胸の苦しみが今の涼香を押し潰そうとしていたから。
「みどり!」
絶叫に近いその叫びにも、動じるでもなく。
その、無表情な顔をゆっくりと向けてよこす
何か言うでもない。いいだけである訳でもない。少女はただ、そこにいた。
「‥‥‥‥つまらない」
呟いて、また視線を街に向ける。
銀色に輝く髪。
荒れ狂う吹雪、凍て付く大地。
それらが表わす物。認めたくは無かった事。
以前封印した筈の、雪女としての能力が解放された、それがこの現実。
「みどり、聞こえてるんやろ!? 返事せえや!!」
声を受けて、ゆっくりと瞳を閉じる。
「人間なんて、やはりつまらない存在。自らの喜びの為に他者を殺し、せせら笑う。見て、この偽りの大地に建てられた楼閣を。大地を侵し、大気を穢して、尚自ら繁栄を追い求め‥‥‥‥つまらない。本当にくだらない生き物」
「‥‥‥‥みどり! 帰ってこいや!! あんた人間やろ? そやったら‥‥‥‥」
無言で首をふるみどり。
「人間なものか、愚かしい」
その時。
流れた一筋の涙。
それは、瞬間に凍りつき、砕けて消えていく。
みどりの表情に一片の悲しみも無く、それがどんな意味を持っているのか。
思いを馳せた瞬間‥‥‥‥吹き寄せた一陣の風。
舞い上がる地吹雪。
白く、優美な布が空高く舞い上がる。
「みどり‥‥‥‥みどりっ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥みどりいいいいいいいいいいいっっっ!!」
薄れていく気配を追いかけるかのように絶叫する涼香。
しかし。
それが収まった時には、既にそこには誰の姿も無かった。
妖としての雪女は冷酷非情かつ頭脳的で、徹底した行動原理を持って動く。
それが人の世界の消滅であるならば、尋常成らざる自体をこの東京に、いや日本にもたらす事だろう。そうなれば、数多散る術師がその存在を許そう訳も無い。
人と妖は此の世が始まった頃からの光と影であったのだから‥‥‥‥影が世界を覆おうとすれば必ずやその影は打ち消されて。
『本日未明、東京都文京区根津で人間が凍る事件があり、警察は前日に起こった異常気象との関連を‥‥‥‥』
暗闇の中で光るテレビはニュースを映し出して。
その照り返しに浮かぶ女が一人。
退魔師、友峨谷・涼香。
紅蓮を手に、符を懐に。決意を込めた服は耐氷法呪を施したそれだ。
決意を宿した瞳で、その画面をじっと見つめていた。
「みどり、あんたんした事の始末、絶対にうちがつけて見せるわ。例え、この手で‥‥‥‥この紅蓮であんたを斬る事になりよっても‥‥‥‥いや。どうしても斬らんとあかんなら‥‥‥‥うちの手で‥‥‥‥」
[沈み往くそして、沈み往く]
‥‥‥‥いやだ!
助けてよ、どうして‥‥‥‥そんな。
いやだよ!!
もう‥‥‥‥やめ、て。
深い、深い闇の中。
見上げた先に見えるのは、凍り付く人々の表情で。
恐怖。
絶望。
苦痛。
余りに無残な光景は、みどりの柔らかく暖かな心を深く、真っ暗な闇の底へと走らせる。
『やめろおおおおおおっ!!』
『冷たいよ、寒いよ』
『痛いっ、痛い‥‥‥‥』
『この化け物めっ!!』
化け物?
違う!!
私は人間なのに。
‥‥‥‥いいや、お前は化け物だ。
『この化け物めっ!!』
言葉が、刃となってみどりに突き刺さる。
逃げよう。
痛いのは‥‥‥‥もうたくさん。
眠りたいよ、お兄ちゃん。
暖かな心の底にある思い出に向かって、みどりは暗闇の中を彷徨って。
歩けど、歩けど。
暗闇はなおも続き、果てしなく。
その途中で、闇の中でもはっきりみどりの瞳に映し出された男の影。
おにいちゃん!?
‥‥‥‥いいや、お前は化け物だ!!
その声は、兄と慕う男の口から発せられて。
絶望に突き刺されたみどりはばったりと闇の中に倒れこんで行った。
‥‥‥‥私は化け物? なの、か‥‥‥‥な。
消え去りそうな小さな心。
絶望と言う名の鎖が、みどりを縛りあげて。
闇の中を深く、深く。
果てに見える月のような表の世界。
伸ばした手は届かず、その体は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥闇の向こうに沈み往く。
[託される願い]
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
紅蓮で右方の妖を切り捨てながら、左手で刀印を組むと、九字を格子状に切って、妖を退ける涼香。
強すぎる冷気はそれ自体に妖気を含むのか、それを好む妖が数多く出現する様になっていた。
急がなければ、危惧したように本格的に術者達が討伐に出るだろう。
そうなれば犠牲者もまた多く出るだろうし、涼香の手で決着をつけるのも難しくなってくる。
必ず、この雪の先にあの娘はいる筈。
「どけやっっ!!」
しかし、冷気を好む妖が他に現われたと言う事は、もしかするとこの道の先にみどりはいないのかもしれない。
式神符は何枚か既に飛ばしたが、みどりの影を見つける事も出来ずに空を彷徨う。
暑い空、寒い空。
それらが錯綜する東京の街は、急激に大気の状態が不安定となって凄まじい悪天候が続く。
暴風雨と吹雪。雷鳴に雹雨。
そんな中で涼香は一人、戦い、進む。
かけがえの無い大切なものを探して。
だが、時間的な焦りもあったのだろう。
方向が正しいのか間違っているのか判らない苛立ちもあったのだろう。
生まれた、一瞬の隙。
「し、しまっ‥‥‥‥」
強い妖気に包まれた氷柱が死角から涼香に迫る!
かわせない!?
響き渡る打撃音。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥打撃音?
自らの身体に衝撃が無い事、そして明らかに氷ではない音が響いたその空間。
立ち登る靄。その中にうっすらと、人の影。
「‥‥‥‥誰や?」
『伝えて‥‥‥‥欲し‥‥‥‥いつでも、共にいるって‥‥‥‥絶対に‥‥‥‥ひとりじゃない‥‥‥‥頼‥‥‥‥みどりを解き放って‥‥‥‥助けて‥‥‥‥血は鎖じゃ、無い‥‥‥‥』
それだけ言うと、その気配は‥‥‥‥涼香にはおぼろげながらに見えていた。
霊子の集合体。
つまり、霊であった。生霊か死霊かこの程度の結合具合では判らないし、誰の物かも判らないが。
「自分でゆうたればええんにな」
そう、呟くが‥‥‥‥今のみどりに近づけば、あの程度の密度しかない物などあっという間に雲散霧消してしまうのは目に見えている。
「‥‥‥‥言われんでも、助けたいんや! ボケえっ!!」
そう言って、真一文字に口をかみ締めると、何かが込みあがって来るのを必死に抑える。
「みどり‥‥‥‥絶対に‥‥‥‥うちが‥‥‥‥」
止めていた足を再び踏み出す涼香。
その先にみどりがいる事を信じて、今はただ。
ただ、ひたすらに雪の道を進むのみ。
『人間』彩峰・みどりを追い求めて‥‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥たすけて‥‥‥‥‥‥」
[FIN?]
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[ライター通信]
まずは遅刻の段、誠に申し訳ございませんでした。今後、このような事の無い様、鋭意執筆いたしますので機会が御座いましたら、またご指名くださればと思います。
基本的に日常窓を閉めておりますが、テラコンなどから開くようにお伝えくだされば出来うる限り努力致しますので、そちらも御気が向かれましたら御利用下さいませ。
それでは。今回は戌野足往を御指名下さいまして誠に有難う御座いました。重ねて遅刻のお詫びを申し上げて、ライター通信とさせていただきます。
誠に申し訳御座いませんでした。
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